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2021 | ||||||||
妖怪大戦争 ガーディアンズ 監督 | ||||||||
劇場版 ポリス×戦士 ラブパトリーナ!〜怪盗からの挑戦! ラブでパパッとタイホせよ!〜 監督 | ||||||||
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2020 | ひみつ×戦士 ファントミラージュ! 〜映画になってちょーだいします〜 監督 | |||||||
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2019 | 初恋 監督 | |||||||
その瞬間、僕は泣きたくなった−CINEMA FIGHTERS project− 監督 | ||||||||
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2018 | ラプラスの魔女 監督 | |||||||
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2017 | ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 監督 | |||||||
無限の住人 監督 | ||||||||
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2016 | 土竜の唄 香港狂騒曲 監督 | |||||||
テラフォーマーズ 監督 | ||||||||
許されざる者 第一章 獅子の血戦 監督 | ||||||||
ころがし屋のプン 監督・出演 | ||||||||
テラフォーマーズ/新たなる希望 監修 | ||||||||
2015 | 極道大戦争 監督 | |||||||
風に立つライオン 監督 | ||||||||
2014 | 神さまの言うとおり 監督 | |||||||
土竜の唄 潜入捜査官 REIJI 監督 | ||||||||
2013 | 喰女-クイメ- 監督 | |||||||
藁の楯 わらのたて 監督 | ||||||||
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2012 | 悪の教典 監督・脚本 | |||||||
愛と誠 監督 | ||||||||
悪の教典 -序章- 監修 | ||||||||
2011 | 一命 監督 | |||||||
逆転裁判 監督 | ||||||||
忍たま乱太郎 監督 | ||||||||
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2010 | 十三人の刺客 監督 | |||||||
ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲 監督 | ||||||||
2009 | クローズZERO II 監督 | |||||||
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2008 | ヤッターマン 監督 | |||||||
神様のパズル 監督 | ||||||||
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2007 | 探偵物語 監督 | |||||||
クローズZERO 監督 | ||||||||
スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ 監督・脚本 | ||||||||
龍が如く 劇場版 監督 | ||||||||
2006 | 太陽の傷 監督 | |||||||
龍が如く 総合監督 | ||||||||
WARU ワル 監督 | ||||||||
2005 | インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜 監督 | |||||||
46億年の恋 監督 | ||||||||
妖怪大戦争 監督 | ||||||||
ホステル 出演 | ||||||||
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2004 | 美しい夜、残酷な朝 監督 | |||||||
IZO 監督 | ||||||||
着信アリ 監督 | ||||||||
隣人13号 出演 | ||||||||
恋の門 出演 | ||||||||
2003 | ゼブラーマン 監督 | |||||||
交渉人 監督 | ||||||||
鬼哭 KIKOKU 監督 | ||||||||
極道恐怖大劇場 牛頭 監督 | ||||||||
許されざる者 監督 | ||||||||
地球で最後のふたり 出演 | ||||||||
極道刑事 出演 | ||||||||
ダムド・ファイル エピソード・ゼロ タイトル | ||||||||
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2002 | 熊本物語 監督 | |||||||
SABU さぶ 監督 | ||||||||
実録・安藤昇侠道(アウトロー)伝 烈火 監督 | ||||||||
金融破滅ニッポン 桃源郷の人々 監督 | ||||||||
新・仁義の墓場 監督 | ||||||||
荒ぶる魂たち 監督・出演 | ||||||||
MPD-PSYCHO/FAKE MOVE REMIX EDITION 演出 | ||||||||
極道ジハードIII 〜聖戦〜 監修 | ||||||||
極道ジハードII 〜聖戦〜 監修 | ||||||||
極道ジハード 〜聖戦〜 監修 | ||||||||
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2001 | DEAD OR ALIVE FINAL 監督 | |||||||
カタクリ家の幸福 監督 | ||||||||
殺し屋1 監督 | ||||||||
FAMILY2 監督 | ||||||||
FAMILY 監督・撮影 | ||||||||
天国から来た男たち 監督 | ||||||||
2000 | ビジターQ 監督 | |||||||
漂流街 THE HAZARD CITY 監督 | ||||||||
オーディション 監督 | ||||||||
DEAD OR ALIVE 2 逃亡者 監督 | ||||||||
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1999 | シルバー 監督 | |||||||
日本黒社会 LEY LINES 監督 | ||||||||
サラリーマン金太郎 監督 | ||||||||
DEAD OR ALIVE 犯罪者 監督 | ||||||||
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1998 | 岸和田少年愚連隊 望郷 監督 | |||||||
BLUES HARP 監督 | ||||||||
中国の鳥人 監督 | ||||||||
アンドロメディア 監督 | ||||||||
蘇える金狼2 復活篇 出演 | ||||||||
1997 | 仁義なき野望2 監督 | |||||||
極道黒社会 RAINY DOG 監督 | ||||||||
岸和田少年愚連隊 血煙り純情篇 監督 | ||||||||
FULL METAL 極道 監督 | ||||||||
1996 | 仁義なき野望 監督 | |||||||
大阪最強伝説 喧嘩の花道 監督 | ||||||||
ピイナッツ -落華星- 監督 | ||||||||
極道戦国志 不動 監督 | ||||||||
1995 | なにわ遊侠伝 監督 | |||||||
修羅の黙示録2 ボディガード牙 監督 | ||||||||
新・第三の極道II 監督 | ||||||||
新・第三の極道 勃発関西極道ウォーズ!! 監督 | ||||||||
新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争 監督 | ||||||||
