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CINE‐MANGA スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲(コミック) CINE‐MANGA スター・ウォーズ エピソード6 ジェダイの帰還(コミック) 画集 アート・オブ・スター・ウォーズ ジェダイの復讐「特別篇」 |
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ランド・オブ・ウーマン/優しい雨の降る街で 製作総指揮 | |
2006 | ||
2005 | スティーブ・マックィーン:男の神髄 出演 | |
2004 | ||
2003 | ドリームキャッチャー 監督・製作・脚本 | |
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | マムフォード先生 監督・製作・脚本 | |
1998 | 100万回のウィンク 製作 | |
1997 | ||
1996 | ||
1995 | フレンチ・キス 監督 | |
1994 | ワイアット・アープ 監督・製作・脚本 | |
1993 | ||
1992 | ボディガード 製作・脚本 | |
1991 | わが街 監督・製作・脚本 | |
ブロンクス/破滅の銃弾 製作総指揮 | ||
1990 | 殺したいほどアイ・ラブ・ユー 監督 | |
1989 | この愛の行方 製作総指揮 | |
1988 | 偶然の旅行者 監督・製作・脚本 | |
1987 | ハート泥棒 製作 | |
1986 | ||
1985 | シルバラード 監督・製作・脚本 | |
1984 | ||
1983 | 再会の時 監督・製作総指揮・脚本 | |
スター・ウォーズ ジェダイの復讐 脚本 | ||
1982 | ||
1981 | 白いドレスの女 監督・脚本 | |
Oh!ベルーシ絶体絶命 脚本 | ||
レイダース 失われた聖櫃 脚本 | ||
1980 | スター・ウォーズ 帝国の逆襲 脚本 | |
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | 1'14 フロリダ州マイアミで誕生 |
ドリームキャッチャー 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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フレンチ・キス 1995 | |||||||||||||||||||||||
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飛行機嫌いのケイト(ライアン)は、フランスに行った婚約者がそこで「運命の人」に出会ったと聞かされ、カンカンに。恋人を追いかけ、悪夢の飛行機に乗る。たまたま隣に乗り合わせた泥棒のジャック(ケビン=クライン)は彼女のバックに盗品の宝石を忍ばせるのだった。かつてジャックに命を助けられた過去を持つ刑事(レノ)を巻き込み、物語は二転三転。その中でケイトとジャックは自分の気持ちに気付いていく。 登場人物が見事にツボにはまったコメディ作品。メグ=ライアンはやはりラブコメ向きなんだな。バイ・プレイヤーとしてのジャン=レノがいい味出している。 しかし、カスダン監督ってここまで軽快な作品を作れるのに、前年の『ワイアット・アープ』は見事なほどに間が悪い作品だった。力抜いて作った方が合うのかな? |
ワイアット・アープ 1994 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー撮影賞 1994ゴールデン・ラズベリー最低主演男優賞(コスナー)、最低リメイク・続編賞、最低作品賞、最低監督賞(マドセン)、最低スクリーン・カップル賞(コスナーと三人の妻達) |
