MOVIETOP

ルッソ兄弟
Anthony Russo
Joe Russo

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鑑賞本数 合計点 平均点
 アンソニーとジョーの兄弟。
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
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書籍
2018 アベンジャーズ インフィニティ・ウォー 監督
2017
2016 シビル・ウォー キャプテン・アメリカ 監督
2015
2014 キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー 監督
2013
2012
2011 コミ・カレ!!(3rd)<TV> 監督
2010 コミ・カレ!!(2nd)<TV> 監督
2009 コミ・カレ!!(1st)<TV> 監督
2008
2007
2006 トラブル・マリッジ カレと私とデュプリーの場合 監督
2005
2004
2003
2002 ウェルカム トゥ コリンウッド 監督・脚本
2001
2000
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タイトル
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アベンジャーズ インフィニティ・ウォー 2018
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ケヴィン・ファイギ
ルイス・デスポジート
ヴィクトリア・アロンソ
マイケル・グリロ
トリン・トラン
ジョン・ファヴロー
ジェームズ・ガン
スタン・リー(製)
クリストファー・マルクス
スティーヴン・マクフィーリー(脚)
ロバート・ダウニー・Jr
クリス・ヘムズワース
マーク・ラファロ
クリス・エヴァンス
スカーレット・ヨハンソン
ドン・チードル
ベネディクト・カンバーバッチ
トム・ホランド
チャドウィック・ボーズマン
ゾーイ・サルダナ
カレン・ギラン
トム・ヒドルストン
ポール・ベタニー
エリザベス・オルセン
アンソニー・マッキー
セバスチャン・スタン
イドリス・エルバ
ダナイ・グリラ
ピーター・ディンクレイジ
ベネディクト・ウォン
ポム・クレメンティエフ
デイヴ・バウティスタ
グウィネス・パルトロー
ベニチオ・デル・トロ
ジョシュ・ブローリン
クリス・プラット
ウィリアム・ハート
レティーシャ・ライト
トム・ヴォーン=ローラー
マイケル・ジェームズ・ショウ
ウィンストン・デューク
フローレンス・カサンバ
ジェイコブ・バタロン
アリアナ・グリーンブラット
スタン・リー
コビー・スマルダーズ
サミュエル・L・ジャクソン
ヴィン・ディーゼル
ブラッドリー・クーパー
ケリー・コンドン
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 6つ集めればあらゆる願いが叶うというインフィニティ・ストーン。宇宙のどこにあるのかも定かでなかったその石の在処が徐々に分かってきた。インフィニティ・ストーンの力を用いてこの宇宙を正したいという願いを持ちこれまで幾多の星を征服してきたサノス(ブローリン)は、ついに自らインフィニティ・ストーン集めに乗り出す。既に手にしたインフィニティ・ストーンは一つ。次にアスガルドの難民を襲い、ロキ(ヒドルストン)が隠し持つ四次元キューブを強奪。その後、二つの石がある地球へと標的を定める。
 ソニーの『スパイダーマン』(2002)の大ヒットと、いくつかのヒーロー作品の失敗を経て、パラマウントが投入した『アイアンマン』(2008)から10年。マーベルヒーローを次々に取り込み、いつしかMCU(マーベル・シネマティック・ユニヴァース)と呼ばれるようになったシリーズ。調べてみると、本作でなんと19本目に当たる。
 ここまでヒットが長続きするとは想像もしてなかったが、本作とその続編をもってこのシリーズも一応の幕引きとなる。
 本作はその総決算となるため、登場するヒーローの数は半端じゃないし、その大部分が単独でシリーズを持つヒーロー達である。とんでもなく豪華な作品が登場した。
 本国アメリカは元より世界中でオープニング成績トップ記録を塗り替えたというのも頷けることで(ちなみに日本では『名探偵コナン』とぶつかって敗北してる)、それだけヒーロー達が認知されていると言う事になるのだろう。
 かくいう私も結局全部つきあってるわけで、その集大成と言う事で胸が熱くなる。
 とりあえず本作で主人公クラスとされているのを挙げてみよう。
 『アイアンマン』(2008)からアイアンマンとウォーマシーン
 『インクレディブル・ハルク』(2008)からハルク(ブルース・バナー)
 『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』(2011)からキャプテン・アメリカとファルコンとウィンター・ソルジャー
 『マイティ・ソー』(2011)からソーとロキ
 『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014)からピーター、ガモーラ、ドラックス、ロケット、グルート、マンティス、ネビュラ
 『ドクター・ストレンジ』(2016)からストレンジ
 『スパイダーマン:ホームカミング』(2017)からスパイダーマン
 『ブラックパンサー』(2018)からブラックパンサー
 そして『アベンジャーズ』(2012)からスカーレット・ウィッチとヴィジョン

