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子役出身。 | |||||||||||||||||||||||
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2021 | |||||||||
2020 | |||||||||
2019 | |||||||||
2018 | ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 監督 | ||||||||
2017 | ダークタワー 製作 | ||||||||
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2016 | インフェルノ 監督・製作 | ||||||||
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK ‐The Touring Years 監督・製作 | |||||||||
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2015 | 白鯨との闘い 監督・製作 | ||||||||
2014 | グッド・ライ 〜いちばん優しい嘘〜 製作 | ||||||||
2013 | メイド・イン・アメリカ 監督・製作 | ||||||||
ラッシュ プライドと友情 監督・製作 | |||||||||
2012 | |||||||||
2011 | 永遠の僕たち 製作 | ||||||||
カウボーイ&エイリアン 製作 | |||||||||
コーマン帝国 出演 | |||||||||
2010 | 僕が結婚を決めたワケ 監督・製作 | ||||||||
2009 | 天使と悪魔 監督・製作 | ||||||||
2008 | フロスト×ニクソン 監督・製作 | ||||||||
チェンジリング 製作 | |||||||||
2007 | ザ・ムーン 提供 | ||||||||
2006 | ダ・ヴィンチ・コード 監督 | ||||||||
おさるのジョージ 製作 | |||||||||
2005 | シンデレラマン 監督・製作 | ||||||||
2004 | アラモ 製作 | ||||||||
マイ・シネマトグラファー 出演 | |||||||||
2003 | ミッシング 監督・製作 | ||||||||
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2002 | D-TOX 製作 | ||||||||
2001 | ビューティフル・マインド 監督・製作 | ||||||||
バクテリア・ウォーズ 出演 | |||||||||
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2000 | グリンチ 監督 | ||||||||
バッグス・バニーは永遠に! 〜チャック・ジョーンズの贈り物〜 出演 | |||||||||
1999 | エドtv 監督・製作 | ||||||||
ビヨンド・ザ・マット 製作 | |||||||||
1998 |
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1997 | 秘密の絆 製作 | ||||||||
フランク・キャプラのアメリカン・ドリーム ナレーション | |||||||||
1996 | 身代金 監督 | ||||||||
チェンバー 凍った絆 製作 | |||||||||
1995 | アポロ13 監督 | ||||||||
1994 | ザ・ペーパー 監督 | ||||||||
1993 | |||||||||
1992 | 遥かなる大地へ 監督・製作・原案 | ||||||||
1991 | バックドラフト 監督 | ||||||||
クローゼット・ランド 製作総指揮 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 | バックマン家の人々 監督・原案 | ||||||||
1988 | ウィロー 監督 | ||||||||
バイブス秘宝の謎 製作総指揮 | |||||||||
1987 | ノーマンズ・ランド 製作総指揮 | ||||||||
1986 | ガン・ホー 監督 | ||||||||
1985 | コクーン 監督 | ||||||||
1984 | スプラッシュ 監督 | ||||||||
1983 | |||||||||
1982 | ラブ IN ニューヨーク 監督 | ||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | アメリカン・グラフィティ2 出演 | ||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | バニシングIN TURBO 監督・脚本・出演 | ||||||||
レーシング・ブル 出演 | |||||||||
ラスト・シューティスト 出演 | |||||||||
1975 | ハックルベリー・フィンの冒険 出演 | ||||||||
1974 | スパイクス・ギャング 出演 | ||||||||
いなご軍団襲来/大自然の狂った日 出演 | |||||||||
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1973 | アメリカン・グラフィティ 出演 | ||||||||
1972 | |||||||||
1971 | ワイルドカントリー 出演 | ||||||||
1970 | |||||||||
1969 | |||||||||
1968 | |||||||||
1967 | |||||||||
1966 | |||||||||
1965 | |||||||||
1964 | |||||||||
1963 | けっさくなエディ 出演 | ||||||||
1962 | |||||||||
1961 | |||||||||
1960 | |||||||||
1959 | |||||||||
1958 | 旅 出演 | ||||||||
1957 | |||||||||
1956 | |||||||||
1955 | |||||||||
1954 | 3'1 オクラホマ州ダンカンで誕生 |
ハン・ソロ スター・ウォーズ・ストーリー 2018 | |||||||||||||||||||||||||||
