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我が心の稲垣浩 千恵プロ時代―片岡千恵蔵・伊丹万作・稲垣浩 洒脱にエンターテイメント 著作 ひげとちょんまげ 日本映画の若き日々 |
1980 | 5'21 死去 | |
1979 | 地獄の蟲 監督 | |
1970 | 待ち伏せ | |
1969 | 新選組 製作 | |
風林火山 監督 | ||
1968 | ![]() |
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1967 | 佐々木小次郎 監督・脚本 | |
1966 | 暴れ豪右衛門 監督・脚本 | |
1964 | 士魂魔道 大龍巻 監督・脚本 | |
1963 | 秘剣 監督・脚本 | |
1962 | 忠臣蔵 花の巻 雪の巻 監督 | |
どぶろくの辰 監督 | ||
1961 | 野盗風の中を走る 監督 | |
大坂城物語 監督・脚本 | ||
ゲンと不動明王 監督・脚本 | ||
お馬は七十七万石 原作 | ||
1960 | ふんどし医者 脚本 | |
1959 | 或る剣豪の生涯 監督・脚本 | |
日本誕生 監督 | ||
1958 | 旅姿鼠小僧 監督 | |
無法松の一生 監督・脚本 | ||
柳生武芸帳 双竜秘剣 監督・脚本 | ||
1957 | 太夫さんより 女体は哀しく 監督 | |
柳生武芸帳 監督・脚本 | ||
1956 | 嵐 監督 | |
囚人船 監督 | ||
決闘巌流島 監督・脚本 | ||
新諸国物語 オテナの塔 後篇 監督・脚本 | ||
1955 | 続・宮本武蔵 一乗寺の決闘 監督・脚本 | |
新諸国物語 オテナの塔 前篇 監督 | ||
1954 | 宮本武蔵 監督・脚本 | |
1953 | お祭り半次郎 監督・脚本 | |
1952 | 風雲千両船 監督・脚本 | |
上海の女 監督・脚本 | ||
戦国無頼 監督 | ||
1951 | 稲妻草紙 監督 | |
完結 佐々木小次郎 巌流島決闘 監督 | ||
海賊船 監督 | ||
続佐々木小次郎 監督 | ||
1950 | 佐々木小次郎 監督 | |
腰抜け二刀流 原案 | ||
1949 | 忘れられた子等 監督 | |
1948 | 手をつなぐ子等 監督 | |
1947 | 壮士劇場 監督 | |
1945 | 最後の攘夷党 監督・脚本 | |
東海水滸伝 演出 | ||
1944 | 狼火は上海に揚る 春江遺恨 監督 | |
1943 | 無法松の一生 監督 | |
1942 | 獨眼龍政宗 監督 | |
宮本武蔵 一乗寺決闘 監督 | ||
1941 | 江戸最後の日 監督 | |
海を渡る祭礼 監督 | ||
1940 | 宮本武蔵 第三部 剣心一路 監督 | |
宮本武蔵 第一部 草分の人々 第二部 栄達の門 監督 | ||
1939 | 続 魔像 茨右近 監督 | |
牢獄の花嫁 解決篇 脚本 | ||
牢獄の花嫁 前篇 脚本 | ||
1938 | 大岡政談 魔像 監督 | |
地獄の蟲 監督・原作・脚本 | ||
闇の影法師 監督 | ||
出世太閤記 監督 | ||
1937 | 血煙高田馬場 監督 | |
飛竜の剣 監督 | ||
1932 | 旅は青空 監督・原作・脚本 | |
1931 | 番場の忠太郎 瞼の母 監督・脚本 | |
1930 | 諧謔三浪士 監督・脚本 | |
1928 | 放浪三昧 監督デビュー | |
1905 | 12'30 東京で誕生 |
待ち伏せ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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人里離れた三州峠に集うひと癖もふた癖もある男達がいた。鎬刀三郎(三船敏郎)という用心棒、渡世人の弥太郎(石原裕次郎)、腕は確かだが酒ばかり飲んでる医師玄哲(勝新太郎)、そして狙った獲物は必ず射止めるという追跡役人の伊吹兵馬(中村錦之介)…彼らの狙いは? この時代になると、TVの普及によってそれまでエンターテインメントの第一候補としてあげられていた映画にも陰りが見えてきていた。それでそれまでの映画製作会社はそれぞれ資金繰りにも困るようになってきたのだが、それをよく表しているのが本作といえる。ここに登場する俳優陣、三船敏郎、勝新太郎、石原裕次郎、中村錦之助はそれぞれ自分のプロダクションを持ち、これまで数々の作品を作ってきたが、それに危機感を覚え、プロダクションを超えて共演を果たした。更にアクション作には定評のある稲垣浩を監督に据えて製作。