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ジョエル(Joel)・コーエンおよびイーサン・コーエンの兄弟。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コーエン兄弟の世界 ビッグ・リボウスキ コーエン兄弟 _(書籍) |
2022 | ||||||||
2021 | ||||||||
2020 | ||||||||
2019 | ||||||||
2018 | ||||||||
2017 | ||||||||
2016 | ヘイル、シーザー! 監督・製作・脚本 | |||||||
2015 | ブリッジ・オブ・スパイ 脚本 | |||||||
2014 | 不屈の男 アンブロークン 脚本 | |||||||
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2013 | インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌 監督・製作・脚本 | |||||||
Another Day,Another Time「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」スペシャル・ライブ | ||||||||
2012 | モネ・ゲーム 脚本 | |||||||
2011 | ||||||||
2010 | トゥルー・グリット 監督・製作・脚本・編集 | |||||||
2009 | シリアスマン 監督・製作・脚本・編集 | |||||||
2008 | バーン・アフター・リーディング 監督・製作・脚本 | |||||||
2007 | ノーカントリー 監督・製作・脚本・編集 | |||||||
2006 | パリ、ジュテーム 監督・脚本 | |||||||
2005 | ||||||||
2004 | レディ・キラーズ 監督・製作・脚本 | |||||||
2003 | ディボース・ショウ 監督・製作・脚本 | |||||||
バッドサンタ 製作総指揮 | ||||||||
2002 | ||||||||
2001 | バーバー 監督・製作・脚本 | |||||||
2000 | オー・ブラザー! 監督・製作・脚本 | |||||||
1999 | ブラッドシンプル ザ・スリラー 監督・製作・脚本 | |||||||
1998 | ビッグ・リボウスキ 監督・製作・脚本 | |||||||
ホネツギマン 脚本 | ||||||||
1997 | ||||||||
1996 | ファーゴ 監督・製作・脚本 | |||||||
1995 | ||||||||
1994 | 未来は今 監督・製作・脚本 | |||||||
1993 | ||||||||
1992 | ||||||||
1991 | バートン・フィンク 監督・製作・脚本 | |||||||
1990 | ミラーズ・クロッシング 監督・製作・脚本 | |||||||
1989 | ||||||||
1988 | ||||||||
1987 | 赤ちゃん泥棒 監督・製作・脚本 | |||||||
1986 | ||||||||
1985 | XYZマーダーズ 脚本 | |||||||
1984 | ブラッド・シンプル 監督・製作・脚本 | |||||||
1983 | 死霊のはらわた 編集(ジョエル) | |||||||
1982 | ||||||||
1981 | 魔界からの逆襲 編集(ジョエル) | |||||||
1980 | ||||||||
1979 | ||||||||
1978 | ||||||||
1977 | ||||||||
1976 | ||||||||
1975 | ||||||||
1974 | ||||||||
1973 | ||||||||
1972 | ||||||||
1971 | ||||||||
1970 | ||||||||
1969 | ||||||||
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1967 | ||||||||
1966 | ||||||||
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1963 | ||||||||
1962 | ||||||||
1961 | ||||||||
1960 | ||||||||
1959 | ||||||||
1958 | ||||||||
