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松竹ヌーヴェル・ヴァーグの牽引役 1996年に脳出血。長い入院生活を送った後、復帰。 |
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大島渚のすべて 解体と噴出―大島渚評論集 大島渚の世界 大島渚―大島渚1960 (人間の記録) 女はみずうみ男は舟―大島渚対談集 大島渚―注目の映像作家シリーズ 体験的戦後映像論 ナギサ・オオシマ いのち、輝く!―もう一度メガホンを‐大島渚を支えた介護の日々 女たち、もっと素敵に 著作 大島渚著作集〈第2巻〉敗者は映像をもたず 大島渚著作集〈第3巻〉わが映画を解体する 大島渚著作集〈第4巻〉敵たちよ、同志たちよ 大島渚1968 パパはマイナス50点―介護うつを越えて夫、大島渚を支えた10年 私が怒るわけ 失って、得る。―脳出血で倒れて「新しい自分」と出会う 癒されゆく日々 ぼくの流儀 パゾリーニ・ルネサンス 失って、得る。―脳出血で倒れて「新しい自分」と出会う 戦後50年映画100年 絞死刑―大島渚作品集 翻訳 ベストフレンド ベストカップル―2人の関係が最高にうまくいく奇跡のルール ジョン・グレイ博士の愛が深まる本―「ほんとうの歓び」を知るために ベスト・パートナーになるために―男は火星(マース)から、女は金星(ヴィーナス)からやってきた |
2013 | 1'15 死去 | |
2012 | ||
2011 | ||
2010 | THE OSHIMA GANG 出演 | |
2009 | ||
2008 | ||
2006 | 映画監督って何だ! 出演 | |
2000 | Devotion-小川紳介と生きた人々 出演 | |
1999 | 御法度 監督・脚本 | |
1995 | BeRLiN 出演 | |
1988 | ΦIDEA 出演 | |
1986 | マックス、モン・アムール 監督・脚本 | |
風が吹くとき 日本語版監修 | ||
1983 | 戦場のメリークリスマス 監督・脚本 | |
1978 | 愛の亡霊 監督・脚本 | |
1976 | 愛のコリーダ 監督・脚本 | |
やくざの墓場 くちなしの花 特別出演 | ||
1972 | 夏の妹 監督・脚本 | |
1971 | 儀式 監督・脚本 | |
1970 | 東京戰争戦後秘話 監督 | |
1969 | 少年 監督 | |
新宿泥棒日記 監督・脚本・編集 | ||
宵闇せまれば 脚本 | ||
1968 | 帰ってきたヨッパライ 監督・脚本 | |
絞死刑 監督・脚本 | ||
1967 | 無理心中日本の夏 監督・脚本 | |
日本春歌考 監督・脚本 | ||
忍者武芸帳 監督・製作・脚本 | ||
1966 | 白昼の通り魔 監督 | |
1965 | 悦楽 監督・脚本 | |
1962 | 天草四郎時貞 監督・脚本 | |
1961 | 飼育 監督 | |
1960 | 日本の夜と霧 監督・脚本 | |
太陽の墓場 監督・脚本 | ||
青春残酷物語 監督・脚本 | ||
1959 | 愛と希望の街 監督・脚本 | |
明日の太陽 監督・脚本 | ||
1932 | 3'31 京都市で誕生 |
御法度 1999 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1999日本アカデミー新人俳優賞(松田龍平)、作品賞、助演男優賞(武田真治)、監督賞(大島渚)、脚本賞、撮影賞、照明賞、録音賞、編集賞 1999ブルーリボン作品賞、助演男優賞(武田真治)、監督賞(大島渚)、新人賞(松田龍平) 2000カンヌ国際映画祭パルム・ドール 2000キネマ旬報第3位 2000毎日映画コンクール日本映画優秀賞、男優主演賞(浅野忠信)、スポニチグランプリ新人賞(松田龍平) 2000報知映画助演男優賞(浅野忠信) 2000ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(松田龍平)、第4位 |
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幕末に盛り上がりを見せる尊王攘夷運動を牽制するため京都壬生で立ち上げられた新撰組。そこでは「局中法度」「軍中法度」という厳しい戒律によって鉄の結束を誇っていた。そんな新撰組に田代彪蔵(浅野忠信)と加納惣三郎(松田龍平)が入隊した。二人共剣の腕は確かに立っていたが、入隊後にこの二人が衆道の契りを結んだという風評が立つようになる。しかもあまりの美貌故に惣三郎に近寄った隊員は次々と殺されていく。そのことに不審を持った土方歳三(ビートたけし)は調査を進めるのだが… 大島渚監督久々の映画作品で、その年の映画賞に軒並みノミネートされ、傑作の呼び声が高い作品。 噂を聞き及び、是非劇場で。と思っていたのだが、残念ながら時間の都合が付かず、今頃になってテレビで観ることになった。 かなり期待度が高いぞ。一体どんな魅力を見せてくれる? …あら?あらら? なんだこりゃ? うわっ。駄目だこりゃ。 日本映画界の反逆児とまで言われ、これまで様々な物議を醸した映画を作ってきた監督が、映画界に認められたって時点で駄目なんだろう。単純に自分の昔の作品をコピーしただけ(しかも粗悪なコピー)。