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夢の化石 今敏全短篇(書籍) _(書籍) |
2010 | 8'24 死去 | |
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ||
2006 | パプリカ 監督・脚本 | |
2005 | ||
2004 | 妄想代理人<TV> 総監督・原作・絵コンテ | |
2003 | 東京ゴッドファーザーズ 監督・原作・脚本・キャラクターデザイン | |
2002 | ||
2001 | 千年女優 監督・原案・脚本 | |
2000 | ||
1999 | ||
1998 | PERFECT BLUE パーフェクト ブルー 監督 | |
1997 | ||
1996 | ||
1995 | MEMORIES 脚色 | |
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ワールド・アパートメント・ホラー 原案 | |
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | 10'12 北海道で誕生 |
パプリカ 2006 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007トロント映画祭アニメ賞 2007ゴールデン・トマト・アウォーズアニメーション第4位 |
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若き天才科学者時田が開発した、夢を共用できると言う、まさに夢のような装置DCミニ。時田とDCミニを共同開発した千葉敦子はサイコセラピーの道具としてそれを仕える方法を模索していた。今日も彼女は赤毛の少女パプリカに扮し、所長の友人の粉川刑事の夢にダイブしていたが、そんな時に試作品のDCミニが盗まれたと知らされる。この装置の危険性を感じる理事長の乾から装置の封印を言い渡されるのだが… 今年は筒井康隆の当たり年で、すでにアニメで『時をかける少女』(2006)が、そして実写で『日本以外全部沈没』(2006)が公開されている。そのどちらも劇場で観ることが出来たのはありがたかったし、今年最後の作品として本作を観ることが出来たのは、それこそ望外の喜びでもある。そもそも70年代のSFにかなりの思い入れがある私としては、それこそ小学生の時代から小松左京や豊田有恒、星新一、眉村卓、平井和正などと並んで図書館においてあった本を片っ端から読んでいたもの。特に著者の毒のある文章は、軽いトラウマと共に一種忘れえぬ思い出ともなっている。 ただし、そんな著者が断筆宣言を行う直前まで描いていたのはSFではなかった。フロイト流の精神医学の世界へとどんどん傾倒していったのが分かる。だが、本作の原作に限っては本来の道に戻ったか、その精神医学の世界とSFが見事に融合した傑作となっている。少なくともこの原作に衝撃を受けた身としては、どんなことをしても本作は劇場で観てやる!と言う思いがあり、それができたのは、それこそ今年最後のボーナスみたいなものだ。 さて、前置きが長くなってしまったが、映画としての本作はなかなか評するのに難しいところがある。原作ファンとしては、「ああ、あのシーンも入れてほしかった」とか、「あれをこうしてしまうのは違うんじゃねえの?」とか種々心の中でツッコミが入るところも確かにあるし、更に設定的に原作を読んでないと理解しにくいところも多い。色々複雑な思いがあるにはあるが、概ねにおいて、よくあの複雑な作品をここまで視覚的に解釈できたもんだ。と称賛したいところ。 特に夢の描写は圧倒的で、原色の凄まじい色の本流と言い、突飛な夢の登場人物の訳のわからなさと言い、音楽の使い方と言い、質そのものは実に高い。悪夢を題材にしたアニメは数あれど、その描写に限って言えば最高峰と言えるだろう。確かに新しい描写とまでは言えないものばかりではあるが、ありものでの最高峰を目指した姿勢は正しいと思う。『千年女優』が邦画のオマージュを捧げた作品というのであれば、粉川刑事の夢はまさに洋画のオマージュに溢れている。 私のように原作のファンでもあり、更に映画ジャンルの中で悪夢を描いた作品が何よりも好き!と言う人間の解釈として書かせてもらえれば、本作は本当に楽しく感じることはできる。 ただ思うに、本作ほど観ている側にとって歯がゆい思いをさせられる作品は無かろう。