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1991 | 9'3 死去 | |
1990 | ||
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1972 | ||
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1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ポケット一杯の幸福 監督・製作 | |
1960 | ||
1959 | 波も涙も暖かい 監督・製作 | |
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | 花婿来たる 監督・製作 | |
女群西部へ! 原作 | ||
1950 | 恋は青空の下 監督・製作 | |
1949 | ||
1948 | 愛の立候補宣言 監督・製作 | |
1947 | ||
1946 | 素晴らしき哉、人生! 監督・製作・脚本 | |
1945 | ||
1944 | 毒薬と老嬢 監督・製作 | |
1943 | ||
1942 | なぜ我々は戦うのか(〜45) 監督 | |
1941 | 群衆 監督・製作 | |
1940 | ||
1939 | スミス都へ行く 監督・製作 | |
1938 | 我が家の楽園 監督・製作 | |
1937 | 失はれた地平線 監督・製作 | |
1936 | オペラハット 監督・製作 | |
1935 | ||
1934 | 或る夜の出来事 監督・製作 | |
1933 | 風雲のチャイナ 監督 | |
一日だけの淑女 監督 | ||
1932 | 狂乱のアメリカ 監督 | |
たそがれの女 監督・原案 | ||
1931 | 奇蹟の処女 監督 | |
プラチナ・ブロンド 監督 | ||
大飛行船 監督 | ||
1930 | 希望の星 監督 | |
1929 | ドノヴァン 監督 | |
空の王者 監督 | ||
1928 | 渦巻く都会 監督 | |
サブマリン 監督 | ||
闇を行く 監督 | ||
呑気な商売 監督 | ||
陽気な踊子 監督 | ||
1927 | 初恋ハリイ 監督 | |
力漕一挺身 監督 | ||
1926 | 当りっ子ハリー 監督 | |
1925 | ||
1924 | ||
1923 | ||
1922 | ||
1921 | ||
1920 | ||
1919 | ||
1918 | ||
1917 | ||
1916 | ||
1915 | ||
1914 | ||
1913 | ||
1912 | ||
1911 | ||
1910 | ||
1909 | ||
1908 | ||
1907 | ||
1906 | ||
1905 | ||
1904 | ||
1903 | ||
1902 | ||
1901 | ||
1897 | 5'18 シチリア島で誕生 |
ポケット一杯の幸福 1961 | |||||||||||||||||||||||||||
1961米アカデミー助演男優賞(フォーク)、歌曲賞、衣装デザイン賞 1961ゴールデン・グローブ男優賞(フォード) |
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花婿来たる Here Comes the Groom |
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1951米アカデミー歌曲賞、原案賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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恋は青空の下 Riding High |
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素晴らしき哉、人生! It's a Wonderful Life |