もう監督にアクティヴさは失われていたんだ。残念だ。 松田龍平(これがデビュー作)、武田真治という二人を用い、そこにビートたけしが絡むし、脇をヴェテランが固め、良い演技を見せてくれるんだが、いかんせん演技が全部ちぐはぐ。 大体なんでも見せれば良いってもんじゃない。男同士の絡みというのは、もし本当に耽美的に撮るならば、行為を見せちゃいけないんだ(『戦場のメリークリスマス』(1983)ではそれがちゃんと出来てたのに)。そんなものを見せた時点で興醒めだし、そこで揺れ動く新撰組の対応ものんびりしすぎ。それにこの映画では、ビートたけしのナルシスぶりが無茶苦茶鼻につく。存在感があるように撮るんだったら、あんな全面に出してはいけないよ。 確かにみんな演技はしっかりしてるんだけど、とんがったところが全然見られない。 監督の作る映画はこれまで演技とかなんかじゃなく、無茶苦茶とんがりまくっていたのが魅力(同時に嫌いな部分でもあったが)だったのに、それを全く失わせるなど…監督、一体どうしっちまったんだ?魅力的な設定をなんでこんなものにしてしまったんだ? 正直なことを言わせてもらえれば、賞は大島監督の体調をおもんばかってのことなのでは?と勘ぐりたくさえなってしまう。 又一人、魅力的な監督を失った気分だ。 |
マックス、モン・アムール 1986 | |||||||||||||||||||||||||||
1986カンヌ国際映画祭パルム・ドール | |||||||||||||||||||||||||||
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戦場のメリークリスマス 1983 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1983英アカデミー作曲賞 1983カンヌ国際映画祭パルム・ドール 1983キネマ旬報日本映画第3位 1983毎日映画コンクール日本映画大賞、監督賞、脚本賞、男優助演賞(ビートたけし)、音楽賞 1983ヨコハマ映画祭第10位 |
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ジャワ奥地の捕虜収容所を舞台に、日本軍のエリート士官ヨノイ(坂本龍一)と、連合軍捕虜セリアズ少佐(ボウイ)の奇妙な、愛情めいた関係を中心に、ハラ(ビートたけし)ら、日本軍の厳しく、そして奇妙に優しい男たちがなす人間ドラマ。 大島監督にとっては5年ぶりの新作となる作品で、最初から世界公開を前提として製作開始され、監督お得意の耽美的描写が最も冴えた作品に仕上げられた。耽美と言うだけに、出てくるキャラは男ばかり。それで一応ちゃんとラブ・ロマンスの形を取っているのが凄いと言えば凄い。 まあ、言うなればこれは坂本龍一という人物を得て初めて成り立った作品であり、坂本龍一をひたすら描いた作品でもある。それだけに殆ど全面的に「俺は坂本龍一だ!」的な登場の仕方をしているのが特徴と言えば特徴。ただ、このお陰で坂本龍一というミュージシャンが世界に認められるようになったのは事実。 耽美的な映像というのは、ある意味での“美”を端的に示すためには有効で、たとえ坂本龍一がどれほど大根であっても、撮り方によっては、充分美しい作品となる事を示してくれた。加えてあの音楽。ピアノだけであれだけの凄まじいものが出来るとは、思いも寄らない。実際、ピアノを弾ける複数の知り合いは今でも時折これを弾いてるし… そう言えばその時代、坂本龍一はバイでは?と言う噂があったが、これはまさしくその懐疑を深める結果となった。結局その追い風に乗って作られた訳だ。 当時私はYMOの大ファンであったが、その個人の性癖には何の関心も持っていなかった。それでこんな映像を叩きつけられたとあっては、坂本龍一自身のパーソナリティに疑問を抱いたものだ。 それにしても、何故ラストシーンの、「メリー・クリスマス。ミスター・ローレンス」で泣いてしまったのか、未だに疑問… ところでこれはニュージーランドロケだったが、ここで助監督を務めていたのが後にボンド映画を撮ることになるリー・タマホリ。 |
愛の亡霊 1978 | |||||||||||||||||||||||||||
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『愛のコリーダ』と同様の手法でフランス配給とした作品で、ついにカンヌ監督賞を受賞。世界的名声を高める |
愛のコリーダ 1976 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1976キネマ旬報外国映画第8位 1976報知映画主演男優賞(藤竜也) |
