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息子は深作健太。 | |||||||||||||||||||||||
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2003 | 1'12 死去 | |||||||||
バトル・ロワイアル II〜鎮魂歌(レクイエム)〜 深作健太と共同監督 | ||||||||||
2002 | ||||||||||
2001 | ||||||||||
2000 | バトル・ロワイアル 監督 | |||||||||
1999 | おもちゃ 監督 | |||||||||
1998 | ||||||||||
1997 | ||||||||||
1996 | ||||||||||
1995 | 阿部一族 監督 | |||||||||
1994 | 忠臣蔵外伝 四谷怪談 監督・脚本 | |||||||||
RAMPO(奥山バージョン) 出演 | ||||||||||
1993 | ||||||||||
1992 | いつかギラギラする日 監督 | |||||||||
1991 | ||||||||||
1990 | リメインズ 美しき勇者たち 監修・企画 | |||||||||
1989 | ||||||||||
1988 | 華の乱 監督・脚本 | |||||||||
1987 | 必殺4 恨みはらします 監督・脚本 | |||||||||
1986 | 火宅の人 監督・脚本 | |||||||||
1985 | ||||||||||
1984 | 上海バンスキング 監督・脚本 | |||||||||
1983 | 人生劇場 監督・脚本 | |||||||||
里見八犬伝 監督・脚本 | ||||||||||
1982 | 道頓堀川 監督・脚本 | |||||||||
蒲田行進曲 監督 | ||||||||||
1981 | 青春の門 監督 | |||||||||
魔界転生 監督・脚本 | ||||||||||
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1980 | 復活の日 監督 | |||||||||
1979 | ||||||||||
1978 | 赤穂城断絶 監督 | |||||||||
柳生一族の陰謀 監督・脚本 | ||||||||||
宇宙からのメッセージ 監督・原案 | ||||||||||
1977 | 北陸代理戦争 監督 | |||||||||
ドーベルマン刑事 監督 | ||||||||||
人間の証明 出演 | ||||||||||
1976 | やくざの墓場 くちなしの花 監督 | |||||||||
新仁義なき戦い 組長最後の日 監督 | ||||||||||
暴走パニック 大激突 監督・脚本 | ||||||||||
1975 | 新仁義なき戦い 組長の首 監督 | |||||||||
資金源強奪 監督 | ||||||||||
県警対組織暴力 監督 | ||||||||||
仁義の墓場 監督 | ||||||||||
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1974 | 新仁義なき戦い 監督 | |||||||||
仁義なき戦い 完結篇 監督 | ||||||||||
仁義なき戦い 頂上作戦 監督 | ||||||||||
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1973 | 仁義なき戦い 代理戦争 監督 | |||||||||
仁義なき戦い 広島死闘篇 監督 | ||||||||||
仁義なき戦い 監督 | ||||||||||
1972 | 人斬り与太 狂犬三兄弟 監督 | |||||||||
現代やくざ 人斬り与太 監督・脚本 | ||||||||||
軍旗はためく下に 監督 | ||||||||||
必殺仕掛人<TV> 監督 | ||||||||||
1971 | 博徒外人部隊 監督・脚本 | |||||||||
1970 | 君が若者なら 監督・脚本 | |||||||||
血染の代紋 監督 | ||||||||||
トラ・トラ・トラ! 共同監督 | ||||||||||
雪之丞変化<TV> 監督 | ||||||||||
1969 | 日本暴力団 組長 監督・脚本 | |||||||||
黒薔薇の館 監督・脚本 | ||||||||||
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1968 | 恐喝こそわが人生 監督 | |||||||||
博徒解散式 監督 | ||||||||||
黒蜥蜴 監督 | ||||||||||
ガンマー第3号 宇宙大作戦 監督 | ||||||||||
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1967 | 解散式 監督・脚本 | |||||||||
1966 | 北海の暴れ竜 監督 | |||||||||
カミカゼ野郎 真昼の決斗 監督・脚本 | ||||||||||
脅迫(おどし) 監督・脚本 | ||||||||||
1965 | 顔役 脚本 | |||||||||
1964 | 狼と豚と人間 監督・脚本 | |||||||||
ジャコ萬と鉄 監督 | ||||||||||
1963 | ギャング同盟 監督・脚本 | |||||||||
1962 | ギャング対Gメン 監督 | |||||||||
誇り高き挑戦 監督 | ||||||||||
1961 | 白昼の無頼漢 監督 | |||||||||
ファンキーハットの快男児 二千万円の腕 監督 | ||||||||||
ファンキーハットの快男児 監督 | ||||||||||
風来坊探偵 岬を渡る黒い風 監督 | ||||||||||
風来坊探偵 赤い谷の惨劇 監督 | ||||||||||
1960 | 殴り込み艦隊 助監督 | |||||||||
1959 | ||||||||||
1958 | ||||||||||
1957 | ||||||||||
1956 | ||||||||||
1955 | ||||||||||
1954 | ||||||||||
1953 | ||||||||||
1952 | ||||||||||
1951 | ||||||||||
1950 | ||||||||||
1949 | ||||||||||
1948 | ||||||||||
1947 | ||||||||||
1946 | ||||||||||
1945 | ||||||||||
1944 | ||||||||||
1943 | ||||||||||
1942 | ||||||||||
1941 | ||||||||||
1940 | ||||||||||
1939 | ||||||||||
1938 | ||||||||||
1937 | ||||||||||
1936 | ||||||||||
1935 | ||||||||||
1934 | ||||||||||
1933 | ||||||||||
1932 | ||||||||||
1931 | ||||||||||
1930 | 7'3 茨城県で誕生 |
