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フランク・ダラボン
Frank Darabont

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鑑賞本数 4 合計点 17.5 平均点 4.38
allcinema ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
_(書籍)
2008
2007 ミスト 監督・製作・脚本
デンジャラス・デイズ/メイキング・オブ・ブレードランナー 出演
ザ・シールド ルール無用の警察バッジ(6th)<TV> 監督
2006
2005
2004 コラテラル 製作
2003
2002 THE SALTON SEA ソルトン・シー 製作
2001 マジェスティック 監督・製作
2000
1999 グリーンマイル 監督・脚本
1998 ブラック・ラン 製作・脚本
プライベート・ライアン 脚本
ヴァンパイア/最期の聖戦 出演
1997
1996
1995
1994 ショーシャンクの空に 監督・脚本
フランケンシュタイン 脚本
1993
1992 インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険 6 オーストリア編/英領東アフリカ編 脚本
インディ・ジョーンズ/若き日の大冒険 4 ドイツ領東アフリカ編/コンゴ編 脚本
1991
1990
1989 悪女の構図 監督
1988 ブロブ 宇宙からの不明物体 脚本
ザ・フライ2/二世誕生 脚本
1987 エルム街の悪夢3/惨劇の館 脚本
1986
1985
1984
1983 スティーブン・キングの ナイトシフト・コレクション 監督
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963
1962
1961
1960
1959 1'28 モンベリアルで誕生

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ミスト 2007
2008サターン助演女優賞(ハーデン)、ホラー作品賞

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フランク・ダラボン(脚)
トーマス・ジェーン
マーシャ・ゲイ・ハーデン
ローリー・ホールデン
アンドレ・ブラウアー
トビー・ジョーンズ
ウィリアム・サドラー
ジェフリー・デマン
フランシス・スターンハーゲン
アレクサ・ダヴァロス
ネイサン・ギャンブル
クリス・オーウェン
サム・ウィットワー
ロバート・トレヴァイラー
デヴィッド・ジェンセン
ケリー・コリンズ・リンツ
★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
スケルトン・クルー〈1〉骸骨乗組員(書籍)
戦闘妖精・雪風
 田舎町を激しい嵐が襲った。翌日映画のポスター作家デヴィッド(ジェーン)はいくつもの懸案事項を目の前にする。家の前の立木が家に向かって倒れ、窓硝子が割れて描きかけのポスターが駄目になってしまったこと。同様に隣に住むNYの弁護士のブレント(ブラウアー)の立木がボート小屋を破壊してしまったこと。しかも湖の向こう側からは得体の知れぬ霧が立ちこめている。色々不安を抱えつつ、買い出しのために息子のビリー(ギャンブル)とブレントと共に地元のスーパーマーケットにいくことにした。だが湖に発生した霧はなんと町を覆い尽くし、しかも霧の中から得体の知れぬ触手が人間を捕まえ始める…
 ホラー作家として知られるスティーヴン=キングの初期短編の映画化作。「スケルトン・クルー」という短編集に収められた本作「霧」は実は私の大のお気に入り。物語はシンプルながら、閉じこめられた人間の心の動きの描写がホントに見事で、「これは絶対に映画になる」と思いこんでいたものだが、あれからもう20年。なんでこれが出てこないんだろう?と常々思ってた。
 それがようやく映画化。しかも
『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』のダラボン監督とあっては、是非劇場で。と思い拝見。実は物語に没入してしまってホラー作品人一倍衝撃を受けてしまうため、は劇場ではあんまり観たくないのが本音なのだが。
 出来はやはり素晴らしい。単なるB級SFにならないように細心の注意を払い、徹底して人の描写を中心とした結果だろう。お陰でショックシーンもさほど多用されず
(これがとにかく苦手なので)、雰囲気で恐ろしさを伝えていき、何より怖いのは怪物とかではなく、人間こそがいちばん恐ろしいと言うことをしっかり伝えてくれている。原作の持ち味をしっかり保ちつつ、映画ならではの心理描写にしっかり持って行っているのは流石。原作は原作で良いのだが、映像化されると、又違った良さを感じることが出来る。どこかで本作を「原作を越えた作品」と称していた人がいたが、少なくとも描写においては、それに頷ける。特にキング原作のホラー作品でまともなのがほとんど無い現状では、本作の位置づけはとても高い。
 特に重要なのは、外からの攻撃に対し、人間が全く敵わないという状況。この事実はやがて人間同士の不信感へと転換していき、手にした武器も外敵ではなく、仲間同士に対して用いられていく。この過程が本当に怖い。しかも主人公は理性を持って行動しているつもりだが、果たしてそれが本当に正しかったのかどうか。実はそれさえも劇中には提示されない。これらは原作の持ち味にあったものだが、映画にすると更に明確化される。正しい行いが何であるのか、全く提示されないまま物語は終わってしまうのだ。この描写は実に素晴らしい。
 後、細かいところだが、主人公のデヴィッドはポスター作家という設定。オープニングでデヴィッドが描いていたポスターを観て思わずニヤニヤした人は多いんじゃないだろうか?左手にリボルバーを持って、背後に黒いドアを背負って立つカウボーイ。その足下にはバラの花。いつかディメンション・フィルムスはこれを作ってやろうという願いだろうか?
 本当にそう言う意味では高評価なのだが、手放しで褒められないというか、
私には受け入れられない部分も確かに存在する。

