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本名ジェフリー・エイブラムス。 | |||||||||||||||||||||||
LOST シーズン1 VOL.1 VOL.2 VOL.3 VOL.4 VOL.5 LOST シーズン2 VOL.1 VOL.2 VOL.3 VOL.4 VOL.5 LOST シーズン3 VOL.1 VOL.2 VOL.3 VOL.4 VOL.5 LOST シーズン4 VOL.1 VOL.2 VOL.3 ALIASエイリアス〈VOL.1〉 |
2020 | |||||||||
2019 | スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 監督・製作・脚本・出演 | ||||||||
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2018 | オーヴァーロード 製作 | ||||||||
ミッション:インポッシブル/フォールアウト 製作 | |||||||||
クローバーフィールド・パラドックス 製作 | |||||||||
2017 | スター・ウォーズ 最後のジェダイ 製作総指揮 | ||||||||
キング・コーエン 出演 | |||||||||
2016 | スター・トレック BEYOND 製作 | ||||||||
10 クローバーフィールド・レーン 製作 | |||||||||
スポックのために 出演 | |||||||||
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2015 | スター・ウォーズ フォースの覚醒 監督・製作・脚本 | ||||||||
ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション 製作 | |||||||||
2014 | ロードキラー デッド・スピード キャラクター創造 | ||||||||
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2013 | スター・トレック イントゥ・ダークネス 監督・製作 | ||||||||
2012 |
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2011 | SUPER 8 スーパーエイト 監督・製作・脚本 | ||||||||
ミッション:インポッシブル ゴースト・プロトコル 製作 | |||||||||
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2010 | |||||||||
2009 | スター・トレック 監督・製作 | ||||||||
2008 | クローバーフィールド HAKAISHA 製作 | ||||||||
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2007 | |||||||||
2006 | M:i:III 監督・脚本 | ||||||||
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2005 | |||||||||
2004 |
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2003 | |||||||||
2002 | |||||||||
2001 | ロードキラー 製作・脚本 | ||||||||
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2000 | |||||||||
1999 | |||||||||
1998 | アルマゲドン 脚本 | ||||||||
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1997 | ゴーン・フィッシン' 脚本 | ||||||||
1996 | ハッピィブルー 製作 | ||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | 私に近い6人の他人 出演 | ||||||||
1992 | フォーエヴァー・ヤング 時を越えた告白 製作総指揮・脚本 | ||||||||
1991 | 心の旅 脚本 | ||||||||
1990 | ファイロファックス/トラブル手帳で大逆転 脚本 | ||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | |||||||||
1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | 魔獣星人ナイトビースト 音楽 | ||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 | |||||||||
1970 | |||||||||
1969 | |||||||||
1968 | |||||||||
1967 | |||||||||
1966 | 6'27 ニューヨークで誕生 |
スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け Star Wars: Episode IX - The Rise of Skywalker |