1957 | 9'21 ミネソタ州ミネアポリスでイーサン誕生 | |||||||
1956 | ||||||||
1955 | ||||||||
1954 | 11'29 ミネソタ州ミネアポリスでジョエル誕生 |
ヘイル、シーザー! Hail, Caesar! |
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トゥルー・グリット | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010米アカデミー作品賞、主演男優賞(ブリッジス)、助演女優賞(スタインフェルド)、監督賞、脚色賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、音響賞 2010英アカデミー撮影賞、作品賞、主演男優賞(ブリッジス)、主演女優賞(スタインフェルド)、脚色賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、音響賞 2010全米批評家協会撮影賞 2010ボストン映画批評家協会撮影賞 2010放送映画批評家協会若手俳優賞(スタインフェルド)、作品賞、主演男優賞(ブリッジス)、助演女優賞(スタインフェルド)、監督賞、脚本賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、音楽賞 2010ローリング・ストーン第4位 2010タイム第8位 2010アメリカ映画協会トップ10 2010タランティーノベスト第6位 2010オンライン映画批評家協会助演女優賞(スタインフェルド)、撮影賞 2010ブロードキャスト映画批評家協会若手男優・女優賞(スタインフェルド) 2010アメリカ脚本家組合脚色賞 2010アメリカ製作者組合賞 2010ナショナル・ボード・オブ・レビュートップ10 2010ピーター・トラヴァースベスト第4位 2010タランティーノお気に入り第6位 2010アメリカ俳優組合主演男優賞(ブリッジス)、助演女優賞(スタインフェルド) 2010アメリカ脚本家組合脚色賞 2011MTVムービー・アワードブレイクアウト・スター賞(スタインフェルド) 2011キネマ旬報外国映画第7位 2011サターン主演男優賞(ブリッジス)、アクション/アドベンチャー作品賞、若手俳優賞(スタインフェルド) 2011興行収入第12位 |
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使用人のトム・チェイニー(ブローリン)に父を殺された14歳の少女マティ・ロス(スタインフェルド)は、必ず父の仇を討つと心に誓う。保護区に逃げ込んだチェイニーを負うため、ベテラン保安官ルースター・コグバーン(ブリッジス)に犯人追跡を依頼する。どうしても同行すると言い張るマティの執念に押し切られ、二人で出発することとなるが、そこに別の容疑でチェイニーを追っていたテキサス・レンジャーのラビーフ(デイモン)も加わり、いがみ合いつつも三人の旅が始まった。 毎度変わった素材を使って楽しませてくれるコーエン兄弟による新作は、なんと西部劇。しかもスピルバーグ製作総指揮によるジョン・ウエインにオスカーをもたらした『大いなる追跡』のリメイク。 大昔、ハリウッドを代表するジャンルであったが、現在は西部劇は数年に一度思い出されたように作られる程度にまで落ち込み、ジャンルとしては寂しい限りだが、その分じっくり作り込まれた良い作品が出る傾向がある。 本作も殊現代に作られた“西部劇”というジャンルだけで考えるならば実に良い作品である。作り込みもしっかりしているし、なにより人物描写がしっとりと落ち着いたもので、その丁寧な作り方には好感が持てる。 問題とすれば、そこに加えられた“コーエンらしさ”が好みかどうかという一点に尽きるだろう。 それで私に関しては、合う部分もあったが、合わない部分もあったということで、点数はやや辛目とさせていただいた。 合わなかった部分、それは残酷さということになるだろうか。この部分自分でも不思議なのだが、コーエン作品を観ると言うことは、そういった残酷な部分を見せられることがわかっていたはずだし、むしろそれを望んだはず。さらに言うなら、西部劇というジャンルなのだから当然なのだが、なんか今回はそれに引いてしまった。望むものが観られたのだから、満足すべきなのだが、なにかもやもやが残ったので、書きながらそれを考察していきたい。 昔から西部劇は一種の様式美が根底にあったように思える。