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1936年。これまで芸者から始めて様々な職を転々としてきた阿部定(松田英子)は彼女のパトロンの名古屋の商業高校の校長の薦めで東京中野の料亭吉田屋に奉公し始めた。だが、やがて定は吉田屋の主人吉蔵(藤竜也)に惚れ込んでしまう。傍目も気にしない彼女の手練手管に吉蔵もほだされ、ついに二人は駆け落ちしてしまう。それから二人の愛欲の生活が始まった… 日本初の有名監督によるハードコア・ポルノ。1936年に起こった阿部定事件の映画化作品で、名もない一介の女性がこれだけ有名になった事件も珍しいが、何より、愛するあまり相手を殺し、その性器を切り取るという猟奇的な殺人が大いに話題になったらしい。 これを映画化しようと考えたのが大島渚。既に日本映画界においては押しも押されもしない大監督として地位を固めていたが、1960年代の社会運動への傾倒が消え去り(これを如実に示したのが『東京戰争戦後秘話』(1970)となるだろう)、1970年代になって、これからどういう方向性で映画を作っていくか。と言う命題を前に、“耽美”を選択した事を決定づけた作品である。この辺ヴィスコンティとよく似た経路っぽいが、そもそも本作は大島監督は『ラストタンゴ・イン・パリ』(1972)にインスパイアされて構想したという。それ自体も世界的な論争を引き起こしたものだが、それ以上のショッキングな話題をさらおうとする意気込みが本作からは感じ取れる。 実際、テーマの取り方も、単なるエロスではなく、軍国主義華やかな時代に男と女の情念を燃やしたという阿部定を例に取るなど、反逆精神はまだ残っていたかのよう。 ただ意気込みはともかく、映画としての出来はどうか?と言われるとかなり引く。確かに最初の内は物語性もあるんだけど、中盤以降はただ延々と性描写が続くばかりで、しかも変に文芸調に描くため、完全に飽きる。ポルノ作るんだったら徹底してポルノにするか、大島監督お得意の虐げられた人間を徹底して蔑む描写を入れるべきだったんじゃないか?これまでの自分の作品を否定しても、観てる側はそれを期待するんだから。人間の描き方ももう少し淡々として欲しかったが、この作品に関してはひたすら描写がねちっこすぎるだけ。 描写自体が悪い訳じゃないけど、観てる側に引かせた時点で駄目。 それに物語自体よりも本作の場合は日本映画史における存在そのものの方が面白い。 ここまでの過激な性描写は日本の映倫に触れるものであったため、京都で撮影したフィルムをフランスに送り、現像して逆輸入して規制の網をくぐり抜けたと言う逸話があり、実は日本人しか登場しないフランス映画とカテゴライズされるのが本作なのである(事実キネマ旬報では「外国映画」としてノミネートされている)。更にその後無修正の写真集「愛のコリーダ」を出版するが、猥褻書として押収されてしまう。裁判には勝訴したが、押収時間を徹底的に長引かせたため、検察省による意趣返しとも言われる。 合う合わないを徹底的に選ぶ作品なので、本作を観る場合それなりに覚悟が必要。 |
夏の妹 1972 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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儀式 1971 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1971キネマ旬報日本映画1位 1971毎日映画コンクール脚本賞、音楽賞、録音賞 |
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京都大学で野球に打ち込んでいる桜田満州男(河原崎建三)は兄の輝道(中村敦夫)から「テルミチシス」という奇妙な電報を受取った。電報の発信地は南の島で、満洲男は従姉の桜田律子(賀来敦子)と共に輝道を探しに行く。その道中、満州男は過去桜田家で行われた冠婚葬祭の数々に思いを馳せる… 大島渚監督による『東京戰争戦後秘話』(1970)の次の作品になる作品だが、同じATG作品。同じ監督が作ったとしてはずいぶんと内容的に違いがある。 ATGが創立10周年を記念して創造社と提携製作した作品。ATGは面白い映画の作り方で知られるが、そもそもは監督とATGで配分して出資し、そのパーセントに応じて純益を分け合うというもの。その代わり基本的に注文を付けないため、監督がのびのび自分の作品を作れたという意味で、1960年代邦画の一時代を作ってきた。この時代が一番監督の主義主張が映画に出せた時代だったのだ。そのATGの記念作品と言うことで、従来の1000万では足りないと言うことで、初めて2000万円が投入され、大島監督としても9年ぶりの撮影所を使用した作品となった。 大島監督の作品には際だって二つの傾向が存在する。 一つは超が付くリアリティ。人間の感情など簡単に押しつぶされてしまう現実というものを前に、あがき苦しみ、やがてどんな悲惨であっても現実を受け入れざるを得ない人間というものを描いたもの。そしてもう一つは極めて観念的な、いわば前衛芸術のようなもの。監督の初期作品には前者が多く、中期にはいるとこれが混じり合ったような作品が多くなり、後期になると、最早観念だけの作品に移行していくわけだが、本作はその中期的な作品と言っても良いと思う。 封建的な田舎を舞台に、やりたい放題の旧家、その中でも、まるで王様のように君臨する家長と、それに反抗する新参者の、精神的な戦いを主軸に、その周りで歪んでいく家族関係や、近代化の波が押し寄せ、それによる家族そのものの崩壊と言ったものを、事実としてだけでなく、主人公の脳内での葛藤をも同時に描く。 物語を通して観ていると、手塚治虫の漫画「奇子」っぽさが強いが、よりエロチックに、より観念的に話は持って行かれている。 これは常に反抗者たらんとした大島監督の最後の反抗だったのかもしれない。古くからの日本の家長制度は、近代化の名の下に「悪」とされてきたが、事実それは根強く残っているではないか。