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米林宏昌

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
著作
スタジオジブリ絵コンテ全集17 借りぐらしのアリエッティ

_(書籍)
2018 ちいさな英雄―カニとタマゴと透明人間― 共同監督
2016
2015
2014 思い出のマーニー 監督・脚本
2013
2012
2011
2010 借りぐらしのアリエッティ 監督
2009
2008 崖の上のポニョ 原画
2007 イバラード時間 原画
2006 水グモもんもん 原画
やどさがし 原画
ゲド戦記 作画監督補
2005
2004 ハウルの動く城 原画
2003
2002 空想の空とぶ機械達 作画監督
めいとこねこバス アニメーション演出
ギブリーズ episode 2 原画
コロの大さんぽ 原画
2001 千と千尋の神隠し 動画
2000
1999 ホーホケキョ となりの山田くん 動画
人狼 JIN-ROH 動画
1998
serial experiments lain
<A> <楽> 動画
1997 もののけ姫 動画
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973 7'10 石川県で誕生

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ちいさな英雄―カニとタマゴと透明人間― 2018
<A> <楽>
西村義明(製)
米林宏昌
百瀬義行
山下明彦(脚)
鈴木梨央
尾野真千子
篠原湊大
坂口健太郎
オダギリジョー
田中泯
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 「カニーニとカニーノ」米林宏昌監督カニの兄妹カニーニとカニーノは、狩りに出かけたお父さんを迎えに行ったのだが、二人の前でお父さんは大きな魚に襲われてしまう。
 「サムライエッグ」百瀬義行監督卵アレルギーのシュンを守るお母さんは悪戦苦闘。成長しようとするシュンの思いは…
 「透明人間」山下明彦監督誰にも見られることがない上に、放っておくと上空に引きずられてしまう透明人間が、自分の存在意義を見つけようとする。

 スタジオジブリから独立した米林監督がスタジオ・ポノックという映画会社を設立してから早二年。これまでに
『メアリと魔女の花』を監督自身が作ったが、次に作ったのは米林宏昌百瀬義行山下明彦三人の監督によるオムニバス映画だった。
 タイトル通り「小さな英雄」というテーマに沿って20分弱の作品を競作してみたというのが骨子。
 三本の作品はそれぞれ味はあるが、出来に差がある。
 一本一本をそれぞれ考えてみよう。
 「カニーニとカニーノ」は宮沢賢治の「やまなし」をモティーフにしたのか、カニの兄妹の話だが、肝心な作品自体の出来は微妙。川の中でゆらゆら揺れる中での冒険となって演出は良かったけど、これと言って盛り上がる訳でなく、声の演技も硬い。概ね嘘くさいだけ。
 「サムライエッグ」娯楽作品として作ったとすればちょっとこれも微妙。だけどアレルギーに関する啓蒙作品として見るとこれは充分すぎる出来。小学校あたりで全校生徒に見せておくべき作品だろう。
 「透明人間」この三作の中では一番出来が良かった。演出実験のような感じだが、そのチャレンジ精神は買うし、寄る辺なき空気のような存在の人間が、どう生きていくかを真剣に考えるストーリーも良い。尺が短すぎるため、話は全く深まらないのが難点だが、その分謎めいたところを考えてみるのが楽しい。

 全体を見てみると、演出部分は概ね上手く作られた作品ではある。だけど、一本の映画としては少々物足りない感じ。繰り返し子どもに見せるには良い感じか?
思い出のマーニー 2014
2014日本アカデミーアニメーション作品賞
2015米アカデミー長編アニメ賞

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鈴木敏夫
西村義明(製)
丹羽圭子
安藤雅司
米林宏昌(脚)
高月彩良
有村架純
松嶋菜々子
寺島進
根岸季衣
森山良子
吉行和子
黒木瞳
杉咲花
森崎博之
安田顕
戸次重幸
大泉洋
音尾琢真
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
思い出のマーニー(書籍)ジョーン・G・ロビンソン
 喘息の発作があり、絵を描くこと以外無気力になってしまった中学生佐々木杏奈(高月彩良)。そんな彼女を心配した母頼子は、夏休みの間杏奈を道内の田舎町へと療養に送り出す。おおらかな親戚の大岩家に越したものの、ここでも馴染めずにいた杏奈は、ある日湖畔にある洋館に少女がいることを目撃する。マーニーという彼女とすぐに仲良くなるのだが、マーニーにはなにか秘密があるようで…
 ジブリの米林監督による『借りぐらしのアリエッティ』に次ぐ監督作品で、これも海外児童文学を現代日本に翻案して作り上げた童話的ファンタジー。

