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2021 | 孤狼の血 LEVEL2 監督 | ||||||||
2020 |
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2019 | ひとよ 監督 | ||||||||
麻雀放浪記2020 監督 | |||||||||
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2018 | 凪待ち 監督 | ||||||||
止められるか、俺たちを 監督 | |||||||||
2017 | 孤狼の血 監督 | ||||||||
サニー/32 監督 | |||||||||
彼女がその名を知らない鳥たち 監督 | |||||||||
2016 | 日本で一番悪い奴ら 監督 | ||||||||
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2015 |
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2014 | |||||||||
2013 | 凶悪 監督・脚本 | ||||||||
2012 | |||||||||
2011 |
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2010 | |||||||||
2009 | ロストパラダイス・イン・トーキョー 監督・脚本 | ||||||||
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2008 | 魔法のiらんど 呪われた学校 監督 | ||||||||
2007 | |||||||||
2006 | |||||||||
2005 | 17歳の風景 少年は何を見たのか 助監督 | ||||||||
2004 | |||||||||
2003 | |||||||||
2002 | |||||||||
2001 | |||||||||
2000 | |||||||||
1999 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | |||||||||
1996 | |||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | |||||||||
1991 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | |||||||||
1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | |||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 | 12'17 北海道で誕生 |
孤狼の血 LEVEL2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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広島県警呉原東署刑事二課の日岡秀一(松坂桃李)は、マル暴の刑事・大上章吾に代わり、広島の裏社会を治めていた。しかし、上林組組長の上林成浩(鈴木亮平)が刑務所から戻ったことをきっかけに、保たれていた秩序が乱れ始める。上林の存在と暴力団の抗争や警察組織の闇、さらにはマスコミのリークによって、日岡は追い詰められていく。 過激な暴力描写と、近年では珍しいピカレスク様式でスマッシュヒットを飛ばした『孤狼の血』の続編。一作目に続き暴力描写が際立っているのが特徴だが、一作目より暴力性は倍増し。一方ストーリー性は後退と言った具合。それで調べてみたら、この作品は原作者の柚月裕子によるものではなく、原作シリーズの1巻と2巻をつなぐ物語としてのオリジナル作品だそうだ。それで一作目と較べると多少毛色が違っていることに納得した。 一作目の魅力というのは、勿論暴力描写も特徴だが、ストーリー的には悪徳刑事である大上が、この地の暴力を止めようと奮闘していたことが徐々に明らかになっていく過程が面白くて、物語としても巧く出来ていた。それに対して本作の場合は、物語よりも描写の方に力が入っているのが特徴となっている。お陰で前作以上に過激描写が激しくなっている。役所広司と鈴木亮平の使い方の違いとも言えるが、このキャラ描写がとにかく凄まじい。直接的な描写こそ少ないものの、楽しんで人の肉体破壊を行うサイコパスキャラは邦画にはあまり見られない暴力描写になっている。極端な性格は現実離れしているが、根源的な悪意そのものを描くのだから、この作品にはうまくはまった。 そんなことでこの作品は悪の皮を被った正義と悪の皮を被った悪そのものの戦いとなり、どっちかというとやくざ映画と言うよりヒーローもののSF作品に近い。 これは作品の続編としては些か物足りない部分はあるが、一本の映画としては正しい。暴力対暴力の描写が凄いし、真っ当ではない裏側から物事を強引に解決しようとする道筋も良い。裏筋と言うことは、金と暴力と人間関係を駆使するということだが、それさえも暴力の方に偏って、まるで後先考えずに目的さえ果たせれば良いという方向性がまるで悪の組織そのものなので、暴力のぶつかり合いが大変面白く感じる。過激すぎて目を覆いたくなるようなシーンもいくつか出ていて、よくこの時代にこれ作れたもんだと変な感心も出来る。 ほぼこの作品は女性が登場せず、濃い顔の男ばかり出てきて、最近の作品では珍しい作りとなっているが、それも良し。結局この作品はキャラの立ち方が尋常じゃないというところだろう。そのキャラ性に点数をプラスさせよう。 キャラだけ見ると『侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦』(2009)対『HK 変態仮面』(2013)な訳だが。 |