バトル・ロワイアル 2000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000日本アカデミー編集賞、新人俳優賞(藤原竜也、前田亜季)、作品賞、主演男優賞(藤原竜也)、監督賞(深作欣二)、脚本賞、音楽賞、録音賞 2000ブルーリボン作品賞、新人賞(藤原竜也) 2000キネマ旬報日本映画第5位 |
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忠臣蔵外伝 四谷怪談 1994 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1994日本アカデミー作品賞、主演男優賞(佐藤浩市)、主演女優賞(高岡早紀)、監督賞(深作欣二)、脚本賞、照明賞、新人俳優賞(高岡早紀)、助演女優賞(荻野目慶子、渡辺えり子)、音楽賞、美術賞、録音賞、編集賞 1994ブルーリボン主演女優賞(高岡早紀) 1994日本プロフェッショナル大賞特別賞(渡辺えり子) 1994報知映画主演女優賞(高岡早紀) 1994毎日映画コンクール日本映画優秀賞 |
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吉良上野介に刃傷を起こした赤穂藩藩主・浅野内匠頭により赤穂藩は取り潰しとなった。家老の大石内蔵助は家臣達にやがて来るべき討ち入りを前に浪人となり謹慎を命じるが、その一人民谷伊右衛門(佐藤浩市)は湯屋のお岩(高岡早紀)と出会い、一緒に暮らすようになった。だが、討ち入り決行の日が近づくに連れ、仲間が次々と脱落していき、伊右衛門も吉良家家臣の伊藤喜平衛から孫娘のお梅を嫁にと勧められ、ついその気になってしまうのだが… これまで幾度と無く映画化された人気歌舞伎の二大演目である「仮名手本忠臣蔵」と「東海道四谷怪談」。この二つを合わせて映画化したという画期的な作品。 昔のことだが一時期私は「東海道四谷怪談」にはまってた時期があって、かなりの数の文献を読んだし、テレビでは何回か歌舞伎の舞台も観た。その際、意外な事を知ったのだが、実は「東海道四谷怪談」とは、本当に「仮名手本忠臣蔵」の外伝であるということ。討ち入りを果たせなかった浪人を主人公に、仕える主君や設定をやや変えて、四谷雑談集という怪談話を合わせて鶴屋南北が書いたものが始まりという(異説あり)。 当初忠臣蔵の幕間で演じられたいくつもの外伝ものの一つに過ぎなかったが、その中で出来が最も良かった本作が独立したものが「東海道四谷怪談」となった訳だ。 だから、この作品は本来あるべき形へと戻した作品と言っても良い訳だが… ただ、それにしては、本作の出来はちょっとお粗末すぎたのが問題。 最大の理由は、本来徹頭徹尾主人公であった伊右衛門ではなく、お岩の方をフィーチャーしすぎた事だろう。高岡早紀を売りにしようとした事そのものは構わないんだが、なんか結果として、高岡早紀しか印象に残らない作品になってしまった。 結局四谷怪談寄りにしすぎたため、後半の討ち入りシーンはほとんどギャグそのもの。なんじゃありゃ? まあ、これも深作欣二監督らしさとは言えると思う。この人はあくまでアクション監督であり、自分のやりたいように作ったと言うことなんだろう。この監督にとっては怪談だろうが叙情的な話であろうが、最後は絶対にアクションに持って行くから。 |
いつかギラギラする日 1992 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1992日本アカデミー作品賞、助演男優賞(木村一八)、助演女優賞(荻野目慶子)、監督賞(深作欣二)、脚本賞、録音賞、編集賞 1992キネマ旬報日本映画第7位 1992毎日映画コンクール脚本賞、優秀宣伝賞 1992ヨコハマ映画祭助演女優賞(荻野目慶子)、第2位 |
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かつて悪で鳴らした神崎(萩原健一)と井村(石橋蓮司)に柴(千葉真一)は洞爺湖のホテルの売上金2億円を運ぶ現金輸送車を襲う計画を立てる。その作戦を立案した若い角町(木村一八)を加え、首尾良く現金輸送車から金を強奪するが、2億円あるはずの現金が5千万円しかなかったことから、彼らの間に血で血を洗う抗争が始まる… 1980年代は私が映画のおもしろさを知った年代だったが、この年代の邦画にはかなり幻滅していた。はっきり言って邦画は観るべきもんじゃない。どうせアイドルが下手くそな演技をする作品か、あるいは御大の自己満足の作品しかないと思いこんでいた。観るべき作品があったとしても、徹底した低予算映画しかないし、正直全部あきらめてしまった方が良いと思いこんでいた。 しかし、その考えが変わってきたのが、この作品を観てからだった。確かにハリウッド作品と較べたら、規模はさほどでないのは確かだが、それを上回るパワーをここから感じ取った。低予算だからこそ、キャラクタで見せてやる!と言う意志力がビンビンに伝わってきたし、何より、深作欣治という監督の名前が見事に印象づけられた作品となった(言っちゃなんだが、『里見八犬伝』を観て、「こいつはもうダメだ」と思いこんでいたんだが…)。 派手さは抑えめにしなければならなかったが、和製フィルムノワールとして考えるなら、設定も結構しっかりしていたし(ちゃんとファムファタール的な女性も出てくる)、テンポが良い。何より監督の「俺はこれが撮りたいんだ!」と言う意志力が伝わってくるような気分にさせてくれた。 停滞していた邦画界が、こんなパワフルな作品作れたと言うことが先ずは嬉しい作品だった。 まあ、ストーリーはちょっと陳腐って気もするがねえ。でも、70年代の邦画のパワーというものを90年代に復活させてくれたことを先ずは喜びたい。実際、この系統がやがて邦画の復活へとつながっていくんだし。 |
必殺4 恨みはらします 1987 | |||||||||||||||||||||||
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やっぱり敵役に華があると映えるね。 |
上海バンスキング 1984 | |||||||||||||||||||||||
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“マドンナ”と呼ばれているまどか(松阪慶子)は結婚したばかりの夫の“シロー”波多野四郎(風間杜夫)に呼ばれ、上海にやってきた。彼女は新婚旅行のマルセイユの途中下車のつもりだったのだがのは、実はこれは波多野の計略で、当時東洋のジャズの本場である上海で生活するためだったのだ。早速家を見つけ、クラリネット片手にあちこちに出かける波多野。最初は憤慨していたまどかも、波多野のバンド仲間の“バクマツ”松本亘(宇崎竜堂)やその恋人中国人ダンサーのリリー(志保美悦子)と暮らす内、どんどんこの町に馴染んでくる。彼女を追いかけて左翼学生弘田がやってきたりしたが、バクマツとリリーが結婚したりと、騒がしく充実した日々を送るようになっていた。だが、折しも1937年、日中戦争が始まる… 西武セゾングループが設立したシネセゾン第1回作品で、1984年邦画興行成績9位(『刑事物語3 潮騒の詩』、『天国の駅』、『瀬戸内少年野球団』4作同着)。 本作はそもそも劇団オンシアター自由劇場のオリジナルミュージカルの映画化作品。まるでレビューのように華やかな踊りが入るのはそのため。 この時代は映画界にも軽佻浮薄さが入り込んできた時代で、特にアイドル映画には辟易しており、当時中学生の私はそう言う映画を熱っぽく語る学友を鼻で笑っていたものだが(その時代に戻れたら後ろからぶん殴ってやりたい)、そんな時にこの映画の話を聞いた。