MOVIETOP

ライアン・ジョンソン
Rian Johnson

<amazon>
<楽天>

鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
スター・ウォーズ 最後のジェダイ 監督
2014
2013
2012 LOOPER ルーパー 監督・脚本
2011
2010 ブレイキング・バッド(3rd)<TV> 監督
2009
2008 ブラザーズ・ブルーム 監督・脚本
2007
2006
2005 BRICK ブリック 監督・脚本
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973 12'17 メリーランド州で誕生

ページトップへ

スター・ウォーズ 最後のジェダイ 2017
2017米アカデミー作曲賞、視覚効果賞、音響賞
2017英アカデミー音響賞、特殊視覚効果賞
<A> <楽>
キャスリーン・ケネディ
ラム・バーグマン
J・J・エイブラムス
トム・カーノウスキー
ジェイソン・マクガトリン(製)
ライアン・ジョンソン(監)
マーク・ハミル
キャリー・フィッシャー
アダム・ドライヴァー
デイジー・リドリー
ジョン・ボイエガ
オスカー・アイザック
アンディ・サーキス
ルピタ・ニョンゴ
ドーナル・グリーソン
アンソニー・ダニエルズ
グウェンドリン・クリスティー
ケリー・マリー・トラン
ローラ・ダーン
ヨーナス・スオタモ
ジミー・ヴィー
ベニチオ・デル・トロ
ビリー・ロード
ワーウィック・デイヴィス
ハーマイオニー・コーフィールド
ティム・ローズ
ヴェロニカ・ンゴー
ジャスティン・セロー
ゲイリー・バーロウ
トム・ハーディ
フランク・オズ
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ第7作
 ニューオーダーによる危機を一度は退けた共和軍。だが強大な力を持つニューオーダーに対抗するために最後のジェダイの騎士ルーク・スカイウォーカー(ハミル)の助けが必要だと判断した共和軍リーダーのレイア・オーガナ(フィッシャー)は、レイ(リドリー)にルークの創作に向かわせる。一方、ニューオーダーの大攻勢を前に、残った共和軍は全滅の危機を迎える。
 『スター・ウォーズ フォースの覚醒』(2015)から僅か一年弱。まさかこんな短いスパンで続編が観られるとは思ってなかった。それにその間に『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)まであり、本当に矢継ぎ早にスター・ウォーズが作られてる。
 これは親会社であるディズニーの意向が入っているのだろう。恐らくはこれまでのスター・ウォーズのブランドを大切にする姿勢から、逆に量産体制に入ることによってその中で切磋琢磨させる方向へと舵を取ったのだろう。
 そしてまさにそれを象徴するかのように、本作はこれまでのスター・ウォーズ・サガからの脱却を図ろうとするような姿勢を取っている。

 スター・ウォーズの頂点と言えるのはオリジナル版の旧三部作だが、これは監督のジョージ・ルーカスの強い意向を受け、ユングの世界観をベースに世界各地にある英雄譚のフォーマットを用いたものとなった。そのため主人公のルーク・スカイウォーカーは最も新しく誕生した神話の主人公となり、スター・ウォーズも映画を超えた普遍的な物語として受け取られるようになっていった。
 映画として空前絶後の成功例となるのがこの三部作になった。

 その後、その三部作を補完する形で新三部作が作られることとなった。物語としては旧三部作ありで、それを補完することと、前史を作ることで物語に隙間を作り、スター・ウォーズのいくつもの物語を提供する役には立った。
 だからこの新三部作はそれなりに意味は持っているのだが、オチが分かってる物語を無理矢理見せられてる気がしたし、それに当然ながら旧三部作を補完する以外の役割があまりなかった。
 その後旧三部作の後を継ぐ物語が作られる噂は結構あったものの、『スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐』(2005)から実に10年も経ってようやく『スター・ウォーズ フォースの覚醒』(2015)が作られ、最新三部作の幕開けとなった。

 『フォースの覚醒』の評価はレビューを見てもらえれば良いが、演出はとても良いものの、正直
「なんで焼き直す?」というのが疑問点だった。これではキャラを変えただけのリブートに過ぎず、『スター・ウォーズ』(1977)そのもののストーリーをトレースしてどうするんだ?そんな疑問ばかり残る作品だった。

 だが、そこら辺は飲み込むべき所だろうと思ってたし、そもそも前作監督のJJの実力はこんなものだ
(誤解を招く表現だが、JJは最高レベルのトレッキーのため、スター・ウォーズに関しては思い入れがないのが最初から分かってた)
 だから続編である本作こそが本当の意味で新シリーズの幕開けであろうと思ってた。