 世界的に名の売れたジブリだが、その最大の功労者は、『となりのトトロ』(1988)にほかならないだろう。日本の一地方を描いただけの作品とはいえ、世界的な映像文学となったのは、もちろん宮崎駿という希代の監督あってのことだが、これが徹底して児童向けに作られた作品であることが一番の強味だった。優れた児童文学は大人が鑑賞するにも十分耐え、幅広い顧客を得ることが出来るのだから。
 世界的なトトロのヒットの原因は、それこそ山ほど挙げられるだろうが、そんななかで、これも原因と思われるものを一つだけ挙げてみたい。
 それは“イマジナリーフレンド”というやつ。これはつまり、想像上の友達という存在。
 日本でもこどもにしか見えないキャラというのは座敷童など童話や民話でいくつか言及されているが、海外ではこれはこどもの発達段階で必要な存在として結構研究もされている。それが顕著なのが児童文学。海外ものの童話では結構な確率でイマジナリーフレンドが登場している。有名なところでは
「赤毛のアン」なんかは、アンは常にイマジナリーフレンドを侍らせ、時に現実の人間にその役割を担わせているし、広義では「あしながおじさん」なんかも一種のイマジナリーフレンドとして考えることができよう。映画でもこどもが想像の翼をひろげてイマジナリーフレンドを呼び出すシーンはいくつもの映画で観ることが出来る。
 海外では結構メジャーな存在だが、日本では直接的にイマジナリーフレンドを扱った作品はあまり多くない。強いて言えば魔法少女もので、主人公に魔法を与えてくれるマスコットのような存在とかくらいか?
(実は「ドラえもん」という最強のイマジナリーフレンドが日本には存在するから、それで直接的なジャンルは発展しないのではないか?と友人と話したことがあるのだが)
 だが、そのイマジナリーフレンドを直接扱うことができれば、世界的なメジャーとなることも出来る。それを示してみせたのが『となりのトトロ』だったのではないだろうか。あまりにストレートなので、「こんなジャンルがあったのか」という驚きで受け入れられ、更に海外ではなじみ深い作品としてあっさり受け入れられてしまった。
 つまり『となりのトトロ』とは、これまで日本では誰も作ってこなかったジャンルの作品だったということになる。そして何故かそれを狙って作られた作品って、他にあんまりない。いくつかはあっても、やっぱり捻りが入っているので、ストレートに「これ」というのが言いがたいものばかりだ(近年では『ももへの手紙』(2012)が一応それに入るか)。

 そしてジブリの新しい監督として台頭した米林監督だが、敢えてこのジャンルに挑もうとしているかのよう。『アリエッティ』に関して言えば、アリエッティではなく翔少年の方に視点を合わせれば、アリエッティの存在はイマジナリーフレンドそのものだし、本作にあっては、更にストレートにそれを作ってみせたところに特徴がある。杏奈にとってのマーニーは、まさしくイマジナリーフレンドそのものだ。敢えて先達に同一ジャンルで挑もうという姿勢は実に素晴らしい
(ジブリの中にいるからこそ出来る挑戦と言えるかもしれないけど)
本作と『トトロ』との共通項を少しだけ挙げてみると、一つには主人公の友達が主人公以外には見えてないが、それでも“何かがいる”ということを劇中の何人かの人物が薄々感じている部分とか、田舎の地に足の着いた生活の中で、都会の子が何を受け取るかとか、生活共同体の中で、子どもと老境に達した人物とのふれあいがあるとかがあるが、中でも一番重要な部分は、
現実にちゃんと帰ってこられるという部分が強いかと思う。
 イマジナリーフレンドを描く場合、実はこの部分がとても重要。現実にはいない存在を友達にしていることから、そのまま夢の世界に入り込んで現実から離れてしまうパターンと、イマジナリーフレンドに励まされることで、現実を受け入れるパターンに分かれていくわけだが、この二作はそこにちゃんと着地点をもってきている。
 『トトロ』の場合は、その部分については暗示だけで、これからもサツキとメイは田舎生活の中でトトロと一緒に過ごすように暗示されているものの、本作では杏奈のイマジナリーフレンドは、実は既に亡くなった杏奈の祖母であることが分かり、そこで杏奈とマーニーとのつながりは消えた上で、杏奈は育ての親をはっきり「お母さん」と言っていることから、杏奈にとってはマーニーとの出会いが現実との接点を持たせることとなっていっている。
 