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ファースト・オーダーを掌握したカイロ・レン(ドライヴァー)は、内から湧き上がる衝動の源を探る内に、何者かによって呼ばれていることに気づく。その探求の末、シスの神殿を発見し、そこで死んだはずのダース・シディアスと出会う。これまでのすべてはシディアスの手引きによるもので、その後継者に選ばれていることを知らされたレンは、もう一人のフォースの使い手であるレイ(リドリー)を殺した時にシスのすべてを明け渡すというシディアスの申し出を受ける。一方、ほぼ壊滅状態に陥っていた共和軍は起死回生を図ろうとしていた。レイは独自にシスの根源の探索へと向かう。 賛否両論を巻き起こした前作、サーガの中ではエピソード8となる最後のジェダイ(2017)だが、私はこの作品を諸手を挙げて大歓迎した。エイブラムズが監督したエピソード7のフォースの覚醒(2015)があまりにも型にはまりすぎた作品だったから、それからやっと脱却してようやくオリジナルストーリーへと移るのだろうと思っていたからである。 しかし、最終作となる本作の予告で、妙に聞き覚えのある声が流れた途端に暗雲がたちこめた。まさかここで銀河皇帝?生きていてはいけないキャラが生き残っていたことで一気にテンション下がる。 それでもダース・シディアスは狂言回しだという可能性もある。というか、お願いだからそうして。 そんな思いで劇場に向かった。 まずオープニングで脱力。前作ラストでファースト・オーダーまでも解体してしまい、一体何を目的とするのだ?と思ってたカイロ・レンが目標としていたのはシスの根源だという。 …シスもジェダイも関係なく、ただ混乱を求めるためにやってたんじゃなかったの?単なるこれが目的だったらスノーク倒す必要も無かったし、ファースト・オーダーの成り立ちを調べるだけで分かることでは? そして困難の末たどり着いた星でシスの根源たる銀河皇帝と出会ったレンはあっけなくダース・シディアスの元にかしずく。前作であれだけのことをやっておいて、主人を変えるだけしか意味なかったの? 更にシディアスからレイは実はその孫だと明かされた。この時点で最も愚かな選択をしたことが分かった。 この選択の何が悪いかと言ったら、ジェダイVSシスの戦いワンス・アゲインということになる。それは既に二回りやってきたこと。今更同じ事やって何の意味があるのか? いや、少なくとも何らかの意味があるだろうと思ってEP7とEP8観てきたこちらとしては、脱力感でがっくりきてしまった。 後はもうどうでもよかった。精神的に無になってほぼ死んだ魚のような目をしてストーリーを追うだけで作品が終わった。 作品としても相当酷い。 EP8でジェダイの後継者を育てられずに自責の念で引きこもっていたはずのルークが実はシディアスを追いかけていたと明かされていたが、どう考えてもそれ後付けだろ?そもそも唯一のジェダイの騎士が単身で探索する意味が説明されてない。 誰も知らない空間にあるはずのシスの宮殿にあれだけのスターデストロイヤーがあって、それぞれにちゃんと兵士が乗ってる。これだけの兵器開発してたら流通経路でどこに星があって、何が作られてるか分かるぞ普通。ルークが半生をかけて追いかけて挫折した真相ってこの程度? 往年の日本のRPGのようにあっちこっちに引き回されてヒントだけ与えられるレイ一行の大名行列。はっきり言ってこの描写完璧無駄。そのオチはエンドアの衛星に落ちたデススターの残骸に鍵があるのが分かるのだが、あの最後の戦いから数十年。その間デススターを誰も探さなかったとは思えないんだが?ジャンク屋にとっては宝の山だよ。 そのデススターに降りるためには海を行くしかないというのだが、その説得力は全くない。実際カイロ=レンはタイファイターでやってきてた。 前作であれだけレイアに疎まれていたポー・ダメロンが共和軍の将軍になったが、まっすぐ突入させる以外の戦術を知らない人間に将軍なんてやらせたらどうなるかは最初から結果は分かってる(そして事実そうなった)。 前作で小型艇をワープさせて大型戦艦に突っ込ませるという戦術が有効だと分かったので、無人機を多量に作ってドロイドあたりに操縦させて突入させれば良いんだが、発案者であるポーを含めて誰もそれをやろうとしてない。お陰で最後の戦いは自暴自棄になって自殺行為を繰り返してるとしか見えなくなった。 幾重にも罠を張っていたため、最後まで動じないシディアスだが、そもそもその罠ってのがカイロとレイの感情だけの問題になってる。スケールが小さすぎる。 でもこれらの欠点以上にまずいのは、EP1からの物語にあったものを全く受け継がなかったこと。 EP4〜EP5までの作品は一個のサーガとして成立しているが、背景を含む設定面に空きがあった。それを埋め合わせるためにEP1〜EP3があったのだが、色々新しい設定が出てきた。例えばシスは必ず二人組で行動すること、ジェダイは寺院の合議制によってなされ、決して正義を行使する機関ではないということ、そしてフォースとはミディ=クロリアンという因子によって発動すること。 特に最後のミディ=クロリアンの概念は面白く、これによってフォースは発動するが、それだけでは単なる力に過ぎない。それを訓練によって制御するとジェダイとなり、奔放に使うとシスになるということになるのだが、それはあくまで便宜的なものである。