第三の極道 監督 | ||||||||
難波金融伝 ミナミの帝王 スペシャル劇場版 ローンシャーク・・・追い込み 製作 | ||||||||
1994 | 新宿アウトロー 監督 | |||||||
修羅の黙示録 ボディガード牙 監督 | ||||||||
1993 | ボディガード牙 監督 | |||||||
俺達は天使(カタギ)じゃない2 監督 | ||||||||
俺達は天使(カタギ)じゃない 監督 | ||||||||
闇金の帝王 銀と金2 製作 | ||||||||
1992 | 人間兇器/愛と怒りのリング 監督 | |||||||
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1991 | レディハンター/殺しのプレリュード 監督 | |||||||
突風!ミニパト隊/アイキャッチジャンクション 監督 | ||||||||
四万十川 助監督 | ||||||||
1990 | ペエスケ ガタピシ物語 助監督 | |||||||
1989 | ||||||||
1988 | トップ・ファイター 助監督 | |||||||
1987 | ||||||||
1986 | ||||||||
1985 | ||||||||
1984 | ||||||||
1983 | ||||||||
1982 | ||||||||
1981 | ||||||||
1980 | ||||||||
1979 | ||||||||
1978 | ||||||||
1977 | ||||||||
1976 | ||||||||
1975 | ||||||||
1974 | ||||||||
1973 | ||||||||
1972 | ||||||||
1971 | ||||||||
1970 | ||||||||
1969 | ||||||||
1968 | ||||||||
1967 | ||||||||
1966 | ||||||||
1965 | ||||||||
1964 | ||||||||
1963 | ||||||||
1962 | ||||||||
1961 | ||||||||
1960 | 8'24 大阪で誕生 |
妖怪大戦争 ガーディアンズ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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20XX年。日本列島を南北に縦断する大地溝帯・フォッサマグナから妖怪獣が出現し始めた。彼らは日本を完全に分断してしまうことで、妖怪界と日本を破壊しかねなかった。まとまりを欠く妖怪たちは、妖怪の住処を奪った人間が滅びるのは構わないとする一派の力があり、まとまりを欠いてしまった。それでも人間と日本を守ろうとする穏健派は伝説の武神を復活させる計画に乗り出す。そのために伝説の妖怪ハンター・渡辺綱の血を継ぐ者を捜し、そこで選ばれたのは、心優しい小学生の渡辺ケイ(寺田心)だった。 『妖怪大戦争(1968)のリメイクである『妖怪大戦争』から更に15年が経過し、その続編というかリブートが三池監督本人によって作られた。なんと大魔神が登場すると言うことで事前にはそれなりに盛り上がっていたが、『妖怪大戦争』を全く評価してない私は、その続編と言うだけで劇場で観る気を失っており、これもレンタルで拝見。 『妖怪大戦争』は面白くなかったが、本作はそれに輪を掛けてつまらなかった。 面白くない理由は簡単で、敵と戦ってないからである。 この手の作品で重要なのって、明確でわかりやすいストーリーである。特に子どもにわかりやすくするのは必須とも言える。 そして分かりやすいというのは、敵が明確であり、敵との戦いをクライマックスに持っていく事になる。単純だが、本作の作りはプログラムピクチャーで構わない。特に本作はこども向けに作ってる訳だから、余計な事を考えないで観たかったところ。物語をこね回した結果、正直全くカタルシスを感じるところがなかった。 話を複雑にする場合、それなりのお膳立てと、対象者をはっきりとさせる必要があるのだが、事前情報ではこども向きの単純明快さで売ってた分、詐欺のようなものになってしまった。 あと、キャラがまずすぎた。前作の神木隆之介は子役時代からとても器用で、凜々しい役もちゃんと出来たが、本作の主演寺田心は出来る役がとても狭い。基本可愛い役しか出来ない子なので、それを無理に凜々しい役を演らせようとすると相当な無理が生じる。本作の場合それは独り言という形で出てきていて、何をしようとしているのか全部独り言の台詞で言ってしまうので、全編を通してブツブツブツブツ喋りっぱなしだったので、それが観ていてストレスだった。 アクション作品と思って観たら、ずっと子どもの独り言に付き合わされてしまった感じ。 心くんを主役にした時点でこの作品は失敗したとしか思えない。心くん自身は子役として実に良いところあるのだが、役のベクトルが全く違う。 それで肝心の売りだった大魔神ことブジンサマだが、大きくて凶暴なだけであれば何でも良かったので、別段大魔神でなくてもストーリーに変化は無い。大魔神を出すんだったら必然性が欲しいし、この扱いをされてしまうと悲しくなってしまう。 結果として、観るに堪えないものが出来上がってしまい、ほんとうにきつい。劇場に観に行かなくて良かった。観ていたら怒り狂って「金返せ」言ってただろうから。 |
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初恋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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プロボクサーの葛城レオ(窪田正孝)は、格下の相手との試合でKO負けを喫してしまう。ラッキーパンチにしてはダメージが大きく、病院で診察してもらった結果、医者から頭部に癌があり、余命幾ばくもないと告げられてしまう。自暴自棄となった葛城は夜の町を彷徨っていたところ、男に襲われそうになっていた少女モニカ(小西桜子)を見かけ、彼女を助けるために思わず男を殴り倒してしまう。ところがこの男は大伴(大森南朋)という刑事だったことから、とんでもない事件に巻き込まれてしまう。 現代の職人監督三池崇史監督が作る作品は多岐にわたるが、その中で最も個性が出るのは現代劇で、更に裏社会の暴力描写主体の作品という特徴がある。監督が作る暴力映画は単なる暴力ではなく、非人道的でサイコパスなキャラがわんさか出てきて、人の尊厳とか全く考えない無茶苦茶なもので、この監督にしか作れない個性的なものが出来上がる。 本作はまさにその三池監督の魅力が爆発したような作品になってる。 メインストーリーそのものは大変単調で、暴力団と警察のどちらからも追われることになった男女の主人公が逃げ回るのと、反撃するという、実に単純なものだ。 しかし、本作の面白いのは主人公の側ではなく、主人公達を取り巻く悪人の側の魅力になる。実際本作に登場するのは主人公の二人を除くとみんな悪人ばかりだ。主に金銭関連だが、自分が儲けを独り占めしようとしてる奴らばかりだし、儲け話を独り占めするために人を殺すことをなんとも思ってないサイコパスだらけ。 それぞれが自分の都合だけで行動するため協調が全くなく、あっという間に人間関係が破綻し、企みも全部ばれる。そしてばれたらばれたで開き直って周囲を巻き込んで自爆しようとする。どうしようもない刹那的な奴らばかりで、よく今まで生きてきたもんだというレベルのキャラばかり。 だから物語そのものが行き当たりばったりなのだが、ここまでぶっ壊れたキャラが次々出てくる映画作れるのは三池監督しかおらんし、下手に物語の整合性を考えるより、ぶっ壊れたまま突っ走る方が三池監督らしい。これだけ暴れまくる映画なので、観ていてとても心地良い。 キャラも濃い。当初は主人公二人こそ、そこそこまともだが、周囲のキャラがぶっ壊れていくので、それに合わせて本人達も壊れていく過程が面白い。何よりその狂気を引き出す周囲が凄い。準主役の 大森南朋と染谷将太も良い役やってるけど、ベッキーにここまでの演技引き出したのが凄い。あまりのはまりぶりに、これからこう言う役しか回ってこないんじゃないか?と心配になるほどの壊れた暴力機械っぷり。ベッキー観るだけでも本作を観る価値があろうってもんだ。 観ていて気持ちいい。それだけが本作の評価の全て。そんな映画があっても良いのだ。 |
