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ギャレス・エドワーズ
Gareth Edwards

Gareth Edwards
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鑑賞本数 合計点 平均点
書籍

_(書籍)

_(書籍)
2023 ザ・クリエイター 創造者 監督・製作・脚本
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016 ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー 監督
2015
2014 GODZILLA ゴジラ 監督
モンスターズ/新種襲来 製作総指揮
2013
2012
2011
2010 モンスターズ 地球外生命体 監督・脚本・撮影
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975 6'1 誕生

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ザ・クリエイター 創造者
The Creator
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ギャレス・エドワーズ
キリ・ハート
ジム・スペンサー
アーノン・ミルチャン
ヤリフ・ミルチャン
マイケル・シェイファー
ナタリー・レーマン
ニック・マイヤー
ゼヴ・フォアマン(製)
ギャレス・エドワーズ
クリス・ワイツ(脚)

ジョン・デヴィッド・ワシントン
ジョシュア
ジェンマ・チャン
マヤ
渡辺謙
ハルン
スタージル・シンプソン
ドリュー
マデリン・ユナ・ヴォイルズ
アルフィー
アリソン・ジャネイ
ハウエル
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 人類が作り出したAIが人類に対して反乱を起こした。特殊部隊に属するジョシュア(ワシントン)は、そのAIの開発者“ザ・クリエイター”を探るべく、潜入捜査を行っていたが、偽装のための結婚がやがて本当に妻のヤン(ジェンマ・チャン)を愛するようになっていき、二人の間に子どもも出来た。任務と愛の間に挟まれつつ人型のAI達とも友人関係を保っていたが、ジョシュアの報告前に人類側の攻撃が始まり、その中でヤンも死亡してしまう。それから数年が経過し、ジョシュアはAI関係の作戦にかかわらないようにしていたのだが、死んだはずのマヤが現れたと報告され、それを確かめるために新たな部隊に組み込まれる。AIの真相よりもマヤを探すために部隊に配属されたジョシュアだが、彼がそこで見たものは、幼い子どもの姿をしたAIアルフィーだった。

