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THE ART OF トイ・ストーリー3(書籍) |
2018 | ||
2017 | リメンバー・ミー 監督・原案 | |
2016 | ||
2015 | アーロと少年 製作総指揮 | |
2014 | ||
2013 | ||
2012 | ||
2011 | ||
2010 | トイストーリー3 監督・脚本 | |
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ||
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ファインディング・ニモ アンドリュー・スタントンと共同監督 | |
2002 | ||
2001 | モンスターズ・インク ピーター・ドクターと共同監督 | |
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | 8'8 オハイオ州アンクリッチで誕生 |
リメンバー・ミー 2017 | |||||||||||||||||||||||||||
2017米アカデミー歌曲賞、長編アニメ賞 2017英アカデミーアニメーション賞 2017NY批評家協会アニメーション賞 2017ゴールデン・グローブアニメーション作品賞、歌曲賞 2017放送映画批評家協会歌曲賞、長編アニメ賞 |
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メキシコシティに住む代々の靴職人リヴェラ家は、その先祖に音楽で身を立てようとして家族を捨てた男がいたことから、家訓として音楽禁止が言い渡されていた。12歳の少年ミゲルは密かにミュージシャンを志していたが、ミゲルはひょんな事から先祖は国民的スター、デラクルスであることを知ってしまう。デラクルスの霊廟に入り、そこにあるギターを手に取ったミゲル。ところが運悪くその日は死者の国とこの世界が最接近する「死者の日」だった。この日に先祖の宝を盗んだことで死者の国に迷い込んでしまうのだが… このところディズニーアニメは本家のディズニー作品ばかりでピクサー作品が少なくなってしまった感があるが、久々に全面的にピクサーが制作したアニメが登場。 見事に2017年のアカデミー長編アニメ賞を受賞した他、世界中の賞を受賞している。 一応本作に関して、文句を言うべき所はなかろう。テーマの意外さも物語ものまとまりも良いし、意外な真実を含めての着地地点もちゃんとしてる。なによりファミリーを対象にしているため、死者の国を描きながら、全く怖くないように作っているところが気に入った。 とはいえ、不満点がないわけではない。むしろ私にとっては不満点の方が多いという作品になってしまった。 一点目として、高水準にまとまりすぎて、新しさが全然感じられなかったということだろうか。するっと観て終わってしまった。あんまり記憶にも残ってない。 それと舞台がメキシコだけあって、死者の呼び戻しという面白いテーマなのだが、邦画では既に『あした』(1995)とか『黄泉がえり』(2002)とかがあって、既に目新しさを感じなかったところ。少しだけ怪奇寄りにすれば、緊張感があって印象に残ったかもしれないけど、いつものピクサーノリで怖さがまるでなく、良い設定が活かされなかった印象だ。情緒的に日本的な要素を加えた方が上手くいったかもしれない。私の先入観が邪魔をしたのかもしれない。 二点目として、この死者の国の話はファミリーが先祖を忘れない限り本当に死ぬことは無いという設定部分が受け入れられない。完全に消える前の中間体の立場はそれなりに楽しいが、その条件として家族に憶えていてもらわねばならないし、現世に渡るには愛されてなければならない。これはつまり、現世で愛されなかった人は存在する価値がないということになる。実際に愛されてる人は良いけど、そういう人ってどれだけいるの?現世で功徳を積んだエリートだけが楽しめる世界となると、なんか「お前は入るな」と拒絶されてる気分になってあんまり楽しめない。 家族に愛されてなければさっさと消えろという世界はちょっと寂しい。 結果として、どうにも楽しむことが出来ず、楽曲の良さくらいしか印象に残らなかった。 |
トイストーリー3 2010 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010米アカデミー歌曲賞、長編アニメ賞、作品賞、脚本賞、音響賞 2010英アカデミー脚色賞、視覚効果賞 2010日本アカデミー外国映画賞 2010LA批評家協会アニメーション賞 2010ボストン映画批評家協会アニメ賞 2010ゴールデン・グローブアニメーション賞 2010ティーンズ・チョイスアニメ賞 2010放送映画批評家協会長編アニメ賞、作品賞、脚色賞、音響賞、歌曲賞 2010ローリング・ストーン第10位 2010タイム第1位 2010アメリカ映画協会ベスト 2010世界興収トップ10第1位 2010タランティーノベスト1 2010オンライン映画批評家協会アニメーション賞 2010ピープルズ・チョイスファミリー映画賞 2010ブロードキャスト映画批評家協会アニメーション映画賞 2010映画com.ベスト第3位 2010ナショナル・ボード・オブ・レビューアニメーション賞、トップ10 2010ピーター・トラヴァースベスト第10位 2010タランティーノお気に入り第1位 2010アメリカ脚本家組合脚色賞 2010アメリカ製作者組合アニメーション賞、組合賞 2011MTVムービー・アワード悪役賞(ビーティ) 2011サターンアニメーション賞、脚本賞 2011コメディ・アウォーズアニメーション賞 |