聞けば、かなり物語に厚みがあり、革命だか左翼だか、色々なものが詰まった歴史物だという。更に言わせてもらうと当時密かに大ファンだった志保美悦子が出るという(笑) ただ、少ない小遣いの中、危険度が高い本作を観に行く事は出来なかった。代わりに何か他の作品を観たはず(多分香港のカンフー作品だったかなと思うけど、ちょっと記憶が薄い)。実はそちらの方はあんまり記憶がないのだが、本作を観られなかった。と言う記憶だけは結構長いこと続いており、それから10年ほどしてからレンタルビデオで置いてあったのに気付き、それを借りて観た。 多分これ、今の私が観たらかなり低い点数を付けるんじゃないかと思うのだが、これを観た当時は「ああ、やっと観られた」という思いが強かったのか、凄く面白かった。 設定からすれば本来もっと情緒的な作品のはずだが、その辺は深作監督らしく、まるでアクション作品のように仕上げており、どことなく70年代の雰囲気も漂わせている。前半部分で面白おかしく話を展開していき、日中戦争の勃発と共に、一気に話が下降。その匙加減がなかなかよろしい。何せ天国から地獄に真っ逆さまって感じだからね。最後の方になると痛々しすぎるが、それが醍醐味って奴だろう。 ただ、キャラはどうだろう?それぞれ良い役者だとは思うのだが、全般的にミスマッチな雰囲気は否めず。特に志保美悦子に至ってはどう見ても中国人じゃないだろうに(その辺の強引さもあるいは70年代的なのかな?)。 私は本作大好きなのだが、自由劇場のメンバーはこれを不服とし、1988年に自分たちの手で再映画化している。是非今度観てみたいと思う。 |
里見八犬伝 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1985アボリアッツ・ファンタスティック映画祭参加 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1984年邦画興行成績1位 |
道頓堀川 1982 | |||||||||||||||||||||||
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蒲田行進曲 1982 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1982日本アカデミー作品賞、主演男優賞(平田満)、主演女優賞(松阪慶子)、助演男優賞(風間杜夫)。監督賞、新人俳優賞(平田満) 1982ブルーリボン作品賞、監督賞 1982キネマ旬報日本映画第1位 1982毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、女優演技賞(松阪慶子)、美術賞、日本映画ファン賞 1982報知映画作品賞、主演男優賞(平田満) 1982ヨコハマ映画祭助演男優賞(平田満)、第2位 |
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角川書店と松竹の提携作品。 つかこうへいが自らの戯曲を脚色する。つかこうへい色が強い。 東映の撮影所で東映の話を撮っていながら、何故か松竹蒲田撮影所が舞台となっている。 これがカツドウヤの意気と粋。 |
魔界転生 1981 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1981日本アカデミー新人俳優賞(真田広之) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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復活の日 1980 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1980毎日映画コンクール日本映画優秀賞、録音賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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米陸軍研究所で密かに開発された最強の細菌兵器MM−88を積んだ輸送機がアルプスの山中に墜落した。春を迎え、増殖を始めた菌は「新型インフルエンザ」として世界中を汚染し始める。調査のため、南極にいた各国の調査員のみがその災禍から逃れることが出来たのだが… 角川が莫大な予算を用いて投入した小松左京原作のSF大作で、1980年邦画興行成績2位。 かつて私は小松左京のSF小説に夢中になった時期がある。それまで読んでいたジュブナイルとは違って、実に骨太で、それで読み応えがあった。後に海外のSF小説を読むようになっても、彼の小説は私の中では輝きを失わずにいる。 実際、小松左京の作品に触れることによって、高校時代は小説家になりたいと言う思いを強くし、随分経ってから、この人のような文章は到底描けないと言う当たり前の事実に気付かせてくれたのも、やはり彼の小説のお陰だった。大変思い入れが深い小説家である。 小松左京の作品は、ビジュアル的に実に見栄えがするので、次々と小説が映像化されている。例を挙げても『エスパイ』(1974)、『日本沈没』(1973)、『さよならジュピター』、『首都消失』(1987)などがある。 …ただ、多くの作品は失敗の烙印を押されてしまっている。小松左京作品はグローバライズされたものが多く、小さくまとまってしまう傾向がある日本作品とは、まるで質を異にしているのだ。その壮大な物語を映像化するには当時の邦画では、いくら頑張ってみても技術も金も拙すぎた。ハリウッドで作ってくれないか。と一時期本気で思っていたものだ。 それでこの『復活の日』だが、角川映画が当時の邦画最高の24億もの巨費をかけたと言うことで有名になった作品である。更にこの手の作品には引っぱり出される事が多い深作欣二。潤沢な資金が使えるのが幸いし、深作監督の映像表現はかなり見栄えがする。主役の吉住周三役の草刈正雄も格好良かった。 だけど、それでも足りなかった。と言う感じ。物語のバランスがあまり良くなく、小説の中でも小さな扱いだった部分をクローズアップしたり(特にあのレイプシーンは「無駄」とは言わないけど、あんなにしつこく出す必要性がない)、肝要な部分をさらりと流したり、勿体ない作りだった。原作では“冷戦構造を超えて”が一つのテーマだったのに、そこをすっぱりと切ってしまっている。最大の見せ場のはずだった最後の原爆の連鎖爆発が全然説得力無し。原作にあったコバルト爆弾の説明も全く抜きにされているので、何故吉住が最後に生きていられるのか、その説得力がまるで無し。良い余韻が残った小説の終わりとも少々異なってたし。 ただ、映画単体としては、よく頑張ったな。という感じはするし、この当時で世界に出せるだけのSF作品が日本で作られたという事実は大きい。日本でスペクタクルをめざし、部分的にそれを成功させたと言う功績は買うべきだろう。 |