誠に豪華すぎる作品に仕上がっていた。 ただし、その出来は… 「船頭多くして船山に上る」という言葉を如実に示すような作品となってしまった。日本を代表する主役級のキャラばかりだが、話は全然制御されてない。三船、勝、石原共に自分を押し出そうとし、それぞれが勝手気ままに自分を目立たそうとした結果、アクの強さばかりしか見えない作品になってしまった。唯一脇役に徹した中村錦之介が目立たないながら良い仕事したと思えるくらいか? その辺は私が言うまでもなく、興行成績も見事に失敗すしたという事実で明らか。単にスターが出ているだけでは観客が呼べなくなったことの証明ともなった。 それでも好みのキャラがそれぞれの癖たっぷりに演技してるので、それだけで満足はできた。 |
風林火山 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1969キネマ旬報日本映画第10位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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甲斐の山を見下ろす村に一人の男がやってきた。山本勘助(三船敏郎)というその男は名君武田晴信(中村錦之助)に仕官して、天下を平定しようという壮大な野望があった。暗殺劇を仕組んで武田の家老板垣に恩を売り、計略通り晴信の家臣になる事が出来た勘助は、古くからの群臣を前に晴信に目的のためには冷酷非情な手段をいとわぬ意見をずけずけと言うが、逆にそれが晴信に気に入られ、更に自分の言った役目を見事果たして見せたため、武田は甲斐を席巻していく。そんな中、焼け落ちる諏訪城から由布姫(佐久間良子)を救った勘助は、由布姫の美しさに惹かれつつも、彼女を晴信の妻とし、ますますの出世を果たしていく。 戦国の世の中、数多くの武将が群雄割拠する時代に現れた天才軍師山本勘助の半生を描く井上靖の同名小説の映画化作。60年代後半、徐々に衰退の兆しを見せていた邦画をオールキャストと壮大な合戦シーンを駆使して、「映画ならでは」の楽しさを追求した作品と言えよう。1968年邦画興行成績は堂々の1位。 1950年代あたりから邦画の大作というと決まって歴史絵巻になり、金を使うんだったらこれ。といった感じで結構な数の作品が作られてきた。本作はその最たるもので、今だったら予算上不可能な豪華キャストが魅力。実際見応えのみに関して言えば素晴らしい作品だとも言える。 ただ、これを改めて観て思うことは、戦国絵巻というのは、映画ならではではあるものの、物語を重要視するならば、決して良い作品とは言いがたい。特に本作はそれが顕著。主役の山本勘助は長く武田に仕えた軍師だけに、取り上げるべきエピソードがかなり多く、話の山場が多すぎて、結果物語そのものが散漫になってしまった。エピソードの一つ一つは盛り上がって、演出も良いのだが、それを小出しに何回もやると、やっぱりきついかな?スケールを考えなければテレビシリーズでやった方がかえって見応えがある…というか2007年にNHKの大河ドラマでやってたので(主人公山本勘助役は内野聖陽)、それを観てる最中に本作を観たもので、余計それが目についてしまったというのは事実。 歴史絵巻は壮大であるが故に映画向きであり、逆に壮大であるが故に映画の時間では描ききれない側面があることを痛感させられた出来事。シリーズ化するか、あるいはスケールを小さくしてテレビにした方がかえって良いのか? 見事なオールキャストも、実際それを活かし切れたかというと難しいところ。逆に多彩なキャスティングが三船敏郎の存在感を薄めてしまった感じは否めず。由布姫との、戦国時代らしいロマンスも、ドラマ性を深めるよりもかえって浅くしてしまった感じ。何より、やっぱりこの時代の三船敏郎だと山本勘助やるにはちょっと老け過ぎか…内野聖陽の溌剌とした姿を観た後で本作を観ると、いかんせんどうしてもそれを感じてしまう。 |
暴れ豪右衛門 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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士魂魔道 大龍巻 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大坂夏の陣で落城寸前の大阪城。深見重兵衛(市川染五郎)は敗北を悟って切腹しようとするのだが、その時豊臣秀頼の子国松を抱いて落ち延びようとする小里(星由里子)を助け、この子を救うために奥野久之助(夏木陽介)、草薙修理(佐藤允)と共に落ち延びるのだが… 武士道を失った武士達の流転の運命を描いた南条範夫原作の「士魂魔道」を稲垣浩監督が映画化。 