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元々は撮影畑の出身。ピーター・アンドリュース名義で現在も自作での撮影を行っている。 | ||||||||||
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2021 | ||
2020 | ||
2019 | ||
2018 | ||
2017 | ||
2016 | ||
2015 | ||
2014 | ||
2013 | ||
2012 | マジック・マイク 監督 | |
サイド・バイ・サイド フィルムからデジタルシネマへ 出演 | ||
2011 | エージェント・マロリー 監督・編集・撮影 | |
コンテイジョン 監督・撮影 | ||
少年は残酷な弓を射る 製作総指揮 | ||
2010 | ||
2009 | ガールフレンド・エクスペリエンス 監督・撮影 | |
インフォーマント! 監督 | ||
ソリタリー・マン 製作 | ||
2008 | チェ 39歳 別れの手紙 監督・撮影 | |
チェ 28歳の革命 監督・撮影 | ||
2007 | オーシャンズ13 監督・製作総指揮・撮影 | |
デス・ロード 染血 製作総指揮 | ||
アイム・ノット・ゼア 製作総指揮 | ||
フィクサー 製作総指揮 | ||
2006 | さらば、ベルリン 監督 | |
スキャナー・ダークリー 製作総指揮 | ||
2005 | 迷い婚 -すべての迷える女性たちへ- 製作総指揮 | |
グッドナイト&グッドラック 製作総指揮 | ||
シリアナ 製作総指揮 | ||
ジャケット 製作 | ||
2004 | 愛の神、エロス 監督・脚本・撮影 | |
オーシャンズ12 監督・撮影 | ||
クリミナル 製作・脚本 | ||
2003 | フル・フロンタル 監督・撮影 | |
2002 | ソラリス 監督・脚本・撮影・編集 | |
ナコイカッツィ 製作総指揮 | ||
ウェルカム トゥ コリンウッド 製作 | ||
エデンより彼方に 製作総指揮 | ||
コンフェッション 製作総指揮 | ||
インソムニア 製作総指揮 | ||
2001 | オーシャンズ11 監督・撮影・出演 | |
ウェイキング・ライフ 出演 | ||
2000 | トラフィック 監督・撮影 | |
エリン・ブロコビッチ 監督 | ||
1999 | イギリスから来た男 監督 | |
1998 | アウト・オブ・サイト 監督 | |
カラー・オブ・ハート 製作 | ||
1997 | ナイトウォッチ 脚本 | |
ミミック 脚本 | ||
1996 | グレイズ・アナトミー 監督 | |
スキゾポリス 監督・脚本・撮影・出演 | ||
デイトリッパー 製作 | ||
1995 | 殺意の罠 監督 | |
蒼い記憶 監督・脚本 | ||
1994 | ||
1993 | わが街 セントルイス 監督・脚本 | |
堕ちた天使たち 監督 | ||
1992 | ||
1991 | KAFKA 迷宮の悪夢 監督 | |
1990 | ||
1989 | セックスと嘘とビデオテープ 監督・脚本 | |
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | 1'14 ジョージア州アトランタで誕生 |
マジック・マイク Magic Mike |
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インフォーマント! | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2009ゴールデン・グローブ男優賞(デイモン)、音楽賞 2009放送映画批評家協会音楽賞 |
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チェ 39歳 別れの手紙 2008 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008カンヌ国際映画祭男優賞(デル・トロ) 2008ロジャー・エバートベスト |
