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_(書籍) _(書籍) |
2022 | バビロン 監督・脚本 | ||||||||
2021 | |||||||||
2020 |
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2019 | |||||||||
2018 | ファースト・マン 監督・製作 | ||||||||
2017 | |||||||||
2016 | ラ・ラ・ランド 監督・脚本 | ||||||||
10 クローバーフィールド・レーン 脚本 | |||||||||
2015 | |||||||||
2014 | セッション 監督・脚本 | ||||||||
2013 | ラスト・エクソシズム2 悪魔の寵愛 原案・脚本 | ||||||||
グランドピアノ 狙われた黒鍵 脚本 | |||||||||
2012 | |||||||||
2011 | |||||||||
2010 | |||||||||
2009 | |||||||||
2008 | |||||||||
2007 | |||||||||
2006 | |||||||||
2005 | |||||||||
2004 | |||||||||
2003 | |||||||||
2002 | |||||||||
2001 | |||||||||
2000 | |||||||||
1999 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | |||||||||
1996 | |||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | |||||||||
1991 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | |||||||||
1986 | |||||||||
1985 | 1'19 ロードアイランド州プロヴィデンスで誕生 |
バビロン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1920年代。ハリウッドは映画産業が急成長していた。砂漠にしつらえられた撮影現場では毎日多くの機材と人員が投入され、夜になると狂乱の宴会が毎夜のように開かれていた。そんな映画業界で働きたいという願いを持つマニー・トレス(カルバ)は、宴会のスタッフとして働いていた。そんなある日。大スターのジャック・コンラッド(ピット)のパーティで、無理矢理潜り込もうとしている女優の卵ネリー・ラロイ(ロビー)を見かける。彼女に興味を持ったマニーは彼女をパーティ会場に入れるのだが、それが二人にとって転機となった。コンラッドにスカウトされる形で映画と関わることになった二人は、それぞれのやり方で映画業界に足跡を残していく。やがて1930年代となり、映画業界はトーキーへと移っていく。その中で三人は… 映画マニアとして知られ、これまで作った映画には必ず複数の映画のオマージュを詰め込んだチャゼル監督。そんなチャゼル監督の最新作は、映画業界の裏を描くもので、ある意味最も彼らしい作品になった。これこそ監督の集大成だろうと思ったので観に行ってきた。 オープニングシーンはワクワクさせてくれたし、ラストの怒濤の映画場面のラッシュなど、大変面白いところも多いのだが、全体を通して見ると、思ったほどは気持ちが上がらなかった。私が分からないだけなのかも知れないけど、思った以上にオマージュが少ないのと、もっと多面的な見方をするものだと思ったのに、随分狭い話になってしまった感じだったから。 何が悪かったのか具体的には言いにくいが、どの面取っても今ひとつと言った印象になった。 まず本作の面白い点。それは出てくるキャラにそれぞれ映画に関わる職を与えたことだろう。メインとなる主人公のマニーは裏方と製作者として、ジャックとネリーはそれぞれ男優、女優として。更にトランペット奏者のシドニーやジャーナリストのエリノア、字幕制作者、小物作りなど、それぞれに見所をつけ、様々な仕事を見せており、当時の映画製作を彷彿とさせてくれる。 もう一点重要なのは1920年代と30年代の違いというものとなる。1920年代。まだ映画は黎明期であり、混乱と狂躁の中にあったことが分かる。撮影も屋外で行われ、多量のエキストラに無理をさせ、同時に複数の映画を撮影する。夜ともなればスターを中心に馬鹿騒ぎをして、毎日毎日が夢のような日々となる。しかし30年代になり、トーキーの時代になるのと時を同じくして映画は一気に洗練されていく。その動きに対応できた人と対応できなかった人を克明に描いていた。それは、世界に適応できない人は容赦なく切り捨てられるというある種残酷な話でもある。 その激動の時代を運もあって生き残れたマニーと、生き残れなかったジャックとネリーが対比され、三人の立ち位置が時間と共に変化するのが面白い作品だった。 ただ、それであんまり点数が上がらないのは、この素材で作るならば、もうちょっとコメディ寄りにした方が良かったんだよな。終始真面目に作ると、頂点にいた人間の転落物語になってしまっていたたまれなくなってしまう。更に後半のトビー・マグワイアの登場あたりになると蛇足感が強く、もうちょっとすっきりさせられるんじゃないかと思ってしまう。それに長すぎる。 もっと娯楽寄りに作ってくれれば大分雰囲気も変わったし、観やすくなったと思う。それこそボグダノビッチ監督の『ニッケルオデオン』(1976)みたいな部分をもっと増やしてくれれば良かった気はする。 良い作品とは思うが、もうちょっとだけ足りない。 |