この着地点に至る過程が実は本作の最大の見所であり、そのためにストーリーが作られていると言っても良い。
 本作における杏奈は、当初現実を受け入れられないキャラとして描かれている。札幌では「イタい子」として同級生から共通認識されているし、この町に来ても、自分を過度にかまう同世代の子をなじって逃げてたりもする。それは持病の喘息が理由なのか?あるいは複雑な親子関係からくるものか?そう含みを持たせておいて、そこから始まったマーニーとの関係は、杏奈にとっては現実から逃げるための手段となっていく。
 ここで物語は、徐々に杏奈がマーニーへと傾倒していく形を取る。安奈本人もこれが非現実であると感じていても、そちらの世界へと自ら入り込もうとしていく。
 幽明境を異にするではないけど、このままストーリーが進むなら、物語がホラー調になっていき、杏奈は現実に戻ってくることができなくなる(そういう物語をジブリが作ったら、それはそれで面白かったんだけど)。
 しかしマーニーは杏奈のすべてを受け入れる存在ではないことがだんだん分かってくる。時に杏奈を置いてけぼりにし、時に全く違う名前で杏奈を呼ぶ。そして杏奈もマーニーが実は過去現実に存在した人物であることが分かってくることで、少しマーニーと距離を置くことができるようになっていき、更にマーニーという存在を知る人との交流を深める中で、マーニーがこの世界の中で何を考えていたのか?そのことを考えることで現実に目を向けるようになっていく。逆にマーニーという存在が杏奈にとっては、現実を発見するために必要になっていくのだ。
 そして最後。マーニーという人物像をはっきり知った時、杏奈は完全に現実へと戻ることが出来た。
 杏奈が世界を拒絶していた理由は、この世界に自分の居場所がないと思っていたからだった。その理由は自分は祝福されて生まれてこなかったということ、今の育ての親も、自分自身が必要なのではなく、そこから与えられるお金が目的なのではないか?という疑心暗鬼からくるものだったが、その根底には、「自分は祝福されて生まれてきたわけではない」という強い思いがあってのこと。杏奈自身が世界を拒絶しているのではなく、世界のほうが自分を拒絶しているからと思うことによる。
 それは結局「私は本当に愛されているの?」という疑問に帰着する。
 最終的に、マーニーは自分の祖母であり、事故で死んでしまった両親に代わって、最初に自分を愛してくれてた存在だった。そのことを知ることで、杏奈にとって、世界は、自分をちゃんと受け入れてくれるものであるということを知るに至る。これによって世界を肯定的に受け入れることが出来るようになったために、人に目を向けることが出来るようになった。ここが重要なポイントだった。
 イマジナリーフレンドを扱った作品で重要な点は実はここにある。いつか空想の友達はいなくなるが、それは自分がこの世界を受け入れることが出来るようになるから。そのポイントを押さえた物語となっている。
 だから本作は実にオーソドックスな物語だ。だが、そのオーソドックスさこそが本作の本当の良さとも言える。オーソドックスに着地させられたことに、心からほっとした。

 そんなわけで本作はかなり高評価を与えたい作品なんだけど、もう一つこの作品を好きなのは理由があって、それは私自身が「家族を作る」物語が大好きだということ。本作はしっかりそのパターンに則っているし、それが心に入ってくる。
借りぐらしのアリエッティ 2010
2010日本アカデミーアニメーション作品賞
2010映画.comワースト第5位