内容は殺し合いでも、そこには生々しさはあまりなく、殺し合いを前提とした友情や敵対における人間関係が中心となり、殺すことに快感を覚えたり、生への見苦しい終着、性といったもの、つまり生々しい描写はできる限り後退させる作り方をしていた。逆にそういった様式美があったからこそ、一大ジャンルとして発達したともいえるだろう。 だが、60年代後半あたりに入ると、そういったお行儀の良い作品は観客からそっぽを向かれるようになっていく。そんな時代に西部劇に新しい風を取り入れたのがマカロニとなる。それまでの伝統的な西部劇が敢えて目を瞑っていた行儀の悪さと、善悪のボーダレス化、そして残酷性がクローズアップされ、それまであった様式美を一度壊して時代に即した新しい西部劇として一大ジャンルを築き上げた。マカロニが流行った時代はそんなに長くはないとはいえ、西部劇に新しい地平を切り開いたことになる。 その時代を経ることで西部劇もフリーダムになり、様々な野心的な挑戦作が増えていく。しかし、そうなると自由になりすぎたのか、今度は西部劇は更に衰退する結果になってしまった。初期に並々ならぬ西部劇へのこだわりを見せたイーストウッドも、『許されざる者』のオスカー受賞以来、その新興に力を貸すことはなく、現在は細々と作られていく事となる。 それで本作は、そのマカロニの残酷さをコーエン流に作った感じとなり、元のストーリーはまっとうな西部劇でありながら、描写はマカロニっぽく、更にそこに監督流の残酷さをたっぷり封じ込めた訳だが、そこで残酷さが主人公のマティにまで及んでいるのが、多分引いた原因かと思われる。そりゃ自立して、他の男達と同等に扱われることを望んだのは彼女自身だったが、それで執拗な程に精神的に痛めつけられる。それを耐えているところが本作の見所なのかも知れないけど、多分そこが引いた原因だと思われる(自信ないけど)。 |
バーン・アフター・リーディング 2008 | |||||||||||||||||||||||||||
2008英アカデミー助演男優賞(ピット)、助演女優賞(スウィントン)、脚本賞 2008ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(マクドーマンド) 2008ナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞 2008ゴールデン・グローブ助演男優賞(クルーズ、ダウニーJr.) 2008放送映画批評家協会コメディ映画賞 2008エドガー・ライトベスト第9位 2008アメリカ脚本家協会オリジナル脚本賞 |
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ノーカントリー 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007米アカデミー作品賞、助演男優賞(バルデム)、監督賞、脚色賞、撮影賞、音響賞、編集賞 2007英アカデミー助演男優賞(バルデム)、監督賞、撮影賞、作品賞、助演女優賞(マクドナルド)、脚色賞、編集賞、音響賞 2007カンヌ国際映画祭パルム・ドール 2007NY批評家協会作品賞、助演男優賞(バルデム)、監督賞、脚本賞 2007シカゴ映画批評家協会作品賞、監督賞、脚色賞、助演男優賞(バルデム) 2007ゴールデン・グローブ助演男優賞(バルデム)、脚本賞、作品賞、監督賞 2007放送映画批評家協会作品賞、助演男優賞(バルデム)、監督賞、アンサンブル演技賞、脚本賞 2007ナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞、アンサンブルキャスト賞、脚色賞 2007サンフランシスコ映画批評家協会監督賞 2007トロント映画祭作品賞、助演男優賞(バルデム)、監督賞、脚本賞 2007AFIベスト10 2007キングベスト1位 2007ピーター・トラヴァースベスト1位 2007ゴールデン・トマト・アウォーズスリラー賞第1位、大規模公開作品第2位 2007ロジャー・エバート2位 2007アメリカ監督組合賞 2007アメリカ撮影監督協会賞 2007アメリカ映画俳優組合助演男優賞(バルデム) 2007アメリカ映画俳優組合アンサンブル演技賞 2007アメリカ製作者組合長編映画賞 2007アメリカ脚本家組合脚色賞 2007リサ・シュワルツバウムベスト第2位 2007ゴールデン・トマトスリラー、第2位 2007ロンドン映画批評家協会作品賞、助演女優賞(マクドナルド) 2008日本アカデミー外国映画賞 2008MTVムービー・アワード悪役賞(バルデム) 2008キネマ旬報外国映画第1位 2008映画館が選ぶ映画館大賞9位 2008サターン助演男優賞(バルデム)、アクション/アドベンチャー/サスペンス作品賞、脚本賞 |