ジェダイとシスの二つだけしか道がないわけではない。第三の道第四の道無数の道があって然り。そちらの方に話を持って行くことを期待していた。前作EP8で、レイはフォースの血統の生まれではなかったことが明らかにされ、ラストシーンで動物の世話係の子ども達が微かな光を見いだしたことから、混沌から新たな秩序を見いだす新しい世代が生まれてくることを期待させてくれたものだ。 だが、見事にそれらはスルーされた。それどころかレイの出自が明らかになった時点で だが改めて振り返ってみるとEP7以降はミディ=クロリアンの言葉は全く出てこなかったことに気づく。お陰でフォースはジェダイとシスのいずれかしか選択ができないものになってしまった。 EP6の終わりによって、最後のジェダイの騎士ルークはシスを滅ぼしすべてを解放した。ここで世界は変わったはず。ミディ=クロリアンの可能性は新しい道を示してよかったのだ。それが再びジェダイ対シスに戻ってしまうのは、これまでのシリーズに対する侮辱としか思えない。 ただ、本作が本当に悪かったのか?と言われると、そういうわけでもない。ファンとしての感想を言えば、「ふざけんな!」だが、少なくとも売れる作品を作るという観点で考えるならば、本作の方向性は決して間違ってないのも確かな話。 単純明快な二つの陣営、絶望的な状況の中での起死回生劇、クエストをこなす冒険譚。全てオリジナルのスター・ウォーズ(1977)にあったものをスマートかつ現代的にしたもので、見応えはあるし、何よりとてもわかりやすい。SF作品ではなくディズニー提供のプログラムピクチャーと割り切って考えてしまえば、これはこれで「あり」だろう。 「スター・ウォーズ」という作品ではなく、「スター・ウォーズ」という名前を冠したフランチャイズ作品と割り切ることでヒット作品ができたと考えれば良い。これからその名を冠した作品は山のように出てくるので、その第一歩と考えれば本作は充分意味がある。商業的成功と、以降の作品製作に続く布石。エイブラムズ監督はその意味では見事に期待に応えてくれたと言っても良かろう(ある意味、この人のトレッキーぶりはこのレベルに達したかと感心すらできる)。 今更希望するのは、枝葉はどんな方向に行っても良いから、ハード路線を定期的に作って欲しいと言うことだろうか。長くファンを続けていたが、以降は期待しないから、時々で良いから「これは!」というのが出てくれるだけで満足しよう。 |
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スター・ウォーズ フォースの覚醒 2015 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015米アカデミー編集賞、音楽賞、視覚効果賞、音楽賞、音響賞 2015英アカデミー特殊視覚効果賞、作曲賞、プロダクションデザイン賞、音響賞 2016日本アカデミー外国作品賞 |
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銀河皇帝パルパティーンの死をもって帝国は滅んだかのように見えた。だが新しく興ったファースト・オーダーという組織が旧帝国の残存部隊をまとめ上げ、30年をかけて更に強力な新しい帝国を作っていった。一方、共和国では新しいジェダイの騎士を育成していたはずのルーク・スカイウォーカー(ハミル)が姿を消し、その弟子で強いフォースの使い手カイロ・レン(ドライバー)はファースト・オーダーの元へと行ってしまう。そんな時、砂の惑星ジャクーで廃品回収をしていたレイ(リドリー)は一体のドロイドBB-8と知り合う。実はこのBB-8こそがルークの居場所の地図を持っており、その地図を奪うべくファースト・オーダーの大群が押し寄せてきた。ファースト・オーダーのやり方に馴染めず脱走したフィン(ボイエガ)と共にBB-8に巻き込まれる形で襲われるレンだが… スター・ウォーズ・サーガの一作目『スター・ウォーズ』(1977)から既に40年近い月日が経った。その間に巨万の富を得たジョージ・ルーカスはスタジオを作り、そこから更に5作の映画が作られた。更にディズニーとの提携によって更にスピンオフシリーズの幾多のTV・ビデオ・劇場作品が作られてきた。 そして満を持してついに正統的なスター・ウォーズ・サーガの続編が誕生した。ファンにとっては待ちに待っていた作品と言うことで、公開日は世界中のニュースにまでなっていたし、オープニングの興行成績は歴代トップ。まだまだ記録は伸びそうな作品である。 本作を称するに何を当てるか。 多分それはかつてキューブリックの『シャイニング』(1980)に対し原作者のスティーヴン・キングが称した言葉に尽きるだろう。即ち「エンジンの積んでないスポーツカー」である。演出は非常に優れているし、物語もきちんとはしている。見応えもたっぷりある。だが、肝心の魂を置き忘れた作品と言ってしまって良い。 いや、これは決して悪口というわけではない。創造者であるルーカスが物語自体には関わっていないこともあって、敢えて物語に画期的な変更は加えず、『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(1983)のまっとうな続編として、きちんとまとまっているのだ。 ただ、それがまっとうすぎて、ひっかかるものがほとんどない。これまでの物語を否定する部分は全く無く、その為に驚きもない。凄く安心して観られるし、演出の巧さもあって、これまでのどの作品よりも映画単体としては巧くできている。 