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1996 | 10'04 死去 | |
銀河お嬢様伝説ユナ 深闇のフェアリィ<OVA> 製作 | ||
1995 | 銀河お嬢様伝説ユナ 哀しみのセイレーン<OVA> 製作 | |
1985 | 食卓のない家 監督・脚本 | |
1983 | 東京裁判 監督・脚本 | |
1979 | ピーマン80 出演 | |
1978 | 燃える秋 監督 | |
1975 | 化石 監督 | |
1971 | いのちぼうにふろう 監督 | |
1968 | 日本の青春 監督 | |
1967 | 上意討ち 拝領妻始末 監督 | |
1965 | 怪談 監督 | |
1962 | 切腹 監督 | |
からみ合い 監督 | ||
1961 | 人間の條件 完結篇 監督・脚本 | |
1959 | 人間の條件 第3部望郷篇 第4部戦雲篇 監督・脚本 | |
人間の條件 第1部純愛篇 第2部激怒篇 監督・脚本 | ||
1956 | あなた買います 監督 | |
壁あつき部屋 監督 | ||
黒い河 監督 | ||
泉 監督 | ||
1955 | 美わしき歳月 監督 | |
1954 | この広い空のどこかに 監督 | |
三つの愛 監督・脚本 | ||
1953 | まごころ 監督 | |
1952 | 息子の青春 監督デビュー | |
1951 | カルメン故郷に帰る 助監督 | |
1949 | 破れ太鼓 脚本・助監督 | |
1916 | 2'14 北海道で誕生 |
化石 1975 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1975ブルーリボン作品賞 1975キネマ旬報日本映画第4位 1975毎日映画コンクール日本映画大賞、男優演技賞(佐分利信)、撮影賞、音楽賞 |
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いのちぼうにふろう 1971 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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上意討ち 拝領妻始末 1967 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1967キネマ旬報日本映画第1位 1967毎日映画日本映画賞 |
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小林監督の『切腹』に続く、武士社会の矛盾や悲劇性を強調して描く。国外でも好評を博する。芸術作品だが、アクション部分も力が入っており、上質な作品に仕上げられている |
怪談 1965 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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怪談 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1965米アカデミー外国映画賞 1965カンヌ国際映画祭審査員特別賞(小林正樹) 1965毎日映画コンクール撮影賞、美術賞 |
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黒髪:かつて貧乏暮らしに嫌気がさし、愛する妻を捨てて地方へ婿養子へと行った侍が京都に帰ってきた。新しく娶った妻との折り合いが悪く、かつての妻の姿を忘れられなかったのだ。すっかり荒廃したわが家に戻った男は、そこに昔と全く変わらぬ美しい妻を見いだす… 雪女:樵の茂作老人と巳之吉は森へ薪をとりに入り、吹雪に出会って、山小屋に閉じこめられた。その夜中に目を覚ました、巳之吉は、茂作に覆い被さるように息を吹きかける美しい女性を見る。彼女は巳之吉「誰にも今夜のことを話さないように。話したら必ず殺す」と言われ助けられた。その後、森の中で出会ったお雪という女性と所帯を持ち、幸せな日々を送っていたが、お雪にかつての出来事についてつい話してしまう… 耳無芳一の話:平家一門の供養のために建てられた赤間ケ原の寺に、芳一という琵琶の名人が住み着いた。夜になると、寺を抜け出し、朝ぐったりして帰って来る芳一を、不審に思った同輩が、秘に後をつけると芳一は、平家一門の墓前で恍惚として平家物語を弾じていたのだ。