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1980年。メキシコ国境沿いの田舎町。ルウェリン(ブローリン)は鹿狩りの途中で荒野に放置されている車を発見する。そこにあったのは死体の山と、取引の失敗したとおぼしき麻薬と大金。出来心から現金を家に持って帰ったルウェイン。その頃、この麻薬取引に関わった殺し屋シガー(バルデム)が彼を捕まえた警察官を殺して街へ出ていた。大金をめぐって逃げるルウェインと追うシガー。そして何人かの始末屋たち。彼らがかかわることで数多くの犠牲者が出る。老保安官ベル(ジョーンズ)は一刻も早い解決を求めるが… マニアックな人気を誇るコーエン兄弟による2007年アカデミー受賞作。このところコーエン兄弟監督作品もメジャー化し、大作映画を何本か作っていたが、本作は久々に原点に立ち返り、低予算ながら、いかにも“らしい”作品として仕上がっている(構造分解すると『ファーゴ』となんら変わらないって気もするけど)。 ところでうっかり書いてしまったけど、コーエン兄弟作品“らしさ”ってなんだろう?「作風をみればたちどころに分かる独特さ」と言えばそれまでだが、改めて考えてみると、それは独特のルールに固執する人間にどう対処するか。ということになるんじゃないだろうか。 人は誰しも多かれす少なかれ、独自のルールってものを持っているものだ。私だっていくつも生活の中でルールを持っている。だがそれは社会の価値観とはぶつかり合わない。仮にぶつかったりする場合、自分のルールの方を変える。それが社会的な“普通”というやつ。しかしコーエン作品の場合、それを軽々と逸脱してる奴が出てくる。『ファーゴ』であれ、『ビッグ・リボウスキ』であれ、『バートン・フィンク』であれ、必ずそう言う奴が登場し、その独特のルールに振り回されっ放しの主人公の姿が描かれていた。そう言うキャラは一般常識にとらわれない分完全にアブナい奴で、こう言う人間に巻き込まれてしまった人は不幸としか言いようがない。コーエン作品には乾いた残酷描写が連発するのに、どことなくユーモラスに感じるのは、そう言う不幸な人間を笑えるように作られてるからだろう。話が展開していくに連れ、徐々に独特のキャラクタの独特のルールというやつが分かってくるが、その辺を見つけていくのがコーエン作品の楽しみ方の一つと言える。 本作でもそう言うキャラが登場する。それはもちろんバルデム演じるシガーがそれ。彼は完全に常識からは逸脱してるが、作品を通し、極めてストイックに自分の定めたルールに従って行動してる。殺し屋として殺すと決めた人間は絶対に殺すし、その前に立ちふさがる人間も殺す。自分の仕事の顔を知った人間も殺す。コイントスのゲームを仕掛け、失敗したやつ、ゲームを拒否したやつも殺す。とにかく殺すことにかけてはまったく容赦がない。どんな拍子で人を殺すのか、当初その部分がまったく分からず、単なるシリアル・キラーのようにしか見えないのだが、そのルールが分かってくると、俄然彼に対する興味が出てくるようになる。半分脅迫観念のようではあるが、最後にルウェインの妻を殺しに言ったのも、彼にとってはルールを守るため。人間性は全く無く、あたかもターミネーター並…もちろんアブナい奴に違いはないけど。 ただ本作の場合はその独自ルールをもつ存在が一人だけではなかった。(一応)主人公に当たるブローリン演じるルウェリンもまた、ヴェトナム帰りという事もあってか、何事も自分は対処できるというルールに則って行動している。シガーと較べるとストイックではないし刹那的な生き方だが、彼は彼なりに自分の定めたルールに従って生きている。結果的にこの二人の追跡劇は単なる強者が弱者を追い詰めるのではなく、ルール同士のぶつかり合いとなっていく。その意味では何故ルウェインが殺されたかと考えれば、自分を信じると言うルールを最終的に自ら破ってしまったから。とも考えられるだろう。 ところで本作の場合、主人公はもう一人登場する。ジョーンズ演じる老保安官のベルで、彼は物語の始まりと終わりに登場。物語を総括する存在だが、実際にはまったくシガーとルウェインの戦いに関わらない。彼が何故ここに登場するのかと言うと、自分のルールに従って戦い続ける異常な二人に対して、一般人からの視点を持たせるため。それと彼がいることによって、本作は単なるアクション作ではなく、アメリカと言う国の物語へと変えられていくのだ。アメリカの過去はもっと単純だった。延々と殺し合いを続ける二人のルールのぶつかり合いこそが、アメリカという国を作り上げてきたのだ。だが1980年という今はそれがおかしくなっている。単純な視点であるかもしれないが、様々な要因を含めて(劇中ではヴェトナム戦争が語られることも多いが)、それは人間がおかしくなっていっているから。長く生きてきた人間にそれを語らせることで、本作はアメリカ史を語っている作品にさせている。本作は歴史の一部ではない。今もなお続いている歴史の側面なのだ。 その意味で紛れもなく本作はアメリカと言う国を描いていた。アメリカを描くことがアカデミー賞の特徴だとすれば、本作は間違いなく本作はアカデミー好みだと分かるだろう。 後に、この作品の低予算性を示す出来事が起こった。実はジョーンズのギャラが未払いだったのだとか。どんだけ低予算だったんだよ。 |