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厳格な父親に育てられ、反発や酒浸りなど様々な葛藤を経てダッジ・シティのシェリフとなったワイアット・アープ(コスナー)兄ヴァージル(マドセン)、弟モーガン(アシュビー)と共に、法の執行者として町に尽くす。ある時、彼は肺病病みだが銃の腕は確かな男、ドク・ホリデイ(クエイド)と知り合い、2人は親友となるのだが、クラントン一家とマクローリー一家のために無法状態となっていた事を聞き… アメリカ人にとって実在の人物としては最大のヒーローの一人、ワイアット・アープを描いた作品。 「最大のヒーロー」と言われるだけのことはあり、アープを描いた映画は数多い(代表作だけでも「荒野の決闘」、「OK牧場の決闘」の2本の名作があるが、細かいのを入れるといくらでも出てくる)。そしてOK牧場の決闘についても数多く描かれている訳だが、これも時代や監督によってもアープや相棒のドク・ホリデイの人物描写も、決闘の描写もそれぞれ異なる。時にそれは文芸調に、時に純粋なアクションとして。それに連られるようにアープの描写も豪放な人物としても、繊細な人物としても色々描かれている。 その上で本作を見てみるならば、映画史の上でなら、本作は評価できる。 本作で描かれるアープはとても生真面目で、あたかも義務を果たすためだけのためのように淡々と仕事をこなし、それを追っている事がわかる。このアープは決して元からのヒーローではなく、仕事として事件を解決したことで、結果としてヒーローにさせられた人物となる。 あたかも公務員のような(実際シェリフは公務員には違いないけど)性格で、目の前にある公務をこなしていくだけ。 映画史を念頭に置いて本作を観てみると、なかなか興味深い。 1950年代。映画の黄金期と呼ばれた時代。これはヒーローがヒーローとして存在していた時代でもある。アープは無法者を懲らしめる正義の人として描くことが出来た。多少暴力的でも、それが「男らしさ」として受け取られ、「悪は許さん」という強烈さをアピールできた。 その後ニューシネマの時代になると、ヒーローの脱構築が図られていくことになる。これはつまり、従来のヒーロー像というものを一旦破壊し、側面から描くようになっていく。この時代に作られるアープ像は正義からはかけ離れた人物として描かれていく。それは単に暴力的であったり、変に感傷的であったり、むしろ人間的な側面の方を強調した作りになっていく。 この二つの時代を経た上で作られた本作は、それらにとらわれない全く新しいアープ像を描こうとして作られたのだろう。その結果、全く面白味のないアープが出来てしまったが、この姿こそが時代が作り上げたアープなのだろう。 …と言うことで、映画史的な意味ではきちんと理解できる作品ではある。 しかし、それで面白いか?と言われるとそれは別な話。はっきり言って「久々の西部劇」を観にいったら、延々サラリーマン生活の描写を見せられたようなもの。それを楽しめるか?と言われると、少なくとも私はぜんぜん楽しむことが出来なかった。退屈なのはまだ良いけど、とにかく長いのには参った。まだ私はビデオで観たから良いけど、これ実際劇場で観たら寝ていたかもしれない。いくら映画史的には理解できると言っても、心情的にはこれはクズのような作品だ。 |
偶然の旅行者 1988 | |||||||||||||||||||||||
1988米アカデミー助演女優賞(デイヴィス)、作品賞、脚色賞、作曲賞 1988英アカデミー脚色賞 1988NY批評家協会作品賞 1988ゴールデン・グローブ作品賞、音楽賞 |
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旅行記事のライター、メーコン・ラリー(ハート)は、取材旅行から帰った時に妻のサラ(ターナー)から突然別居を言い渡されてしまう。一年前に殺人事件に巻き込まれて死んでしまった息子のショックがあることを慮り、別居に同意するが、そこでの新しい生活は戸惑うばかりだった。特に何にでも吠える愛犬エドワードの世話が上手く行かず、ミュリエル(デイヴィス)という犬の調教師を雇うのだが… アン・タイラーのベストセラーを映画化。『白いドレスの女』の主演二人を再起用して、今度はしっとりとした大人の恋愛ものに仕上げている。 本作は演出とキャラはとても良い作品だと思う。中年の夫婦生活の危機と、その中で与えられる新しい人間関係。それらを通して本当の愛とは何か?ということがしっとりと描かれた作品とは言える。 …だけど、なんだか妙に薄ら寒さを感じさせるものでもある。 それは他でもなく、ジーナ・デイヴィス演じるリュミエルの存在感だ。 犬の調教師として登場する彼女は、明らかに犬にかこつけてラリーへのアプローチの方に熱心になっており、自分の家のことや息子のことを語るのも、妙にすり寄りながら。