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_(書籍) _(書籍) |
2021 | スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム 監督 | |
2020 | ||
2019 | スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム 監督 | |
2018 | ||
2017 | スパイダーマン:ホームカミング 監督・脚本 | |
2016 | ||
2015 | COP CAR/コップ・カー 監督・製作・脚本 | |
2014 | クラウン 監督・脚本 | |
2013 | ||
2012 | ||
2011 | ||
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スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム Spider-Man: No Way Home |
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ミステリオことクエンティン・ベックによってスパイダーマンの正体を明かされてしまったピーター・パーカー(ホランド)。ミステリオ殺害の容疑をかけられたピーターは、優秀な弁護士マードックのお陰で無罪となったものの、メディアから叩かれ、多くのアンチからのバッシングを受けてしまう。更にピーター、MJ、ネッドが受験したMIT(マサチューセッツ工科大学)を不当な理由で不合格とされてしまった。追い詰められたピーターは、かつて共に戦ったドクター・ストレンジを頼り、人々の記憶からスパイダーマンの正体を消してもらうことになったのだが、詠唱の途中でピーターが邪魔をしてしまったために呪文は失敗に終わってしまった。そしてなんと別次元からヴィランが現れてくる。 ソニー(コロンビア)によるスパイダーマンシリーズはこれまで三シリーズが作られ、その三番目に当たる本作も3本目にあたる。特にこのシリーズは最初からディズニー(パラマウント)のMCUシリーズともタイアップしており、大変奥が深いものになっていることと、これまでのスパイダーマンよりもずっと幼いキャラに設定されたことで共感を呼んだか、最大のヒットを記録中。既に色々てんこ盛りの豪華な作品なのだが、そこに更にもう一つ新たな設定を加えることになった。 それがスパイダーバースと呼ばれる別次元のスパイダーマンとの共演である。実際はこれは既に別シリーズの『スパイダーマン:スパイダーバース』(2018)で使われているし、前作『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』でもミステリオの口からスパイダーバースについて言及があったのでこれが最初という訳では無いが、本作には最高のアドバンテージがあった。それこそが先行する2作品である。それをスパイダーバースに織り込むことで、大変奥が深くなった。本作はなんと約20年ぶりにトビー・マグワイアがスパイダーマンになるというファンサービスで大変盛り上がる話になった。 いや、トビー・マグアイアとアンドリュー・ガーフィールドだけでない。その二作品に出てきたヴィランも大挙して登場することで、大変な眼福。トビー・マグワイアは既にスパイダーマン演じ手から20年も経ってるので、だいぶお歳を召しているために、それを細かいネタにしてるとか、スパイダーウェブの能力の違い(マグアイアだけ能力として出せるが、他の二人は薬液を使う違いとか)がちゃんと出ているのもマニアックでよろしい。 先行する作品のヴィランは全員その作品毎に死んでいるはずだが、ここにはまだ死んでいない状態で現れてくる。これまで作られた五作品から一人ずつ。合計五名のヴィランが登場するのはなかなかに豪華だ。 ただ、その豪華さの分、コントロールは利かなくなってしまったようで、全般的に目新しさが少なかったのと、ヴィランを生きて返す意味合いが最後まで分からなかったという問題があった。更に言うなら、一作品にヴィラン一人だったので、『スパイダーマン3』(2007)のグリーンゴブリン・ジュニアとヴェノムが出てなかったのがなんとも残念。デフォーのグリーンゴブリンはとても良かったのだが、むしろジュニアを出した方が劇的だったし、そっちをメインに出来ていれば良かったんだが。結局お祭り騒ぎで終わってしまった感じ。感情に訴えかける演出ばかりでストーリー的には『ファー・フロム・ホーム』のクォリティには到底及ばない。 『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』(2021)のラストでエディがこの世界に来てたけど、それもラストでちょっと登場するだけ。『スパイダーマン3』のヴェノムとの絡みを期待してただけに肩透かしにあった気分。 ただ、この世界にヴェノムの因子が残ったことで、この物語が継続されるならばスパイダーマンVSヴェノムの対決が観られるかもしれない。でもむしろ個人的にはこの世界のフラッシュが軍に入って生体兵器ヴェノムの被験者となるエージェント・ヴェノムの公開が待たれる(マジで出来るんじゃないかと思ってる)。 |
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スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム | |||||||||||||||||||||||||||
