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2022 | |||||||||
2021 |
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2020 | |||||||||
2019 | ファヴェーラの娘 製作 | ||||||||
2018 | ホワイト・ボーイ・リック 製作 | ||||||||
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2017 | マザー! 監督・製作・脚本 | ||||||||
2016 | アフターマス 製作 | ||||||||
ジャッキー ファーストレディ 最後の使命 製作 | |||||||||
2015 | ZIPPER/ジッパー エリートが堕ちた罠 製作総指揮 | ||||||||
2014 | ノア 約束の舟 監督・製作・脚本 | ||||||||
2012 | |||||||||
2011 | |||||||||
2010 | ブラック・スワン 監督 | ||||||||
ザ・ファイター 製作総指揮 | |||||||||
2009 | |||||||||
2008 | レスラー 監督・製作 | ||||||||
2007 | |||||||||
2006 | ファウンテン 永遠につづく愛 監督・原案・脚本 | ||||||||
2005 | |||||||||
2004 | |||||||||
2003 | |||||||||
2002 | ビロウ 製作総指揮・脚本 | ||||||||
2001 | |||||||||
2000 | レクイエム・フォー・ドリーム 監督・脚本 | ||||||||
1999 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | π 監督・原案・脚本 | ||||||||
1996 | |||||||||
1995 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | |||||||||
1992 | |||||||||
1991 | |||||||||
1990 | |||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | |||||||||
1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | |||||||||
1982 | |||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 | |||||||||
1970 | |||||||||
1969 | 2'12 ニューヨーク市ブルックリンで誕生 |
ノア 約束の舟 2014 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2014ゴールデン・グローブ歌曲賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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神が創造した地上では、カインの末裔である人一族が支配を強めていた。少数派となった神を怖れるセトの一族の末裔ノア(クロウ)は、家族と共にカインの一族から逃れて暮らしていたが、ある時、激しい幻想を観る。それは洪水によってすべてが滅ぼされる地上の様子であり、そしてそのために自分が何をしなくてはならないか… 旧約聖書に書かれた「ノアの箱舟」は、昔から映画の題材としてはよく取り上げられてはいた。ただし、そのものとしては『天地創造』の1エピソード以来は初めてのこと。これをあのアロノフスキーが映画化と言うので、これは是非観ておこうと思って劇場へ足を運んだ。 アロノフスキー監督と言うと、『ブラック・スワン』、『レスラー』というアカデミー賞でも高い評価を受けた映画監督として有名だが、私からすると、デビュー作の『π』での中二病全開ぶりが印象深いし、その作風をきっちり継承し続けているものとして、非常に注目している監督の一人でもある。言うなれば、この監督は常識に対するアンチテーゼを常に持ち続けている人。