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1946米アカデミー作品賞、主演男優賞(スチュワート)、監督賞(キャプラ)、編集賞、録音賞ミネート) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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小さなベタフォードと言う町に住むジョージ・ベイリイ(スチュアート)は子供の頃から世界を飛び回りたいと言う夢を持っていたが、彼自身の人の良さからその夢叶わず、父親の遺した小さな不動産業者を叔父と共に受け継いだ。やがて幼馴染みのメリイ(ドナ・リード)と結婚し、4人の子供も出来、不動産業も軌道に乗り、まずまずの生活を送っていたが、町のボスである銀行家のポッター(バリモア)は正義感強い彼を疎んじて事毎に圧迫を加えてもいた。そんなクリスマスのある夜、叔父のミスで会社の金8000ドルが紛失してしまうのだった。実はその金はポッターの手に渡っていたのだが、ポッターはそれを隠しジョージを脅迫する。ついに絶望して橋の上から身投げしようとするジョージ。その時… フィリップ・ヴァン・ドーレン・スターンの短編「The Greatest Gift」をキャプラ、ワイラー、スティーヴンスの3人が協力して設立したリバ ティ・プロが第1回作品として製作。スチュワートの俳優再開作(スチュワート自身は戦争帰りであまり乗り気ではなかったとも言われる)。公開当時は全く話題にされることなく、興業成績も不振。実は折角設立したリバティ・プロも1947年にパラマウントに吸収されてしまうのだが、その後テレビの普及と共に、権利消失した本作が良くかかるようになり、やがて評価がうなぎ登りに登り、ついにはクリスマスには必ず放映されるようになった。『三十四丁目の奇蹟』(1947)と共にクリスマス定番作品となっている(『ホーム・アローン2』(1992)でもケヴィンが「クリスマスには家族みんなで『素晴らしき哉!人生』を観るのがならわし」と言ってたし)。 キャプラ監督の作品に一貫しているのは、人の正義感や温かい心遣いが最終的には一番強いのだ。というオプティミズムあふれるストレートな作風で、これこそが古くからアメリカにある正義感と言うものを代表しているかのよう。 そのストレートぶりが、観る時の心理状況によって肯定的に感じる時もあるし、逆に鼻がつくときもあるもの。私に関しては、精神的に子供のときは否定的に感じることの方が多かったけど、今になると素直に良い作品に思えるあたりが面白い。精神的に老成したと言うよりもむしろ、これを啓蒙作品とか道徳の教科書的作品と位置づけず、ファンタジーの一種として、清涼剤のような感覚で観られるようになったからかもしれない。勿論深刻ぶって、いかにも「通です」と自己主張するような作品は作品として、時にはこう言った息抜きにも似た、素直に泣ける作品があっても良い(繰り返し観るにも適してるし)。 そして、そのキャプラ監督らしいファンタジーの世界の展開が極端に出たのが本作の特徴だろう。 ここに登場するのは基本的に悪人がいない。ポッター役のバリモアですら、どこか浮世離れた存在で、悪人らしくない。更に輪をかけてスチュワートが本当に良い奴過ぎる。本当に天使まで出してしまい、最後は大団円。と、素晴らしく単純な作り。 だけど、だからこそ映画の素晴らしさと言うのも同時に感じさせられるのだ。映画を観ていて素直に感動させられることのうれしさ、「ああ、人のことを思うことって大切なんだな」と思わせてくれる良さ。それがたとえ一瞬のことであったとしても、それがあるから救われるのだ。それらのことを再認識させられるのもキャプラ監督作品の素晴らしさだろう。 しかし、思えば、ここで描かれたジョージがいなかった場合の村の姿。それは実は本当の意味で現実のアメリカだったのかも知れない。そう考えると、とても本作は皮肉にも思えるのだが、それを吹き飛ばすだけのパワーを持っていると言うのが何よりも重要だろう。 確かに本作にはパワーがある。甘くたって良いの。馬鹿げてて良いの。むしろそれを確信的に使っているからこそ、本作は輝くのだ。 クリスマスに。とは言わないけど、本作を観るならやっぱり冬の寒いとき、家族で観ることをお薦めしたい。心温かくなりたい時に。 |
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群衆 Meet John Doe |