2018米アカデミー視覚効果賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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犯罪者の吹きだまり惑星コレリアで犯罪の下請けを繰り返していた盗賊のハン(エアエンライク)は、恋人のキーラ()と共にコレリアを脱出しようとするが、キーラは途中で捕まり、ハンのみが脱出に成功する。ハン・ソロという名前を得たハンはいつかキーラを迎えにくることを誓い、帝国軍に入隊。パイロットとして頭角を現すが、常に周囲に嫌われ、常に最前線送りとなっていた。そんな中、牢につながれていたウーキー族のチュー・バッカを助けたり、盗賊団に入ったりして、生き延びていく。 現在ディズニーによって複数のラインで製作中の『スター・ウォーズ』シリーズ。その中で、『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』(2016)に続き、本編のスピン・オフ第二弾として作られたのが本作である。 オリジナルシリーズで人気のハン・ソロを主人公として、彼がいかにしてアウトローとなったか、そしてミレニアム・ファルコンを手に入れたのかの前史を描く話となった。 絶対にヒットさせてやるという意気込みからか、本作は結構力が入っていて、映画館での予告がバンバン入っていたが、それを観る度にため息が出た。良い意味では無い。「なんで今更宇宙でカウボーイものやるの?」という呆れからだ。 19世紀の末に誕生したSFはアメリカでかなりもてはやされた。ただし、そこでの物語は科学に裏打ちされたものよりも活劇の方が受けが良かった。それでそれまで西部劇を書いていた小説家がSF作品も手がけるようになったのだが、それはつまり拳銃を光線銃に、馬の代わりに宇宙船に乗り、荒野の代わりに宇宙空間を駆け巡るというものだった。1940年代くらいまではこのパターンがアメリカにおけるSFのスタンダードで、その過程で「フラッシュ・ゴードン」のシリーズも登場した。 ルーカスはそもそも「フラッシュ・ゴードン」を作りたがっていたが、許可が下りなかったので全く新しい作品として『スター・ウォーズ』(1977)を作ったと言う経緯がある。それ故『スター・ウォーズ』は構造として、その時代のSFを引きずることになった。 特に1作目の『スター・ウォーズ』におけるハン・ソロの存在はまさにカウボーイそのものである。いや、カウボーイという概念では無く、『駅馬車』(1939)のリンゴー・キッドをモデルにしてるとしか思えないようなキャラだった。 だからハン・ソロを主人公にする場合、SF西部劇となるのは必然と言っても良い。 しかし、根本的な問題として、「そんなの誰が求めてるの?」という話である。予告でハン・ソロ役のエアエンライクがはしゃいでるのを観てるだけでなんとも言えない気分にさせられる それでもこれを「観ない」という選択肢は無い。たいしたことなくとも、半分お布施の気分で鑑賞。 しかし、良い意味で裏切られた感じではある。 確かにSF西部劇ではあるものの、物語の緩急はしっかりしているし、ハン・ソロが自然な感じでアウトローになっていくのが観られたので、その辺は楽しく観ることが出来た。宇宙を舞台にした西部劇には違いないけど、ノスタルジーがある訳じゃないので、普通に面白い。 緩急取り混ぜた演出の巧さはヴェテランのハワード監督の力量だろう。 ストーリーやキャラに関して、決して悪い作品では無い。 ただ、本作には根本的に欠けた部分がある。 それは『スター・ウォーズ』とつながらないという点。 伝説のアウトローのハン・ソロが出来るまでという意味では物語はつながってはいるのだが、こういったスピン・オフ作品の醍醐味は、本編にかかる設定の補完である。本作の成否は、「あのシーンはそう言う事だったのか!」と思わせる裏設定の放出にあったはずである。 本作におけるシリーズ設定のばらしは、ハン・ソロがチューバッカを相棒にしたことと、ミレニアム・ファルコン号をどう自分の船にしたか。の2点。 そう。その2点しか無い。 本作では、例えば前半の帝国軍は一体誰と戦っているのかとか、帝国における官位とか、少なくとも帝国の側から観た反乱軍の姿というのが大切だったはずなのだ。 ところがそれが全く出てこない。ただ「帝国という組織があって、戦ってる」というだけの情報しかなし。一応ダース・モールが生きていたというサプライズはあって、多分これが次回作への伏線になってるのだが、これは後付けの設定に過ぎず、本編に関わる興奮がない。 だから別段本作は『スター・ウォーズ』を舞台にする必要がなく、興奮を覚えないのだ。単体として面白さを追求するあまり、ケレン味がなさ過ぎるのが残念。 あ、一つだけとんでもない設定ばらしがあった。 ハン・ソロの名前の由来は「独り者のハン」と言う事が分かったのだが、それはつまり「solo」という英語を使っていると言う事。てっきり宇宙のどこかの言語を英語に変換してたと思ってたけど、この世界で使われている言語は英語だと分かった。さて、これをどう整合性付けるやら。 |
インフェルノ 2016 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロバート・ラングトン(ハンクス)が目覚めた時、そこはフィレンツェにある病院だった。担当医を名乗るシエナ・ブルックス医師(ジョーンズ)によると、市内で何者かによって撃たれたとのことだが、ラングトンには全く記憶がなかった。更に病院は何者かによって襲撃を受け、逃げ出した二人はシエナのアパートに隠れる。そこでラングトンは自分のバッグの中にボッティチェリの絵画「地獄の見取り図」を収めた小型プロジェクターを発見する。一部に修正が加えられたその絵を観たラングトンは大富豪バートランド・ゾブリスト(フォスター)との対話の記憶を取り戻す。殺し屋と警察により追われる二人は、ゾブリストが事件の鍵を握ると考え、その足跡を辿る。 同じくロン・ハワードによって『ダ・ヴィンチ・コード』、『天使と悪魔』に続く、ダン・ブラウン原作によるロバート・ラングトンの映画シリーズ第三作(小説としては第四作に当たる)。第一作である『ダ・ヴィンチ・コード』は世界中で大論争を巻き起こすほどのインパクトを与えたが、これはストーリーそのものよりもキリスト教の根幹に関わる問題をはらんでいたため。二作目の『天使と悪魔』にしても、カトリックの制度問題に関わる話で、これも設定的な意味で大きな話題になっていた。 ただ、それだけ話題になった前二作に対して本作の場合は、一応ゾブリストの問いかけ「このまま放置すれば100年後には人類は滅びを迎える」という命題はあるものの、伝統的なものにたてつくわけではないので、設定的にはとてもソフトな話になってる(どっちかというとSF寄りの話で、むしろ作者の得意分野の作品になってる)。 そのため、本作はたいして話題にもならず、いつの間にか公開されていたという印象がある。 で、作品としてはなるほど『ダ・ヴィンチ・コード』の続編だと分かるような話だった。