MOVIETOP

チェン・カイコー
Chen Kaige
陳凱歌

陳凱歌
Wikipediaより
<A> <楽>
allcinema
検索
IMDb
WikipediaE
WikipediaE
鑑賞本数 5 合計点 17 平均点 3.40
書籍
_(書籍)
2022
2021
2020
2019
2018 空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎 監督・脚本
2017
2016
2015 道士下山 監督・脚本
2014
2013
2012
2011
2010 運命の子 監督・脚本
2009
2008 花の生涯〜梅蘭芳(メイ ラン ファン)〜 監督
2007 それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜 監督
2006
2005 PROMISE プロミス 監督・製作・脚本
2004
北京バイオリン
<A> <楽> 美術監督
2003
2002 北京ヴァイオリン 監督・脚本・出演
10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス 監督
2001 キリング・ミー・ソフトリー 監督
2000
1999
1998 始皇帝暗殺 監督・製作・脚本・出演
1997
1996 花の影 監督
1995
1994
1993 さらば、わが愛 覇王別姫 監督・製作
1992
1991 人生は琴の弦のように 監督・脚本
1990
1989
1988
1987 子供たちの王様 監督・脚本
1986
1985 大閲兵 監督
1984 黄色い大地 監督
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959
1958
1957
1956
1955
1954
1953
1952 8'12 西安で誕生

ページトップへ

空海―KU-KAI― 美しき王妃の謎
<A> <楽>
角川歴彦
チャオ・ファーイー
アルバート・ヤン
高秀蘭
井上伸一郎
アルバート・リー
プロデューサー
チェン・ホン(製)
チェン・カイコー
ワン・フイリン(脚)
染谷将太
ホアン・シュアン
チャン・ロンロン
火野正平
松坂慶子
キティ・チャン
チン・ハオ
リウ・ハオラン
チャン・ティエンアイ
オウ・ハオ
ティアン・ユー
チェン・タイシェン
チャン・ルーイー
シン・バイチン
リウ・ペイチー
阿部寛
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
製作年 2018
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
沙門空海 唐の国にて鬼と宴す <A> <楽>
夢枕獏 (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
PROMISE プロミス 2005
2005ゴールデン・グローブ外国語映画賞
2006文春きいちご賞第5位
<A> <楽>
チェン・カイコー(脚)
真田広之
チャン・ドンゴン
セシリア・チャン
ニコラス・ツェー
リィウ・イエ
チェン・ホン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
北京ヴァイオリン 2002
<A> <楽>
チェン・カイコー
シュエ・シャオルー(脚)
タン・ユン
リウ・ペイチー
ワン・チーウェン
チェン・ホン
チェン・カイコー
チェン・チアン
チャン・チン
キム・ヘリ
リー・チュアンユン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 コネ社会である中国の実態も描かれる。
キリング・ミー・ソフトリー 2001
<A> <楽>
カラ・リンドストロム(脚)
ヘザー・グレアム
ジョセフ・ファインズ
ナターシャ・マケルホーン
イアン・ハート
キカ・マーカム
物語 人物 演出 設定 思い入れ
優しく殺して <A> <楽>
ニッキ・フレンチ (検索) <A> <楽>
始皇帝暗殺 1998
1999カンヌ国際映画祭芸術貢献賞(チェン・カイコー)、パルム・ドール(チェン・カイコー)
