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元夫がジェームズ・キャメロン。 | ||||||||||
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2018 | |||||||||
2017 | デトロイト 監督・製作 | ||||||||
2016 | |||||||||
2015 | カルテル・ランド 製作総指揮 | ||||||||
2014 | |||||||||
2013 | |||||||||
2012 | ゼロ・ダーク・サーティ 監督・製作 | ||||||||
2010 | |||||||||
2009 | ハート・ロッカー 監督・製作 | ||||||||
2008 | |||||||||
2007 | |||||||||
2006 | |||||||||
2005 | |||||||||
2004 | |||||||||
2003 | |||||||||
2002 | K-19 監督・製作 | ||||||||
2001 | |||||||||
2000 | 悪魔の呼ぶ海へ 監督 | ||||||||
1999 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | |||||||||
1996 |
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1995 | ストレンジ・デイズ/1999年12月31日 監督 | ||||||||
アクシデント 脚本 | |||||||||
1994 | |||||||||
1993 | ワイルド・パームス 監督 | ||||||||
1992 | |||||||||
1991 | ハートブルー 監督 | ||||||||
1990 | ブルースチール 監督・脚本 | ||||||||
1989 | |||||||||
1988 | |||||||||
1987 | ニア・ダーク 月夜の出来事 監督・脚本 | ||||||||
1986 | |||||||||
1985 | |||||||||
1984 | |||||||||
1983 | ラブレス 監督・脚本 | ||||||||
1982 | |||||||||
1981 | |||||||||
1980 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | |||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 | |||||||||
1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 | |||||||||
1970 | |||||||||
1969 | |||||||||
1968 | |||||||||
1967 | |||||||||
1966 | |||||||||
1965 | |||||||||
1964 | |||||||||
1963 | |||||||||
1962 | |||||||||
1961 | |||||||||
1960 | |||||||||
1959 | |||||||||
1958 | |||||||||
1957 | |||||||||
1956 | |||||||||
1955 | |||||||||
1954 | |||||||||
1953 | |||||||||
1952 | |||||||||
1951 | 11'27 カリフォルニア州サンカルロスで誕生 |
デトロイト 2017 | |||||||||||||||||||||||||||
