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Wikipediaより |
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本名オットー・ルートヴィヒ・プレミンガー。オーストリア系アメリカ人の映画・舞台監督、映画プロデューサー、俳優。彼は俳優としてもいくつかの役を演じ、最も有名なのは第十七捕虜収容所でのナチス捕虜収容所所長役である。
プレミンジャーは撮影現場での気まぐれで完璧主義的な態度でも悪名高く、そのせいで多くの俳優と口論になり、「怪物のオットー」や「鬼のオットー」というあだ名をつけられた。
監督として、そして(キャリアの後半には)自身の映画のプロデューサーとしても、ハリウッド映画における長年の規範やタブーに挑戦することで、繰り返し新境地を開拓した。彼はまた、映画製作者としての効率性でも知られており、キャリアの大半において、映画を時間通りに予算内で完成させることが常だった。
イギリスで撮影された心理スリラー映画『バニー・レイク失踪』(1965年)で警部を演じたローレンス・オリヴィエは、自伝『ある俳優の告白』の中で、プレミンジャーを「いじめっ子」だと感じていたと回想している。 1960年代のテレビシリーズ『バットマン』で主役を演じたアダム・ウェストもオリヴィエの意見に同調した。彼はプレミンジャーを失礼で不快な人物だと記憶しており、特にウェストとバート・ウォードに助けられて立ち上がるシーンで、さりげなく協力するという典型的な俳優のエチケットを無視した場面が印象に残っている。 |
| Wikipediaより引用 |
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バニー・レークは行方不明
Bunny Lake Is Missing |
| 1966米アカデミー撮影賞 |
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オットー・プレミンジャー(製)
ジョン・モーティマー
ペネロープ・モーティマー(脚)
ローレンス・オリヴィエ
キャロル・リンレー
ケア・デュリア
ノエル・カワード
マーティタ・ハント
フィンレイ・カリー
エイドリアン・コリ
アンナ・マッセイ |
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| ★★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
5 |
4 |
4 |
4 |
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枢機卿
The Cardinal |
1962米アカデミー編集賞
1963米アカデミー助演男優賞(ヒューストン)、監督賞、撮影賞、美術監督・装置賞、衣装デザイン賞
1963ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(ヒューストン) |
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オットー・プレミンジャー(製)
ロバート・ドジアー(脚)
トム・トライオン
ロミー・シュナイダー
キャロル・リンレー
ジョン・ヒューストン
ドロシー・ギッシュ
ジル・ハワース
オシー・デイヴィス |
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| ★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
3 |
2 |
3 |
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1917年に司祭に任ぜられたファーモイル(トライオン)。リアリストの彼はカトリックの改革の手段のためには自ら上に登ることを広言していた。だがそんな彼は教区からは疎んじられ、ついに田舎の貧しい教会に押し込められることに。そこで彼はここで病身をおして教区の人たちに心を砕く神父に会う…その後様々な出来事とぶつかり、時に僧職からも離れつつも、カトリックのあるべき姿を見いだそうとするファーモイルの姿があった。
ヘンリー・モートン・ロビンソン原作の同名小説の映画化で、当時変わりつつあったカトリックの内部で、一人の司祭の心の遍歴を通し歴史と宗教の関わり合いを描いた作品。1964年全米興行成績5位。
カトリックの世界、特にヒエラルキー上部になればなるほど分かりづらい世界となっているため、本作はその紹介篇としても、そして何故カトリックは変わらねばならなかったのか。という事も分かってくるので、なかなか勉強になる話ではあり。一人の司祭が枢機卿になるまでを通したドラマとしても、実際本作が力の入った良作であることは確かな話。