それなりに原作はきちんと書かれているのだと思うのだが、いざ映画になったら、登場人物が比較的多く、それぞれに見せ場を作ろうとした結果、物語そのものはかなりいい加減なものになってしまった。しかも後半ぐたぐたになった物語を一気に龍巻で強引に終わらせてしまう…冷静に見ると、結構なトンデモ映画に仕上がってしまった。ある意味非情にカルトな作品と言っても良いだろう。これだけのキャラを使っておきながら、それを活かせなかったとは、監督らしくもない。 でも、それらを全部ひっくるめて、最後の龍巻が物語全てを物語っている。たっぷり時間を遣って、あらゆるものを吹き飛ばす龍巻の大迫力。これこそ円谷英二の面目躍如ってところだろう。物語そのものはどうしようもなくても、それだけで全部許してしまえるのが特撮ファンの性ってやつだろうな。 特技監督は円谷英二。稲垣監督と円谷監督の打ち合わせは業界最短記録で、円谷のオフィスに来た稲垣は一言「やあ」。それに対し円谷は「おっす」と答え、これで打ち合わせは終了。と、円谷側のスタッフであった中野昭慶が後に述懐している。 |
秘剣 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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忠臣蔵 花の巻 雪の巻 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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野盗風の中を走る | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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ゲンと不動明王 1961 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ふんどし医者 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本誕生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1959邦画興行成績2位。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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無法松の一生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1958ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞(稲垣浩) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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粗暴だが気っぷの良さと正義感溢れる小倉の町の名物車引き、無法松こと富島松五郎(三船敏郎)はある日木登りをしていて怪我した少年吉岡小太郎を助け、それが縁で軍人の吉岡家に足繁く通うようになった。小太郎の父敏雄は松五郎の侠気を褒め、しかし短慮さをいさめ、そんな敏雄を松五郎も慕っていたが、軍事演習が元で風邪をこじらせた敏雄はあっけなく死んでしまった。そして残された妻良子(高峰秀子)と小太郎を支えていこうとする松五郎。 『無法松の一生』(1943)のセリフリメイク。かつて阪東妻三郎の復帰作ともなった主役の松五郎に今回は三船敏郎を起用する。 そもそも1943年の作品は監督にとっては不満の多い作品だったという。「車夫が軍人の妻に恋心を抱くとは不謹慎」とされ、軍部の命令によってその部分が切られてしまった事をいたく気にし続けた監督は、これをリメイクすることをずっと考えていたらしい。そしてこれまた希代の名優三船敏郎という人物を得てついにリメイクと相成った。 物語そのものは本当にそのまま43年版をトレースした感じ。元が良いので、手を入れる必要は無いと判断したのは正しい。リメイクとはいえ、オリジナルに勝るとも劣らぬ安定した出来は、流石稲垣監督円熟期の作品だと思わせられる。 稲垣監督がこだわった松五郎の愛の告白も当然本作には入っているが、私個人の意見ではそれは必要ないと思うので、あったからどう。と言う思いもない。 そうなると取り立ててどちらが良い悪いを言う必要はないので、主役二人のパーソナリティの違いと言うことになるだろうか? 阪東妻三郎も三船敏郎も活劇も出来る名優ではあるが、この二人は多少役幅が違っている。