こんな人が作るんだから、当然この作品も、普通に読み込んだ聖書物語とは違ったものになるはず。 …と、思ったんだが、これは少しずれすぎたかな?確かにずれた部分を観たかったけど、期待とは違っていたし、どうにもしっくりこない。 この作品を通して描こうとしたのは、壮大な勘違いだったのかも。 ノアは神からのビジョンを受けて箱舟を作るが、人類に対して神がなにを望んでいるのかは完全に見誤った。ノアが考えたのは、神は人類を滅ぼそうと考えたに違いないと思い込んで、残された自分達が子孫を残すことはできないと考えて、それに沿って行動していた。ところが、実はそうではなかった。という物語構成となる。 それに対して、観てる側は笑うべきなのか?少なくとも、この物語では笑えない。あるいは箱舟の話にはこんな解釈もあるよ。と言いたかったのか? やっぱりこれでは面白くないとしか言いようがないな。 |
ブラック・スワン 2010 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010米アカデミー主演女優賞(ポートマン)、作品賞、監督賞、撮影賞、編集賞 2010英アカデミー主演女優賞(ポートマン)、作品賞、助演女優賞(ハーシー)、監督賞、脚本賞、撮影賞、プロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞、音響賞、特殊効果視覚賞 2010ヴェネツィア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞(クニス) 2010NY批評家協会撮影賞 2010LA批評家協会撮影賞 2010ボストン映画批評家協会主演男優賞(ポートマン)、編集賞 2010ゴールデン・グローブ女優賞(ポートマン)、作品賞、助演女優賞(クニス)、監督賞 2010放送映画批評家協会主演女優賞(ポートマン)、作品賞、助演女優賞(クニス)、監督賞、脚本賞、撮影賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ賞、音響賞、音楽賞 2010インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、主演女優賞、撮影賞 2010ローリング・ストーン第7位 2010アメリカ映画協会トップ10 2010オンライン映画批評家協会主演女優賞(ポートマン) 2010ブロードキャスト映画批評家協会主演女優賞(ポートマン) 2010アメリカ脚本家組合オリジナル脚本賞 2010ピーター・トラヴァースベスト第7位 2010ロジャー・エバートベスト第3位 2010アメリカ製作者組合賞 2010アメリカ監督組合劇映画部門 2010アメリカ俳優組合主演女優賞(ポートマン)、助演女優賞(クニス)、アンサンブルキャスト賞 2010アメリカ脚本家組合オリジナル脚本賞 2011日本アカデミー外国映画賞 2011セザール外国映画賞 2011MTVムービー・アワード作品賞、女優賞(ポートマン)、キス・シーン賞(ポートマン&クニス)、口あんぐり賞(手を洗い出したポートマンが…) 2011サターン主演女優賞(ポートマン)、助演女優賞(クニス)、ホラー/サスペンス作品賞、監督賞、脚本賞 2011ブルーリボン外国映画賞 2011キネマ旬報外国映画第5位 |
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ニューヨークのバレエ・カンパニーに所属するニナ(ポートマン)は、元バレエダンサーの母親セリカ(ハーシー)との二人暮らしをしていた。母の期待を一身に背負い、厳しいレッスンに励んでいたのだが、そんな彼女にチャンスが訪れる。バレエ団のプリマドンナであったベス(ライダー)の引退を受け、劇団長ルロイ(カッセル)による新作「白鳥の湖」のプリマに抜擢されたのだ。だが、真面目なニナは純真な白鳥役は太鼓判を押されたが、邪悪な黒鳥役は難しいと言われてしまう。更に彼女の前には天才的な新人ダンサーのリリー(クニス)が現れ… アロノフスキー監督が放った“最もホラーに近いサスペンス作品”という謳い文句を持った作品で、この演技に耐えたポートマンに見事にオスカーをもたらした。 本作の形式はバレエのバックステージもの。これはそんなに数は多くなくとも、『赤い靴』(1948)、『愛と喝采の日々』(1977)、『愛と哀しみのボレロ』(1981)など映画史に残る作品が数多く存在する。