ただしゴツゴツした部分がなくて、するっと観終わってしまったと言う感じである。 だから、映画単体としての作品としては最高レベル。ただしスター・ウォーズ・サーガの一編とするならば、力量不足。本作で本当に作るべきだったのは、単なる続編ではなく、新しいスター・ウォーズ・サーガの構築であったはずである。そして出来たのは、本当に単なる続編だった。 これはおそらく監督のエイブラムスの資質にあるのではなかっただろうか? この人が作った『スター・トレック』は、無茶苦茶な作品だったのだが、凄く楽しかった。それは監督が重度のトレッキーであるということが分かったから。あの作品を作るに至るまで、頭の中で様々なシーンを散々こねくり回して、自分なりの解釈も加えて作り上げた作品だったのだろう。どんだけスタトレ好きなんだよ。と実感できる出来だった。あの作品を観てるだけで「ああ、この人、本当にスタートレック好きなんだな」と思い、「この作品作れて良かったね」と祝福する気持ちにさせられたものだ。 ところで、スター・ウォーズファンとスター・トレックファンは重なる部分もあるが、時に激しい対立を引き起こすこともある。映画『ファンボーイズ』(2008)に戯画化されてそれは描かれているが、こじらせたファンにとっては、互いの作品の名前を聞くだけで拒否反応を起こしてしまうものだ。 そして明らかにトレッキーな監督が今度はスター・ウォーズの監督をする?大丈夫かいな?という思いもあったものだ。 そして本作を観て分かったこと。 エイブラムス監督は最高の製作者だということである。 この人、かなりこじらせたトレッキーであり、スター・ウォーズについてはさほどの思い入れはない。思い入れはないからこそ、オリジナルの解釈は入れることなく、物語に集中して楽しい作品を作ろうと志向したのだ。お陰でもの凄い完成度の高さだが、同時に思い入れの感じられない、いかにも雇われ作品が完成した(監督の思い入れが感じられたのは、ハン・ソロの船の出来事で、あの切羽詰まった時の起死回生の描写はほぼTV版「スター・トレック」のエピソードそのまんま。そこだけはこだわったと思える)。 そしてそれこそが製作会社であるディズニーが求めた事であり、エイブラムスはその期待に100%応えて見せた。最高の編集術と演出力を、駆使し、見応えとドキドキワクワク感をふんだんに使って、最高の演出で、ファンに納得できる解釈を作り上げたのだ。 そして最高の潔さと思ったのは、ほとんど全ての謎を「続編に続く」としてみせたことである。 いくつかの伏線を蒔いて見せたものの(そもそも主人公のレンがどんな系譜の人だか、断片的にしか描いてない)、それらの回収は続編以降。これによってエイブラムスは自分自身に対する批判は防いでクリエイターとして傷つかずに済んだし、興行的な意味での賞賛は全て自分のものにする事が出来た。 完全にエイブラムスの勝利の構図の作品である。自分自身のフィルモグラフィに一切の傷を付けず、監督としての名声だけを手に入れた。まさしくJJの計算通り。そんな意味においても本作は本当に見事な作品と言える。 |
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スター・ウォーズ フォースの覚醒(書籍)アラン・ディー・フォスター Sculpting a Galaxy:スター・ウォーズ 特撮ミニチュアモデル(書籍) STAR WARS FAQ 『スター・ウォーズ』のすべて(書籍) STAR WARS THE FORCE AWAKENS INCREDIBLE CROSS-SECTIONS スター・ウォーズ/フォースの覚醒 クロス・セクション TIEファイターからミレニアム・ファルコンまで全12機の断面図から仕組みを徹底解析(書籍) スター・ウォーズ キャラクター事典 完全保存版(書籍) さがして! みつけて! スター・ウォーズ ジャーニー・トゥ・フォースの覚醒(書籍) さがして! みつけて! スター・ウォーズ名場面(書籍) ねんどろいど スター・ウォーズ/フォースの覚醒 カイロ・レン |
スター・トレック イントゥ・ダークネス 2013 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013米アカデミー視覚効果賞 2013英アカデミー特殊効果賞 2013放送映画批評家協会視覚効果賞、SF/ホラー映画賞 |
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西暦2259年。惑星ニビル探査中のUSSエンタープライズ号艦長のジェームズ・T・カーク(パイン)は、副艦長スポック(クイント)の命を救うために重大な規律違反を犯してしまう。地球に帰還したカークはその責任を問われ、艦長を解任されるのだが、まさしくその時、地球では議会に対する軍の陰謀が進行中だった。やがて首謀者ジョン・ハリソンはクリンゴンが支配する惑星クロノスに逃亡したことが判明し、この緊急事態に、再びUSSエンタープライズの艦長に復帰したカーク… 今年は、いわゆるオタク監督が夏を席巻した感がある。『パシフィック・リム』(2013)のデル・トロ。『マン・オブ・スティール』(2013)のスナイダー、そして本作のJJ・エイブラムス。何というか、とにかく私のような人間にとっては幸せな夏を送らせていただいた。まずはこんな作品を作ってくれたJJには感謝したい。 JJは前作『スター・トレック』でそのオタクっぷりを見事に見せてくれた。