例えば阪妻の破れ太鼓(1949)と三船の『天国と地獄』(1963)の二作を較べてみると、どちらも功成り名を挙げた大人の役を演じているが、家族の危機に対し、阪妻は意地を張り続けていても、どこかにもろさを感じさせる役柄だったが、三船の方は、徹頭徹尾“強い男”を演じ続けた。どちらも見事なはまり役だったが、やはり役柄のどこかに“弱さ”を感じさせられるかどうか。が松五郎を演じる際の違いになっていたのではなかろうか。 どこかに弱さが見られる阪妻版に対し、あくまで強い三船版。同じ役をやっていても、たとえ口では同じ台詞を言っても、違いを感じさせられる。役の個性ってのはやっぱりあるものだ。 こればかりは好みとしか言いようがないのだが、結論から言えば私は阪妻版の方が好き。やはり人間、どこかに隙が欲しいし、ちょっと下品な感じの方が松五郎には似合う気がするよ。そう言う意味での雰囲気作りはやっぱり阪妻がはまってると思われる。 |
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柳生武芸帳 双竜秘剣 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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柳生武芸帳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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嵐 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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決闘巌流島 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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名だたる剣豪を斬り続け、剣豪として有名となった武蔵(三船敏郎)だが、しばし剣を置き、江戸の旅籠で観音像を彫ったり、法典ヵ原に庵を結び、畑を耕したりしていた。そんな生活の中、彼を追うお通(八千草薫)と出会い、心を通わせかかるが、そこに野盗が現れ、その危険を知らせようとした朱美(岡田茉莉子)は殺されてしまう。朱美を葬った武蔵野元に佐々木小次郎(鶴田浩二)からの果たし状が届く…。 稲垣浩版『宮本武蔵』の完結編。本作の売りはやはり舟島(巌流島)での武蔵と小次郎の決闘だが、そこに至るまでの過程が丁寧に描かれている。まあ、その辺が冗長な部分って確かにあるし、強引に決闘シーンに持ち込んでるような感じも受ける。決闘のシーンはなかなか見栄えがするものの、ちょっと間が悪いんじゃないかな? 物語自体は決して悪い訳じゃない。むしろこういった静けさは物語上必要なんだ。 今回は武蔵があくまで静かなので、三船敏郎の出番はあまり多くない。むしろ武蔵よりも純粋に剣にのみ頼って生きようとする鶴田浩二演じる小次郎の方がキャラクターが立ってた感じ。 |
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続・宮本武蔵 一乗寺の決闘 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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鎖鎌の達人宍戸梅軒(東野英次郎)に打ち勝った宮本武蔵は、京へと向かう。そして彼の後を追うお通(八千草薫)と朱美(岡田茉莉子)。お通を巡り、名門吉岡家と事を構えた武蔵は吉岡清十郎(平田昭彦)を懲らしめ、その弟吉岡伝七郎(藤木悠)を斬った。恨み心髄の清十郎は一乗寺下り松で武蔵に決闘を申し出るが、門下の弟子達が先回りし、武蔵ををだまし討ちにしようとする…。 『宮本武蔵』(1954)の続編で、1955年邦画興行成績も6位と健闘した作品。一応前作と同様吉川英治の小説をベースとしているが、大分脚色されているのが特徴で、いきなり冒頭で宍戸梅軒と戦ってるのには驚かされる。ちょっと展開が早すぎない? 今回の特徴としてついに終生のライバル佐々木小次郎(鶴田浩二)が登場した。この時点では余裕をもって武蔵を見守るだけの役。それにしても東野英次郎はいろんな役をやるねえ。 他の作品もそうなんだが、最初の武蔵開眼までと最後の巌流島の決闘がこの物語のメイン。どうしてもその間は少々だれてしまう。更に大分アレンジされた上に展開がえらく早いので、原作を知ってる身としては最後まで疑問符が消えなかった(内田吐無版はより原作に近く、更に二部に分かれているから、そっちの方が良かったような…)。 キャラクターは相変わらず立っているものの、今回の三船敏郎は今ひとつ乗り切れてないんじゃないか?むしろキャラとして立っていたのはお通訳の八千草薫の方だ。 オープニングもそうだけど、ラストシーンもちょっと驚かされる。まさか武蔵がお通を襲うシーンが出てくるなんて…三船敏郎の描写は変なストイックさを強調して欲しかったので、あの暴走はいただけない。 その辺がちょっと引っかかるので、点数はやや低めに。 |