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1969年。妻と子をキューバに残し、政府高官としての地位も捨て、ゲバラ(デル・トロ)は変装して内戦の続くボリビア入りした。そのままジャングル入りし、武装闘争に入るゲバラ。だがボリビア共産党との連携が次々と切られる中、徐々に孤立していく… 前作『チェ 28歳の革命』でキューバ革命の立役者として華々しく世界に名をとどろかせたゲバラだが、歴史的に彼が成功させた革命は、実はこれが最大にして唯一のものだった。 それ故、映画も一本にまとめ、前作のラストシーンでそれからのゲバラの行動と、処刑されるまでの思想などはテロップで流しても何ら問題はなかったはずである。 だが、あえてそれを二部作にし、しかも本作はわざわざ完全な負け戦を一本の映画にしてしまった。前作と比べ、明らかに悲惨で哀しい物語であり、観ていて高揚感を与えてもくれない。観ていく内にどんどん話が酷くなるので、単体の映画として考えるならば、決して良い物語と言えるものではない。実際前知識なしに単体で本作を観たら、きっとかなり評価は落ちるものと思われる… では何故敢えてそんな作品を作ったのか。多分それには意味がちゃんとあるはずだ。 前作『チェ 28歳の革命』でソダーバーグ監督が描こうとしたのは、“英雄”が作られるまでだった。では本作で描こうとしたのは…私なりに考えるに、それは“英雄”が“伝説”になるまでではなかったかと思う。 歴史上には“英雄”とされる人間の他に、“伝説”とされた人物と言うのが何人か存在する。 英雄となれる人物は、確かに数は少ないが時代に何人も登場する。だがそれが伝説となると、更に数が少ない。 ぱっと思い浮かべる“伝説”とされる人物を何人か挙げてみると、たとえばナポレオンがそうだろうし、日本では宮本武蔵なんかもそう言われる。セックス・ピストルズのシド・ヴィシャスもやっぱり“伝説”だろう。漫画でも矢吹丈はリアルな世界でさえ“伝説”と言われることがある。もちろんその世界世界の中で、数多い伝説が存在する。 出自も舞台も様々だが、これら“伝説”と呼ばれる人物たちの多くには、いくつかの共通項がある。 一つには、彼らは一つの道のために生き続けた人物であること。彼らは悩みはしても決してぶれずにまっすぐに道を突き進んだ。それなりに名を上げ、功を上げた後も、彼らは満足することなく、ひたすら道を極め続けようとした。彼らにとっては金を得て良い暮らしをしようとか、この辺で妥協して余生を生きようと言う考えがすっぱり抜けてる。端から見て、「馬鹿」としか見えない生き方をした人ばかり。 そして一つには、彼らは皆道半ばで死んだものばかり。彼らが極めようとしたものはあまりにも道が遠く、戦いの中で彼らは死んでいった。 そしてもう一つ。死んだその人物を伝える人がいて、彼らは初めて“伝説”となった。 総評を言えば、馬鹿を貫き通して死んだ人間をうらやましいと思える人がいて初めて“伝説”は成立できると言うことになる。 同じく“英雄”とされてはいるが、ゲバラはカストロとは異なり、キューバの安定で満足しない。彼は世界全部が民衆主体の国になってくれればいいと言う、実現不可能と思われる夢を抱き続け、民衆が虐げられてると思えば、国外出張してでも戦い続けた。劇中そんなゲバラの生き方を揶揄するシーンはいくつもあったが、彼の場合、そうしないではいられない。そう言う生き方しかできない人間であり、それを自分でも知ってる。自分の名前を利用することもなく、ジャングルの中で一兵士としてのみ戦い続けた。 本当に馬鹿な生き方だ。だが、彼がそんな馬鹿だからこそ、本物の“伝説”となり得る人物なのだから。 事実ゲバラの似顔絵は今に至るもTシャツにプリントされ続け、革命のシンボルとなり続けている。この事実こそが彼の伝説を物語っているだろう。 …私が言いたいのはこれが全てな訳だが、ここでソダーバーグ監督が本当にやろうとしたのは、“伝説を作る”と言うことではなかったのだろうか?伝説を描くのではない、伝説を作ろうという試みである。 さて、それが成功したかどうか、それはもう少し後になって分かってくる事だと思われる。まずはこの作品が、果たしてちゃんと世間に受け入れられるかどうか。そこからだな。 |
チェ 28歳の革命 2008 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008カンヌ国際映画祭男優賞(デル・トロ) 2008ロジャー・エバートベスト |
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1955年。アルゼンチンの医者エルネスト・チェ・バラ(デル・トロ)は南米各地を旅して周り、その中でラテン・アメリカの貧しい人々を救いたいという志が芽生えていた。そんなゲバラが訪れた独裁政権に牛耳られたキューバで、平等社会の実現を目指す反体制派のフィデル・カストロ(ビチル)と出会う。ほとんど後ろ盾がない状態で政府に武装闘争を仕掛けようというカストロにシンパシーを感じたエルネストはキューバでの戦いに身を投じる覚悟を決めた。 ソダーバーグ監督が作り上げたゲバラ二部作の前編に当たる作品で、まだゲバラが革命のシンボルとなる前の20代でのキューバでの戦いを描いている。 「革命」。これは何というか一定の年齢層より上の人だったら、ノスタルジックで魅惑的な響きを持つ言葉だ。