柳生一族の陰謀 1978 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1623年。江戸城大奥にて徳川幕府第2代将軍秀忠が病没した。大奥御典医は、食あたりによる中毒死として発表するが、発症から死までのあまりの早さを指摘するものもいた。三代将軍は長男の家光(松方弘樹)か次男の駿河大納言忠長(西郷輝彦)のどちらかになるはずだったが、その跡目を巡って老中達の折衝が始まった。そのどちらに付くか、柳生一族を束ねる但馬守宗矩(萬屋錦之介)は決断を迫られる。そんな父の命令で旧知の根来の里にやってきた十兵衛(千葉真一)は、彼らと共に陰謀の渦中に身を投じる… 1978年邦画興行成績3位。この年は東映の“時代劇復興路線”と銘打った年で、久々の大時代劇が復活。深作監督も本作および『赤穂城断絶』の監督を担当している。ついでに言えば『宇宙からのメッセージ』もこの年で、監督にとっても最も売れた、多忙な年となっている。 『宇宙からのメッセージ』は時代劇をベースにした和製スペースオペラだったが、それも本作あってこそ。ここでのキャスティングが見事に引き継がれており、特に成田三樹夫は本作で白塗りの公家役。『宇宙からのメッセージ』では銀塗りの銀河皇帝と、ほとんど同じ役を演じているのが興味深い…というか両方観るとつい笑ってしまう。 痛快時代劇と銘打ってはいるが、本作の物語はかなり硬質で、タイトル通り柳生一族の陰謀が主軸で徳川家の跡目争いをコントロールしようとするのだが、その結果が強烈。結局死屍累々の果てに、全てが無くなってしまったというオチも強烈。その分途中、誰が敵か味方か分からなくなってしまう所があって、味方と思っていたら、そいつのせいで殺されてしまった。なんて描写も多い。注意して観てないと話について行けなくなってしまう。 キャラもこれだけの数を出して、ちゃんとコントロールしているのも凄いけど、やはり多すぎて、観てる側が把握しきれなかったり。ごちゃごちゃしすぎかな? ところで、あのオチだが、あの「夢でござる〜〜!」は呆気にとられた。まさか歴史自体をここまで大幅に改竄するか?ラストは口あんぐり。って感じ(実際は徳川秀忠の死が毒殺って事自体がおかしいんだけどね。秀忠は家光に跡目を譲ってからも10年くらい生き続けて、院政のようなものを敷いていた訳だから)。しかしこれこそが後の邦画の行くべき道を暗示していたのかもしれない。一種画期的な作品だったとも言えるんじゃないかな? 助監督に土橋亨。 |
宇宙からのメッセージ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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惑星ジルーシアは、太陽系から200万光年の彼方にある平和な惑星ジルーシアは、強大な宇宙侵略軍ガバナスによって占領されようとしていた。長老キドはジルーシアと宇宙の未来を託し、八つのリアべの実を太陽系連邦へ向けて放つ。その実を拾ったのは、かつて提督として名を馳せたが、官僚主義になった太陽系宇宙軍にいられなくなってしまった酔いどれのガルダ(モロー)、宇宙暴走族のシロー(真田広之)とアロン(カズノフ)、シローとアロンといつも一緒にいる大富豪の娘メイア(岡本茉利)、やくざ者のジャック(岡部正純)ら。太陽系侵攻を開始したガバナスと闘いつつ、リアベの戦士にメッセージを持ってきたエメラリーダ(志保美悦子)と共に、ジルーシアに向かう面々… アメリカで『スター・ウォーズ』(1977)が大人気と聞き及んだ日本映画界は、「次のブームはSFだ」と早速二本の映画製作を発表した。一方が特撮映画では老舗の東宝で『惑星大戦争』(1977)。そして劇場特撮では新興の東映が製作したのが本作だった。だから、本作は、ほぼ誰も(当然監督も)『スター・ウォーズ』を観ていない状態で作られている(だからパクりではないという言い訳が立つ)。 どちらも製作期間は短かったが、東宝の『惑星大戦争』は派手さと言い、特撮と言い、今までの実績を遺憾なく発揮。大規模な宇宙戦争を描いてくれた…とはいえ出来は酷かったが(笑) 対する東映は確かにTVシリーズでは仮面ライダーシリーズや戦隊もので多少なり実績はあったものの、映画ではむしろ時代劇とか任侠ものとかが主軸で、大規模な特撮はあまり得意としてなかった。 それで東映の取った方法は、設定の方にストーリーを合わせるのではなく、なんと自分の映画作りに物語を引き込んで、それに合わせた特撮をしたと言うところ。内容もまさに70年代に邦画界を席巻した東映ちゃんばら映画そのまんま。実際、本作を銃の代わりに刀握らせて、そのまま時代劇に仕上げても何ら問題ないという、一種恐るべき作品を作り上げた。出てくるキャラも千葉真一率いるJACの面々総出演で、見事にキャラが濃すぎ。苦笑いするしかないような設定。 一応原作は野田昌宏が映画のために書き上げたもので、内容もそれなりにSFしているのだが、それで出来た作品は、「里見八犬伝」で、深作監督曰く、「SFのチャンバラ」だと割り切って情緒性やSF的小細工を全部ぶった切り、自分のフィールドに持ち込んで好き放題に作り上げてしまった。 実は本作を観たのは割と最近。ネットで評価を見てもさほど高くないし、それに前に観た『惑星大戦争』の出来があまりと言えばあまりだったので、たいして観る気も無かった訳だ。 はっきり言って本作を観た理由も「変なもの観たらネタになるか?」と言う程度の軽い気持ちだった。 いや、確かにネタにはなる。しかし、それ以上に驚いたのが、「普通に面白かった」と言うことだった。そりゃ70年代の東映映画知ってる身としては、「これのどこがSFやねん。まんま時代劇やんか!」と思いっきりつっこみ入れたくなるようなものではあるが、敢えてSFとかなんとかをぶっ飛ばし、“東映らしさ”を優先させたこの作りは、感動さえ覚える。この開き直り方がとても心地良い。 なんつっても千葉軍団がやりたい放題だから、肉体を使ったアクションが目白押しで、それに銀塗りの格好と爆発を加えれば「これがSFだ」になってしまうのが凄い。 それにキャラがとにかく笑える。成田三樹夫や千葉真一が銀塗り顔でドアップかますわ、老婆役で天本英世が出てくるわ…これで笑えない方が無理。ヴィク=モローもさぞかし驚かれたことだろう。 終始ガハハと笑いながら観ることが出来た。これも又、日本の誇る特別な作品(と言う意味での“特撮”)。これだけ楽しませてくれたのだから、点数も大甘。 ちなみに本作に鳴り物入りで登場したのがビク・モローだったが、日本では「コンバット」で知名度はとても高かったが、実際に本国アメリカではさほど顧みられるキャラではなかった。実際アメリカで公開された時は、モローよりも先行してグラインドハウスで公開されていた『激突!殺人拳 The Steet Fighter』(1974)のお陰でサニー千葉の方が知名度が高かったという逆転現象を起こしていたとか。皮肉と言えば皮肉な話だ。 |
