|
|
||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||
| 1998 | 12'30 死去 | |
| 1997 | 草刈り十字軍 企画 | |
| 1996 | ||
| 1995 | ||
| 1994 | ||
| 1993 | ||
| 1992 | ||
| 1991 | ||
| 1990 | ||
| 1989 | ||
| 1988 | 父 監督・脚本 | |
| 1987 | 二十四の瞳 脚本 | |
| 1986 | 新・喜びも悲しみも幾歳月 監督 | |
| 1985 | ||
| 1984 | ||
| 1983 | この子を残して 監督・脚本 | |
| 生きてはみたけれど 小津安二郎伝 出演 | ||
| 1982 | ||
| 1981 | ||
| 1980 | 父よ母よ! 監督・脚本 | |
| 1979 | 衝動殺人 息子よ 監督・脚本 | |
| 1978 | ||
| 1977 | ||
| 1976 | スリランカの愛と別れ 監督・原作・脚本 | |
| 1975 | ||
| 1974 | ||
| 1973 | ||
| 1972 | ||
| 1971 | ||
| 1970 | ||
| 1969 | ||
| 1968 | ||
| 1967 | なつかしき笛や太鼓 監督・製作・脚本 | |
| 1966 | 愛の手紙は幾歳月 脚本 | |
| 野菊のごとき君なりき 脚本 | ||
| あこがれ 原作 | ||
| 1965 | 妻の日の愛のかたみに 脚本 | |
| 1964 | 香華 前後篇 監督・脚本 | |
| 1963 | 死闘の伝説 監督・製作・脚本 | |
| 歌え若人達 監督・製作 | ||
| 1962 | 今年の恋 監督・製作・脚本 | |
| 二人で歩いた幾春秋 監督・制作・脚本 | ||
| 流し雛 原作・脚本 | ||
| 霧子の運命 製作・脚本 | ||
| しろばんば 脚本 | ||
| 1961 | 永遠の人 監督・製作・脚本 | |
| かあちゃんしぐのいやだ 脚本 | ||
| 1960 | 笛吹川 監督・脚本 | |
| 春の夢 監督・脚本 | ||
| 1959 | 今日もまたかくてありなん 監督・脚本 | |
| 惜春鳥 監督・脚本 | ||
| 風花 監督・脚本 | ||
| 1958 | この天の虹 監督・脚本 | |
| 楢山節考 監督・脚色 | ||
| 1957 | 風前の灯 監督・脚本 | |
| 喜びも悲しみも幾歳月 監督・原作・脚本 | ||
| 1956 | 太陽とバラ 監督・脚本 | |
| 夕やけ雲 監督 | ||
| 愛と智恵の輪 脚本 | ||
| 1955 | 野菊の如き君なりき 監督・脚本 | |
| 遠い雲 監督・脚本 | ||
| お勝手の花嫁 脚本 | ||
| 1954 | 二十四の瞳 監督・脚本 | |
| 女の園 監督・脚本 | ||
| 1953 | 日本の悲劇 監督・脚本 | |
| まごころ 脚本 | ||
| 恋文 脚本・出演 | ||
| 1952 | カルメン純情す 監督・脚本 | |
| 1951 | 海の花火 監督・脚本 | |
| 少年期 監督・脚本 | ||
| カルメン故郷に帰る 監督・脚本 | ||
| 善魔 監督・脚本 | ||
| 1950 | 婚約指輪 監督・製作・脚本 | |
| 1949 | 破れ太鼓 監督・脚本 | |
| お嬢さん乾杯! 監督 | ||
| 四谷怪談 後篇 監督 | ||
| 四谷怪談 前篇 監督 | ||
| 1948 | 破戒 監督 | |
| 肖像 監督 | ||
| 女 監督 | ||
| 1947 | 不死鳥 監督・脚本 | |
| 結婚 監督・原案 | ||
| 1946 | わが恋せし乙女 監督・脚本 | |
| 大曽根家の朝 監督 | ||
| 1945 | ||
| 1944 | 陸軍 監督 | |
| 歓呼の町 監督 | ||
| 1943 | 生きてゐる孫六 監督・脚本 | |
| 花咲く港 監督 | ||
| 1942 | 男の意気 脚本 | |
| 間諜未だ死せず 脚本 | ||
| 1941 | ||
| 1940 | ||
| 1939 | 五人の兄妹 原案・脚本 | |
| 1938 | ||
| 1937 | ||
| 1936 | ||
| 1935 | ||
| 1934 | ||
| 1933 | ||
| 1932 | ||
| 1931 | ||
| 1930 | ||
| 1929 | ||
| 1928 | ||
| 1927 | ||
| 1926 | ||
| 1925 | ||
| 1924 | ||
| 1923 | ||
| 1922 | ||
| 1921 | ||
| 1920 | ||
| 1919 | ||
| 1918 | ||
| 1917 | ||
| 1916 | ||
| 1915 | ||
| 1914 | ||
| 1913 | ||
| 1912 | 12'5 静岡県浜松市で誕生 | |
| 新・喜びも悲しみも幾歳月 1986 | |||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
| 灯台職員で、家族を連れての転勤を繰り返してきた藤田芳明(加藤剛)は、妻の朝来(大原麗子)や子ども達と共に1973年に若狭湾から石廓崎へと転勤が決まった。その送別会が行なわれている時にひょっこり芳明の父邦夫(植木等)がやってきて、芳明と一緒に旅をしながら新天地を見てみたいと言ってくる。強引な邦夫の言い方に、それでもなかなか出来ない父への孝行と、芳明は邦夫と共に車で伊豆に向かうのだが、その途中、二人は北見由起子(紺野美沙子)という若い女生と知り合う…13年にわたる灯台職員一家の軌跡を追う。 木下監督が1957年に作り上げた灯台守の家族の物語『喜びも悲しみも幾年月』。これは木下監督の代表作と言われ、日本映画の名作の一つに数えられている。その当時にしか撮れない風景を切り取ったかのようなその美しい風景も相まって、実に素晴らしい作品だった。 そして約30年を経て作られた『喜びも悲しみも幾歳月』の続編というか、セルフ・リメイクが本作となる。 やはり30年というのは相当長い時間だ。映画の作り方も違ってきているし、そこにいる人間の価値観も大きく異なっている。作りも、オリジナル版は状況を重要視していたのに対し、本作は人間の心を掘り下げる方に重点が置かれている。これが木下監督の心情の変化なのだろうし、映画の観られ方も変わってきたことを感じさせる。 