なんせ今から30年前は、日常生活の中でも当たり前のように使われていた言葉なのだ。私は完全にそれに乗り遅れはしたものの、大学でそちらの活動とつながりを持ってしまった過去があり、(今から考えると)洗脳まで受けてしまった、いわばサヨクの殻を尻にくっつけて生きている人間なので、「革命」という言葉には、過剰に反応しすぎる傾向がある。そんな私の前に、ほとんど初めて、“成功した革命の物語”が映画になって眼前に現れた! なんか心の奥底でぐわっと盛り上がる部分と、日常に既に飲み込まれた生活に慣れきってしまい、「もう遅すぎる」というあきらめの気持ちがない交ぜになり、私の心を襲いかかってくる。まるで失われた青春のひとときのように。 お陰で2008年という時代に作られたくせに、もの凄いノスタルジックな作品として捉えてしまった(日本国内では、同じ気持ちを持った人は結構なパーセンテージがいると思うぞ。勿論それなりの年齢の人だが)。ああ、この年齢になっても「革命」という言葉はかくも心を乱してくれるものか。 ところで、直接的に革命を描いた映画というのは一体どれだけあるだろうか?(大変嫌な思い出のある)『戦艦ポチョムキン』(1925)を始めとして、旧東側で作られた映画の多くは革命に関連するものばかりだし、ヨーロッパの作品には結構思い出せる作品はある。日本でも大島渚監督の諸作品がある(マンガだったら「カムイ伝」が、アニメだったら「太陽の牙ダグラム」がある)。が、アメリカ映画に限定するなら… それで改めて考えてみたのだが、とにかく少ない。アメリカ人が味わった革命と言えば、メキシコ革命、そして隣国で起こったこのキューバ革命くらいしかない。それ以前になると独立戦争だけだろう。その独立戦争を除けば、メキシコ革命だと『アラモ』を始めとして革命そのものよりも西部劇のジャンルになってしまうし、キューバ革命では、私の知ってる限りでは『さらばキューバ』くらいしかない。これだってジャンルとしては冒険映画だし…つまり、真面目に革命そのものについて描いた映画というのがほとんど存在しないのだ。一応私が知ってるのだとサガン監督の『革命児サパタ』くらいか? 勝手に考えるならば、アメリカの映画人にとって革命というのは一種の鬼門だったのだろう。革命というのは“平地に乱を起こす”というイメージと重なるし、そんな危険なものを描いても客が入らなければ映画として成立しない。だから革命家というのは基本テロリストで、絶対悪として描かれる以外映画に登場する機会がなかった。 それに風穴を開けたのは2006年になって。イギリス製作のアイルランド革命を扱った『麦の穂を揺らす手』と、ウガンダの革命を扱った『ラストキング・オブ・スコットランド』がそれなりに話題作になったこと。更にストーン監督がゲリラ上映を図ったというカストロのインタビュー映画『コマンダンテ』(2003)の上映で、「今ならキューバ革命が描ける」という感触を得たからだろう(尤もハリウッドメジャーは流石にこのテーマを映画化する度胸が無かったらしく、製作はフランスのワイルドバンチという製作会社によるものだが)。何にせよ、待ち望まれていた「成功した革命」を真面目に扱った作品がアメリカでもようやく作られるようになったのだな。 本当に真面目に一人の人間の目で革命を描いたお陰で、異常な日常の中で、自分自身が戦士となっていく過程と、どのように戦士を教育していくか。と言う部分に強く主眼が置かれていて、歴史を敷衍するよりも、生々しい作りになってる。でもそれが良かった。特にゲバラが作り上げたいと念じていたのは、単なる政府を倒すことではなく、一人一人がきちんと考えを持って国を作っていく。という意識を持たせることだったことが分かるから。 ゲバラの考え方は、スターリンや毛沢東のものとは全く異なり、民衆の力というか、良心を本当に信用したものであったと言う事がよく分かる。思想教育を重要視している描写が一種の退屈さにもなってるのだが、その辺を加味した上で観るなら、本作はいろんな意味で興奮出来る作りになってる。ちょっと理想的に過ぎるとも言われるだろうけど、映画だからこれで良い。 演出面は目新しいところがないが、ジャングルでの暑さや、都市部の乾いた描写など、徹底して南国での戦いという印象づけがされていて、なかなか好感度も高い(冬に観るに限るけど)。 …ただ、本作を「本当に楽しめた」。と言い切る人間はかなりヤバイ思想の持ち主か、あるいは相当に頭でっかちな人間だろう。 その上で敢えて私はこの作品を「本当に楽しめた」と言おう。 |