ただ、本作を皮肉な目で観ることは確かに出来る。
他でもなく、第二次世界大戦時。カトリックはナチスと結託したという噂を立てられた。それがどの程度本当かどうかはともかくとして、それに対して法王庁は明確な回答を避けていた時期があって、それが憶測が憶測を呼ぶ。と言ったスキャンダラスな時代があった。
本作が作られた当時、その疑惑のまっただ中にあったはずだが、本作によれば、ドイツ教区の、しかも教区長一人がナチスの圧力に負けた。という感じで描いている。つまり、カトリック全体としては、全くナチスとは関係が無く、その人物だけが悪いのだ。という、なんか言い訳に聞こえてしまうような描写がされているのが、ちょっと気になるというか、一種のプロパガンダ臭さを感じてしまう。
他にも、流石アメリカで作られているだけにラストはいかにも「民主主義万歳」と言った雰囲気がぷんぷんと…ゴシップでも無ければ歴史的事実を丁寧に描こうというドキュメンタリーでもないのだから、それで良いんだろうけど、どこか釈然としない部分が残る。
ちなみにこの脚本を書いたのは、ハリウッド・テンの一人、リング・ラードナーJr.であるとされる。 |
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野望の系列
Advise & Consent |
| 1962英アカデミー男優賞(ロートン) |
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オットー・プレミンジャー(製)
ウェンデル・メイズ(脚)
ヘンリー・フォンダ
チャールズ・ロートン
ウォルター・ピジョン
ピーター・ローフォード
バージェス・メレディス
ジーン・ティアニー
リュー・エアーズ
ポール・フォード
フランチョット・トーン
ドン・マレー
ジョージ・グリザード |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
3 |
5 |
4 |
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大統領(トーン)は新しい国務長官としてロバート・レフィングウェル(フォンダ)を候補に指名する。しかし生真面目なレフィングウェルは与党内でも敵が多く、特に、ベテラン議員クーリー(ロートン)は猛反対する。実はレフィングウェルは過去共産党員だった過去を持ち、それを隠してきた引け目があった。そしてそれを突き止めたクーリーは駆け引きでレフィングウェルを追い詰めていく。
過激な設定の映画を作るので定評のプレミンジャー監督が選んだのは、アメリカの政治について。しかもホワイトハウス内でのスパイ疑惑を正面から描いた作品で、よくこの時代にこんな素材で映画が作れると感心しっぱなしの作品だった。
原題の『Advise & Consent』は閣僚などの重要人事で上院が大統領に「助言と同意」(Advise & Consent)を与えるのが通例となる。国務長官がそれを担うためにこの駆け引きを映画にした。
ここで重要になるのは、当時のアメリカの共産党恐怖症だった。思想信条に従い党員になるのは犯罪でも何でも無が、当時のアメリカにおいては、かつて共産党と関わりがあったというだけで犯罪者以上のくびきをおわされる。ましてや政治家としては致命的だという問題。当時アメリカ中を吹き荒れた赤狩りがどれだけ大変だったのかを、はっきりと出して見せた。
私がこの作品観たのは赤狩りのことなど全く分からない時だったため、本作が一体何を言おうしているのかが分からず単に間延びしただけの作品のように思えていたのだが、後になってその事実を知ってから、俄然本作の評価は上がった。
ポリティカルフィクションははまればとても面白くなるが、面白くなるまで時間が掛かるものも多数。本作はその典型的な一本とも言える。
一度赤狩りについて調べた上で本作を観ていただけると深みが増す。 |
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栄光への脱出
Exodus |
1960米アカデミー助演男優賞(ミネオ)
1960ゴールデン・グローブ助演男優賞(ミネオ) |
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オットー・プレミンジャー(製)
ダルトン・トランボ(脚)
ポール・ニューマン
エヴァ・マリー・セイント
ラルフ・リチャードソン
リー・J・コッブ
ピーター・ローフォード
サル・ミネオ
ジョン・デレク
ヒュー・グリフィス
グレゴリー・ラトフ
ジル・ハワース
アレクサンドラ・スチュワルト
