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| 2024 | マッドマックス:フュリオサ 監督・製作・脚本 | |
| 2019 | ||
| 2018 | ||
| 2017 | ||
| 2016 | ||
| 2015 | マッドマックス 怒りのデス・ロード 監督・製作・脚本 | |
| 2014 | ||
| 2013 | ||
| 2012 | ||
| 2011 | ハッピー フィート2 踊るペンギンレスキュー隊 監督・製作・脚本 | |
| 2010 | ||
| 2009 | ||
| 2008 | ||
| 2007 | モーリス・ジャールの軌跡 出演 | |
| 2006 | ハッピー フィート 監督 | |
| 2005 | ||
| 2004 | ||
| 2003 | ||
| 2002 | ||
| 2001 | ||
| 2000 | ||
| 1999 | ||
| 1998 | ベイブ 都会へ行く 監督・製作・脚本 | |
| 1997 | ||
| 1996 | ||
| 1995 | ベイブ 製作・脚本 | |
| 1994 | ||
| 1993 | ||
| 1992 | ロレンツォのオイル/命の詩 監督・製作・脚本 | |
| 1991 | ||
| 1990 | ニコール・キッドマンの恋愛天国 製作 | |
| 1989 | 囚われた女 製作 | |
| 1988 | デッド・カーム/戦慄の航海 製作 | |
| 1987 | イーストウィックの魔女たち 監督 | |
| 君といた丘 製作 | ||
| 1986 | カウラ大脱走 製作 | |
| 1985 | マッドマックス サンダードーム 監督・製作・脚本 | |
| 1984 | ||
| 1983 | トワイライトゾーン 超次元の体験 第4話監督 | |
| 1982 | ||
| 1981 | マッドマックス2 監督・脚本 | |
| 1980 | ||
| 1979 | マッドマックス 監督・脚本 | |
| 1978 | ||
| 1977 | ||
| 1976 | ||
| 1975 | ||
| 1974 | ||
| 1973 | ||
| 1972 | ||
| 1971 | ||
| 1970 | ||
| 1969 | ||
| 1968 | ||
| 1967 | ||
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| 1965 | ||
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| 1963 | ||
| 1962 | ||
| 1961 | ||
| 1960 | ||
| 1959 | ||
| 1958 | ||
| 1957 | ||
| 1956 | ||
| 1955 | ||
| 1954 | ||
| 1953 | ||
| 1952 | ||
| 1951 | ||
| 1950 | ||
| 1949 | ||
| 1948 | ||
| 1947 | ||
| 1946 | ||
| 1945 | 3'3 クィーンズランドで誕生 | |
| マッドマックス:フュリオサ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 文明が崩壊したオーストラリアでは、ほんの僅かに残った緑の土地にしがみつくように生きていた村があった。その村で生まれ育った少女フュリオサはならず者のバイク集団によって拉致されて運び去られてしまう。助けに来た母親を目の前で殺されたフュリオサはそのバイク集団のリーダーディメンタス(ヘムズワース)に対し激しい怒りを抱きつつ、生きるために彼らに従って成長した(テイラー=ジョイ)。そんな彼女はディメンタスから取引の材料として要塞の主イモータン・ジョー(ヒューム)に売られてしまい、そこで整備の腕を磨き、要塞には無くてはならない人物となっていく。 衝撃的な『マッドマックス 怒りのデス・ロード』から既に10年近く。続編が待たれていたこのシリーズだったが、ジョージ・ミラー監督が次に用意したのは新作ではなく、『怒りのデス・ロード』でのもう一人の主人公であるフュリオサの過去を描くものとなった。 