天才ラングトンが、タイムリミットの迫る中、各国を旅しつつ、謎に挑むという構造は同じだし、魅力的な女性が旅に同行し、二人三脚で逃亡劇を繰り広げるというパターンも一緒。概して安定した作りの作品とは言えるだろう。 危機の連続を頭脳で切り抜けるアクションも見所あるし、謎の組織の関与で謎が深まっていくようなアキさせない工夫も多数。単体の映画としては充分楽しい。 ただ、シリーズとして考えるならば、難点が一つ。 それは「飽きた」に尽きる。物語自体の出来は良くても、『ダ・ヴィンチ・コード』の焼き直し感が強く、「又これかよ」という展開がどうにも鼻につく。 単純に擦れてしまった自分自身の問題なのかも知れないが、シリーズ物として安定しすぎてるので、先が読めてしまうのが残念。特に意外性を大切にする作品なのだから、観客にその「意外性」を先読みされてしまうのはやはりいただけない。 あと、『ダ・ヴィンチ・コード』でも感じた事だが、ヨーロッパ中を旅する物語なので、あっち行って謎を解いたら、次はこっち。というたらい回しが延々と続くことになり、物語を詰めすぎという印象を受けてしまう。 映画単体としての出来は良し。シリーズとしては中だるみというのが私なりの本作の評価だな。 |
ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK ‐The Touring Years | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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白鯨との闘い In the Heart of the Sea |
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ラッシュ プライドと友情 2013 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013英アカデミー編集賞、助演男優賞(ブリュール)、音響賞、英国作品賞 2013ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(ブリュール) 2013放送映画批評家協会助演男優賞(ブリュール)、編集賞、メイクアップ賞、アクション映画賞 |
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天使と悪魔 2009 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009イギリスの年間興収第18位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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かつてルーブル美術館での事件のため、ヴァチカンから嫌われてしまった宗教象徴学者ロバート・ラングドン教授(ハンクス)の元に当のヴァチカンからの使いがやってくる。実は前教皇が逝去し、これから新教皇選出のコンクラーベが行われようとする矢先、かつてガリレオを中心とする科学者によって組織されたという歴史を持つイルミナリティなる組織が復活し、次期教皇を目される枢機卿4人が誘拐されたのだ。しかも強力な爆弾“反物質”を用い、ヴァチカンそのものを破壊すると言う。イルミナリティの謎めいた脅迫文を解読するためにラングドンを、そして反物質の爆破を防ぐためCERN(欧州原子核研究機構)の科学者ヴィットリア・ヴェトラを呼び寄せたのだ。 かつて『ダ・ヴィンチ・コード』を世に著し、話題をさらったダン・ブラウンによる続編の映画化作(実質的にはこちらの方が前の話になる)。監督ロン・ハワード、主演トム・ハンクスの『ダ・ヴィンチ・コード』コンビの続投。 前作はキリスト教の根幹に当たるミステリーだと言うことで、話題は大きかったが、物語の出来は極めてありきたり。せいぜい主演がハンクスに代わっただけの『ナショナル・トレジャー』(2004)程度でしかない。今更言うのも何だが、最初から解けるように出来ているパズルを主人公がなぞって進んでいくだけの極めて単純な物語で、主人公の存在感もなかったし、単に金だけかけた駄作としか思えなかった。 そんなこんなで一切期待もかけずに本作を観たわけだが、少なくとも、前作の悪い部分はかなり軽減されたのは確か。謎解きよりもスペクタクル性の方に話を持っていけたのは映画としては正解だし、何より本当の観光地でアクションしてる。という気分にさせられるのが良い。知的な探求をすると言うのなら、ヴァチカンはもってこいの場所。さらに制限時間を加えることで、アクションにも締りが出てる。少なくとも前作で失望を味わった身としては、思った以上の出来だったのは素直に嬉しく思う。演出にかけては本当に申し分ない出来だろう。 ただ、一方では物語にいくつも変な部分があったのはいただけない。 一番の問題はイルミナリティの放った刺客にまったく魅力がなかったこと。どんな困難な作戦も単独で全てこなすスーパーマンのごとき存在のため、イルミナリティの組織だった巨大さは感じられず、敵の存在がとても卑小に思えてしまったし(事実卑小なんだが、それを感じさせない組織力をはったりで出せば良かったんだ)、あれだけの任務を淡々とこなしてる能力があるくせに、最後があっけなさ過ぎ。あんなに人を信じてよくここまで生きてこれたもんだ。 それと、ダン・ブラウンの作品だってのが丸分かりの脚本なのも問題。物語そのものは充分面白いとは思うのだが、ブラウンの作品に共通する点、つまり信用できるサポーターが実は黒幕という作品に共通するパターンがあらかじめ分かってしまってると、本作はまさしくその定式に則ってしまったため、途中で黒幕が誰か分かってしまう。「ブラウンだったらこうするはずだ」と思ってしまう私が悪いだけなんだろうけど、どんでん返しが待っているのならば、気持ち良く騙してほしいもんだ。 充分に楽しめた作品ではあるが、詰めで楽しめなかった。 最後に一つ。 『ダ・ヴィンチ・コード』の例もあり、本作でもカトリックがネガティヴキャンペーンを張ってるとのことだが、これほどヴァチカンの魅力を伝えてる作品は今までなかった。むしろカトリックは本作に感謝すべきなんじゃないか? |