 これだけのヒーローが登場しているし、他にも付随して登場するキャラも多い。

 そして出来もかなり上手い。
 当初この企画を知った時は、
ヒーローがごちゃごちゃ出過ぎるために収拾が付かなくなるのではないか?とも思っていたが、思っていた以上にすっきりまとめあげ、驚くほどの完成度を持つ作品に仕上がっている。この辺流石に『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』を撮ってくれたルッソ兄弟と言ったところか。

 何故本作ではこんなにバラバラのヒーローが出てきているのにバランス良く仕上がっているのかと考えると、それは
“中心”がぶれてないからだと思う。
 ではその“中心”とは何かというと、それは本作に登場する全てのヒーロー達を束ね、中心となる人物がいると言うことになる。他でもない。
最大のヴィランであるサノスである
 最初の『アベンジャーズ』(2012)以降、これまでの作品で度々顔を見せていたサノスだが、これまではあくまで顔を見せただけで、理由は語られないが、インフィニティ・ストーンを集めているとだけ示されてきた。
 本作では、何故サノスがインフィニティ・ストーンを集めているのかの目的が明らかにされ、それを手に入れるまでの努力も映画内で描かれていく。
 これを見て思うのは、これだけ数多くの主人公クラスのヒーローがいて、実はヴィランであるサノスこそが本作の本当の主人公であったと言う事である。
 敵役であり悪人が主人公になると言うのは妙な話だが、それが可能なのは、サノスが純粋に使命感に突き動かされているからだ。
 サノスの目的の中には自分自身が良い思いをしたいとか、究極の力を手に入れて宇宙に君臨したいとかいう部分が全くない。彼がしようとしていることは、全宇宙の秩序を守ることであり、その意味ではこの世界を愛する純粋な善意から出ているのだ。
 更にサノス自身、これによって起こる犠牲についても認識している。宇宙の半分の生命体を消し去る。これしか宇宙を救う手立てがないなら、自分が悪人となり、全ての咎を引き受けるという覚悟をもって行動しているのだ。
 彼の目的は無私で崇高なものであるためにどんな汚れ役を引き受けても、その行動自体はヒーローのものとなんら変わりが無い。
 サノス自身その責任の重責を感じているカットや、そのために本当に愛する者を犠牲にしなければならない時、心で泣いている。それでもその涙を飲んで世界のために働くのだ。
 だからこそ、サノスを主人公とした物語を作ることが出来る。
 明確な主人公を中心に据えているために、あれだけたくさんのヒーローが登場しているとしても、きちんとバランスの取れた物語となっているわけだ。

 ただし、どれほど崇高な任務を帯びていたとしても、ここで
サノスは明確に悪の側に立っていると言う点が重要なポイントである。
 彼が宇宙の平和を求めていることは確かだし、行っていることは正しい。しかし彼はあくまで悪人である。
 何故なら、どんなに正しい事であったとしても、命を奪うことを目的としている以上、それはどんな理由を付けようとも正義にはならないから。