 軽い違和感だが、オープニングでまずそれを感じた。キング作品の大半はハリウッドの準メジャーであるキャッスルロックという製作会社が作っている。ところが本作の製作会社はディメンジョン・フィルム。
古くからB級SF作品ばかりを作ってる会社で、ハリウッドの中ではかなり格下に見られる製作会社だ。なんでこんなところに作らせた?ダラボンだったらもっと良いところで作れただろうに…
 その違和感はラストで意味を持った。ラストのシーンを観てなるほど納得。これはメジャーでは到底作れない。「ラストの衝撃」とキャッチコピーで煽っていたのは
伊達ではなかった訳か。ラストシーンは観ようによっては効きすぎたブラックジョークと観ることも可能なのだが、ハリウッドでは絶対タブー視されていたこと。それを敢えてやってしまったため、メジャーでは作れなかったのだろう。少なくとも、アメリカの映画では絶対に起こらない。と無意識にすり込まれているため、あれは驚かされる。

 実はそのシーンも描写としては素晴らしいのだ。あり得ないことを起こしたことで拍手を送る人もいるだろう。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の安易なパクリにならなかっただけでも褒めて然り。

 しかし、私としては、これはちょっと受け入れがたい。
 原作は霧の中に走り出し、そこで延々と霧の中を突き進むのがラストシーンだった。これは一種の絶望なのかも知れないが、
絶望の中に一筋の希望。という雰囲気を作り出していた。だが映画では、話が全く逆になってしまい、希望の中に、主人公だけが本物の絶望に直面してしまった。あのラストだったら、主人公は自殺するしか手が残されてないじゃん。救われているのに救われない。ちょっとこれはきつい。
 原作者のキング自身がこのラストは絶賛したと言うのだが、私はどうしてもその部分が引っかかって仕方ない。多分私自身の問題で、これだけはやらせたくなかったという思いがあったからだろう。それ故良い作品であることは認めるが、美意識の問題で高評価を与えることができない。勝手な想像だが、キング自身これを考えつかなかった訳ではなく、いくつもあるラストシーンであれを選んだと言うことなのではないか。

 尚、映画版のラストシーンはそのまま神林長平の
「戦闘妖精・雪風」につながるので、興味ある方はご覧になっていただきたい。
マジェスティック 2001

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マイケル・スローン(脚)
ジム・キャリー
マーティン・ランドー
ローリー・ホールデン
アレン・ガーフィールド
アマンダ・デトマー
ボブ・バラバン
ブレント・ブリスコー
ジェフリー・デマン
ハル・ホルブルック
ロン・リフキン
デヴィッド・オグデン・スタイアーズ
ジェームズ・ホイットモア
ジェリー・ブラック
キャサリン・デント
カール・ベリー
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1951年ハリウッド。新進の脚本家ピーターは見事ハリウッドデビューも果たし幸福な時を過ごしていた。しかし、彼の新しい映画の脚本が赤狩りの標的となってしまった。そんなピーターに愛想を尽かした彼女も離れ、絶望したピーターは酩酊状態で海岸線を運転する。その後、橋の上で事故を起こして川に転落する。見知らぬ海岸に流れ着いたピーターは、偶然通りかかった老人に連れられてローソンと言う寂れた町へと連れてこられる。事故のショックで記憶をなくしていたピーターだったが、町では第二次大戦に出征し行方不明になった町の英雄ルークと間違われ、大歓迎を受けるのだった…
 ダラボン監督はこれまでスティーヴン・キング原作作品を映画化してきた。その中でも『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』の2作が代表作になるが、それはどちらもホラーではなく、極限状態における人間の力を主題に扱った作品であることが特徴。今度は舞台が前2作の刑務所の中ではなく、その一歩手前。裁判の所で止まっているのが特徴とも言える。
 この映画に関しては、
非常に政治的な主張が強いので、その点に引っかかるかどうかで評価が分かれるのではないかと思う。
 この政治的な部分を好意的に見るなら、これは「正義」を扱った映画であり、当時の赤狩りの激しい時代において、“自由”を扱った発言をさせると言うことの勇気について評価されるのだろう。
 逆に否定的に見るなら、そんな“自由”の主張を偽善に満ちたもの。と考えることもできる。今頃になって赤狩りを“悪”だと決めつけ、いかにも彼らがファシストっぽく、そしてそれに対して批判する側は正義であることを前面に出しすぎたため、それが鼻につき、それに展開がベタベタすぎ。と言う点も挙げられる。こんな上手くいったら苦労しない。