フロスト×ニクソン 2008 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2008米アカデミー作品賞、主演男優賞(ランジェラ)、監督賞、脚色賞、編集賞 2008英アカデミー作品賞、主演男優賞(ランジェラ)、監督賞、脚色賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞 2008ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ランジェラ)、監督賞、脚本賞、音楽賞 2008放送映画批評家協会作品賞、主演男優賞(ランジェラ)、監督賞、脚本賞 2008AFI映画トップ10 2008映画俳優組合アンサンブル演技賞、主演男優賞(ランジェラ) 2008ナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞 2008ロジャー・エバートベスト 2008ピーター・トラヴァース第4位 2008エドガー・ライトベスト第7位 2008アメリカ映画俳優組合アンサンブル演技賞、主演男優賞(ランジェラ) 2008アメリカ脚本家協会脚色賞 |
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1974年。ウォーターゲートビルでの盗聴事件、いわゆるウォーターゲート事件で辞任に追い込まれたニクソン(ランジェラ)は、一応の引退の形を取ったが、側近のブレナン(ベーコン)らと、政界復帰に向けて活動を開始していた。そして辞任から3年後。イギリスのテレビキャスターのデビッド・フロスト(シーン)が彼の単独TVインタビューを敢行する。ニクソン自らの口からウォーターゲート事件の関与を引き出したいフロストと、これを政界復帰への足掛かりへとしたいニクソン両陣営の、インタビューを通しての攻防を描いた実録ドラマ。 アメリカの歴代大統領の中で、唯一任期途中で辞任に追い込まれた大統領、ニクソンのその後を描いたピーター・モーガンの舞台劇の映画化作。本作の脚本はモーガン自身が手掛け、さらに舞台でそれぞれニクソンとフロストを演じたフランク・ランジェラとマイケル・シーンが映画版でもそのまま同じ役に起用された。まさに舞台劇の映画化と言った風情。 ちょうどこの作品を観る前、『ウォッチメン』を観ていて、「おお、ここにもニクソンが!」と思っていたが、たまたまこの二つを連発で観ることで、急遽ニクソンについて調べてみた。私にとって、ニクソン辞任の年は確かに生まれてはいたものの、まだ小学生。ほとんどニュースの記憶もないのだが、その後、だいぶ経ってから「小説 吉田学校」を読むことで、日本の外交について大変大きな足跡を残した人であることは分かっている。 すでに風化してしまった感があるが、ニクソンは在任中に三つの大きな事件を起こしており、最初の二つはニクソン・ショックと呼ばれた国際的なもので、これは日本にとっても大変重要な問題をはらんでいた。 一つ目は1971年の突然の米中国交正常化宣言。大戦後、中国の正統政府は台湾の亡命政権であることをそれまで固持していたアメリカが、今度は共産党政権の方を国として認めるとした声明であり、アメリカの国際政治の一大転換を示す出来事だった。この際、日本になんの事前通告もなかったため、これは「頭ごなし外交」と言われ、日本でも相当の反発を受けた(西側陣営に属し、アメリカの核の傘下にあるということは、日本を国として認めさせないということだ。と当時の運動家も盛んに主張していたものだ)。だが、これが結局田中角栄の訪中および日中国交正常化につながることになったのだから、ある意味日本にとっても大変大きな足跡を残したといえる。 もう一つがやはり1971年。ドルと金との交換停止を宣言したことで、これが第二のニクソン・ショックと呼ばれる事件である。これによって国際的な固定相場制は失われ、変動相場制へと市場は移行した。日本はかつて1ドル360円という非常に高い比率での固定相場制を持ち、そのために輸出業が活気を呈していたのだが、変動相場制により、一気にその優位性が崩れた。輸出に頼る日本にとってはこれも大打撃ではあったが、このお陰で日本はようやく海外拠点を作り始めるきっかけとなり、国際化の時代を迎えることとなった。 この二つの事件は日本にとってはどちらも大きな痛手ではあったものの、外交にせよ経済にせよすでにそれを超える力を持っていることを内外に知らしめる結果となり、世界的な地位向上に一役買った。その意味ではニクソンの行いは、日本にとっては恩人とも言える内容をもっている(映画では一切触れられていないが、1972年の沖縄返還もニクソンあってのこと。ニクソンはあたかも日本を切り捨てるような事を三回も行っていたが、結果としてそれは全て日本にとってプラスになってるのが特徴と言えよう)。 …ということを念頭に置かないと、なぜニクソンがあれだけ強気なのか、そして度々中国のことを口にしていたのかはわからないと思うので、以上は念のため。 そして三つ目が悪名高いウォーターゲート事件のことであり、本作の主題となった事件のこと。国際的には目覚ましい活躍を見せたニクソンだが、ヴェトナム戦争の泥沼化は国内に大きな反発を食らってしまい、そのとどめを刺したのが民主党に対する盗聴事件であるウォーターゲート事件だったということになる。 結局ニクソンを語る場合、後者ばかりが目立ってしまい、あたかも政治的に無能に見えたりもするのだが、実際はそんなことはなく、国際的な見地からいえば、むしろ大変有能な人物でもあったのだ。 ニクソン自身もその自負があったのだろう。ここでニクソンが何としても政界復帰を果たしたいと願っていたのは、失地回復というよりも、そのことをみんなに認めてほしいという願いがあったからではなかったかと思うから。そのためには、ニクソンが最も使い慣れた政治道具、つまりテレビを使うことが一番の早道であることを知っていたから。 考えてみたら、元大統領が一種のバラエティ番組に出るなど前代未聞の出来事だし、それを無謀と考える向きもあろう。でも、ニクソンにとってはテレビは最も使い慣れた道具であり、これを用いての攻撃を考えていたことは推測できる。更にメディア戦略を考えているのならば、相手は政治家ではなく、一般のキャスターであった方が受けが良い。色々と考えた末のことなのだろう。 しかし、テレビというのは強力な武器であるのは確かだが、それは時として自分自身を傷つけるものにもなる。ニクソンに「常にチャレンジャーであり続ける」と劇中で言わせたのは、ニクソンがその事をよく知っていたと言う事を示す出来事だったが、それは見事に的中してしまったというわけだ。 ニクソンにとってこの会談は戦いそのものだった。故にこそ本作は討論番組であると共に、言葉によって相手を屈服させるという、一種の格闘作品のようにも作られてる。強気に出る時と、守勢に回ったときの攻防がくるくると変わり、観ていて全く飽きない。基本は会話によって成り立つ話なのだが、その辺のメリハリがよく利いていて、観ていて飽きの来ない作品になってる。 ところで、この対談では映画ならではの面白い試みがされているのにも気付く。 それは他でもなく、アップになったときのフロストとニクソンの視線の向かう先。ちょっとでも心理学を囓った人間にはNLPという名称でお馴染みだが、人の視線がどこにあるかで、その人が何を考えているのかが分かるというテクニックがある(ネットにはその情報が溢れているので参照してみると良い)。人間は攻撃的になると左上を見る傾向があり(絶対的な自信を持っているときは右上)、逆に守勢に回ると左下を見る傾向がある。特に劇中に表示されるニクソンの視線の変化は見所の一つ。最後、全米にうちひしがれた表情を見せたときのニクソンの視線の行き先は…実に上手くできた作品だった。 |