ただ、物語自体は実を言えばさほど目新しいものじゃない。平均的なテレビドラマに綺麗な風景をくっつけただけといった感じで、金を使っているのは分かるけど、オリジナルに思い入れがない人が金出して映画館に行くレベルではない。少なくとも新規開拓は全く狙ってないだろ? ただ幸運だったのは、本作は役者には恵まれたと言う事だろうか。特に植木等の存在感だけで本作はなんとか体面を保てた感があり。かつての“無茶苦茶だけど憎めない”スチャラカ社員は、“無茶苦茶だけど憎めない”老人になっていて、周囲はその行動を一方では苦々しく、一方では愛してやまない。そんなキャラがいたお陰で散漫になりかけた物語をしっかり引き締めてくれている。本作で評価できるのは、風景を除けば植木等だけ。 オリジナル版の『喜びも悲しみも幾年月』は木下監督もかなり思い入れはあったようで、これまでにも『二人で歩いた幾春秋』、『愛の手紙は幾歳月』と言った、タイトルを引用した作品に関わっているし、実際本作はそもそも、もう一つの木下監督の名作『二十四の瞳』のリメイクを依頼された際(市川崑監督の『ビルマの竪琴』リメイクが成功したために依頼された)、そちらよりもこちらを作りたいと本人が主張したためだったのだとか。 |
|||||||||||||||||||||||
| 衝動殺人 息子よ 1979 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1979日本アカデミー主演男優賞(若山富三郎) 1979ブルーリボン主演男優賞(若山富三郎) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 被害者遺族保護の法律を成立させようと努力する親の努力を描く 衝動殺人を社会問題としてとらえたアピール性の強い作品 それまでテレビで活躍していた監督の映画復帰作(その前に片手間で撮った「スリランカの愛と別れ」があるが)。川崎で実際に起こった事件の映画化。復帰作にこれを指定した木下監督に、松竹は難色を示すが、強引に押しきる。その結果かなりのヒットを記録するが、これはTBSの餞別を兼ねた後押しがあったからとも言われる |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 香華 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1964キネマ旬報日本映画第3位 1964毎日映画コンクール男優助演賞(三木のり平) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 明治。紀州の田舎で育った朋子(岡田茉莉子)は母郁代(音羽信子)から静岡の遊郭に半玉として売られてしまった。幸い芸妓の腕が確かな朋子は芸子として一本立ちすることが出来たが、なんと郁代が朋子の勤める叶楼に九重花魁という女郎として郁代がやってきたのだ。郁代を母と呼ぶ事も出来ぬ朋子だったが、ここから母娘の長きに渡る確執の始まりだった。 有吉佐和子の同名小説を木下監督が映画化した作品で1964年邦画興行成績7位という記録を持つ。 本作はたまたまだが昔読んでいて、これが映画化されたと言うことを知ったのはつい最近(単なる無知)。しかも木下監督作品で3時間を超える大作である。しかし、これをこれだけの長さで映画化出来るのか?正直それが感想。だってこの作品、女性の生涯を描くと言うには、あまりにキツすぎる作品だって事は分かってる。何せこの作品って、ほとんど母と娘の二人しか登場人物がおらず、それが延々とくっついたり離れたりを繰り返すだけの作品だったから… それで観て驚いたのは、本当にその原作をそのまま映画化しているという事実。奔放で勝手すぎる母のわがままに長々とつきあわねばならない娘のやるせなさが延々と描かれるばかり。観ててストレスが溜まるよ。 しかし驚くのはそれでこの作品、全然飽きさせてくれなかった。物語の展開が分かっていると言うこともあるけど、時間の断絶を巧く使って「へえ。ここにこの演出か」とか、唸らせてくれた。前後3時間の長丁場を飽きさせずに作ったというだけで、木下監督の凄さが分かるというものだ。 劇中盤のクライマックス。岡田茉莉子が加藤剛に駆け寄る雨の演出は、特に木下監督に特有な「木下移動」と呼ばれる手法(100〜200メートルの距離をトロッコに乗せたカメラで移動させる方法)は本作が完成型とまで言われる。 出来そのものは本当に邦画そのもの。と言う感じなので、こう言うのが好きな人は是非ともお薦めしたい。ただ、原作をあらかじめ読んでおいた方が本作は楽しめると思う。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 二人で歩いた幾春秋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 甲府で道路工夫として働く野中義男(佐田啓二)とその妻とら江(高峰秀子)は利発な息子の利幸の成長だけを楽しみに生きていた。利幸もその期待を一身に受けてこども時代を過ごし、そしてついに京都大学の入試に望む… 河野道工の歌集「道路工夫の歌」に題材を取り、木下監督自らが脚本を起こして作り上げた作品。 監督の代表作とも言える『喜びも悲しみも幾春秋』以来、定期的に監督は日本の夫婦や親子の関係を時代の中で見直す作品を作り、その度毎に『幾春秋』という題を付けてきた。本作は戦後から始まる約16年間が描かれていく。 16年という年月は長い。その中で安い給料の中、真面目一徹に働き続けるモチベーションはこどもにあった事がよく分かる話で、価値観多様の現代から見ると、なんという不器用な生き方なのだ。と思えてしまう部分もあるのだが、改めてこれが本来の人間としての生き方なのかも知れない。とも思える。『喜びも悲しみも幾春秋』の灯台守のような特殊な職業ではないが、こういう人達が今の日本を作ってきたのだだ。ナンセンスと笑う訳にはいかないだろう。 お互いを思うが故に、互いの心が分からなくなると言う途中の義雄と利幸の軋轢はどことなく「賢者の贈り物」を思わせるところがある。 やりきれない日常の中で希望を持ちつつ生きていく生活が主体になるが、その描写を過度に暗くせず、親しく捉えているのが特徴。小津の作品とは性格が異なるが、何気ない生活を切り取ってドラマにしてしまえるのが木下監督の強み。少なくともこういう作品を衒い無く作れる監督が日本にはいたのであり、やはり重要な監督であることを再認識させられる作品だろう。 ただ、改めて日本はずいぶんと変わってしまった事をしみじみと感じさせられるものでもある。