2019放送映画批評家協会アクション映画賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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サノスとアベンジャーズの最終決戦からほどなく。自分を本物のヒーローにしてくれたアイアンマン=トニー・スタークの死から未だ立ち直ることの出来ないピーター・パーカー(ホランド)は、これまでのように町の平和を守り続けていたが、その心は喪失感にさいなまれていた。そんな折、高校の修学旅行でヨーロッパに行くこととなり、恋するMJ(ゼンデイヤ)との仲を進展させようと気負う。そんな折、世界中で次々と異変が起きていた。調査に向かったニック・フューリー(ジャクソン)は、そこで怪物と戦う男と出会う。ミステリオを名乗るその男(ギレンホール)は、別な次元から敵を追ってやってきたという。そして次に怪物が現れるのは、ヨーロッパと言うことが分かるのだが… 新世紀に入ってからの三つ目のシリーズとなった新生スパイダーマンの2作目の作品。 本シリーズは前の二つのシリーズと大きく異なるのが2点ある。 一つはアベンジャーズの世界とつながっていること。実際スパイダーマン:ホームカミングではアイアンマンが客演したし、アベンジャーズ インフィニティ・ウォー(2018)とアベンジャーズ エンドゲーム(2019)ではスパイダーマンの方が重要なキャラとして出演してる点。本作自体もアベンジャーズ エンドゲームの直後の話で、アイアンマンとキャプテン・アメリカ不在でポスト・アイアンマンとして期待されるスパイダーマンという位置づけにあるし、トニーの秘書ハッピーが重要なキャラで登場してる。しっかりMCUの一編として位置づけられていることが分かる。更に言うなら本作は昨年のスパイダーマン:スパイダーバース(2018)とも微妙な関わりを持ってるので(劇中ミステリオがこの世界のことを「アース-616」と言っていたシーンがあったが、それは漫画版のオリジナルシリーズのスパイダーマンの世界のこと。実際のこの世界はアース19999)、大きな世界観の中の一つとして、かなり奥深い作品になった。 それにヨーロッパを股にかけて名所で戦ってるのもサービス精神たっぷりで嬉しい。一つ一つの戦いが見所満載で派手目。雰囲気的には007シリーズに近い。なにか備えが必要になるとフューリーやハッピーが次々新兵器を持ってくるので、余計それっぽい雰囲気になってる。演出部分に関しては適材適所でふんだんに金かけてるので、実に見応えのあるものになってるし、盛り上げ方も上手い。 ワールドワイドのみならずディメンションワイドな作品として楽しめる。 それと前作から気になっていたことだが、ピーターの通う高校もいろんな系統の人たちがいる。ピーター自身は原作通りのWASPだが、高校の仲間も東洋系アフリカ系プエルトリコ系と豊かで、MJも南米系の顔つきで、原作では嫌味なジョックスとして描かれていたフラッシュがインド系になっていて、コミカルな性格を前面に押し出してるのが面白いし、それぞれの個性も際立ってる。 大人の恋愛を楽しんでるメイおばさんやハッピーもちゃんと見所作ってるし、ニックも他のシリーズと較べてだいぶ丸くなってたりと、脇役を含めて一人一人の個性が丁寧に描かれてるのが好感度高い。複数の個性ある恋愛模様の描写も良い具合。ヒーロー作品でこんなに脇役が目立つ作品も珍しい。 これまでのシリーズでは最も若く、自分に自信が持てないピーターの描写も良い。エンドゲーム後のアイアンマン不在の中で、スパイダーマンとしての自分への期待に押しつぶされそうになりながら、MJに対する純情を貫こうとするために非常に不安定で、自信を持ったり失ったり、全能感に包まれた次の瞬間に落ち込むとか感情の起伏がとても大きく、その若さがとても新鮮だ。結局その感情の起伏によってミステリオにコロッと騙されてしまうのも若さの描写で見事。 敵に関してだが、今回のミステリオは原作版「スパイダーマン」知ってる人だったらみんな知ってるヴィラン。本人にスーパーパワーはないが、悪知恵と大がかりなセットでスパイダーマンを何度も騙すというキャラ。総じて言えば「小悪党」で、他のヴィランと較べると見劣りする。だが心理戦のエキスパートなので、メンタルの弱っていたスパイダーマンにはぴったりの相手だったし、トニーの遺産を上手く使って大規模なテロまでやってるので、よく物語が練れている。本当にぴったりな敵だった。 スパイダーマンは未熟なヒーロー。だが未熟だからこそ見せられる物語がある。それをよく示した作品だった。 |
スパイダーマン:ホームカミング | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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超人的能力を受け、“クモ男”としてNYクイーンズの平和を守ってきたクイーンズ高校の学生ピーター・パーカー(ホランド)は、アヴェンジャーズのトニー・スターク(ダウニー・Jr.)に見いだされ、ハイテクスーツと共にアヴェンジャーズの準隊員として使命を受けた。だがアイアンマンとして忙しいトニーはなかなか指令を与えてくれず、お目付役のハッピー(ファヴロー)からもほとんど無視される状況だった。