ダ・ヴィンチ・コード 2006 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006日本アカデミー外国映画賞 2006ゴールデン・グローブ音楽賞 2006ゴールデン・ラズベリー監督賞 2006放送映画批評家協会音楽賞 2006文春きいちご男優賞、外国映画第3位 2006全米BoxOffice第6位 |
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ルーヴル美術館館長ジャック・ソニエールが何者かに殺害された。彼がその日会うことになっていたアメリカ人古文書学者で宗教象徴学の権威であるロバート=ラングドン(ハンクス)は、フランス司法警察のファーシュ警部(レノ)に呼び出され、協力を依頼された。ソニエールのダイイング・メッセージを読み解くラングドンだったが、実は警部はラングドン自身を殺人犯としてこそ疑っていたのだ。そこに現れた暗号解読官ソフィー=ヌヴー(ジョヴォヴィチ)はラングトンにそのことを伝え、彼を助けることを申し出る。実は彼女はソニエールの孫であり、祖父の死の秘密を解くことができるのはラングトンをおいて他にはないことを確信していたのだ。二人の逃避行が始まる。 ダン=ブラウンの同名世界的ベストセラーの映画化作品。キリスト教信仰の根幹に関わる作品として物議を醸し、世界的にも上映禁止を求める声も多い。結構わくわくした気分で劇場に向かった。 …結論から言えば、とりあえずは悪い作品だとは思わない。謎解きとしても割としっかりしていた感じだし、物語の展開もスムーズだ。キャラクタの数を抑えることで物語の理解も難しくない。ハワード監督の丁寧さが良くわかる。 ただ、これを観ていているだけで分かるのは、原作のテキスト量が膨大すぎると言うこと。それで消化不良をおこしてる。前半部分はまだしも、後半になると次から次に新事実が発覚し、観ているこっちはジェットコースターに乗ってるように流されるだけ。小説だと山ほど伏線を張って、それぞれの新事実もそれなりに驚きをもって受け入れられるのだろうが、映画だとあっけ無さすぎて、あまり驚きは無い。それに登場人物を絞ったお蔭でソフィーが実は…という物語の肝がかなり事前に分かってしまったのも痛い。何より暗号を観客に考えさせる以前に全て解いてみせてしまうので、考える暇がない。 はっきり言ってしまえば本作は映画化には向かない素材であったと言うこと。いくら監督の技量が良くても、こんな詰め込み方をしては、書籍の魅力を活かすことはできない。小説は小説として無理に映像化する意味は無かったようにも思える。 ハンクスを主役に持ってくることで文芸調を強く打ち出せたのは、多分良かったんだろう。仮にニコラス=ケイジを主役にしたら、そのまんま『ナショナル・トレジャー』(2004)になってしまう。それはそれでいかがわしさが増すので、観てみたい気もするし、敵を作らないためにはそっちも正しい作り方のようにも思えるんだけど… 飽きさせなかったというだけで評価すべきか。 下らないことだけど、冒頭のルーブル博物館のシーンで気になったこと。 ソニエールは腹を撃たれたため、死ぬ前に多少時間がかかった。それは良いんだが、美術館中にあんな複雑なダイイング・メッセージを残せるんだったら、その前に救急車かなんかに電話すれば助かったんじゃなかろうか?それ以前に賊が入った直後に警察に通報されて然りだと思うんだけどねえ。その不自然さも暗号であるのだが、小説だと出せるその不自然さが、単なる間抜けに見えてしまうのも問題か。 後に原作の方を読んだが、はっきり言って未だに何故こんなのがベストセラーになったのか理解できない。ごくごく普通で、物語が出来すぎの探偵小説でしかないのだが。やっぱりキリスト教の根幹に関わる!みたいな煽り方をしたからだろうか? |
シンデレラマン 2005 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005米アカデミー助演男優賞(ジアマッティ)、メイクアップ賞、編集賞 2005英アカデミーオリジナル脚本賞 2005フロリダ映画批評家協会助演男優賞(ジアマッティ) 2005トロント映画批評家協会助演男優賞(ジアマッティ) 2005ゴールデン・グローブ男優賞(クロウ)、助演男優賞(ジアマッティ) 2005放送映画批評家協会助演男優賞(ジアマッティ)、作品賞、主演男優賞(クロウ)、監督賞(ハワード) 2005日本アカデミー外国作品賞 2005報知映画海外作品賞 2005映画俳優組合助演男優賞(ジアマッティ)、主演男優賞(クロウ) 2005脚本家協会オリジナル脚本賞 |
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将来を嘱望されていた若手ボクサーのジム・ブラドック(クロウ)は妻メイ(ゼルウィガー)と3人の子供に囲まれ幸せの絶頂にあった。だが、怪我の連続により消極的な試合を繰り返すことがコミッショナーの怒りに触れ、ライセンスを剥奪されてしまう。折しも大恐慌時代。職もなくなり、なんとか一家を食べさせることであくせく働くジムの前に元マネージャーのジョー(ジアマッティ)から、位置や限りの復帰試合が舞い込んでくる。相手は勢いに乗る新人ボクサーで、体の良い噛ませ犬役だったのだが、これまでとは違った戦い方を覚えたジムは、その若手を叩きのめしてしまう。ここからジムの伝説が始まっていく… アメリカの大恐慌時代にアメリカ国民に夢を与えたと言うことで有名な奇蹟のボクサー、ジェームズ・J=・ラドックの伝記調に撮られた作品。本国アメリカでは「感動できなければお代を返します」という挑戦的なコピーもあって、大ヒットを記録した。 で、私自身はどうだったかというと… 普通に良い映画かな?という程度。 実際悪い作品ではない。クロウはボクサーを演じるには老けすぎてるが、貧乏でも栄光の絶頂にあってもどこか困ったような顔を崩さず、それがこのキャラクタの魅力と映るし、ゼルウィガーも普通の主婦役をきちんと演じていた。芸達者な二人が中心に話を押し上げていくので、もちろんキャラびょしゃに関しては文句なしだろう。又、ボクシングの描写も良く、『レイジング・ブル』(1980)を思わせる描写が、臨場感をしっかり盛り上げたし、超人同士の戦いにはしなかったので、リアリティがあった(驚異の打たれ強さはともかくとして)。 ただ、ちょっと引っかかったのはストーリー部分で、あまりと言えばあまりのベタさぶりに、かえって驚かされた。