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ドーベルマン刑事 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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北陸代理戦争 1977 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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北陸富安組組長の若頭川田登(松方弘樹)は、すでに実力的に安藤組を手に入れており、親分の安本(西村晃)に対しても傍若無人に振舞っていた。そんな川田に手をやいた安本は大阪浅田組の力を借りようとする。だがかねてより北陸への進出を狙っていた浅田組斬り込み遂長の金井八郎(千葉真一)はこの機会に安本対川田の仲介役という名目で北陸にのり出すことにする。金井の罠によって闇討ちに遭い、更に刑務所に入れられてしまった川田が出所した時には、すでに北陸は金井の手の内に… 「北陸の帝王」の異名を取り北陸一帯に勢力を振るった川内組組長・川内弘をモデルにした実録作品で、この作品を最後に深作監督は実録ものから足を洗うこととなったといういわくつきの作品。 実は撮影時に川内は存命で(実は撮影にもエキストラで参加してるとか)、しかも劇中のいくつかのエピソードは現在進行形という、そういう意味ではとんでもないリアリティを持った作品だったらしいだが、そのリアリティ故に川内は恨まれることとなり、撮影後すぐ川内弘は射殺されてしまった(これは三国事件と呼ばれる)。もちろん劇中に描かれる通り、相当あくどいことをやって、恨みを買っていたのは事実だが、映画のために人が死んだという事実は重い。深作監督自身当時このことについて何も語らなかったそうだが、これを機に実録ものから離れたという事実は、相当な精神的ダメージを示したものと思われる。 物語のクォリティそのものはやや平板な印象で、『仁義なき戦い』と較べるとやや落ちるものの、ここでの仁義の無さというのは徹底しており、親分に対する仁義も、他の組と交わす約束も全て守られることはなく、たった一人がのし上がるために、とんでもない量の血が流れていく。無茶苦茶に乾いた描写が特徴的で、これこそ本当の『仁義なき戦い』を冠されるべき作品だとも言えよう(本作が何故『仁義なき戦い』のタイトルが付けられなかったかは、菅原文太が出ないから。と言う単純な理由によるものらしいが)。これほど荒廃した物語の作品はなかなか観ることが出来ない。描写も徹底しており、ラストの雪の生き埋めなんかは本当に体当たりで作ってる感じ。 しかもそれが今現在起こっている事実を基にしているという事実は重い。 |
新仁義なき戦い 組長最後の日1976 | |||||||||||||||||||||||||||
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日本最大級の暴力団である大阪の坂本組は、尼崎の河原組と抗争を繰り広げていた。小競り合いから始まった抗争は、やがて日本各地の暴力団を取り込みつつ、報復に次ぐ報復で多量の死者を出すに至る。やがて九州・広島・下関の組織からなる七人会のバック・アップを得た河原組に、多くの団を擁するために取り回しの効きづらい坂本組は徐々に押され気味になっていく。そんな中、北九州にある玄竜会では、若頭の野崎修一(菅原文太)が大阪に行くように命じられる… 新シリーズも3作目となり、広島、北九州と来たら、次は当然大阪。ただし主人公は北九州出身とのことなので、菅原文太は前回に続いて博多弁で演じている。今回の菅原文太はこれまでの“仁義”からは随分離れたところにいて、まるで鉄砲玉のような役割となっていたため、かなりその造形に違和感もあるが、同じ監督と同じ役者でこれだけ違った造形となるのが面白いところだ。 それでこの話の面白さでもあるが、主人公である菅原文太が最後を締めない。最後に敵組長を倒したのは名も無きちんぴらってのも、物語としては皮肉が効いていて面白い。 尤も、最早最初のシリーズが持っていたポテンシャルを既に失い、抜け殻のようになってしまっていたからこそ、こういう搦め手の物語に逃げざるを得なかったのか?とも思う。 |
新仁義なき戦い 組長の首 1975 | |||||||||||||||||||||||||||
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1968年。密輸品水揚げの最大港関門海峡を挟む大和田組と共栄会は、その莫大な利権をめぐって対立していた。大和田組に雇われた流れ者黒田修次(菅原文太)は、大和田組の組員である須川とともに、共栄会会長の正木を殺害した。殺人罪で黒田が収監されている間、大和田組は勢力を拡大し、報酬を受け取るために仮出獄した黒田が大和田組を訪ねると、そこは大きく様変わりしていた。かつて黒田を雇った楠鉄弥(山崎努)は遠ざけられ、新たに台頭してきた大幹部らによる内部紛争が始まっていたのだ。否応なくその勢力争いに巻き込まれてしまう黒田… 大好評の内に終了した仁義なき戦いシリーズの名前とキャストを同一とした、新たなるシリーズの第2作になる本作。これまで実録の広島での争いを描いていたが、本作ではそれを一新し、北九州を舞台にした一種のクライム・ファンタジーとして仕上げられてる。 このシリーズで一番の関心はやっぱり菅原文太の立ち位置になるだろう。仁義なき戦いでは広能という、義理人情を重んじ、いつも貧乏くじを引きながら耐え続ける男を演じ、それが大きな受け要素だったのだが、新シリーズになると、随分性格も違った役をやるようになってきた。この作品の黒田役も、やっぱり耐える役割を与えられているものの、その耐え方が、いかにも自分の立身出世をちらつかされて。という感じで、今ひとつ感情移入が出来にくい。そのためには平気で裏切る…と言うほどではないけど、人を蹴落とすことが当たり前になってるし。 で、結果的に黒田が得たものは何かというと、組の杯をもらったというところで終わる。あれれ?それだけなの?本当だったら、こっから始まりじゃないの?折角だからこのままもう一作くらいこの話を引っ張って欲しかったな(実際後一作あると知ってたので、てっきりこの後の話かと思ってた)。 人間同士の争いよりも機械関係が多くなったが、演出の派手さと容赦のなさは相変わらず質が高いのだが、物語とはややちぐはぐな部分もあり。なんかあんま盛り上がらないから、無理矢理暴力シーンやカーチェイスシーンを入れたような感じもあり。 悪くはないんだけど、なんか不完全燃焼。 |
資金源強奪 1975 | |||||||||||||||||||||||||||
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県警対組織暴力 1975 | |||||||||||||||||||||||||||
1975ブルーリボン主演男優賞(菅原文太) | |||||||||||||||||||||||||||
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1957年。それまで血で血を洗う三宅組と大原組の暴力団の抗争にようやく終止符を打った倉島市。組を解散することで手打ちをした三宅組組長の友安政市(金子信雄)が市の実権を握り、大阪系の三宅派系暴力団員を次々に市に迎え入れていた。そんな中、倉島署の刑事二課部長の久能徳松(菅原文太)は、市の安全を守るためと割り切り、大原組と癒着して情報を流してもらっていたのだがそんな折県警本部から若手エリート警部補海田昭一が赴任し、暴力団と警察の癒着を完全に断ち切ると宣言し、久能を捜査から外す。だが三宅組系の台頭により、市の安全はますます悪化していき、久能と懇意にしていた大原組の広谷賢次(松方弘樹)も窮地に陥り、久能に助けを求めるのだが… 深作欣二監督が発明したと言っても良い実録ものが一気に流行った70年代。この波に乗った東映は矢継ぎ早に『仁義なき戦い』のシリーズを投入することになるのだが、その合間を縫うようにして、実録に見立てた完全フィクションの作品をここに投入。仁義シリーズのほんの少しの空いた時間を使った早撮り作品かと思うのだが、本作は映画としての完成度が高く、東映暴力ものの傑作の一本として数えられるものとなっている。 