 さて、それで本作だが、確かにこれは新しい幕開けにふさわしいものと言える。
 本作の新しさとは、
旧シリーズの全否定であること。その一点に尽きる。

 旧三部作の大きな特徴は、前述したとおり、世界各地に残る英雄譚から様々な要素を抜き出して作られていることだった。主人公であるルーク・スカイウォーカーは神に次ぐ英雄として存分にその力を振るい、神話の時代を彩っていった。
 神々の時代は終わり、英雄の時代へ。それが旧三部作の立ち位置となる
(実はこの論理から言うならば、新三部作は「神の時代」を描いていないとおかしいのだが、見事にそれに失敗してる)
 そしてその英雄を描ききった後の話はどうなるのか。

 それは
人の時代へと移ることになる。
 かつて世界に干渉していた神は見えなくなり、やがて英雄もその任務を終えて退場する。そして残されるのは神話の記憶を引き継ぐ人間となる。

 まさにそれを行ったのが本作の特徴だった。
 前作最後にルーク・スカイウォーカーさえいれば今の世界を変えられると言い、レイはルークを迎えに行った。
 だが実際に世界を変えたのは誰だったか?
 それはジェダイでもシスの暗黒卿でもない。カイロ・レンという新しい人間だった。彼は元々はダース・ベイダーの孫として自らも暗黒卿となろうとする野望を持っていたはずなのだが、ダース・ベイダーのリスペクトである仮面を早々に破壊し、新しくカイロ・レンという個人でこの世界に立ち向かおうとする。
 そして彼が選択したのは暗黒支配による統一ではなかった。
 彼が作り出そうとしたものは、神による、あるいは英雄による統一ではない。その時代は終わった。残されたのはより人間的な混乱。カオスの世界だった。その試練として強大な力を持つニューオーダーの指導者スノークを倒し、更に旧世代の異物として最後のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーを殺そうとする。彼が作ろうとしたのは、人
の時代であり、カオスだったのだから
 それを象徴するかのように、本作では英雄は登場しない。英雄に近いとされた二人のうちカイロ・レンは自らが英雄となる道を閉じ、世界を混乱に叩き込む。そしてもう一人のレイは、自分を英雄としてではなく、他の多くの人々と共に戦う一兵士として自らを定めた。
 その結果、より多くの人々が人間としてこの世界に関わるようになっていった。それは前作にも登場したフィンであったり、ポーであったり、そして今回から登場するペイジであったり…英雄とは人間の中から意思あるものがなるものであり、それは誰にでもなり得るものとなっていったのだ。
 既にこの時点でフォースは不必要。正確に言うなら、「フォース」という概念さえ生きていれば良くなった。
 カイロ・レンによってもたらされた混乱。だが人の心にフォースがあるなら平和を作り出していく事が出来る。

 これまでのテーマは悪からの自由という分かりやすいものだった。それに対し、これからは自由という名の混乱状態と、平和的秩序の対立へと移行していくことになる。

 これはスター・ウォーズ・サーガの転換点であると共に、多くの可能性をばらまくことになる。
 これによって、スター・ウォーズの世界は「こうでなければならない」ものから、どんなストーリーも受け入れられるものになったのだ。
 それはより単純なスペースオペラに堕したという一面と、より大きな可能性を秘めた物語になったということになる。

 本作の評価が真っ二つに分かれたのはまさにここにある。
 
旧来からのスター・ウォーズファンにとってみれば、スター・ウォーズ・サーガとはある種固定化された様式美の世界観であり、その枠内で物語は展開して欲しいという願いがある。そう言う人には本作は受け入れられない。神話的意味合いを失ったスター・ウォーズは魂を失ったと思われてしまう。
 しかし一方、スター・ウォーズ世界の広がりを考えるならば、自由物語を作れるようになったと言う事なのであり、当然これは歓迎すべき事なので、諸手を挙げて歓迎する人もいる。
 そんな意味で本作は旧来のファンに対する試金石のような役割を果たしている。
 一応次の作品で一つの幕は下りるだろうが、ストーリー的にはどんどん新しいものが作れるようになったことから、キャラを変え星を変え、いくらでも作れるようになっていく。

 ちなみに私はどうかというと、どっちかというと
わたし自身トレッキーの方であり、スター・ウォーズのファンダメンタリストではないため、この変化は大歓迎である。
 スター・トレックはなんどもストーリーや設定が破壊された上で今も作り続けられているのだ。スター・ウォーズにそれができないわけは無かろう。
LOOPER ルーパー 2012
2012放送映画批評家協会SF/ホラー映画賞、オリジナル脚本賞、アクション映画賞、アクション映画男優賞(ゴードン=レヴィット)、アクション映画女優賞(ブラント)