そのどれも華やかな表からは見えないバレエ舞台の裏側にある愛憎渦巻く人間関係と、敢えてそこに飛び込んで栄冠を得る人々を迫力あるタッチで描いている。 そう言った名作と較べると、本作は随分こぢんまりした印象はある。舞台に関しても、その大部分は小さなバレエスタジオと、更に狭苦しい自宅のみで展開するし、主人公のニナもあまり度胸のある方ではなく、母の望むままにバレエだけを人生として生きてきただけの女性であり、「白鳥の湖」のプリマドンナも実力でもぎ取ったのではない。そんな線の細いキャラである。 こんな舞台をアロノフスキー監督は完全に自分のフィールドに引き込んで作り上げた。 アロノフスキー作品として有名なのは『レスラー』だが、そもそものデビュー作は徹底した低予算映画『π』だった。これはほとんど自主制作作品で、舞台はほとんど一室だけで終わり、ひしひしと迫り来る圧迫感の中展開する緊張感に彩られた作品だった。 この作り方にこだわりがあるのか、本作はまさしくバレエ版『π』と言っても良い心理サスペンスとして仕上げてくれた。 本作はとにかく緊張感が途切れない。前半から中盤にかけ、ギリギリの精神状態のまま物語は展開していく。 ニナはこれまで元バレリーナの母の強い影響下にあり、今も過保護な監視体制のまま、男性とのつきあいもなくバレエ一筋に生きていた。これまでの彼女の生涯には母とバレエ以外の何者も入り込む余地はなかった。 ところが、この二つしかない人生の中、バレエの方に新しい地平が開けてしまう。これは喜ばしいことのはずなのだが、全く新しい領域に足を踏み入れることによる重圧が彼女を圧迫していく。これまで真面目一筋に生きてきたニナは、黒鳥を演じることが出来ず、そのために悩むことになるが、その芸域の拡大のため、実生活においても冒険が求められる事だけははっきり分かってしまった。これは彼女にとってのもう一つの生活、母との間に亀裂を作ることにもなる。遅かった反抗期もやってきて、常に精神的肉体的に追いつめられることになる。 これらの描写が又ねちっこく作られていて、見事に自分のフィールドに引き込んでくれたもんだ。と思わせるのだが、本作の場合、この圧迫感の先がある。 『π』の場合、その圧迫感こそが作品の目的だったが、本作はそれをあくまで道具立てであり、その後に来るバレエシーンにカタルシスをもたらすために使われた。徹底して追い込んだ後に来る見事なダンスシーンのカタルシス。これこそが映画のあるべき形だ。たとえは悪いかもしれないが、日本映画で何度も作られている『忠臣蔵』はこのフォーマットで作られているし、これが一番楽しい映画の作り方でもあるのだ。 自らのフィルモグラフィも肥やしとして、見事に映画監督として開花したアロノフスキー。これは監督自身の物語とも言える。見事!と言ってしまおう。 そしてその演技に耐えるだけの力量をあのポートマンが持てたってことも凄い。見事に役者として開花してくれた。 |
レスラー 2008 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008米アカデミー主演男優賞(ローク)、助演女優賞(トメイ) 2008英アカデミー主演男優賞(ローク)、助演女優賞(トメイ) 2008ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞 2008シカゴ映画批評家協会主演男優賞(ローク) 2008トロント映画批評家協会主演男優賞(ローク) 2008ボストン映画批評家協会主演男優賞(ローク) 2008サンフランシスコ映画批評家協会主演男優賞(ローク)、助演女優賞(トメイ) 2008トロント映画批評家協会主演男優賞(ローク) 2008サンディエゴ映画批評家協会主演男優賞(ローク)、助演女優賞(トメイ) 2008フェニックス映画批評家協会助演女優賞(トメイ) 2008ゴールデン・グローブ男優賞(ローク)、歌曲賞、助演女優賞(トメイ) 2008インディペンデント・スピリット作品賞、主演男優賞(ローク)、撮影賞 2008放送映画批評家協会歌曲賞、作品賞、主演男優賞(ローク)、助演女優賞(トメイ) 2008AFI映画トップ10 2008映画俳優組合主演男優賞(ローク) 2008ナショナル・ボード・オブ・レビュー作品賞 2008アメリカ映画俳優組男優賞(ローク) 2008アメリカ脚本家協会オリジナル脚本賞 2009日本アカデミー外国作品賞 2009MTVムービー・アワード歌曲賞 2009キネマ旬報外国映画第5位 |