本作は単なるアクション映画として観ることも出来る。実際その視点から観ても決して間違ってはいないし、アクション作品としての質も高い。 ただ、それだけで終わらせられないのも本作の特徴だろう。何せ主題としているのは“夢”なのだ。そもそも夢と言うのはフロイトの解釈からしても、実に様々なヴァリエーションがあって、分析する人間でも多くの違いが生じるものだし、本作の解釈に関しても、「分かった!」というレベルがまるで違って当たり前。それを強く感じさせられる。 本作で描かれる夢は、相当に集合意識を意識しているのだが、実は原作ではそこまでその意識は高くない。と言うより、注意深くそれを避けて描かれていた。これは著者がフロイト的学説に偏って描いているためなのだが、これまでのアニメではほとんどの作品がフロイトよりはユング的な描写がなされることが多く、本作はそれらの諸アニメの上に成り立っているため(主に作画関係で慣れてる人が多いようだしね)、本作はかなりユング的解釈に偏ってる。極端な話を言えば、“個人の意識に世界が飲み込まれる”のが原作であれば、全体的な夢という集合意識の中で話が展開するのが本作。原作にしっかり沿って作られているのにもかかわらず、実は細かい所で原作とはまるで別物になってる。牽強付会で言わせてもらえれば、原作をより『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)っぽくしているのが本作の特徴と言えるかも(無理に自分の土俵に持ってきただけだが)。 ただ、これはあくまで私の意見。それなりに精神医学に詳しい人でも解釈はまるで異なるだろう。 うがちすぎかも知れないけど、観る人間それぞれに解釈を変えさせることを狙って作ったとするならば、本作の狙いはとても高次元にあると思う。夢を描く作品の解釈ってのは特に面白い。 お陰で色々と考えることが出来たし、映画館を後にする時も頬がゆるみっぱなしだったよ。 |
東京ゴッドファーザーズ 2003 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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暮れも近づく新宿の街。元競輪選手のギンちゃん、元ドラッグ・クイーンのハナちゃん、家出少女の高校生ミユキのホームレス3人は、クリスマスの夜にゴミ置き場に捨てられていたひとりの赤ん坊を見つける。ずっと赤ん坊を欲しがっていたハナちゃんは、勝手に“清子”と命名してこの子を育てると言い張る。結局ギンちゃんとミユキに説得され、それでもせめて親探しをしようとすることになったが… 今敏監督作品はこれが3作目。正直、前作『千年女優』(2001)は、良かったは良かったけど、微妙に外していたところ。それだけにかなり本作には期待。わざわざ暮れも暮れ。12月31日にわざわざ観に行く私も相当な馬鹿だ。 結果を言おう。 期待を遙かに超えていた。こんなもんアニメで観せられるとは思わなんだ。素材としては実写でやっても面白かったかも知れないけど、これがアニメだからこそ、本当に面白くなるんだ。 構成が巧いこと巧いこと。90分という時間を完全にコントロールしているので、笑いあり、ほろりとさせるところあり、本気で考えさせられるところあり、とても盛りだくさんな内容をしっかり演出している。伏線を一切無駄にせず、しっかり消化してるのも良い。 物語は一人の赤ん坊を巡ってのロード・ムービーなんだが、本当に悪い人間は殆どおらず、心に傷を持つものばかりが、互いを気遣う気持ちがビンビンに伝わってくる。日本では失われたと言われている人情って奴が、こんなところで見られるとはねえ。 この作品の主題は私なりには、やっぱり「プレゼント」だと思う。ゴミ山に捨てられ、死にかけてた清子にとって、この三人に拾われたから命が助かった。命こそが最大のプレゼントだった。ギン、ハナ、ミユキの三人にとっては、清子を拾ったがために、今まで避け続けていた自分の家族について認識を新たにされる。そして自分のいるべき場所を見つけていく。彼らにとって、自分が“必要とされている”という事実こそがなによりのプレゼントとなった(ラストの宝くじはちょっとやり過ぎっぽかったけど)。彼らは全員命の危機に曝されるが、それぞれの“いるべき場所”と清子の“幸運”のお陰で命まで助かる。更に言えば、清子の里親だって彼らに関わったがために生きる勇気が与えられたのだし、ギンの娘清子、ゲイ・バーのマダム、それにミユキの父親だって、そのお陰で失ったものを取り戻すことが出来た。