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1941米アカデミー原案賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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地方都市の新聞社の新しいオーナーは手始めに大規模なリストラを敢行。馘になりかけた新聞社の女性記者アン(スタンウィック)が起死回生の策として、一人の架空の自殺志願者を創り出そうとする。秘密裏に行われたオーディションでは元野球選手のジョン=ウィルビー(クーパー)が受かり、彼はジョン=ドゥの名前で「この嫌悪すべき世界に抗議するため、自分はクリスマス・イヴの真夜中、市公会堂の塔上から飛下りて自殺してみせる」と記事を載せる。アンのもくろみ通り新聞は大売れ。勿論イブになったら彼は大金をもらって群衆の中に消える予定だったのだが、しかし、国民の強い共感と支持を得た彼だが、虚構の世界に生きる事に耐えられなくなっていく。 アメリカの良心と言われるキャプラ監督作品。日本との戦争を目前とした中で、メディアの影響の強さと恐ろしさを題材とし、ファシズムへの警告も含まれると言われている。 キャプラ作品は実に数多くの映画で引用がなされているが、その内、最も引用率が高いのが本作と思われる(日本のサスペンスドラマで崖に立って犯人が告白するのは、ここからの孫引用ではないかと私は睨んでいる)。 引用が多い理由として考えられるのは、現代にも通じるマスコミの威力とその怖さに対して警鐘が鳴らされていた事が挙げられよう。実際マスコミによって作られた虚像と実際の人間の差と言うのは昔からあった。特に現代のネットの発達はメディアと受け取り側の距離が更に微妙なものになった、はっきり言って気持ち悪い状況なので、むしろ今こそ本作の意味合いが増しているのでは無かろうか?(とは言え、そう言うのを消費して楽しんでる自分も一方ではいるんだけど)。 ただ一方、それだけではないだろうって気もする。メディアと現実生活の乖離と言えば、同じキャプラ作品で、これ又引用の多い『オペラハット』もあるのだが、本作の場合は底抜けな明るさではなく、極めてシニカルなダークさに覆われていると言う点が大きい。 最終的にこれをキャプラ作品としたのは、そんな中で人間の良心を信じる。と言うファンタジーの部分が受け入れられたからだと思われる。主人公のジョンは巨像と自分自身の間で悩み続け、ついには巨像の方に押しつぶされてしまう。だが最後に彼を救ったのは、他でもない。「群衆」だったのだ。受け取る側の良心というものを最後に信じさせる出来に仕上がったのが大きい。本当にそんな良心があるとは思えないんだけど、そう思わせたところがキャプラの実力って奴なんだろう。改めて思うと、このシンプルな邦題は見事に作品を言い表してもいる。 ちなみにこの1941年はもう一つ、新聞を題材にした傑作『市民ケーン』が公開されているのだが、見事に対比的で、本作の場合は見事にアメリカン・デモクラシーを歌い上げている。 完成度の面で言っても、私は『市民ケーン』よりはこっちの方が好きなんだけど、ただ、メディアと群衆の関係という意味ではリアリティがあったのは、やはり『市民ケーン』の方だったな。 |
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スミス都へ行く Mr. Smith Goes to Washington |
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1939米アカデミー原案賞、作品賞、主演男優賞(スチュワート)、助演男優賞(ケリー、レインズ)、監督賞(キャプラ)、脚色賞、作曲・編集賞、室内装置賞、編集賞、録音賞 1939NY批評家協会男優賞(スチュワート) |
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上院議員に欠員が出来、間に合わせで空席を埋めるために議長指名を受けたのは田舎で少年団のリーダーを務めるジェファーソン・スミス(スチュワート)だった。議会は彼に“何もしないこと”を期待していたのだが、案に反し素人のはずのスミスは熱意もって行政にあたり、やがて議員の汚職問題を知る事になる。それを糾弾するスミスだったが… 今でこそあまり言われなくなったものだが、全盛時代のハリウッドには悪名高いハリウッドコードなるものが存在した。これは必要以上に“正義”と“健全”を推し進めるシステムであり、それに合わない作品は容赦なく切り捨てられてきたものだ。それはハリウッドはアメリカという国の手本になるべき。と言う使命感に溢れていた時代の一種の弊害とも言える。 それでキャプラ監督ほど、その当時のハリウッドをよく現している監督はないと思う。彼の制作した映画は皆、この世にはびこる悪に対し、敢然と立ち向かい、そして本当にあり得ない話でそれを打ち破ってしまう。本作でも最後の演説のシーンなど、リアリティとは縁遠く、一種痛々しいほど正義感に溢れた人物が出てきて、幾多の困難と闘いつつ、最後は勝利を得る。