何のひねりもないアメリカン・ドリームのお話で、1950年代に回帰したのか?と思いたくなるほど。文字通り、本物の男阪シンデレラ・ストーリーがストレートに展開していく。そりゃ、まあこれが映画の基本だろうと思うし、ベタだからこそ感動できる物語であるのは事実なのだ。だが、そのあまりの当たり前さに、途中でちょっと眠くなりかけた。これが仮に2時間に収まるならば凝縮できたのに、2時間半は長すぎる。 これはちょっと狙いすぎたのではないか?ここでのクロウ演じるジムとゼルウィガー演じるメイの関係は、「夫は家族のために戦い、妻は夫の身を案じつつも戦地に送り出し、子供達を守っている」という構図で、これって古き良きアメリカの価値観そのまんま。二人は「別れ」を口にすることも、家族のあり方について喧嘩することもほとんど無い。男は男として、女は女として、その価値観の中で生きることしかしていない。 言ってしまえば、本作は対象を極めて狭く取り、「アメリカ人のためだけの作品」を作ろうとしていたのだろう。特に冷え込んでいるアメリカの映画産業にとっては、原点とも言える本作を投入することでテコ入れを計りたかったのではないかな?しかもこの舞台となっている1929年というのは、ウォール街大暴落が起こったアメリカにとってはとても印象的な年なのだが、その説明が全然されていないことも、他国人には理解不足となる。本作は本当にアメリカ限定で受ける訳だ。 |
ミッシング 2003 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ビューティフル・マインド 2001 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001米アカデミー作品賞、助演女優賞(コネリー)、監督賞(ハワード)、脚色賞、主演男優賞(クロウ)、作曲賞、メイクアップ賞、編集賞 2001英アカデミー主演男優賞(クロウ)、助演女優賞(コネリー)、作品賞、監督賞、脚色賞 2001ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(クロウ)、助演女優賞(コネリー)、脚本賞 2001放送映画批評家協会作品賞(主演男優賞(クロウ)、助演女優賞(コネリー)、監督賞、脚本賞 2002MTVムービー・アワード男優賞(クロウ) 2002オンライン・ムービー・アワード第16位 |
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冷戦下のアメリカ。第二次世界大戦で洗練された数学的分析が暗号解読に役立ったことから、若い数学者たちには大きな期待が寄せられていた。そんな時代、斬新な経済理論を発表したナッシュ(クロウ)に、国防総省から暗号解読協力が依頼される。その日からナッシュの生活は変わっていった。極秘任務の重圧から、精神が極限状態に追い込まれてしまったナッシュ。彼を支える妻アリシア(コネリー)とともに、再起をかける。 実在のノーベル賞受賞者の数学者ジョン・ナッシュを題材にした映画。 彼の提唱した「ゲームの理論」のことは既に知っていたし、その生活のこともある程度の知識があった。ただ彼についての話の大半は碌でもない話ばかり(傍若無人な振る舞い、ホモセクシャル、それ故にノーベル賞も史上最低の得票数で決まったとか)。しかもこの映画の公開で、彼の家族が裁判を起こしたという話もあった。 それにここ近年、オスカー受賞作品とはどうも相性が悪い。昨年の『グラディエーター』(2000)も一昨年の『アメリカン・ビューティー』(1999)も好きな作品じゃないし。 やや不安な思いを抱えつつも劇場へ。 映画の出来としては決して悪くなったと思う。二時間を超える時間を飽きさせないで作ったのは評価するし、ラッセル=クロウの演技はますます幅広くなった感じ。久々に見たジェニファー=コネリーも、大人の女性になっていたし、昔とは違った魅力を見せていた。それにエド=ハリスのアクセントはやはり名人芸。意識して使っている長回しもCGもさりげない使い方で好感が持てる。 だけど、私の知っているナッシュ像とはえらく違った感じ。簡単に言うと、スマートすぎ。確かに彼は精神病なのかも知れないけど、あんなもんじゃなかったはず。それに全然彼の身勝手さが出ていない。私の知ってる限りの知識では、あんなに優しい人物ではなかったはずだが? それに彼の被害妄想的な精神分裂の表し方も何となく釈然としない。幻覚が見えるのは良しとしても、それであんな風にはならない。もっと何というか、自分のことで頭がいっぱいになって、身だしなみや格好、それに表情などが崩れていくものだ。人の顔と言うのは、それなりに緊張感があるから整っているものだが、精神的な危機にあるとその緊張感が無くなってしまうので、表情が無くなってしまい、みょうにのっぺりとした顔になる。大体それが演技なのか、本当に精神を病んでいるのかは顔を見ればある程度分かるものだ…(でも、「映画」でそこまでやるわけにはいかないか) あと、ふと思ったが先日観た『シッピング・ニュース』(2001)は同じように淡々と時が流れる話だったが、これが私にとっては紛れもない傑作だった。それに対し、こちらで乗り切れない思いがしたのは、結局“神秘的な部分”の有無だったのかもしれない。 理詰めであっても、人の生活で最後にアクセントを付けてくれるのは、何か不思議な、こう言って良ければ“霊的”なものじゃないかな? 『シッピング・ニュース』では最後まで解けない謎や神秘的な雰囲気に溢れていたが、本作ではそれを「精神病」と断定してしまって、それに対する克服なり、融和が出来ずに終わってしまっている。数学者を題材にしたからって訳でも無かろうが、非常に理詰めな映画だった。これほどの理詰めな作品を何で“マインド”なんて心の問題みたく言うのが、かえって理解できない。 クロウは3年連続でオスカーノミネート。ちなみに本作がコネリーとベタニーの出会いとなった。ハリウッドゴシップの一つ。 |
グリンチ 2000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000米アカデミーメイクアップ賞、美術賞、衣装デザイン賞 2000ゴールデン・ラズベリー最低脚本賞、ワーストリメイク・続編賞 2001MTVムービー・アワード悪役賞(キャリー) |
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エドtv 1997 | |||||||||||||||||||||||||||