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1967年。ミシガン州デトロイトで警察により違法酒場の摘発が行われた。それに反発を覚えた住民達が景観に石を投げたことから始まった暴動は拡大の一途を辿り、ついに街全体を巻き込む暴動となっていった。そんな中、アルジェ・モーテルに過激派が籠もっているという情報から警官隊がなだれ込む。そこに宿泊する人々が味わった恐怖の一夜が始まるのだった。 1967年に実際に起こった事件を元に描かれる群像劇。恐怖に怯える側、恐怖を与える側、そしてそれを見ている側の三様から見た“恐怖の一夜”を描く。 内外で大きな評価を受けるに至るキャスリン・ビグロー監督だが、これは他の誰にも真似できない監督独自のタッチがきちんと評価されているからだろう。 そのタッチとは、簡単に言えば“冷徹さ”と言うべき。 多かれ少なかれ作り手には主義主張というものがあって、それに沿ったものが作られることになるのだが、監督の作る作品は、その主張が非常に低い。とにかく冷徹に目の前にある事実をカメラに収め、そこにできる限り私情を挟まないようなつくり方をしている。だから創作であるにも関わらず、ドキュメンタリーのように見え、緊張が解けない。それが監督の際だった特徴である。 この点ドキュメンタリーのくせに主張入れまくってるマイケル・ムーアとは好対照をもっている。実際ミシガン州出身のムーアは『ロジャー&ミー』でデトロイトについても語っているが、こちらの方がむしろ主張が強い分、ドラマに見えてしまうと言う面白い現象が起こっている。 その冷徹さは、確かにこれまでの作品でとても有効に用いられていたし、本作でも遺憾なく発揮されていた。 それは決して間違っているとは思わないのだが、少なくとも私個人としては、これまでの中では本作は格が落ちるように感じた。とても物足りなく思えてしまった。 それはおそらくレイシズムという、映画的文脈においては絶対悪を示す題材を取っていながら、それを映画内で断罪しようとしない作りだったからだと思える。 極めて事実に即した作りにより、見た目で分かる断罪は存在しないし、残された人々のやるせなさも冷静に描いている。 これが監督の味なのは分かるんだが、冷静さにいらつきを覚えてしまう。当たり前の作品で良いから、悪に対して「お前が悪い」と言って欲しかったというのが本音。 だから観終わった後ですっきりしないし、心の中にモヤモヤがたまる。 他の題材であればこの冷徹さを評価するのだが、殊このテーマでは、どうしても評価できない。そう思えることが私自身の限界なのかもしれない。 |
ゼロ・ダーク・サーティ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012米アカデミー音響賞、作品賞、主演女優賞(チャステイン)、脚本賞、編集賞 2012英アカデミー作品賞、主演女優賞(チャステイン)、監督賞、脚本賞、編集賞 2012NY批評家協会作品賞、監督賞、撮影賞 2012LA批評家協会編集賞 2012シカゴ映画批評家協会作品賞、主演女優賞(チャステイン)、監督賞、編集賞、オリジナル脚本賞、撮影賞、作曲賞、助演男優賞(クラーク) 2012ゴールデン・グローブ女優賞(チャステイン)、作品賞、監督賞、脚本賞 2012放送映画批評家協会主演女優賞(チャステイン)、編集賞、作品賞、監督賞、脚本賞 2012シカゴ映画批評家協会作曲賞 2012サテライトオリジナル脚本賞、作品賞、監督賞、主演女優賞(チャスティン) 2012タイムベスト第6位 2012AFIベスト 2012オーウェン・グレーバーマンベスト5位 2012リサ・シュワルツバウムベスト1位 2013MTVムービー・アワード恐怖演技賞(チャステイン) |
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パキスタンにあるビン・ラーディン追跡チームに新しく着任した女性分析官マヤ(チャステイン)。だが彼女の奮闘にもかかわらず、捜査は依然困難を極め、その間にもアルカイダによるテロは次々に行われていった。そのテロで同僚までもが命を失ってしまい、個人的感情にも突き動かされ、これまで以上にビンラディン追跡に執念を燃やしていくマヤだったが…。 本作は911テロの首謀者とされ、10年もの間姿を隠していたが、ついにCIA主導の特殊部隊によって殺されたとされるオサマ・ビン・ラーディンを追い詰めたCIA職員の話となる。 ビン・ラーディンを追いつめるまで、どれだけの金と人員を遣ったのか?と思いきや、実際には人も金も無い状態で、ほぼ一人だけで追いつめていったと言う事実を描いた話として仕上げられているのが特徴(それでも実質的にはすごい金額かけられてるんだけど)。 こういった歴史の裏を扱った作品は、素材として大好物であり、観る前からすごく期待もしていた。 そしてものとしては期待通りの出来。