レディ・キラーズ 2004 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004カンヌ国際映画祭審査員賞(ホール)、パルム・ドール | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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“教授”(ハンクス)率いる盗賊団が船内カジノの地下金庫強奪を計画する。近くのマンソン夫人(ホール)が住む邸宅の地下を借り切り、表向き教会音楽のバンドの練習と称し、地下道を掘り進むのだが… 1955年の『マダムと泥棒』をコーエン兄弟がリメイク。最近芸域を広げようとしているトム=ハンクスが悪役を演じると言うことでも話題を集めた作品。 オリジナル版は未見ながら、なるほど、これは古典的ハリウッド映画の素材だと言うことには納得いったし、完成度そのものもかなりの高水準にまとまっている。それに随所にコーエン兄弟らしさをちりばめているが、やはりあまり大きくは変化させられなかったか、“それらしさ”はほどほど。もっと毒気の強い作品を期待していた分、ちょっと肩すかしを食った気分にさせられた。良くも悪くもウェルメイドのコメディをそのままリメイクしたといった風情の作品で、少なくともコーエン兄弟の代表作にはなり得ないな。 昔のハリウッド作品でも特にコメディはキャラクタに編重した作品が多いが、本作は見事にそれに適合。ハンクスが悪役をのびのびと演じているのが印象深い。盗賊団のキャラも様々な人種や性癖を持つ人間ばかりで、その点をわざわざ強調してきわどいギャグを連発するのでその辺はさすがコーエン兄弟らしいと思わせてくれる。思ったよりもマンソン夫人がおとなしめな気がするけど、盗賊団の個性を出すためだったかな? 改めて今思うに、教授役がハンクスじゃなくてジョージ=クルーニーだったらもっとはまってたかも知れないな。決してミスキャストとは思わないけどね。 |
ディボース・ショウ 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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バーバー 2001 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001米アカデミー撮影賞 2001英アカデミー撮影賞 2001カンヌ国際映画祭監督賞(コーエン)、パルム・ドール 2001LA批評家協会撮影賞 2001ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ソーントン)、脚本賞 2001放送映画批評家協会作品賞、脚本賞 |
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オー・ブラザー! 2000 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000米アカデミー脚色賞、撮影賞 2000カンヌ国際映画祭パルム・ドール(コーエン) 2000英アカデミー脚本賞、作曲賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞 2000ゴールデン・グローブ男優賞(クルーニー)、作品賞 2000ヨーロッパ映画インターナショナル賞 2001MTVムービー・アワード音楽シーン賞(ズブ濡れのボーイズの歌う“Man Of Constans Sorrow”、チーム賞(クルーニー&タトゥーロ&ネルソン) |