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身代金 1996 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1996ゴールデン・グローブ男優賞(ギブソン) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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一代で巨大な航空会社を築いた大富豪トムミューレン(ギブソン)の息子が誘拐された。FBIの手口を熟知している犯人に翻弄されるトムミューレンと警察。いつ息子が殺されるか分からないと言う恐怖に、トムミューレンは最後の行動に移った。それは何と身代金全額を犯人逮捕の懸賞金にしようと言うもの。 奇抜なアイデアと、主人公と誘拐犯人との行き詰まる駆け引きは非常に緊張感がある。特に息子が殺されたと思ってキレるギブソンの演技は実に素晴らしいものがある。テレビで見てでさえそれが感じられるのだから、映画で観てみたかった。犯人の誘拐の動機が今ひとつ不明で、こいつは殺されないだろうと思った人間があっさり殺されたりして、ちょっとストーリー展開には難があったかもしれない。 何でもこの作品は1956年にグレン・フォード主演で制作された『誘拐』という映画のリメイク作品だそうだが、そちらの方は未見。 |
アポロ13 1995 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1995米アカデミー音響賞、編集賞、作品賞、助演男優賞(ハリス)、助演女優賞(クインラン)、脚色賞、音楽賞、美術賞、視覚効果賞 1995英アカデミープロダクションデザイン賞、特殊視覚効果賞、撮影賞 1995日本アカデミー外国作品賞 1995ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(ハリス)、助演女優賞(クインラン)、監督賞 1995キネマ旬報外国映画第10位 1996MTVムービー・アワード作品賞、男優賞(ハンクス) |
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1970年4月に月へ向けて打ち上げられたアポロ13号に爆発事故が発生した。絶望的な状況で、無事アポロを帰還させるため、ヒューストン管制センターとアポロ13号内での帰還作戦が始まる。 これはレビューを書くのが本当にワクワクする作品だ。 私はこどもの頃から百科事典を眺めるのが好きで、毎日のように眺めていたが、中でも一番好きだったのは宇宙についての話だった。子供の頃、色々本を買ってもらって、繰り返し繰り返し読んだものだ。アポロ11号の月面着陸の話から、アポロ計画の終了まで(ちなみに私の名前は父が付けたものだが、祖父は宇宙に関する名前を付けたかったそうだ。ちなみにその名前は弟に付けられている)。宇宙の話は生まれたときから関わっていたんだな。更にレンタルビデオが出たとき、1500円もかけて数本のビデオを借りたが、その内の一本は『宇宙からの帰還』(1985)だった(勿論事前に立花隆による原作は読んでいたので、内容的にはちょっと?な部分もあったけど)。ここでもアポロ13号のことは触れられていた。 それで本作の劇場公開の時は喜び勇んで劇場へと向かっていった。 まさにぴったり。期待して観に行って、見事に期待に応えてくれた作品だった。とても嬉しかった。 あまりに有名なアポロ13号事件を豪華キャストを用いてドキュメンタリー形式で作り上げた作品。実際これは本当にあったことなので、映画的演出より事実の方に重点が置かれている感じ。それだけに内容的には非常に重めな印象を受けるのだが、その辺は充実のキャスティング。ちゃんと見せ場を自分の所に引き込むことも忘れてない。大変興味深く観ることが出来た(かつて『ライトスタッフ』(1983)で宇宙飛行士を演じたエド・ハリスがセンターの責任者を演じているのは狙ったのかな?)。 CGの使い方も上手く、確か『ジュラシック・パーク』(1993)と本作によって、映画へのCGの用い方が決まっていったのだと思う。映画史においても重要な作品の一本だったのではないか?CGとは、あり得ないものを画面に出すだけではなく、カメラでは本来撮ることの出来ない“本物”を画面に映し出そうとする方向性をも持っていると言う事。その方向性こそをこれからも持ち続けて欲しいものだ。 それと自分に関わることなのだが、これを劇場で観たとき、プロ意識と言うものを柄にもなく真剣に考えてしまった。特に私はよく何事もよく諦めてしまうタイプで、多分本当の危機に陥ったら、真っ先に死んでしまう人間なんだろうな。と言うことを再確認してしまった。 それは今の仕事に就く前の話。将来について非常に不安に思っていた時期にこれを観たお陰だろう。 仕事に命を賭けると言うこと、信念を持つと言うこと。そんなことが私に出来るんだろうか?真面目にそんなことを考えていた事を思い出す。 それで今レビューを書いていて考えるが、今の仕事について、本当に私はプロとしての意識を持っているのか。この仕事に命を賭けようと言う気持ちがあるのか。再び襟を正して考えている自分がいる。 映画とは本当に素晴らしいものだ。観たときだけでなく、こんな時にも自分ってものを考えさせてくれるよ。 ところで、私がトム・ハンクスって凄いな。と思うのはこの点なんだが、彼は自分の出演した映画をしっかり勉強し、それを自分の肥やしにしている上に、それをフィード・バックしてくれる。『プライベート・ライアン』(1998)で『バンド・オブ・ブラザーズ』が出来たように、本作のお陰で『フロム・ジ・アース 人類月に立つ』が作られている。友人は持ってるんだけど…うーん。とても欲しくなってきたぞ。 |
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『アポロ13』に学ぶITサービスマネジメント ~映画を観るだけでITILの実践方法がわかる! ~(書籍)谷 誠之、久納 信之 |
遥かなる大地へ 1992 | |||||||||||||||||||||||||||
1992ゴールデン・ラズベリー最低音楽賞 1993MTVムービー・アワードアクション・シーン賞(オクラホマの土地獲得レース・シーン)、コンビ賞(クルーズ&キッドマン) |
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バックドラフト 1991 | |||||||||||||||||||||||||||
1991米アカデミー特殊視覚効果賞、音響効果編集賞、録音賞 1992MTVムービー・アワード作品賞、アクション・シーン賞(燃えさかる建物から脱出するクライマックス・シーン) |
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バックマン家の人々 1989 | |||||||||||||||||||||||||||