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ファースト・マン 2018 | |||||||||||||||||||||||||||
2018米アカデミー視覚効果賞、美術賞、音響賞 2018英アカデミー助演女優賞(フォイ)、脚色賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、編集賞、音響賞、特殊視覚効果賞 2018ゴールデン・グローブ音楽賞、助演女優賞(フォイ) 2018LA批評家協会作曲賞 2018放送映画批評家協会編集賞、音楽賞、作品賞、主演男優賞(ゴズリング)、助演女優賞(フォイ)、監督賞、脚色賞、撮影賞、美術賞、視覚効果賞 |
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1960年。ロケット航空機X-15のテストを行っていたパイロットのニール・アームストロング(ゴズリング)は高度63キロ上空での危機的状況から無事生還するが、その一年後に愛娘を病気で失ってしまう。そのショックを乗り越え、NASAに入局したニールは見事ジェミニ計画のパイロットに選ばれるのだった。 人類初の有人月面着陸を果たしたニール・アームストロングの伝記作品。 アポロ計画は人類初の科学的偉業ということもあってか、ドキュメンタリー、創作合わせて何作も映画が作られている(『アポロ18』(2011)なんてSF外伝的なものまであったが)。 ただ、何故か初の月着陸を果たしたアポロ11号に関してはこれまでドキュメンタリーでは多数出ていたが、創作ではほとんど語られてない。 その理由はいくつかあるのだろうけど、一つの理由としては、あまりに計画通りに成功してしまい、具体的なトラブルがなかったことがあったかと思われる。『アポロ13』(1995)は劇的だったので真っ先に映画になったのだろうけど、歴史的には重大事件でもドラマがないということが大きかったのではないかと思われる。 そんなドラマ性の少ない作品に挑戦するのがチャゼル監督の面白いところだが、映画化に当たって大きな特徴を付けた。 それはアポロ11号の月着陸はクライマックスに持って行くとして、それまでを明確にニール・アームストロングという主人公を立て、その伝記として映画を作ったのだ。 このやり方は実に正しい。アポロ11号に関してはドラマ性が低くても、ニール・アームストロングという人物に焦点を当てるならば、きちんとドラマが作れる。 アームストロングというのは真面目であんまり面白みのない人物だとかどこかで読んだ記憶があるが、この作品では、その面白みの無さは極端な理系思考のためと説明され、人間的な感情がない訳ではなく、単純にそれを表面に出しにくいだけとされる。 私自身も相当極端な理系型という自負があるので、ここで描かれるアームストロングにはだいぶ近親感が湧いてしまい、これだけで嬉しくなってしまった。 そして本作は個人を負ったことでもう一つ重要な付加要素を付けることが出来た。 アポロ計画は元々ケネディ大統領が月に人を送ることをぶち上げたことから始まったが、それはソ連に対する対抗意識による国家プロジェクトだった。国家が後押しをして行っただけあって、技術と科学の粋を結集し、更に莫大な国家予算を投入して成功させたプロジェクトである。 こう言う経緯がある以上、普通に作るならば偉大なるアメリカを称えるとか、科学万歳の内容になりかねない。 ところがチャゼル監督はそれを良しとしなかった。仮にこの事実が冷戦期のプロパガンダであったとしても、そんなものを映画にしてやるか!という姿勢がはっきり現れている。むしろ国家プロジェクトだからこそ、体制を描かずにどう故人に落とし込むかという監督の挑戦のようにも見える。 『ラ・ラ・ランド』の時に思ったのだが、チャゼル監督って、とにかく本当に映画が好きなんだろうと思う。その中に「映画とはかくあるべし」という核のようなものがあり、それが至上命題になっているようだ。 その核の一つが「映画はリベラリズムで作らねばならない」というのがあるのだと思う。 権力から強要されたりプロパガンダに利用されたりしない、自由な解釈で作り上げる映画こそ本当の意味ある映画。70年代のニューシネマの辺りから始まったこの考えは今も脈々と映画人の中で受け継がれている。 