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 子に残す何一つなき我れ故に子は大学に入れてやりたし | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 永遠の人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1961米アカデミー外国語映画賞 1961毎日映画コンクール男優主演賞(仲代達矢)、女優主演賞(高峰秀子) |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 上海事変で戦争に行っていた婚約者の川南隆(佐田啓二)を待つ村の娘さだ子(高峰秀子)。だが先に帰国したのはさだ子に横恋慕していた小清水平兵衛(仲代達矢)の方で、その歓迎会に出たさだ子は平兵衛に犯されてしまう。遅れて帰国した川南はそれを知り、自ら身を引いてしまうのだった。結局平兵衛と結婚したさだ子だが、その後小清水家の手伝いにやってきたのは川南の妻友子(音羽信子)だった… 憎み合う夫婦の30年にわたる確執と和解を5部構成で描いた木下監督による渾身の力作。 木下監督は一貫して戦前の自由のない時代の窮屈さと、戦後の自由を対比して描こうとしていた所に特徴がある。その意味で本作はまさに木下監督らしさと言うものを実によく示した作品と言えるだろう。物語自体の構成は『喜びも悲しみも幾歳月』同様夫婦の長い生活を描いた作品だが、あちらが陽性の作品だったのに対し、本作は情念渦巻く陰性の世界で、男を憎み続けて生きる女の怖さを厳しく描いていて、かなり観るのがきつい作品ではある。 正直それまで木下監督作品は戦後民主主義をそのまま良きものとして受け止めているとしか思ってなかったのだが、本作を観て、少々その考えを改めた。戦後民主主義がもたらしたものは、果たして本当に良い事ばかりだったのだろうか?まるでその疑問をぶつけてきているよう。それを悪意と捕らえるのは簡単だが、ある意味では現代になって起こり始めたひずみを、監督らしく戦中を描く手法を使って改めて捉え直したのかも知れない。 『喜びも悲しみも幾歳月』で見られた高峰秀子と佐田啓二の夫婦がここでは決して結ばれない悲恋の相手として。その代わりに仲代達矢が夫役として登場するのだが、結果的に一番悲惨な役どころだったんじゃないだろうか。表面上暴力的で野獣のような男だが、どれだけもがいても絡め取られるばかり。それに苛ついてはますます荒れる。かなりきつい役だ。 木下監督特有の「夕景狙い」が全部で6カット。潤沢な予算を使える木下監督ならではの手法。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 笛吹川 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1960ブルーリボン助演男優賞(織田政雄) 1960キネマ旬報日本映画第4位 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 甲斐の国笛吹川の橋のたもとに住む農民一家があった。跡取りの半蔵は戦に取られ、甥である貞吉(田村高広)が家を継ぎ、足の不自由な妻おけい(高峰秀子)を嫁にもらう。時折様子見に家に戻ってくる半蔵も含め、時代の流れにもてあそばれる一家の60年にも及ぶ生活を描く。 深沢七郎原作の同名小説の映画化。 「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」。そんなことを思わされる作品。徹底して農民の目から戦乱の世を見た作品で、静かに静かに流れる物語が展開していく。常に下の目から物事を見ようとする木下監督ならではの作品だろう。時にこう言った視点が鼻につくことはあるものの、本作はその点が素直に観られた。あるいは本作を観た時期が『七人の侍』(1954)を観た時期と重なっているからかも知れない。むしろ本作で補完出来たからこそ、『七人の侍』がいかに下からの視点を持っているのか。と言うことを感じさせられたのかも知れない。 本作は笛吹川という川の「こちら側」と「向こう側」で話が展開する。「こちら側」に住む主人公の家(「主人公が住んでいる家」ではない。本作では「家」こそが主人公なのだから)は、ほとんど変化がない。ここではひねもす働き、子供を作る生活が脈々と続いていくのだが、「向こう側」では戦乱の世が展開し、その影響は「こちら側」にも波及。何も変わったことをしてない。何も悪いことをしていないのに、ただ川向こうの戦乱が否応なしにこちらの生活を脅かす。川向こうでは英雄的な物語が紡がれているのかも知れない。時折やってくる半蔵でそれが語られるが、例えどれだけそれが華々しくとも、「こちら側」には悪影響しかもたらさないのだ。 ここには因果応報の物語展開はなく、ひたすら虐げられる家があるばかり。これこそが無常というものだ。 木下監督自らが手がけた本邦初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』は既に9年前に公開されているため、カラー技術は既に確立しているのだが、敢えて本作はモノクロで作られているのも、その無常観からくるものなのだろう(木下恵介は雲にこだわりを持った監督と言われ、全ての作品で雲にも演技をさせようとしたと言われているが、人工的に“演技”させたのは本作だけだろう)。パートカラーもまた、毒々しい色遣いで不安を煽るために効果的に使われている。 これまで労働の大切さ尊さを描き続けた木下監督が作った、自己否定の物語のような雰囲気もある。時代の流れの中での監督ならではの問いかけだったのかも知れない。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 風花 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 楢山節考 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1958キネマ旬報日本映画第1位 1958毎日映画コンクール日本映画賞、監督賞、音楽賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 信濃の山に囲まれたとある村。ここでは人は70歳になると楢山行き、つまり姥捨てが行われていた。69歳になるおりん(田中絹代)の心残りは、妻に先立たれた息子の辰平(高橋貞二)と孫たちの事。