1989米アカデミー助演女優賞(ウィースト)、主題歌賞 1989ゴールデン・グローブ男優賞(マーティン)、助演女優賞(ウィースト)、歌曲賞 |
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1989年全米興行成績9位 |
ウィロー 1988 | |||||||||||||||||||||||||||
1988米アカデミー特殊視覚効果賞、音響効果編集賞 1988ゴールデン・ラズベリー最低助演男優賞(バーティ)、最低脚本賞 |
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暗黒の世界を救うと予言された赤ん坊を拾った小さき者達の種族の若者ウィロー(デイヴィス)は、人間族の元へその赤ん坊を返しに行くことになった。途中で仲間になったマッドマーティガン(キルマー)と共に旅を始めるが、その赤ん坊を亡き者にしようと魔女は次々と彼らに刺客を放ってくる… 『スター・ウォーズ』(1977)以来こういったものが好きになったか、ルーカスが製作総指揮を執って作り上げた作品。この手の作品としては小品っぽいのだが、私は結構気に入ってる(今から考えてみると、題材そのものがまさしく『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)してるってのがポイントだったか。多分トールキンの影響受けまくってるんだな)。時代の枷があって特撮部分はかなり抑え気味とはいえ、その分アクションには結構力が入ってる。それにキャラクターに小さいのがいると、闘い方にも随分幅が出てくることがよく分かる。等身大の直線アクションはキルマーの方に任せ、赤ん坊を守って脇でチョコチョコと動き回るデイヴィスの健気さが良い感じ。キルマーもこの時代にはまだ狂気は出てない分、汗っぽいマッチョマンが意外に良く似合ってた。 後本作で面白かったのはオープニングの伏線がしっかりラストシーンまで活きてた事。魔法の物語で、魔女を退治できたのは魔法じゃなくて手品ってのも皮肉が効いてて良し。 結構気に入ってたから、あの赤ん坊が成長して暗黒と戦うって続編が出ることを期待してたんだが、今のところ出てないな…もう無理か。 キルマーとウォーリーは本作の共演を機に結婚(後に別れるが)。 |
コクーン 1985 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1985米アカデミー助演男優賞(アメチー)、視覚効果賞 1985ゴールデン・グローブ作品賞 |
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フロリダの老人ホームに暮らす老人達は、老い先短い人生を老人ホームで管理された生活をおくっていた。ある日、空家であったとなりの屋敷に奇妙な隣人が引っ越してきた。彼らは船を借りて沖に沈む奇妙な物体を引き上げては、プールに沈めていた。ある日、老人達はそのプールの秘密を知ることになる。 1985年全米興行成績5位。 老人に夢を。と言うコンセプトなのだろうが、それは果たして成功したのだろうか?何となく我欲を剥き出しにした実に人間らしい人間が登場する物語としてだけ認識される。私がもう少し年齢を重ねれば違った見方が出来るのかも知れないが、少なくともこれにメッセージ性を取ることは出来ない。 私の実家は三世代同居で、お爺ちゃんお婆ちゃんはいつも家にいるもので、色々とやかましいながら、愛すべき存在だった。子供の頃はよくお爺ちゃんの膝の上で寝たものだ。そう言う環境で過ごした私としては、この老人ホームそのものが偽善の固まりにしか見えなかった。老人を一つ所に押しつけ、若者は自分を育ててくれた人を放っておく。それは子供心に非常に怖い話だった。 だから、映画としては決して悪い作りではないはずなのに、妙に悲しみを覚えてしまい、どうしても評価が低くなってしまう。尤も、今はこういう老人ホームは日本でも当たり前になっていることは知っており、仕方ないことは分かるのだが… どうでも良いが、老人にブレイクダンスを踊らせると、見てる方の心臓に悪い。 |
スプラッシュ 1984 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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スプラッシュ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1984米アカデミー脚本賞 1984ゴールデン・グローブ作品賞 1984全米批評家協会脚本賞 |
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NYで青果市場を兄のフレディ(キャンディ)と共に経営しているアレン(ハンクス)は、子供時代に海で溺れてしまい、それ以来泳げなくなってしまったのだが、不思議な事に海に惹かれ続けており、折を見ては故郷のコッド岬へと向かっていた。そんなある日、ふられて落ち込んだアレンはボートを出すのだが、なんとボートが転覆してしまう。謎の美女に助けられ、恋心を抱くのだが、その美女(ハンナ)は、彼の部屋へとやってくる… それまで徹底して子供向きの映画を作ってきたディズニーが子会社として立ち上げた会社タッチストーン・ピクチャーズ(ディズニー別名義としてレーベル名としては前からあった)の第1回作品。ディズニーがかつてアニメで作った「人魚姫」をベースとしているが、ディズニーが大人部門でも売れる作品を作れる事を証明することとなる(ディズニー実写では『メリー・ポピンズ』(1964)以来の大ヒット)。本作はそれまで俳優としては知られていたハワードが監督として一本立ちした作品でもあり、更に本作によりハンクスとハンナが大ブレイク。様々な形で後のハリウッド史に影響を与えたコメディ映画の佳作と言えよう。 物語そのものはハッピーエンド版「人魚姫」で、さほど言うべき事はないのだが、本作の最大魅力はキャラクタにこそある。人魚役のダリル=ハンナはまさにはまり役で、惜しげもなくその裸身も見せてくれる(後ろ姿ばかりだけど)。改めて思うけど、この人は下手に演技的にするよりも体を張った演技がはまるね。地上では全くの子供状態からどんどん知識を吸収していく演出もよろしい…まあ、日本で大受けしたのはこの人あっての事なんだろうけど。 最初の大ヒット作となったハンクスもはまってるんだけど、個人的には実は本作でジョン=キャンディの大ファンになってしまった。この人は表裏のない欲望に忠実なキャラが実に良く合う。そう言えば無類の女好きという設定を除けば、かなりのオタクキャラなんだよね。オタク的知識は、時にとても役立つ事がよく分かった。 |
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