<A> <楽>
チェン・カイコー
ワン・ペイコン(脚)
コン・リー
チャン・フォンイー
リー・シュエチェン
ワン・チーウェン
スン・チョウ
ルー・シャオハー
チェン・カイコー
クー・ヨン・フエイ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 紀元前227年の中国。六国が群雄割拠した戦国時代も、強大な秦により統一の道を歩んでいた。秦王政(リー・シュエチエン)は天下統一へ乗り出すため、標的を燕に定めていた。だが、表向き友好国で、実際は秦を立てる燕はなかなか攻め込む口実を与えてくれなかった。政を愛する趙姫(コン・リー)は政を助けるため、燕国へと向かい、政の暗殺計画を依頼に行くのだった。勿論これは失敗させることが目的だったのだが、そこで趙姫が出会った、かつて稀代の暗殺者と呼ばれた荊軻(チャン・フォンイー)と出会う。一方、趙姫が去った後の秦では政が徐々に心のバランスを失っていく…
 中国の戦国時代を題材に取った壮大な歴史絵巻。この戦国時代
(その前の春秋時代と合わせて春秋戦国とも呼ばれるが)はたいへん興味深い時代であり、中国の政治や歴史は全てこの時代に詰まっていると言っても過言ではない。この時代に流された血の量は凄まじいもので、更に諸子百家と呼ばれる数多くの思想が登場した時代。その壮大さ故になかなか映画化は出来なかった時代でもあるが、アジア映画史上最大の60億円(当時)の総製作費をかけて完成させた。実際に咸陽宮のセットは東京ドーム6個分。これだけで製作費の1/3を遣ってしまったというだけあって大迫力。
 本作の設定は史実そのものではないが、宋朝末から元朝初めに活躍した曾先之によって描かれた
「十八史略」の設定に沿ったものとなっている。元々本作は漢民族の誇りを取り戻すために幼年向けに書かれた作品だそうで、その分たいへん読みやすい作品となっている。脚色がたいへん漢民族贔屓で、決して史実そのものとは言えないまでも、たいへん面白い作品なので、機会があれば読んでみることをお薦めする(私は日本人向きの、しかも小説版しか読んでないので、たいしたことは言えないけど)
 本作の主人公秦王政はチャン・イーモウ監督の『HERO』(2002)でも登場しているが、覇王と呼ばれた最初の人で、中国を統一した後、初めて皇帝の名前を用いた人物でも知られるが、この人の半生は結構複雑。秦の王子だった父の子楚は、いわば人質のために趙と言う国に行かせられ、そこで生活にも事欠くような惨めな生活を送っていた。そこに登場したのが趙商人である呂不韋。彼は子楚を一目見て、この人物は絶対に役に立つと思い、彼にいわば投資することにした(これが有名な
「これ奇貨なり。居くべし」これは珍しい品物だ。これを買って置くべきだ)と言う言葉である)。呂不韋は子楚に趙で何不自由なく暮らさせるのみならず、自ら秦に赴き、そこで政治活動を行って子楚を秦に戻させることに成功する。ただ、子楚は趙にいる時代に、呂不韋の愛人を好きになってしまい、半ば強引に自分の妻にしてしまう。
 そこで生まれたのが政。つまり、政は子楚ではなく、呂不韋の子供であった可能性があった
(と言うか、ここではそれが事実とされてるけど)
 この政という人物はたいへんな才能を持った人物であったが、たいへんな臆病であったともされ、自分の身の回りには絶対刃物を持った人間を近づけなかった
(のみならず、側近と愛人を除き、彼に近寄ることさえも出来なかったとされている。『HERO』はそれを物語の中心となっていた)。お付きの武官にさえ帯刀を許さなかったため、燕からの荊軻という使者が隠し持っていた剣を抜いて襲いかかった際、宮殿中を逃げ回ったと、これも十八史略に書かれている(ちなみに燕を去る時、荊軻が歌った詩があるが、これ又有名な「風蕭蕭として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた還らず」という詩である。劇中では確か用いられてなかったと思うが)。不自然を強いたためのコミカルさがよく現れたエピソードと言えよう。
 …と、
やくたいもない蘊蓄を垂れ流してしまったが、要するに、本作は十八史略をきちんと踏襲したしっかりした設定の元で作られていたと言うことだけを言いたかっただけ。