かなりメタフィクショナルだが、ちゃんとオリジナルに敬意を持って、きちんとつなげてくれていたし、テレビ版にファンとしては大満足な一本で、ほとほと前作は感心させられっ放しだったものだ。 それで今回はその続編となるのだが、ここでは一つ期待感があった。前作はモロに「スタートレック」へのオマージュだったが、ここからがJJのオリジナルとしての一作目となるだろう。さてこれからどんな方向性を見せてくれるか? …と、思ってた。 まさかこんな方法を使うとは。かなりなんというか、唖然とさせられた。まだこんなオマージュの捧げ方があったのか! ここではっきり分かったのは、一作目のオマージュはスタートレックはスタートレックでも、テレビシリーズ版についてだった。これはこれで素晴らしいのだが、もう一つ捧げねばならないものがあったか!そう。これはテレビ版「スタートレック」ではない。映画版『スター・トレック』(1979)に捧げられたものだった。 この作品、見事な程に映画版の描写に準拠してる。 最初の火山でのエンタープライズの活躍(と言うかスポックの活躍)は『3』のものだし、その後のメインストーリーは『スター・トレック2 カーンの逆襲』(1982)に準拠してる。最後のスポックとカーンの追いかけっこはおそらく『4』からだろう。劇中カーンの名前が明らかになった時点でその辺「なるほど!」となるのだが、その瞬間こそ興奮するものの、それが解ってしまうと多少気持ちが冷める。こうなると、物語そのものよりもどこにかつての劇場作品と関わりがあるのか?と言う部分に興味が移ってしまい、素直に物語を楽しめなくなる。 その最たる部分はカークの殉職シーンだろう。放射能汚染の部屋に独りで入ってエンタープライズを救うのは『スター・トレック2』でスポックがやったことと全く同じで、最後にガラス越しに手を合わせるシーンまで同じ。これはやりすぎ。本来一番感動するはずのシーンがパロディになってしまい、泣けるより笑えてしまう。これは大きな問題じゃないかな? 物語そのものは充分に魅力的ではあるのだ。だが、そこに明らかなパクり要素を多数入れてしまったことで気持ちが冷めてしまう。 JJがスタトレ好きなのは前作観るだけで充分分かるが、その“好き”と言う気持ちを“俺の作品”として自信を持って提供して欲しかったし、それを受け止めて新しいスタートレックサーガに思いを馳せるような気持ちにさせて欲しかった。それが残念でならない。JJには既に充分すぎる実力がある。一介のファンに留まって欲しくはないものだ。 もう一歩踏み出すのを恐れたか?それともまだ「俺は一介のトレッキーに過ぎない」とか言うつもりか? ただ、物語性や演出と言った重要な点はきちんと水準以上にはまとめられているのは確か。 単に派手なだけでなく、きちんと一人一人の個性を際立たせた細やかなドラマを作り出し、戦いとなったら戦ってる一人一人の実力の差も見せつけてる(短いシーンで桁違いのカーンの強さをきちんと描写出来てる実力もたいしたものだ)。スタトレ恒例のコクピットの横揺れ描写とか、工場のような剥き出しのエンジンルームとか、細かいところで「これはスタートレックだ」と主張してるのも微笑ましくてよろしい。 オリジナル版よりもやんちゃ度が上がったカークもなかなかに魅力あるけど、やっぱりスポックが良い。前作と比べても、根本的なところでカークをしっかり信頼し、そのサポートしようとする姿がなんとも好みだ。なんだかんだでこの作品、カークよりもスポックの方が画面に映ってる時間長いし、ラブストーリーまで用意されてる。 概ねにおいて本作は『スタートレック』としては大成功だと思われる。だけど、『スタートレック』だから許したくないものでもある。複雑な気分だ。 |
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別冊映画秘宝スター・トレック完全読本(書籍) |
SUPER 8 スーパーエイト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011放送映画批評家協会若手俳優賞(ファニング)、視覚効果賞、音響賞、アクション映画賞 2011MTVムービー・アワードブレイクスルー演技賞(ファニング) 2011上半期ベスト第1位 2011タイムベスト6位 2011HIHOはくさい映画賞第1位 2012サターン監督賞、音楽賞、SF作品賞、若手俳優賞(ファニング)、脚本賞、編集賞、特殊効果賞 |
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1979年オハイオ州。4ヶ月前に母を失った少年ジョー・ラム(コートニー)ら6人は、自主制作のゾンビ映画を作るため、線路のすぐ近くで撮影をしていた。しかし、撮影中にアメリカ空軍の物資を運んでいた貨物列車が事故を起こしてしまう。奇跡的に全員無事だったジョー達だが、その日以来街には不思議な出来事が繰り返し起こるようになっていった… ヒットメーカーJ・J・エイブラムスが製作にスピルバーグを迎えて作り上げたSF作品。 はっきり言おう。この作品は目新しい点は一切無い。新しいどころかすべてが古い。 しかし、その古さこそが本作を本作たらしめている最も大きな要素だ。エイブラムスは絶対狙って作ったのだし、一発芸としては小憎らしいほど見事にはまってる。 本作は、丁度40歳前後。80年代に映画を観始めた人間にとってはとても嬉しい。というか、その世代を狙い撃ちにした作品なのだろう。