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ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第一章 2017 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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無限の住人 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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土竜の唄 香港狂騒曲 2016 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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潜入捜査官“モグラ”として数寄屋会へと潜入し、そこで日浦匡也(堤真一)を助けて会長轟周宝(岩城滉一)へと近づいていく菊川 玲二(生田斗真)。だがその頃警視庁組織犯罪対策本部の部長として兜真矢(瑛太)は、モグラに対して激しい憎悪を抱いていた。数寄屋会の抗争の渦中にありながら、警視庁に対しても注意を払わねばならなくなった玲二の行く先は… 『土竜の唄 潜入捜査官 REIJI』のヒットを受けて作られた続編。 監督三池崇史脚本宮藤官九郎コンビは続投だが、この二人が組んだ作品というのは結構注意が必要。一番分かりやすいのが『ゼブラーマン』で、一作目が大変面白かったため、期待して続編観に行ったら、あまりの酷い出来に目が点になったものだ。 その過去があったことを注意すべきだったのだが、考えなしに続編を観に行く私が多分一番悪い。 結果、予想通りの結果になった。 この二人のコンビの問題点は、二人ともサービス精神が旺盛だってことになるんだろう。特に一本目がヒットしたりすると、それに輪をかけて演出を強化するのだが、強化しすぎて物語をないがしろにする。結果としてどんどん派手に。そして物語は空疎になっていくという問題が生じる。 今回はまさしくそれ。演出は派手なものの、物語があんまりにもないがしろで、どうもしょうが無い。 特に困ったのが新キャラの面々。折角登場した兜が物語にほとんど関わってない。最後にちょっと出て「実は黒幕でした」では魅力を全く活かし切れてない。ヒロインとなった迦蓮も単なるわがままキャラで、人質になったのを取り戻す以外の役割を与えられない。更に既存のキャラに関しても単に暴れるだけで、本来持っていた魅力を出せてなかった。 物語が空疎な上にキャラの魅力を出すことにも失敗してる為に演出も空回りしっぱなしと言った感じ。 これが正月第一本目の映画だったんだが、見事に大外れを引き当ててしまった感じだ。 |
テラフォーマーズ 2016 | |||||||||||||||||||||||||||
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極道大戦争 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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風に立つライオン 2015 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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神さまの言うとおり | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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土竜の唄 潜入捜査官 REIJI 2014 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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正義感は強いものの、持ち前の暴走精神と学業不振により警察学校では最低とされてしまった警察官菊川玲二(生田斗真)。交番勤務になったものの、空回りしっぱなしで周囲に迷惑をかけっぱなしだった。そんな玲二がある日上層部に呼び出され、広域指定暴力団数寄屋会会長の轟周宝(岩城滉一)を検挙するため、潜入捜査官通称「モグラ」になり、数寄屋会に潜り込めと言うのだ。危険な任務に渋る玲二を脅したりすかしたりして、結局それに同意してしまう。だがその任務とは想像を絶するものだった。数寄屋組傘下の武闘派集団阿湖義組に放り込まれた玲二は、そこで蜂乃巣会との血で血を洗う抗争に巻き込まれる。 高橋のぼるの同名漫画の映画化作品(原作未読)。 現代では珍しい「職人監督」と呼ばれる三池監督は、本当になんでも何でも引き受けてしまって「節操ない」と呼ばれる事もあるが、その中でも得意分野ってのがあるもので、監督にとってそれは、暴力映画であったり、ホラー作品であったり、あるいは漫画原作であったりするのだが、それは即ち漫画原作で暴力描写の強いものこそが監督の最大の得意分野と言う事になる。その好例が『殺し屋1』であったり、『ゼブラーマン』であったりするわけだが、結局これらは細部の設定無視。ノリで突っ走ってしまうことが真骨頂となる。正直、監督には丁寧にじっくり良作を作るよりも、早撮りで多作という、本当に昔の職人監督の体質が合ってるみたい。 それが端的に表れたのが本作だとも言えよう。原作を読んでないために、原作漫画がどれだけ細かく暴力団の世界を描いているのかは分からないのだが、しきたりとか細かい上下関係とかはこの際物語のスパイスだけにして、あとはノリで突っ走った感じになった。 だが本作に関してはそれがうまくはまったし、何よりキャラが見事なほどにはまりまくってる。 生田斗真がこんなノリの良い役やれるとは思ってなかったが、元々端正な顔(ちょっと異相だが)の歪み具合がなかなか絶妙だし、何より脇を固めるヴェテラン勢がきっちり仕事してる。堤真一なんかはこの役との相性が良すぎるぐらいで、未だにテレビに出てるとやくざもののイメージが抜けない(これは同時期に『地獄でなぜ悪い』(2013)を観ていたお陰ってのもあるんだが)。 あと、多分ヤクザ映画好きは絶対に認めないと思うんだが、義理人情の世界を描く前半よりも後半のぶっ飛んだノリはもの凄く心地良い。かつて『クローズZERO』で培った集団戦闘シーンにアメコミ風演出を取り入れることで、一種異様な場面を構築していた。もはやこれ、暴力って寄りも特撮作品だろ。とゲラゲラ笑いながら見ることが出来たし、それがこの作品の真骨頂だろう。 物語とか設定とか相当に酷いんだけど、ノリとキャラだけで充分以上に楽しい作品を作る事が出来る。ある種監督の底力を感じさせる作品だった。 私はこれ、完全肯定。 |
藁の楯 わらのたて 2013 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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悪の教典 2012 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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愛と誠 2012 | |||||||||||||||||||||||
2012日本映画プロフェッショナル大賞第3位 2012キネマ旬報助演女優賞(安藤サクラ) 2012毎日映画コンクール女優助演賞(安藤サクラ) 2012キネマ旬報助演女優賞(安藤サクラ) |
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一命 2011 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011日本アカデミー助演女優賞(満島ひかり)、美術賞 2011カンヌ国際映画祭パルム・ドール 2011毎日映画コンクール撮影賞 2011HIHOはくさい映画第9位 |
