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2012 | ||
2011 | ||
2010 | ツーリスト 監督・脚本▲ | |
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ||
2006 | 善き人のためのソナタ 監督・脚本 | |
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | ||
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1994 | ||
1993 | ||
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1985 | ||
1984 | ||
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1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | 3'2 コロネで誕生 |
ツーリスト | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(デップ)、女優賞(ジョリー) 2011HIHOはくさい映画賞第9位 |
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善き人のためのソナタ 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2006米アカデミー外国語映画賞 2006LA批評家協会外国映画賞 2006ゴールデン・グローブ外国語映画賞 2006ヨーロッパ映画作品賞、男優賞(ミューエ)、脚本賞、監督賞(ドナースマルク)、女優賞(ゲデック)、音楽賞 2006セザール外国映画賞 2006インディペンデント・スピリット外国映画賞 2007ゴールデン・トマト・アウォーズ小規模公開作品第2位 2007英アカデミー外国語作品賞、作品賞、主演男優賞(ミューエ)、監督賞、脚本賞 2007NY批評家協会外国映画賞 2007トロント映画祭外国映画賞 2007キネマ旬報外国映画第2位 2007英インディペンデント映画外国映画賞 2007キングベスト第3位 2007ゴールデン・トマト外国語作品1位、小規模公開作品第2位 2007オーウェン・グレイバーマンベスト第5位 2007ロンドン映画批評家協会外国語映画賞、脚本賞 |
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1984年。東ベルリン。東ドイツ政府の要請を受け、国民の統制と監視体制を強化しようとしていた国家保安省のヘムプフ大臣(ティーメ)は劇作家のドライマン(コッホ)に目を付ける。忠実な職員であるヴィースラー大尉(ミューエ)に盗聴を命じる一方、ヘムプフはドライマンの恋人で、彼の舞台の主演女優のクリスタ(ゲデック)に近づいていった。国家の命令を忠実に守るヴィースラーだが、盗聴している内に徐々にドライマンとクリスタの会話に同情し始めている自分に気づいていく… アカデミー賞では一般に作品賞オスカーよりも遥かに難しいと言われる2006年外国語映画賞を見事勝ち取ったドイツ映画。 第二次世界大戦後のドイツは又激動の歴史でもあった。連合国によって“解放”されたはずのドイツは、列強各国の思惑によって東西に分断された。西側の国家となった西ドイツは、その後見事な経済復興を成し遂げていく事になるが、東側の国家となった東ドイツは、秘密警察網が張り巡らされた監視国家となっていく。特に東ドイツの首都であるベルリンは、西側諸国によって確保された飛び地西ベルリンと隣接していたため、西ベルリンの周囲を全てコンクリートの壁で覆い、いわゆるベルリンの壁を構築した。歴史上最もユニークな地となったこのベルリンは小説や映画の格好の題材となり、数多くの作品が作られることとなったし、多くの傑作もある。 そんな東ベルリンの中で起こった出来事を、統一後のドイツで作り上げたのが本作。 決して本人の前に姿を現すことは出来ない死、ましてや自分のしていることを語る事は出来ないが、誰よりも本人のことを知る事になるという盗聴員を主役に、一方的な心の交流を描く本作は、他に類を観ないユニークな作品となった。最初から最後まで緊張感が持続し、灰色が主体の画面を見続けても、全くだれることなく観ることが出来る、非常に演出の巧い作品でもある。映画的な質は極めて高いものでもある。 本作において、シュタージと呼ばれる国家保安省の行いがはっきりと明示されているのだが、それはその職員を使って、“国家の敵”を排除することにあった。その敵を見つけ出す方法が描かれる事になるのだが、それは盗聴することによる(なんでもこれは国家だけで行っていたことではなく、いわゆるエリート市民とされる人達に委託されることもあったらしい)。国家による監視体制の確立である。孤立しがちな社会体制を維持するためには必要な措置とされるものかもしれないが、それを行使する側が腐敗していると、それは非常に個人的なものとなり、上層部の思い込みや、あるいは個人の利益のため、はたまた、異性を“モノにする”ための方便として使われてしまう。そんな腐敗の中、それが国家のためであると思おうとする主人公の苦悩が見所となる。 これで「かつての東側国家の非人道的な行い」「一党独裁による政治の腐敗」について述べているのは確かだが、むしろ本作はそれに留まったものではないと思う。 まず本作の舞台となっている年代は1984年である。ジョージ・オーウェルが描いた小説まさしく「1984年」は、来るべき管理社会について描いたものだが、まさしくその年代に重ねて実在した管理社会を描くという皮肉がここにはこめられている。 これは過去の物語なのかも知れないが、実はある意味ではサイエンス・フィクションでもあるのだ。それが何に対して?と言われたら、勿論これからの世界に対してのこと。 「1984年」もそうなのだが、SFは常に国家による圧政、若しくは個人の自由を奪う機械装置に対して警鐘を鳴らし続けてきたし、それが一つの役割でもある。映画になった作品にしても、例えば『華氏451』(1966)であったり、『THX-1138』(1971)であったり、『Vフォー・ヴェンデッタ』(2005)であったり、近年では『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』(2014)であったりする(皮肉な話ではあるが『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)では主人公の側がそう言った管理社会を作ろうとして、しっぺ返しを食らうというものもある)。 SFは空想だからこそ、暗い未来を見通して、それに対して警鐘を鳴らすことが出来るものなのだ。 そして世界は、残念ながらますますその方向へと向かっているという現実がある。しかも国家規模どころの話ではなく、インターネットを通した世界規模で(World Wide Webとは、又えらく皮肉な言い方だ)。その辺を深読みするのも本作では面白い。 |