 これは実は
ハリウッド映画の根本的な思想でもあるのだ。
 ハリウッド映画での善悪は突き詰めるととても単純である。
 即ちそれは、
「自由を奪うものは悪」であり、「自由を守るものが善」だから。
 アメリカという国は元々植民地だったところを独立することで国として成り立ったという経緯があるため、上から押しつけられたものに反発すると言う事を基本概念として持っている。やがてそれは、「個人の自由を侵すもの」を悪とすることをコンセンサスとして持つようになった。それは例えば圧政を敷く独裁者であったり、全体主義を標榜する者であったり、もっと単純に、無抵抗な者を殺すような者だったり。どれも個人の自由の領域を侵す存在である。
 そのような前提があるため、どんな立派な題目を唱えようとも、それが政治的に見て正義であろうとも、
「誰かの自由を侵す」ならば、それは「悪」になるのだ

 だからヒーローの定義も自ずと明らかになる。「自由を侵す者」のアンチテーゼとして、「自由を守る者」は必然的に「善」になるのだ。

 だから本作は、明らかにサノスを中心にしていながら、はっきりその「悪」と戦うヒーロー達こそが「善」であり、「正義」であるということを明確に出来ている。彼らは確かにこの作品では有象無象の存在でしかない。しかし、はっきり全員が「自由の戦士」であるからこそ、バランスが取れた物語になっているのだ。

 本作終了時点では、圧倒的な力を持つサノスが全てを手に入れ、全宇宙にバランスをもたらした。
 だがそれは同時にこの世界ははっきり「悪」に染まったと言う事でもある。
 この「悪」を逆転して「善」即ち全ての人たちに自由をもたらすような結果が次回作でもたらされるだろう。それを楽しみに待つことにしよう。
シビル・ウォー キャプテン・アメリカ 2016

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ケヴィン・ファイギ
ルイス・デスポジート
ヴィクトリア・アロンソ
パトリシア・ウィッチャー
ネイト・ムーア
スタン・リー(製)
クリストファー・マルクス
スティーヴン・マクフィーリー(脚)
クリス・エヴァンス
ロバート・ダウニー・Jr
スカーレット・ヨハンソン
セバスチャン・スタン
アンソニー・マッキー
ドン・チードル
ジェレミー・レナー
チャドウィック・ボーズマン
ポール・ベタニー
エリザベス・オルセン
ポール・ラッド
エミリー・ヴァンキャンプ
トム・ホランド
フランク・グリロ
ウィリアム・ハート
ダニエル・ブリュール
マーティン・フリーマン
ジョン・カニ
ジョン・スラッテリー
ホープ・デイヴィス
マリサ・トメイ
アルフレ・ウッダード
スタン・リー
ケリー・コンドン
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シビル・ウォー(コミック)(原作)
シビル・ウォー(コミック)(スピンオフ含む)
シビル・ウォー キャプテン・アメリカ(書籍)ノベライズ
アート・オブ・シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ(書籍)
特撮事典
 ソコヴィアでウルトロンの打ち破ってから約一年が経過。スカーレット・ウィッチ(オルセン)とヴィジョン(ベタニー)を加えた新生アヴェンジャーズは世界平和のため独自に戦い続けていたが、ナイジェリアに出現したヒドラの残党ブラック・ラムロウの反抗を阻止した際、都市部で大規模先頭となってしまい、多くの犠牲を出してしまった。そんなアヴェンジャーズを国連の傘下に置くとするソコヴィア協定が提案されるに至り、ソコヴィアでの戦いの反省から、トニー・スターク(ダウニーJr.)はその法案に賛成の立場を取った。しかしそれでは本来の活動が出来ないと反発するスティーヴ・ロジャース(エヴァンス)の対立は、いつしかアヴェンジャーズを二分する対立へと変わっていく。そんな中、ソコヴィア協定の調印式でテロが起こる。監視カメラに写ったその犯人の姿は、ロジャースが探していたバッキー・バーンズ(スタン)だった…
 2016年は昨年に続いてアメリカンヒーローコミックの実写化が盛んで、その中でも目を引くのが対決シリーズとなる。今年はDCからついにあのバットマンとスーパーマンの直接対決となる『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)があった。そしてそのほぼ直後に本作が公開となり、いわばDCとMARVELの全面対決の様相を呈している。
 そしてその日本をどちらも観た結果、私なりにどちらに軍配を上げるかと言われると、ほぼ確定で本作の圧勝である。正直、『バットマン vs スーパーマン』は本作に到底太刀打ちなど出来ない。実際本作は
これまで作られてきたMARVELユニバース作品の中でもトップクラスの出来だと思う