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江戸時代初頭。幕府による理不尽な御家取り潰しが相次ぎ、江戸では困窮した浪人があふれていた。そんなある日、井伊家の前に切腹を願い出る浪人が現われた。津雲半四郎(市川海老蔵)というその男は、「切腹のために庭先を拝借させてくれ」と願い出る。これを巷で流行っている狂言切腹と見た家老斎藤勘解由(役所広司)は、数ヶ月前にも同じようにして訪ねてきた千々岩求女(瑛太)という若浪人がいたことを告げ、その狂言切腹の惨めさを語り聞かせるのだが… 滝口康彦による小説「異聞浪人記」の二度目の映画化作(現在は「一命」という題になってるようだが)。でもどっちかと言えば、これは小林桂樹の『切腹』(1962)の忠実なリメイクと言ってしまって良い。 日本映画史においても『切腹』は掛け値なしの傑作の一本で、これをリメイクする必要はあったの?とか思いつつ、それでも「押さえておかねば」という思いから、劇場で拝見。 …結果として、「観て良かった」という思いも確かにあるけど、同じくらい「観るんじゃなかった」という思いも抱かせた作品になってしまった。 物語自体は細部まで全く同じ。下手にいじってないのは大変ありがたいし、海老蔵も見事なはまりっぷりを見せているので、その点は評価してもいいだろう。 でも、だったら『切腹』一本でなにが悪いんだろう?とも思う。シンプルな物語なので、手の加えようがないのは分かるが、だったらリメイクする必要はないんじゃなかろうか?同じリメイクなら明確にエンターテインメント化させた『十三人の刺客』の方が遙かにおもしろく感じるぞ。 それでも何故“今”リメイクする必要があるのかと言う点から考えてみよう。 『切腹』はまさに当時の日本人の心を示し、「これが日本人の根本だ」という事実を示した作品と言える。既に高度成長時代に突入し、ぐんぐん上昇していく日本経済。しかし、諸外国から観られているような、いわゆる“エコノミック・アニマル”ではない、日本人はこんな覚悟を持っている。という精神的なものをあの当時の空気の中で出したことに意味があった(もう一つの日本の意地は同じ小林監督の『上意討ち 拝領妻始末』(1967)を併せて観るとなお強く感じられる)。日本人の根っこにあるアイデンティティである意地をスクリーンに投影して見せてくれた。愛社精神とか、なりふり構わずに経済活動に邁進する日本人の真の姿はここにある。ということを主張した作品に思える。 一方、本作が今作られたということは、やはり意味を持っていたのかもしれない。 今や日本経済は下降の一途を辿り、大学を卒業しても就職もままならない世相が背景にある。オリジナルではアイデンティティだったものが、今や現実のものとなってしまっているのだ。 そんな中だからこそ、「今こそ意地を持て」と伝えようとしているかのような印象も受ける。監督の思いはともかく(この人は職人だから、そう言う考えは持ってないとは思う)、少なくとも本作が企画を通ったのは、そんな意味があったようにも思えるものである。“今”の日本人に、意地を持たせられるようがんばって作った作品とは考えられる。 また一方では、昔の作品を海外に流出させるよりも、新しい作品として、日本人を世界中に観てもらおうという気持ちもあったのかもしれない。 そんな意味ではちゃんと今作られた理由はあるのかもしれない。 先ほど“忠実なリメイク”と書いたものの、やはり三池監督なりの意地もあるようで、あの当時描くことができなかった部分を描写した部分もあるが、それが全部残酷描写になってしまったあたりは、やはり三池監督はどこまで行っても、こういう人なんだな。と思わされるところはあり。 |
逆転裁判 2011 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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忍たま乱太郎 2011 | |||||||||||||||||||||||
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十三人の刺客 2010 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010日本アカデミー撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、作品賞、主演男優賞(役所広司)、監督賞、脚本賞、音楽賞、編集賞 2010キネマ旬報日本映画第3位 2010日本映画批評家大賞映画音楽アーティスト賞 2010毎日映画コンクール監督賞、男優助演賞(稲垣吾郎)、録音賞 2010ヨコハマ映画祭1位、作品賞、監督賞、脚本賞 2010映画芸術ベスト第8位 2010映画com.ベスト第8位 2011ナショナル・ボード・オブ・レビュー外国映画賞 |
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将軍家慶の弟で、近く老中への就任も決まっている明石藩主の松平斉韶(稲垣吾郎)は暴君で知られていた。そこで老中・土井利位(平幹二朗)は、独り身の御目付・島田新左衛門(役所広司)に斉韶暗殺の密命を下すのだった。その命を受けた新左衛門は、密かに甥の新六郎(山田孝之)ら十一人の腕に覚えある男たちを集め、斉韶暗殺に着手する。しかし、斉韶の腹心であり、新左衛門の同門鬼頭半兵衛(市村正親)も新左衛門の動きを知っていた… 1963年に工藤栄一監督によって作られた傑作時代劇と言われる『十三人の刺客』(1963)を、現代の鬼才と言われる三池崇史監督がリメイク。 当たり外れの幅は大きいものの、どんな作品であってもこなせる“職人”三池崇史に本作を作らせたのは、ある意味では正解。時代劇ではなく、意欲的なチャンバラとして仕上げてくれた。 三池崇史という監督の特徴を言わせていただければ、この人はこれと言って思想性を持っていない。むしろ思想を否定する方向で映画を作る。からこそ、現代では珍しい“職人”と呼ばれるのだろう。 それでその“思想の無さ”がはまる映画とはまらない映画がある訳だが、本作の場合、かなり微妙な意味合いでそれが噛み合っているように思える。 …で、その微妙な意味とは、本作がかなりちぐはぐな作りをしているところにあると思う。 この作品、脚本の目指すところと監督の目指すところが異なってるんじゃないか?と思わせてくれる。本作の脚本を書いた天願大介という脚本家は、今村昌平監督の息子であり、近年の今村監督を世界的な賞の常連にしたのは彼の力あってこそ。そして彼の脚本に特徴的なのは、社会派的な側面を強く打ち出すところにある。 本作も数多くのところでそういった社会派的側面が垣間見える。たとえばそれは権力に押しつぶされた庶民の姿であり、封建主義によって自らの主張を出すことの出来ない下級武士の姿であり、血縁で決められてしまう老中職に表だって異議を唱えることが出来ない政治の姿であり、またまつろわぬ民が力強く生きている姿であり。 それらは画面の端々に確かに出ている。 ところが、一応そう言った姿を出してはいるものの、殊更無視されていて、出すのは出しても、それを深めようとはしていない。たとえば四肢を切り落とされた女性が出てくると、それはホラー的、あるいはフリークス的な描かれ方をするし、切り捨てられた下級武士は、その人の存在意義や悲しみよりも、骨に食い込んだ刃を力を込めて押し込められる残虐さの方に力が入り、山人は人語を解する野獣のように描かれる。 これは間違いなく三池監督がそれらを知った上で敢えて切り捨てた結果だ。そういった情的ものより、画面映えや、剣劇の方に思い切り力を入れ、権力構造はあくまで物語上の必然性で語られるだけで止めている。 その結果として、脚本と演出の間に隔離が生じてしまってる。 推測ではあるが、これは一年ほど前に公開された崔洋一監督の『カムイ外伝』(2009)の興行的失敗が根底にあるような感じがする。あの作品もエンターテインメントを志向して作られてはいるが、それ以上に権力者と戦う庶民の姿に重点が置かれていた。それが観てる側からしたら鬱陶しがられた面はあったのかもしれない。 三池監督自身、そのことを念頭に、本作は“売れる”事を最優先にして作ろうとした姿勢が見て取れる。三池監督がインタビューに答え、殊更「チャンバラを撮る」事に強調点を置いていたのは、この辺に理由がありそうだ。 これを別段非難するつもりもないし、だからといって本作のおもしろさが減じる訳でもないが、そのため脚本の狙いと演出がことごとくちぐはぐになってしまって居心地が悪い。でも逆にそのちぐはぐさが殊更の残酷描写になってたり、スパイスのように使われているのだから、無駄ではなかったのだろう。多分。 後、そういった残酷さが一種のリアリティになっている一方、いい加減なところは徹底的にいい加減に描かれているのも特徴だろうか。そのへんもやっぱりちぐはぐさにつながるのだが、これも不必要なところはばっさり切ってしまったために、チャンバラとしてはとても面白いものになってる。逆に歪みがあるからこそ、面白いとも言える。 言うなれば、本作は真の意味で“チャンバラ”なのだ。そしてそれに徹しようとした三池監督の狙いは見事にはまった。実に楽しい作品だった。 |
ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲 2010 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010日本アカデミー新人俳優賞(仲里依紗) 2010ヨコハマ映画祭監督賞 |
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2010年。市川新一(哀川翔)の変身したゼブラーマンによって世界は救われた。だがその直後変身能力を失ってしまった新一は何者かによってさらわれ、実験にかけられてしまう。そして15年後。東京の半分はゼブラシティと名付けられたモデル都市となっていた。そこでは犯罪抑止に効果があるとして朝夕の5分間だけ無法地帯と化すゼブラタイムという制度が導入されていた。そんなゼブラタイム中に突然路上で目覚めた市川新市は、警官に追われた末、銃弾に貫かれてしまう。路上に横たわる彼を救ったのは“白馬の家”という抵抗組織であり、そこで医師をしていたのは、かつての新一の教え子浅野晋平(井上正大)だった… 哀川翔出演百本目と言うことで記念作品として作られた前作『ゼブラーマン』は、悪い言い方をすると、思いもかけぬ良作に仕上がった。これは監督三池崇史、脚本宮藤官九郎という初顔合わせのコンビがうまい具合にはまり、お互いの個性を殺さずに作られた事が理由だろう。特に三池監督はきわめて当たり外れの多い監督なので、この組み合わせがうまくはまったのはとても意外な感じだった(だから絶対失敗すると思って劇場はスルーした)。 その続編だし、前作を劇場で観られなかったことに後悔したので、「流石に外れはないか」と思っていたのだが、どうも私が間違っていたようだ。ここまで外されると、呆れを通り越して、なんか「流石三池監督」と逆に感心してしまうほど。前回では高めあうことが出来た三池監督と宮本脚本が、今度は低め合ったというか、お互いにやる気を失っていたというか… 駄目なところを挙げたら、それこそいくらでもあるが、とりあえず映画ファンとしても、特撮ファンとしても、どっちも反応できずに終わった。それに宮藤官九郎って、『ゼブラーマン』観た限りでは特オタの事をわかっていると思ったけど、たぶん全然分かってない。 前回の話が面白かったのは、中年になっても特撮オタクが止められない痛々しい主人公が、いつの間にか本物のヒーローになっていく。その落差の課程を丁寧に描いていったお陰だった。 本作でもそういう落差は意識的に出されている。記憶を失い変身も出来なくなった主人公が、自分が何者であるのかを戦いの中で見つけていく。と言った形でだが。 だが、意識的なくせにそれが落差になってないのが問題。一旦ヒーローになった人間なのだから、どういう形にせよ又ヒーローになれるのは分かってるのだし、実際に思ったとおりヒーローとして復帰してしまう。 つまり最初からプログラムピクチャーになってしまう事が前提にあり、しかもそれに全くひねりを入れてなかった。これだけでやる気本当にあるのか?と思えてしまう。 当たり前の物語をひねりを入れないで作ってるので、監督の個性を出すためかその分他のところに力を入れることになるが、確かにそれは凄い使い方をしてはいる。ただし、それも全部仲里依紗のミュージッククリップで全部使い果たしてしまった感じ(『ヤッターマン』で深田恭子に使ったのと同じやり方)。本当にオープニング10分だけは徹底的に力が入ってるのだが、最初の10分でこの作品は全部おしまい。まあ他にもオタ向けのキャラを適宜投入したりもしてるけど、結局一番力が入っていたのは仲里依紗の最初の描写だけという話。本当にやる気ってのをこれほど感じさせられない作品のも珍しいくらいだ。 間違ってるかもしれないけど、この作品は、哀川翔本人がもう一度!と無理にごり押しした結果なんじゃないだろうか?しかし、作り手の側の方がやる気を失っていたお陰でこんな話になってしまったのでは。でもこれこそが三池崇史作品の面白さとも言えなくもないか。だから、あんまり低い点数は付けられない。 |
クローズZERO II 2009 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヤッターマン 2008 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009ブルーリボン助演女優賞(深田恭子) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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“泥棒の神様”ドクロベエから命令を受け、何でも望みがかなうと言うドクロストーンの破片を集めるドロンジョ(深田恭子)、トンズラー、ボヤッキーの三人組ドロンボー一味。インチキ商売で儲けた金をロボット制作につぎ込んでは、各地で混乱を引き起こしていた。そんなドロンボーの悪行を毎週阻止しているのが正義の使者1号と2号とオモッチャマによるヤッターマンだった。果てしない戦いの中で、ついにドクロストーンのかけらが発見された。だがその発見者海江田博士は行方不明となり、その娘翔子がヤッターマンに救いを求めてきた。ドクロストーンの秘密とは?そしてドロンボーとヤッターマンの戦いの決着は? かつての日本アニメーションを支えたタツノコプロの代表シリーズ「タイムボカン」の中でも最も評価の高かった「ヤッターマン」を、実に30年ぶりに実写映画化した作品。先行してテレビアニメの方でもリメイク作が作られて、お父さんと子供がどちらに対しても知名度も上がっているので、丁度良い時期に上映と言うことになった。 それで監督は三池崇史。この監督の作る映画は全部ハイテンションな上に過剰なまでのサービス精神にあふれているのが特徴で、もし今の監督の中でこれを作らせるとしたらこの人しかいない!という人選で、特報でそれを観ただけで、絶対劇場で観よう!という思いにさせられていた。 三池崇史という監督は面白い人で、特に原作付きの場合、繊細さと大ざっぱさが絡み合った独特の作風に仕上げてしまう。作品の枠は徹底的に細かく原作に忠実に作るのだが、キャラを自分勝手に変えてしまうため、それが上手くはまると傑作に、はまらないと超が付く駄作になってしまう。そのためかなりリスキーさを持つ監督だが、そもそも「ヤッターマン」はマンネリズムこそが味で、中の人のハイテンションぶりを楽しむ作品なので、多少中身が変わろうと、地のハイテンションで持っていけるはず。間違いなくはまるのは分かっていた。 それで、本作に関しては少なくとも枠組みに関しては本当に真面目に作ってるんだと言う事を思わされる。それはオリジナル観ていた人が文句の付けようのない設定や演出に表れてる。演出が本当にアニメそのまんまで、よくもまあこんなところまで再現してくれたもんだ。と感心する事しきり。ドロンボーメカでさえ、テレビで一回は出たものばかり。よほどのマニアがブレーンに付いてて、一々監督がお伺いを立てて作ってたんじゃ無かろうか?(細かいところはいくらでも言えるが、一つだけ例を挙げると、同じ個性を持っているはずのヤッターワンとヤッターキングで異なった個性で描いてくれたのも嬉しい。オリジナルのアニメでもそうだったんだが、ヤッターワンは基本的におだてられると舞い上がってしまうし、女の子の言う事を何でも優先するが、ヤッターキングはかなり大人っぽくおとなしくなってる。