<amazon>
<楽天>
ラム・バーグマン
ジェームズ・D・スターン
ダグラス・E・ハンセン
ジュリー・ゴールドスタイン
ピーター・シュレッセル
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
ダン・ミンツ(製)
ライアン・ジョンソン(脚)
ジョセフ・ゴードン=レヴィット
ブルース・ウィリス
エミリー・ブラント
ポール・ダノ
ノア・セガン
パイパー・ペラーボ
ジェフ・ダニエルズ
ピアース・ガニォン
シュイ・チン
ギャレット・ディラハント
ニック・ゴメス
トレイシー・トムズ
フランク・ブレナン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 2044年。この世界では2074年からタイムマシンで送られてくる犯罪者を殺すルーパーと呼ばれる処刑人が存在していた。この時代の犯罪シンジケートのルーパーとして犯罪人を殺しているジョー(ゴードン=レヴィット)は、ある時30年後の自分自身(ウィリス)が送られてきたのを目撃する。本来自分の殺す標的なのだが、30年後のジョーは逆にジョーを傷付けて逃走してしまう。このままではシンジケートでの立場が無くなってしまうため、処刑を完遂すべく、未来の自分の追跡を開始する…
 ここ近年、CGの発達によって大規模なSF作品が台頭してきた。ものすごい予算を使った見所満載の作品は、これはこれで面白いのだが、ぴりっとした良質な低予算SFも結構増えてきていて、特にこういった作品が好きな私としてはこれも嬉しい。
 低予算SFの良いところは、様々なしがらみがないために、物語に社会風刺を入れることが出来たり、アイディア勝負でどんでん返しを効果的に入れることが出来たり、キャラを際だたせる事が出来るなど、利点も多い。見た目がショボくても、映画の質としては大予算作品よりも確実に上をいってると思わせてくれる作品も多い。
 そんな風潮だから、この作品にはかなり期待をしていた。タイムパラドックスを扱ったものは特にどんでん返しを入れやすいし、どんな驚きを見せてくれるだろう?と、かなり楽しみに劇場へ。

 設定面で本作の面白いところは、扱っているのが近未来で、一種のディストピアを描いているのだが、更にその30年先の、更に暗くなっていく未来を描いているというところだろう。このまま世界が続けば、実際こんな世界になってしまうかも知れないって部分も、風刺としては機能してるだろう。最早アメリカ社会は未来に希望がないって部分はかなり気に入った部分。
 科学が進めばみんなが幸せになると言った幻想は既にオイルショックの時点で振り捨てられている。科学が進む事は、本来は平等な社会を作るはずなのだが、逆に貧富の差は広がっていく事が描かれる作品が多い。本作でも、タイムマシンが開発されたとしても、やっぱり人々は不幸になってしまう。まずはその事を丁寧に描いているのが好感。そして色々不幸なことが起こるとしても、それを見ないように生きている主人公たちのやるせない心情もちゃんと出てきている。

 この辺はとても面白いが、そこで色々設定上の問題が出てくる。
 LOOPERは30年後の自分自身を殺す(ループを閉じる)ことによって、LOOPERとしての任務を完了する。とても皮肉で面白いが、それって効率的には悪い方法なのでは?実際今殺そうとしているのが自分自身であることを伝達できる方法はあるし、それで逃がしてしまうことも確率的にはそう低くはない。タイムパラドックスについてあれだけ慎重にと言っている割にはいい加減なシステムだ。
 それにそのタイムパラドックスについてもかなりいい加減な設定になってるような?例えば最後に主人公が自殺したら、未来の自分も消えてしまう訳だが、そもそも現在の自分と未来の自分は別人格になるため(時の流れが違うから)、主人公が自殺しても未来の自分は残るのでは?という気もするし、もしリンクしてるとしても、最後に自殺がわかっていたら、未来の自分は存在し得ない…
書いていて自分でも分からなくなってきたが、これが“パラドックス”と言われる所以なんだけど。

 それで物語なのだが、これもなんか
微妙な感じでもある。なんというか、元々が未来の自分が現れ、それを殺し損ねたので、それをどうするか?と言うのが物語の骨子だったと思うのだが、いつの間にかそれが超能力を持つこども、シドを守る話になってる。これはこれで立派な物語なのかもしれないけど、大きな風呂敷をハンカチ以下に畳み込んでしまったような、そんな感じがしてならない。後半の設定はヴァン・ダムの『ボディ・ターゲット』かと思った(更に言えば『シェーン』(1953)かも?)
 未来の強力な超能力者の芽を封じるってのも、実際に未来が変わったかどうかも分かってないし。そもそもその未来の超能力者が“悪”と断定していること自体もおかしい。確かに未来のジョーがこの時代に送られてきた場合は、シドは悪魔になるけど、そうではない本来の未来では、
犯罪組織を統合してループを閉じる正しい行いをしている人物という可能性もある。そもそも今、あのガキを放っておいた場合、やっぱり悪人になってしまうという、その可能性のことは放って置かれてしまったのでは?
 その辺、どうにも釈然としない部分あり。

 昔のSF映画と較べると格段に出来は良くなってる。ただもやもや感は最後まで残った。

ページトップへ