監督や脚本が意図したかどうかはともかく、本作の完成度をぐっと引き上げているのは、“正しさとは一体何だ?”という領域を描いていることだろう。 正しさというのは人の数だけあると言われればそれまでだが、フィクション、特に映画においては結構それは明確で、立場の弱い人間に対して寄り添う立場というのが正義の基本となる。時にそれは法よりも優先されるべきものであり、逆に弱いものを虐げる以上、法を守る立場にある人間を悪者とすることも映画的文脈では正しい正義のあり方となる。 その立場から見るならば、仁義を貫き、弱いもののために戦う立場にある暴力団も正義になるし、周りからいじめられ、立場を弱くしているならば、彼らは弱いものであり、それを助けるのが正義となる。 これは明確に話されることはない不文律なのだろうが、映画を観る人は基本その文脈で映画を観ることになる。 しかるに本作は、主人公が汚職警官でやくざものとの癒着を深めているという立ち位置にある。彼にとって、今や落ち目のやくざものは、弱い立場にある存在であり、彼らを助けることは、映画的には正義となる。 しかもやくざ役の松方弘樹の存在感が何ともいい具合で、彼との友情を壊したくない。壊すのは正義にもとる…ように見えてしまうところが絶妙。 彼を助ければ映画的には正義を貫くことになるが、法的にも倫理的にも間違ってる。しかもその間違っていると言う事を明確にした上で、やはり映画的正義を敢えて強調する作りになってる演出が又見事。 (法的倫理的に)正しい事を取るか、(映画文脈的に)正しい事を取るか。正しさと正しさのぶつかり合いをこれだけ正面切って描いたのはなかなか見られない。そのぶつかり合いを観ることが本作の醍醐味だろうし、その結末はなるほどこう落とすしかないのか。というもやもやしつつちゃんと落としてる部分も上手い。 そんな意味も含め、確かに本作は東映70年代暴力映画の傑作の一つに数えることが出来るだろう。 ちなみに本作は倉島という架空の地方都市を舞台にしているが、実質的には広島が舞台で、『仁義なき戦い 完結篇』のその後の話でもある。流石に警察を巻き込んだ話のため、実録にすることが出来なかったという裏事情も垣間見られる。 |
仁義の墓場 1975 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1975ブルーリボン監督賞 1975キネマ旬報日本映画第8位 |
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戦後暴力団史上最も凶暴な男とされる石川力夫の人生を描く。 |
新仁義なき戦い 1974 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1940年。広島の暴力団組織山守組の若衆である三好(菅原文太)は、組長山守(金子信雄)の命令で敵対する土田組組長を暗殺し、11年の刑を宣告された。だが彼の服役中、山守組は肥大化し、山守を推す坂上元(田中邦衛)、若頭青木尚武(若山富三郎)、中立派の難波茂春(中谷一郎)の3派に分かれていた。そんな時に出所して山森組に舞い戻った三好が出所して以降、彼を巡ってその抗争はエスカレートしていく。 1975年邦画興行成績9位。広島で起こった実話を元にした『仁義なき戦い』5部作がこの年終了。大ヒットを記録したシリーズに気を良くした東映は、間髪無く同じ深作監督に新シリーズの『仁義なき戦い』を作らせることとなった。以降はシリーズとしても続き物ではなく、日本各地の暴力団組織の話へと移っていくのだが、新シリーズ最初の一本目は5部作と同じく広島の山守組を舞台に。しかもシリーズが始まる5年前にさかのぼっての話となる。これによって、主人公も広能から三好という男に変えられたが、組長の山守は同一人物として金子信雄が続投という変則的な話になってる。むしろ『仁義なき戦い』の外伝として観るべきだろう。 話自体は1作目『仁義なき戦い』によく似た構造を取っているが、これまで二年かけてみっちりと作り上げてきただけあって、キャラがそれぞれ脂の乗った演技を見せているし、残酷な演出も映えている。その意味では、なるほどこのシリーズをすぐに切るには勿体ない話だったというのはよく分かる。 ただ、本作の場合、致命的にストーリーが弱すぎるという問題がある。元より1作目の一エピソード(松方弘樹のやつね)を焼き直しただけで、ショートエピソードを無理矢理長引かせただけのため、非常に話が間延びして見えてしまう。しかもシリーズを観た人だったら、物語のオチも分かってしまってるので、そこで全然浮かれる部分が感じられないのが致命的。 その分残酷描写や色気のシーンをかなり増した作りになっているのだが、そのパートがどうしても浮いて見えるのは仕方ないところか。演出ばかりに力を入れた作品はリアルタイムで映画館で観なければ、多分本当の面白さは分からないのだろう(私はビデオで拝見)。 キャラの描写はなかなか良し。今回菅原文太は広能役ではないため、あれほどストイックでもなく、むしろ平気で暴力を振るう乱暴者に仕上げられている。差別化はしっかり図られていたし、何よりシリーズを通して同一キャラを演じた金子信雄はますますワルぶりが堂に入っている。自分には何にも出来ないとか嘆きつつ、あらゆる手練手管を使って有能な人間をコマの如く動かし、最後に実利をがっぽりいただいてしまう。極悪非道なことをやればやるほどかえって格好良く見えてしまう…というか、観てるこっちがにやけてしまうようなキャラに仕上げられ、確実にこのキャラが裏の主人公を張ることでこのシリーズは面白かったのだ。と言うことを再確認させてもらった。 |
仁義なき戦い 完結篇 1974 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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警察による“頂上作戦”により壊滅的打撃を受けた広島やくざだったが、やがて山守組、打本会、大友組の三巴の対立が明確化していった彼らは警察の目を欺くために山守義雄(金子信雄)を会長に、政治結社「天政会」を発足させた。そして1966年。天政会二代目会長となった武田明(小林旭)は天政会を大きく拡大させようとし、その傘下で押さえつけられ始めたやくざ組織。殊に獄中にあった広能昌三(菅原文太)は天政会に牛耳られた自らの組広能組が犯行を企てていることを知るのだが… とりあえずのシリーズ完結編で、1974年邦画興行成績7位。 前回の『頂上作戦』で既に第一線から退いた形となった広能が、既に自分では若い組員がコントロール出来ないことを痛感させられる話となっている。実はこの若い組員こそが、若き時代の広能達がやってきたことなのだが、一旦上に立ってしまうと、それは抑えなければならなくなる。それが立場の違いと言う奴だが、考えてみると、戦国時代の武将も同じような苦悩を抱え込んでいたのだろう。 そう言うことで、この話は『頂上作戦』に続き、若手の行いが中心となる訳だが、前回のように広能が完全に引っ込んでいた訳じゃないので、その痛々しさが余計際だつ。これは何も広能だけじゃなく、これまでも実を取るため散々「儂はもう駄目じゃ〜」を繰り返していた金子信雄演じる山守も、言葉こそ同じ事を言ってるものの、今回のそれは大変痛々しく感じられる。この辺は演出の巧さか。それがとても寂しく感じられる。勿論山内の腰巾着で、世渡り上手なだけで一家をなした槇原(田中邦衛)が、とうとうここで死んでしまうのも寂しいところ。 結局本作の目的とは、その“寂しさ”の演出にあったのだろう。その意味では見事な作品なのだが、どうしてもその寂しさって奴が、後味悪くて。 結局、広能の努力虚しく、若手の暴走はまだ続いていく。やくざの抗争は終わらない… |