辰平に新しい嫁が来さえすれば、喜んで楢山に行こうと心を決めていた。そしておりんの望み通り、隣村から辰平の嫁、玉やん(望月優子)がやってくる日が来た… 深沢七郎の同名小説の映画化。1983年邦画興行成績9位。 高齢者問題が社会問題になる前にその先駆けとして作られたような作品で、社会的にも大きな衝撃を与えた作品。日本古来の“姥捨て”という因習について鋭い視点からドラマ化を果たしている。 ただ、本作の狙いは「日本にはこんな野蛮な風習がありました。お年寄りは大切にしましょう」というものでは決してないのだと思われる。むしろこのような事実があったことを淡々と描くことによって、現在これを観ている人間に今を考えさせようとしたのだろう。果たして姥捨てというのは、本当に単なる“悪”なのだろうか?いやむしろ、これは肯定的に捕らえるべきなのかも知れないのだ。自分自身で死ぬ時を定めるのこそが、人間に残された最後の自由なのかも知れないのだから。 本作での田中絹代の名演ぶりはたいしたもので、前歯まで抜く熱演ぶりを見せているが、ほとんどの場面で表情を変えず、運命をそのまま受け入れる女性を好演している。その静かさぶりが観ているこちら側にはかえって感情を露わにするよりも鬼気迫るものに感じさせられる。それに演じているのが静かだからと言って、画面そのものが静かではないのが特徴でもあろう。オールセットで撮られている上に、言葉の使い方とか歌舞伎調で演出してるので、台詞回しなどは結構躍動感がある。 それらがリアリティを損なってる部分も確かにあるのだが、逆に考えると、「これはあくまで作り物」という点を強調しようとしてなのかもしてない。 ただ残念なことに、本作は内容、人気共にトップクラスであり、この年のヴェネツィア国際映画祭出展の最有力候補とされていたのだが、『無法松の一生』に逆転されてしまって、賞には恵まれていない。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 喜びも悲しみも幾歳月 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1957キネマ旬報日本映画第3位 1957毎日映画コンクール女優主演賞(高峰秀子) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1932年。結婚したばかりの若い燈台員有沢四郎(佐田啓二)ときよ子(高峰秀子)が東京湾の観音崎燈台を皮切りに、北海道の石狩灯台、五島列島の女島燈台、佐渡の弾崎燈台、静岡の御前崎燈台、三重県安乗崎灯台、瀬戸内海の男木島燈台、そして再び御前崎燈台へと…日本中を駆けめぐる灯台守の姿と、彼らの生涯にわたるドラマを通し、日本の昭和史を描く。 名監督木下恵介監督の代表作で、日本の映画史を語る際に重要な位置づけを保ち続けるであろう傑作。1957年邦画興行成績2位。 本作の物語は灯台守の家族という特殊な職業のミニマムな目から俯瞰してみているのだが、本作はまさに日本の昭和史そのもの。こんなものを作ろうと考えた事自体が凄い冒険ではなかったか?と思えるほど。 家族としての物語で見る限りは、職業が特殊なだけで基本的にはどこにでもあるような普通の生活が主に描かれていき、展開はのんびりのんびりと言った風情だが、むしろこれこそが日本の家族のあり方そのものと言った感じ。単なる家族の物語であっても時代背景に合わせてあるため、それだけで充分興味深いもの。 それに頻繁に転勤を繰り返し、日本全国を回っていると言う設定だけに、日本中の最も美しくて最も厳しい風景を切り取って見せてくれている。この撮影当時の風景でも今となっては貴重な映像資料になるため、この一本で全国を撮影したと言うだけでも、後年の目で観るべきものに仕上がっている。 それにやっぱりテーマソングが良いよ。「おいら岬の灯台守は〜♪」ってフレーズは耳に残るよ…なんとなく『妖星ゴラス』(1962)の「おいら宇宙のパイロット」とかぶるのがなんだけど(笑) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 野菊の如き君なりき | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 故郷に帰るため船に乗った老人が、故郷に近づくに従い、思い出してくる思い出の徒然を老船頭に語っていく。それは彼が15歳の事。旧家の次男として育った政夫には二つ年上で町で育った民子という従姉がいた。淡い恋心を民子に感じていた政夫ではあったが… 伊藤左千夫による「野菊の墓」の初映画化作品。木下監督によるこの作風では、話の中心が若い頃の政夫と民子の物語ではなく、あくまで現在の老人の政夫にとっての回想によるものが強調されているため、非常に抒情性の高いものに仕上げられている。 それを感じさせるのは若い頃のシーンにはだ円形のぼかしを入れ、そのため幻想的な雰囲気を作り出している。過去は思い出の中で美しく、それ故神聖なもの。下手に過去をリアルにする事無く、想い出としてのみ存在すれば、それでいいのだから。オリジナルの小説でも、その部分が強調されていたし。特に木下監督の特徴とも言える後ろ姿の演技が素晴らしい。小説と映画の断絶を、表情を見せないことによって上手く語っていた。 ある意味本作はメタ作品として語られるべきものかも知れない。斬新な映画として記憶される作品である。 ところでやく30年後にリメイクされた『野菊の墓』(1981)はこの辺の演出を全くふまえることなかったのが残念だった。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 二十四の瞳 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1954ゴールデン・グローブ外国映画賞 1954ブルーリボン作品賞、主演女優賞(高峯秀子)、脚本賞 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 小豆島の小学校の、12人のクラスの担任として、新任の大石(高峰秀子)がやってきた。毎朝自転車に乗って出勤する彼女に村の人たちは顔をしかめるが、いつしか気持ちの良い大石は村に受け入れられていく。そしてクラスの子どもたちは、大石と共に楽しく学校生活を送っていく。しかし、やがて家の事情で学校に通えなくなってしまう子、引っ越していってしまう子が出るようになる。そしてこども達の卒業後も、やがて来る戦争の影に村は覆われていく… 1953年から1954年にかけ、邦画の良作が次々に登場していった。