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2019 | ターミネーター:ニュー・フェイト 監督 | |||||||||
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ターミネーター:ニュー・フェイト | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1994年にサイバーダイン社の破壊によって1997年に起こるはずだった「審判の日」を回避することができたが、その後サラ・コナー(ハミルトン)の息子ジョンは突然現れたもう一体のT-800型のターミネーターによって殺害されてしまった。それから20数年後の2020年。メキシコに二体の人型機械が送り込まれてきた。骨格と流体金属を合わせて一体の新型ターミネーターのRev-9(ルナ)と、全身をサイボーグ化したグレース(デイヴィス)という女性。二人は自動車工場で働くダニー・ラモス(レイエス)という女性の元へと向かう。何も知らないダニーはいつも通りの朝を迎え、出勤していたが、そこに突然現れた二人の男女の姿があった。 映画史に残る傑作SFターミネーター(1984)およびターミネーター2(1991)の二作は映画だけでなくポップカルチャーに多大な影響を与えた作品で、ある種映画界における奇跡のような作品だったと思っている。絶対矛盾が生じるタイムトラベル作品でここまですっきり見せて傑作と言えるのはこの二作しかない。 でも二作続けて傑作だったことがある種の不幸を呼んでしまった。 その後、続編として3作品も作られたのに、そのどれもが中途半端に終わってしまったのだ。 一応下記に時空列として置いておこう。 ターミネーター3(2003):一応純粋な続編。結局審判の日がおこってしまったという前提で描かれる話。物語としてはすっきりしているし、アクションも良かったが、2での努力は一体何なの?という脱力感にさいなまれる。 ターミネーター4(2009):3の続編になるが、タイムトラベルについては一切言及せず、未来世界におけるジョン・コナーの活躍を描いた作品。これは色々微妙な作品で、作品単体としては完成度はそれなりに高いのだが、これはオリジナルシリーズでやるべき内容。ターミネーターを使う必然性はないし、それにキャスティングの失敗が尾を引いた。不完全燃焼でストレスが溜まっただけ。本来三部作と言われたけど、これは続編無理だと思えた。 ターミネーター:新起動 ジェニシス(2015)全くの新規でのターミネーターを描こうとした意欲作。私自身は決して嫌いじゃないけど、さすがに続編作るほどのパワーは感じられず。 …といった経緯を辿り、再びキャメロンが関わることでのまき直しを図ったのが本作となる。 本作の特徴は、これまでの3作品に関わっておらず、完全新作で2以降の世界を描こうとしたところに特徴がある。 2のT-800とコナー親子の活躍によってスカイネットが登場する未来は回避できた。ところが事前に送り込んでいたT-800によってジョン・コナーは死亡。更にスカイネットとは異なる機械が人類に反旗を翻す未来が待っていた。 …設定が少々苦しい。設定があやふやなので、あんまり冒険して作れないような状況のような気がする。 そしてまさに冒険はせず、実に無難なものを作ったという感じになった。 やってることはほぼ2若しくは3と同じような感じ。ひたすら襲いかかるターミネーターから逃げ回り、時が来たら反撃するというだけの作品。これまでに作られてきた、それこそターミネーターで確立された物語の再生産である。 だから物語としてはかなり弱い。そしてそれをカバーするために様々な工夫がなされている。 工夫の一つとしてキャラクター。この世界にはもう一体のT-800が存在するとしてシュワルツェネッガーを再登場させたことと、これまで出演を拒んでいたリンダ・ハミルトンを再び物語に引っ張り出した。ここまでは予想の範囲内。それと新機軸として守られるキャラも守るキャラも女性にしたというのが特徴的だった。ポリティカルコレクトネスに配慮したこともあるだろうけど、なにより画面映えする。シュワルツェネッガーの活躍は後退してるけど、三人のマッチョ女性が活躍する作品。まさにキャメロンの趣味爆発。それだけでも良い。 もう一つは新しいターミネーターの存在。シリーズでは毎回これは工夫がなされていて、今回は流体金属とフレームの合体した存在というのが面白い。時に一体で、時に二体で攻撃をしてくるが、それぞれに戦い方のスタイルがあるため、かなりメリハリの利いた演出が展開する。見栄えに関して言えば相当なレベルだろう。 ただメリハリと言えるのはこれだけなのが寂しい。もう一枚二枚カードを重ねて面白くしてほしかった。なにより物語に際立ったところがないのが残念。 |
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デッドプール | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2016ゴールデン・グローブ作品賞、主演男優賞(レイノルズ) 2016MTVムービー・アワード格闘シーン賞、コメディ演技賞、作品賞、男優賞(レイノルズ)、女優賞(バッカリン)、キス・シーン賞(レイノルズ&バッカリン)、アクション演技賞(レイノルズ)、悪役賞(スクライン) |