 『GODZILLA ゴジラ』『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』と、日本でも人気の高いギャレス・エドワーズ監督の最新作は予想通りのSF作品だった。ハリウッド作品にしては低予算でも充分な演出作品だと聞いていたので、それなりに楽しみにしていた。
 その出来は、前評判通り。大変見応えがあって、物語上内容も盛りだくさん。歯ごたえ充分な作品に仕上がっていた。大作感のあるSF作品と言って良い。
 ただ、その大作感が本作の足を引っ張った感はある。
 そもそも一本の映画にするにしてはストーリーが長すぎる。場所の転換もいくつもあるし、主人公のジョシュアがやってることも大変多いのだが、メリハリが少ない。場所が変わっても人が変わらないので、同じ事の繰り返しになってる。長すぎて間延びしてる感が強い。
 概ねこの短所を考えると、元々本作はテレビシリーズとして企画されたのではないかと思うほど。実際本作の内容をしっかり作れば五時間を越えてもおかしくない。それだけの内容を二時間半程度に収めてるので、無理矢理押し込めた感もある。
 概ね、スターウォーズの要素を抜いた『ローグ・ワン』と言ったところだろうか。これがエドワーズ監督の特徴なのかな?
 物語的に言えば、適切なアクションシーンと奥深いストーリー展開はあるものの、設定的には深みに達することはなかった。本作の作りであれば、AI人間のアイデンティティを深める形に持っていくべきだった思うのだが、表面をなぞっただけになってしまったし、AIと人類の違いは何かという方向にも持って行けなかった。結局深い設定の表層をなぞるアクション映画になっていた。重い内容を扱っていながら話が軽すぎる。
 AI人間が普通の人間と敢えて形を変えた理由も不明。完全に人間と同じにしなかった理由が分からないのでモヤモヤする。
 こう言っては何だが、エドワーズ監督は深く考察する作風は似合わないという事を再認識するためだけの作品と言った感じ。
 悪いわけではないが、踏み込むべき所を踏み込めなかったというか。『ブレードランナー 2049』(2017)の領域を越えて欲しいという願いは叶わなかった。
製作年 2023
製作会社
ジャンル
売り上げ
原作
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歴史地域
関連
キーワード
ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー 2016
2016米アカデミー視覚効果賞、音響賞
2016英アカデミーメイクアップ&ヘアー賞、特殊視覚効果賞
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キャスリーン・ケネディ
アリソン・シェアマー
サイモン・エマニュエル
ジョン・ノール
ジェイソン・マクガトリン(製)
クリス・ワイツ
トニー・ギルロイ(脚)
フェリシティ・ジョーンズ
ディエゴ・ルナ
ベン・メンデルソーン
ドニー・イェン
マッツ・ミケルセン
アラン・テュディック
チアン・ウェン
リズ・アーメッド
フォレスト・ウィテカー
ジェームズ・アール・ジョーンズ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
シリーズ外伝
特撮事典
 銀河を席巻中の帝国は、逆らう惑星を一気に破壊出来る兵器デス・スターの建造を急いでいた。その担当となっているオーソン・クレニックはために天才エンジニアのゲイレン・アーソを無理矢理拉致して働かせる。ゲイレンの妻は殺され、幼い娘ジン(ジョーンズ)だけを知り合いのソウ・ゲレラに託して逃すことには成功した。それから時が経過し、デス・スターの完成が間近になった時、ゲイレンはデス・スターにトラップを仕掛け、その情報をパイロットのボーディーに託す。だがボーディは過激派であるソウ・ゲレラに囚われてしまった。そのことを知った共和軍はゲレラの知り合いのジンに助けを願うのだが…
 2016年はなんと二つのSWが公開された。一つはスター・ウォーズ・サーガの正統的続編であるEP7『スター・ウォーズ フォースの覚醒』である。この作品自体もかなり評価は高いし物語も決して悪くは無いが、それでも敢えて言えば
「無難な出来」であった(私は「魂を置き忘れた作品」と書いた)
 それで年の瀬になってもう一作のスター・ウォーズである本作が登場したが、さてこれはどうなのか。
 敢えて言うなら、
『フォースの覚醒』で置き忘れた魂を取り戻した作品」とでも言えば良いか。
 まさにここには確かな“想い”という奴が詰まってる。本当に
「俺はスター・ウォーズが大好きなんだ!」という魂の叫びがダイレクトに伝わってくるし、EP4につなげる最も感動的な物語とは何かを考え抜いて作られている。
 そもそもEP4は絶望的な状況から始まった。既に帝国のデス・スターは完成目前。対抗する共和軍はリーダーがおらずに足並みが揃わず、精神的な中心となっていたレイア姫も帝国に捕らわれてしまった。最早帝国に蹂躙される以外の道はなかったかと思われた状況である。
 ただ、その中で唯一の希望があるとすれば、帝国が建造中のデス・スターには致命的な欠陥があるというだけ。
 その状況の中、その唯一の希望について描ききったのがこの作品となる。爆弾の一撃で破壊できると言う、デス・スターの隠された一箇所を探し当てることだけが本作の目的となる。

 ただそうは言っても、本作の前半は結構退屈。ありがちな物語を淡々とこなしていると言った雰囲気に過ぎない。せいぜい見所で言うならば、ドニー・イェン演じる坊さんチアルートの体術が見事なことくらい。そもそもテーマが決まってる以上、そこから大きく逸脱は出来ないし、どうせ収まるところに収まって終わりだろうとか思っていた。恥ずかしながら、完全に舐めきってた。
 その雰囲気が変わってきたのがジンが自分達をローグ・ワン
(ならず者軍団)と称し、惑星スカリフへの特攻を決意した辺りから。それまで度々チアルートが語ってきた“フォース”の存在が、全員の希望へと変わり、そのために戦おうとしている。この時点でローグ・ワンの面々は生き残ろうとかそういうことを考えておらず、死に場所を求めるようなところがあるが、その辺の特攻シーンは、ヤマト世代にとってはたまらない心地よさとなる。
 ここでの台詞
「May the FORCE be with us」の台詞はとにかく痺れる。ここはやっぱり日本語の「フォースと共にあらんことを」ではなく、原文で読みたいところだ。彼ら一般兵士にフォースはない。だが、フォースを希望として、全員で戦おうという決意が泣ける。
 