 これだけ差が出てしまうのはいくつかの要因は考えられる。

 一つには歴史というもの。『バットマン vs スーパーマン』の場合、直接の関わりは『マン・オブ・スティール』(2013)しか無かったのに、本作の場合は既にクロスオーバーシリーズとして10作以上が先行してある。しかもそれらが複雑に絡み合っていることで、本作に至っては最初からとても層の厚い設定となっている。本作は前作『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』の続編となるが、同時に本作は時間軸から言えば『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)及び『アントマン』(2015)の続編ともなる。それぞれの作品から物語が続いているわけだが、キャプテン・アメリカのシリーズとしては、ウインター・ソルジャーとの関わりが、『アントマン』からは、より成長したアントマン=スコットの活躍が(あの作品のラストでは本作に用いられたバッキーを助けようとするキャプテン・アメリカの姿が描かれている)、そして『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』からは、その戦いの舞台となったソコヴィアの事実が物語の前提になってる。これだけ先行する作品があるならば、キャラの練り込みも深まっているので、まだ設定が浅いDC側は最初から不利だった。

 二つ目が、正義のヒーロー同士のぶつかり合いを描くという点では一緒にせよ、そのぶつかり方の深まりが違う。
 『バットマン vs スーパーマン』では確かにバットマンとスーパーマンはぶつかり合い殺し合いまで演じた。だがそれは中盤までの話。そこからいきなりドゥームズデイというモンスターが現れ、二人は一緒になって敵と戦う方向へとシフトしてしまう。このパターンは日本では東映の戦隊VSシリーズで散々観ており、最早新しさが感じられない。それに対し、本作も後半にいたってそうなるの?と思わせておいて、あの強烈なオチへとなだれ込んでいく。パターンを踏襲しているように見せ、「ああこれから共闘に入るんだな」と思わせた上で、純粋なキャプテンとアイアンマンのぶつかり合いへと持っていく。脚本の見事などんでん返しに唖然とさせてくれたこと。脚本の練り込みに関しては天と地と言うレベルである。

 そして三つ目がヒーロー論のリアリティとなる。
 『バットマン vs スーパーマン』でもヒーロー論はきちんと描かれてはいた。あの激突は本来的にはバットマン側の理論とスーパーマン側の理論のぶつかり合いだったのだ。ところがそれを上手く映像化出来ておらず、肉体的なぶつかり合いとしか見せられなかった。どれだけ内容が深くても、観てる側にそれが分からないようでは映画としては失敗としか言いようがない。
 一方の本作は、キャプテン側の「平和」とアイアンマン側の「平和」の考えのずれが、個人ではなくアベンジャーズ全員の分裂を引き起こしてしまうと言う事も含め、観ている側に分かりやすく正義の定義を迫ってくる。ヒーロー論の練られ方がまるで違うのだ。

 そんなわけで、この二作を較べてしまうと、ことごとく本作に軍配が上がってしまうのだが、それも致し方ない。
 本作には原作があるのだが、その原作自身がマーベルコミックの中でも最大傑作の誉れが高く、しかもそのスピンオフシリーズも多々出るほどの人気ぶりである(現在日本語版で刊行されているものだけでも8冊ほどある)。それだけ愛されている原作だけに、それをきちんと映画化したと言うだけでも充分すぎるアドバンテージなのだから。