オーシャンズ13 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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オーシャンの古参のメンバーで大金持ちのルーベン(グールド)はホテル王のウィリー=バンク(パチーノ)と組んでラスベガスにホテルを立てる計画に参加した。ところがバンクの裏切りに遭い、ショックのあまり心臓発作を起こして危篤状態になってしまう。その事を聞いたオーシャン(クルーニー)以下、ライアン(ピット)、コールドウェル(デイモン)らが結集。ルーベンの仇討ちのためバンクの建てたカジノホテルを、そのグランド・オープンを潰す計画を立てる。計画は着々と進むが、その中でいくつものトラブルも発生してしまう。… シリーズとしては既に三作目を数える本シリーズ。基本的に登場人物は変わっていないのだが、かつて『オーシャンズ11』から6年が経過。その間クルーニーのみならずデイモンやチードルがブレイク。その結果本作はもの凄い豪華なメンバーになってしまった。しかもその敵役としてシリーズを通してのアンディ=ガルシアに続き、アル=パチーノまで登場…『ゴッド・ファーザー』(1972)ファンだったらこのコンビってだけでも楽しめるし、過不足無しにこの豪華メンバーが登場するので、それだけでも楽しい。シリーズが続いたというその事だけでいつの間にやら『グランド・ホテル』(1932)みたいなものになってきた感じ。 それに個人的には今ひとつだった『オーシャンズ12』(2004)と較べると、純粋にトリックの方に重点が置かれているのも嬉しい。出来としてはかなり面白く仕上がってる。 本作のユニークな点は最初から現れている。そもそもこの手の冒険ものは、動機、過程、結果の三つ(“序破急”と言っても良いかな?)が過不足なく取り込まれて一個の物語にするのが普通の作り方だ。本シリーズは3作通して、その中でも“過程”についてはとても大切にしているのだが、本作の場合はそれを極端に推し進めた物語展開となっている。 ここでの動機はなんと冒頭のほんの数分で終わってしまった。しかも回想形式で、「これこれこういう事があって、現在は“過程”の真っ最中である」と言うことで冒頭から入ってくる。つまり、全く動機というものに重点を置いてないのだ。これはとても珍しい。 それは結局過程部分をたっぷり描きたいからなのだろう。冒頭に時間を取られない分、過程をかなりねっちりと描いている。カジノ乗っ取り劇はポンポンと軽快に進捗。その中でいくつかのトラブルはあるものの、積み木を重ねていくように、目的に向けて疾走していく。その小気味よさが本作の醍醐味だ。結果に至るまでの過程が中心となるだけに、この部分をいかに飽かせないか、それを重点的に作ってくれたお陰だ。小気味よく積み木が重なっていく過程を楽しめばいい。 ただ一方で、どれだけ演出を良くしようとも、トピックを当てるキャラが多すぎたのは事実。オーシャンの仲間達全員+ガルシア&パチーノを見せようと言うのだからちょっと無理がある。次から次にザッピングしていく物語に付いていくのはほんと大変。人数が半分でも充分だったのに。 それに『オーシャンズ11』の時と違って、最初から分かってる結論に向かって行くだけだから、「あっ」という驚きもなし。まあ、これはこれで普通になったというべきなのかも知れないけど。 結論を言えば、本来キャラの多さが売りだったのに、キャラが多すぎたのが足を引っ張ったと言うことか。 |
さらば、ベルリン 2006 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006米アカデミー作曲賞 2006放送映画批評家協会音楽賞 |
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オーシャンズ12 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004放送映画批評家協会アンサンブル演技賞 2005全米BoxOfficeトップ16位 2005外国映画興収第7位 |
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見事な手腕でラスヴェガスのカジノから16,000万ドルを奪ったオーシャン(クルーニー)達は、その分け前を元にそれぞれの生活を楽しんでいた。だが金を盗まれたカジノのオーナーであるベネディクトはこれがオーシャン一味の仕業によることを突き止め、多額の利子を付けて2週間以内に全額払うようにと強制する。オーシャンはラスティ(ピット)やライナス(デイモン)ら再び11人の仲間を結集。テス(ロバーツ)との二度目の結婚三周年記念を棒に振り、今度はヨーロッパを狙うことにするのだが、最初の目的地アムステルダムには、かつてラスティと交流があった刑事イザベル(ゼタ・ジョーンズ)がいたのだ… かつてシナトラファミリーのオールキャストで作られた『オーシャンと十一人の仲間』(1960)をリメイクした前作『オーシャンズ11』はリメイク作は駄目だと言うジンクスを見事に打ち破っての大ヒット。