その辺の演出を観てると、これはラブストーリーと言うよりもストーカーに補足された男の顛末を見せられてるかのように思えてしまって、観てる間、どうにも居心地が悪くなってしまう。 最後のシーンは「今まで流されるばかりだった私が、本当に大切なものを手に入れるために手を伸ばす」という意味合いがあったかと思うのだが、結果としてに自分の意志で妻よりも愛人の方を選ぶことになってしまい、結局「掌の上で踊らされてるだけでは?」という思いにさせられてしまう。 どうなんだろう?これって文芸映画というよりサイコスリラーに近い気がするんだけど、それは私の考え過ぎか?頭の中が『白いドレスの女』に引っ張られすぎてるのかも。 元々はマルコヴィッチが脚本に惚れ込み、自分で製作するつもりで持ち込んだ作品だったが、マルコヴィッチ本人は他の仕事が入ってしまったため、委譲する。 |
シルバラード 1985 | |||||||||||||||||||||||
1985米アカデミー作曲賞、音響賞 | |||||||||||||||||||||||
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西部の町シルバラードをめざし、無法者として名をなしたエメット(グレン)とペイトン(クライン)が旅をしていた。裏切りと逃亡で疲れ果てた二人はもう悪事から足を洗おうと思っていたのだが、そこにエメットの弟で保安官のジェイク(コスナー)が、罠にはめられ牢に入っていることが分かり、ジェイクを助ける為に牢を破る二人。又してもお尋ね者となってしまったジェイクを含めた三人だが… 定期的に、細々と作られている西部劇。特にこだわりを持つのがイーストウッドとケヴィン・コスナーで、この二人がいたからこそ、その火が消えることなかったとも言える(二人とも監督・主演作の西部劇でオスカーを得ている)。 実は本作はそのコスナーがどうしても作りたかったから、無理を通して作られたと言う経緯がある(『再会の時』でコスナーは編集段階で登場をカットされてしまったため、その埋め合わせとして本作が提示された)。 出来としてはとてもバランスの良い、スタンダードな作品に仕上げられている。無理に付加要素を入れず、敢えて伝統的な西部劇の手法にこだわったことによるものだろう。お陰でとても落ち着いて観られ、「これぞ西部劇」という感じ。アクションに定評のあるカスダン監督らしく、そつなくまとめてくれている。 それでも敢えて主人公たちを悪人の側に寄せ、アフリカ系のキャラを主人公の仲間に加えたのが新しさだろうか。 |
白いドレスの女 1981 | |||||||||||||||||||||||
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うだるような暑さのフロリダ。有能弁護士のネッド(ハート)はある日バーで官能的な人妻ラティ(ターナー)と出会う。惹かれ合い、ベッド・インする二人。逢い引きを重ねている内、ラティは大金持ちの夫エドワードが「死んでくれたら」と漏らすのだが… ワイルダーの『深夜の告』白(1944)を翻案した、ネオ・ノワールと呼ばれる一連の作品群の代表作。本作品の監督カスダンはスピルバーグやルーカス作品の脚本家として有名な人で、これが初監督作品になるが、とても新人とは思えないほどの手慣れた撮影で、フィルム・ノワールの定式に則りつつも新境地を切り開いた作品として評価されている。原題『BODY HEAT』をこのような邦題にしたのも、なかなかに洒落てる。 暑さの表現というのは黒澤明監督の『野良犬』(1949)がなんと言っても上手いが、本作も負けてない。うだるような暑さと、ねっとりした肌の触れあい。その辺の演出が非常に巧い。風鈴という小道具の使い方も見事。これがデビュー作となるファム・ファタル(運命の女)役のキャスリーン・ターナーの肢体と悪女ぶり、気分にムラっけのある男の役を演じるハートの上手さも良い。フィルム・ノワールの王道を行くようなストーリーだが、二転三転のストーリーも、ラストの虚しさの演出もなかなかのものだ。 ただ、問題は私はこの手の作品がとても嫌いだと言うこと。大体暑いのが苦手だから汗だらけの姿を画面で見たくないし、ねっとりした男女の絡み合いとかを見せられるのも苦手(私が長い間邦画嫌いだったのはそれが理由)。そうなると撮影の上手さが逆に嫌みになってしまう。結果、素直に楽しむことが出来なかった。 良い作品なんだろうけどなあ。純粋に私自身の問題として勿体ないと思う。 |