小津安二郎監督による『東京物語』、黒澤明監督による『七人の侍』、溝口健二監督による『山椒大夫』、本多猪四郎&円谷英二による『ゴジラ』…まさに邦画黄金期とも言える。その中にあって、「国民映画」とまで呼ばれる名作となったのが本作。邦画を代表する監督の一人、木下恵介監督の代表作でもあり、1954年邦画興行成績も5位と健闘しているし、海外でも評価されている。 これは確かテレビで放映したのを母親から「面白いから観なさい」と言われて観た作品だった(ちなみに母は大学の文学部卒)。当時アクション映画以外を観る気がなかったガキだったし、母親の言うことに従うことがなんだか面白くなかったのでテレビ画面を横目で見つつ、漫画か何かを観ていたのだと思うが、意外にもその大部分が記憶に残っている…多分当時の自分が思っていたよりもはるかに面白い映画だったのだろう。記憶だとフィルムが時折暗くなって画面が分からなくなった部分もあったようだが、概ねは明るい高峰秀子の魅力が溢れる作風だったはず。彼女を慕うこども達の表情も活き活きとしていた。素なのか演技なのか判断つかないけど、田舎臭い演技をしっかり演じきった子供もいたし、表情の変化がとても面白い子もいた。特に初めてバスに乗って、そのあまりの速さに呆然とした表情はよく撮れたもんだ。 こども達が卒業してからは割合早足だったし、ちょっと端折った感もあるが、全般を通してほのぼのした良作だ(少なくとも小学生の小生意気盛りのガキが全部観られる程度に(笑))。 そういやこう言った情に訴える作品って、あんまり観ないようになったから、だからずっと覚えていたのかも知れないな。 特に本作の場合、戦前戦中戦後の三つの時代で日本はどのように変わっていったのか、その辺を短い間にきちんと描写しているのも強みだろう。 これまで様々な技法を駆使して映画を撮る事に挑戦してきた木下監督が、技巧よりも話の内容を中心にし始めた作品であり、本作で19歳から49歳までを演じた高峰秀子は以降女の一生ものに多く出演することになる。 個人的に一つ、あんまり画面には出てないんだが、彼女の夫となる人物、えらく個性があるし、どこかでデジャヴュが…え゙?天本英世だったの? ところで本作の撮影の海を挟んだ高松では折しも『七人の侍』の撮影中。天気待ちが多かったため、スタッフは見学に行こうとしたが、木下監督は決してそれを許さなかったとか。ライバル意識と言うよりは、スタッフが変な癖を付けることを恐れたのだろう(と思う)。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 女の園 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 姫路の瀬戸物屋の娘である出石芳江(高峰秀子)は三年間銀行勤めをした後で京都郊外にある名門の正倫女子大学に入学した。授業に遅れないようにするためには消燈時間を破ってまで勉強せねばならず、恋人の下田参吉との自由な文通も許されない。そんな寮生活を重荷に感じていた。それは他の学生たちも同じで、時折破目も外すが、それが原因となって、ある者は恋人と密会したことを理由に、ある者は左翼的思想を持ったと言う理由で退学を命じられる。それを不服と騒ぐ学生たちに対し学校がとった処置は、不均等な罰だった。そんな中で芳江の罰は軽いものだったが、それは逆には学生たちから勝手に密告者とされてしまう… 阿部知二の小説「人工庭園」の映画化で、封建体制的学校制度とそれに反発する学生たちを描いた、いわば“民主的”な作品だが、それを徹底して明るく撮った『青い山脈』(1949)とは全く異なり、リアリティにあふれる重い作品として仕上げられている。 私に関しては、初見の時は唐突で救いようのない終わり方にちょっと引いたし、中途半端な印象を持ったものだが、今はかなり違った観方が出来ている。 木下監督は戦中時から左翼思想を持っていたらしいが、軍部の圧力でそれを抑えて高揚映画でデビューしたと言う経緯を持ち、それを随分長く悔いていた。しかしその悔いがあるからこそ、木下監督の作品は単なる自由謳歌ではなく、自由とは何かを犠牲にするもの。あるいは何かを得るために犠牲にされるものとして考えることができよう。事実監督にとってはかなりの陽性であるはずの『喜びも悲しみも幾歳月』でさえ、自由と義務の狭間で悩む姿がしっかりと描かれていた。 本作はそんな監督作品の中でも最もストレートで重い話の一つととして数えられるだろう。 旧弊がはびこり、それを誇りとしてるかのような学校と、自分たちの青春がそんな無味乾燥なものに押し込められることを拒否した女学生たち。設定だけで言えば、確かに自由謳歌の形へと持っていきそうな物語構造なのだが、曲がりなりにもその“自由”なるものを手に入れる過程で失ったものがどれほど重いものなのか。それこそがこの物語の主題だ。 本来彼女はそんなことをまったく思ってもいなかったはずだし、物語自体も彼女の死が唐突な形で物語を終わらせてしまっているが、結果として芳江は自由を得るための礎。殉教者となっていく。こうやって犠牲を払いつつ、今の教育と言うのが作られていったのは事実なのだ。個人的には教育改革は常に重要だと思ってるけど、一方ではそのような痛みの歴史があったことも忘れてはならないと思ってる。 自由とは得るまでに大変な苦労を要するが、一旦得てしまうと、後は坂を転がり落ちるように堕落していく。果たして今、自由を謳歌しているはずの私たちが本来的な“自由の重さ”をしっかりと受け止められているのだろうか。 現代の目で改めて本作を観ると、特に後年の大学闘争と絡めて興味深く、新鮮な思いで観ることが出来る作品だが、当時これを観た大島渚が感動して映画界に入るきっかけになったとも言う。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| カルメン純情す | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 浅草のストリッパー、カルメン(高峰秀子)のもとに旧友でありかつての同業者の朱實(小林トシ子)が赤ん坊を抱いてやってきた。話を聞くと、恋人との間に子供が出来たものの、男に捨てられてしまい泣く泣くここにやってきたというのだ。朱實はともかく、子供を育てられる環境ではない今の状況に悩むカルメン。一方、カルメンはその子が元でパリ帰りの芸術家須藤(若原雅夫)と知り合う。彼と逢っている内に、思慕の情を抱くようになる… 木下監督による『カルメン故郷に帰る』の正式な続編。前作は日本に新しい時代がやってきたことを高らかに謳った作品で、旧習から離れられない田舎の人間の前に、脳天気なほどに明るいストリッパーが帰郷したという、一種のスラップスティック的な話に仕上げられていたのだが、本作では一転。