それは普通の人の家と言うよりは、国家と、国政を握る政治家との対比として「家」を観ているような気にさせられる。 そうすると、ここでの登場人物、特に自殺してしまったり逃亡したりするのは、国政に関わり、その不条理に耐えられなかった人達の暗喩として登場すると考えることも出来る。主人公の名前からして満州男だし、その父は韓一郎である。かつて日本が植民地とした国をわざわざ付けているわけだし、他にも忠、節子、律子など、昔の日本が大切にしていた観念を名前に付けたキャラが多く登場している。それらが皆家長である一臣の専制的な振る舞いに傷つき、時に反抗してつぶされてしまう。その家長の一臣自身がそもそも戦時中の内務官僚で中央からは追放令を受けている人物である。これを東京裁判で戦犯として処刑を免れた政治家に見立てるのは論理的にも無理がないだろう。 そして一応ここでは語り部として登場するのは満州男だが、実質的な主人公は輝男の方で、彼こそがこの旧態依然とした家に対し、感情的ではなく論理的に反抗を企てようとした人物として考えられるはずだ。あるいは大島監督自身が自らを投影したのがこの輝男だったのかもしれない。 しかし結果的に輝男は死ぬことになる。論理の力では家をつぶすことが出来ず、さりとて狂気を装っても、それも儚く終わる… これ以降大島監督作品が耽美の世界に入り込んでいったのは、あるいは本作こそが監督にとって、これまでの作風からの決別となっていたのかもしれない。 …考え過ぎかな? 本来これがカンヌ国際映画祭に贈られる予定だったのだが、国内選考委員の不手際によって中平康監督の『闇の中の魑魅魍魎』が出品されてしまい、監督が激怒し、抗議文を送りつけたという。 |
東京戰争戦後秘話 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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1969年の羽田闘争の敗北により安保闘争が終わったと考える監督が、映画製作に没頭する若者たちの姿を通し、これからどう生きるかを模索した作品。 |
少年 1969 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1969キネマ旬報日本映画第3位 1969毎日映画コンクール脚本賞、女優助演賞(小山明子) |
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定住を決めず、日本各地を転々としている一家。実はこの一家は家族ぐるみの“当たり屋”であり、車に当たったふりをした母親、それを見て泣く二人の息子。交渉役の父。と言う役割で毎日当たりやすそうな車を選んでは事件を起こしていた。やがて母は妊娠。父から見込まれた少年が今度は自分自身が車に当たる役を割り振られる。何度かこの作戦は成功したが、一つ所にとどまることが出来ない家族が移動できる場所は徐々に狭められ、少年もこんな生活が嫌になっていく… そもそもそのデビュー作から、日本に未だ脈々と息づいている格差について、理不尽な怒りを爆発させる少年を描き続けてきた大島監督による作品で、本作も当たり屋をやっていかねばならない家族が描かれている(ここまで年若い少年を主人公にしたのは初めてだろうが)。その姿勢は変わっていないものの、これまであった監督の“怒り”が、やや情緒の方に傾いていることを感じさせられもする。やっぱり大島監督も日本人なのだ。と思わせられる作品である。 この家族は実は擬似的なもので、本来少年はそこにすがらなくても良いはずなのだが、それでもやっぱり離れられない。たとえ血はつながって無くても、親と呼んだ存在に対しては、やはり少年は弱い。どれほど酷い扱いを受けていたとしても、ほんの僅かな優しさの記憶がある限り…それが哀しみである。 ただ、その感傷的な作りがどれだけ功を奏したかは少々疑問点が残り、ちょっと退屈な部分が多すぎたのが残念。子どもの情緒に入り込むなど色々と良い所もあるんだけど、それが今ひとつ伝わってこなかった。 |
絞死刑 1968 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1968キネマ旬報日本映画第3位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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在日少年のRは女性を殺した罪を問われ絞死刑に処された。だが何故かぶら下げられたRの脈は止まることなく、やがて目を覚ます。心神喪失者を処刑することは日本では許されていないため、執行人達は彼に記憶を取り戻させるべく事件を再現しようとする。しかし周囲の喧噪の中、Rは自分の心に問いかけ続ける。罪とは?死刑とは?国家とは?そして殺人とは? 1958年に起こった小松川女高生殺人事件(李少年事件)をモティーフに取った大島渚監督中期の名作にしてATGの第一回作品。 大島監督作品は初期の超が付くリアリティある人間描写を中心とした作品と後期の観念的な作品に二分されるが、その間にその中間体とも言えるメタフィクション的な作品がいくつかある。ATGという表現様式を手に入れた大島監督のチャレンジ精神が分かる作風で、私に言わせれば、この時代の作品が一番完成度が高い。