それに気を良くしたか、ソダーバーグ&クルーニーがリメイクの続編に挑んだ作品。この二人は余程ハリウッドでも信用があるのか、これだけのキャストを集めて製作費は破格値の8500万ドル(日本にいるとめまいがしそうな金額だが、昨今ハリウッド大作ともなると1億ドルをこすのが当たり前だし、なんせこのキャストだ。破格値と言って過言ではなかろう)。11人の出演費を徹底的に抑えた結果だ。前作で登場した時より遙かにビッグ・ネームとなっているデイモンのみならず、オスカー女優のゼタ・ジョーンズ、カメオとはいえブルース=ウィリスやアルバート=フィニーまで出して、この金額に収めてしまうとは。クルーニー&ソダーバーグがどれほど影響力を持ってるかと思わせられる(ヨーロッパロケは金を抑えるためだろうという気もするけど)。 それで出来だが…良くも悪くもソダーバーグらしい作品。この人が娯楽に徹した作品を作ろうとすると、どうしても脚本の練りが足りないんじゃないか?と思わせられるのばかり。もうちょっとで面白くなるのに、ギリギリのところでパターン風にしないのが監督の味だ。それがソダーバーグ流のスタイリッシュさとなって時折大変面白くなるんだけど、物足りないまま。と言うパターンも大変多い。私にとって、本作は後者にあたる。もうちょっと物語を練って欲しかった。何せ前作と較べても遙かに話が結構ややこしい上に、それを丁寧に演出してないのが致命的。二重三重のトリックがわかりにくいだけになってしまい、オチも爽快感に欠ける。 キャラについて言えば、物語の中心は前作に続いてクルーニー、ピット、ロバーツの三人のはずじゃないかと思うのだけど、なんか三人とも妙におとなしいというか、存在感が今ひとつ。むしろ脇を固めるデイモンとかゼタ・ジョーンズ、カッセルとかが上手く、割と少なめの出番を綺麗にまとめてくれてる。意外にヨーロッパ向きのキャスティングだったのかも。 ロバーツ演じるテスが自分の物まねをするなんてギャグ的要素もあり、結構笑えはするんだけど、肝心な物語にあんまり関わってないのが残念。 |
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ソラリス | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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オーシャンズ11 Ocean's Eleven |
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2001放送映画批評家協会アンサンブル演技賞 2002MTVムービー・アワード衣装賞、チーム賞(11人) 2002日本のヒット作第7位 |
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保釈中のカリスマ窃盗犯ダニエル=オーシャン(クルーニー)が服役中に練りに練った犯罪。それは、ラスベガスのカジノの現金全てが集まる地下200フィートの巨大金庫から、ミサイル基地なみに厳重な警備を破って現金を盗み出すという計画だった。オーシャンとサギ師のラスティー(ピット)のもとに集まったのは、スリの名人ライナス(デイモン)、爆破の達人バシャー、配線のプロ、ラジコン・マニアなど、様々な分野の天才たちだった。
かつてシナトラ・ファミリー総出演で作られた『オーシャンと十一人の仲間』(1960)のリメイク作品。 個人的に結構好きなソダーバーグ監督の作品。しかもこの豪華な出演陣。これは観ないわけには行かないと思っていた作品だった。しかも1週目だから、映画館には随分人がいるかと思っていたら、意外にもがら空き。ヒットしてる筈なんだが…(私の町では2館上映していて、dts対応してなかった方の映画館だったのが理由だったのか?) さて、出来の方は痛快そのものと言う感じ。自分の奥さんを奪ったたカジノ王に復讐すると言う、些か情けない動機ではあるが、難攻不落の金庫を前に駆け引きと技術を用いてトラップを一つ一つ解除していき、ついには…と言う、まさしく物語の王道を行く貫禄充分。出演者も豪華で、良くここまで集められたものだと感心するほど。主役級のみんなはちゃんとキャラクターが立っているのも良い。 ただ、褒めてばかりはいられないのもこの作品の哀しいところか。まずヒロインのジュリア=ロバーツだが、ちょっと驚いた。なんであんなに痩せたの?殆ど人間に見えない。彼女の位置づけも今ひとつ。悪女になりきるか、それとももう少し純粋にオーシャンを信用していても良かった。ストーリーの方はアイデア勝負で、それは良かったのだが、何となく実写版「ルパン3世」を観ているような気にさせられ、これも手放しで褒めたいとは思えない。 面白い作品だから、観て損はないが、今ひとつ心に残らないことは覚悟しておくこと。 ちなみにこれだけの豪華キャストが集まったのは、ソダーバーグ監督とクルーニー本人の二人が電話をかけまくり、格安の出演料で交渉したとか。普段からの友達づきあいとコネの大切さを良く表してるような気がするが、こんなローテクが今でも通用することにはほっとさせられる。 ただ、後年、ここに登場した人物の多くがメジャーでブレイクすることになろうとは、この当時は全く思わなかった。 |