 中国史はスペクタクルの要素が満点でありながら、なかなか映画にはなりにくい。スペクタクル映画の中心がアメリカであることもあるし、なにせそれには金がかかりすぎる上に残酷描写が多すぎるのもちょっと問題か。春秋戦国の烈士の中には忠義のため自分の首を平気で刎ねるようなキャラがうようよいるし、正義の人間を描こうにも、敵の一族郎党は当然皆殺しにするのが当たり前の世界。なかなか描きにくい所だろう。ここでも忠義と愛情のため趙姫が自分の顔に焼き鏝を当てる描写があるけど、それさえも殆ど当たり前のように描かれる世界だから。
 本作はその辺、王の心理にも入り込み、そもそも心優しき人間が覇王として生きることしかできない事を自らに強いた、始皇帝の生き方をしっかり描いていた。愛情を絡めたのは流石に映画用。結果的に主人公は政でも荊軻でもなく、趙姫になっていたが、逆に考えると、これは本当にたいした視点だ。女性の視点を現代的に持っていくことで、やるせなさと、人間としての良心を持ったまま覇王とはなれぬ皇帝の立場をよく表していた。
 ただ、幾分政と荊軻のそれぞれのエピソードが端折られがちでバランスがちょっと悪かったのと、後半の展開が間に合わせっぽいこと。それに説明部分が延々一人の人間の独白で行われていたのが物語を阻害してるので、やや点数的にはマイナスだが、古代中国史をここまでのドラマに仕上げたと言うことは、映画史においても特筆すべき事だろう。
さらば、わが愛 覇王別姫 1993
1993米アカデミー外国語映画賞、撮影賞
1993英アカデミー外国語映画賞
1993カンヌ国際映画祭パルム・ドール(カイコー)、国際映画批評家連盟賞(カイコー)
1993NY批評家協会外国映画賞、助演女優賞(リー)
1993LA批評家連盟外国映画賞
1993ゴールデン・グローブ外国映画賞
1994
キネマ旬報外国映画2位
1994毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞
<A> <楽>
リー・ピクワー(脚)
レスリー・チャン
チャン・フォンイー
コン・リー
グォ・ヨウ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 幼少より徹底的に芸を仕込まれ、ついに京劇「覇王別姫」の項羽と虞美人役のスター俳優となった段小(張豊毅)と程蝶衣(張國栄)。芸の訓練のさなか、何かと自分を気にかけてくれた段小に対し特別な感情を抱くようになった程蝶衣だが…激動の20世紀を芸人として生きた二人と、段小の妻菊仙(鞏俐)との間の確執を主軸に絢爛豪華に描く。
 これほど年代が長きにわたっての作品だと、あらすじが書きにくい(笑)
 20世紀は世界規模で様々な価値観が一気に変わり、国の形そのものも変わっていったが、その中でも中国の変容の仕方は極端だった。
 
諸外国からの植民地とされ、それでも清王朝の影響が未だに強かった時代。日本軍の進駐により、外国に支配されていることを印象づけられた時代。抗日戦線を共に戦った国民党軍と共産党軍との泥沼の戦い。勝利を得た共産党による数々の支離滅裂な命令の果ての文化大革命。そしてようやく安定したのは1970年代も後半になってから(一応1989年の天安門事件もあるけど、ここでは描かれず)。
 この時代を通し、何が大きく変わったか。それは価値観である。清王朝は中華至上主義というのがあったので、伝統というのは大変重要なものとなっており、昔の価値観をなるだけ変えないように保存していくことが重要になっていた。本作品の冒頭で描かれる京劇の訓練風景はまさにそのまま。伝統を守るため、これまでの間ずーっと続けられてきた同じ方法を用いて教え込む。現代では到底考えられない非情な価値観がそこにはあった。芸を完成させるまでは、芸人には人権がない。そもそも人権などと言う考えそのものが無かった。あの訓練は、何人かは必ず死ぬことを前提としてないと出来ない。半端者よりも芸の方が重要なのだから。そして一旦芸を確立し、登り詰めると
(ここまで行く人間は本当に一握りだろうけど)、上にも下にも置かれない扱いを受けるようになる。だからこそ、その栄光のトップスターを目指し、彼らは文字通り血を流して努力する。