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麻雀放浪記2020 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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第三次大戦が起こり、日本はあっけなく敗北を喫してしまう。敗戦国として低迷する日本の中、麻雀は国民的娯楽として認知され、日本中で楽しまれていた。そんな中、突然この時代で目を覚ました坊や哲(斎藤工)。実は彼は1945年で命を賭けた麻雀をしている最中に、突然この時代にやってきたというのだ。戸惑うばかりの哲は、自称アイドル雀士のドテ子(もも)と出会い、その家に転がり込む。そこで元の時代に戻る方法を考える内、ある突拍子もない考えに思い至る。 低迷期の80年代邦画界にあって、あたかも彗星の如く現れて新たな邦画の可能性を示してくれた麻雀放浪記(1984)。私にとって、80年代の邦画で最初に良かったと思えた作品だったし、以降原作者阿佐田哲也作品を読みふけることにもなった。あと、それまで単なるアクション俳優だとばかり思っていた真田広之を初めて本格的役者として認識した作品でもあって、思い出深い作品となった作品だった。 本作はある意味そのリメイクのようなところもある。一応本作はSFという体裁を取っていて、1945年と2020年という二つの時代のタイムトラベルものとなっているが、戦後直後の日本で日本人の娯楽の最たるものは麻雀であるという認識で、似た時代の中で同じような勝負をするという意味合いがあるから。 しかしこの設定を見るだけでも物語はかなり無理がある。2020年時点で何故世界大戦が起こり、現在日本はどんな状況にあるのかの情報だけでも膨大な設定量になるし、更に1945年の時代を描写するとなると、到底一本の映画に収められるような規模ではなくなる。しあも二つの時代を行き来するのだから、そこだけで話が終わりそうなものだ。 ストーリーを進ませるためには敢えてその設定を無視して描かねばならないのだが、だとしたらその設定ほとんど無駄じゃね? だから最初から無理な企画だったのだ。できたものがちぐはぐなものになってしまったのは致し方なしか。 よくそんなのを白石監督が受けたものだとは思うが、演ってることもかなり開き直りっぽさがあって、まるで70年代のバンカラ学生の日常を描くようなものになってしまった。ますます設定の意味が感じられない。 ストーリーにしても松尾スズキ監督の恋の門(2004)のような描写が多く、わざわざ作った意味がやっぱり感じられないまま。 せめて主人公の哲が何故麻雀を含む賭け事に命を賭けねばならないのかのモチベーションの説明があれば無理矢理にも納得させられたのだけど、そこが不十分だったために単なるバカ映画に終わってしまった。 出演者に麻薬取締法違反で捕まってしまったピエール瀧がいて、その出演シーンをカットすることなく上映したとか、メカベッキーとかもいてそれなりに話題にはなったが、「だから何?」レベル。色々酷かった。 |
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孤狼の血 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2018日本アカデミー主演男優賞(役所広司)、助演男優賞(松阪桃李)、録音賞、美術賞、助演女優賞(真木よう子)、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、編集賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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昭和63年広島にある呉原市警察署に日岡秀一(松阪桃李)というエリート新米刑事が赴任した。呉原市は地場の暴力団“尾谷組”と、広島の巨大組織“五十子会”をバックに進出してきた新興組織“加古村組”が一触即発の状態で睨み合っていた。日岡は凄腕ながら暴力団との癒着など黒い噂が絶えないマル暴のベテラン刑事・大上章吾(役所広司)の下に配属されるのだが、赴任当日からいくつもの暴力団を訪ね、その度ごとに日岡に無理難題を言いつける大上。実は暴力団とべったり癒着してる大上の調査を命じられていた日岡なのだが… かつて日本では“実録もの”と呼ばれる暴力団を扱った一ジャンルがあった。有名なのは『仁義なき戦い』(1973)で、原作者の飯干晃一は山口組三代目の田岡一雄からのインタビューを元にしたもので、これが大ヒットしたため、東映では数多くの実録ものが作られるようになった。 ただネタも限られることから、ブームもそう長くは続かず、泥臭さが敬遠される80年代に入るとほとんど作られなくなってしまう。