その脳天気に見える彼女たちが都会で一体どんな暮らしをしているのか。と言う事に焦点を当て、その辛い現実を細やかに描いて見せた。 ここでタイトルに『純情』という言葉をもってきたのは面白いところ。カルメンにとってストリップは芸術のはずなのだが、プラトニックな情熱を抱いた人に対しては、どうしても肌を見せられない。これはおそらくストリップそのものを恥じているのではなく、相手が好きな人だから、自分の狂騒的な部分を見せたくない。という純情であろうし、又この場合の「純情」は「自分に真っ正直に生きよう」という意味合いも持っているんじゃないだろうか。本当にやりたいことをやる。恋をしたいなら、真っ正面から恋をするし、人を好きになったら一途に好きになる。その結果どうなっても後悔はしない。最後のカルメンの笑顔は、確かにその強さを持った表情に見える。 丁度テレビの放映で『カルメン故郷に帰る』と本作を続けて観たわけだが、そのあまりのギャップに驚かされたのと、一見脳天気に見えるカルメンが一体どんなことを考え、どんなことを背負って生きているのか。その現実をしっかりと見せてくれた。前作で見せたカルメンの明るさは本作でも健在ながら、その笑顔の背後も見せたのはさすが木下監督だ。 監督としては、新しい時代が来たことを喜びつつも、その新しい時代のためには、色々頑張らなければならないことが多い。と言う事を伝えたかったのだろう。実際その通りだし、声や態度だけでは足りないのだ。しっかりと社会の重みというものを受け止め、その上でそれを越えて見せようとする。ある意味とてもポジティブな社会派作品だ。 社会派と言うと、本作は色々な要素が組み合わさっているのも確か。ストリッパーという、ある意味人に後ろ指指されるような職を主人公に、職業の貴賎を問うていたり、劇中に戦争反対のアジをぶち上げて見せ、真っ向から再軍備反対の映画メッセージを叩きつけてもみせてる。 何より戦後からもう7年。敗戦のショックから抜け出た人々が、「昔は良かった」を語り始め、それが復古主義という反動に変わり始めた時代でもある。それに対し、歴史は新しい形で動き出しているのだ。と正面から監督が挑もうとしているのだろう。 まあ、話が真っ正面過ぎるのと、暗い現実が続くために、観ていてかなりキツイのは確かなのだが。 あまりにも雰囲気は違っているけど、この二作が合わさって意味を持つ作品になってる。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 少年期 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 波多野勤子のベストセラー作品の映画化。石浜朗がオーディションで主演の座を射止める。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| カルメン故郷に帰る | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 東京に行っていた青山きん(高峰秀子)が久々の故郷浅間に帰ってきた。しかし彼女は既に昔の面影を残すことなく、リリイ・カルメンというストリッパーになっていたのだ。彼女と、一緒にやってきた仕事仲間の朱美(小林トシ子)の派手な格好や振る舞いは平穏な村に波紋を投げかける。それでも自分の職業に誇りを持ち、ストリップが芸術だと主張するきんはあくまで我が道を行く彼女の行動を追う。 日本初のカラー長編映画(当時の言い方だと「総天然色映画」)として有名な作品。カラーを前提としているだけに、色彩の綾は実に素晴らしい。まるで『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)のオープニングを思わせるような、雄大な山脈と野原の対比。そこに住むくすんだ村の家々や村人の格好と、そこにやってきた二人のストリッパーの原色の服装の対比。それらをコメディとしてうまくまとめてくれた。まあ、木下監督も日本映画初の試みってことで気負いがあったか、やや派手さが行きすぎた感はあるけど、これも初めてのカラー作品と言うことで、カラー感光のためにどの色が一番映えるかを模索した結果であろう。 ストリップを題材にしているとは言え、話自体はコメディなので何もかも開放的で、陰惨さは微塵もない。いつも通りの生活の営みの中に脳天気なちん入者がやってくるというのは後年の男はつらいよを思わせる部分もあり、これも又日本映画におけるエポックメイキングとなった作品と言えよう。 尤も、話が脳天気すぎるし、高峰秀子自身にこの役が似合っているかどうかと言うのは別問題。ちょっと浮きすぎだよ…まあ、続編の『カルメン純情す』でその辺のフォローはちゃんとやってくれてるから、二作まとめて観ることをお薦めしたい。 本作のロケ地は浅間牧場。これはかつて木下監督の『わが恋せし乙女』と同じ場所で、同アングルで撮られているところも多々ある。これは同じアングルでモノクロとカラーの違いはどうか。という実験的な意味合いもあったらしい。 先に書いたが、本作は日本初のカラー映画だったが、現像能力に限界があるため、オリジナルプリントは12本しか存在しない。合わせて白黒版も作られているそうだが、やはりこの作品はカラーで観るべき作品だろう。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 善魔 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 三國連太郎主演デビュー作。ここで役名だった三國連太郎を自分の芸名にする 善をなすためには悪魔のような実行力を持たねばならないと信じる新聞記者が職業意識と人間愛の相克に挑む 死んだ恋人と結婚式を挙げようとするシーンはあまりにもエキセントリックと称された。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 破れ太鼓 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| その腕と度胸で一代にして最大手の土建会社を打ち立てた津田軍平(阪東妻三郎)は、やり手ではあるが、家族は俺のおかげで幸せに暮らしているとうそぶき、傲慢暴君で通してきた。だが、その子供たちは皆父親の影響から逃げようとしている。特に次男の平二は父を風刺した「破れ太鼓」という歌をつくって弟妹にきかせていた。又、長女の秋子は父の会社の出資主の息子に嫁にいけといわれていたのだが、青年画家野中と愛し合うようになってしまう…そしてついに家族はバラバラに。