それに彼らに関わっている人間の殆どは何らかのプレゼントを受け取っている。見事なハッピーエンドだ。 一方、真剣に考えさせられる部分もかなりあったんだよな。いくつかあるけど、一番キたのは、命の大切さを知るからこそ、死と言うものをきちんと捉えている主人公達に対し、死そのものをゲーム感覚でもてあそぶ人間も同時に存在すると言うこと。彼らに罪悪感はないし、感覚としてはむしろ私はそっちの方に近いのかと思った瞬間、ぞっとした。 ストーリーに関してはそれで良いけど、私が何より評価したいのは街のリアルさ。本当の東京の景色をトレースしたかのような光景。しかも殆どが下から見上げる形の、実際の視線を元にしているのが面白い。路地の汚らしさや、無機質なコンクリートの描写、そしてネオンの毒々しさまでアニメで表現されるとは、見事だ。臭いを表現してくれたのも私にとっては評価高い。アニメはそう言うのをなるだけオミットすることで出来上がっていたのだが、敢えてそれを見せつけようとするところが何よりの驚きだった。オープニング部分のスタッフロールの凝り方も嬉しい。 宮崎駿監督は“生(なま)の感触”と言うものに大変こだわっているが、実際の話、彼の監督作品には、その割に希薄に思えるのだが、この作品には確かに“生”がある。ディジタル映像でも、ちゃんと演出できてるじゃないか。 映画を観る際、あまり声が出ることはないけど、この作品に関しては本当に笑えるところでは大笑いしたし、驚いたところでは「おお!」と声を出し、感心したところでは「ほう」と声が出た。私にとっては珍しいことだったけど、それを許す雰囲気がこの映画にはあるんだよな。実際、周りの人間もみんな声を上げてたし。 映画観終えて、これだけニコニコできたのも久々のことだ。良い作品観せてもらった。 |
千年女優 2001 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003アニー賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大女優でありながら、三十年前に忽然と銀幕から姿を消してしまった女優藤原千代子。テレビのドキュメンタリーで田舎でひっそりと暮らしていた彼女を探し当てたインタビュアーの立花に、千代子は自分の映画人生を語り出すのだった。彼女の手にはしっかりと、一つの鍵が握りしめられている… 質が高いアニメを世に送り出すことで定評のある今敏監督が、一人の女優を題材に取って描き上げる監督第2作作品。 本作は先ず、なんと言っても監督の古き邦画に対する愛情に溢れている。そしてそれは記号的、暗喩的に語られるのではなく、極めてストレートに、疾走という形で現れている。とりあえず“現代”とされている時間軸の藤原千代子と立花はかつての時間軸で映画を愛していた。それは“演じる者”と“観る者”の主観の違いこそあれ、二人とも当時の映画を画面の中と外で愛し続けた人間だからこそ分かり合える至福の瞬間だったはず。実際これを観ても、かなりたくさんの名作邦画が出てくる。なんとなくそうだろうな。と思えるのだけでも『君の名は』(1953)、『隠し砦の三悪人』(1958)、『蜘蛛巣城』(1957)など。映画だけでなく、藤原千代子という人物の生涯も又、映画のようなもので、それを思い出すだけでなく、いつしか立花までも登場人物となって入り込んでいく。まさにメタ的な楽しさに溢れた作品だ。 それとこの作品、演出が良い。最初のしっとりした現実世界から、中盤に至る映画の世界(メタ世界と言っても良い)に入ると、途端に場面が疾走していく。まるでジェットコースタームービーのように、観てるこちら側もその流れに飲み込まれ、ほとんど呆然状態でこちらも画面に入り込んでいく。そして最後になると、今度は一抹の寂しさを。ここまでを計算して作り上げたことがよく分かる作品で、それに浸っていた時は本当に心地の良い一瞬だった。 ここまでなら評価は高いままだったのだが… 問題は彼女が追いかけていたものは何だったのだろうか?と言うものを、最後に自分で言ってしまった所だった。彼女が追いかけていたのが何であったのか、これは実は観ている側は自分なりに理解できているのだ。それで良いはずなのに、敢えてその一言を言ってしまった事で、物語を矮小なものに押し込めてしまった。 ここだけは絶対間違ってしまった。 ここまで気持ちよく浸っていた気持ちに突然冷水を浴びせられた気分になってしまった。 物語の都合上、すっきり終わらせるためには必要な台詞だったのかも知れない。しかし、それは千代子に悟らせてはならない事実だったのだし、もし絶対にそれを言わせるのならば、第三者を介して言わせるとかの配慮が欲しかった。 もったいなさ過ぎた。 たった一言で物語の評価を変えてしまう事が出来た。という意味では貴重な作品といえるんだが。 |