仁義なき戦い 頂上作戦 1974 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1974キネマ旬報日本映画第7位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1963年。西日本広域暴力団明石組と神和会との抗争は広島において激化。明石組系の打本組(広島)と広能組(呉)、神和会系の山守組(広島)の双方の戦いは代理戦争の様相を呈していた。それに対し警察は暴力団撲滅運動に乗り出し“頂上作戦"を敷いた… 太平洋戦争直後から始まった広島抗争劇もここにおいて約20年の年月が流れたという設定で、『広島死闘篇』(1973)では犬食ってた位に小さかった広能組も呉で大きな組織へと変わっている。シリーズの一本として観るならば、それなりにまとまった話ではあろう。だがあくまでそれは「シリーズの一本」であり、単体として観ると、ごちゃごちゃした歴史的経緯に飲み込まれてしまい、訳が分からなくなってしまう。演出の激しさこそは健在なれど、あくまで抗争の一部でしかない。 実は私が初めて本シリーズを観たのは本作で、何だか訳が分からなかったという印象しかなく、それで長いことシリーズを観てなかったという経緯もあり。 菅原文太がどれだけ格好良いか?と思って観ると、実は全然登場してなかったりするので、肩すかしに合う が、本作の主役は鉄砲玉として扱われる小倉一郎。主役としてはちょっと力不足だったかな?お陰で広能の立場は、自分を慕って集まってきた若者達の死屍累々たる骸を見ているしかない。と言う役割しか与えられてなかった。 次の『完結篇』(1974)で広能の引退に至るための伏線として考えるならば、その虚しさの演出こそが本作の狙いだったのかも知れない。 助監督に土橋亨。 |
仁義なき戦い 代理戦争 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1973キネマ旬報日本映画第8位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1960年。広島市最大の暴力団村岡組実力者杉原が九州のやくざに殺された。これによって村岡組の跡目を巡り熾烈な抗争が起こることになった。山守組長の山守(金子信雄)も村岡組の跡目を狙っており、その手駒のために呉で細々と組を作った広能(菅原文太)を広島に呼び戻し、広能組を無理矢理村岡組に入れてしまう。山守の野望は見事に実り、背後から抗争を煽って見事山守組を広島最大の組へとのし上げたが… 当時人気絶頂のシリーズの第三弾で、深作監督の演出も冴え渡り、1973年邦画興行成績も8位と大健闘(この年は三部作で7〜9位を独占)。 第2部である『仁義なき戦い 広島死闘篇』(1973)が外伝的な作品だったため、実質的には本作が第2部となる。しかし暴力団の世界とは摩訶不思議。タイトルにあるとおり「仁義なき」で、実際それでのし上がったのに、心のどこかで「仁義」を信じ、筋を通そうとする広能。その人の良さにつけこまれ、一旦袂を分かったはずの山守に又しても利用されてしまう。 1作目『仁義なき戦い』(1973)であれだけはっきりと決別したはずなのに、まるでそんなことなど無かったかのように笑い顔を見せながら近づいてくる。それで広能も良いように使われてしまう訳だが、むしろ本作では広能よりも山守の方がむしろ魅力たっぷりに見えてしまうのが面白い所。 これはおそらく狙ってのこと。『仁義なき戦い』で悪役として登場したはずの山守が、金子信雄の好演もあって大人気になってしまい、これはもう、こいつを徹底的に強調してみよう。という深作監督の狙いが見事に当たったのだろう。 実際本作の主役は山守だとしか思えないような作りになっている。自分の野望を実現させるためには人に頭を下げたり涙を流したりすることに全く躊躇がなく、それでちゃっかり実を全部取ってしまう。本来憎々しい役柄のはずなのに、金子信雄が演じてると、妙に魅力が出てくる…これも人徳かね? 勿論それだけじゃない。心のどこかで確かに「仁義」なるものを信じてる節がある広能も、ちゃんと逃げ道を用意してたりと、したたかさを見せ始めているし、利用されっぱなしのように見えて、その中でしっかり自分の組を大きくさせることに成功させてるし、鉄砲玉役の小林旭も存在感ありまくり。 それに山守を中心にすることによって、話もより広範囲に、戦略的なものへと移っていて、裏切りに次ぐ裏切りがとにかくてんこ盛り。物語としても充分すぎる面白さを見せてくれてる。 以降徐々に沈静化していくシリーズではあるが、本作を含めて1〜3部は間違いなく傑作と言えよう。 助監督に土橋亨。 |
仁義なき戦い 広島死闘篇 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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広島では終戦直後から村岡組と大友連合会が抗争を続けていた。しばしの休戦状態であったが、1947年村岡組が広島競輪場の支配を独占したことで大規模抗争へと発展。そんな時、博打が元で捕まり、広能(菅原文太)と同じ留置所に入れられていた山中正治(北大路欣也)は出所後すぐに大友組と喧嘩をやらかし、村岡組の関係者靖子(梶芽依子)に助けられたことが元で村岡組の杯を受ける。喧嘩っ早い山中は持ち前の無鉄砲さで頭角を現していったのだが… 『仁義なき戦い』レビューで前述したように、大ヒットを記録したため、東映は急遽本作をシリーズ化。これもヒットし、1973年邦画興行成績9位という成績を残す。 本作の面白い所は、主人公を広能では無くし、鉄砲玉の山中という人物を中心としたこと。この人物はなんでも広島戦争にあって「任侠の鏡」と称された人物らしいが、1作目であの終わり方をさせておいて、全く関係ない人物を主人公にするとはなんとも冒険心溢れた作品といえよう。これは実質的に一本目のヒットはストーリー云々よりもヤクザ世界の本当の“仁義なき”姿をあからさまに描いたからこそ。という事実をよく捉えていた結果だ。というか、これを冒険と思わせない所に深作監督の実力を垣間見させてくれる。 事実、本作の描写は“仁義なき”という点においては1作目よりも突出している。主人公はしがないヒットマンで、仁義を感じることもなければ、巧く立ち回ろうともしていない。だからこそ利用され尽くされて最後は死を余儀なくされてしまう。なんとも哀しい役回りだし、本当に最後はなんの救いもないという、容赦ない描写が映えていた。 一作目との対比で考えると、一作目が会社を統轄する側(あるいは中間管理職)だったのに対し、こちらはひたすら企業戦士の側で考えられていると言うことになるだろう。おだてられ、褒美を与えられ、使える内は徹底的に使われて、役に立たなくなるとあっという間に捨てられる。そんな人間を描写することで、共感を得たんじゃ無かろうか?描写は更に過激になったとは言え、一作目とはベクトルそのものが多少違っているのだ。この哀しみを怒りに転換することがモチベーションへとなり得た作品なのだ。それにもう一つ。ここには「戦争で死にきれなかった」事に対する後悔もありそうだ。山中が「任侠の鏡」たり得たのは、どんなに情けなくとも、戦争で死ぬことが出来たことが大きいのだから。 