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ロスト・イン・アメリカ(書籍) _(書籍) |
2007 | どろろ 監督・脚本 | |
2005 | この胸いっぱいの愛を 監督・脚本 | |
2004 | カナリア 監督・脚本 | |
2003 | 帰ってきた!刑事(デカ)まつり 監督 | |
2002 | 黄泉がえり 監督・脚本 | |
害虫 監督 | ||
2000 | ギプス 監督・脚本・編集 | |
1999 | 月光の囁き 監督・脚本 | |
どこまでもいこう 監督 | ||
本当にあった怖い話 呪死霊 脚本 | ||
1998 | ヤマトナデシコ 撮影 | |
1996 | 露出狂の女 監督 | |
叔母 魔性の血淫 脚本 | ||
勝手にしやがれ!! 逆転計画 脚本 | ||
1994 | 恋のたそがれ 撮影 | |
1992 | よろこぴの渦巻 出演 | |
パチンカー奈美 脚本 | ||
ダーティ・ブルー 復讐の熱帯夜 脚本 | ||
1991 | 呪死霊 外伝2 脚本 | |
1983 | 神田川淫乱戦争 助監督 | |
1961 | 9'11 京都で誕生 |
どろろ 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007文春きいちご賞第6位 2007HIHOはくさい映画最低作品賞、最低脚本賞 |
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全国統一の野望を持つ武将醍醐景光(中井貴一)が48匹の魔物と契約したお陰で、肉体のほとんどを魔物に奪われて生まれた子供(妻夫木聡)がいた。異端の医者によって人造の肉体を与えられて成長した少年は、やがて自分の体を取り戻すため48匹の魔物を倒す旅に出る。そんな彼に興味を持ってくっついてくる一人の少女(柴咲コウ)がいた。男として育てられた少女は青年を百鬼丸、自分をどろろと名付けると、百鬼丸の魔物退治に付き合うと宣言する。ここに百鬼丸、どろろの二人の旅が始まる。 かつて手塚治虫によって創作され、これまで幾度となく映像化の話が出ていたが(観たことはないがアニメにはなってる)、実写では映像化不能と言われていた。 その難物を実写映画化。原作のファンとしてはこれは結構楽しみだし、実際興業成績もかなり良い。香港ではアクション監督としては重鎮のチン・シウトンを招いたのも豪華。 ただ、観て思う。 …正直な話、微妙な作品だな。 確かにCGのお蔭で魔物の描写や戦いなど上手く作られている。原作では描き足りなかった百鬼丸の過去もちゃんと描写され、それが主題になってるのは上手い作りだし、どろろの割り切った描写も良し。割とグロテスクな描写も出来てる。 それで結果として、上手くできた作品…とは全然思えないのが問題。 パーツパーツは良いのだ。だけど、それが合わさるとすごく印象の薄いものになってしまう。 原作を特別視するつもりはないものの、本作には原作にあった緊張感がまるで感じられないのだ。これだけグロテスク描写なり戦いの描写なりあれば、精神的に高揚して然りなのだが、全然それがない。はっきり言ってしまうと、退屈極まりない作品だった。すごい薄味な作品というのが印象。 しかし、それはなんでだろう? ちょっと考えてみると、一つには時代性というものが挙げられるかもしれない。 そもそも原作が衝撃的な作品になり得たのは、白土三平のカムイ伝や忍者武芸帳に触発されて描かれたと言うだけあって、話そのものが徹底して下から見た時代感に彩られていたからではなかっただろうか。侍は一方的に上から重圧を押し付けるだけの存在であり、その下であえぎつつ、それでもたくましくしたたかに生きている庶民のパワーが描かれていたからこそ、パワーを感じられたのだろうと思える。 しかるに本作はどうだったか?確かに遺棄された子供の霊の話なんかはでてきたけど、そこにリアリティも怒りも感じられなかった。庶民の生活を描いていながら、庶民の力は一切登場してもいない。だから百鬼丸が化け物として追われるシーンに痛切さがないし、それを怒るどろろの台詞にも浮いてしまってる。中途半端にそのような描写を出したのが悪かったとしか思えない。 さらに庶民の怒りが見えない分、百鬼丸の魅力も減じてしまった。化け物としての百鬼丸の悲しさは、ここでは自己憐憫にしか思えないのだ。彼が負っているものが軽すぎる。