しかも軍平の会社も暗礁に乗り上げてしまい… サイレント時代のヒーローとして愛された阪東妻三郎は、時代がトーキーに移ってから、大変苦労をしたと言われている。立ち居振る舞いは見事だったのだが、問題は彼の声が男にしては甲高すぎ、更に聞き取りにくいという欠点があった。 それでトーキー時代の到来と同時に、徐々に製作会社からもお呼びがかからなくなっていったのだが、しかし、そこで彼は持ち前の根性を発揮。現代劇にも手を伸ばし、更に汚れ役も喜んで引き受けると共に、徹底的に声の訓練を行った。その甲斐あって、本人曰く「死ぬ気で」演じた『無法松の一生』(1943)は見事な作品に仕上がり、これまでの一本調子のヒーローから、芸域の奥深さを感じさせられる名優へと変わっていった。 それで阪妻は特に現代劇では色々な役を演じていた。本作は彼にとっては初挑戦となる喜劇だったが、このはまり具合はなかなか小気味よく、意固地で頑固な親父をのびのびと演じていた。声も割と抑えることもなく、男にしてはやや高めだったが、これがヒステリックなキャラクタには実に良く合う。新境地と言うよりははまり役にさえ見えてしまうほど。お陰で周りのキャラを完全に食ってしまってたけど。 ところでこの作品は戦後4年で作られたと言う割に、大変内容はモダン。僅か数年前の廃墟の描写から一転し、成功者の目から見た日本という国がここには描かれる。敗戦後僅かこれだけでここまで伸びやかな作品が作られたという事実にも驚かされるが、同時にここには将来の日本を暗示するかのような、競争社会の原理も又、描かれていた。阪妻演じる津田は成功者であり、ワンマンなやり方を通してきて、それが成功の原動力となっていたし、その価値観を子供にも押し通そうとしている。しかし彼の影響力というのは、結局経済力で計れるものでしかない。だから、その経済力を必要と思わない人間にとっては、その押しつけは重荷でしかない。だから結局家族は彼の元を離れていき、そして最後はこれまでの価値観の転換を余儀なくされた津田は家族との和解へと進んでいくことになる。この作品の先見性は大変なもので、これから高度成長時代へと転換していく日本ではしばしこれは切り捨てられ、その価値観が復活していくのは実に20年が経過した1970年代になってから(アメリカでさえ、この価値観に気づくのは1960年代になってからだ)。それにこの問題は現代の問題でもある。旧来の価値観と新しい価値観のぶつかり合いが起こっているその時だから出来たのかもしてないし、あるいはあまりにも先見性が溢れすぎていたのかもしれない。今からしてみると、時代を観るためには必須の作品と言っても良い。 まあ、木下監督らしく、少々説教じみた内容なのだが、充分コメディとして楽しめる作品で、バランスも大変良い。昔の作品と言うだけでなく、普遍的なテーマを扱った作品として、オールタイムでお薦めしたい作品。 次男坊を演じたのは木下監督の実弟で音楽家の木下忠司。俳優ではないため台詞も表情も淡々としてるが、逆にそれがリアルに見える。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| お嬢さん乾杯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 自動車修理工の石津圭三(佐野周二)は得意先の口利きでお見合いをすることになった。相手は旧華族と聞いて尻込みしていたが、実際に会ってみると、その娘池田恭子(原節子)は気さくな人格で石津の話も熱心に聞いてくれる。すっかり恭子を好きになった石津はおつき合いを始めるが、その内に趣味の相違が明らかになり、更に恭子の父は詐欺事件のとばっちりで刑務所の中。華族と言っても借金だらけという内情が明らかになっていく。それでも逆にその足枷が石津の愛情を深めていくのだが… 戦時中心ならずも戦意高揚作品を作らざるを得なかった木下監督が本領発揮と言った感じでのびのびと作った作品。 物語そのものは身分違いの恋という昔からあった物語をベースにしているが、民主化の波の中、その恋が祝福されているというのが大きな特徴だろう。確かにこれまで考えられない組み合わせだし、キャラも演出ものびのびとした雰囲気を伝えてくれる。 ただ、こういう身分違いの恋が実るような時代になったからと言って、本当にそれで普通につきあえるのか?と言う部分が違っている。お互い住む世界が違うので、考え方も趣味もお互い全く知らないことだらけ。最初はそれも新鮮だが、やがてそれは避けられない溝として登場してくる。その過程での思いのすれ違いが大変興味深い所。 身分の差はもう無くなった。後は人格的な問題としてドラマが作られるようになった。それが高らかに謳われている。この設定が実に良い。 名優として抑えた演技の多い原節子が溌剌とした演技を見せてくれるし、ひたすら人の良い役を佐野周二が自然体で演技しているのも好感度高い。佐野周二は成り上がりという割りには上品すぎるけどね。 メロドラマが今ひとつ乗り切れない私だからこの点数だけど、実際はもっと評価して然りだろう。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
| わが恋せし乙女 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 浅間の牧場主草三郎(山路義人)はある日牧場の片隅で置かれていたと言う女の子を引き取り、自分の子供として育て上げる。美子(井川邦子)と名付けられ、美しい娘に育った。兄の甚吾(原保美)は美子に対して愛情を持っていたが、それを家族愛と思いこもうとしていた。そんなある日、三郎から真実を告げられる甚吾… 戦後になって、これまで抑えてきた木下恵介監督が作り出したのびのびした作風の作品。物語自体も監督の若い頃の思い出がベースだという。物語はやや起伏が足りない部分はあるものの、戦後民主主義の方向性がはっきりと見られ、これまで抑えられてきた、封建制度からの大きな脱却が図られている。少なくとも、これまでの邦画では決してみられる事の無かったタイプの作品である事は確か。 好きなものを「好き」と言えるのは戦後民主主義価値観の最たるものだろう。本作はそれを主題にしているが、この場合恋愛至上主義と言うよりは、むしろ新しい映画を模索する過程の作品として捉えるのが正しいと思われる。親に強要される事無く、自分の感情をストレート相手に伝えられるようになった。というのはそれだけでも大きな進歩。それにこういった血の繋がらない妹に対する思慕ってのは、後に様々な形で日本の文壇を彩る事になるのだから。その走りとして捉えるべき。 