というパターンを作っていた。 昔、私はこういう作品が嫌いだった。言ってることは立派過ぎて偽善っぽいし、現実とかけ離れすぎだろう。と言う思いがどうしても抜けなかったのだ。この作品を観たのは比較的古く、それが妙な違和感になって残ったものだが、それからずいぶん時が経ち、今になって考えてみると…やっぱりこう言うのは必要なんじゃないか?と思える自分がいる(それだけ私が現実生活のどろどろに嫌気がさしていると言うだけなのかもしれないが)。 良いじゃないか。誰も信じない「正義」を声高に語ったって。 良いじゃないか。理想を持って、その理想を曲げずに突っ走る人生も。 それが周りからどれほど「馬鹿馬鹿しい」と思われようとも、それが自分自身の人生なんだから。馬鹿になりきれるって、どれだけ素晴らしいことだろう!…などとも考えてしまう。 …オチを言えば、このスミスの姿が特撮ヒーローに重なってしまうと言う、ただそれだけと言うことに今気が付いた(笑) 監督がスミスに託したのは、ジェファーソン・スミスという名前にも表されていて、「建国の父祖」と言われるジェファーソン大統領に、最も多い名前のスミスをくっつけたというもの(スミス・ジェファーソンでなくジェファーソン・スミスという綴りからも分かる)。 ただ、映画としてどうか?と言われると、やっぱりちょっとご都合主義に過ぎるかな?と言う部分が確かにあり、冷静になるとちょっと引いてしまうところあり。同じキャプラ作品でも『我が家の楽園』とか『素晴らしき哉、人生!』では感じないかったので、やはり話が政治に食い込んだ時点で、そう思ってしまったんだろう。が、もうちょっとだけリアリティが欲しかったか。 しかし、これだけストレートな正義感に溢れた作品でありながら、本作は公開がなかなか認可されなかったとか。これは第二次世界大戦直前に政治不信を題材に取ったためだったらしい。確かに「国民一丸となって」と叫ぶ政治家の顔がこれ観た後だと別に映るかもしれないな。 やっぱりこう言うのはレビューしてみるもんだ。お陰で改めて本作が良い作品だと思えたよ。 |
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我が家の楽園 You Can't Take It with You |
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1938米アカデミー作品賞、監督賞(キャプラ)、助演女優賞(バイイントン)、脚色賞、撮影賞、録音賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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実業界の大物でありながら、30年前に突然引退。人生を楽しみ尽くすことを始めたヴァンダーホフ(バリモア)の家には彼の子供や孫達を含め、彼に惹かれてやってきた面々が楽しく暮らしていた。しかし、あろう事か彼女の孫娘アリス(アーサー)が秘書として勤める会社により立ち退きを迫られていた。その社長カービー(アーノルド)の息子トニー(スチュワート)と恋仲になったアリスは自分の家にカービーを招くのだが… ブロードウェイの舞台劇『それを持っては行けない』の映画化作品。 私にとってはキャプラ監督作品は『オペラハット』に続き二本目の鑑賞作になる。そちらの方はそのストーリーの甘さに辟易したもんだが、これは何故か素直に観ることが出来た。と言うか、大変楽しかった。この作品も設定が出来過ぎとか、ストーリー部分にも相当の甘さがあるとかあるけど、バリモア演じるヴァンダーホフと、アーノルド演じるカービーの性格の対比が面白く、更に変人ばかり集まるシカモア一家の面々が皆とても魅力的。 作品そのものは、大量生産時代に入ったアメリカ社会に対する強い風刺と、人間にとって本当に大切なものは?と言うキャプラ監督のメッセージ性に溢れた作品で、おおよそあり得ないストーリー展開や裁判の様子などがファンタジーに満ちた雰囲気を持っていて、観てるこっちまで夢心地にさせてくれる。あくせく働くことより楽しく人生を生きよう。と言うのはキャプラ監督だけじゃなく、チャップリンの『モダン・タイムス』(1936)であれ、ワイルダーの『アパートの鍵貸します』(1960)であれ、ハリウッド映画のテーマでもあるようで、多くの良作を輩出している。 自分がしたいことをして、みんなに愛されるヴァンダーホフの生き方はとても羨ましい気分にさせてくれる。結局彼にとって一番の趣味とは、何より人を愛していたということなんだろう。そりゃ確かに生活は貧乏かも知れないけど、こういう笑いに溢れた家族を作るって言うのはやっぱり理想だよな。 なんだかとても幸せな気分にさせてくれるよ。 |