そしてチャゼルはそれを証明してやろうという姿勢で臨んだのではなかろうか? 国家プロジェクトでありプロパガンダである事実を、あくまで個人の物語に落とし込んだことで、しっかりリベラリズムを表現した。これは監督にとって大きな挑戦だったのだ。 映画好きにとって、この監督の姿勢は身を正される気分にさせられる。 ここもまた素晴らしいものだ。 チャゼル監督の映画好きというのから考えるなら更に一点。 本作はこんなメカメカしい設定を持ちながら、実はきちんとロードムービーの定式に則ってるのだ。 ロードムービーはハリウッドではれっきとした一つのジャンルだが、基本これは世間との折り合いが悪く、自分自身を憎むような主人公が旅の中で様々な経験を積むことによって、自分自身を受け入れていくというもの。 本作のニール・アームストロングはまさしくその定式に則り、最後に自分自身を赦すことで安息を得ている。 で、改めて考えてみると、本作はこれまで作られたあらゆる作品よりも遠い場所まで旅をしている。 すると本作は(SFを除けば)、映画史上最も長い距離を旅したロードムービーとして考える事が出来る。 …ほぼ間違いなく、監督はそれを意識してる。映画好きだからこそ出来るちょっとした付加要素である。 ただ、作品として評価するなら、当然ながら本作は演出の素晴らしさこそを言うべきだろう。とにかく「凄い」の一言。 何が凄いって、映画館の椅子に座ってながら、「揺れ」を感じるのだ。横揺れと縦揺れ、挙げ句に無重力状態に放り込まれてしまった感じ。ここまで感覚が同調出来た作品なんてそうそうはない。宇宙を演出したものでは、本作の演出に比肩出来るのは『ゼロ・グラビティ』(2013)くらいだろう。 それはオープニングのロケットエンジンのテストでも表されている。ニールの操縦する機体は成層圏にまで達するが、その際にとんでもない横揺れが描写される。映画の最初からガタガタに震える画面を見せつけられるのだが、その音と映像に、「とんでもないところに来てしまった」と思わせられ、以降ぐいぐい引き込まれるし(余談だが、このシーンでテスト機が空気の壁に邪魔されてバウンドしたというのは、当時のハードSF小説を読んだ身にすると、その描写だけで「よくやってくれた!」と叫びたいほど)、地上での静かすぎる生活と、テストの際の騒音や危険さなど、緩急の付け方が見事にはまる。 緩急の描写が全般的に素敵すぎる。 そして何より“生”の実感。このCGの時代に、実際に宇宙船の模型に触れている感触が伝わるようなこの描写能力。監督が本当にこだわった部分が分かってこれもまた嬉しい。 チャゼル監督がCGではなく特撮を大切にする姿勢は、この人のシネフィルぶりを証するものだが、たぶんノーラン監督の『インターステラー』(2014)を観て、「これだ!」と思ったんじゃないかな?やっぱりCGではなく模型の感触は違った味わいがあるから。 ほぼ全体を通して、映画的快感に溢れまくった作品だし、劇場でその快感に身をゆだね、映像美に酔いしれる貴重な時間をくれたことに、本作には本当に感謝したい。 |
ラ・ラ・ランド 2016 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016米アカデミー主演女優賞(ストーン)、監督賞、作品賞、作曲賞、歌曲賞、美術賞、作品賞、主演男優賞(ゴズリング)、脚本賞、衣装デザイン賞、音響賞、編集賞 2016英アカデミー作品賞、主演女優賞(ストーン)、監督賞、作曲賞、撮影賞、主演男優賞(ゴズリング)、脚本賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、編集賞、音響賞 2016ヴェネツィア国際映画祭女優賞(ストーン) 2016LA批評家協会音楽賞、作品賞、監督賞、撮影賞、編集賞、美術賞 2016NY批評家協会作品賞 2016ゴールデングローブ作品賞、主演男優賞(ゴズリング)、主演女優賞(ストーン)、監督賞、作品賞、音楽賞 2017日本アカデミー外国語作品賞 |
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ハリウッドでの成功を願うミア(ストーン)は、なかなか目が出せずにいた。そんな時ジャズバーで一人のジャズピアニストの演奏に聴き惚れる。そのピアニストのセブ(ゴズリング)は、自分の好きなジャズを流せるバーを持つことが夢みていたが、現実は厳しく、明日の暮らしもままならない状態。そんな夢しか持たない二人が出会い、お互いを支えながら、夢に向かって歩み出そうとする。 久々のミュージカルの快作が登場。批評家の受けも非常に良く、オスカーの本命でもあった(残念ながら作品賞は『ムーンライト』(2016)だが、授賞式でプレゼンターのウォーレン・ベイティが『ラ・ラ・ランド』と読み上げてしまった珍事があった)。 そんな経緯もあって、是非劇場でという思いを持って観に行ってきた。 出来そのものには大満足。