 それで私がどうだかというと、
自分でも意外なほど素直に観ることが出来た。何だかんだ言ってダボラン監督の展開の巧さには感心する。
 これは私にとっては珍しい。特にこういう
ストレートな政治的な作品は基本的には嫌いなはず。
 その理由を考えてみた。
 それで思うのだが、それはこの作品が“映画である”ことを止めていなかった事。そこにあったのではないかと思う。この映画、確かに政治的な部分を強く持ってはいるが、
決してそれが主題ではない
 主人公のピーターは
“偶然”記憶を無くし、“偶然”流れ着いた町で、“偶然”同じ顔の人間ルークに間違えられ、“偶然”そこでルークの恋人がいて、互いに好きになる。ここにリアルさは全くない。おとぎ話のようなもの。だけどそれは決して不快ではない。むしろ気分良く素直に観ることが出来るように作られていた。だってこれは“映画”なんだから、どんなことだって起こりうる。その前提条件を監督が上手く使ったためだ。
 それで、そんな荒唐無稽な夢の中に主人公のピーターと観客をたたき込んだ後、急に超リアルな現実を配置する。身体こそ、その場にに引き戻されたピーターだが、
彼も、観客も頭の中ではまだ夢が続いている
 監督の狙いはそこにあったんじゃないかな?別段赤狩りを否定してるとか、共産主義とかじゃなくて、単純に、
“格好良く正義を示すためのお膳立て”としてこの舞台を考えたんじゃないか?
 ピーターは夢の中にいるからこそ、“男の中の男”ルークを演じることが出来たし、観客である私達も夢の中にいるからこそ、彼のその行為を讃えることが出来る。
 私がこの映画を素直に観られたと言うのは、そこにあるのではないかと思いついた。
 これは、映画なんだ。
「映画館には魔法がある」…いみじくもルークの父親はそう言った。映画館に踏み入れた観客は、魔法にかかることを心地よいと思って入る。当然魔法にかけられる側に立ってるのだから、「俺は魔法になんかかからないぞ」と構えるより、ぱっと騙される方が幸せだ。少なくとも、その魔法は私には有効だったぞ。
グリーンマイル 1999
1999米アカデミー作品賞、助演男優賞(クラーク・ダンカン)、脚色賞(ダラボン)、音響賞
1999ゴールデン・グローブ助演男優賞(ダンカン)
1999放送映画批評家協会助演男優賞(ダンカン)、脚色賞、作品賞
2000MTVムービー・アワードブレイクスルー演技賞(ダンカン)
2000日本アカデミー外国作品賞

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フランク・ダラボン(脚)
トム・ハンクス
デヴィッド・モース
ボニー・ハント
マイケル・クラーク・ダンカン
ジェームズ・クロムウェル
マイケル・ジェッター
グレアム・グリーン
ダグ・ハッチソン
サム・ロックウェル
バリー・ペッパー
ジェフリー・デマン
パトリシア・クラークソン
ハリー・ディーン・スタントン
ウィリアム・サドラー
ゲイリー・シニーズ
ポーラ・マルコムソン
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
グリーンマイル(書籍)
 1935年の大恐慌時代のジョージア州にあるコールド・マウンテン刑務所の死刑囚舎房で看守を務めていたポールのもとに、少女2人をレイプし殺害した罪により投獄された、巨体の黒人死刑囚コフィーが送られてくる。しかし、コフィーは見た目と容疑にも関わらず非常に物静かな男だった。不思議な癒しの力を使うコフィーに、ポールらは彼の無実を確信するのだが…
 スティーヴン=キングは私の愛読書。勿論この作品もちゃんと読んでいる。あの時は本国に合わせ、一月ごとの発刊で6巻本だったのだが、読み始めたら止まらなくなることを見越し、6巻全部出た時点で一括購入。殆ど一日で全巻読み切った
(これ程充実した読書時間を与えてくれる作家はこの人くらいだ)。そしてその出来も凄かった。現代と過去とが交錯し、伏線張りまくりの意外な展開に、一冊読み終わった直後に次の巻を手にしていた位。
 その映画化。しかも
『ショーシャンクの空に』(1994)のダラボン監督作品というので、もの凄く期待して観に行った。
 さすがに6巻分を全て収録することは不可能で、ほとんど過去編のみの話に終始し、展開も速すぎる点はネックだったが、それでも私的には充分な作品に仕上がっていた。特に過去編のラスト・シーンは分かっていたとは言え泣けた。3時間の長丁場であったにも関わらず、全くだれなかった。
 これは観た当時の心理状態もかなり影響しているものと思われる。
当時、シャレにならない忙しさと人間関係の悪化で、かなりへこんでいた時期だったし。そう言う時にこういう作品を見せられるとな〜。冷静にもう一度観てみる必要はありそうだ。
 結局この作品の善し悪しはハンクスとクラーク・ダンカンの演技力によるものだろう。それと、私にとっては本作で初めてその存在を意識したディヴィッド=モース
も良かった。ところでロックウェルは、確かX-FILESでモンスター役で出てなかったか?
ショーシャンクの空に 1994
1994米アカデミー作品賞、主演男優賞(フリーマン)、脚色賞、撮影賞、作曲賞、編集賞、録音賞
1994ゴールデン・グローブ男優賞(フリーマン)、脚本賞
1995日本アカデミー外国作品賞
1995キネマ旬報外国映画第1位
1995毎日映画コンクール外国映画ベストワン賞
1995報知映画外国作品賞