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トラフィック Traffic |
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2000米アカデミー助演男優賞(デル・トロ)、監督賞(ソダーバーグ)、脚色賞、編集賞、作品賞 2000英アカデミー助演男優賞(デル・トロ)、脚色賞、監督賞、編集賞 2000NY批評家協会作品賞、助演男優賞(デル・トロ)、監督賞(ソダーバーグ) 2000LA批評家協会監督賞(ソダーバーグ) 2000ゴールデン・グローブ助演男優賞(デル・トロ)、脚本賞 2000放送映画批評家協会監督賞、脚色賞 2000ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀監督賞、第2位 2001ベルリン国際映画祭銀熊賞(デル・トロ) 2001MTVムービー・アワード ブレイクスルー演技賞(クリステンセン) 2001キネマ旬報外国映画1位 2001オンライン・ムービー・アワード第6位 |
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アメリカとメキシコを結ぶ巨大な麻薬コネクション“トラフィック”を巡って絡み合う3つの物語を冷徹な目で描く作品。メキシコのティファナでは麻薬捜査官ハビエール(デルトロ)が、サラサール将軍の密命を受け麻薬カルテル一味の壊滅に協力する姿を。アメリカのオハイオでは、新しい麻薬取締最高責任者に任命されたロバート(ダグラス)が麻薬犯罪の摘発に邁進する姿を、アメリカのサンディエゴでは、仲間に裏切られ窮地に立たされた麻薬王を救うために妻(ゼタ・ジョーンズ)がとった行動を、それぞれの視点で描く。 社会派作品、娯楽作共にバランス良く作るソダーバーグ監督による、社会派作品で、歴史作品には定評のあるエドワード・ズウィックが製作に入っている。 出来は感心できる。複数の視点で淡々と現代のアメリカとメキシコの麻薬の状況が描かれ、それらが時として接触したり離れたりして、別々のエンディングに向かう。あれだけの内容をあの時間に、しかもすっきりとまとめられている。監督のスティーヴン・ソダーバーグの力量には素直に感心できた。それにアメリカにとって麻薬問題というのは一筋縄ではいかないことを改めて感じさせてくれたが、まさにそこが本作の主張なんだろうと思える。 この作品での面白いところは麻薬に絡んだ三つの物語が同時進行し、絡み合っていくところなのだが、色遣いが非常に上手いという事。黄色、青、赤っぽさと、それぞれのストーリーと符合していて、見た目ですぐにどのストーリーなのかがよく分かるところがポイント。 個々の物語は分かりやすくはあるんだけど、今ひとつまとまりがない感じ。麻薬というキー・ワードだけでくくってあるのか?と思ったら、もう一つキー・ワードがあった事に気付いた。 子供の使い方だ。この三人、必ず子供に絡んでいる。 分かりやすいのがダグラスで、モロに子供が麻薬に溺れてるところを映してるんだけど、ゼタ・ジョーンズとデル・トロの話には直接子供が出てこない。だけど、ゼタ・ジョーンズのお腹には赤ちゃんがいるし(実生活だとダグラスの子供ってことになるな…)、デル・トロの話だと、最後に彼が要求したのは、子供用野球場のライト。 それぞれ現実的に麻薬と絡む大人達。その背後にはしっかり子供がいるんだよ。それを忘れてはいけない。と言うメッセージ性もあるんじゃなかろうか?それがプラスであれ、マイナスであれ、子供が絡むことによって、麻薬問題はますます切実なものとなっていく。ソダーバーグ監督はそこを描きたかったのかも知れない。 キャラに関しては、好みで言えば、妊婦役に挑戦したゼタ・ジョーンズの強さの演技が光る。で母は強い(笑)しかし、一方では競演で実生活での夫のマイケル・ダグラスの情けなさが良く出てもいた。『危険な情事』(1987)あたりからそう言う役ばかりのような気がするが(一度はこの役を断ったらしいが)…それと勿論デル・トロのセクシーさも忘れちゃいけない。それぞれの主役がきちんと時分の役の個性を活かして演じていたよ。 ソダーバーグ監督は『セックスと嘘とビデオテープ』で衝撃を受けて以来のファン。この人はアクション作品よりも、こういう人間性を出す作品の方が良い。 これが作品賞でオスカーを取れなかったのは残念、と言うより意外。スコット監督の『グラディエーター』よりこっちのほうが遙かにアカデミー賞好みだと思うのだが… |
