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2017 | ゴースト・イン・ザ・シェル 監督 | |
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タイトル | |||||||||||||||||||||||
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ゴースト・イン・ザ・シェル 2017 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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電脳社会が進んだ未来社会。その中でロボティクス社は全く新設計のサイボーグ技術を開発していた。その中で生まれたサイボーグの成功例として、ミラ・キリアン(ヨハンソン)を警察の公安9課に預け、性能テストをかねて過酷な任務を強いる。ヒデオというテロリスト調査中、ミラは自分の記憶が本来の自分のものではない事に気づかされる。徐々に記憶を取り戻していくミラだが… 1995年に作られたアニメーション映画『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』は映画界に大きな足跡を残した作品として記憶されている。 確かにこの作品、国内での興行成績は今ひとつだったのだが、その後北米でビデオセールとなった際、一気にブレイク。日本映画としては初の北米売り上げビデオのトップとなった。 その理由として、それまで存在そのものはあったものの、『ブレードランナー』(1982)以来絶えてしまったサイバーパンクの活路が見いだせたというものがあっただろう。それまでの実写やアニメには無かった、サイバーパンクのとんがった表現が受けたと考えられる。 この映画を観て意識改革された映画監督も多かったらしく、特にこの作品へのリスペクトを隠しもしてない『マトリックス』(1999)の大ヒットが現在に至るCGアクション映画の基礎を作ったと考えるならば、世界的な映画に与えた影響はかなり大きい。 そしてそれまで好事家受けでしか無かった映画監督押井守を一気にメジャーに押し上げた。殊ハリウッドにおいては、日本のアニメ監督と言えば、第一に宮崎駿となるだろうが、次はおそらく押井守か庵野秀明のどちらかの名前が挙がることだろう(これは古くからのファンにとっては、嬉しいところでもある一面、一抹の寂しさも感じたものだが、それはここでは省く)。ウォシャウスキー経由であろうとなかろうと、現在のハリウッドSFX映画の大部分には間違いなくこの映画の存在がルーツとなっているし、それなりに押井守のファンも増えていることが分かる。 だから『GHOST IN THE SHELL』の実写リメイクはずっと言われ続けてきたのだが、ここでようやく企画が日の目を見ることとなった。 不安が無かったと言えば嘘になる。『アベンジャーズ』(2012)などで見慣れているスカーレット・ヨハンソンはともかくとして、監督の名前がどうにも不安。今自分が書いた『スノーホワイト』のレビューを読んでみたが、我ながらよくここまで罵倒できるもんだと感心するほどである。 それに世界的な興行成績を見ても、本作は決して高くはない。専ら「失敗作」と呼ばれる類いに入っている。 更に結構宣伝は出ていたものの、あっという間に公開終了になってる。この状態で期待しろという方が無理。 …というマイナス要素はあったが、本編そのものは割と普通に観る事が出来た。 少なくとも、あのアニメをここまでちゃんと実写化出来たと言う点については評価すべきだろう。 それに見る人が見れば分かるリスペクトの多さ。勿論ベースであるオリジナル版の『GHOST IN THE SHELL』から数多くの引用があるのは当然として、それ以外の作品や押井守の私生活に関するエッセイなどからも引用が次々と… この人、本物の押井守ファンだったんだ。海外荷もこんな人がいるんだねえ。と、なんか嬉しくなる。 内容に関して言うならば、非常に薄目のSFと言った風情で、低予算SFにありがちな展開をそのまま使用はしている。 しかしながら、物語が破綻してるわけじゃないし、致命的なツッコミが入るほどの酷い描写も無い。これと言って特筆すべき所は無いけど、SF作品としては水準を満たすくらいのポテンシャルはある。 実際文句を言う類いのものではない。この程度の出来で充分だとすることも可能である。 強いて言うなら、「並過ぎる」というのはあって、その辺が自分でも折り合いが付いていない。その部分がちょっとモヤモヤしている。 元々がそれなりにとんがった作品で、そのとんがり具合が受けた作品だが、それを模倣すると、とんがっていたところまで丸まってしまった感じと言うべきだろうか? 結果として、それなりに見所のあるフツーの作品と言うのが総合的な評価となるだろう。それはそれで正解のリメイクだろうけど。 |