 ここまでは『バットマン vs スーパーマン』との比較で語ってきたが、これからは本作オリジナルの問題。
 本作の最も優れた点は何かと言えば、「正義とは何か?」という所に踏み込んでいったことである。先ほどもヒーロー論のリアリティとして語ってきたが、これは非常に深い。
 超人集団であるアベンジャーズは、正義の使者として自らを律している。「ヒーローは、ヒーローになった時から小市民の幸せは捨てる。基本中の基本」。彼らは自分を捨てて地球の平和のために働いているが、その守り方は徐々にメンバーの中で分かれていった。
 自らが正義の執行者であると律し、あくまでその観点から自分たちの自由にさせて欲しいというのがスティーヴ=キャプテン・アメリカの主張であり、一方強大な力を自分たちだけで使役することに躊躇を覚え、もっと世界の理解を得なければならないと考えるのがトニー=アイアンマンの主張である。
 この二つの主張にはいくつかの優劣点がある。
 前者の考え方であれば、最も効率が良い正義の執行機関になる。そしてそれがこれまでのアベンジャーズの立場でもあった。だがこれは完全に自らを律するという鋼の精神と、極めつけのバランス感覚を必要とする。基本的に人の争いというのは、一概に善悪を定めることが出来ない。争いの大部分は双方に理があるものだ。それを一方的にどちらかを悪と決めつけることは極めて危険だ。
 一方後者の考えはとても効率が悪い。会議によって出動が決まるとなれば、一瞬を争う事態に後れを取ることになるし、会議は利害関係が絡む為、純粋な意味での“正義”ではなくなることもある。しかし一方、強大な力を持つ軍隊的組織がなんの制約もなく動き回るならば、その存在そのものを地球の危機と見られかねない。
 これは実は世界の縮図でもある。冷戦後、世界唯一の軍事大国となったアメリカと国連の関係ともオーバーラップされる。
 リアルな世界ではこれはバランスの問題なのだが、劇中では二者択一を強いられる事になる。どちらか一方を必ず選ばねばならないという究極の選択が眼前にあるのだ。様々な要素が入り込む現実世界ではなく、ヴィランたちによって常に狙われ続けている世界においてはこれは切実で、一刻も早く決めねばならない事態となっている。

 ここにおいてキャプテン・アメリカとアイアンマンの間に齟齬が生じる訳だが、ここで面白いのが二人の主張が、そもそも彼らの出自からすると交錯しているのだ。
 アイアンマンは『アイアンマン』(2008)を観て分かるとおり、トニーは自分自身で世界を背負って立つという意識において自らの力を誇示するかのようにアイアンマンスーツを着込む。一方のキャプテンは『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』(2011)において、アメリカという国を守る為、軍隊の一員として生み出された。
 この時点で考えるならば、スティーヴの立場は、軍という組織に従うことを是としており、一方のトニーは何より独立を重要視した。
 彼らはやがてS.H.I.E.L.D.という組織を仲立ちとして『アベンジャーズ』(2012)で結びつき合う。一人で戦う事の限界を感じていたトニーと、変わり果てた世界の中、自分の正義を愛する心こそが必要であると信じるようになったスティーヴの二人の主張はここで重なった。
 そして更に時が過ぎ、幾多の戦いをへた上で、二人の主張は全く逆の立場へと移行していった。
 二人は戦いの中で自らの身の置き方を真剣に考え、成長を経てこの立場を取るようになったのだが、結果として真逆の立場を取ってしまう。しかも二人ともかつては全く逆の主張をしていたというのが皮肉。
 これこそが本作の最大の面白さであり、皮肉である。
 その答えは出ないままだが、これは答えを出してしまってはいけない問題でもある。本作の最大の特徴は、それを観ている側にも問いかけていると言う点にある。

 確かに本作の爽快感は低く、不完全燃焼にも感じる部分はある。ただ、「ヒーローのあり方とは?」というヒーロー論を本当に突き詰めて考えている為、これまでのヒーロー作品の中でも最も骨太な内容を持ったものでもある。
キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー 2014
2014米アカデミー視覚効果賞