監督のオスカー受賞作『ハート・ロッカー』よりも映画としては上行ってる。特に演出力は突出しており、これだけ長い作品で、しかも淡々とした物語展開なのに、片時も飽きさせずに最後まで緊張感持ったまま観ることが出来たし、ハイテクとローテクの入り混じった情報戦や特殊武器の運用方など、興奮できるシーンも多々(ステルスヘリの置き場所にエリア51が出てきたのには思わず笑ってしまった。ここってこういうことをしてたんだね)。極めて高水準にまとまった作品と言える。 多分現在のハリウッドでは最もマッチョな作品を作る監督だろう。こんな尖った人が映画界にいるってだけで嬉しくなってしまう位だ。 それで高得点を上げたいところは山々なのだが…なんでだか、観ている間は終始はまりきれない部分を感じてしまった。 それは多分、本作の根本的なところ。 この作品を通してやってることとは、一人の老人を殺すため。ぶっちゃけて言えばこれだけ。 ビン・ラーディンの暗殺が歴史的な意味はなんだったのかと言うと、911の総括と言う以外にはない。これは多くのアメリカ人の心情を代弁した行為かもしれないが、ビン・ラーディンはアルカイダの精神的リーダーとされてはいるものの、911以後の世界において何事をしていたとはされていない(本作でも具体的な例は挙げられていない)。一人の老人殺すだけの話だし、そのためにこれだけの労力と時間を浪費してしまった。その間にも中東におけるアメリカの立場は悪くなる一方で、これらの行為の中でますます嫌われることになる。 そんな中、主人公のやってることは、現地の人と融和することなく、こもってひたすらビン・ラーディンの居場所を探すことだけ。誰とも交わりを持つことない。まだ『ハート・ロッカー』には存在した現地の人間との交わりもない。拷問シーンもリアルで、しかもアメリカ側が拷問を与える側なので、どうにも気分が悪くなってくる(軍が拷問を行っていることが報道され、拷問禁止が出たこともちゃんと描かれている)。 更に最後のビン・ラーディン暗殺では大変なリアリティを持ってたのだが、リアルな分、残酷な殺しもモロに出してるし、そんなシーンを見させられるこどもの表情も出ている。だから最もテンション上がるところで妙に醒めてしまう。 ここまで描く必要あったのか?と言うのが本音。後味の悪さが残った。 大好物の設定なのに、こんな中途半端な気分にさせられるとは… そんなことで、諸手をあげて本作を礼賛するつもりはなかった。 だけど、観てからしばらく経った後で考えるに、この後味の悪さこそが一つの狙いだったようにも思えてきた。本作の描いていることが、アメリカの行為を正当化しようとしてではなかったのでは? 「ビン・ラーディンが死んだ。良かったね。アメリカ万歳」と言う単純なものではなく、「こういう真実があるけど、あなたはどう思うか?」と問いかけられていると考えるなら、この後味の悪さこそが意味を持ってることになる。淡々としたリアルな描写も、監督が一歩引いて偏見なしに描こうとしてるのかもしれん。 そういう風に考えてみると、逆にそういったアメリカ万歳の内容を期待して観に行った自分自身が恥ずかしく感じてしまうくらい。 そういえば『ハート・ロッカー』も決してすっきりした作品ではなかった。あまりに淡々と描かれたため、ようやく除隊した主人公が何故再び戦場に戻っていったかが分かりづらかった。私なりには、あれは爆弾に怯えるこども達を救うためだと解釈しているが(故郷に帰った主人公が息子を抱き抱えるシーンがあったためにそう考えた。仮にあのシーンで銃の手入れをしていたりしたら逆の解釈してただろう)、あれだって観る人によってはネガティヴイメージとして捉えるだろう。 ビグローは、淡々と事実を羅列することだけを行い、最終的な解釈は観てる側の人に託そうと考えているのかもしれない。だからこそ、アメリカ側にとっては不利にしかならないような描写も会えて行うし、同時にこの行いの意味合いも描こうとしている。 少なくとも、後味の悪さを感じるからこそ意味を持つ作品というもあるものだ。 |