PERFECT BLUE パーフェクト ブルー 1998 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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人気絶頂期にアイドル・グループから脱退し、女優に転身を図ったアイドルスターの霧越未麻。しかし、女優の仕事は彼女が思っていた以上に過酷なものであり、しかもアイドル時代の熱狂的なファンからは恨みのFAXが届くようになってしまう。彼女の願望によるのか、何故か彼女の前に時折現れるアイドル時代の自分自身。彼女が出始めてから未麻に辛く当たる人間が次々に殺されていく… 非常に面白いアニメ作品だった。サイコスリラーは割合アニメとは相性がよいらしく、比較的初期の頃からアニメには取り入れられていていたのだが、実写と較べ、規制の多いアニメではなかなか良作が作られないと言う現実があり、更にアニメだとリアルな描写はあまり好まれないため、魅力的なジャンルでありながらも、なかなか良作に巡り会うことは難しい。むしろサイコスリラーはゲームや漫画の方に流れた感がある。 それで敢えてそう言う“簡単そうで難しい”分野に投入された本作だが、実に上手く仕上がっている。非現実を描くアニメの利点を存分に活かしつつ、江口寿士の奇妙にリアリティがあるキャラクター描写によって、本来アニメの持つ美点と実写的手法を上手く融合させている。端的には冒頭部分で主人公が牛乳を買うシーンがあるが、あれは実写的手法を存分に取り入れ、アニメでこそ映える上手いタイミングを見せた、素晴らしい一瞬だと思う(念のため。あの時、スーパーの張り紙には特売の牛乳のことが書かれている。瞬間主人公は手を画面上で彷徨わせ、見つけた瓶入りの牛乳を素早く取り上げている。これで、別に迷っていたのではなく、その牛乳を探していたと言うことが上手く伝わってくる。実写でやると何気ないシーンでしかないが、アニメでわざわざやったことで、強烈な印象を視聴者に与えることが出来る)。その辺の微妙な駆け引きが全編に渡って描かれているので、細かいところを見てるととても楽しい。「あなた誰?」と言うキー・ワードもふんだんに使われている。 描写面を見ると、本作は非常に「赤」の描写が優れているのが大きな特徴となっている。赤色は映画では使い方が意外に難しいのが特徴。赤色は非常に目立つが、一方では落ち着かない気分にさせてしまう。赤というのは性的な興奮状態、あるいは攻撃状態を心理的に与えるからだそうだ(蛇足ながら、闘牛でマタドールが紅い布を持っているのは、牛を興奮させるためではなく、観客を興奮させるためだったりする)。だから攻撃的な描写、心理的な不安定さを示すために用いると非常に効果的。不安を増すために赤を用いるのは『シックス・センス』(1999)でも用いられていたりするが、この作品では主人公の精神状態の均衡が崩れてくると、赤の描写が増えてくる。しかも上手く目立たないようにして。こういうケレン味、ほんと大好き。 『PERFECT BLUE』と言うタイトルは、最後の抜けるような青空に向かって主人公の未麻が飛び出すシーンを切り出したタイトルのように思えるが、劇中にこれだけ使われている「赤」の描写に対応するものとも言えるのではないかな? 設定面を見ると、テレビの裏側の話が興味深い。全然知らない世界だったし。それにアイドルの世界と言うのは、10数年前の大ブームを知っているだけに、いわゆる「大ヒットグループ」が遊園地とかビルの屋上とかで健気に歌っているのを見て、隔世の思いに浸った。アイドルはあんまり好きじゃないけど(見てると腹立って、いたたまれない気持ちになるので)、ああ言うブームもあったのになあ、としみじみ。 ストーリー面では、どうしても一つ気になる事が。最後にマネージャーの逮捕及び入院で物語は終わってるんだけど、未麻、やっぱり一人は殺してるんだよな…ひょっとして、罪を全部おっかぶせてないか? 最後に一つ。監督の今敏は押井守アニメで経験を積んだ人物だが、漫画家もやっていて、押井守原作で『セラフィム』という漫画を描いていた。もう決して日の目を見ることもない幻の漫画だが、せめて未完のままで終わらさず、ちゃんと完了させて欲しいものだ。 助監督に松尾衡。 |