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エリン・ブロコビッチ Erin Brockovich |
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2000米アカデミー主演女優賞(ロバーツ)、作品賞、助演男優賞(フィニー)、監督賞(ソダーバーグ)、脚本賞 2000英アカデミー主演女優賞(ロバーツ)、作品賞、助演男優賞(フィニー)、監督賞、脚本賞、編集賞 2000NY批評家協会監督賞(ソダーバーグ) 2000lLA批評家協会女優賞(ロバーツ)、監督賞(ソダーバーグ) 2000ゴールデン・グローブ女優賞(ロバーツ) 2000放送映画批評家協会主演女優賞(ロバーツ)、作品賞 2000ヨーロッパ映画賞インターナショナル作品賞(ソダーバーグ) 2000ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀監督賞、最優秀主演女優賞(ロバーツ) 2001MTVムービー・アワード女優賞(ロバーツ)、作品賞、台詞賞(Bite my ass, Krispy Kreme) |
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カリフォルニアに住むシングルマザーのエリン・ブロコビッチ(ロバーツ)は、追突事故に巻き込まれてしまう。明らかに相手の過失でありながら、相手は有名な医師で、自分は無職という社会的地位の差によって、賠償金を取りはぐれてしまった。敗訴してしまったエド(フィニー)の弁護士料も払えないため、働いて返すと、半ば強引にエドの事務所でのお手伝いを開始する。そんなある日、資料整理をしていたエリンは、不審なファイルを発見する… 実在(現在も活動中)の女性活動家エリン・ブロコビッチの成功を描いた作品。社会活動ものはアカデミーとの相性抜群ということもあってか、これが3度目のオスカーノミネートとなったロバーツは見事主演女優賞を射止め、ソダーバーグは『トラフィック』と同時監督賞ノミネートという快挙を果たした。 実際社会派作品は賞を取りやすい傾向にあるが、実在の人物を、しかもそれをドラマ仕立てでしっかり観させるように作れたことが本作の最大の利点となる。当然それは監督の力量と、その監督の期待に応えるだけの役者の実力が問われるのだが、それはもう本作に於いては見事なほどに噛み合って、小気味のいい作品に仕上がっている。かなり質の高い作品が多かった2000年の作品の中にあっても際だった良作と言っても良い。 …と、2016年の今現在では言ってしまえるが、本作を観た当時、どうにも居心地の悪い思いがしたというのも確かな話。 これは私個人の話ではあるが、丁度この年、私は仕事上、社会運動家と一緒になることが多かった。その中で確かに凄い人達と一緒になって、凄いやりがいはあったのだが、同時にそう言った活動家達の妙な強さに辟易もしていた。確かに強くなければ行政や無理解な人々を向こうに回して渡り合えるはずはないのだが、その強さは、人の心に平気で踏み込んでいくこともあるし、単純に全てを敵か味方かだけに割り振ってしまい、敵に対しては何を言っても、あるいは何をしても構わないと考える人も結構多かった。それがどうにも居心地悪さになってしまって、そんな人達と一緒にいることが耐えられなくなっていた。 そんな折に本作を観てしまったので、劇中のエリン・ブロコビッチが、そのような人達と重なって見えてきて、どっと疲れを覚えてしまった。まさにこんな強さをもつ人たちの顔が目に浮かんでしまって… 一歩引いて観れば良作といえども、その渦中にあるならば、痛いのだ。そう言う身をもった痛みを感じてしまうため、本作を素直に「良作」と言うには気が引けてしまう。 改めて今このレビュー書いてると、その当時を思い出してしまうな。 |
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アウト・オブ・サイト Out of Sight |
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1998米アカデミー脚色賞、編集賞 1998全米批評家協会作品賞、監督賞、脚本賞 1998放送映画批評家協会作品賞 1999MTVムービー・アワード女優賞(ロペス)、キス・シーン賞(クルーニー&ロペス) |
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KAFKA 迷宮の悪夢 Kafka |