確かに『怒りのデス・ロード』でのフュリオサは色々過去を感じさせる描写が多かった。彼女がイモータン・ジョーの元から逃げた理由とか、逃げた先に知り合いがいたとか、何か過去にたくさん因縁があるように見えたので、その過去を描くのは正解だったと思う。 ただ、流石に『怒りのデス・ロード』と較べると、落ちるというか、話が上手く機能出来なかった感はある。全く悪くないのだが、何かが足りない感がある。 では何が違っていて何が足りなかったのかを考えてみよう。 まず演出に関してはかなり上質。カーアクションの派手な演出と言い、馬鹿馬鹿しい攻撃方法を用いて次々に死んでいく人間達の面白さ。その中で必死に生き残ろうと工夫する主人公。まるでタワーディフェンスのゲームを見てるかのような緊張感は健在で、これは実に素晴らしい。次々にやってくる波状攻撃にボロボロになりながら耐え続け、時に反撃を加えつつ逃げ回る。まさにシリーズの特徴的な演出と言って良い。 これは素晴らしいのだが、『怒りのデス・ロード』と較べてしまうともの足りない。普通の映画と比較するならば本作の演出もかなり長い方だが、しかしマッドマックスシリーズはこれでは足りない。できればもっと長くそれを見たかったくらい。前作ではそれを実際にやってしまったこともあって、パワーダウンに見えてしまった。同じ事はしたくなかったのだろうが、逆に前作の良さを強調する結果になったのが残念だ。 前作の面白さは、極めつけの単純さにあった。マックスとフュリオサの二人がやったことはイモータン・ジョーの元から脱出して夢の地を目指したら、その地は既になく、とって返してイモータン・ジョーと戦う。つまり方向だけで言うなら、行って帰ってきただけ。どの作品と較べても極めつけの単純さを持っていた。しかし物語は単純でも、内容がちゃんと詰まっていた。理由として、このシリーズは基本的にそれなりの長さの歴史を描いているが、歴史そのものではなく、切り出した一瞬を描こうとしているからだった。前作は荒廃した世界の中で支配による秩序を作り出したイモータン・ジョーが倒れるところを切り出して見せた作品だった。背後に歴史があるからこそ、その一瞬の切り出しにも奥行きを感じさせられたのだ。 基本的に本作でもフュリオサを歴史の中に組み込んで、歴史をちゃんと描いているのだが、その半生を描いた事によって時間の経過が生じてしまい、ミニエピソードをつなげた形とせざるをえなかった。それが演出の軽さにつながってしまったと思われる。歴史の一ページを描いたからこそ面白かったのが、歴史の長さを加えたことで普通っぽくなってしまったわけだ。 あと、これは監督の狙いなのかもしれないけど、荒廃した世界の中でのディメンタスとイモータン・ジョーの対比というのがちょっと弱かったか?ディメンタスの方は目に付いたものは略奪し、自分が楽しめればそれで良いといういい加減な性格をしていて小者感溢れる人間である一方、要塞の中で残酷ではあるがより多数の人間を生かそうとしているイモータン・ジョーは秩序を重んじつつ、宗教的な組織を作ることで、より過激でイカれた組織を作っている。 この二つの組織は全く異なり、その組織が歴史の中で変遷しつつぶつかり合っていくのだが、歴史的な意味でも政治的な意味でも対比が上手く出来てないため、説明不足に感じてしまう。どちらの組織にも属しているフュリオサがその狭間を埋めて対比を担う形になれば良かったような気はする。監督としてはする気もなかったんだろうけど、そこが出来てればだいぶ雰囲気も変わっただろうと思える。 面白いのだがもうちょっと面白く出来そうな気がしてしまうためにマイナス面ばかり見えてしまう不幸な作品だ。 |
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| マッドマックス 怒りのデス・ロード | ||||||||||||||||||||||||||||||
| 2015米アカデミー編集賞、音響賞、美術賞、衣装デザイン賞、ヘア&メイクアップ賞、作品賞、監督賞、撮影賞、視覚効果賞、作品賞、助演男優賞(ハーディ)、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、視覚効果賞、音響賞、編集賞 2015英アカデミープロダクションデザイン賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞、撮影賞、特殊視覚効果賞 2015日本アカデミー外国作品賞 2015ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞 2015LA批評家協会監督賞、撮影賞、美術賞、作品賞 2015シカゴ映画批評家協会作品賞、監督賞、監督賞、編集賞、主演女優賞(セロン)、作曲賞 2015放送映画批評家協会アンサンブル演技賞、監督賞、編集賞、美術賞、衣装デザイン賞、ヘア&メイクアップ賞、視覚効果賞、アクション映画賞、作品賞、主演女優賞(セロン)、SF/ホラー作品賞、撮影賞 |