まさしくエイブラムスが自分の世代のために作った作品だ(エイブラムスは1966年生まれ)。 とにかく本作は最初から最後まで丸ごと80年代のオマージュが詰まりまくってる。鯛焼きで言うなら頭から尻尾まで80年代という餡が詰まった状態だ。 あんまりそればかり言うのも何だが、いくつかその80年代の素晴らしさというのを挙げてみよう。 オープニングシーン。いきなりざらついた荒い画面が登場。ここで「あれ?」と思える。更に物語が進んでも画面は荒いまま。しかも夜のシーンには光の写り込みまで出ている。これは撮影失敗ではない。これは70〜80年代に使われたテクニカラー技術では技術的にどうしても起こってしまったことだ。今は撮影は全部ディジタルなので、そんなことは全くないので、敢えてそういう画面を作ったと言うのが分かる。今更そんなフィルムを手に入れたとは考えられないので、おそらくはディジタルで撮影した上で、わざとそういう処理をしたのだろう。はっきり言って「無駄」の一言だし、そんな手間暇を使ってどれだけ分かる人がいる?そういうこだわりって大好きだぞ。正直、冒頭だけでズッキーンとばかり心臓を掴まれた感じがした。 そして登場人物のチョイスも実にイカしてる。現代の作品では、特に子役はすっきりした顔立ちの子ばかりが使われる傾向があるが、昔の子役は等身大のアメリカ人を演出するために、敢えて極端な造形をした人をよく使ったものだ。ここに登場するのは、いささか誇張もあるけど、デブ、チビ、ヤセ、ソバカス、歯科矯正、主人公に至っては気が小さい重度のオタクであり、しかもそれにものすごくコンプレックスを持ってる…ううううう。何という既知感。と言うか、「俺かよ!」と言う心の叫びが…たぶん主人公のジョーはエイブラムス自身なんだろうな。 そしてつるべ撃ちされるケレン味たっぷりの演出の数々。 ほぼ10分毎に「これパクリだろ」という心の叫びが出てくる。とにかくこの作品でオマージュにされてる監督の演出の数々が次々に脳裏に浮かんでくる。それこそメインとしてのジョー・ダンテを筆頭に、ジョン・カーペンター、ロバート・ゼメキス、ジェームズ・キャメロン、リドリー・スコット、ロブ・ライナー、ポール・ヴァーホーベン、ジョージ・A・ロメロ、そしてもちろんスティーヴン・スピルバーグ(あと、爆薬好きのケアリーはあの当時のマイケル・ベイ本人だろ?)…みんな80年代に頭角を現した監督達で、しかも彼らが80年代に使った技術を見事に模倣して作ってくれてる。呆れを通り越して感動の境地に至ったよ。できれば何人かとビデオで観て、「ほらここ、あの監督のあの映画のあのシーンで使われたものだよ」と周囲の人間に言い回ってうざがられたいとさえ思う。ああ、やってみたいなあ。 でもそれで思うのは、本作は二回目を観た時に一番にやにやできると言うこと。だって冒頭の製作会社でアンブリン(スピルバーグが作った製作会社)とバッド・ロボット(エイブラムスの会社)が並んで出てくるんだから。これほどの皮肉はなかろう。よくスピルバーグもこれに金出そうと考えたもんだよ。 ところでエイブラムスと言えば、『クローバーフィールド HAKAISHA』で頭角を現し、『スター・トレック』作ったことで、はっきり分かったのだが、この人は間違いなく重度の特オタだ。『クローバーフィールド HAKAISHA』は明らかに『ゴジラ』(1954)をもう一度アメリカで作ったら?と言うコンセプトで作ってるし、『スター・トレック』に至っては、「ここまで考えるのか?」と感心するほどオリジナル版に敬意を払ってる。どれだけSFが好きで、しかも80年代にどれだけSF映画で育ってきたのか、それが透けて見える。そしてその「好き」という気持ちを素直に映画にしてしまった。本作を作ることは、一種の彼にとっての到達点だったのではなかろうか?エイブラムスが本当に作りたかったものは、すべてここに入っている。正直、この感覚は分かりすぎるほど分かるのだ。そして、それを作ってしまえる人間がいると言うことを心底羨ましいと思う。 もう本当に80年代でおなかいっぱい。そして嫌い嫌いと言ってる私が、まさしく80年代に未だに縛られ続けていることを再確認できた。それだけでも、私にとって本作は本当に貴重な作品だ。 |
スター・トレック 2009 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009米アカデミーメイクアップ賞、視覚効果賞、音響賞 2009英アカデミー音響賞、特殊視覚効果賞 2009放送映画批評家協会アンサンブル演技賞、メイクアップ賞、視覚効果賞、音響賞、アクション映画賞 2009絶叫大賞スクリームアワード最優秀監督賞 2009ナショナル・ボード・レビュートップ10 2009英エンパイア・アワード最優秀SF/ファンタジー映画 2009イギリスの年間興収第11位 2009タランティーノベスト第2位 2009allcinema興行収入第6位 2009アメリカ製作者組合作品賞 2010MTVムービー・アワードブレイクアウト・スター賞(パイン) |