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セックスと嘘とビデオテープ Sex, Lies, and Videotape |
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1989米アカデミー脚本賞 1989カンヌ国際映画祭パルム・ドール(ソダーバーグ)、男優賞(スペイダー)、国際映画評論家連盟賞(ソダーバーグ) 1989LA批評家協会女優賞(マクダウェル)、ニュー・ジェネレーション賞(ジャコモ) 1989インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、主演女優賞(マクダウェル)、助演女優賞(ジャコモ)、主演男優賞(スペイダー) |
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は大手法律事務所に勤める有能な弁護士ジョン(ギャラガー)と妻のアン(マクドウェル)は、一見仲睦まじい理想的な夫婦だが、専業主婦業で何かとストレスの溜まるアンは精神科医に愚痴をこぼし、ジョンはこっそりとアンの妹シンシア(ジャコモ)と肉体関係を結んでいた。そんなある日、ジョンの大学時代の友人グレアム(スペイダー)が家を訪ねて来た。気持ちの良いグレアムに好意を抱くアンだったが、グレアムはアンに、実は自分は不能であり、セックスについて赤裸々に語る女性のビデオを作ることを生き甲斐にしていると聞かされる… ソダーバーグ監督のデビュー作。8日で脚本を書き、120万ドルの低予算で撮ったという低予算作品だが、ショッキングな設定と構成の上手さで大いに評価を上げ、この年のカンヌではパルム・ドールまで受けてしまった。後のソダーバーグ監督の活躍は言うまでもないが、その第一作からして傑作であったことが分かる。 まさにタイトル通り、セックスと嘘とビデオテープの三つがこの作品の主題で、それらが絡み合って、物語を形成している。 ビデオテープが普及したのは、技術的にはさほど重要な事ではないのだが、人間の精神はこれによって確かに少し変化した。ビデオは写真とは異なり、今の自分の考えやその姿を残すことが出来る。これは録られる側に立つと、かなり不気味なこと。カメラの向こう側にいるのが誰だか分からないし、不特定多数に自分のありのままの姿を観られるかもしれないのだから。しかし、これは同時に精神的には一種の快感ももたらす。誰か知られない人間に自分を観られるということは、ちょっとどきどきすることだし(現代で言えばブログやサイト作るのは、その快感があるからでもあり)、覚悟を決めてしまえば、あけすけに自分のことを語る事さえできる。これはビデオを録る側にも言えて、ビデオを録るというのは、目の前にいる対象者の“今”ではなく、“過去”を録ることになるのだから。動画サイトに上がってるとんでもハプニング映像なんかは、録ってる側が、それを過去と割り切っているから笑ってられる。もし目の前で肉親の事故が起こったら、ビデオを録ってなかったらそれは現在の出来事なので、すぐに助けに行くが、ファインダー越しの対象者は過去になるので、むしろ楽しんで写してるなんて事もありえる訳だから。 そう言う意味で小物としてビデオというのはとても面白い存在。それにいち早く気付いたのがソダーバーグ監督の先進性とも言えるだろう。 ただ本作の場合はビデオは小物で、本来のテーマは“嘘”を描いた作品だろう。この作品には数多くの嘘が描かれている。ジョンはアンに対してもグレアムに対しても嘘をつき続けていたし、シンシアもそれは同じ。 だが、嘘は人につくだけでない。自分にも常に嘘をついてる。それでなんとか生活を保っていられるという側面は確かにあるのだ。ここではアンは、自分の生活は満たされていると思いこもうと、自分自身にずっと嘘をつき続けていた。だが、その無理が精神的に負担をかけていたのだが、ビデオを前にして、嘘をつかない自分自身の本当の気持ちを語る事が出来たことで、初めて自分自身がどれだけ無理をしていたか。その事を知ることになる。 結果としてそれは今の自分を破壊することとになってしまうのだが、破壊された後の再生もきちんと描かれているので、本作の後味はとてもすがすがしい。時に人間は本音をぶつけ合わねば、生活も出来なくなっていくものなのかもしれないし。なんかそれが羨ましい気持ちもする。 ある意味とてもカウンセリングマインドに溢れた作品とも言えるし、人間が本音を言える所ってどこなんだろう?と考えさせられたりもする。どこかで本当の本当に正直になれる所ってのが、どこかにあるのかもしれないな。 |
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