これは国家制度というハード的なものを例に取りつつ、フィジカルなソフト面をも見据え、脅威のバランスを誇っている。 人の死に際しての厳粛な雰囲気が一転し、まるで祭りのような寸劇コメディへと話がシフトしていくと、もはや何が何だか。と言う感じになってしまうのだが、一番の悲劇である当人Rが、その中で一人超然とし、心の内面に入っていく二面性が面白い。国家の制度とか、そう言う点については作品を通して実は何も決着が付いていないのだが、決着が付いていないからこそ意味があるとするのが本作の本当の狙いなのだろう。ネタを提供してやるから、後は考えてくれ。という事だ。これは大島監督自身が国家というシステムに対し、大きな不信感を持っていたと言うことにも関係してくるのだろうが、革命というもの自体にも不信感を募らせていたのではないだろうか?特に1968年というと、革命闘争にとっては一つの時代の終焉を告げた年で、革命は理念ではなく、破壊のための闘争へと移っていた。それに替わるものが見いだせないまま、迷走していく…本作はまるでそんな時代そのものを切り取ったかのような描写となっている。 こういうメタフィクションが私は大好きだが、特にこの手の作品は作り手のセンスが重要。何が何だか分からなくなりつつも、観てるこっちの心に傷痕を残してくれるようなものこそがやはり良い。そう言う意味で大島監督はその高みで映画を作ってくれる監督だったんだが…数が少ないのが難点か。 本作はカンヌでも評価された作品でもあるが、この年のカンヌは学生運動のあおりで賞自体が中止になってしまった。タイミングが悪かった。 大島監督を知るためにも、時代を知るためにも観ておきたい作品である。 |
帰ってきたヨッパライ 1968 | |||||||||||||||||||||||||||
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海水浴にやって来たフォーク・クルセダーズの三人。ひとしきり泳いで浜辺に戻ってみると、彼らの三人分の衣装は韓国人のものとすり返られていた。仕方がないのでそれを着て町に出た三人だが、不意の思いつきで韓国人の振りをして遊んでいたところ、本当の密入国者と間違えられてしまい… 1968年に大ヒットを飛ばしたザ・フォーク・クルセーダーズのナンバー「帰ってきたヨッパライ」。これは酔っぱらった親父が天国に行ったところ、そこで酒ばかり飲んでいたために神様から追い出されてしまうというナンセンスギャグの歌。 そんなザ・フォーク・クルセダーズに目を付けた大島渚監督が、彼らを素のまま登場させて作ったのが本作。内容は歌とは全く関わりを持たないのだが、フォーク・クルセダーズの面々の素の表情を上手く使い、国際問題になんの関心も持たない青年がふとしたことから直面した民族問題を、ブラックジョークたっぷりに描ききる。 敗戦後、奇跡的な高度成長をなした日本とは異なり、お隣の韓国はそうもいかなかった。他でもなく、朝鮮戦争のお陰である。 日本を自分の陣営に引き入れることが出来たアメリカと、アメリカによる日本を拠点に大陸への進出を恐れたソ連が、いわば代理戦争として起こったのが朝鮮戦争であった。皮肉な話でこれが日本を富ませ、韓国を貧困のどん底に叩き込むこととなる。もし終戦がほんの少し遅れていたら、ひょっとしたら韓国ではなく日本がその戦争の舞台になっていた可能性もあったのだ。歴史の皮肉ではある。 それ以前にも日本には太平洋戦争で朝鮮から引っ張ってきた朝鮮人も数多くいたし、この戦争によって多くの難民が誕生。更に停戦協定は結ばれたとはいえ、北も南も軍事政権の発足によって、生きにくくなった人々が日本にやってくることになってしまった。 そんな時代背景が本作にはあるが、これは多分それが当時の日本では「当たり前」と思っていた事が前提なのだろう。特別韓国人を擁護することもなく、それが皮肉にならないままシュールなギャグが続いていく。はっきり言えば、現在の目で見ると、それが大変痛々しい姿に見えてしまう。多分本作はその時代の空気を吸っていなければ、本当に評価することは出来ない作品なのだろう。 背後に隠されたものを推測しながら観るのは楽しいのは楽しいのだが、役者としては完全に素人丸出しのフォーク・クルセダーズの面々には、やっぱり少々引く。物語の狙いとして、高度成長時代の背後に隠された深刻な民族問題を、それを全く意識しないノンポリが直面する。という事なので、むしろ素人っぽさが狙いだろうし、ライブ性を大切にする大島監督だけに、リハーサルとかもあんまり考えてなかっただろう事は分かるけど。 現代の目で本作を観ると、皮肉がきつすぎて、逆に当時の本質が見えなくなってしまうと言う面もあったりして、出来るならこの時代に観てみたかった作品ではある。 この年、フォーククルセイダーズは「イムジン河」をリリース。しかしそれが差し止めになったという経緯がある(その辺は『パッチギ!』(2004)に詳しい)。 |