オープニングの交通渋滞をミュージカルシーンに変えてしまう演出から始まり、力一杯踊るシーンや、ブルース調、ジャズ調、タンゴ調と、しっかりメリハリをつけたミュージカルシーンの数々は見所が多く、ストーリーもちゃんとひねりを加えてほろ苦い大人の恋愛を上手に仕上げてくれている。 キャラ良しストーリー良しダンス良しと、非の打ち所のない見事な作品だが、やはり圧巻はダンスシーンとなるだろう。 圧巻のダンスシーンこそが本作の身上だが、圧倒的な凄さというのではなく、どこかで観た感じ、懐かしさというものを感じさせるのが巧さだろう。 本作のダンスシーンだが、基本的に上手く構成はされているものの、どれも目新しくはない。ただし目新しくはないが、実に様々な年代のものを上手く取り入れている。 ハリウッドではミュージカルは継続的に作られているが、年代によって流行り廃りがあるため、どの年代にも個性がある。例えば50年代の一対一の社交ダンスのようなもの、一人で踊るタップダンス。60年代の絢爛豪華な集団ダンス。70年代の個人の技量を徹底的に前に出すストイックなダンス。80年代の底抜けに明るい野外の集団ダンスと、一人でエンターテインメント性を目指したもの。90年代のしっとりした一対一の様々な要素を取り入れたダンス、2000年代のアクロバティックなダンス。どれもこれも様々な個性があるのだが、本作はそれらのほとんど全てを網羅してダンスシーンが作られているのが特徴とも言える。その辺の使い方が本当に上手い。 結果として、時代を先取りすることによって時代を代表するミュージカルとはなり得ない作品ではあるものの、どの年代でミュージカルを楽しんだ人にとっても楽しめる作品になってる。 その意味で、目新しい個性よりも、一つの作品の完成度の方を優先した作りを支持したい。 ストーリー面は様々なところで『秒速5センチメートル』(2007)の関連が語られているようだが、確かに似ているところもあるとは思う。 でも本作の場合は、センチメンタリズムよりももっと現実的な意味があるようだ。それこそ『秒速』との類似が見られるラストシーン。ここでミアとセブが分かれていたことが唐突に示されるのだが、これは単に性格の不一致で別れたとかではないのだろう。 ミアとセブの二人には大きな夢がある。そしてお互いの中にある夢を見いだしたからこそ惹かれ合っていたし、二人の夢はラストで叶えられる。だけどその過程を考えてみると、セブもミアも、相手の夢を叶える為にどこかで自分の夢を妥協しようとしているシーンが散見される。それは例えばジャズの新解釈をするバンドにセブが仲間として入るのは、本来自分の目指すべきところとは異なっても、ミアの演劇の応援をする為にはそれが必要であると思ってのことだし、ミアを最後のオーディションに連れ出す為には、自分の仕事を完全無視して応援に駆けつけているシーンもある。 ミアであれセブであれ、もし自分の夢を優先するならば、パートナーはその夢を一緒に応援してくれる人でなければならないはずである。そして二人は個別に夢を持っている以上、恋愛か夢のどちらかをあきらめねばならない。結果として二人は別れることで一人一人の夢を叶えることが出来た。 更にラストでミアは無事結婚して子どもも出来ているが、その際の夫というのが、基本ミアを第一に考えて行動してるようにも見える。何も説明はされてないが、大女優となったミアに対し、子どもを育てる側に入っている、いわば主夫のような立場にあるような存在に見える。これはつまり、ミアの夢に対して全てを応援できる存在だからミアと一緒にいられたと解釈することが出来る。 つまり、ミアとセブが別れるのは必然なのである。 ミアには夢があるし、セブにも夢がある。その二人の夢は、一緒に夢を語り合う分には問題ないが、お互いを支えることは物理的に出来なくなることは必至なのだから。 全てが手に入る訳ではない。だけど努力すれば愛と夢のどちらかは手に入った。ラストシーンの「もし…」という流れは、夢ではなく愛を追いかけた場合のシミュレーションだったと見ることもできるだろう。 故にこそ、現実のほろ苦さって奴を感じさせる物語になっており、それが本作の真の良さになっているとも言える。ビターでベターな物語 |
セッション Whiplash |
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2014米アカデミー助演男優賞(シモンズ)、音響賞、編集賞、作品賞、脚色賞 2014英アカデミー助演男優賞(シモンズ)、音響賞、監督賞、脚本賞 2014全米批評家協会助演男優賞(シモンズ) 2014LA批評家協会助演男優賞(シモンズ) 2014NY批評家協会助演男優賞(シモンズ) 2014ゴールデン・グローブ助演男優賞(シモンズ) 2014シカゴ映画批評家協会助演男優賞(シモンズ)、有望監督賞、作品賞、脚本賞、編集賞 2014ボストン映画批評家協会助演男優賞(シモンズ) 2014放送映画批評家協会助演男優賞(シモンズ)、作品賞、脚本賞、編集賞 |
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