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| 荒廃した世界の中、一人で生きているマックス(ハーディ)は、その地方を支配するイモータン・ジョー(キース=バーン)の人間狩りに捕まってしまった。そんな時、イモータン・ジョーの信頼するドライバーのフュリオサ(セロン)がジョーの妻達を連れて逃亡してしまった。彼女を止めるべく軍団が出動し、マックスも団員の一人ニュークス(ホルト)の“輸血袋”として否応なく巻き込まれることになってしまう。 前作『マッドマックス サンダードーム』(1985)から実に30年の時を経て作られた続編。オリジナルはミラー監督にとっての出世作でもあり、並々ならぬ主入れが込められた作品となった。 あまりの前評判の良さに、「たかがアクション映画がなんでそんな評価高いの?」と思っていたが、一見して分かった。この作品、とんでもなく質が高い。 質が高いというのは、アクション作品として優れているというのは大前提。核戦争後のディストピア世界を描いた嚆矢としての意地があり、その部分の無茶苦茶さは本当に感心出来るレベル。何もかも欠乏した世界で、節約など一切考えずあらゆる資源を浪費するだけ浪費する悪の組織の頭の悪さはいっそ見事と思えるほど。カルト宗教の要素を加えたおかげで、これまでの作品以上にその描写が映えさせることに成功している。自分の命なんぞいらないというぶっ壊れたようなキャラがやたら登場するため、カーチェイスシーンなんかも、アクロバティックで冗談のような動きで迫ってくる。よくこんなシーン考えついたもんだ。と言うレベルの描写が連続して出てくるので、見ていて全く飽きさせない。 敵側が完全にイカれてるので、それだけ正義が映えるというもの。題名に“マッド”が入っていることから分かるように、マックス自身も決して正義ではない。他のキャラと較べて、ちょっとだけ人を思う事が出来るに過ぎない。でもその程度でもこの作品では主人公としてちゃんとキャラ立ちした正義に見えてしまう。その辺のバランスが良く出来てる。 本作がとても上手いと思えるのは、そこからもう一歩踏み出しているところだろう。 成熟した社会というのは、より多くの人を受け入れる社会である。社会的に役立つか否かではなく、一人一人の個性を大切に、あらゆる人間の共生社会を作る。これは前近代からの宿題として、それなりに長い時間をかけて作られてきた。それは極めて非効率な社会だが、一人一人の個性を大切にする社会であり、とても重要な部分だ。政治的なバランスによって、全体主義と個人主義の狭間で揺れ動いているが、現在は基本的には成熟した世界を手に入れてはいる。 それを核戦争という形で一旦リセットし、近代化を一旦逆転させた。 その後に現れるのは、支配者にとって役に立つ者のみが生き残れるシステムである(ただ、ここで言う“必要”は様々。マックスが“輸血袋”となったように、医療用として血や内臓、場合によっては食料としてのストックとして必要とされることもある。又女性は子どもを産む機械として重宝されてもいる)。ギリギリの社会だけに、必要な効率を高めねば生き残れない、あくまで効率が最重要になる社会となる。ここに登場するイモータン・ジョーは、水を武器と自らのカリスマを利用して、極めて効率的な社会を作り上げたが、それは同時に人格や個性というものを否定する社会である。生き残りたければ、自分がいかに必要とされるのかをアピールするしかない社会制度を作り上げたわけだ。弱者の救済は基本的に支配者の情けに負っていて、それも自らの神格性を高めるためのものとして作り上げた。 これによって前近代的な社会ではあるが、効率的な社会が形作られた。核戦争後の、生きるのに苦労する時代にあっては、こう言う一人の人間を頂点とする全体主義的社会でなければ秩序は保てない。こう言う時に個人を大切にすれば、あっという間に殺し合いが起こって秩序は崩壊する。