忍者武芸帳 1967 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1967キネマ旬報日本映画第10位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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室町幕府末期。世は戦国時代へと入っていった。そんな中、非業の死を遂げた最上伏影城城主の息子重太郎がいた。復讐の機会をうかがう重太郎の前に影丸と名乗る凄腕の忍者が現れた。何度殺されても、やはり現れる影丸の正体とは? 1960年代当時、安保闘争に明け暮れる日本では一人の漫画家の作品が盛んに読まれていた。白土三平の描く「カムイ伝」がそれ。ガロに連載されていたこの作品は莫大な影響力を当時の青年にもたらしたと言う。この「カムイ伝」は権力者側の忍者であるはずのカムイが、飢えて虐げられている民衆を知ることによって、抜け忍となる話だが、この作品にはカムイの他にもう一人主人公正助がおり、中心はむしろそちらの方。徹底して民衆の立場で、彼らの命を救おうと必死に活動している人物。この二人の行動が主軸なのだが、その視点は徹底して民衆の側にある。 その同時代に白土が描いた作品は数多いが、特にこの時代の白土三平作品の特徴でもあり、その部分こそが受け入れられた理由とも言えよう。どれも視点は変わらずにとにかく徹底して虐げられる民衆の目から見た戦国時代が描かれ、それが1960年代の世相に見事に合致していたために、絶大なる支持を受けた。 それに目をつけた大島渚監督がその中の一作「忍者武芸帳」を映画化したのが本作だが、ここでは実験的な試みがなされている。 本作はアニメーションでなければ実写でもない。静止画を連続させ、そこに音と台詞をかぶせるという手法を使ったのだ。いわば紙芝居のようなもので、映画としては異端的な手法だが、少なくともこれ以上の漫画原作の映画化はあり得ないのは事実。 元の物語が熱いだけに、大島監督は自分を抑えても熱い。この時代の大島監督はやっぱり凄いと思わされた作品だった。 ただ、一つ問題は、これだったら漫画読んだ方が早いという事実に尽きるが…結局この手法は「実験」で終わってしまった。 |
天草四郎時貞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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徳川家光の治下の天草ではキリシタン禁制とその苛酷な政治下に、農民達が喘いでいた。そんな中、天草の救世主と仰がれる青年天草四郎(大川橋蔵)は、決起の時を待ちつつ和解の道を探りながら雌伏していた。だが、あまりにも過酷な取り立てに、キリシタン農民達は四郎の制止も聞かず、再三立ち上がっていく。やがて四郎には手が出せないほどに広がってしまった火種に、ついに四郎が立ち上がる… キリシタン反乱いわゆる“島原の乱”に題材を取った天草四郎の伝記物語。こういった、領民のために立ち上がる領主や武士を描いた作品は日本では結構好まれる傾向にあり、数多くの監督が似たような素材を使って映画作りをしているが、大島渚が作った本作は、それらのどれとも一線を画す作品に仕上がっている。 そもそもそういう作品が好まれるのは「判官贔屓」の言葉もあるように、日本人は昔から義に篤く強い人物を好む傾向があり、少数精鋭部隊が大軍を相手に一歩も引かず、やがて刃折れ矢尽きて死んでいくような人物を“英雄”と称えていたから…フォーマットは完全に『忠臣蔵』であり、最後に勝利を収めるという一点を除けばロボットアニメは大概そのフォーマットに則ってる。そういった作品を大衆が望むから作るという構図だった。 だが大島監督はそのようなことを考えて作ったようには思えない。と言うより、本作は完全にその当時の日本の状況とくっついて作られたのだから。2年前『日本の夜と霧』で日米安保締結阻止が出来なかった左翼運動の失敗を総括した監督が、その痛みをそのまま天草四郎という人物に託した作品であると見て取れるだろう。 現実的な活動で言えば天草四郎というのはカリスマ性はあるが、運動家の中でも現実主義者で、以降の活動のあり方と、国家権力との和解を模索している人物なのだが、そういう人間は本来最も重要な人物でありながら、活動家の中では疎んじられがち。劇中でも現実に苦しむ農民を前に手をこまねいている四郎は、徐々に追い詰められていく。もうにっちもさっちもいかず、最終的に全ての対話を捨ててテロに走らざるを得ない人物のように描かれているのが大きな特徴だろう。 だから本作は決して痛快でもなければ、天草四郎という人物を英雄視もしてない。四郎自身が韜晦しまくりで、「本当にこれで良かったのか」といつも自分自身に問い続けている(この作品で面白い描写は、背景を完全に黒く塗りつぶし、登場人物の挑戦的なメッセージを聞かせるなんてところにもあった。明らかに大島監督が天草四郎の言葉を通じて視聴者に語りかけているのが分かるよ)。 時代の流れはそういう人物を追い込み、未来を捨てさせ、そして犬死にさせる。まさしく激動の60年代の闘士の姿がそこにある。安保闘争の失敗を下敷きにしているだけに、それだけに本作は苦い味わいを残す。 しかし、考えてみると、本作はまさしく日本における『ジーザス・クライスト・スーパースター』なんだよな。8年も前なんだから、もうちょっと世界的に評価されても良いような気がするんだけど、物語に華がないから駄目か。勿体ない話だ。 |
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飼育 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1961キネマ旬報日本映画第9位 1961毎日映画コンクール男優助演賞(三國連太郎) |