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ウッディらオモチャ達のご主人様のアンディは既に17歳になろうとしており、お気に入りのオモチャたちと遊ぶ時間もほとんど無くなってしまい、更に大学への進学を控え、おもちゃを処分しなければならなくなっていた。結果、一番のお気に入りだったウッディだけを大学に連れて行き、バズや他のおもちゃ達は屋根裏部屋行きにすることにした。だが、手違いで危うくゴミに出されるところだった彼らは、ウッディの説得もむなしく、サニーサイドと呼ばれる託児施設行きを決断してしまう。ロッツォというクマのヌイグルミに迎えられ、新たな遊び相手が出来たことを喜ぶ一同だったが… 『トイ・ストーリー2』からもう10年以上経つ。実は本作はもっと早く出来るはずの作品だったそうだ。だがその間にピクサーのディズニーからの分離、再統合という歴史の中でなかなか制作にGO!が出なかったらしい。ディズニーとしては本作はディズニーランドの目玉商品の一つ。たとえピクサーが離れてもこれだけは自社ブランドで作ると息巻いており、ピクサーとしてもブランドイメージの固まった本作を大切にしていたために、なかなか譲らず、再統合を果たして(一説によれば、これは統合ではなくピクサーによるディズニーの乗っ取りだとも言われている)、ようやく今になって作れるようになってきた訳である。 そんな訳で物語り自体はもう大分前に仕上がっていたようだが、定番の物語として、全く素晴らしいものに仕上がっていた。 物語としては三部作の有終の美を飾るべく、捨てられたおもちゃ達の行く末が描かれる話として仕上げられている。 あれだけ子供の頃に夢中になっていたおもちゃも、子供が長ずることによって、徐々に不要のものとなり、やがては飽きられてしまう。 おもちゃに人格があるとするなら、あれだけ愛されていた自分自身が、子供の成長によって捨てられていく事に対し、どのような思いを持つか。彼らにとってアイデンティティはすべて子供に遊んでもらうことにあったのだから、自分が飽きられてしまったと言う事実を受け入れることは大変なものだ。この作品も冒頭部分は、そういう運命を受け入れていくおもちゃ達に焦点が当てられていく。最初それは寂しさというよりも、理不尽な怒りであり、その後葛藤を経て諦めの境地へと至る(この辺はE・キューブラ・ロスの「死の瞬間」をベースにしているのだろう)。その意味でまさしく捨てられたおもちゃに焦点を当てた見事な教科書通りの物語になっている。 そして捨てられたおもちゃ達に、新しい希望を与えられた時、彼らはどうするか。その大部分は、それが次善の策であることを知っていても尚それにしがみつく(喩えは悪いが、ガン患者が肉体に激しいダメージを与えることを知っていても抗ガン剤に手を出すのとよく似ている)。彼らにとってはアンディに遊んでもらうことこそが最大の喜びであり、願いであったが、それが叶えられないことを知らされた時、喜んで幼稚園に行こうとしている)。 ここで特殊なのがウッディだろう。彼だけは自分の主人に対して忠実で、しかも一番愛されていることを知っているため、それは我慢が出来ないことだった。たとえもう遊んでもらうことが出来なくても、あくまで忠義を貫き通し、自分だけはアンディのそばを離れない事を誓う。そしてそのアンディの想いこそが物語を引っ張っていく原動力になるのだ。 思えばシリーズを通して主人公であったウッディは他のキャラとは明らかに性格が異なるものとして描かれている特徴がある。『トイ・ストーリー』ではそれが主人の愛を独り占めしようとするものとして、『トイ・ストーリー2』では自分の価値を知らされてなおアンディの傍にいる事を選んだおもちゃとして。彼はあくまで一人の主人に忠実な存在として、仲間よりも主人を選ぶ存在なのだ。 そんなアンディが自分自身のあり方を見つけ、最終的に仲間と共にあることを選ぶ。主人公の成長物語として仕上げられていることが本作の、否シリーズを通しての見所となるだろう。アンディは試練を経ることで、人として(というのはなんか変だが)一皮剥けた存在となることが観ている側にもわかり、「よかったねウッディと最後に言えることが良いのだから。 本作が安定した良作となっているのは、まさしくウッディの成長物語から全くぶれることなく最後まで突き進んでいるからだ。その意味でこのラストは本当に見事だ。 そういう意味で本作は実に素晴らしい物語になってはいるのだが、これまでの2本と較べると、多少不満もないではない。 一つには、悪役に個性が薄いと言うこと。熊のロッツォの言動もオチも『トイ・ストーリー2』の老人人形プロスペクターと何ら変わることなく、更にオチとして笑えたプロスペクターと較べても没個性になってしまったこと。それは『トイ・ストーリー2』でやったよ。と思わせてしまったのは、物語として痛い。あと、バズの扱いが今ひとつ。ウッディが中心になりすぎて、完全に今回はバディ・ムービーからはずれ、やってることもこれまでの焼き直し。出しにくいのは分かるけど、もう少しバズのための物語を丁寧に作って欲しかったところ。 それと彼らおもちゃの耐久性があまりにも高すぎるのも少々不満。おもちゃとして遊ばれるようになってから、おそらく10年は経過しているはずの彼らが新品同様であり続けているのは無理があると思えてしまう。もう少しぼろぼろになっていたおもちゃの話になると思っていただけに、その部分は不満が残ってしまう。 でも概ね本当にうまく作られているので、これで良いのだろう。少なくとも「1」「2」と観ている人にとっては安心して観られる良作に仕上がってるのは事実なのだから。 |