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| 2025 | トロン:アレス 監督 | |
| 2017 | パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊 監督 | |
| 2016 | ||
| 2015 | ||
| 2014 | イエスタデイ 製作総指揮 | |
| 2013 | ||
| 2012 | コン・ティキ 監督 | |
| 2011 | ||
| 2010 | ||
| 2009 | ||
| 2008 | ナチスが最も恐れた男 共同監督 | |
| 2007 | ||
| 2006 | バンディダス 監督 | |
| 2005 | ||
| 2004 | ||
| 2003 | ||
| 2002 | ||
| 2001 | ||
| 2000 | ||
| 1999 | ||
| 1998 | ||
| 1997 | ||
| 1996 | ||
| 1995 | ||
| 1994 | ||
| 1993 | ||
| 1992 | ||
| 1991 | ||
| 1990 | ||
| 1989 | ||
| 1988 | ||
| 1987 | ||
| 1986 | ||
| 1985 | ||
| 1984 | ||
| 1983 | ||
| 1982 | ||
| 1981 | ||
| 1980 | ||
| 1979 | ||
| 1978 | ||
| 1977 | ||
| 1976 | ||
| 1975 | ||
| 1974 | ||
| 1973 | ||
| 1972 | 5'30 誕生 | |
| トロン:アレス Tron: Ares |
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| かつてエンコム社がデジタル世界の扉を開いてから時が経ち、エンコム社とライバル社のディリンジャー社はデジタル世界と現実世界をつなぐ研究を続けていた。エンコム社の新社長のイヴ(リー)とテスのキム姉妹はついに二つの世界をつなぐ時間制限を撤廃することに成功したが、同じ頃、ディリンジャー社のジュリアン・ディリンジャー(ミンハジ)はデジタル世界から兵器を作り出す技術を完成させていた。そのために最強の戦士アレス(レトー)が誕生したが、彼らを兵器として使うために、時間制限を無くすキム姉妹の研究を欲していた。そこでアレスを用いてイヴを襲わせるのだが… 公開当時大いに話題になった『トロン』(1982)そしてその続編として公開された『トロン:レガシー』(2010)を経ての三作目。ストーリー的にはつながっているが、実質は1作目の直接の続編と言って良い。 コンピュータグラフィックスと実写の融合を初めて試みたと言う意味で、『トロン』は映画史においてもそれなりに重要な作品となる。ストーリーは単純かもしれないが、人工生命体が自我を持つかどうかと言う当時のハードSF作品をベースにしていて、今振り返ると、かなり攻めた内容の作品でもあった。 対して二作目の『トロン:レガシー』は風呂敷を広げすぎたことと、既にありもののSF映画っぽくなってしまった分、作品としての印象は薄い。 三作目はそれを反省したのか、一作目の構成に立ち返り、ストーリーは単純にして、テーマを深めてみたし、それはちゃんと成功している。 本作の場合、一作目で誕生したトロンという電子生命体がいることを前提に、その電子生命体を作る企業が現実世界の脅威を作り出してしまう。設定だけだと『ターミネーター』(1984)の前史のようなものになるのだが、人類に対する反逆ではなく、生命体として生まれた以上、人間になりたいという素直な思いが前面に出ているので嫌味には感じない。あくまでシンギュラリティをテーマに、物語を単純化したお陰で物語に浸れるし、演出も楽しめる。そういえば特撮番組仮面ライダーゼロワンの設定とかなり近い(風呂敷広げすぎたかあまり上手く行かなかったのが残念だった)。 SF作品的に観るならば、人間を量子化してコンピューターの世界の中で生かすという部分にオーバーテクノロジー的な設定を感じるのだが、それはそもそも『トロン』の設定そのものだからそこは受け入れねばならないだろうし、そこから発展して量子世界の生物が現実世界で実際の生を受けるという発展系と考えれば良い。 だから『トロン』が世界的に受け、90年代くらいに続編が作られていたとしたら本作みたいな作品になってただろう。その時点でに作られていたらぴったりの物語展開だった。設定だけで言えばそこそこ古くさいのだが、それを「古くさい」と言ってしまえるのも、当時のSF好きくらいだろう。 逆にようやく時代が追いつき、一般に理解出来るレベルで物語を作れるようになったというべきか。 考えてみたら、この2025年って、90年代に作られているべき作品が多く作られた年だった。本作も又その一本と言えるだろう。 |
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| パイレーツ・オブ・カリビアン 最後の海賊 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| かつて海の呪いによって10年に一度しか上陸できなくなってしまった父ウィル・ターナー(ブルーム)の呪いを解くにはポセイドンの槍を見つけようとするヘンリー・ターナー(スウェイツ)は、槍の手がかりを持つジャック・スパロウ(デップ)を探していた。だが発見されたジャックはブラック・パール号の乗組員にも見捨てられ、死を待つばかりの情けない姿だった。そんな中、魔女として追われる天文学者のカリーナ・スミス(スコデラリオ)と共に、無理に航海に出ることになってしまうのだが… シリーズももう5作目となる。前作『パイレーツ・オブ・カリビアン 生命の泉』(2011)が凡作の見本みたいな作品で、その後に本作の企画が上がった時には「又かよ」という印象しか持てなかった。 それでも観に行ったのだから、私も良いお客さんだ。 で、本作の感想だが、一応『生命の泉』(2011)で悪かった部分は解消されている。あの作品の問題点は、ジャックがまともすぎて、本来の無軌道ぶりを楽しむことが出来なかったという点にあった。その問題に対して、主人公にウィルの息子ヘンリーを配することによって、視聴者に寄りそうキャラを創る事で、ジャックの無軌道ぶりを強調させてはいる。 だけど今度はジャックの方に魅力が無くなってしまった。 これまで同じ役を延々演じたこともあってか、デップのジャックはもう馴れすぎた。いくら馬鹿なことをしてみせても、「又かよ」で終わり、新たな魅力を引き出すことはなく、ただただお寒いギャグを延々続けるだけの、旬の過ぎた芸人を見せられてる気分。 バルボッサもすっかり丸くなって単なるこども思いの親父になってしまったし、敵役として登場したバルデムに至っては、「一体こいつどれだけ悪役使い回すんだ?」という印象で、正直「全部見飽きた」。 少なくともこれまで書いてきたシリーズの魅力は既に色あせ、再生産を繰り返すだけ。好意的に言っても、「普通に見られるプログラムピクチャー」で全て言い表せてしまえるだろう。 あとひとつ。ジャックの叔父という名目で出たのがポール・マッカートニー。ジャックの父親がキース・リチャーズということで起用したネタだが、これで笑える人間って50代から60代。一体この映画の対象を誰に取ってるのか分からなくなる。 |
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