そんな中、明らかにオーバーテクノロジーをの武器を持った強盗団に出くわし、そこでの乱闘の帰りに親友のネッド(バタロン)に自分がスパイダーマンである事がばれてしまう… 最初にスパイダーマンが銀幕に現れて衝撃を受けた『スパイダーマン』(2002)から既に15年。その間にトビー・マグワイア主演のシリーズ3作、アンドリュー・ガーフィールドによる『アメイジング・スパイダーマン』(2012)が2作はさみ、更に『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』(2016)にも登場し、マーベルの一翼を担うようになったスパイダーマンシリーズ。随分長続きしたものだ。 そして『シビル・ウォー』で半分カメオ出演のような形で登場したトム・ホランド版スパイダーマン.。ついにその第一作目が登場となった。 少しシリーズの歴史を振り返ってみよう。 トビー・マグワイア版の『スパイダーマン』はヒーロー作品に革命を起こし、以降のマーベル作品を中心としたスーパーヒーロー作品の先鞭を付けた作品となる。 それは勿論CGの発達によって出来るようになった描写能力に負うところが大きいが、それだけではない。 それまで割と画一的な描かれ方をしていた従来のヒーロー像から外れた主人公の存在感こそが一番の強みだった。 それまでのヒーローは悪を倒すためにあらゆるものを犠牲としながら孤独な戦いを行うし、少なくとも自分自身について悩むことは無い。人よりも優れた力を躊躇無く正義のために使う。そんな存在だった。 ところが『スパイダーマン』に出てくるピーターは、スーパーパワーを持っていても冴えなく、思春期特有の悩みを持ったキャラで、ヒーローとしての自覚も低い。それが自分自身を受け入れていくという、一種の青春ものとして描かれたからこそ、ヒーロー作品の広がりを見せる事が出来た。 従来の普通の映画の作り方でヒーローものが作れるという事実に気づかされたことから、ヒーロー作品はどんどん増えていったのだ(この辺分かっておらず、従来の作り方に固執したDCは完全に立ち後れてしまったわけだが)。 ただし、新しい手法としても、同じパターンは何回も使えない。 リブート版の『アメイジング・スパイダーマン』がまるで面白くなかったのは、まさに同じ手法でリブートしてしまったからだ。色々作りたいことも多かっただろうし、設定的にもこれから描くべきものはあったはずなのだが、作品に驚きが一切無かったため、失敗作に終わってしまった。 それで本作は全く切り口を変えてみた。 主人公のパーカーをより幼くさせ、ヒーローとして半人前以下の存在にさせてみたのだ。これはとても新鮮。 本作のピーターは、高校生活を満喫する15歳という若さで、叔父さんの死に立ち会ってるわけでもないから、心に暗さがない。当然ノブレス・オブリージュなんてものを自覚もしてない。自分に与えられたスーパーパワーを解放させて酔いたいし、人助けは自分の良心だけに負う趣味でしかない。 要するに強大な力を持ってしまったお子様というのが本作のピーターの立ち位置となる。確かに今までにないとても新鮮な設定である。 実はこの高校生のヒーローとしてのピーターの姿はコミック版・アニメ版では「アルティメット・スパイダーマン」という作品で描かれている。そして同じように実写では自分勝手な大人版のヒーローを描く『ハンコック』(2008)や『Gガール 破壊的な彼女』(2006)というのがある。しかし思春期真っ盛りでこんな勝手な性格のヒーローを実写映画で描くのは初の試みとなった。 それが一つの大きな良さとなっている。 ただこれだけでは単純に主人公が巻き込まれて暴れるだけの話になるため、その枷を付けることになった。 それが先輩ヒーローとしてのアイアンマンの存在である。 アイアンマンことトニー・スタークは、ヒーローとしての先輩というだけではない。かつてピーターと同じく自分の得た強大な力を自分の良心だけで用いようとして、その後長きにわたる戦いを経て成長した性格的にも先輩キャラである。すっかりベテランとなって落ち着いているが、彼にとってピーターの存在は、過去の自分が通ってきた道を歩み始めた後輩ということになる。 いわば、歴戦の勇者が振り返りたくも無い過去を突きつけられ、せめて自分が正しい成長を促してやろうという老婆心でつきあってるという感じになる。これはトニーだから出来る事で、例えばキャプテン・アメリカとかソーとか、他のアベンジャーズのキャラでは出来ない役回り。上手い人選と言える。しかも基本的に放置することによってスパイダーマンのサイドキック(サポート役の相棒)化も防いでいる。 だから配役の絶妙さというのがまず本作の強みとして考えられるだろう。 そして物語もそんな設定に合わせている。 ヒーローものと考えると、ついつい大がかりで、地球侵略とか政治的なものを考えがちだが、今回登場するヴァルチャーは悪党としてのスケールがとても小さい。 中小企業の社長という設定の彼が考えているのは、家族に不足無く食べさせることであり、従業員に給料をやって養うというレベル。少々違法性があっても、そのためだけに働いている。 スケールが大きければ良いというものでは無い。高校生のヒーローが守る適正レベルのヴィランはこれくらいがぴったりするし、この位だから、戦いも見応えがあるというものだ。単に敵がでかければ良いってもんじゃない。それにヴァルチャーの正体がばれた瞬間は、全然予測しておらず、これまでの伏線が一気に収束していく感じで、「見事」と言いたかった。 高水準にまとめられ、しかも楽しい。これは良い作品だ。 |
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