以降それまでの演出のかったるさはどこいったやら。怒濤の展開が待つ。
 これは本当に凄い。何せ共和国側の誰も生きて帰ろうと思ってないわけだから、絶望的な状況の中、一角一角削られ、死んでいくシーンまでもが格好良く見えてしまう。ロボットのK-2SOが破壊される時まで本当に格好良く見える(と言うか一番泣けた)。
 最終的に誰一人生き残らなかったのは意外ではあるものの、これだけの犠牲を払ったからこそ、デス・スターの破壊は悲願であることが伝わってくる。お陰で後半は興奮しっぱなしである。
こう言うのをこそ観たかった!と思わせてくれる、大変嬉しい作品だった。

 あと細かいところにも色々配慮がされている。本作はEP4の直前ということもあって、ストーム・トゥルーパーやダース・ベイダーのマスクはEP4になるだけ近づけようとしている。以降の作品で少しずつデザインが変化し、洗練されていったものだが、最も野暮なデザインそのものが出てくるので、逆にそれが新鮮に思える。一番はダース・ベイダーだろう。ここに出てくるダース・ベイダーは決して動きが良くない。老人のようなゆったりした動きなのだが、そんなベイダーの前に何者も立っていられないという極端な強さ。そうそう。これがダース・ベイダーの存在感だったんだよ。と再認識させられる。

 もう一つ。本作の素晴らしいところを挙げさせていただこう。
 それは、一作目である『スター・ウォーズ』(1977)には現在「新たなる希望」という副題が付いているのだが、直撃世代にとっては、それが余計な副題としか思えなかった。本音で「EP4は『スター・ウォーズ』一言で良いじゃん」とずっと思っていたのだが、このローグ・ワンの存在によって、やっとその「新たなる希望」という文字に意味を見いだしたと言う事。後付ではあるものの、その直前にフォースを希望としている人達のこれだけの犠牲があってこそ、「希望」という言葉を出すことが出来るのだから。
スター・ウォーズ キャラクター事典 完全保存版(書籍)
タイトル
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物語 人物 演出 設定 思い入れ
製作年 2016
製作会社
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原作
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著者名 (検索) <A> <楽>
歴史地域
関連
キーワード
GODZILLA ゴジラ
2014日本アカデミー外国作品賞
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トーマス・タル
ジョン・ジャシュニ
メアリー・ペアレント
ブライアン・ロジャーズ
パトリシア・ウィッチャー
アレックス・ガルシア
坂野義光
奥平謙二(製)
マックス・ボレンスタイン(脚)
アーロン・テイラー=ジョンソン
渡辺謙
エリザベス・オルセン
ジュリエット・ビノシュ
サリー・ホーキンス
CJ・アダムズ
カーソン・ボルデ
デヴィッド・ストラザーン
ブライアン・クランストン
リチャード・T・ジョーンズ
ヴィクター・ラサック
アル・サピエンザ
ケン・ヤマムラ
ヒロ・カナガワ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1999年に日本で原発事故が起こった。現場監督であり、その事故で技術者である妻を失ったジョー・ブロディ(クランストン)は、これが単なる地震や事故ではないと確信し、日本に残り独自の調査をしていた。そして15年後、ジョーの息子でアメリカ海軍の爆弾処理部隊員となったフォード(テイラー=ジョンソン)は、日本で警察に捕まった父ジョーを引き取るため、日本にやってくる。だが、父の熱意にほだされ、真相を確かめるべくフォードとジョーは立ち入り禁止区域へと向う。そこはジョーの言った通り一切放射能は検知されず、更に巨大な胎動のような振動があることが分かる。そして何者かによって逮捕されてしまった二人は、廃墟の中にある研究施設に収監されてしまうのだが…
 この作品では、それこそ色々と言いたいところが山ほどある。それは(いつものような)文句ではなく私自身の思い入れが強すぎるということ。こればかりは怪獣映画好きとしての性のようなものだ。
 『ゴジラ』(1954)がハリウッドリメイクされる。そう聞いて嫌な予感を持たなかった特撮ファンはいないだろう。なんせ過去悪しき前例がある。かつてエメリッヒが作り上げた『GODZILLA ゴジラ』(1998)は、ゴジラではなくでっかいトカゲが暴れるだけの作品になってしまったから。そういうものだったと考えて観れば、それなりに観られる作品ではあったが、ゴジラに対する思い入れが一切ないあの作りでは、ストレスがたまるだけだ。
 だが、徐々に明らかになっていく続報で、この監督、ちゃんとゴジラのこと分かってるということも分かって、だいぶ期待度も上がったし、先行して公開されたアメリカでの評判も上々。とあれば、期待度満点で拝見。

 さて、それでこの作品の出来はどうだっただろう?