ハート・ロッカー 2009 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009米アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、音響賞、編集賞、主演男優賞(レナー)、撮影賞、作曲賞 2009英アカデミー作品賞、監督賞、撮影賞、編集賞、音響賞、主演男優賞(レナ−)、特殊視覚効果賞 2009全米批評家協会作品賞、主演男優賞(レナー)、監督賞 2009NY批評家協会作品賞、監督賞 2009LA批評家協会作品賞、監督賞 2009ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞、脚本賞 2009インディペンデント・スピリット主演男優賞(レナー)、助演男優賞(マッキー) 2009放送映画批評家協会作品賞、監督賞、主演男優賞(レナー)、オリジナル脚本賞、撮影賞、編集賞、音響賞、アクション映画賞 2009AFIベスト10 2009ナショナル・ボード・レビューブレイクスルー・パフォーマンス賞、ベスト10 2009オンライン映画批評家協会作品賞、監督賞、主演男優賞(レナー)、編集賞 2009ナショナル・ボード・レビューブレイクスルー男優賞(レナー)、トップ11 2009ロジャー・エバートベスト10 2009ピーター・トラバースベスト第3位 2009AFI映画トップ10 2009タランティーノベスト第8位 2009ロジャー・エバートベスト 2009米俳優組合主演男優賞(レナー)、アンサンブル・キャスト賞 2009アメリカ製作者組合作品賞 2009アメリカ監督組合賞 2010日本アカデミー外国映画賞 2010キネマ旬報外国映画第5位 2010映画com.ベスト第10位 2010違法ダウンロードされた映画第9位 |
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2004年夏。イラク戦争は終わったが、頻発する爆弾テロに、爆発物処理班はフル活動中だった。そんな中、サンボーン軍曹(マッキー)とエルドリッジ技術兵(ジェラティ)の属するブラボー中隊では任務中に隊長が殉職したため、ウィリアム・ジェームズ二等軍曹(レナー)を新リーダーとして迎え入れることとなった。爆発物処理に対し天才的な腕を持つウィリアムはサンボーンの忠告をことごとく無視し、身一つで淡々と爆弾を処理していく。そんなウィリアムに反発を覚えるサンボーンだったが… 現在も尚平和から遠いイラクの最前で働く爆弾処理班の実体に即して描く、一種の戦争映画。近代戦争を扱ってオスカーに輝いたのは『プラトーン』(1986)以来となる画期的作品。監督のビグローは、ジェームズ・キャメロン監督の元妻で、アカデミー賞では『アバター』(2009)でノミネートされていたキャメロンとの一騎打ちの様相を呈したが、見事こちらが勝利を収め、アカデミー史上では初となる女流監督のオスカー受賞者となった。 これまでの映画史を振り返ると、アメリカでは実際に起こった戦争を映画にするるまでにかなりの時間を必要としていた。 これは、戦争を物語化するためには、その戦争そのものの実体を掴み大局的な目で見る必要があることと、作品の質を向上させるためには冷静な目で戦争を見なければならないことから。 それを無視して現在起こっているあるいは近年起こった戦争を描くならば、凡百な国威高揚になるか、あるいは薄っぺらい反戦作品にしかならない可能性が高い(比較的それを上手くやったのは『ジャーヘッド』だったが、あれは一切政治や民衆と関わらない一人の兵士の立場を貫いていたので可能だったと思われる)。 第二次大戦以降のアメリカにおいては、朝鮮戦争であれヴェトナム戦争であれ、それを冷静に描くまでは約20年もの時間を必要とした。そのくらいの時間が経ってようやく例えば「マッシュ」のように戦争を茶化して見せたり、『プラトーン』のようにその戦争の意味のなさを語ることができるようになる(それでは『ディア・ハンター』はどうか?と言えば、あれは反戦の主張を入れたメロドラマであり、戦争そのものを描いたものではない)。 その意味では本作の投入はあまりに早い。なんせ未だに戦争は継続中なのだ。 それにも関わらず、本作はこのイラク戦争を冷静に見て描くことができた。本作がオスカーを取れた理由は、無理なことをやってのけたという点が評価されたことにあるのではないかと思っている。 演出的には爆発物処理班の緊張感溢れる描写が本作の醍醐味で、ほんのわずかな手順の間違い、あるいは外部からの攻撃によって容易に爆発してしまう爆弾を至近距離で解体するといった作業の描かれ方は緊張感が途切れることなく、しかもその解体作業を変に劇的にせず、いつもの任務と言った乾いた雰囲気に持っていってるのも良いし、無事今日も生きて帰ってこれた時の、奇妙に弛緩した仲間たちや現地の人々との交流の時間の対比もおもしろい。 