イモータン・ジョーはそれをよく分かっており、それ故に自らを神格化し、その言葉を絶対とさせる事を徹底させた。 これは人類を生き延びさせるためには必要な措置であり、人類を存続させるための効率を求めた社会となる。そしてこのような社会はどんな国でも何度も経験してきたことだ。 そしてこれはどの時代にも一定数必ずそういう社会を求める人は存在する。現代で言うならイスラム国がまさにそれを体現したものである。又、世界的な風潮として、自らの力で生き抜かねばならないとする、新しい意味でのコンサバティブな考えにも適合している。 それに対して、作品を通してはっきりと「NO!」を突きつけたのが本作となる。 元々映画というのは作家の作りたいものを作らせるという風潮から、リベラルなものを志向する傾向が強く、それは作風にも表れる。全体主義を嫌い、個々人の自由を重要視するため、基本的に映画的な娯楽要素は、全体主義者を悪とし、自由主義者を善とする作風に偏ることになる。 その極めて単純な作風を全く変えることなく、しかし今の時代に合うようにアレンジする事によって、視聴者にとって非常に分かりやすく、そして痛快アクションを絡める事で、心を高揚させるような作りに出来た。 基本に忠実に、単純に、娯楽要素をたっぷり入れる。本当に映画の基本中の基本をしっかり形にした結果、非常に質の高いものが完成した。それが本作である。 |
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| ハッピー フィート 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 2006米アカデミー長編アニメ賞 2006英アカデミー長編アニメ賞、作曲賞 2006NY批評家協会アニメーション賞 2006LA批評家協会アニメーション賞 2006ワシントンDCアニメ賞 2006ゴールデン・グローブ歌曲賞、アニメーション作品賞 2006放送映画批評家協会サウンドトラック賞、長編アニメ賞 2006サターンアニメ映画賞 2006NYオンライン映画批評家協会アニメ賞 2006全米BoxOffice第9位 2006アメリカ製作者組合アニメ部門 2006AFIベスト |
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| ベイブ 都会へ行く 1998 | |||||||||||||||||||||||
| 1998米アカデミー主題歌賞 | |||||||||||||||||||||||
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| イーストウィックの魔女たち 1987 | |||||||||||||||||||||||
| 1987米アカデミー作曲賞、録音賞 1987英アカデミー特殊視覚効果賞 1987NY批評家協会男優賞(ニコルソン) 1987LA批評家協会男優賞(ニコルソン) |
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| ニューイングランドにある平和な村イーストウィックには、彫刻家アレキサンドラ(シェール)、音楽教師ジェーン(サランドン)、ジャーナリストのスーキー(ファイファー)という三人の未亡人が住んでいた。彼女たちはほんの少し人と違った能力を持っており、そのためいつも三人で一緒に過ごし、寄ると男の話をしていた。そんな時、イーストウィックにデイル(ニコルソン)という男が越してくる。野性的な行動と金払いの良さですっかり町の人気者となったデイルに、三人も引きつけられ、やがてそれぞれ他の二人に申し訳なさを感じつつもデイルと肌を重ねていく。だが実はデイルは三人の能力を知ってそれを利用するために人間界にやってきた悪魔だったのだ… ジョン=アップダイクの同名小説の映画化で1987年全米興行成績6位の好成績を残す。なお、製作はロブ・コーエンが行っている。 本作はSFともファンタジーとも、どちらにも取れる設定ながら、やってることは男と女の痴話喧嘩と、女同士の友情の強さを示したという、ラブコメ作品として観るべき。アクション畑のミラー監督が作っているため、非常にテンポが軽快なのが特徴か。 ただ、なんだかんだ言っても本作の見所と言えば、“御大”と言われるアクの強い俳優同士のぶつかり合いだろう。 