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宮崎駿
丹羽圭子(脚)
志田未来
神木隆之介
大竹しのぶ
竹下景子
藤原竜也
三浦友和
樹木希林
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉(書籍) メアリー・ノートン
 ある日本の片田舎。郊外にある一軒家には“借りぐらし”の小人の一家が住んでいた。ここで14歳になるアリエッティ(志田未来)は父ポッド(三浦友和)に許され、初めての“借り”に出かけたのだが、そこでたまたま病気療養にやってきた少年翔(神木隆之介)にその姿を見られてしまう…
 宮崎駿とという偉大な人物を頭にいだくスタジオジブリだが、何も全部が全部宮崎駿や高畑勲と言った東映動画世代の人間が作っている訳ではなく、これまでにも何人かの監督が新作に挑戦し、中にはかなりヒットした作品もある。
 ただ、やはりクリエイターとしての宮崎とはやはり桁が違うというのは事実で、宮崎が監督しなかった作品はそのどれもが“小粒”というのが正直な感想。
 そんな前提条件があったし、監督の米林宏昌と言うのも名前の知らない人だし。と言う事でたいして期待もせずに観に行った訳だが、少なくとも
私が予想していたものよりは遥かに良作だった
 実際この丁寧な仕事ぶりは賞賛に値する。人間があれだけ小さくなると、世界がどのように見えているのかと言うのもあるが、水の表現や人が使う小道具をいかに新しく活用するかなど、演出表現上は申し分なしだろう
(強いて言えば、アリエッティのスカート表現はあんなに広がるはずがないのだが、演出上あれで良い)
 今の日本ではなかなかお目にかかることが出来ないタイプの物語そのものも良いが、敢えて言うなら、物語が視聴者に媚びてないのが良い。
 ファンタジックな作品は物語の性質上奇跡を見せやすい。常識ではあり得ないことが起こっているのだから、物語だってあり得ないご都合主義だって問題無いだろう。と誤解された前提条件がついてるから。そして今の日本のアニメとかでは、そう言った奇跡的なことを最後に見せることで終わらせるのに馴れてしまった。
 例えば本作では、アリエッティと翔が最後に同サイズになって抱き合うとか、あるいは小人が持つふしぎな力によって翔の心臓病が回復するとか、お手軽な奇跡のネタには事欠かない。
 でも敢えてそう言う方法は取っていない。前提条件がファンタジックなものであったとしても、それが物語にはなんの影響も受けてない。アリエッティ一家は掟によって去らねばならないし、翔の心臓病についてもなんのフォローもない(あるいはラストの無理が祟って手術が失敗するかも知れないが、それも何の暗示も見せないのも良い。
 この作品で奇跡の安売りやられたら、気持ちが萎えてしまう。実際仮にそんな物語展開だったら、
わたし自身の性格からして、本作をここでこき下ろしてたはずだ
 割と起伏が少なく、淡々と流れるような感じだが、だからこそ自然描写や登場人物の表情に力を入れた演出が際だっているし、小さな盛り上がりでも出すべき所ではしっかり力を入れているので、計算された演出に全然飽きることはなかった。観終えた後味も悪くない。
 と言う事で、単体の映画として観る限り、本作は
全く問題無く良作
 ただこれがジブリの系譜の中にあるものとして考えると、いろいろと考えたくなる。
 ジブリといえばもちろん宮崎駿が中心であり、その宮崎作品と本作を対比して考えてみると、どの位置に入るだろうか。
 さほど起伏のない田舎暮らしの物語で、その中で人外の、いわばもののけとの接触が描かれていると考えるならば、これは『となりのトトロ』(1988)との関連が強いように思うが、内容的にはむしろ『もののけ姫』(1997)との関連性の方が深いように思える。
 『もののけ姫』は、価値観の全く異なる存在の交流を描いた『となりのトトロ』を一歩進め、互いにその価値観を受け入れあう課程を描こうとした物語だったと思うのだが、実際劇中でそれは
見事に失敗した。あの物語でアシタカとサンは互いを認め合うところまではいったものの、そこからもう一歩を踏み出させられなかった。あのラストシーンは、結局違う価値観を持つ二人は一緒のところに住むことはできない。その部分を認め合うまでで止まってる。
 ここでもラストシーンは同じである。それまでにアリエッティと翔はいろいろ話し合いもしたし、互いに価値観があることを受け入れあってもいたが、「人間に姿を見られてはいけない」という小人の掟に従い、アリエッティの一家は完全に別れてしまう。
 ここで『もののけ姫』とは異なるのは、なんか
通い妻みたいな変にべたべたした終わり方にはならず、二人は自分の運命を受け入れ、相手を思う気持ちを素直に言った後、綺麗に別れられたということだろう。この方が遙かに後味すっきりするし、ラストで同じ空間を共用するという前提を抜いているため、終わり方に後腐れなく、清々しい印象のみを持たせることができたということだろう。
 本作の脚本には宮崎も関わっているけど、本人も『もののけ姫』をリベンジさせようって気持ちがあったんじゃないかな?しかし本人にはもはやその気力もない
(というか、本人の思いがすでにここから離れてるから)。だからこそ、若い監督に託した。今回に関してはそれが成功したと考えることができよう。宮崎が一歩引くことによって成立する作品と言うのも確かにあるのだ。

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