 だがこれが日本軍が入ってきた辺りから事情が変わってくる。既に中華思想から脱却し、近代合理主義を受け入れた日本軍は自国はともかく異国の伝統芸能を重要視はしていない
(この書き方では語弊があるかも知れないが、外国から攻めてきたのだから、当然と言えば当然)。伝統を分からぬ輩に対して芸術は無力だった。ただ、この時日本は中国そのものを潰そうとしていたわけではなかったし、支配している訳でもなかった(そう言う風に言う人もいるけど、実質的に日本が「支配」したのはほんの一部の地域に過ぎない)。故に伝統を破壊しようと言うところまでは至らず、芸術としての京劇も命脈を保つことが出来た。それに戦後は当然の如く引き揚げてしまった。
 そしてその後に来るのが、いわゆる
国共紛争と呼ばれる泥沼の内戦。とても娯楽に金をかけるような状態ではなくなってしまう。折角日本軍が出ていってしまったのに、結果的に京劇はこの時代、戦時中よりも更に細々と生きながらえるしかなかった。劇中では程蝶衣が阿片漬けになっていた時代に当たる。
 そして戦いに勝ったのは共産党の方だった。国民党側は、それでも伝統というものを多少大切にする傾向があったが、共産党になると、
「旧来の伝統は悪」と言うのがスローガンの中にあるので、古い伝統を代表する京劇はあまり好まれないようになった。最初の内はそれなりに敬意をもたれていたようだが、むしろ共産党指導者は、人民の啓蒙のために虐げられた人民が立ち上がると言った内容の現代劇の方を好むようになる。それまでの血のにじむような努力は放棄され、若者が新しい解釈で京劇を演じることも多くなる。
 そして劇中最後に来るのが文化大革命。改革が遅々として進まぬ事に業を煮やした共産党指導者の毛沢東が、紅衛兵と呼ばれる、一種の親衛隊を組織させ、年端もいかぬ若者達に旧来の伝統を踏みにじらせた。革命を一気に進めるための、一種のカンフル剤として考えたのだろうが、
この時の人民の悲惨さは戦争時代より酷かったという。京劇にとってもこれが一番の危機だったのかも知れない。10代のこども達が大人を引きずり回し、反省をさせる。そして密告させて次々と大人をやり玉に挙げていた時代だ。有名な人物であればあるほど、この攻撃は仮借無いものだった。本編ではほんの僅か触れられているだけだけど、実際には日をおいて何度も何度もああ言ったさらし者にさせ、暴力を振るわれる事が行われていた。カイコー監督、多分これが一番描きたかったんだろうな。ここで菊仙の自殺も、夫に裏切られた事よりも、繰り返し与えられる暴力的な陵辱に耐えられなくなったからなんじゃないだろうか?(これは解釈の一つとして考えて欲しい)
 そして文化大革命を押し進めた指導者
(毛沢東や四人組と呼ばれる指導者達)が表舞台から去って、ようやく中国も平和になってきた(指導部によると、現在も革命の最中だそうだから、又いかなる時にとんでもないことが起きるとも限らないが)。この時代に来て、やっと京劇も安定した時代を迎えることになる。むしろ国際的に文化を紹介するために京劇は中国の大切な外交手段として用いられるようになり、積極的な保護が与えられるようになった。
 いささか乱暴且ついい加減に20世紀の中国の歴史というものを挙げてみたが、その辺の歴史が分かると、本作の物語の意味というのも分かってくる
(興味ある人は調べて見るも良かろう。それでなんてこいつはいい加減なことを言ってるのかと笑ってくれ)
 逆に言えば、本作は『ラストエンペラー』(1987)と並び、格好の歴史の勉強の素材とも言える。なにせこの作品は外国人ではない、本当に国内の監督によって撮られているのだから、その切実の度合いも違い、その分迫力ある作品に仕上がってる。更に中国では絶対に避けられていた同性愛っぽい表現まで中に入れて。
 尚、カイコー(陳凱歌)監督は中国映画界でも第五世代(少年時代に文化大革命を経験し、終結後に映画界に入った世代)に属する人で、
この時代の映画人は文化大革命を一つの試練として捉えているのが特徴なのだそうだが、まさしく文化大革命に対する批判がようやく出てきた作品とも言える。中国版『旅芸人の記録』(1975)として観るのもも楽しい。

ページトップへ