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25年前。異形の宇宙船によって撃沈された惑星連邦軍戦艦USSケルヴィン。この中でジェームズ・T・カーク(パイン)は生を受けた。その後、無軌道な青年時代を経、父を継いで艦隊に志願する。優秀な能力を発揮しながらもトラブルが絶えないばかりに士官になれずにいたカークだが、そんな時にへの壁を越えられずにいた。たまたま謹慎を受けている時に緊急事態が発生し、同期の仲間たちがそれぞれ艦に乗って出動していく。友人のマッコイ(アーバン)の機転でなんとかエンタープライズに潜り込んだカークだが、そこには副長としてバルカン人と地球人のハーフ、スポック(クイント)も乗っていた。バルカン人特有の論理的で冷静沈着なスポックと直感で行動する男カークは互いに相容れない存在として対立してしまうが… 昨年公開されたハリウッド製特撮の佳作『クローバーフィールド HAKAISHA』(2008)は、何のタイトルも、怪獣も出してない予告編のお陰で公開前から凄い話題になっていた。その仕掛け人こそが製作に当たっていたJ・J・エイブラムズだったが、そのエイブラムズが今度は監督として作り上げたのは、古典SFシリーズで、高らかに新シリーズ開始を謳い上げた本作だった。 実は本作は私にととっても期待度の高い作品だった。“あの”エイブラムズが“あの”「スタートレック 宇宙大作戦」を作る!なんかそれだけで嬉しい気がしたし、トレッキーとまでは言わないまでも、それなりにファンでもある私には、やっぱり初期のスター・トレックと言うだけでなんかワクワクさせてくれる。 そしてワクワクしながら映画館に入り、ワクワクしながら映画を観て、そしてワクワクしながら帰宅した… なんか変な言い方だが、この作品は、本当にあらゆる意味でワクワクさせっぱなしにさせてくれた作品だった。 最初に感じたワクワクは、勿論期待感によるもの。 劇中に感じたワクワクは、「おー。こいつ分かってるじゃん。こうくるか。じゃ次は何が来るんだ?」という、トレッキー的な設定や物語のつながりを感じさせてくれるワクワク感。次々に出てくるキャラの名前や惑星の名前だけでも、次々に記憶が引き出され、「あー、こいつはこういう役だったが、ここではこういう役か」とか考えてしまい、ニヤニヤ笑える。 そして終了後のワクワクは、「さーて、この話は勿論続くんだろうな。次はどんなのが出来るんだろう?」という続きを待つワクワク感。 結果として、ずーっとワクワクさせてくれた作品で、今も尚ワクワク感は終わってない。 だから、素直に本作は良い作品だと言ってしまおう。こんなにずーっとワクワクさせてくれる作品なんて滅多に出会うことが出来ないよ。 さて、それで本作の内容だが、アクション作品好きにはストレートに楽しめるだろうが、それなりにディープなSFファンにとっては、たいした作品に思えないだろう。実際SF的な意味においては、物語として単純すぎるし、特に主人公のカークの幸運っぷりは予想の上を行き、あまりにもご都合主義な主人公の言動に、「いくら何でもこりゃ無いだろう」と思わされたりもする。後、航行中の宇宙船が戦闘で揺れるなんて事はあり得ないとか。 私もそれは認める。これが普通のSF作品だったら、その部分でクサしていただろう。しかしこれはSFではない。スタートレックなのだ。往年のテレビシリーズを観た人なら分かるだろうが、その、単純なストーリー+幸運すぎる主人公のコンボこそが実はスタートレックの魅力そのものなのだから。だから、本作を観た感想は「良いSF作品を観た」じゃない。「良いスタートレックを観た」というのが正しい感想になる。 だから極めて単純な本作のストーリーはスタートレックとしての強味に他ならない。 だけど、単純でありながら、話も色々捻ってはいる。 最も大きな改変は、これはスター・トレックの始まりの話であると共に、オリジナルシリーズの続編になっていると言う事。結局それは本作がタイムスリップを物語の中軸に据えているからだが、それはあまり重要視されてない。「ドラゴンボール」のセル編よろしく過去と未来は連続した時空ではない。というだけのあっけない説明で全て済ませている。でもその思い切りが良し。その分キャラ描写に深みが出た。 例えばネロが率いるロミュランの宇宙船だが、オープニングカットの禍々しいフォルムと良い、巨大感と言い、重力兵器をも持つ科学力とも言い、あたかも強大な敵のように思わせておいて、実は単なる作業船であったという皮肉。まあ、仮に言えば『戦国自衛隊』(1979)で自衛隊の代わりに土木作業員が重機と共にタイムスリップしたような設定になるのだが、そうする意味は物語上、何の意味もない。別段本当に過去の歴史を変えに来た強大な武力を持つ敵であっても話はそのまま通じる。だが敢えて敵を卑小化することで諧謔趣味が溢れているから楽しいのだ。こういう皮肉な設定が溢れていて、特にオリジナルシリーズとは異なる登場のさせ方をさせると、そこも楽しめる。 又、人物についてもオリジナルシリーズとはやや描写が異なることも特徴的だろう。オリジナルシリーズではカークの父は生きていて艦隊司令になっていたし、劇中破壊されてしまったバルカン星を舞台にした話もオリジナルシリーズにはちゃんと重要な物語としてあった。その辺がキャラの性格に影を落としていたりするし、後半に現れる元々のスポックも随分人間的に丸くなってる。特に年老いたスポックがあんなに丸くなってるのは、妙にしんみりさせる部分。きっと死に別れた(『ジェネレーションズ』で分かるが、正確には行方不明となった)カークとの思い出を大切に胸に秘め、そのどれだけカークを信用し、親友となっていったのかを思い起こさせるし、だからこそ、歴史が変わった過去の自分に対し、「カークに付いていくように」とアドヴァイスが出来たと思われる。歴史が変わっているのだから、自分とカークが味わった冒険が繰り返される訳ではない。しかし、このコンビなら、たとえどんな出来事が起こっても、絶対に乗り越えることが出来る。という全幅の信頼感に溢れた言葉になってる。今は反発し合っている二人も、そうしている内にやがては運命のように二人は親友になるはず…何という信頼感だろうか。これを聞いたとき、嬉しい気分になった。 私はトレッキーと呼ばれるほどの熱烈なマニアではないが、先に特撮館でスター・トレックのレビューを作る際、主に海外サイトを漁って情報を集めていったお陰でトレッキー達のムーブメントの歴史や、ファンが本当に求めているのは何か。と言う事も頭に入れることが出来た。その意味で本作は、そう言うムーブメントを通ってきたトレッキーへの優しさに溢れた作品だと言う事が出来るだろう。最後のスポックの言葉は、トレッキーが望んでいた言葉だ。 |