ただ、10年くらいに一作くらいの割で時折作られていた。特に北野武監督がこだわったため、彼の監督作の中心だったし、良い作品も多かったが、北野監督は監督業から退いてしまい、もう作る人がいなくなってしまったかと思われた2010年代。突如再び良作の暴力団映画が作られるようになっていく。他でもない白石和彌監督によるものである。 白石監督のこだわりある暴力描写は北野監督のものとはだいぶ異なるが、70年代の雰囲気を感じ取れる良作を次々生み出している。 そんな中、監督の代表作と言っても良い本作が投入された。本作は正確には実録ではないが、いわゆる暴対法(正式名称は「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」)前の緊張ある時代を舞台にした非常にリアリティのある小説を元にしたもの。汚職刑事と暴力団の馴れ合いという意味では内容的には『仁義なき戦い』というよりも『県警対組織暴力』(1975)の方に近い。 この作品は、監督と俳優のかみ合わせがとにかく素晴らしい作品だった。 この素材を監督できるのは今や白石監督しかいないし、監督のためにあるような素材だった。そしてこの役を演じるのは役所広司しかいないだろう。それくらい見事なはまり具合だった。 そこまでは想像の範囲内。そして思った通りの出来ではあったが、驚いたのは、もう一人の主人公の存在だった。 松阪桃李という役者は若手の中では一歩上行く役者だと思っている。主人公として格好良い役も出来るのだが、同時に汚れ役や情けない役を軽くこなすことができるし、本人もそういう捻った役を喜んで演じている。これだけ幅の広い役をこなせるほどに育っているし、この幅はまさに役所広司の相手役として充分である。なんか役所広司の芸歴と噛み合ってるくらい。強烈な役を演じる役所広司に対してそれをしっかりと受け止める役を演じられていた。 いや、それどころではない。ラストシーンで役所広司が消えると共に、同じ強烈さで取って代わっている。 これは本当に役所広司の後継者として松阪桃李が現れたということになるのではないかとも思う。勿論これからも役所広司は役者を続けてはいくが、同時に松阪桃李がその役を担っていくのかもしれない。 貴重なバトンタッチの瞬間を観たのかもしれない。 ところで本作は評価は高かったのだが、劇場の方は観られなかった。それでテレビ放映を待ってから観たのだが、いつものようにポテチとか飲み物とか用意して、お菓子をつまみながら観始めたところ、オープニングで豚の尻のアップ。更に…流石に食欲無くすぞ。食ったけど。 |
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止められるか、俺たちを | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1969年。学生運動が激しく巻き起こっている中、何事にも夢中になれない吉積めぐみ(門脇麦)は、過酷な環境に自らを置くことで自分探しをしようと、若松孝二監督の事務所の戸を叩く。貧乏製作会社の若松プロはポルノを撮って資金集めをして、自主製作の映画を作っていたが、そのスケジュールは殺人的で、更に若松孝二(井浦新)や足立正生(山本浩司)らは自らを都会のアンダーグラウンドに身を置こうとするため、様々な苦労が助監督には降りかかってくる。次々に逃げ出すスタッフの中、一人屋台骨を支えることになるめぐみだったが… 日本で最も過激な映画プロダクションという伝説の若松プロの過去を描いた作品で、登場する人物のほとんどは実在する人物。そんな彼らが学生運動華やかな1969年という時代に一体何を行ったのかを描く作品。 まずなによりこんなワイルドな現場が実際にあったことという事実が凄い。 特に映画制作という側面で考えると、当時の独立系プロはどうやって映画を作っていたかがはっきり示されていることと、映画作るためになりふり構わずあらゆるものを犠牲にする覚悟がここには表されている。 映画を作るために一体どこまで妥協するのか。 ポルノを作って制作費を得ることで、尊厳のようなものを失ってもいい。自分勝手な発言を繰り返すことで信用をなくしてもいい。過激派と付き合って社会からドロップアウトしてもいい。言われるだけなら犯罪者と言われても良い。 ただ、自分の思ったとおりの映画が作れるならばそれでいい。その目的だけは決して見失わないことが映画作りの矜持となってる。 それこそが至上の目的であり、目的を果たせるならば、その過程を問わないことが若松プロのやり方だったのだ。 一体どこまで堕ちたところで誇りは持続できるのか?そんなことを問われているような話になってる。 これは主人公のめぐみが自分探しに来たという事から始まる物語だから、それを貫いたものとして考えるべきなのかもしれない。 彼女が若松プロの扉を叩いたのは若松孝二の映画にパワーを感じたからで、それだけの求心力のある映画が作られたからなのだが、実際にその世界に飛び込んでみると現実は過酷すぎた。 若松孝二であれ足立正生であれ、とにかく過激。スタッフに対しては人格攻撃までして責めまくり、映画を作ってないときは酒を飲むか女の家にしけこむか、事務所にいても適当な命令を下しまくり、それに反抗を許さない。これに似てるのは、大学とか高校の先輩後輩の間柄。丁度当時のことを描いた『嗚呼!!花の応援団』(1976)のバンカラな世界である。 