ポール・L・スミス
フェリックス・アイルマー
デヴィッド・オパトッシュ
マーティン・ベンソン
マーティン・ミラー
ジョン・クロフォード |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
3 |
5 |
4 |
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| ハリウッドのブラックリストに初めて大きな打撃を与え、上映禁止となっていた脚本家ダルトン・トランボを作品に起用した。この映画は、イスラエル建国を描いたレオン・ユリスのベストセラー小説を映画化したものだ。 |
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或る殺人 Anatomy of a Murder |
1959米アカデミー作品賞、主演男優賞(スチュアート)、助演男優賞(オコンネル、スコット)、脚色賞、撮影賞、編集賞
1959英アカデミー作品賞、国外男優賞(スチュアート)、新人賞(ウェルチ)
1959ヴェネツィア国際映画祭男優賞(スチュアート)
1959NY批評家協会男優賞(スチュアート)、脚本賞 |
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オットー・プレミンジャー(製)
ウェンデル・メイズ(脚)
ジェームズ・スチュワート
リー・レミック
ベン・ギャザラ
ジョージ・C・スコット
アーサー・オコンネル
キャスリン・グラント
ジョセフ・N・ウェルチ
イヴ・アーデン
オーソン・ビーン |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
3 |
5 |
4 |
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元ミシガン州検事で、今は弁護士をしているポール・ビーグラー(スチュアート)の元にローラ・マニオン(レミック)という女性から、夫で陸軍中尉マニオン(ギャザラ)の起こした射殺事件の弁護依頼が舞いこむ。被告の状況が明らかに不利で、担当検事とかつて確執があり、最初は渋っていたが、親友の法律家パーネル(オコンネル)のすすめで弁護を引き受ける。だがこの事件はポールが思った以上に根が深く、しかも裁判の場でのローラの大胆な発言に振り回され続ける。それをも武器にして一つ一つ証拠固めをしていくのだが…
ロバート・トレイヴァー(実はミシガン州最高裁判所判事のジョン・D・ヴォルカー)のベスト・セラー小説「錯乱」の映画化で1959全米興行成績9位。
日本とは異なり陪審員制度が発達しているアメリカでは法廷ものはれっきとした一つのジャンル。その中で数多くの傑作が生まれているが、本作はその中でも初期の傑作と言える。
そもそも原作自体が判事によって書かれているので、細かいところまでしっかりと描かれている。弁護士が弁護を引き受けるまで、裁判の煩雑さや、陪審員に対する心理的駆け引き、いかにして不利な証拠から人々の目をそらすか。過去の判例を紐解いて有利な証拠を探し出す努力。それらが丁寧に描かれているのだが、何より当の弁護士自身がこの事件の全容を知ることが出来ないと言うのが最大の特徴。観ている側にとって、この曖昧さが緊張感の演出につながっており、最後まで答えは明かされない作りは大変面白い。
実際、本作の依頼人であるレミック演じるローラが、本気で弁護してもらう気があるの?と言うくらいにエキセントリックで、裁判そのものを妨害してるようにしか思えず、それに振り回されていくうちに、観てるこちらまで混乱してくる。だんだん苛ついてきて「もうどうなっても良いや」と思ってしまうのだが、依頼を受けた弁護士はそうも言ってられず、泣く泣く証拠集めに奔走することになる。甲斐甲斐しい努力がなんともすばらしいところだ。しかもその努力の結果が…ラストのどんでん返しでは脱力すること受けあい。地味ではあってもかなりメリハリはついてる作品と言えるだろう。
本作は当時としては大胆にセックスに関する要素を盛り込んだ作品として話題となったが、現代としては他愛なく思えることでも(描写は全くないし)、悪名高き当時のハリウッド・コードはセックスについての話題はご法度。本作ではそれに抵触する台詞が連発され、レイプについてはっきりと明言までしている。バージニア・ウルフなんかこわくない(1966)がハリウッド・コードに穴を開けた事はよく知られるが、それ以前にこれだけのものを作って公開できたという事実が凄い。
レイプと性交に関する法廷での率直な議論が描かれ、検閲官は「レイプ」「精子」「性的絶頂」「挿入」といった言葉の使用に異議を唱えた。プレミンジャーは「挿入」を「侵害」に置き換えるという唯一の譲歩をし、映画はMPAAの承認を得て公開された。これは製作規約の終焉の始まりを告げるものだった。 |