これに限らず、メカに関しては細かいツッコミ無用の完璧な再現っぷりを見せてくれる)。本当に繊細な作りだ。 しかしながら、メカとか細かい設定は完璧に近い一方、キャラに関しては完全に暴走状態…いや、たった一人徹底した暴走状態に持っていくことで、物語のバランスそのものを崩してしまってた。他でもない。この作品は、深田恭子のドロンジョを監督が好き放題に撮っただけの作品と言ってしまっても良いくらい。彼女一人を除けば、残りはみんな有象無象。一応主人公であるはずの櫻井翔や福田沙紀なんかはほとんど個性を見させず。ゲストキャラの岡本杏里に至ってはもやはただいるだけ。同じ女性でここまで撮り方を変えるか?という位の投げだしっぷりで、いっそすがすがしいほどだ。他のキャラをオリジナルに忠実に抑えることで深田ドロンジョだけは、心情や内面にまで踏み込んで複雑なキャラを作り上げ、更に「これでもか」とサービスカットを取り込む凝りよう。しかも根本的にオリジナルのドロンジョとは全く違った三池版ドロンジョを好き放題に作り上げてしまった。ここまでやったらいっそ立派。妄想全開で見事な大ざっぱぶりを見せてくれた。 繊細さと大ざっぱ。見事な三池ワールドの例がここにはある。 まあ、大ざっぱと言っても、やはり深田ドロンジョにくっついてるだけあって、生瀬勝久のボヤッキーとケンドーコバヤシのトンズラーの二人の造形は上手かった。ドロンジョが三池の思い入れで作られてる分、この二人はドロンジョを物語に戻す役割を担っていて、その分しっかりオリジナルに忠実な個性をつけてた。個人的にはオリジナル作品では粗暴なだけであまり個性を見せられなかったトンズラーが、義に篤い良い奴にしてくれたのだけでも結構嬉しかったりする。 一方、演出に関しては、とても良いんだけど、あまりに暴走が激しく、子供向きの作品でここまでやるか?と言うのがいくつも。ヤッターワンとバージンロードの戦いなんかはほぼ倒錯した18禁の世界に近いぞ。それと、濃い演出が連発してくるため、精神的に落ち着かなくさせるので、2時間の作品でえらく精神的に疲れる。 この作品は3つくらいのパートに分け、その間にアイキャッチと、ドロンボー、ヤッターマンの日常生活を挿入してくれたら面白かったと思う。で、パートの始まりには「説明しよう。一週間前、ドロンボー達が…」という山寺宏一のナレーションを入れてやって。 |
クローズZERO 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007日本映画批評家大賞主演男優賞(小栗旬)、助演男優賞(やべきょうすけ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007毎日映画コンクール美術賞、技術賞 2007ヨコハマ映画祭次点 2007HIHOはくさい映画最低脚本賞 |
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日本を二分した紅白の戦い壇ノ浦から数百年後。平家の落人が拓いた山あいの村湯田(ユタ)に平家の埋蔵金が隠されていると噂が立ち、よそ者が押し寄せ村を荒らして回るようになった。やがて村は、平清盛(佐藤浩市)率いる平家と、源義経(伊勢谷友介)率いる源氏が激しく対峙することとなった。そんな村に一人の凄腕ガンマン(伊藤英明)が流れ着いた。彼の実力を知った両軍はこの流れ者を用心棒に引き入れるべく動き出す。彼の本当の目的とは?そしてこの村に隠された秘密とは… ウエスタンと時代劇の融合という奇妙な設定の元繰り広げられる和風ガンアクション作品。監督するのは、この手の作品であればこの人しかいない!という三池崇史。見事な三池ワールドが展開する。 そう言えば最近よく“三池ワールド”なる単語を目にするようになったが、これも邦画の新しいジャンルと言っても良いかもしれない。この特徴は、とにかく無茶苦茶な設定とノリだけで突っ切る物語性、滑るギャグ、哲学性、フェティッシュ、美少年(?)と言ったキーワードをぶち込んで底の浅いアクション作品としてまとめてしまうところにあり。観てる側よりも作り手の方が楽しんでる作風が特徴。少なくとも三池監督以外にここまでやれる人はいない(そしてこの監督以外にこれだけの金を出してくれるスポンサーが付く監督もいない)。 本作はその三池ワールドが本当に全開!と言った風情。時代劇をウエスタンに仕上げ、全字幕というだけでも訳分からない世界だが、怪しげな設定とか銃器に対するフェティぶりとかもあり、何でもかんでも詰め込んでみました。という感じ。どっちかというとスキヤキというよりは闇鍋のように「何でもぶち込めば良いんだ」的思想に彩られてる。 だから本作を俯瞰して冷静に評するとほとんど悪口になってしまう。物語は『荒野の用心棒』(1964)の出来損ない。キャラクタは多い割に今ひとつ魅力に欠ける。最後まで何が目的だったのか全く分からない主人公。特に中盤間延びして仕方のない雑な演出と、度々出てくるアニメ的演出が見事に浮いてる。唐突に出てくる底の浅い設定。本人に英語喋らせるのは良いけど、見事に日本訛り。自分を「婆婆」と言ってるのに全然歳食って見えない桃井かおりの存在。アクション部分は悪くないんだが、肝心の伊藤英明が爆発起こるたびに腰を引かせている。それにタランティーノに対して媚びすぎ…と、まあいくらでも文句は言える。 均等に多くのキャラにスポットを当てているため、どうでも良いようなキャラが意外なところで活躍するのは面白いのだが、その結果話が散漫になってしまった。先に書いたが、桃井かおりが自分のことを「婆」と言ってるのに、全然歳食ったようなメイクも演出もないため、違和感出まくり。義経役の伊勢谷友介は“どこか抜けた美少年”と言った役所を上手く演じていたが(そう言えば『図鑑に載ってない虫』でも、そう言う“どこか抜けた”部分が魅力だったので、ひょっとして以降この人の芸風になるのかも知れない)、伊藤英明は…残念ながら三船敏郎にもイーストウッドにもなり損なった哀れな存在としか。黙って立ってる分には良いんだけど、荷が勝ちすぎたね。 三池監督作品は力押しでぐいぐいと見せるのが作風なのだから、2時間という長い時間には向かない。30分以上はカットして1時間半以内で作ってくれればテンポも良くなったと思われる。 しかし、それで面白くない。とばっさり斬れないものが本作にはある。いや、むしろその悪口こそが愛おしくなってしまう魅力が本作には、いや、三池ワールドにはある。 それは多分、こういった「おもちゃ箱をひっくり返した」ような作品を愛する心にぴったりと来るからなんじゃないだろうか?細かく細かく作り上げたブロックにゴジラのフィギュアをぶつけて一瞬の破壊を楽しむような子供心と言っても良いか? ごちゃごちゃと言わない。ただ目の前にあるものを楽しめればいいじゃないか。それで映画が一本作れてしまうのだから、それはそれで素晴らしいものがあると思う。本人がそれを聞いたら怒るかも知れないけど、この人の作品の場合、隙が多いからこそ魅力があるのだ。 だからこそ私はこの世界が好きだ。「三池ワールド」とは、「温かく見守ってあげたい世界」という訳語を付けたい。 |
インプリント 〜ぼっけえ、きょうてえ〜 2005 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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46億年の恋 2005 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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妖怪大戦争 2005 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005日本アカデミー新人俳優賞(神木髞V介) 2005ヨコハマ映画祭撮影賞 2006ファンタジア国際ジャンル映画祭Best Asian Film Golden Prize |