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ビッグ・リボウスキ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1998ヨーロッパ映画インターナショナル賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ファーゴ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1996米アカデミー主演女優賞(マクドーマンド)、脚本賞、作品賞、助演男優賞(メイシー)、監督賞(コーエン)、撮影賞、編集賞 1996英アカデミー監督賞(コーエン)、作品賞、主演女優賞(マクドーマンド)、脚本賞、撮影賞 1996カンヌ国際映画祭監督賞(コーエン)、パルム・ドール 1996NY批評家協会作品賞(コーエン) 1996LA批評家協会脚本賞 1996ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(マクドーマンド)、監督賞(コーエン)、脚本賞 1996インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞(コーエン)、主演男優賞(メイシー)、主演女優賞(マクドーマンド)、脚本賞、撮影賞 1996放送映画批評家協会作品賞、主演女優賞(マクドーマンド) 1996キネマ旬報外国映画第4位 1997MTVムービー・アワードコンビ賞(ブシュミ&ストーメア) |
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未来は今 The Hudsucker Proxy |
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1994カンヌ国際映画祭パルム・ドール 1994LA批評家協会美術賞 |
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1957年のニューヨーク。巨大コングロマリット企業ハッドサッカーでは、重役会議中に突然社長のハッドサッカー(ダーニング)が飛び降り自殺をした。遺書も残さず、相続人もいない社長の死により、このままでは彼の保有株87%が、年明け1月1日に市場に開放されることになてしまう。それを防ぐため、重役のマスバーガー(ニューマン)は、無名の傀儡を社長の座に据えて会社の評価を落とし、株が底値になったところで重役たちで買い占める作戦を立てた。そしてたまたまその重役会議の席に現れたメールボーイのノーヴィル(ロビンス)はに目を付けた重役連中はすぐさま彼を傀儡社長に据えてしまうのだった。株価はマスバーガーの思惑通りに下がり始めるが、なんとノーヴィルの考案した玩具フラフープが全世界で大流行してしまう。新聞記者のエイミー(リー)は、独占取材のために身分を偽って彼に近づくのだが、彼の人の良さと、置かれた状況を知るにつけ、彼に同情し始める。一方急成長する株価に危機感を募らせるマスバーガーらは、今度はノーヴィルの追い落としを画策する… それまで作る作品全てが高い評価を受けていたが、あくまでインディペンデントに徹してきたコーエン兄弟が、かねてから望んでいた作品を、ハリウッド資本で作り上げたメジャー第一作。 かつて“ハリウッドの良心”と言われたキャプラ監督作品の数々は、その多くが多数の監督によってリメイクされているし、リメイクとまで行かなくてもインスパイアされた作品というのは枚挙に暇がないほど。特に好まれるのは『オペラハット』(1936)、『スミス都へ行く』(1939)、『群衆』(1941)、『素晴らしき哉、人生!』(1946)など。本作はその内『オペラハット』を現代風にアレンジしたものだが、他のキャプラ作品(中年の天使やフープに群がる群衆、マスコミの威力などにそれが見られる)や、ホークス作品などにも様々なインスパイアを受けて撮られた作品であることが分かる。そもそもあらゆるものに皮肉な目を持っているコーエン監督がまさかこれに目を付けていたとは意外だが、やっぱり一風変わった作品に仕上げられていた。演出一つ一つがケレン味に溢れ、元ネタを拝借すると言うより、元ネタをどれだけ崩して、同じ作品に出来るのか?と言うことを考え抜いて作られたような作品になっている。この辺流石と言えば流石である。 それで非常に丁寧な作品であることはよく分かるし、私の評価もかなり高いのだが、作品でどうしても受け入れられない所が一点。他でもないニューマンの使い方。この人はどれだけ歳食っても、不良役でいてほしかった。利権を求め、悪知恵働く人物役はどうにも受け入れられない…それを嬉々として演じているのもちょっとなあ。お陰でニューマンの評価を下げてしまったよ。結局この一点で作品自体の評価を下げてしまった。 ほぼ唯一アイゼンハワー大統領が登場する作品でもある(写真だが本人が出ている) |