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宮本武蔵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1955アカデミー名誉賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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宮本村の新免武蔵(三船敏郎)と本位田又八(三国連太郎)は出世を夢みて関ケ原の戦さに参加するが、敗れて伊吹山中をさ迷い歩くうち、お甲(水戸光子)と朱実(岡田茉莉子)の母娘に救われた。又八はお甲と所帯を持ち、武蔵の前を去ってしまい、武蔵は一人で故郷宮本村に帰る。だが、又八の母お杉婆(三好栄子)は息子が帰らないのを武蔵のせいだと恨み、役人に彼を追わせる。捕まれば殺されてしまうところをすんでの所で沢庵和尚(尾上九朗右衛門)に辛くも命を助けられた武蔵は三年の間、姫路城の天守閣で書を読み暮らすことに…。 吉川英治の人気小説の映画化作品。吉川英治版「宮本武蔵」は国民小説とも言われるほどで、現代に至るまで何度も映画化&テレビ化がなされているが、本作は同じ稲垣浩監督による2度目の映画化で、今回の主役の武蔵を旬の三船敏郎という布陣で作られた作品。本作は1954年邦画興行成績では7位の好成績を収め、翌年のアカデミー名誉賞(現在の外国語映画賞)をも受賞した。 一言で言ってしまうと本作はキャラクターを立たせることに特化した作品で、三船敏郎は見事なはまり役だった(同じ年に公開された『七人の侍』での菊千代を彷彿とさせる)。彼が出るだけで画面が締まって見えるのが凄い。やっぱり希有な役者なんだと今更ながら思う。後はお通役の八千草薫が(少々お通のイメージとは違う気もするが)とても綺麗。カメラの使い方の巧さかな?少なくとも、今観て充分に鑑賞に堪えられるどころか、最高の武蔵映画だと言うことは出来るだろう。 ストーリーに関しては分かってることをなぞってるだけだから、言うべき所は無し。 ちなみにこのシリーズ、助監督に福田純が参加してる。 |
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上海の女 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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戦国無頼 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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狼火は上海に揚る 春江遺恨 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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日本では幕末。長州の志士高杉晋作(板東妻三郎)が勉学のために上海にやってきた。そこで彼が見たものは、イギリスの支配とそれに反発する太平天国の乱だった。そこで中国人のメイ・シーと出会った高杉は、彼とのいくつもの誤解を解き、やがて同士としてアジアの為に立つことを心に決める… 太平洋戦争のまっただ中、占領下の上海で“合作”された「民族の歴史」三部作の第一部(第二部以降は製作される前に終戦)で、日本のプロパガンダ映画を代表する一本。 サイレント時代のヒーローであった板東妻三郎は、映画がトーキーとなってえらい苦労したそうだ。立ち居振る舞いは映画向きだとしても、彼の声は男としては甲高く、そのまま声を当てると大変聞き取りづらい(『雨に唄えば』(1952)を地でやっていたわけだな)。それでも努力家の板東は声を抑える努力をし、前年に傑作『無法松の一生』(1943)の主演を果たした。 しかし、本作は板東の地が出ていたようで、大変声が聞き取りづらくなっている。