暴力やエログロさは一作目を超えており、特にここでの千葉真一の描写は凄かった。サングラスを決して外さず、卑語連発(伏せ字さえなし)。常に苛ついて回り中の人間に噛みつき続ける。こりゃ千葉真一の独壇場だよ。それに北大路欣也演じる山中も、単なる被害者ではなく、自分の暴力で事態が変わることを願って虚しい暴力を繰り返すという、かなり過激な役回りをきちんと演じきっていた。それにやっぱり利用されっぱなしの薄幸な梶芽依子が絡むことで、暴力による非情さは更に際だつ。 今回は傍観者の側に立った菅原文太だが、貧乏な広能組を舎弟達に支えられて細々と運営し、それをやっぱり金子信雄の山守に利用されてしまう描写が泣かせる。食の描写が好きな私としては、「こりゃ何の肉じゃあ!」だけで菅原文太を出した価値があると思えてしまう。更に一作目で総取りしてた金子信雄は今回もおいしい所をみんなかっさらってしまうというおいしい役柄だったのも良い。 ところで、聞いたところによれば、本作がほぼ唯一、放送禁止用語が通った企画らしい。いや、実際あの千葉真一の台詞聞いたときは唖然としたもんなあ。その意味ではコレクターアイテムとして重要な作品かも? |
仁義なき戦い 1973 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1973キネマ旬報日本映画第2位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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終戦直後の呉。復員してきた広能昌三(菅原文太)は若さをもてあまし、暴力の渦中に身を置いていた。その度胸と気っぷの良さを見いだしたのは新興やくざ山守組の組長である山守義雄(金子信雄)で、広能は山守の杯を受ける。当時呉にあった四つの組は抗争中で、山守組は上田組と手を結んで土居組組長土居を暗殺することに成功した。だがその立役者となった広能は山守よりやがて邪魔者扱いされるようになり、結局は土居殺害犯として自首に追い込まれてしまう。そして広能なき呉では、ますます血を血で洗う抗争が起こっていくのだった… 日本暴力団抗争史上で最も多くの血を流した“広島ヤクザ戦争"をドキュメンタリー的に描いた作品で、東映の実録やくざシリーズの第一作目。。原作は抗争渦中の美能組元組長の獄中手記をもとに書き綴った飯干晃一の同名小説で、1973年邦画興行成績7位。このヒットに気をよくした東映は次々と続編を投入していく。丁度昨年、ハリウッドでも『ゴッドファーザー』が作られているので、日本においては見事に日米やくざ映画がそろい踏みしている。 東映はこれまで数々の人気シリーズを劇場に投入していった。東映作品の特徴として、色々なタイプの映画を投入し、その中でヒットしたものがあったら、それをとことん続かせていく。水物と言われる映画を作り続けていくための東映が取った独自のスタイルとも言えるだろう(これは当然テレビでも似たような所があって、東映の作り出した数々の特撮作品はシリーズ化したものが少なくない)。 戦後の映画になると、当初はチャンバラは東映!と言われたが、それが下火になっていくと、代わりに任侠作品をどんどん投入していった。そしてそれも下火になっていくと、今度は様々なタイプの作品をばらまいた(言い方が悪いけど)。その中でいくつかのヒットが生まれていったが、本作はそのうちの一つ。これまでの“任侠もの”に対し、“実録もの”と呼ばれるジャンルを確立した作品なのだが、そもそもは大作を目して製作されたものではなく、“下手な鉄砲も数打ちゃ当たる”精神の一貫として(またまた言い方が悪いけど)作られた一作がたまたま大ヒットを記録したから。 しかし、こういう作り方は、その時代というものを見るのにまことに役立つ。 今だから言えることではあるのだが、本作が作られたのは、これまでの朝鮮戦争の特需景気が終わった後、オイルショックを経て、国際的な経済戦争へと立ち上がった日本という国そのものをよく示していた。暴力の中に、リアルな歴史というか、空気が読み取れるのだ。 それまでアメリカの庇護下にあって(しかも1ドル360円という固定相場制で)ぬくぬくと商売をしてきた日本がようやく商売の世界の厳しさを知るに至り、そのショックを経てめきめきとその実力を示し始めた時代なのだ。商売に甘いことを言っちゃならない。薄利多売で質の良いのを売っているのだから、他の誰にも文句は言わせない!という強引な商売を始めた日本という国そのものがまさに“仁義なき戦い”を世界に対して始めた時代なのだから(この時代のやり方が後にジャパン・バッシングを呼ぶようになったが、戦いにあって、それこそが勲章だったのだ)。 自分の主張を通すためには義理人情など関係はない。むしろそう言うことを信じている人間を食い物にしてこそ本当に成り上がっていくのだ。この姿に当時のビジネスマンは痺れたのだと思う…つまり、この作品の主人公、そして最も感情移入されたのは、実は菅原文太演じる広能ではなく、姑息で常にいやらしい笑いを浮かべつつ、全てを手中にしてしまう金子信雄演じる山守の方ではなかったのだろうか?…事実、本作においてどちらが魅力的か?と言われると、私もそう思ってしまうくらいだから(笑) もちろんだからといって、広能が魅力的じゃないか?と言われると、全く逆。この人の魅力も大変大きい。広能の役回りは、冷静な目で物語の推移を見ていて、その中で生き残りながらも、どこかに義理人情を信じたいという思いがあって、肝心なところで貧乏くじを引かされる役回り。古い任侠ものの主人公と新しいタイプの頭の良いやくざの特質を併せ持った存在。こう言うのが一番感情移入しやすい。 だから最後まで広能は山守に利用されっぱなしじゃない。兄弟分の坂井の葬儀をめちゃくちゃにした銃弾と共に決別の言葉を叩きつけるのだ。「弾丸はまだ残っとるがよ」と。彼の戦いはこれから始まるのだ。この姿も又、日本人がこれからならねばならない姿だったはずなのだから。 そう。戦いはこれから始まる。その思いを持って劇場を後に出来るのが、当時の企業戦士にとっては最も重要なモチベーションだったのだから。 しかし、本作の造りは凄い。特にオープニングの雑然とした雰囲気がいきなり暴力と血によって一変する描写はゾクゾクするほどのすさまじさ。ポータブルカメラを多用したお陰でぶれが激しく、瞬間瞬間では何がなんだか分からず、ただ凄まじい音ばかり。時折ピントが合うと、それは歪みまくった人間の顔であったり、ちぎれた腕であったり、真っ赤な血であったりする。スタイリッシュに凝り固まった現代のカメラではやってはいけないとされている古い作りなのだが、その生々しさの迫力は今観てこそ凄まじさが分かる。現場での混乱をも演出にしてしまう深作欣二の実力が遺憾なく発揮された作品で、テーマと監督の技量が見事に噛み合った例だ。なるほどタランティーノが惚れ込むわけだな。 一説では、本作は当時の学生運動家に大いに支持されたという。内ゲバ闘争と照らし合わせてのことらしい。 |
博徒解散式 1968 | |||||||||||||||||||||||||||
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ガンマー第3号 宇宙大作戦 1968 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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