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フランク・ダラボン(脚)
ティム・ロビンス
モーガン・フリーマン
ウィリアム・サドラー
ボブ・ガントン
ジェームズ・ホイットモア
クランシー・ブラウン
ギル・ベローズ
マーク・ロルストン
ジェフリー・デマン
ラリー・ブランデンバーグ
ニール・ジュントーリ
ブライアン・リビー
デヴィッド・プローヴァル
ジョセフ・ラグノ
ジュード・チコレッラ
ポール・マクレーン
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 1947年。かつて銀行の副頭取であったアンディ・デュフレーン(ロビンス)が妻と間男を殺した罪でショーシャンク刑務所に収監された。無実の罪であることを事ある毎に訴えるが、それは受け入れられることはなく、やがてアンディは刑務所の生活に慣れていく。やがて持ち前の銀行員としての技術がノートン所長(ガントン)の目に留まり、刑務所の中から彼の資産運用を任されるようになるのだった。一方、仲良しの“調達屋”レッド(フリーマン)のためにも所長と取引をして、徐々に囚人の待遇を改善していく。そんなアンディの趣味は鉱物採集で、レッドには度々ロックハンマーを注文していたのだが…
 ホラー作家で知られるスティーヴン=キングの非ホラー中編
「塀の中のリタ・ヘイワース」を完全映画化(本作は「恐怖の四季」の春編で、夏編が「ゴールデンボーイ」、秋編が『スタンド・バイ・ミー』となっている)。これを、これまでホラー映画の脚本家として知られるフランク=ダラボンが映画化したものだが、それまでのダラボンの脚本と言えば、B級や人気ホラーのシリーズの一本という作品ばかりで、全然期待もしてなかったのは確か。これもひょっとしてホラー仕立てになるんじゃないか?とか思いながら、それでもキングファンとしては、やはり外せずに劇場まで観に行ったものだが(事実、映画の時はあんまり話題にもならなかった)
 いや、これは思い切り騙された。はずれが多いというキング原作作品をここまで忠実に、しかも見事に映画化できるとは。はっきり言って驚いた。ダラボン監督の実力はたいしたもの。
 この作品の巧さは一本の筋書きとしてではなく、小さなエピソードが重なっていく内に話の流れが出来ていというもの。事実、本作は盛り上がる部分が大変少ない。だけどこれを観ることで、キングの志向していることもそれなんだろうと思わされたこと。キング小説の面白さは、しつこいほどの日常描写を物語に絡めていく内に、徐々にその日常性から切り離された世界へと入っていくと言うことであり、
ミニエピソードの繰り返しこそがその醍醐味とも言える。
 このミニエピソードこそが、本作においては刑務所の非人間性と、それによって押しつぶされ、現実に対処できなくなってしまう人間を作り出している。その中でたった一人、20年もの間特異性を持ち続けることが出来たアンディの意志の強さを見せることが出来たのだ。それを常識人であり、心まで刑務所に囚われてしまったレッドの目で見せることが本作の素晴らしさを出している。彼が何故人間性を失わなかったのか。それが希望であった。と言うことが伝わってくるよう。
 だから本作はまるで
『ドン・キ・ホーテ』のように視聴者を代弁する常識人の目があってこその作品だったわけだ。そう言う意味では本作の主役はやっぱりティム=ロビンスではなくモーガン=フリーマンにこそ与えたいと思う。

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