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両親の離婚で母に引き取られて鳥取に移った少年稲生タダシ(神木隆之介)は、そこでの祭りで今年の“麒麟送子”に選ばれた。麒麟送子は大天狗の山の洞窟へ伝説の聖剣を取りに行かなくてはならないのだが、その途中でタダシは不思議な妖怪スネコスリと出会う。その頃、日本各地の妖怪達が次々と何者かによってさらわれる事件が起きており、改造された妖怪達は人間の子供をさらっていく。麒麟送子となったタダシは、選ばれた存在として、生き残った妖怪達に呼ばれるのだが… 角川が大映を吸収することによって可能となった、いわゆるコラボレーション作品で、『妖怪大戦争(1968)をフルリメイクした上に、『帝都物語』(1988)の加藤保憲を加えて作り上げた作品。 一見して思ったこと。これはいわゆる「船頭多くして船山に上る」という奴だということ。スタッフそれぞれがやりたいことを何でもかんでも詰め込んだ結果、物語そのものが見事なまでに崩れてしまってる。この崩れっぷりが、やはり三池監督作品の魅力ではあるのだが、それなりに整った作品でそれをやられるとバランスの悪さばかりが目立つ。 夏休みの子供用に作られた作品には違いないのだが、企画段階で水木しげる、京極夏彦、宮部みゆき(小学校の先生役で出演もしてる。一瞬「似た俳優がいるもんだな」と思ってたら、スタッフロールで本人だと分かった)、荒俣宏と言った、妖怪博士達が大挙して加わっているため、とにかくやたらとたくさん妖怪は出てきて、それぞれにちゃんと名前が付いているというのが凄いのだが、一方、妖怪を出しとけば満足。と言う姿勢がありありと出ており、たくさん妖怪は出るものの、概ねが脳天気なだけで個性がない。一方、キャストがなんの意味合いも持たない。菅原文太演じるおじいさんが意味ありげに出てくる割に、何もしてないし、ましてや他のキャラはただ出てるだけ。大人用のサービスカットも結構用意しているものの、これも全く意味が見いだせず。わざわざ角川らしく加藤保憲を出したものの、何をやってるのかも全く分からず。間の悪さも手伝い、「なんじゃこれは?」な作品に仕上がっている。強いて言うなら、なんで加藤は島田久作じゃないんだ?どうせたいして動かないんだから、キャスティングしてやってもよかっただろうに。 ノリとか演出とかは悪くないんだけど、それだけで2時間を超える時間を観させるのは正直辛い。30分は短縮できたぞこれは。 大体からして物語がまるでメリハリがない。どこぞのいい加減なアニメの脚本をそのまま実写にしたような、なんぼなんでもいい加減さは全然いただけず。ラストシーンは「続く」なの?やらない方が良いと思うよ。 スタッフの「妖怪が好きだ!」と言う姿勢はびんびんに伝わってくるものの、それ以外が全く何も感じられない作品だと言うこと。 |
着信アリ 2004 | |||||||||||||||||||||||||||
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ゼブラーマン 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003日本映画批評家大賞ベストパーソナリティ賞(哀川翔) 2004日本アカデミー主演男優賞(哀川翔) |
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2010年横浜。小学校教師市川新市(哀川翔)は仕事も家庭もどん底状態だった。そんな新市の唯一の慰めは34年前にたった7話で番組打ち切りとなったドマイナー特撮番組“ゼブラーマン”になりきることだった。自らミシンを踏んで自作のコスチュームを作り、夜な夜なその扮装して悦に入る真市だったが、彼の受け持ちのクラスに脚が不自由な浅野晋平(安河内ナオキ)という子が転校してきて、彼のゼブラーマンに対する知識に驚かされる。それで晋平に自分の作ったコスチュームを見てもらおうと夜の町を歩く真市の前に謎の怪人“カニ男”が現れた… これが劇場にかかった時、観るべきかどうか悩んだ。内容的に痛々しくなるのが分かっていたし、自分自身がそこに見えるのではないか?と言う恐怖感がちょっとだけあったのでスルー。 オープニングでこれが2010年と言うことが分かる。えーっとつまり、その時はほぼ私も真市と同じ年齢か…しかも凄い駄目男だし…やっぱり、なんか自分を見てるかのようで痛々しい。私もあと5年もすればこんな風になってしまうのでは?とか、正直な話で考えてしまった。 …それはともかく、これだけ痛々しいからこそ後の物語が映える訳で、むしろ物語としては悪くない。そして登場するゼブラーマン!…は、やっぱり弱い。それがだんだん本当に強くなっていく課程は、やっぱり観ていてニヤニヤしてしまう。分かってるじゃないの。この過程ってのが大切なんだよ。 物語はご都合主義且つ大味。だけど、燃える。細かいところは目をつむろう。特撮の醍醐味は“どれだけ燃えられるか”にこそあるのだから。 ただ、観ていてちょっと疑問が。 宇宙人の侵略は良しとするし、それで妙なパワーを得た真市が本当のヒーロー“ゼブラーマン”になるのもOK。だけど、そもそも彼は何から逃避していたのだ? 彼にとって、現実そのものが耐えきれないからこそ、ヒーロー像に逃避していたはず。だったら、何故超常現象ではなく、現実に立ち向かっていく課程を描かなかったのだ?そりゃ2時間枠で宇宙人の侵略なんて大々的なものをやってしまうのだから、時間的に難しかったのは分かる。だけど、妻と娘が、最後に「あれお父さんに似てない?」で終わらせてはいけなかったんだよ。たとえどれほど痛々しく、ベタでも「俺は家族を守るんだ!」と叫んで、妻と娘の前でゼブラーマンになる課程を描いて欲しかった(たとえそれがこそこそと着ぐるみを装着するような情けない格好であったとしても)。と言うか、それがなければならなかったはずなのだ。 しかし、この作品では彼が守るべきは赤の他人である浅野晋平と言う少年であり、その母可奈(鈴木京香)だった。「彼ら“を”守る」ではなく、「彼ら“も”守る」としてこそ本当だろ?ヒーローとは、博愛精神に溢れるばかりでなく、むしろ自分の家族のために戦って欲しい(特にここでは下心を肯定してしまってるし)。この辺は是非続編作ってやってほしい。と切実に思う(作られたけど)。 演出に関しては、手作り特撮とCGの配分は悪くない。ラストバトルがCGばかりなのはちょっといただけないものの、それでも盛り上げ方は正しいだろう。泥だらけになって特訓するヒーローの情けない姿を見られたのも嬉しいところだ。 小ネタだが、冒頭、真市が観ていて「なっちゃいねえなあ」と呟く番組では敵はモロ『リング』(1998)の貞子だったが、それが「私はお前の母だ!」と叫ぶのは『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』(1980)ではなく、『イナズマン』のバラバンバラであると信じたい!(馬鹿か俺は)。それと、非核三原則を無視して核爆弾を国内に持ち込むのはともかく、そのドテっ腹に日本語で「中性子爆弾」と書かれていたのには不覚にも大爆笑。分かってやったとしたらたいしたもんだ。勿論、鈴木京香が身を張って演じたゼブラーナースの存在も忘れちゃならない。あのコスチュームは結構キタぞ。 …しまった。妄想全開のレビューになってしまった(笑) |
鬼哭 KIKOKU 2003 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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極道恐怖大劇場 牛頭(ごず) | |||||||||||||||||||||||||||