ニコルソンの名演ぶりは言うまでもなく、すっぴんで悪魔役なんかできるのはこの人くらいだ。最初が割とダンディに見えてながら、本性を現していくと、目と歯を剥き、肩を怒らせるだけで化け物に見えてしまう。『ウルフ』と言い本作と言い、無茶苦茶な存在感。 で、それに負けない存在感が女性三人…いや、負けてないどころか三人組んだら無敵。この三人がつるんでだべるシーンだけでげっぷが出そうなくらいに濃い。つか、ほんとにおばちゃんパワーの濃さってものを映画で見せられるとは思わなんだ。しかも時折狙ったように若作りするもんだから、笑うに笑えない。 そう言う意味でアクション畑のミラー監督にこれを撮らせたのは大正解。ストーリーがかなり単純になってしまったが、こんな濃いメンツで文芸的にねっとり撮られたんじゃ濃すぎて気分悪くなりそう。軽快に撮ってくれたからこそ、コメディの枠に収まってくれてるから。かなりギリギリのバランスだけど。 |
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| マッド・マックス サンダードーム 1985 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1985ゴールデン・グローブ歌曲賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 核戦争後の地球。生きるために彷徨い続けるマックスは一つの大きな町にたどり着いた。そこは女王(ティナ=ターナ)が治める町で、豊富な電力とサンダードームと呼ばれる闘技場での残酷な決闘を見せ物にすることで、大きく栄えていた。マックスがたどり着いて直後、町の電気技師マスター&ブラスターが女王に反逆を企て、その事件に巻き込まれたマックスだが。 マッドマックス第三作。2の正統的な続編だと聞いていたので、結構楽しみに観に行った(スタントマンが今度は何人くらい死んだんだろうなどと少々不謹慎な思いがあったことは確かだが)。 キャラで言うと、何故かマッドマックス2に出ていたジャイロキャプテンが又出ていたのでちょっと喜んだ位。大御所ティナ=ターナを使う理由は何だったんだろう?客寄せだけか。 ストーリーは一応これまでダーティ・ヒーローであったマックスが伝説へと入っていく話とは見られるのだが、それを言うなら、いくら核戦争後だからって、登場人物が馬鹿すぎないか?みんな的はずれな発言を繰り返し、ストーリーも強引。しかもあれだけ必死になって追いかけてきたマックスを前に、にっこり笑って逃がしてしまうのはどういう了見だ?カー・チェイスもなし。私の頭の中ではこの作品は「大まじめに作った馬鹿映画」となっている。 今回に関しては前2作に見られた演出のキレも無いが、これはミラー監督の名優であり、共にマッドマックスを作ってきた製作者のケネディが1983年に事故死してしまった事もあるのかもしれない。 サンダードームという闘技場はなかなか魅力的。だけど、後になって、様々な映画でこの手のものは使われ尽くしていたことが分かり、幻滅する。 |
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| マッドマックス2 1982 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
| 1982LA批評家協会外国映画賞 1982アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ |
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| 地球は核戦争により荒廃していた。激しい燃料危機の中、しかし人間は死に絶えていなかった。残された居住可能地区の中で燃料の奪い合いが始まったのである。その中で、凶悪な暴走族の集団に狙われた小さな油田村から用心棒として雇われたマックス(ギブソン)は、タンクトローリーと住民を無事運ぶため、彼らに協力することに。 前作『マッドマックス』とはうって変わった近未来SF作品。前作も興行的には大成功だったが、本作のヒットこそがミラー監督、ギブソン双方にとっての本当の成功となった。 これは私にとっては本当に思い出深い作品である。観たのはテレビだったが、これほど楽しい、そしてこれほど残酷な映画があったのか、と、当時の私はすっかりこの作品の虜になった。 