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80年代に大活躍したランディ・ロビンソン(ローク)は今も現役を続けるプロレスラー。しかし最早斜陽が長いプロレス界において、老体に鞭打ちながら小さな地方興行に出場して細々と生活するばかりだった。そんなある日、心臓発作で倒れたランディは、ついに引退を余儀なくされる。新しい人生の始まりに、馴染みのストリッパーのキャシディ(トメイ)に不安を打ち明け、娘ステファニー(ウッド)とも連絡を取り修復を図ろうとするのだが… 80年代に最盛期を迎え、今なお現役のレスラーを描いた作品で、実質的なミッキー・ロークの復帰作となったヒット作品。 さて、プロレスか…私自身はそれほどではないが、何故か昔も今も、いわゆるマニアックな方面での知合いにはプロレスファンがやたら多い(現代の場合格闘技ファンというべきなんだろうけど)。たまたまなのか、あるいはそう言う運命の星の下に生まれたのか(?)は定かではないが、いまだに良く分からない私自身の交友関係の謎である。 私だって決してプロレスを観てなかった訳ではない。いやむしろ一時期熱心に観ていた時期だってあった。 日本でもちょうど80年代プロレスブームが起こり、テレビではプロレス番組がゴールデンタイムにまで進出していた。当時は全日本プロレスと新日本プロレスの二つの団体しかなかったが、双方劇的な演出をうまく用いて、「プロレスはドラマだ」という姿勢での試合運びをしていた。そのため感動的な名試合も多かったものだ。それが丁度中学生のころだったため、私の学年では勝手にクラスでいろんな団体やリングネームを作っては、体育館のマットを即席のリングにしつらえてみんなでプロレスに興じていた時代だってあった。その後知り合いになった当時のオタク関係でも詳しい人がかなりいたし、私自身が当時は普通にプロレス話が出来てもいた(そう言えば当時のオタク連中はアニメとアイドルとプロレスを並行して語り合えたのだから、考えてみると凄い時代だ)。 …というノスタルジー話はともかく、本作の作品としての出来を考えてみよう。 本作の実質的な物語は、ハリウッドの定式から逸脱しているため、いつも通りのハリウッド作品で泣きたいと思ってる人には意外な物語に見えるかもしれない。ただ、そういう変化球を使って何が出来たかと言うと、実に日本的な、演歌の世界そのものになってしまった。やくざ稼業が長い男が老境に入り、急に人の温もりが欲しくなり、飲み屋のママや昔捨てた娘を頼り、しかし稼業はどうしても捨てられず…まさしくこれぞド演歌の世界だ。こう言う作品だったら、わざわざアメリカでなく、日本の古い映画にはいくらでも見つけられる、実にパターンに沿ったありきたりの物語である。 だが、そんなベタな話でも、流石は世界で受け入れられるだけのことはあって、やっぱり素晴らしい作品だと思う。主題はとてもシンプルだけに、本当に泌みる。こう言う生き方しかできない人間を、こう言う描き方しかない。という物語に仕上げてくれた。ある意味、分かりきった物語ではあるのだが、その分かりきった結論が涙をさそう。 それには、本作の主人公にミッキー・ロークを起用できたことが最大の強味だった。このキャラが演歌をやってるってだけで泣ける。 ミッキー・ロークといえば、80年代にセクシー俳優として大人気を得、更にプロボクサーとしてリングに上がるなど、何かと話題を振りまいてくれた人物ではあったが、変化の激しいハリウッド業界の中では生き残ることが出来ず、やがて忘れられたスターとして、映画の端役とかにちょこちょこ出るくらいが関の山。という、ある意味とても分かりやすい凋落人生を送ってきた。だが、そんな彼だからこそ出来る役というのもあったようだ。主人公の姿は見事にローク自身を髣髴とさせるなはまり具合。ロークはこれまでのようなタフガイ役ではない、もっと幅広い演技が出来る人物として、これから期待できそうな俳優である。ところでマリサ・トメイは…オスカー女優が良くこんな役やったよな。と言う感じで、まさしく体当たり演技。ロークの体当たりに良く対抗していた。やっぱり痛々しいんだけどね。 