住職は、これ以上は芳一の命に関わると、芳一の身体中に経文を書き、怨霊が迎えに来ても声を出さないよう告げるのだが… 茶碗の中:豪胆で知られる中川佐渡守の家臣関内は、ある日茶碗の中に若い男の不気味な笑い顔を見た。何度茶碗をとりかえても、同じように現われるのだった。面妖に思いはしたものの、ぐっと茶碗を空け、帰宅すると、そこには茶碗の中にいた男の姿が… 世界に誇る日本文学の一つ、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲の「怪談」を日本人の手で映画化。オムニバスの強みで、オールスターキャストに、総天然色を用いると言った意欲作。カンヌ国際映画賞で特別賞も受賞した(米アカデミーでは日本の作品としては初めて外国語映画にノミネート)。邦画の実力を見せた作品であったが、それだけ力が入っていたのに、国内ではさほど評判にならず、1964年邦画興行成績では8位に留まった(ちなみに当初の予算1億円を大幅な予算オーバーで3億1千万円となり、配集が2億2千万円と製作費に追いつかなかった)。 怪談と言ったら小学校の図書館には必ず置いてあるメジャー作品だし、私の子供時代には教科書でも紹介されてた記憶がある。それで物語の質がそれほど高いのか?と言われると、決してそうではないと思う。日本文学として見るなら、稚拙なところばかりだ…尤も、それは仕方ない話で、この「怪談」の読者は日本人じゃなかったためである。海外に日本を紹介するのがその意図だったから。物語そのものよりも日本の紹介記事として、そして文化人類学的な作品として読むのが正しい。古来日本には怪談話が後を絶たず、今も尚新しい形で毎年怪談が作られているが、いわば「流行りもの」だし、ローカル色も多いので文学的には当然ながら低く見られる。しかし、この作品のお陰で、系統だった怪談話が作られるようになり、「雪女」や「むじな」と言った話は全部これがベースとなっていった。日本文学における大切な分岐点に当たる作品でもある。 当時においては世界で最も知られた日本の作品だった。だから最初からこの作品は国内向けよりも海外を視野において作られたらしい。 それでもかなりの冒険と言える本作を製作したのは大手企業ではなく、映画製作会社でもない。女優の有馬稲子、岸恵子、久我美子の3人が中心となって1954年に設立された文芸プロダクション「にんじんくらぶ」によるもの。時代を先取りするのは、近年においては女性の方が多い。やはりこれは女性ならではの冒険だったのだろう(ただし、にんじんくらぶはこの負債のため、1966年に解散となってしまう)。 本作の面白いところは「怪談」と銘打っている割に、怖くない。むしろ何というか、とても“妖しさ”に溢れた作品だと言えよう。怖い演出を意識的に避け、耽美的な面を強調した本作の作りは決して悪くない。少なくとも際物としてのみ作られる怪談話を、ちゃんと文学的に作り上げたと言う点で監督には賛辞を送りたい(世界配信というのはこう言うところだ)。 考えてみると、ホラーというのは、色気があってこそ、映えるんだよな。海外で吸血鬼ものが乱発されるのは、結局はその点にあるのだし、そこから派生して、恍惚とした表情で人間を食うシーンとかが出てくるリビングデッドものだって、やはり色気が存在していた。単純に性交を見せるのではない、耽美的な演出として。その意味では本作は最もホラーとして正しい方法を用いたのかも知れない。特に「黒髪」「雪女」なんかはぞくっとする色気が演出できてたしね(ちなみにカンヌでは長すぎるとの理由から「雪女」はカットされてしまったらしいが)。 |
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切腹 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1962ブルーリボン主演男優賞(仲代達矢)、脚本賞 1962キネマ旬報主演男優賞(仲代達矢)、日本映画第3位 1962毎日映画コンクール日本映画賞、美術賞、音楽賞、録音賞 |
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1963年カンヌ映画祭で審査員特別賞を受賞する 武士よりも人間としての意地、体制が抱える残酷さに対する個人の怨念を描く |