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日本の夜と霧 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1960キネマ旬報日本映画第10位 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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霧の深い夜、安保闘争を通して結ばれた野沢晴明(渡辺文雄)と原田玲子(桑野みゆき)の結婚式が行われた。式場にはかつて学生運動で共に戦った同志達の手作りでささやかな、しかし心がこもったものだったが、彼らを祝うスピーチは、しかしこれまで破防法や日米安保条約締結を防ぐことが出来なかった苦渋に溢れたものばかりだった。その闘争の中、切り捨ててしまった人間、裏切りにあって犠牲になった人間達がいる。その事を突きつけてくる彼らのスピーチに… 1960年1月19日。新安保条約(正式名称「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」)が締結。これは戦後の日本を大きく揺るがす事件となった。 連合国によって敗戦処理が行われた日本は、表向き平和憲法によっていかなる国々の戦争にも荷担しないことを謳い、冷戦構造に際しても、独自路線を守ることを主張していたが、実態は日本の戦後処理はほとんどアメリカによって行われ、アメリカとの親密関係を増していた。 その結果、政治と民意にはねじれが生じ、政府の意向としてはアメリカとの協定は当然。という意志が、民間からは日本の平和を脅かすものとして強い反発を生み、それが戦後初の学生を中心とした社会運動へと発展していく。 だが現実問題として学生や左翼の人々が何を主張しようが、政府の意志は変わらずに強引なる調印となる。 その直後の出来事として描かれたのが本作。実にタイムリーな投入であり、内容も大島監督にしか出来ない白熱した作品であった。まさにこの時代。この年が生んだ作品なのである。1960年という時代の生の感覚を得るためには格好の素材であろう。 その意味で、本作は設定的にはとても重要な位置づけにある。 新安保闘争の闘志達はみんな自分たちが正義であることを信じ、一致団結して戦っていた。だが、彼らの主張する“正義”とは、いつの間にか仲間の中にも犠牲を出していく。ここで運動が成功したら、その事は忘れ去られるか、あるいは殉教者として祀り上げられることになっただろう。だが、実際には運動は失敗。新安保条約は締結されてしまった。 ここでのスピーチの数々は、この時代を振り返っている。正義感溢れる若者達の団結の尊さが最初の内は語られていくのだが、時代が下るに従い、話はどんどん暗く、シャレにならない方向性へと向かう。ついには、違う主張を許さず、内ゲバによる犠牲者が出たという事実に至り、一体これまで自分たちがやってきたことは何だったのだ?という重い命題を突きつけてくる。 その意味では、本作はライブ感覚に溢れた弾劾作品であると言って良い。この視点こそが初期の大島監督の特徴であり、それが彼を「大監督」と言わしめる実力を示している。 …で、その部分は確かに素晴らしいと思うのだ。が、一本の映画として本作を観る限り、はっきり言ってしまえば「とてもつまらない」のがなんとも寂しいところ。 一つにはライブ感覚を重要視したためか、あるいはフィルムを惜しんだか、役者にそのまま台詞を喋らせてしまったため、特に後半になるとしゃべりが一本調子になり、しかも棒読みに近い台詞になってしまう。これを“迫力”と言う人もいるけど、聞き取りにくいだけでかえってリアリティから遠ざかってるようにしか思えない。むしろ素人演劇を、しかも台詞だけの怒鳴りあいを延々見せられてる気分になってしまう。 それに大部分が会話で終始するため、映画としての盛り上がりそのものに欠ける。後半になるとエキセントリックに叫ぶ人間ばかり。結局話は一本調子のまま終了。最後は「愛」で終わるけど、それもなんとなくとってつけた。って感じ。 金こそかかっていないが、センセーショナルな内容のため、大島監督は本作の制作に入るまで松竹を騙すために学生運動を背景としたメロドラマと偽っていたという。大島監督自身はそれでもタイムリー性に相当に自信があったらしく、絶対に受けると押し切ったのだが、ところが実はたいして客は入らず、公開4日後、社会党委員長の浅沼稲次郎が刺殺されたため、松竹は上映をうち切る。 打ち切りが決まった後、大島監督と小山明子の結婚式でスピーチが皆松竹上層部を揶揄したものばかりで、大島監督が松竹を退社する契機となる。 実際の歴史にあっても、映画史にあっても、どちらも重要な意味を持つため本作は映画教養のためにも抑えておきたい作品。ただ、それなりに覚悟を持って観ないと疲れ切ってしまうのでご注意を。 |