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バートン・フィンク | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1991米アカデミー助演男優賞(ラーナー)、美術監督賞、美術装置賞、衣装デザイン賞 1991カンヌ国際映画祭パルム・ドール(イーサン&ジョエル=コーエン)、男優賞(タトゥーロ)、監督賞(コーエン) 1991全米批評家協会撮影賞 1991NY批評家協会助演女優賞(デイヴィス)、撮影賞 1991LA批評家協会助演男優賞(ラーナー)、撮影賞 1991ゴールデン・グローブ助演男優賞(グッドマン) 1991シカゴ映画批評家協会美術賞、作品賞、主演男優賞(タトゥーロ)、監督賞、助演男優賞(グッドマン) 1992キネマ旬報外国映画第4位 |
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1941年夏。社会派劇作家バートン・フィンク(タトゥーロ)はブロードウェイでの社会派ドラマの舞台成功によってハリウッドに招かれた。奇妙なホテル・アールにチェックインしたバートンは早速キャピトル映画から依頼されたB級レスリング映画の脚本を書き始めるが、部屋に立ちこめる異様な熱気と、薄い壁一枚を隔てた隣室から聞こえる住民チャーリー(グッドマン)のヒステリック気味の笑い声に、徐々に精神の平衡を失っていく… 一見映画界の内幕もののように見える作品だが、実際に展開するのは不条理劇。カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受けたものの、その評価はまっぷたつに分かれたそうだ(審査員にポランスキー監督がいたからの受賞と陰口も叩かれる)。 ところで私だが、最近特にコーエン兄弟作品が心地よくなってきた。前はあの微妙な間が分からなくて、コメディとして観ることが出来なかったものだが、最初に本作を観ることで、ようやくその“間”を掴めた!と言う感触を得られたお陰だ。 コーエン兄弟作品の一つの魅力は、どんな作品を作ってもこういった不条理的シーンが出てくるところにある。ただその描写が結構微妙なものがあったりして、単なる設定のミスではないか?とか行動に一貫性が無いじゃないか?あるいはご都合主義。とこれまで思っていたものだが、本作を観ることで、ようやくそれが演出的な狙いであることが分かった。ボタンを掛け違えていたのがようやく収まってくれた。という気分だ。 そもそも私は悪夢を題材とした不条理映画が大好きで、現実世界と思われていたのが、とんでもない事態に巻き込まれてあたふたしている内に、実は全く現実世界とは別なものに入り込んでしまっていたというパターン、しかもその悪夢には現実世界の一片が確かに存在しているというメタなものが大好きなのだが、そう言う意味では、本作は見事なほどに好みに一致している。 それらを可能としているのが独特の間だが、それ以外にも本作には数多くの見事な演出が込められてもいる。特に音の演出は素晴らしい。物語の多くは狭いホテルの一室で、しかも主人公のタトゥーロ一人しかいない状態で展開する。だからこそ、そこでの音というのは大変重要。目に見えないからこそ、不安を増させ、精神を苛立たせる音に溢れている。しかもその大部分は本当に音だけ。実際にその音源を探しに行っても、全然見つからない。これはホラー的手法だが、この効果は精神的な不安を徹底的に強調するという点にこそ恐ろしさがある(近頃のホラー作品はその辺を重視しているのは結構ありがたいが)。 内弁慶で、突然の事態に対処することのできず、右往左往する主人公をタトゥーロが見事に演じていたのが印象深いが、やはりこういうのにつきもの。異彩を放っていたのがグッドマン。やっぱこの人の演技は素晴らしいわ。基本的に怖そうな表情を一切見せないし、最初に現れた笑みとラスト近くに見せる笑みが一切変わらないのに、シチュエーションの異常さで、鬼気迫るものに見えてしまう辺り、よく使い方を分かっていらっしゃる。 実は話そのものはあまりつながっておらず、全てはバートンの脳内で起きた幻想である。と位置づけることも出来るのだが、圧倒的な悪夢的雰囲気を持って迫ってくる作品である。 |
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ミラーズ・クロッシング Miller's Crossing |
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