それと、雄大な自然をストレートに描けるようになったのも特徴だろう。物語が明るく作られているため、自然豊かな浅間の牧草地が大変映えていた。自然描写もこれまでは人間の力や技術力を誇るために出されていたばかりだから、これも新しさということになるだろうか。 ロケ地の浅間牧場は『カルメン故郷に帰る』と同じで随所に同じ風景が出てくるが、これは日本初のカラー作品だという事で、どれだけ発色するのかのテストを兼ねて、同じところで撮影してみたためだそうだ。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 大曽根家の朝 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 太平洋戦争華やかかりし頃、地方の実力者大曽根家では、房子(杉村春子)が夫を失い女手一つで家族をとりまとめていた。子供達も立派に成長し、娘悠子(三浦光子)の婚約者実成明(増田順二)の出征を祝っていたが、丁度その日、長男の一郎(長尾敏之助)が思想犯として検挙されてしまい、大曽根家を牛耳る叔父の一誠(小沢栄太郎)により悠子の婚約は破棄されてしまった。次男の泰二(徳大寺伸)、三男の隆(大坂志郎)と次々に出征が決まっていく。運命の変転の中、圧力的な一誠に何も言えない大曽根家の妻房子だったのだが… 『陸軍』(1944)に続き、地方の名家と戦争の軋轢を生々しく描く作品だが、『陸軍』を制作した当時は戦時中でもあり、どうしても制約を受けていた。その中でなんとか戦争反対の旗印を描いていた木下監督が、今度は一転して平和主義を全面に出した作品で、戦時中に押し込められていた言論の自由がおおっぴらに仕えるようになったことの喜びが描かれている。ただし、やはりGHQの管轄の元ではあり、そのお陰でGHQから民主主義的作品として推薦まで受けている。 確かにやや平和の押しつけという要素は感じられるし、最後の叫びは結局全ての悪は軍関係者と、それに踊らされた少数の人間に責任を押しつけているという印象は確かに感じられるものの、その中にあって、日本的な家庭のあり方というものが中心となっているので、それはそれで結構しっかりした作りになっている。 どんな環境にあっても妻としてしっかり家の屋台骨を取り仕切る妻役の杉村春子、そして何かというと軍を引き合いに出す役の徳大寺伸の二人ばかりが目立ってはいるけど、それでキャラはしっかり立っていた。他のキャラが今ひとつという印象は拭えないけどね。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 陸軍 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 山形有朋とも知己を持つ小倉の名家高木家に生まれた友彦(笠智衆)は病弱で、日露戦争で出征してもすぐに戻されてしまった。高木家の恥とまで言われた友彦は、息子に願いを託する。その意を汲む妻(田中絹代)は息子を厳しく育てるが… 太平洋戦争は日本の監督にも様々な影響をもたらし、著名な監督の多くも軍管理の中、戦意高揚映画を作ることを余儀なくされた(黒澤監督も同年に『一番美しく』を撮影してる)。そんな時にデビューした木下監督は意に沿わぬ作品を作らされてしまう。デビュー作である『花咲く港』(1943)自体が戦意高揚映画だったのだが、それを作ったことは本人も気に病んでいたのだろう。再び手がけた戦意高揚映画の本作はささやかながら抵抗が感じられる。 作品自体は太平洋戦争への出征を祝福している作品なのだが、主人公は一切戦場に出ない男という不思議な物語になってる。友彦の考えは軍人の鏡であるにも関わらず、彼の言動は著しくリアリティを欠いて見える。これは友彦の不器用さを表す良い表現で、彼に関しては表裏がない。腹芸が出来ないからこそ不器用な男なのだ。この辺は上手く作ったものだ。 最後の最後、田中絹代演じる高木家の母親がなんとも複雑な顔をして息子の出征を見送るシーンには確かにしんみりさせられる。それまではなんと言うこともない作品なのに、最後の10分での情感の出し方およびカメラワークはさすが木下監督。と言えるシーンは、確かにメッセージ性を強く持たせた作りになっている。 しかし、このシーンがまずかったらしい。公開されたラストシーンを観た陸軍将校がサーベル片手に松竹撮影所に怒鳴り込んだと言われ木下監督は松竹に辞表を提出する事になってしまったとか。しかしそれに対し木下監督も退かず、「鬼じゃあるまいし、息子を案じて母が泣くのは、人間として当たり前の姿でしょう」とたてついたという伝説が残っている。 現代の目から観ても、戦中に作られた名作の一本に数えられるだろう。 この作品で木下監督は自身の特徴でもある、“後ろ姿で演技させる”方法を確立したとも言われる。そのラストシーン、延々と母の後ろ姿を撮影するのは、「木下移動」と言われる独特の手法で、トロッコに乗せたカメラを100〜200メートルの距離走らせるというもの。この手法もこの時に確立された。 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 花咲く港 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 今や造船所の閉鎖とともに今はすっかりすたれてしまっているが、かつて造船で栄えた瀬戸内の小さな島。そんな村に、かつて造船所を建設し、“島の英雄”と称えられる野長瀬技師の御曹司修三がやってくると連絡があった。村長(坂本武)は村を挙げて修三を迎えようとするのだが、もう一人修三を名のる男があわられた… 木下恵介監督デビュー作。監督の師匠でもある島津保次郎からの伝統である、日常風俗を描くコメディながら、その時代の深刻な問題にも触れていくという松竹の特長的な作りをデビュー作から確立させている。 当時は太平洋戦争の真っ只中で、本作も内容的には軍国主義的内容に彩られてはいるが、今の目から見ると、軍礼賛よりもコメディや風俗の方の描写が中心になっているようには思える。この辺、強いられて軍礼賛を作らされている作家の反発と思えるところもあり。実際本人もデビュー出来て嬉しかっただろうけど、内心忸怩たるものがあったのではなかろうかね?ちょっとした抵抗を感じさせてくれる。 この時代の作品だからこそ、こういった洒落た物語が映えるよ。 時代が時代だけに撮影も大変だっただろうが、ラストの群衆シーンなどはかなりの迫力。 ちなみに本作の舞台は島だが、撮影そのものは木下監督の故郷浜松で行われたとのこと。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||