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オペラハット Mr. Deeds Goes to Town |
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1936米アカデミー監督賞(キャプラ)、作品賞、主演男優賞(クーパー)、脚色賞、録音賞 1936NY批評家協会作品賞 |
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ヴァーモントの田舎町に住み、チューバを吹くのが趣味というディーズ(クーパー)のもとに、莫大な遺産が転がり込んだ。現代のシンデレラ・ボーイの出現に、マスコミは色めき立ち、彼の元に殺到したが、その中で女新聞記者ベイブ(アーサー)は行き倒れを装ってディーズに接近し、彼の記事を書くことに成功する。だがディーズは彼女が本性を隠しているとも知らずにベイブのことを愛し始めていた。そしてベイブも又、変わり者ではあるが、善人の彼を愛するようになっていた。だが、彼女の正体がばれ、しかも彼女の書いた記事によって窮地に陥り、裁判を受ける事になったディーズ。彼は全てを放棄し、一人黙って被告席に座る… クラレンス・バディントン・ケランド原作の、スクリューボール・コメディの原点と言われる作品。 ゲイリー=クーパーという人物はアメリカ人の理想を表すと言われることがある。がっしりした体格と、それに反してシャイな目つき。アメリカ人がこよなく愛し、理想とする“純朴な田舎者”がよく似合う人物で、それ故、たとえ“演技が出来ない”と称されても、その個性の強烈さだけで演技は必要ない人物だとも言える。たとえ何をしなくてもこの人が登場するだけで他の全てのキャラクターを食ってしまう。それが彼の魅力であると共に、それ故にたった一人しか目立たない映画になってしまい、幅が極端に限られてしまう。 本作もその通りで、まさにクーパーの魅力大爆発。逆に言えばそれだけで一本の映画を作ってしまったのだとも言える。確かにそれは分かるし、クーパーも魅力的だとは思うのだが、なんと言っても、ストーリーの穴がどうにもこうにも目に付いてしまって… ご都合主義は仕方ないと諦めるにしても、弁護士も立てない裁判と、暴力を振るう被告を「正常」としてしまうのはいかがなものか?裁判だったら理を持って正常を証明すべきだし、そう言う理屈の上にあるストーリーだったら楽しめたんだろうけどな(単純に私がクーパーをそんな好きじゃないと言うのが大きな理由だったりするけど)。 本作は風刺の効いたスクリューボール・コメディとして本国アメリカでは大変な人気で、数々のオマージュ作品が登場しているが、近年になっても『未来は今』(1994)(こちらは同じキャプラ監督の『群衆』(1941)も入っている)と『Mr.ディーズ』(2002)という二本のリメイクが登場している。 |
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或る夜の出来事 It Happened One Night |
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1934米アカデミー作品賞、主演男優賞(ゲーブル)、主演女優賞(コノリー)、監督賞(キャプラ)、脚色賞 1993アメリカ国立フィルム登録簿新規登録作品 |
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ニューヨークの大銀行家アンドリュース(コノリー)の一人娘エリー(コルベール)は、父の反対を押し切り飛行家のキング・ウェストリー(トーマス)と婚約したため、マイアミ港外で父のヨットに監禁されそうになる。海に飛び込んで逃げた彼女は駆け落ちを決意。キングのいるニューヨークへ向かうため、夜間バスに乗る。丁度その時そのバスには失業中の新聞記者ピーター=ウォーン(ゲーブル)が乗り合わせていた。ピーターは新聞でエリーに1万ドルの賞金がかけられている事を知り、更に独占記事を新聞に載せる契約も取り、彼女との同行を申し出るのだった。 原作はサミュエル・ホプキンス・アダムスの「夜行バス」という短編小説。脚本家のロバート=リスキンがこれを自由に脚色し、キャプラが自由にのびのびと作り上げたロマンティック・コメディの佳作。 