 確かに、普通の(?)怪獣映画として観る分には、細かいところで色々言いたくもなる。
 まず、復帰第一作目だから、ゴジラを単独で出してほしかったというのがどうしてもある。
 そして本作でのゴジラは破壊神ではない。
 予告では散々ゴジラを破壊王とか煽っていたし、冒頭の演出もゴジラは危険な怪獣であることを散々煽っておいて、すごく期待させておいて、最初に出てきたのが別な怪獣だった時の驚きというか、がっかり感がどうにも。物語上、ミスリードを誘うやり方はテクニックとしては良いんだが、「いよいよゴジラが出るぞ!」と思った瞬間に節足が見えてしまった時のコレジャナイ感は半端ない。
 そして現れたムートーを倒すべく現れたゴジラに、胸は熱くなるのだが、「これって怪獣プロレスになるの?」と思ってしまうとテンションは下がっていく。人類を蹴散らすゴジラを観たかったのに、これでは人類を守るゴジラになってしまう。そしてその通りの展開が待っていた。
 結果として金門海峡でのM1戦車による砲撃以外で人類とゴジラは戦うことはなく(と言っても、あれは一方的にアメリカ陸軍が砲撃を仕掛け、それで全くダメージはなかった訳だし、このシーンはゴジラの強さを示すためには無くてはならないシーンには違いないが)、あとはムートーとの戦いに終始することになる。
 この展開、例えば二作目以降にやってくれた方が良かったんじゃないかな?一作目はやっぱりゴジラの強さを示すだけにして…というモヤモヤ感は確かにある。
 それに主人公のフォードがいるところに何故かムートーが必ずやってくることも、なんだか変。後付でも良いから、その理由が欲しかった(父の敵討ち以外にもう一つムートーに立ち向かう理由付けがあったら説得力は増すんじゃないか?)。渡辺謙演じる芹沢博士が一体何をしようとしていたのかもよく分からないとか、ハワイ部分での描写がお座なりになってるとか、細かいところは本当に色々ツッコミ入れたい。

 と、怪獣映画として観る分には、ちょっと疑問点も多いし、決して手放しで褒められる作品ではない。

 だがしかし。本作はゴジラ映画としては、これ以上ない良作でもある。

 怪獣、特にゴジラのファンとして言えることは、自分たちが「これがゴジラだ」と思えるものを出してくれた時点で、本作は既に成功していると言うこと。

 これは間違いなくゴジラ映画だ。これだけきちんとゴジラのことをわかった上でこんな作品が出来たことは喜ぶべきなんだろう。実際観ている間はとても楽しめたし、観終えて改めて考えるに、内容的にも十分納得がいく。日本で作られたものではないにせよ、ゴジラを観たい!と言う気持ちを満足させてくれたというその一点に於いて、本作はれっきとしたゴジラ映画として認められる。

 物語を俯瞰してみると、本作はゴジラでなければならない必然性はそんなに高くない。仮にガメラであってもモスラであってもあるいは新怪獣を出したとしても本作の物語は成り立つ。だが、ゴジラという存在を出すだけで説得力が全く違ってくるのだ。本作はタイトル通り、ゴジラを中心にしてくれたからこそ、この出来に満足出来たし、ファンとして嬉しい思いをさせてくれたのだ。

 では、ファンが認めるゴジラとは何だろうか?
 唯一の答えは、ゴジラとは絶対的存在というところ。どうしようもできない圧倒的存在感が地上をのっしのっしと闊歩する光景が見たいのだ。他の怪獣ではそれは不可能。なんせこれまで蓄積されてきた歴史と、それを求めるファンの思いがあまりに大きすぎる。ゴジラという名前だけでそのような姿を思い浮かべるのだから。単に大きなだけの怪獣で、人類がなんとかしたら死ぬような存在ではなく、まさしく圧倒的な存在であること。まさしく"GOD"ZILLAでなければならない。
 実はそこでゴジラの全ては終わってる。その前提条件がしっかりしてさえいれば、ファンは基本それをゴジラとして認めるし、そこからどんな物語が展開しても受け入れることが出来る。