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悲しみよこんにちは
Bonjour tristesse
Hello Sadness |
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オットー・プレミンジャー(製)
アーサー・ローレンツ(脚)
ジーン・セバーグ
デボラ・カー
デヴィッド・ニーヴン
ミレーヌ・ドモンジョ
ジェフリー・ホーン
ジュリエット・グレコ
ワルテル・キアーリ |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
5 |
4 |
3 |
4 |
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17歳の少女セシルは父レイモン(ニーヴン)と共に夏のバカンスを楽しんでいた。一緒に来た父の愛人のエルザとも仲良く、セシールにも一夏の恋人が出来、楽しく過ごしていたが、そこに現れたアンヌ(カー)と意気投合したレイモンはついに結婚の約束までしてしまう。最初はその成り行き楽しんで、煽ってさえいたセシールだったが、だんだんとアンヌの固さが鬱陶しくなり、ついにはエルザと共謀して父と彼女との仲をアンヌに見せつけて別れさせようとするのだが…
原作者フランソワ=サガンが本作を書き上げたのは何と18歳。原作を読んだ時はとても10代で描けるような内容じゃないと驚いたもの(文学界にはこういった早熟の天才は結構いるものだが)。ただ、読んでいて、「これは映画向きの題材だな」と思った事を記憶してる。非常に視覚的に優れた小説だった(それが若さなのかも知れない)。当然映画化されてるだろうと思っていたが、こんなに古い時代に作られてたんだな。
本作は単に小説の映画化というだけでなく、ビート世代の影響が画面の端々に見られ(ストーリーを考えるならアメリカン・ニュー・シネマの時代に作られてもおかしくない。時代を先取りしていたんだな)、その辺の表層的な思想(に見せている)演出がなかなか微笑ましいが、それだけではなく、一年前のあの事件を経験してしまった今は全てが灰色の世界に変わってしまったと言う演出が凄い。過去をモノクロに、現在をカラーにするのが普通なのに、それを全く逆転させてしまった。画面が切り替わり、モノクロになるとそれまでの溌剌とした姿をしていたセバーグ演じるセシールが、途端に倦怠感溢れる目つきになるのが又巧いところ。この手法は後にタルコフスキーが『鏡』(1974)でも使っているけど、色々な意味で実験的な作品だったと思う。
出来そのものは原作の必要な部分を余すことなく映像化しており、そこから外れることはなく、だからこそ手堅さと実験的手法が見事にかみ合った良作に仕上がっている(かえって原作よりも映画の方がストーリーは分かりやすいかも知れない)。
それに何と言ってもここに登場する女性キャラクターが皆魅力的だ。今回お堅い女性役を演じたカーと言い、情熱的なドモンジョもだが、何と言っても主人公セシールを演じるセバーグが、「世の中はすてきなことで満ちてる」という希望を身体いっぱいに演じつつ(それでセシール・カットとミニスカートの大ブームを起こす)、同時に倦怠感に溢れ、アンニュイな演技という二面的な演じ分けをしてくれているのはなかなかにポイントが高い。原作を読んだことのある人にこそ観て欲しい作品だ。
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帰らざる河
River of No Return |
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スタンリー・ルービン(製)
フランツ・フェントン(脚)
ロバート・ミッチャム
マリリン・モンロー
ロリー・カルホーン
トミー・レティグ |
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| ★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 2 |
2 |
2 |
3 |
2 |
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かつて殺人をを犯し、刑務所を出所してきたマット・コルダー(ミッチャム)はゴールド・ラッシュに湧く町に息子マークを引き取りに行く。マークの面倒を見てくれた酒場の歌姫(モンロー)はその後、恋人と共にコルダーとマークの前に姿を現すが…
純正の西部劇にモンローが出た!と言うので有名になった作品で、主題歌の“River