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SABU さぶ 2002 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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江戸の下町の表具屋に勤める職人の栄二(藤原竜也)とさぶ(妻夫木聡)。幼い頃からこの店で働いていた二人の性格は対照的だが、固い友情で支え合ってきた。しかしある時、高価な金襴の切を盗んだという濡れ衣を着せられた栄二は解雇されてしまった。英二を心配して石川島の人足寄場に足繁く通うさぶと許婚のおすえ(吹石一恵)だが、人間不信に陥っていた英二は常に冷たく二人を拒絶する。やがて時が過ぎ、下町へと帰ってきた英二だったが… 山本周五郎の同名小説の映画化作。私は小説の方は読んでいないが、これは舞台にもなっていて、高校時代に学校の演劇鑑賞で観た記憶がある。その時はよく分からなかったもんだが、改めて本作を観ることで大体物語の奥にあるものも理解できた。 それにしてもなんとも安っぽい感じの作品だ。舞台はセット丸見えだし、キャラのアップ画像がやたら多く、画面を引いて撮ることがほとんど無い。二人〜三人の場面が多すぎる…これじゃテレビと変わらないな。映画だったらもっと映画らしく撮れば良いのに。とか考えていたのだが、調べてみたら、これは元々テレビドラマだったと言うことが分かる。なるほど。それでか。 結局本作は舞台に全然重きを置いておらず、主役二人の魅力だけで作り上げようとした作品なのだな。勿論妻夫木聡、藤原竜也双方良い演技してるのは確か。しかし、それだけで2時間近くの物語を引っ張るのはちょっと無理。画面に様々なエフェクトをかけるのが上手い三池監督も、予算的に苦労したのか、監督らしくない作品に仕上がってしまった。潤沢な予算を組んで、最初から映画向きに作っていれば…それでも健闘した方なのだろう。きっと。 |
殺し屋1 2001 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001日本映画プロフェッショナル大賞作品賞、監督賞 2002毎日映画コンクール男優助演賞(塚本晋也) 2002ヨコハマ映画祭助演男優賞(塚本晋也)、次点 2003ファンタジア映画祭最も革新的な作品に与えられる賞銅賞 |
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少年時代からいじめられ、どうしても今ひとつ積極的になれないまま大人になってしまった城石一(大森南朋)。だが正体不明のおやじ、ジジイ(塚本晋也)による特殊な条件で彼は泣きながら敵の身体を切り刻んでいく殺人マシーンとなる。一方、歌舞伎町を牛耳る安生組の若頭垣原雅雄(浅野忠信)は、安生組のシマで次々起こる原因不明の殺人事件の調査に乗り出し、その過激な聞き込みによってジジイとイチの存在を知ることになる。… 山本英夫原作コミックの映画化作。原作自身が極めて暴力性残虐性の高い内容だったが、それを三池崇史監督が良い意味でも悪い意味でも見事に映画化。 舞い込んだ仕事は何でもこなし、現代では珍しい職人監督と言われる三池監督。その範囲はとても広く、文芸からホラー、コメディ、アクションと、それこそ受ける要素があれば何でも作ってしまう。かと言って無個性な監督か?と言われるとそうでもなく、どんな作品にもちゃんとこの監督ならではの個性的な描写を盛り込むことが出来るので、なかなか重宝されている人でもある(製作費の多寡があんまり作風に関係しないというのも個性の一つ?)。 そしてここで作られたものは、監督の原点とも言うべきバイオレンスアクション。しかも半端のない暴力の世界だった。三池監督が最も得意とする分野と言う事もあって、質はかなり高い。 …しかし、元の話がとてもひどいこともあって(物語的にと言うのではなく、残酷描写が激しすぎるので)、それをストレートに映像化してしまったもんだから、もの凄いものができてしまった。これじゃ人間の物語って言うより全員化け物だ。主要人物にまともな奴が誰一人おらず、おかしな奴らが全員おかしいまま戦ってるので、ほとんど特撮怪獣もの…まあこの後で実際三池監督は「ウルトラマンマックス」というストレート(?)なヒーロー作品をテレビで作ってる訳だが、これを作った経験がうまく活かされていたんだろう。人間サイズで、普通の意味での特撮を使わなくても特撮作品的なものが作れると言うことを見事に示してくれた。 原作もそうだが、本作では浅野忠信がとにかくキャラ立ちが凄い。自分の体を傷付ける事に快感を覚えるマゾヒスティックな嗜好を持ちつつ、人間をそれこそ切り刻んでいくアンビバレンツ描写を楽しんで行う辺り、狂気性を見事に演じきっていた(なんでも三池監督は原作ではなく、浅野っぽさを強調することにしたとか)。 概ねの人間にはまずお勧めできるような作品ではないものの、邦画はここまでやっても良かったのか。という可能性を感じさせてくれるので、観ておくに越したことは無い作品だ。 |
カタクリ家の幸福 2001 | |||||||||||||||||||||||||||
2004ジュラルメール・ファンタスティック映画祭審査員特別賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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漂流街 THE HAZARD CITY 2000 | |||||||||||||||||||||||||||
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漂流街 THE HAZARD CITY | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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オーディション | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ビデオ制作会社を経営している青山(石橋凌)は7年前に妻を亡くし、一人息子と暮らしていた。そんな青山の身の上を案じた友人の吉川は、映画制作と称したオーディションを開催し、その中から再婚相手を探せと唆すのだった。そしてオーディションによって選んだ麻美(椎名英姫)に魅了されていく青山。そして麻美も又、献身的な愛情を青山に捧げていくのだが… 今や日本では数少ない職人監督として内外に知られるようになった三池監督。その守備範囲はとても広い。基本的には娯楽に徹したものを得意とするが、その娯楽に限っても時代劇からファンタジー、アニメ原作、青春もの、暴力作品、コメディと実に幅広い。 そんな三池監督の名を最初に国際的に有名にさせた作品が本作であり、事実世界的なホラー作品のオールタイムベストには常連の作品でもある、和製ホラーの傑作の一本に数えられる。 ただし、本作の作りはホラーではない。超常現象が起こるわけでもなければ、シリアルキラーが出るわけでない。むしろ純粋なサスペンス作品と言うべき。 …なのだが、確かにこれは間違いなくホラーだ。しかも最高の。 これを観たのは結構偶然の話で、まだ三池監督の名前もよく知らないとき、レンタルビデオで「一本くらいホラーでも借りてみるか?」と棚を物色していたら「店長お勧め」と書かれていたコーナーにこれがあったからだった。通常そういう借り方はしないのだが、どうせホラーだと高をくくり、事前知識全くなしに借りただけにすぎない。 で、最初は失敗したか?とか思った。 本作はものすごくチープな作り方をしている。登場人物は限定的で、舞台もその大部分が密室の中。撮影に金がなかったんだろうな。でもこのチープさを楽しむのも一つのおもしろさだ。なんて思っていたし、別段お化けが出そうでもないし、さほど怖いわけでは… 最初の30分頃までは確かにそう思っていたのだが、その辺過ぎたあたりからどんどん怖さが増してくる。静かに静かに、しかし着実に壊れていく人間の姿を舐めるように映し撮るカメラ… お化けじゃなく、人間が怖くなり過ぎてる。人間しか出てないのに、そこには紛れもない恐怖が潜んでる。いや、潜んでるなんて生やさしくない。静かすぎる狂気に裏打ちされた、紛れもない怖さだったし、なによりも痛さの描写が並じゃない。ホラーで印象深い言葉が出るのは滅多にないのだが、この作品では「キリキリキリキリ〜」という、あまりに恐ろしい台詞が耳にこびりついて… これを可能にしたのは、マイクを徹底的に口に近づけることによる、独特の演出を作り上げた事なんだろうと思う。これによって、むしろ滑舌の悪さを強調し、耳を澄ませることで吐息まで聞こえるようにさせた。そこでぽつぽつ語られる台詞のテンポに飲まれてるうちに、言葉の端々に出てくる狂気を感じさせる。そもそもテレビでやるような演出を逆に映画的にしてしまったことが本作の最大の強みだった。 これは大当たり。マジで怖かったし、今になってもやっぱり怖い。日本の生んだモダンホラーの一作としては確かに捨てられない作品だろう。 |
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「キリキリキリキリ、怖いでしょう。キリキリキリキリ、痛いでしょう」 |