そんな中で率先してその世界に入り生き抜こうとした一人の女性というところに目を付けたのは慧眼だった。 主人公が例えば男であれば、70年代にそういう作品は結構作られていて、目新しさは感じられなかっただろうが、主人公を女性にしたことで視点がぐっと現代的になった。 現代の目から見る限りでは、理不尽な物事も、率先して女性が行うことで「よくやってくれた!」という賞賛に変わるし、リアリティよりは一種のファンタジー的なものとして受け入れられる。 だからこの時代になって作られる意味は確かにあったと思う。一見間延びしたような印象もあるが、間の悪さも含めてビルドゥングスロマンとしてきちんと機能してるし、意外なラストにも驚かされた。 ただ、一つ勿体なかったことは、若松孝二が作った最大の問題作『赤軍派-PFLP 世界戦争宣言』(1971)がどれだけやばい作品だったのかが本作だけでは全く伝わってこなかったことだろう。この製作現場だけで映画一本作れるほどだし、それでよく完成まで持って行けたという苦労話が出ていたら。とは思うんだが、これはここで語るには重すぎるネタだったかな?これから別な形でこれを描く作品が作られるのかもしれない。 |
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日本で一番悪い奴ら | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016日本アカデミー主演男優賞(綾野剛) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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学生時代に柔道に打ち込み、その腕を買われて北海道警察の刑事となった諸星要一(綾野剛)。性格は真面目ながら、要領が悪く、どうにもうだつが上がらない日々を送っていた。そんなある日、先輩刑事の村井(ピエール瀧)から、「刑事は点数、点数稼ぐには裏社会に飛び込み『S』(スパイ)を作れ」と教えられ、進んで裏社会に飛び込んでいく。その甲斐あって、元暴力団員の黒岩勝典(中村獅童)や、ロシアとのパイプを持つ山辺太郎(YOUNG
DAIS)ら裏からの情報を得て一気に成績が上がる。トントン拍子に出世街道を上り詰める諸星だが… 現職の刑事が自らの成績を上げるために裏社会と手を組み、ついには身の破滅に至るという、どこか昔のドラマを思わせる設定の物語。これが実話を元にしているというのが面白い。 最近になってこの手の「これぞ裏社会」と言った感じの作品は少なくなっていて、そう言う成分が時折ほしいと思っていた折もあって、とても楽しませていただいた。同じく実際の事件を扱った前作『凶悪』と言い、白石監督の攻めの姿勢には頭が下がる。 邦画界では過去にも仁義なき戦いシリーズを代表とするいわゆる「実録もの」という形で実際の事件を扱った映画が何作もある。その中で印象深いのは『県警対組織暴力』(1975)だろう。「仁義」と「正義」の目から見た暴力団と警察のずぶずぶの関係を描いた作品だが、まさしくこれが本作と内容的にもかぶる、なかなかの好作だった。 一応それと較べる形で本作を考察してみよう。 まず何より演出力の違い。70年代に作られた作品と現代の作品とでは、臨場感が違う。どちらが臨場感合ったかと言えば、昔の作品の方が段違いに高い。何といっても生々しさが違う。確かに映像的なリアリティは低く、飛び散る血しぶきがどれだけ墨汁っぽかったとしても、それを演じる役者がみんなギラギラしていて凄く生々しい。対して本作は映像的にはとても優れているし、主演の綾野剛の体当たり演技もあるが、全般的に洗練されすぎてリアリティが逆に薄く感じられてしまう。全般的にお上品にまとまってしまったという印象は受ける。 対して事件そのものに対するリアリティという点に関しては本作に軍配が上がるだろう。ドラマ性を高めるために「仁義」なり「兄弟」などを出さずに全て打算によって成り立っているため、それがとても真実味ある。それに警察内部の組織ぐるみの腐敗が実に縦割り型で、いかにも日本の出来事と思わせてくれるのもリアリティあるし、麻薬に溺れる主人公が、ひたすら水ばかり飲むとかのシーンもかなりリアル。 緊張感のある画面作りもあって、じっくり作り込まれた演出力を感じさせることから、本作は古い実録ものの作品とは別物として考える必要はあるが、リアルな暴力作品として評価されて然りの作品だろう。今こう言う作品はなかなか作られないため、とても新鮮味がある。 |
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凶悪 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013日本アカデミー作品賞、助演男優賞(リリー・フランキー、ピエール瀧)、監督賞、脚本賞 2013ブルーリボン助演男優賞(ピエール瀧) 2013日本映画批評家協会助演男優賞(リリー・フランキー)、新人監督賞 2013毎日映画コンクール男優助演賞(ピエール瀧)、音楽賞 2013報知映画監督賞、助演男優賞(ピエール瀧)、助演女優賞(池脇千鶴) 2013ヨコハマ映画祭作品賞、森田芳光メモリアル 新人監督賞、音楽賞、助演男優賞(リリー・フランキー)、日本映画ベスト第1位 |
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