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ケヴィン・ファイギ
ルイス・デスポジート
ヴィクトリア・アロンソ
マイケル・グリロ
スタン・リー(製)
クリストファー・マルクス
スティーヴン・マクフィーリー(脚)
クリス・エヴァンス
スカーレット・ヨハンソン
セバスチャン・スタン
アンソニー・マッキー
コビー・スマルダーズ
フランク・グリロ
エミリー・ヴァンキャンプ
ヘイリー・アトウェル
ロバート・レッドフォード
サミュエル・L・ジャクソン
マキシミリアーノ・ヘルナンデス
トビー・ジョーンズ
スタン・リー
ジェニー・アガター
バーナード・ホワイト
チン・ハン
アラン・デイル
カラン・マルヴェイ
ギャリー・シャンドリング
ジョルジュ・サン=ピエール
エド・ブルベイカー
ダニー・プディ
スティーヴン・カルプ
トーマス・クレッチマン
エリザベス・オルセン
アーロン・テイラー=ジョンソン
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
特撮事典
 アベンジャーズの戦いから2年。ブラック・ウィドウ(ヨハンソン)と共にS.H.I.E.L.D.の実働部隊S.T.R.I.K.E.でキャプテン・アメリカとして活動するスティーブ・ロジャース(エヴァンス)。生まれ育った70年前とは違和感を覚えつつも、自分の役割を果たしてきたのだが、そんな中で長官であるニック・フューリー(ジャクソン)の行動に違和感を覚えるようになる。更にS.H.I.E.L.D.が目指している世界の完全平和とは、巨大空中母艦ヘリキャリアによる全人類の監視であることをフューリーから聞かされ、果たしてそれが正義なのか?という疑問も生じてきた。そんな折、何者かにフューリーが襲われ、命が奪われてしまうと共に、スティーヴまでもが裏切り者としてS.H.I.E.L.D.に追われることに…
 『アベンジャーズ』(2012)の一員にして、その頭脳を司る重要キャラとして存在感を見せつけたキャプテン・アメリカの活躍を描く劇場第2弾。
 第1作目『キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー』(2011)は原作通り第2次大戦を舞台にしたヒーロー作品だったが、国家のプロパガンダとして使われる自分自身の実像と虚像の狭間で悩む姿がとても印象的な作品だった
(イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』(2006)とのつながりもあって、大変興味深い)
 そんなキャプテン・アメリカも現代に蘇って、復帰作『アベンジャーズ』では、他の超絶パワーのヒーローたちに一歩も引けを取らぬ活躍ぶりを見せつけてくれた。
 そして現代を舞台にした2作目。観る前からかなりの期待作だった。

 ヒーローを描く作品だと、勿論超絶的なアクションが主題だろうが、そこにどんなドラマ性を盛り込むのかというのが一つの指標でもある。例えば『スパイダーマン』(2002)だと、パワーを持ってしまった思春期の青年の心の問題として、『アイアンマン』(2008)は今のアメリカが進めている武器輸出問題と密接に関わりを持って。そんな付加要素こそがヒーローものを観るには大切なのだ。
 そこで私自身は何を主題として観たいかといえば、ヒーロー論がここに含まれているかどうか。いろんな付加要素があるにせよ、ヒーローをヒーローたらしめる何かを描こうとしているならば、それが一番面白い。それこそ1作目はそれを真っ正面から描いた作品だからこそ、私の中での評価は高い。
 そして本作もやはり社会的な付加要素をきちんと盛り込みつつ、ヒーロー論を描こうとしている。その点はちゃんと評価すべきところだ。

 まずここで描こうとしているのは、
「平和とは何か?」というストレートな問いであり、それがヒーロー論に結びついている。

 ヒーローが守るべきものは、間違いなく人々の平和である。一方国家(あるいは世界平和を目指す組織)が目指すべきものもやはり平和には他ならない。だが、ヒーローが目指すべき平和と国家が目指すべき平和の間には埋めがたい溝が存在する。
 なぜなら、ヒーローにはもう一つ重要な、
「自由を守る」使命を自らに課しているから。確かに平和はヒーロー自身の悲願かもしれないが、その平和が人を抑圧することでしか成立しないならば、それは望まれるものではない(そう言った平和な世界を作ろうとするのは悪の組織と相場が決まってる)。