演出面においても、アメリカの本場であんなに客が入らない興業や、事前打ち合わせのうえ、血みどろの死闘を演じるリング、肉体維持のために高価な薬を惜しげもなく投入し、結果家賃も張らないほど貧乏なプロレスラーの生活など、一見華やかなプロレスの裏をきちんと見せようとしていることも寂しさに拍車をかけて上手い演出だ。 ラストのブルース・スプリングスティーンの歌も泌みいる良い曲。この人も本来反逆を意味していたロックを国民音楽へと転換させたと言う、やっぱり80年代の寵児だった過去があるので、それがブルース調でしんみり歌われると、時代というものをしみじみ感じさせるものである。この人引っ張ってきたのは、確実に狙ったな。 とにかく演出とキャラクタが突出して良い作品であり、更にノスタルジーを刺激するため、特に80年代に青春を送った人だったら、泣ける確立がとても高い。プオタ以外の人にももちろんお薦め。 |
レクイエム・フォー・ドリーム 2000 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2000米アカデミー主演女優賞(バースティン) 2000ゴールデン・グローブ女優賞(バースティン) 2000インディペンデント・スピリット主演女優賞(バースティン)、撮影賞、作品賞、監督賞、助演女優賞(コネリー) |
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ドラッグ作家ヒューバート=セルビーJr.の代表作が原作。ドラッグ使用シーンをショットの連発で表現。禁断症状は登場者の主観となり、カメラをぶれさすという表現を用いる |
π 1997 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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天才的な数学能力を持つマックス・コーエン(ガレット)は、オリジナルのスーパーコンピューターで数字の研究を続けていた。そんなある時、マックスはユダヤ教のカバラ主義者、レニー(シェンクマン)と言う男から、モーセ五書が「神から送られた数の暗号」であることを聞かされる。“神の言葉を数式で解析する”。研究テーマの啓示を与えられたマックスは早速「π」の研究をしていた友人のソル(マーゴリス)を訪ねる。ソルは既に研究を止めたと言い、マックスにも研究にのめり込まないよう忠告を与えるのだが… レイトショーの興行記録を更新した“数学スリラー”。 徹底的な低予算で作られた作品で、2000年代に作られたと言うにしては随分画も粗いし、設定に至っては中二病そのもので、物語も訳が分からないまま終わる。演出においても、不必要に気持ち悪がせるばかりで終わる。 …普通考えると、これは最低点を付けたくもなるのだが、本作には不思議な魅力がある。 画面は全体的に暗く、出てくる会話もやや意味不明。更に密室のみで展開していくくせに話はいつの間にか世界規模になっていくという、あたかも中二病そのもののような物語で、一般的な意味ではお勧め出来ないが、中二病の卵の殻をくっつけてる(例えば私のような)人間にとっては大変楽しめる作品に仕上げられてる。 ただ、これだけではプライベートフィルムで終わる。本作が映画として成立しているのは、それ以外にも、映像的な挑戦があるからと思う。 それで改めて考えてみるに、本作は初期のカサヴェテス作品や、例えば塚本晋也監督の『鉄男 TETSUO』(1989)に通じるものがあった。 ニューヨーク派の創始者カサヴェテス監督は、映画のあり方そのものを変えたと言われるが、その一つの理由として、「カメラの背後を演出した」事が挙げられよう。演技者や演出ではない。見えない監督自身が実は映画の中心だと言うことを端的に示してくれた。画面に見えないものをいかに入れるか。監督自身の思いを画面にいかに封じ込めるかを実験的に行っていた。 本作の場合、ほとんどカメラはたった一人の人物の行動を追うだけに終始するのだが、そこでのモノローグも会話も、まるでカメラのこちら側に向かって喋りかけているようだった。いや、実際それこそが本作の最大の演出部分じゃないのか?主人公は監督の分身であるとともに、監督自身に向かって語りかけてくる。そう言ったメタフィクションを指向した作品なんじゃないかと思える。 結果として頭でっかちの若い監督にしか作れない作品になってしまったのだが、それをきちんと映画として成立させたと言うだけで評価して良い作品だろう。 |