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別冊映画秘宝スター・トレック完全読本(書籍) |
M:i:III 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006サターンアクション/アドベンチャー/サスペンス映画賞、主演男優賞(クルーズ)、助演男優賞(ホフマン)、監督賞、特殊効果賞 2006全米BoxOffice第14位 |
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現場を引退し、MIF(Mission Inpossible Force)の教官となったイーサン・ハント(クルーズ)は、婚約者のジュリア(モナハン)と幸せな日々を過ごしていた。しかし、ジュリアの家族を招いてのパーティの最中、教え子であるエージェントのリンジー(ラッセル)が国際的闇ブローカー、オーウェン=デイヴィアン(ホフマン)を調査中捕らえられてしまったというのだ。現役復帰の要請を迷いつつも受け、リンジーの救出作戦に参加するが、彼女は頭に仕掛けられた爆弾で死んでしまう。デイヴィアンに対し報復を心に決めたイーサンは再びチームを招集する… 大好評シリーズの第3作。1作目がデ・パルマ監督によって純粋なスパイものに仕上げられ、2作目はウー監督によってアクション作品に仕上げられていたが、3作目の本作は初監督となるエイブラムズの元、家族を大切にする男の物語として作られるのが特徴といえるか。 パラマウント入魂のビッグ・バジェット・プロジェクトだが、先行するインタビューなどで、嫌と言うほど家族のあり方や、家族愛について語られていた。これを単純なアクション作品と見てもらっては困る。と言う感じだったが、これは単に製作に関わったクルーズが熱愛の末とうとう家族が出来た事を強調するためだったらしい。だってあれだけ「普通のアクション作品とは違う」事を強調した末、実際は本当に「ごくごく普通のアクション作品」にしかなってなかったから。特に近年アクション作品にそう言う人間関係の深みを与えようとする試みは多いのだが(具体的には『スパイダーマン』(2002)が良い例だけど、人間の心の内面にまで踏み込んだ『バットマン・ビギンズ』(2005)も良い出来だった)、どこかにそう言う所出してくれることを期待していただけに、それが全く描かれてなかった…というか、残念ながら家族描写は目新しくもない古い描かれ方しかされてなかった。 確かに様々な要素を取り込んで、アクション作品としては一級品であることは認めるし、演出上の迫力は確かにある。特に後半走りまくるクルーズの緊張感は凄いし、40歳を超え、ますますアクションに磨きがかかるとは凄い。この人はこれからも第一線で活躍し続けそうだ。 だが、そのアクションを離れて、一個の作品として観たらどうか?と言うのとはそれは別の話である。 先ず、本作は『スパイ大作戦』とは完全に別物である。そもそも『スパイ大作戦』は個々のチームが上から与えられた任務をプロ意識で淡々とこなすところが面白い作品だった。組織ぐるみでバックアップするとか、はたまた個人的な思いを組織に優先させるなど、あってはいけないはず。何より、プロなのだから「死して屍拾うもの無し」が信条じゃないんだろうか?任務に失敗した人間をわざわざ助けるためにチームを送り込むなんて、(悪い意味で)まるでアメリカ軍そのものじゃないのか?最早これは諜報組織ではない。MIFってのは実は軍隊なの?しかも秘密の組織のはずなのに、大きなビルに堂々と居を構えてるし、こそこそした所がなく、明るい部屋で堂々とミッションが語られてる。部長クラスの権限でアメリカ国内にヘリや攻撃機まで派遣できる。テロを防ぐ組織がテロ起こしてどうするんだろう?大体スパイの話なのに、公然と派手な作戦行動取ってること自体で話が成り立たないだろ。設定で言ったらボロボロどころか笑止千万。 それと、これだけ実力派俳優を多く配していて、全部が全部クルーズを格好良く見せるためだけに行動してるのもなんだなあ。クルーズってそう言うのを嫌っていたと思ってたんだけど、自分の製作でこんなもん作ってくれてはなあ。お陰で少々評価は落ちた。それでも『カポーティ』(2005)で昨年の男優賞オスカー俳優ホフマンは見事な演技。10年前のクリストファー=ウォーケンを思い出させるけど、まさかウォーケンの代わりになる人がいるとは驚き。『25時』(2002)の気弱な演技も上手いと思ったけど、この人の本領はむしろ悪役にあるみたいだ。 物語的には、中国でのラビットフッドを奪うシーンが割愛されたのも勿体ないかな?入って出てくるだけだったからねえ。 |