 かつてのエメリッヒ版ゴジラの大きな間違いは、この前提条件を完全に無視したところにあった。ゴジラを単なる大きな怪物にしてしまい、その存在を卑小化して、人間が太刀打ちできる存在に落とした。そこがファンには全く受け入れられなかったのだ。つまり、ゴジラがゴジラとして存在する最も重要な部分を無視されてしまったがために怒りを覚えたと言うことだ。
 対してこのゴジラは、その最も大切な部分を決してないがしろにはしない。ゴジラの強さと存在感を描写することに演出の多くを割いてくれた。それだけで充分満足。結果としてゴジラという存在感を見せつけてくれたことにファンは喝采したのだ。物語や設定に色々文句があっても、一番観たかったゴジラの姿が観られただけで全てを許すことが出来る。

 ゴジラの存在感という点に関しては、日本で作られたものについても色々と問題があった。
 最初のゴジラの姿は圧倒的だったが、シリーズ化され、話が次々作られるに至り、どんどん人間の方へと媚びるようになっていった。原子力と同じで、使い方によっては危険だが、頼もしい味方になるとか人間側に言わせたり、シェーをさせてみたり、日本を蹂躙せんとする怪獣を倒すためだけに現れたり…どれもがゴジラを人間にとって親しみやすい存在へとシフトさせようとしていった。
 その後、いわゆる平成ゴジラの時代になると、ゴジラは町を踏みつぶす存在ではなく都会の巨大ビルに埋もれるような小ささになっていき、更に人類の作り出した兵器がそれなりにゴジラに通用するようになっていった。平成シリーズは徹底してゴジラを悪役として描いたところは評価出来るのだが、圧倒的な存在感をどんどん薄れさせ、ゴジラを小さくさせてしまう。だからエメリッヒ版を馬鹿に出来る立場でもない。
 それはとりもなおさずゴジラという存在は、核兵器の恐ろしさを示す象徴が、人類の手によってコントロールされる“原子力”という名前に押し込められてしまった過程でもある。

 本作の特出すべき点はここから二点挙げられる。
 まず一点として、ゴジラ(及びムートーもそうだが)の巨大感にこだわったこと。確かに現代はゴジラを超える大きさの建物も多いが、建物よりも怪獣と人間との対比にこだわったため、その巨大感、圧倒的存在感は全く減じられていない。下手に建物との対比を増やしてしまうと、単なる大きなだけの生物になってしまうが、それを可能な限り抑え、人間と怪獣、怪獣同士の対比にこだわることで巨大感を演出することに成功した。怪獣映画の醍醐味は巨大感にこそある。改めてその事を示してくれた。

 本作の褒めるべきもう一点は、原子力の呪縛からゴジラを解放したところにもある。冒頭部から、やはりその設定を引きずっていると思わせておいて、原子力を必要としていたのはムートーの方であり、ゴジラはそんなムートーと対立することで地球の代弁者となった。こうなってしまうと人類によるコントロールは不可能な領域となる。これによって、ゴジラを特別な存在として描写することが出来たのだ。この部分が逆にガメラやモスラに似てしまったという問題が出てしまったものの、本当の意味で新生ゴジラの姿が観られたのは素晴らしい。ゴジラは確かに人類にとってアンタッチャブルな存在になれたのだから。
 これは私自身の妄想の域ではあるが、本作におけるムートーとは、これまで描かれたゴジラそのものを示すアレゴリーであり、それを倒す(乗り越える)ことによって、ゴジラが新生したと考えることも出来よう。

 仮に本作がシリーズ化されていくならば(というか決まってるんだが)、この部分を損なうことなく、続編が作られることを期待したい。

 そして声を大にして言えることだが、まごうことなく、これはゴジラ映画である。この事実だけで充分な作品だ。
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歴史地域
関連 特撮事典
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
モンスターズ 地球外生命体 2010
2010英アカデミー新人賞(エドワーズ)
2010ナショナル・ボード・オブ・レビュートップ10インディーズ作品

2010エンパイア映画界の新星監督(エドワーズ)
2010
スティーヴン・キングベスト第8位
2011HIHOはくさい映画賞第5位

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アラン・ニブロ
ジェームズ・リチャードソン
ナイジェル・ウィリアムズ
ニック・ラヴ
ルパート・プレストン(製)
ギャレス・エドワーズ(脚)
スクート・マクネイリー
ホイットニー・エイブル
★★★
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