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人間の條件 完結編 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1961キネマ旬報日本映画第4位 1961毎日映画コンクール日本映画賞、監督賞、脚本賞(松山善三)、男優主演賞(仲代達矢)、撮影賞 |
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自らの信念を貫いたがために、ことごとく上官に反発した梶(仲代達矢)は、最も過酷なソ連国境警備に回されてしまった。そんな場所でも戦争の愚かさを説き続けるのだが、ついにソ連軍の進撃を受けてしまう。満を持したソ連軍の猛攻に、すでに弱りきっていた関東軍が敵うはずもなく、梶と弘中伍長(諸角啓二郎)と寺田二等兵(川津祐介)を残して全滅し、3人は荒野を歩き出した。やがて慰安婦の竜子(岸田今日子)と梅子(瞳麗子)ら避難民たちと遭遇した梶は、彼らを率いて、脱出を目指すことになるが…シリーズ完結編。 五味川純平による歴史大作の完結編。一応6部作だが、それぞれ2部ずつ公開されているため、実質的にはこれが3作目となる。 なんというか、信念を持った人間が生きるのはいかに難しいことかということを「これでもか!」とばかりに徹底的に細かく描き、観ていて一切の快感を得ることが無いと言う、ある意味とても貴重な作品でもある。同じ五味作品である『戦争と人間』と比べても、あくまで徹底して一兵士の目線でのみ話が展開するため、大局が分からないと言う難点もあり。 そして最終作である本作は、前にもまして悲惨の極地、主人公の梶は、それこそ一切の希望をはぎとられていくことになる。 そもそも梶は共産党員というよりは、ヒューマニストであり、最も人間性を大切にしてくれるのが共産主義だと思っていた。どこから見ても甘すぎる彼の主張は、だから軍の中ではアカ呼ばわりされることとなるのだが、その実態としては、戦いを放棄することを理想とすることだったため、やはり共産主義とはほど遠いものだった。ソ連の参戦によって、その実態を知るに及び、その現実を突き付けられ、主義的にはどん底。小さき者を守ろうとする努力も、味方であるはずの軍によって見事に打ち砕かれる。 彼に残された唯一のものはやさしい妻と再び出会うと言うことだけに収斂していくことになる。他のすべての希望を失った彼に残された唯一のものに、そして彼は決して出会うことなく話は終わるのだが、最後に彼が聞いた妻の声の幻は… それはあたかも彼を嘲笑するかのようなけたたましい笑い声だった。ラストの悲惨さは、ひたすらさまよう彼の姿よりも、その笑い声の方にあったような気がする。 確かにこの作品は、どっしりした重厚さを持っているが、観た後でかなり気持ちがよどむ。精神的に落ち込んだときには絶対に観たくない作品の一つだと言うことは間違いない。 |
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人間の條件 第三部望郷篇 第四部戦雲篇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1959ブルーリボン助演女優賞(新珠三千代) 1959キネマ旬報日本映画第10位 1959毎日映画コンクール撮影賞 1960ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞(小林正樹)、イタリア批評家賞 |
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会社を退社した梶(仲代達矢)は応召され、北満の部隊に配属される。妻の美千子(新珠三千代)と再会できる日を待ちながら、厳しい訓練と古参兵のしごきに耐え続ける。だが己の信念を決して曲げようとしない梶の生き方は、上官達の目の敵にされてしまう。人間が人間として生きることをひたすら待ち望みつつ生きる梶だが… 1959邦画興行成績7位。五味川純平の歴史小説の中編となる本編。第一部と第二部では会社の中で、中国人を同じ人間として遇しようというあがきが描かれていたが、ここでは梶の思いとは全く逆に中国人を殺すことを強いられる軍隊の中での話となる。 梶は非常に人文的な人物で、人間を人間として扱うと言う、平和な世の中であれば実に当たり前のことを主張しているに過ぎない。だが戦争中という非常時にあって、それは通らない主張だった。それを隠して生きていくことが一番賢い生き方だろう。 だけど梶はそれができなかった。不器用と言えばそれまで。馬鹿と言われればやっぱりそれまで。 