 本作でS.H.I.E.L.D.が目指しているのは、まさに抑圧による平和な世界となる。ここで明らかにヒーローであるスティーヴとS.H.I.E.L.D.の目的はずれている。
 だが、まだこの世界に慣れていないスティーヴは、明確にそれを否定するだけの考えが無く
(1作目でもその疑問は少しだけ描かれてもいる。だが、それよりも世界を破壊しかねないヒドラの害毒の方が危ないということで、そこは見ないようにしてきた)、S.H.I.E.L.D.実働部隊として淡々と任務を遂行していた。
 一方長官であるフューリーは、その計画の遂行者でありつつ、計画自体に胡散臭いものを感じていた。立場上計画を推進しなければならないが、上層部の考えが一体どこから来ているのか、それを探ろうとしていた。この際、腹心のブラック・ウィドウのみにすべてを託していたものの、スティーヴとは距離を置こうとしていた。
 この点において本来のヒーロー的役割はフューリーの方が担っており、主人公スティーヴはあくまで兵隊の一人にすぎない。

 ヒーロー論を語る上で、ここはとても重要な要素となった。
 ヒーローがヒーローとして立つためには、まず当人が
「自分のなすべきこととは?」ということで悩んでこそなのだから。
 兵隊として生きることには悩みはない。なにせ上司の命令を聞いてさえいれば、自分は何も考える必要がなく、任務をこなしていればいいだけだし、それが世界平和につながると明されたとおり考えるならば、自己満足も得られる。
 スティーヴ自身は、多少モヤモヤしたものを感じてもいたかもしれないが、それを押し殺して兵隊として生きて来た。だが、そんな彼に転機が訪れることとなる。
 他でもない。フューリーがしようとしている真の目的が分かってしまったことである。
 これを知ってしまった以上、スティーヴは、これまでのように生きることが出来なくなってしまう。
 (有能な)兵隊として生きるべきなのか。それともフューリーの遺志を継いで、真相究明に乗り出すべきなのか。ここにヒーローとしての悩みが生じる。
 物語のテンポのため、悩む間もなくS.H.I.E.L.D.から追われることになってしまって決断を下すまでもなかったわけだが、この悩みの部分を僅かでも入れられたのは本作の良さでもある。
 結果として、物語も中盤になって、ようやくS.H.I.E.L.D.とキャプテン・アメリカとの対決構図がはっきりすることとなった。

 正直な話、ここまで来た時、私は体が震えた。キャプテン・アメリカ対S.H.I.E.L.D.の、互いの考える“平和”を通すための対決がこれから描かれようとしている。これは最高に面白いものを見せてくれるはず…

 …だったのだが、それに関しては裏切られてしまった。

 完全にここからが完全に拍子抜け。本来本作で対決すべき“ヒーローの思う平和と組織の考える平和”の対立構造が、結局ヒドラの存在のせいで、深まらずに終わる。これから後、怒涛の展開に飲み込まれるために演出的には面白くなっていくのだが、観てるこっちの心は冷えていく。
 本作の後半で私が望んでいたのは、ヒドラなどという悪の組織を登場させることではなく、"平和"という価値観における対決構造だった。
 だが、求めていた展開がするっと手から滑り落ちてしまい、後は虚しい気分しか残らなくなってしまった。
 できれば、最後までヒドラという存在は出さないでいてほしかった。信念を持って平和のために働くS.H.I.E.L.D.上層部と、間違いを正すために非力ながらも、自分の出来ることをしようというヒーローの、まるでドン・キ・ホーテのような戦いが観たかったのだ。その馬鹿さこそがヒーローとしての存在なんだから。最後に「実はこれはヒドラがやったこと」とぶちまけるんだったら、それで納得はいったんだが、如何せん明かすのが早すぎた。

 確かに、物語上は明確に敵の組織の存在を出した方が描きやすいし、燃える展開にも持って行けるだろう。それに観念的な“平和”を出すことは、観ている側を置いてけぼりにしかねない。でも、悩みながら、それでも“平和ってなんだ?”と問い続けるヒーローの姿が観たかった。結果として、後半は演出的には盛り上がったにせよ、変哲のない普通の作品に成り下がってしまった。
 それが出来ていれば、本作は最高の作品となり得たのだけど。残念な話だ。

 レッドフォードが登場した時は
「まさかこの人が出るのか!」と思えたもんだが、この人が演じるなら、どこかの組織ために働くんじゃなくて、たとえ大多数の人に恨まれようとも、自分の信じる平和のために突き進む姿が観たかったところでもある。

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