本作は古き良きハリウッド映画を体現したような作品で、スラップスティックな、それでいてオシャレなコメディ作品として、今も尚多くのファンを持つ作品。一種のアメリカンドリームを体現したとも言える出来だった。 ここでのアメリカン・ドリームというのは、勿論主人公のゲーブル演じるピーターの事になる。身は落ちぶれても高潔な魂を忘れることなく、たとえ時に誘惑に屈しかけても持ち前の精神力で欲望をねじ伏せた結果、本当の愛を手にする。 …というのは、あくまで本作品を俯瞰してみただけの事に過ぎない。 本作の醍醐味、そしてアメリカン・ドリームとは、度胸だけはある世間知らずの娘と旅をする。これが実は一番の楽しさなのだ。ピーターは確かに最後に全てを手にするかも知れないけど、本作においては、それよりもその過程の楽しさにこそ、真骨頂があると言っていい。結果が良くなったというのも、要するにスクリューボール・コメディとはこういうものだ。と言う確認を行う部分の方が強く、やはり本作はロードムービー部分にこそ面白さが詰まってる。 そもそもハリウッドが描いていた典型的な男とは、粗野でありつつ紳士。そして典型的な理想的な女性とは、世間知らずの跳ねっ返りで、いつも主人公を困らせつつ、結局彼女の方が男を引きずっていくタイプ。特にかつてのハリウッド製ロードムービーはこの傾向が強く、数々の名優がこの二つの役を演じている事が分かるだろう。ぱっと思いつくだけでも、『アフリカの女王』(1951)や『ローマの休日』(1953)、『ペーパー・ムーン』(1973)などが挙げられよう。変則的ではあるが、『卒業』(1967)なんかもこのパターンだし(と言うか、最後の花嫁衣装のまま走っていくのは本作のパクリそのもの)、現在でも『コールドマウンテン』(2003)なんかはそれに近い部分を色濃く持つ。 なんだかんだ言って、跳ねっ返りの女性を男がエスコートしっぱなしというのが醍醐味ということになるのだが、本作はそれが小技の効かせ方が見事なほど。後の映画に散々パクられたシーンが山ほど出てくるという事実がそれを物語っているだろう(有名どころだと、ピーターと一つの部屋で寝ることになったエリーが毛布を真ん中に仕切るようにかけ、「ジェリコの壁」と言うところとか、ピーターがどれだけヒッチハイクしても全く目もかけられないのに、エリーがスカートをちょっとまくったら車が止まったというシーン。他にも後のコロンビア・アニメの代表となったバックス・バニーがにんじんを囓るのもここからだし、女性がだぶだぶの男物のパジャマを着て恥ずかしそうにするシーンだとか、下着を着ずに素肌の上にカッターシャツを着込むとか、みんなこの映画からきている)。で、苦笑いしながらも男はそんな跳ねっ返りの女を守っていく。なんだかんだ言っても、古き良きアメリカをここまで見事に体現した作品には感嘆の念を覚える。 この辺はやはりその価値観にこだわったキャプラだからこその作品だった。他の監督がやっていたら、嫌味になる部分さえも、キャプラが撮るとさらりとしたコメディになってしまう。だからこそ極めてストレートに、そしてハッピーエンドで終わる。これがキャプラ流と言う奴だ。 男はなんだかんだ言って、従順な女性よりも、こうやって自分を引き回してくれる女性をどこかで求めているもんだ。 後、本作に限らずキャプラの作品で感心できるのは、食事シーンがとても多いと言う点。その食事というのも、対比的に豪華な食事は美味しそうに見せずに、貧しい食事を楽しそうに食べさせる所にある。食事を楽しくさせるのは、料理そのものよりも、そこにいる人間だ。と言う点を突くことにより、貧しさの中の楽しさって奴を上手く演出している。私がキャプラ作品を面白いと感じさせるのは、この食事シーンのこだわりに他ならない。 尚、本作の主演のゲーブルはMGMの専属俳優で、コロンビア製作の本作とは関わりを持たなかったのだが、キャプラが一本MGMで作品を作るという条件で借り出すことに成功したとか。作品にとっても、ゲーブルにとっても幸運な出会いだった。 更に本作は映画単体のみならず、多くの話題をさらったことも挙げておくべきだろう。前述した後の映画の影響は何も映画に留まることなく、本当にこの年のアメリカの男性用下着の売り上げは激減したとか。又、初めてアカデミー作品賞、主演男優賞、主演女優賞、監督賞、脚色賞の主要五部門にを受賞した作品となるが、主演女優賞を得たコルベールは授賞式に興味はなく、丁度汽車に乗るところを受賞の知らせを聞いた人たちによって連れてこられたとか。 |
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