更に本作の場合、「言葉」を大変大切にしているのだろうけど、わざわざ通訳を通して中国語で会話をさせているため、聞き取りづらい台詞が延々と続く。はっきり言って、聴いてるこっちはたまったものではない。更に支配者であるイギリス人の英語は片言で、これ又聞きづらい。物語以前にそれでげんなりしてしまう。 舞台を上海に、そして高杉晋作と太平天国の乱を題材にしたことは面白い設定にせよ、所詮はプロパガンダ映画。思った通りの展開が続くばかり。最後は英米の支配を打ち砕くため中国人との握手で終わる展開。 私自身にこういった国策映画を評価したくないと言う先入観があるのかも知れないが、なんか妙な苛つきを抑えることが出来なかった。アクション映画には定評のある稲垣監督なんだから、もう少し自由に映画作らせてやれば良かったのに…そう思えるのも現代だからこそか。 |
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粗暴だが気っぷの良さと正義感溢れる小倉の町の名物車引き、無法松こと富島松五郎(阪東妻三郎)はある日木登りをしていて怪我した少年吉岡小太郎を助け、それが縁で軍人の吉岡家に足繁く通うようになった。小太郎の父敏雄は松五郎の侠気を褒め、しかし短慮さをいさめ、そんな敏雄を松五郎も慕っていたが、軍事演習が元で風邪をこじらせた敏雄はあっけなく死んでしまった。そして残された妻良子と小太郎を支えていこうとする松五郎。 本作は小倉の作家岩下俊作の小説の映画化で、戦前の稲垣監督の、そしてトーキーにおける阪東妻三郎の代表作である。 サイレント時代の名優と言われた阪東妻三郎はトーキーになって最も苦労した役者と言われる。歌舞伎を思わせる立ち居振る舞いこそきっちりしているが、阪東の声は男にしてはあまりにもキーが高すぎた。落ち着いて喋っている分にはなんとか抑えられても、興奮したり、力が入ると途端に甲高くなってしまう。お陰でトーキーが普通になって以来めっきりと仕事が減ってしまった。この時期の阪妻はサイレント映画を選んで出演していたが、サイレントの駆逐と共に、とうとう仕事が無くなってしまい、本人も相当に悩んだそうだ。そんな彼が復帰できたのは他でもない、本作の主人公松五郎の役に惚れ込んで、何が何でもこれを自分が演じたいと切望し、徹底的にヴォイストレーニングをしたからと言う。本作こそがサイレントとトーキーをつなぐ名優阪東妻三郎の誕生となった作品なのだ。 実際、ここでの阪妻の演技はほれぼれするほど見事。今から観ると劣化激しい画面ではあるが、その見事さはよく分かる。おそらく稲垣監督から何度も駄目出しをされながら、理想の演技に近づけていったんだろうと思える。実際、1953年版の三船敏郎と較べると、どうしてもこちらの方が面白く感じてしまう。三船は三船という強烈な個性で演技してるが、阪妻の方は、自らを松五郎に近づけようとしているから、とも思う。それに強さと弱さの共存している松五郎は、三船じゃ強さばかりが強調されて弱さが出てこないし、庶民的な部分が薄い。やはり阪妻の方に軍配を上げたい。これまで娯楽一筋のチャンバラ役者と言われた阪妻を抜擢した稲垣監督の眼力は確かなものだ。 それと特筆すべきは演出。オープニングカットのカメラワークには驚かされた。これがあるからぐいぐいと画面に引き込まれテイク。この時代にこんな完成された撮影が出来たとは。更に場面の転換点に現れる車輪の演出。時代の流れというものを一瞬に封じ込めるこの演出は本当に見事。おそらく当時としてこの撮影は前衛的なものになるんだろうけど、それが巧い具合に画面にはまってる。 又本作は「車夫が軍人の妻に恋心を抱くとは不謹慎」とされ、軍部の命令によってその部分が切られてしまった作品としても知られている。稲垣監督はよほどそれが悔しかったか、後に三船敏郎を主演に全く同じ作品を『無法松の一生』(1958)として撮影したのだが、実を言うと、私はかえって切られたこちらの方が好きだったりする。この物語では色恋は秘めているからこそ映えるのではないかと思う次第…映画好きに喧嘩売ってるような発言ながら、これが私の本音。 物語、演出、キャラ全てにぴったりとはまった私好みの作品である。 |
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無法松の一生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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番場の忠太郎 瞼の母 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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