of No Return”も大ヒット。
ただ、モンローはどうしてもスロー・ペースを崩さないので、軽快な西部劇のテンポには合わない。歌は良いんだけどなあ。
ストーリーはアウト・ローやネイティヴ・アメリカンが入り乱れ、これぞ西部劇という作品に仕上がっているが(主人公が決して善人でないのもポイント)、いかんせん、モンローに乱されまくり。西部劇として考えるならば、どう見ても失敗作。川下りのシーンも合成が悪くて興ざめ。
当時ネイティヴ・アメリカンはこういう描写しかされなかったんだよな。それにしてもアメリカにはアパッチ族しかいなかったのかよ。嫌いな映画ではあるが、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)は重要な作品だったんだな。再認識しちゃったよ。
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ロイヤル・スキャンダル
A Royal Scandal |
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エルンスト・ルビッチ(製)
ブルーノ・フランク
エドウィン・ジャスタス・メイヤー(脚)
タルーラ・バンクヘッド
チャールズ・コバーン
アン・バクスター
ウィリアム・イース
ヴィンセント・プライス
ミシャ・オウア
シグ・ルーマン
ウラジミール・ソコロフ |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
3 |
3 |
3 |
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ローラ殺人事件
Laura |
1944米アカデミー撮影賞、助演男優賞(ウェッブ)、監督賞(プレミンジャー)、脚色賞、室内装置賞
1999アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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オットー・プレミンジャー(製)
サム・ホッフェンスタイン
ジェイ・ドラットラー
ベティ・ラインハート(脚)
ジーン・ティアニー
ダナ・アンドリュース
ヴィンセント・プライス
クリフトン・ウェッブ
ジュディス・アンダーソン |
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| ★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
4 |
3 |
4 |
3 |
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ニューヨークで高名なデザイナーのローラ・ハントが猟銃で顔を 射たれて殺害された。将来を嘱望されている刑事マーク・マクファースン(アンドリュース)が係となって探査を進め、容疑者を三人に絞る。だがそんな時、実は田舎にいて事件を知らなかったという当のローラがひょっこりと帰ってくるのだった。被害者と加害者は一体誰なのか…
キャスパリー原作の推理小説の映画化作で、フィルム・ノワールの代表作の一本に数えられる作品。
いかにも「小説に忠実に作られています」的なストーリー展開が映えるが、しかし謎とか何とかじゃなくて、よく1944年というこの年にこんな描写の作品が作れたものだと感心する。推理小説の場合、小説だから許される描写というのもあるし、後で読み返す事を前提にすれば、人間関係を複雑化させることが出来る。対して映画の場合は時間が限られ、時間を戻すことが出来ない以上、どうしても観る側に親切に作る必要というのがあって(ハードボイル作品はその辺割り切って説明不足のまま突っ走ることがあるが)、話を単純化しがち。しかしプレミンジャー監督は敢えてそれを無視して小説っぽく話を展開して見せた。ストーリーは割り切り、その分演出で見せてしまおうという意気込みに溢れている。
時代性もあって演出的にそんなにこなれているとは言えないものの、特に一室に全員を集めることで、複雑な人間関係を一目で伝えようとする演出はかなり面白い。物語も複雑な割にさくさくと進み、流れるように観ていくだけで状況が頭に入ってくるのも好印象。
又、本作はアンドリュースの格好良さがなかなかに映え、若手ながらお堅く、非情に捜査を進めていく行動力はなかなかのもの。下手に人間性を加えないからこそ、本作は推理ものとしてきちんと成り立っているのだ。その辺よく分かっているようだ。
ラストの素っ気なさが今ひとつだが、古典的名作推理作品と言われるのは伊達ではない。 |
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