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青春残酷物語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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危うく中年男にホテルに連れ込まれそうになった新庄真琴(桑野みゆき)を助けたのは学生の藤井清(川津祐介)だった。そんな縁から二人はつきあい始め、やがては真琴は家を出て清のアパートで同棲生活を送るようになっていく。若い二人の生活に、しかし世間の風は冷たかった。金がどうしても必要になった清は、二人の出会った晩を思い出し、真琴に美人局をやらせようとするのだが… 松竹ヌーヴェル・ヴァーグの代表作。和製ヌーヴェル・ヴァーグ(とはいえ、元は日本から始まったんだが)にこだわりを持つ大島監督が世に問うた問題作で、60年安保闘争に明け暮れる時代を背景に、刹那的に生きていく若い二人を描いた衝撃作。「俺たち自分を道具や売り物にして生きていくしかないんだ」は若者の共感を受けた。折しも隣の韓国では初の大規模な学生デモが行われており、それに呼応したとも言われる。 これは不思議な作品だ。大島渚という人物は政治的には極めてリベラリストのはずなのだが、本作はむしろ全くその逆を描いており、何の理念も目的もない二人を延々と映していく。 日仏のヌーヴェル・ヴァーグの作りから見るに、確かにこれは教科書的作品だと言えると思う。物語もそうだが、カメラが常に動いているため、画面そのものが不安定で、それが登場人物の心境をも示しているかのよう。その辺は流石大島渚監督。それは楽しいのだが… 若さを情熱と思う人は多いと思うし、当時の安保闘争は、まさにその若さの爆発の発露と見る人も多いだろう。しかし、大島監督が作り上げた本作はそう言うのとは全く無縁。登場人物たちにとって若さとは、今をしのいで生きていくと言う刹那的な思いだけで、周りを醒めた目で見やりつつ、しかし自縄自縛へと陥っていく、これも又青春の一面をみせた作品だった。表に出ているゲバ棒持ってわあわあ騒いでいる人間ばかりではない。表に出る気もなく、ただ生きていると言う人間はもっと多いわけだし、その中にはこのようになってしまう人間もいる。頭ではそれは分かっているのだが… 問題はこの生き方に全く共感が出来ないと言うところだろう。世間に背を向けて自分の世界を作ろうとするのも良いんだが、「だったら働けよ」と言う一言で全て済んでしまう。主人公の二人は別段死を渇望しているわけでもなければ、いっぱしに世間に反抗しているわけでもない。更に言わせてもらうと世間ずれしているわけでもない。何となく昔の文士を気取っているだけのように思えるのだが、要するにそれって自分に酔ってるだけなんじゃないのか?なんか彼らの生き方は妙に苛々するんだよな。 その苛つきを映画にしたというのであれば、確かにそれはヌーヴェル・ヴァーグと言えるか。 |
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「俺たち自分を道具や売り物にして生きていくしかないんだ」 |
愛と希望の街 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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母子家庭で母親が働きすぎて伏せっている正夫(藤川弘志)は路上で鳩を売って生活していた。鳩の帰巣本能を使い、帰ってきた鳩を何度も売りに出していたのだ。ある日正夫から鳩を買った電器メーカー重役の娘・京子は、その事を知り、更に正夫の担任女教師から正夫の暮らしぶりを聞き込み、正夫を父の会社に入れようとするのだが… 何かと問題作を連発する監督の、そのメジャーデビュー作。日本の現状をしっかりと見据え、シニカルに物事を捉える目がとても良い。本作は元々『鳩を売る少年』という題だったそうだが、会社側の意向でこのタイトルに変えられた。しかし、それが非常にミスマッチとなってしまった。 戦後の時期に社会の実体を捉えようとした、いわゆる社会派作品が多く作られたが、1950年代後半になると、その反動からか、人間中心のドラマに戻っていく。その急先鋒となったのが増村保造で、彼の主張では、社会派作品は、環境の重圧しか描けず、人間の主体的な情熱を表現できない。だった。どうやら大島監督はその答えとして、社会的な重圧にあえいでいても、人間はその中で主体的に生きている。と言うことを示そうとして本作を作り上げたようだ。 金持ちと貧乏という二階層に分かれた日本。貧乏は金持ちを羨み、金持ちはそんな人間に物を与える事で自分の義務を果たした気持ちになる。結局互いは互いを分かることなく終わってしまう。と言う構成により、物語は悲劇となって終わる。 結局分かり合う事は出来ない。と言う事を前面に出したのは映画においてはかえって珍しい構成で、極めて後味の悪いラストは人の偽善性を見せ付けられるようで、確かに「問題作」と付くのは伊達じゃないな。 この当時から較べて日本ははるかに豊かになった。日本の中では貧富の差はかなり狭められ、大抵の人はそこそこの生活を約束されるようになった。 …だけど今度は自分たちがみんな同じであると言う思いへと変わって、自分がどれだけ豊かな生活をしているかが分からないようになってきた… 果たしてどの程度日本は“豊か”になったんだろう? ちなみに本作を観た松竹大船撮影所所長が「これでは金持ちと貧乏人は永遠に和解できないではないか」と語ったところ、女性スタッフの一人が「実際その通りじゃないですか」と返したというエピソードが残っている。 |
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