百鬼丸とどろろに話を特化させたのは話の都合上仕方ないとして、百鬼丸は魔物を倒すほど、ますます孤独に陥っていくのが原作では顕著だったが、ここでは、自分を愛してくれた両親と、自分を王として認めてくれる可愛い弟が出来てしまった。百鬼丸が負った悲しみが軽すぎたのみならず、幸せにしてしまったのは釈然としない。このキャラクタは修羅の道をひた走っていなければならないキャラのはずなのに。 それと話が魔物毎にぶつ切れになってるのも問題か。CG使った戦闘シーンは見栄えするにしても、物語にさほど関わらないものを多量に出されても、気持ちが離れるだけだよ。結局妻夫木聡と柴咲コウを見る以外に全くの魅力無し。 こんな作品に2時間半も使う必要があったんだろうか? |
この胸いっぱいの愛を 2005 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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黄泉がえり 2002 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2003日本アカデミー主演女優賞(竹内結子)、監督章(塩田昭彦)、脚本賞、音楽賞 2003日本映画批評家大賞主演女優賞(竹内結子) |
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熊本県の阿蘇地方で、突然亡くなった人間が家族のもとに帰ってくる怪現象が相次いで起こった。恐怖よりもむしろ生前そのままの姿でやってきた彼らに、家族は恐れよりも喜びを持って迎える。地元出身の川田平太(草なぎ剛)が東京からこの調査のためにやってきて、調査を進めるが、彼は亡くなった親友・俊介の恋人だった、葵(竹内結子)と久しぶりに再会し、俊介の「黄泉がえり」を願う彼女の姿を見るのだった。葵を密かに愛していた川田は複雑な思いを持ちつつ、葵と共に調査を進めるのだが… 死者が蘇って家族の元にやってくると言う設定だけ見て、最初ジャパニーズホラーのひとつの形だと思っていたのだが、意外にも物語は純粋な恋物語だった。 それは良いんだけど、なんかどこかで観たような…そう言えば大林宣彦監督の『あした』(1995)と良く似てるな。それにオチの付け方は『シックス・センス』(1999)からの影響も散見。そう言えば生前の姿のまま、つまりは生き残っている人の思いでの中にいるそのままの姿で出てくるというのは『惑星ソラリス』(1972)か。 なんじゃこりゃ?つぎはぎ作品かよ。 死者が蘇って来るというのは人間の情緒に訴えるので、確かに感動的な作品にしやすいのかも知れないけど、ここまで元ネタそのまんまの作品を出されても、なんの感慨も覚えない。原作は知らないから何とも言えないけど、絶対狙いは違ってると思う。映像的に映えるからと言うだけでパクリを使ってるのでは無かろうか?と勘ぐりたくなった。はまれれば最高の作品になるんだろうけど、なんか主人公の草なぎの演技がどうにもわざとらしく、はまりこもうという気持ちを疎外してくれる。出来れば哀川翔をもっと出していた方が物語としても画面としても映えたんじゃないかな?下手にミステリー色を出してしまったことで、構成が変になってる。 それに画面映えなんだが、『あした』が絶妙のカメラアングルと主役達の表情と会話のタイミングでぐいぐい引っ張ってくれたのに対し、こちらは妙な派手さと、下手くそなCGでフォローするので、これもまたはまりきれない。最後の柴崎コオのコンサートも妙に長ったらく、わざとらしい演出が鼻についてしまった。 で、もう一つ。草なぎ扮する川田は、一体何を調査したんだ? |
害虫 2002 | |||||||||||||||||||||||
2002日本プロフェッショナル大賞作品賞、監督賞(塩田明彦)、ベスト10第1位 2002報知映画主演男優賞(田辺誠一) 2002ヨコハマ映画祭第9位 |
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月光の囁き 1999 | |||||||||||||||||||||||
1999日本映画プロフェッショナル大賞新人監督賞、新人奨励賞(つぐみ)、ベスト5位 1999毎日映画コンクールスポニチグランプリ新人賞(塩田明彦) 1999報知映画新人賞(塩田明彦) 1999ヨコハマ映画祭新人監督賞、最優秀新人賞(つぐみ)、第4位 |
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