その馬鹿さ加減を、“力”として描いていれば本作はもっと力強いものになっていたのだと思うが、それを本作では“抑圧”としてのみ描いてしまった。これは、結果として観ていてきつい“だけ”の作品になってしまったと言うことになる。ひたすら延々といじめに耐えていて、その中でやっと理解者が出たと思ったら、前よりもっと厳しいいじめに…作ってる方がサディストなんじゃないのか? ひたすらしごきを耐えるだけという物語が好まれる時代はあり、本作はその最後の時代を象徴するようなもの。時代性とともに観なければただキツイだけの物語になってしまう。正直観ているだけで苦痛を感じてしまった。 演出に関してはすごく良いので、それが救いか?特に雪の中での再会シーンは大迫力。ここは本当にたいしたものではあると思うのだが… |
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人間の條件 第一部純愛篇 第二部激怒篇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1959ブルーリボン助演女優賞(新珠三千代) 1959キネマ旬報日本映画第5位 1959毎日映画コンクール撮影賞 1960ヴェネツィア国際映画祭サン・ジョルジュ賞(小林正樹)、イタリア批評家賞 |
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1933年。日本企業が次々と満州に進出する中、鉱山会社の調査部員として梶(仲代達矢)が妻の美千子(新珠三千代)を連れて赴任してきた。だがそこで梶が観たのは満州人や朝鮮人達が劣悪な環境の中で強制労働させられている現実だった。人道的立場からこの体制をなんとか改善しようと奮闘する梶。だが彼の行動は会社からも労働者からも理解されることは無かった。その中で人間の尊厳を訴え続ける梶だが… 五味川純平が自らの体験を元に描いた反戦小説の映画化作。小林監督自らが脚本も書いている全6部約10時間に及ぶ長大な作品で(時間にして同じ五味川純平原作の『戦争と人間』とほぼ同じ)、劇場公開版だと2部ずつ公開され、本作は1958年邦画興行成績9位。 映画全般を通してみるとその大部分は泥沼の日中戦争での戦いが描かれているのだが、この第一部と第二部は主人公が戦争に行くまでに起こったことが描かれている。戦争という異常事態の中、その中でヒューマニズムを貫こうとした男の姿が描かれているのが特徴で、舞台が軍隊でないだけに少しは自分のことを分かってくれる人もいたりして、主人公が完全に押しつぶされている訳でないので、ヒューマンドラマとしての質も高い。 実地体験を元にした。というだけあって、分かり合えない人間同士の描写はかなり濃い。 梶は本当に真面目で、ある意味人間の良心を信じているのだが、どれほど彼が誠意を尽くそうとも、儲け第一に考える会社は愚か、労働者にまでも不審な目で見られてしまう。 確かに理想を言えば、雇用者と被雇用者の関係は対等であり、そのどちらにも納得のいく形で労働条件が定められれば素晴らしいだろうが、実際現実世界での仕事でそんな事は滅多にない。雇用者の方が圧倒的に優位に立ち、押しつけられた労働条件で働くしかないのが現状である。現実だってそうなのだが、ましてやここは戦地。大多数の住民に対し、ほんの一握りの日本人が治めている場所である。 この辺は少数の貴族が大多数の農民を統治する構造によく似ている。労働者に反乱を起こされるとそこにいる日本人全員の命が危なくなるため、労働者はなるだけ疲れさせ、反抗の気持ちも無くしてしまうのが一番の統治法なのだ。下手に人道的な行いしてしまえば、自分の首を絞めるは愚かそこにいる仲間の命まで危なくさせてしまうのだから。雇用者の方だって命がけなのだ。 そのTPOを完全に無視して人道主義を語る主人公は、はっきり言えば危険分子である。会社としては彼の存在そのものが胡散臭いものでしかない。 そして一方では、そんな日本人が手をさしのべても住民からは全く信用されないという現実もあり。日本人だからというよりも、やっても無駄なことを勝手に理想論で喋るな。と言う感じだ。実際住民側にもかなり狡猾な人物がいるのもリアルだ。 結局双方から理解が得られることなく孤立していくしかない。 この現実を冷静に描いているのが本作の特徴だろう。ここまで救いようのない物語に仕上げるとは思ってもみなかったので結構唖然。きついけど観ていて良かった。 |
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