スノーホワイト 2012 | |||||||||||||||||||||||
2012米アカデミー衣装デザイン賞、視覚効果賞 2012英アカデミー衣装デザイン賞 |
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王女スノーホワイト(スチュワート)は、継母となった魔女ラヴェンナ(セロン)によって父のマグナス王を殺され、自身も城の塔で幽閉生活を強いられていた。鏡の魔力でスノーホワイトの心臓を食べれば永遠の若さと美貌を保つと教えられたラヴェンナはスノーホワイトを殺害してその心臓を手に入れようとするのだが、間一髪でスノーホワイトは城から脱出して黒い森へと入り込んでしまう。追っ手として狩人のエリック(ヘムズワース)を送り込むのだが… かつて「不思議の国のアリス」をアクション作品にしたバートン監督の『アリス・イン・ワンダーランド』(2010)のスタッフが再結集して作り上げた「白雪姫」を下敷きにしたアクション作品。 私事ではあるが、職場が変わったため昨年まで住んでいた東京を離れてちょっと地方に引っ越した。それでいわゆる大作しか観られない状況に置かれたし、仕事も忙しいので、これまでのように「外れても良い」という感覚で劇場作品を観られるような心の余裕がなくなっている。だから外さないように慎重に映画を選んできたつもりではあった。 そしてこれまではそれが効を奏して明確に“外れ”を回避してきたわけだが… ここで見事に粉砕された。 本気で面白くなかった。久々に「金と時間返せ」と言いたくなるレベル。 今更ながら言えば、『アリス・イン・ワンダーランド』もバートンが作ったからこそなんとか観られるレベルだった訳で、物語としてはどうしようもないレベルの作品だった。そのスタッフが結集したといった時点で気づいているべきだったんだろう。私自身が浅はかだった。 まずキャラ。“雪よりも白く美しい”白雪姫。まあ美しさについては一応良い。だけどどこが“純粋”なんだ?人間非人間関わらず男達を手玉に取る悪女じゃないのか?自分の意地のため数多くの人間達を死地に向かわせ、時にそれは自分の体を報酬に駆け引きしてみたり、男に唇をせがむは、挙げ句の果てに二股かけて本命とリザーブの男を近くに侍らせるような女を“純粋”と称するのは無理がある。自ら復讐のために魔女を自分の手で殺すシーンまであっては、純粋どころか完璧な毒婦と思わせるに充分。 そもそもいくら『トワイライト〜初恋〜』(2008)でブレイクしたとは言え、この程度の新人がシャーリーズ・セロンに敵うわけがなかろうが。脇役を含めて主人公側に魅力が無いので、引き込まれるところがない。強いて言うなら、この作品を魔女の方を主人公と観るなら納得はいくんだけど。 次にストーリー。前置きを最小限にして魔女に対するスノーホワイトの復讐譚にしたため、ものすごく見所が少なくなった。物語の大半は追っ手から逃げるだけで、最後に復讐劇がちょっとあるだけ。これで物語に起伏をつければいいのに、延々と逃げるだけ、そして最後にアマゾネスみたいな女になって雄叫びを上げながら魔女を殺す。単なる殺伐とした物語だけである。 しかもその過程にあって主人公の心の成長はなく、最初から計算づくでやってる毒婦のような性格が変わってない。そもそも10年以上も牢に閉じこめられているのに、筋肉とかぜんぜん衰えてないで飛んだりはねたりしてる時点でおかしい…セガールか?その辺に説得力を持たせられず。更にほとんど人と接触してないのに交渉術とかこなれすぎ。こいつは天性?いずれにせよ、自分の保身のために交渉したり半ば脅迫してる時点で純粋な人間には見えないのが致命的。 ただ物語を流しただけなので、全部一本調子で意外性もなく、物語的な快感に欠ける。 最後に鏡を前にしたスノーホワイトの行動がなにも描いてないのが問題。この終わり方では、“前の魔女が死んだので新しい魔女が誕生した”だけにしか見えない。これだけ魅力に欠ける物語を作られるだけで凄いと思う。 いくつもの伏線のようなものも張られているものの、それらの回収もなおざりにされてるのも気になる。例えば魔女は心臓を食べることによって若さを保っていると最初に言っていたようなのだが、雀の心臓食べてる以外では描写が無く、若さを得るために直接人の精気を吸い取ってるし、精気吸い取られた人間が最後にちゃんと元の姿になって復活しているのに説明がない。魔女の弟の存在の意味合いとか、スノーホワイトを襲うのをやめたトロルは何のために出てきたのか、まるでシシ神のような殺され方をした聖なる鹿はなんの役に立ってるのか、わざわざ出てきた割にはあんまり出てきた意味のないドワーフとか、それらを話を深める方向に全く使えてない。 結果としていうなら、セロンの体当たり演技以外で本作を評価する気になれないし、それ以前の問題としか思えない。セロンいなかったら躊躇せずに最低点付けてたところだ。 何でも本作は続編が用意されているそうだが、それらの設定の不備が続編で解消されるのか?だとしても一本の映画としてここまでひどいと続編観る気にもなれない。 |