上記のように本作の映画としていくつかの点では確かに素晴らしいものを持っている。それを認めるのは吝かではない。 しかし、それでも尚本作が本当に面白かったのか?とまっすぐに問われるといくつかの点で疑問が生じる。 一つには、この作品には一貫したストーリー展開があるのはあるのだが、非常に分かりづらいということ。一応本作を通して描かれているのは、ウィリアムが様々な人間との交流を通し、単純に爆弾を解体だけしていた自分自身の人間性を取り戻していく物語と考える事が出来る。最後に再びウィリアムがイラクに戻っていくのは、戦争の高揚感が忘れられないからではなく、自分の家族を守るため、殺される子供を無くすため、いわば世界平和に少しでも貢献するために出かけていく。と私は見ているが、この部分の描写が淡々とし過ぎて、単に戦争の空気が忘れられず、PTSDにかかり、戻って行かざるを得ない。と言う具合の物語にも解釈できてしまう(それとも私の考えの方が間違ってるのか?)。最後に愛しげに我が子を見るシーンなんかは、そのまま現地のベッカムと重ね合わせているように思えるのだが… いずれにせよもう少し劇的な部分と説明文句がないとそれが分かりづらい。それに物語自体もミニストーリーの積み重ねで一貫した盛り上がりも足りず。物語性のある一本の映画として考える場合、難点がいくつも出てくる。 演出部分に関しても、確かに爆発物処理のシーンは緊張感があるものの、カメラの手ぶれが激しすぎて、酔いが生じてしまう。 そう言う意味では色々と問題がある。ただ、画期的な側面と物語としての退屈さ。それを受け入れられるかどうかで評価が変わる作品とはいえるだろう。 |
K−19 2002 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1961年にソ連国家首脳部は初の潜水艦発射弾道ミサイル搭載の原子力潜水艦K−19を開発。処女航海の艦長にアレクセイ=ボストリコフ(フォード)を、副艦長にミハイル=ポレーニン(ニーソン)を任命する。2人の意見はしばしば対立するが、K−19は次々にテストを成功させていった。だが任務の遂行中、艦内の冷却装置のひび割れが判明するのだった… 実話を元に映画化した作品。 旧ソ連は数多くの原子力潜水艦を作り上げたが、それぞれにNATOによりコード名が付けられてる。ゴルフ級とか、ホテル級とかタイフーン級とか(これらはNATOのコード名だが)。だけど一艦だけ、違ったコード名で呼ばれる潜水艦が存在する。ヒロシマ潜水艦と呼ばれるその潜水艦は実名をK-19と呼ぶ。ホテル級潜水艦として作られたK-19はソ連原潜の中でも歴史上最も悪名高い潜水艦で、相次ぎ原子炉故障を起こし、乗員2チームが放射能を浴びてしまった。故にこそこのヒロシマという不名誉なコード名を付けられたのだが、本作はその処女航海で起こった原子炉故障を描いている。 アメリカでこんな題材の作品を作ろうとした意欲は買おう。盛り上げの時の演出もかなり良かった。潜水艦ものというと、密閉空間での外からの危機感が重要なのだが、その辺はとりあえず良し。 しかし、根本的にこの作品、ストーリー展開が悪い。原子炉故障の危機に至るまでの過程がとにかく長いし、かったるい。その間で見るべきものはフォードとニーソンの反発しながら深まっていく友情なのだが、それ以外が全くない。折角の潜水艦の設定を全然生かし切れてないわけだ。もうちょっと設定と物語で見せて欲しかったな。それに折角舞台が潜水艦なら、内側だけの恐ろしさではなく、外側からの圧迫が欲しかった。潜水艦ものの面白さは、外が見えないところにあるんだから。 最後の決断のシーンは格好良かったけど、あんなのが英雄扱いされる理由がない。そこで気力が萎えた。こんな変なオチ観るために2時間以上も我慢してたのか? ちなみに、この後被曝したK−19の乗組員は8人が死亡。乗員の癌発生率は極端な高率に上がったとか。K−19は最終的に1991年まで使用されたが、1972年にニューファンドランド沖で火災が起き、28人の乗員が死亡するという悲惨な事故をもう一件起こしている。 |
ニア・ダーク 月夜の出来事 Near Dark |
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