物語の方は展開が二転三転。単純な勧善懲悪ではなく、主人公のマックス自身超法規的な立場に身を置いているため、正義というのはマックス自身を基準に置くしかない。それをきっちりと押し進めた所にこの作品の面白さがあるだろう。何よりこういう作り方も出来る事を映画界に吹き込んだ功績は大きい。更に明らかにスタントマンが死んでいるんじゃないか?と言うシーンがいくつも出てくるのも凄い。ある意味スナッフな作品とも言える。 そしてこの作品を特徴づけているのは何と言ってもその特異な世界観にある。舞台が近未来と言うことで、様々なところが機械化されていたりするが、それらは全て壊れた後で、その荒廃した砂漠の中を疾走する改造バイクにまたがったモヒカン頭の暴走族達。この設定は後の映画にかなり大きな影響を与え、以降見るからに悪役の多くはモヒカンとバイクが定番になってしまったほど。日本でも「北斗の拳」や「バイオレンス・ジャック」など、様々な漫画に流用されている。 ただ、設定を見てみると、これって馬を改造バイクに変えた西部劇だと見ることも出来るんだよな。そうすればタンクローリーは幌馬車に、石油を掘る村の連中は農民って事になるか…って、なんだ?こりゃ。ひょっとしてこれって『シェーン』(1953)そのものじゃないの?実はこの点にこそ、本作の魅力があるのかもしれない。突飛な設定を作るのならば、物語そのものは出来るだけ単純にした方が受けが良い。と言うことをよく示した作品とも言えるだろう。 |
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| マッドマックス 1979 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 近未来。追跡専門パトカーの警官マックス(ギブソン)は、暴走族の一人を事故で殺してしまう。復讐に燃える暴走族集団から標的にされたマックスは、同僚を殺され、妻と子にまで殺されてしまう。そして復讐の鬼と化したマックスは暴走族を一人一人血祭りに上げていく。その復讐の果てに見たものは… ミラー監督の長編デビュー作。オーストラリア製作映画を世に知らしめた作品で、国内での映画興行記録を塗り替えたのみならず、アメリカ、日本で大ヒットし、本作のお陰でミラー監督とギブソンがアメリカ映画に進出するきっかけを作った作品。 本作は本当の低予算作品で、監督も商業作品としては不慣れでキャストも当時は完全な無名。ギブソンに至ってはアメリカに仕事がないので、オーストラリアで一旗揚げようとやってきた移民だった。だが、その切れの良いアクションシーンと、演出の上手さが際だっていた。 実はこれを観たのは『マッドマックス2』の後。2でぶっ飛んだ設定だったので、1はどうだ?と思ったら以外にも普通っぽい感じだった。しかし、流石にギブソンの出世作となった作品だけある。暴力シーンや破壊のシーンに妥協がなく、よくもまあここまで。と思わされるシーンが連発する。特に日本では4人ほどスタントマンが死んだと言うニュースが流れるほどだった(これは実は製作側の戦術だそうで、宣伝のためにでっち上げられたのだが、そのお陰で映画館に足を運ぶ人が増え、そのクチコミでヒットにつながったという。映画における宣伝の重要さを端的に示した出来事でもある)。 時として人殺しも辞さない強いキャラクターが、ある理由から暴力を封じられ、不条理な暴力に耐えに耐え、最後に爆発する。というのは日本の任侠映画を彷彿させて凄く好き。何せ主人公の強さが際だつし、そのカタストロフは見ていて本当にすっきりする。 後、どうでもいい話だが、私の旧友にこの作品の大ファンがいて、その台詞を全部覚えていた奴がいた(しかもご丁寧に吹き替え版の方)。一度飲み会で「一発芸」と称してマックスの復讐シーン約30分を延々と朗読していたことがある。そのお陰でこの作品は私にとって、忘れられない作品となった(ちなみにそいつの友人でその芸をリクエストした奴は、私の知る限りでは誰もいない)。 尚、本作が『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)が現れるまでは「制作費に対して最も効率よく稼いだ映画」として(制作費僅か35万ドルに対して、総収益は1億ドルを超える)、ギネスにも載っていた。 |
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