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かつて特殊部隊の傭兵として活躍したウェイド・ウィルソン(レイノルズ)は、引退して下町で用心棒として気楽な生活を送っていた。ストリッパーの恋人ヴァネッサ(バッカリン)と結婚を決めた矢先、自分が末期癌に冒されていることを知らされた。そんな彼の前に現れたエージェントを名乗る男に連れられていった先で、ウェイドはなんと不死身となる手術を受けさせられてしまい、超人となる。だがその副作用で肌は醜くただれ、もうヴァネッサの元に戻ることが出来なくなってしまった。自分を出術した医師フランシス(スクライン)を探し出し、その責任を取らせようとするのだが… 新世紀に入りマーベルヒーローもそろそろ出揃った感じがある。 数多くのヒーローを擁するマーベルだが、その中でも特に変わった存在がある。弱いものを守るとか、人のために働くとか全く考える事が一切無く、単に自分の好き嫌いだけで暴力を振るうというヒーローである。自分の欲望に忠実という意味ではヴィランと同じのだが、基本的に欲望が薄くて小市民的な幸せばかり求めるため、大きな悪事ができず、それどころかやってることがずれてしまい、結果的に正義のために働くことが多いという異端的な正義の味方デッドプールである。 このヒーローではない不死身の強者をこれまでにも何度か映画化しようとする試みはあった。一番それに近づいたのは、『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』(2009)の時で、この時はウルヴァリン最強のライバルとしてデッドプールが登場していて(しかも演じるは本作と同じくライアン・レイノルズ)、そこでスピンオフが作られようとしていた。ただこれは上手くいかず、あぶれたレイノルズはその後『グリーン・ランタン』(2011)とかにも出演してたが、正直今ひとつな感じ。 そんな「今ひとつ」な感じではあったのだが、デッドプールをなんとか単独で。という思いがやっと実ったのが本作となる。 本作の特徴をいくつか挙げてみよう。 第一に、『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』と時空系列が全く異なると言う事。 あの作品では、デッドプールは何人ものミュータントの能力を無理矢理付与されたということで、瞬間移動は出来るわ、両手から日本刀を出せるわ、首がもげても復活するわで、敵役としては最適かもしれないが、主人公としてはちょっと強すぎるキャラに仕上がっているし、性格も純粋に人殺しを楽しんでるようなところがあったりと、確かにかなり違った造形のキャラになってた。何よりその姿が上半身裸のライアン・レイノルズそのものなので、トレードマークの赤いスーツから離れてる。 改めて考えると、この姿のままスピンオフされてしまったら、全く原作とは別物になってしまっただろうし、これを映画にしたら単なる悪人になってしまうし、何よりコミカルさが身上の原作ファンからは流石にブーイングだろう。 それで原作準拠にした全く別なキャラだから、本作は上手くいった。何よりデッドプールはあの赤いコスチュームだからこそ良いのだ。 第二に、本作はとてもアダルティと言う事。 セックスシーンが多いだけで無く、台詞にも一々下ネタ仕込んでくるし、愛すると言う事も全然プラトニックでは無い。肉体的な結びつき合ってこそ愛だ!ってのを全編を通して主張しているかのよう。 基本的にヒーローは性を殊更持ち出すことは無いし、愛する人がいるなら、その人にだけ心を捧げるという純愛キャラばかり。ヒーロー作品を観る年齢層が低いためにそうなってしまうのだが、その辺の自主規制を軽々と飛び越えてしまってる。 そのためにレーティングに引っかかってしまったが、こういうアダルティなスーパーヒーローはこれまでいなかったから、とても新鮮に思える。 第三に、デッドプールのトークが冴え渡ってるということ。 原作でもこのキャラやたら喋りまくっているのだが、これが普通のおしゃべりとは違う。デッドプールの場合、喋るのに相手は必要ない。勿論相手がいても喋りまくるが、いなくてもお構いなしに喋り続ける。それもモノローグとか独り言では無く、語りかけるという形で。 これは舞台用語で「第四の壁を破る」という奴。舞台は背後、左右の三方向に壁があるが、もう一つ客席に向かっても壁があるものとして役者は演じるのだが、敢えて観客に向かって語りかけることで、その壁を破るという演出がある。映画の中でも舞台劇を取り入れた作品では結構あって、それも一ジャンルになってるほどだが(日本では寺山修司の『書を捨てよ町へ出よう』(1971)が有名だが、探してみると結構多い)、これを敢えてやってみせることによって、切れ目のないトークが続けられる。実際にデッドプールの台詞の中で「第四の壁ならぬ十六の壁?」などと観客に語りかけるシーンまで有り。 そのトークも下品なことばの羅列だけでなく、過去を振り返って喋ると、ちゃんと画面が過去に戻るとかの、映画ならではの演出もきちんと作られている。 第四に、暴力的なこと。 ヴァイオレンスの度合いも他のヒーローものと較べるととても過激になってる。走ってる車から放り投げた人間が看板に当たってべちゃっと潰れるシーンとか結構グロテスクな描写もあってモザイクものの演出が多いだけでなく、デッドプールが鼻歌歌いながら人を斬り殺しまくるとか、およそヒーローらしからぬ行いも常識外れ。ここら辺がデッドプールが悪人っぽいところで、これは絶対に外せない部分。この描写が無ければデッドプールでは無くなる為、レーティングはやむなし。 第五に、小ネタに凝ること。 本作は最初から小ネタ満載。オープニングシーンでは飛び散った財布の中身にグリーン・ランタンの写真が何故か入っていたり、ウェイドが「俺の宝物」と言っているものの中に『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』(2009)で登場したデッドプールのフィギュアがあったり、ヴァネッサと一緒のシーンではシーンに合わせ、それ用に次々に音楽が切り替わるとかデッドプールの軽口の中にアブナイネタを仕込んでいたり。 これらの軽口こそがデッドプールらしさであり、それらを観るために何度も作品を観たくなる。 これらを加味した結果、どう転んでもこどもに見せられるようなものには仕上がらなかった。そしてその割り切り方が本作の最大の魅力となったわけだ。 その割り切りを賞賛する人は本作を最大に評価するだろうし、逆に「こんなのヒーローじゃない」と言う人はこの作品をこき下ろすことだろう。 ちなみに私の場合、ほとんど何も感じなかった。観てる間は楽しかったけど、手放しで賞賛する気もないし、けなす気もない。やっぱり直前に『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』(2016)という正統的なヒーロー作品の傑作を観てしまったためだろうな。 強いて言えば良くも悪くも「安っぽい」というのが一番の感想かも。ただ、勿論続編出たら観に行くだろうし、ソフトとして購入する確立は他のヒーロー作品よりも格段に高いので、気に入ってるのは確かか。 |
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