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アラン・レネ
Alain Resnais

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Alain Resnais
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60年以上にわたって活躍したフランスの映画監督、脚本家。ジャン・カイロル、マルグリット・デュラス、アラン・ロブ=グリエ、ホルヘ・センプルン、ジャック・スタンバーグなど、それまで映画とは無関係だった作家たちと共同で映画を制作するという習慣を確立した。
脚本家としてはアレックス・レヴァル名義もあり。
彼の映画では意識、記憶、想像力の関係性が頻繁に探求されており、物語の形式的な構造を革新的に考案したことで知られている。
アニエス・ヴァルダ、クリス・マルケル、ジャン・カイロル、マルグリット・デュラス、アラン・ロブ=グリエ(レネはキャリアの初期に彼らと共同制作した)を含む「左岸」の作家や映画製作者のグループとより頻繁に結び付けられていた。
フランスで最大の漫画本の個人コレクションを所有した。
レネ自身も、十代の頃にシュルレアリスムを発見したきっかけをアンドレ・ブルトンの作品に求めている。「空想上の生活が現実の生活の一部ではないと考えることを拒否したアンドレ・ブルトンに、私は常に忠実であり続けたい」。
Wikipediaより引用
経歴
1922'6'3 ブルターニュで誕生
1934 両親からコダックの8ミリカメラをプレゼントされ、それを使って短編映画を作り始めた
1940 ルネ・シモン学校で演技を学ぶ
1943 新設された映画学校IDHECに映画編集を学ぶ
1945 フランス占領軍に加わってドイツとオーストリアに赴き、旅回りの劇団レ・アルルカンの臨時メンバーとなった
1946 フローレンス・マルローと結婚
フランスに帰国し、映画編集者となる
1957 カンヌ国際映画祭ベスト・セレクション受賞
1959 二十四時間の情事がカンヌ国際映画祭FIPRESCI(国際映画批評家連盟)賞、映画テレビ作家協会賞受賞
1960 アルジェリアにおけるフランスの軍事政策に抗議する121人宣言に署名
1961 去年マリエンバートでヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞受賞
1962 国際漫画協会、バンド・デシネ・クラブの副会長兼共同創設者となった
1963 ミュリエルヴェネツィア国際映画祭国際評論家賞受賞
1966 『戦争は終った』がカンヌ国際映画祭で国際映画批評家連盟、ルイス・ブニュエル賞
1967 6人の監督とともに、ベトナム戦争に関する共同作品『ベトナムから遠く離れて』に参加
1969 政治家で作家のアンドレ・マルローの娘であるフロランス・マルローと結婚
1974 『薔薇のスタビスキー』がカンヌ国際映画祭パルム・ドールノミネート
1977 『プロビデンス』がセザール監督賞受賞
1980 『アメリカの伯父さん』がカンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ、FIPRESC賞受賞。パルム・ドールノミネート
1989 『お家に帰りたい』がヴェネツィア国際映画祭イタリア批評家賞受賞
1994 『SMOKING/NO SMOKING』がベルリン国際映画祭業績賞受賞
1998 『恋するシャンソン』がベルリン国際映画祭銀熊賞受賞
2006 『六つの心』がセザール監督賞ノミネート。ヴェネツィア国際映画祭監督賞受賞
2009 『風にそよぐ草』がカンヌ国際映画祭審査員特別賞、生涯功労賞を受賞、パルム・ドールノミネート。セザール脚色賞ノミネート
2012 『VOUS N'AVEZ ENCORE RIEN VU (YOU AIN'T SEEN NOTHIN' YET!)』がカンヌ国際映画祭パルム・ドールノミネート。
2014 『Aimer, boire et chanter (Life of Riley)』がベルリン国際映画祭アルフレード・バウアー賞受賞
2004'3'1 死去
5+
去年マリエンバートで
夜と霧
4+
3+
二十四時間の情事
ミュリエル
2+
個人的感想
年代
2004 3'1 死去
2003
2002
2001
2000
1999
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980 アメリカの伯父さん 監督
1979
1978
1977 プロビデンス 監督
1976
1975
1974
1973 薔薇のスタビスキー 監督
1972 西暦01年 監督
1971
1970
1969
1968
1967 ベトナムから遠く離れて 監督
1966
1965 戦争は終った 監督
1964
1963 ミュリエル 監督
1962
1961
1960 去年マリエンバートで 監督
1959 二十四時間の情事 監督
1958 スチレンの唄 監督
1957
1956 世界の全ての記憶 監督
1955 夜と霧 監督
1954
1953
1952
1951
1950 ゴーギャン 監督
ゲルニカ 監督
1949
1948 ヴァン・ゴッホ 監督
1947
1946
1945
1944
1943
1942
1941
1940
1939
1938
1937
1936
1935
1934
1933
1932
1931
1930
1929
1928
1927
1926
1925
1924
1923
1922 6'3 ブルターニュで誕生

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レビュー

 

ミュリエル
Muriel ou le temps d'un retour
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ジャン・ケイヨール(脚)
デルフィーヌ・セイリグ
ジャン=バティスト・チェーレ
ジャン=ピエール・ケリアン
ニタ・クライン
クロード・サンヴァル
ローラン・バディ
ジャン・シャンピオン
ジャン・ダステ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
製作年 1963
製作会社 アルゴス・フィルム
アルファ・プロ
エクレア
ジャンル 恋愛
売り上げ
原作
ジャン・ケイヨール (検索) <A> <楽>
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去年マリエンバートで
L'annee derniere a Marienbad
1961ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞
1962米アカデミー脚本賞
1962英アカデミー作品賞
1964キネマ旬報外国映画第3位
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ピエール・クーロー
レイモン・フロマン(製)
アラン・ロブ=グリエ(脚)
デルフィーヌ・セイリグ
ジョルジョ・アルベルタッツィ
サッシャ・ピトエフ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 それまでの“正しい”映画作りの全ての要素に疑問を投げかけ、破壊した作品で、ヌーヴェル・ヴァーグの傑作
 真実と嘘の境界が曖昧で、見ている人間に不安を突きつける
 この作品のベースになっているのが羅生門(1950)である。
 断片的で移り変わる物語は、ヨーロッパの豪華なホテルや城を舞台に、女性1人と男性2人の3人の主要人物を描き、1年前の以前の出会いの可能性が繰り返し主張され、疑問視され、否定される。ヴェネチア映画祭で金獅子賞を受賞した後、この映画は大きな注目を集め、ロブ=グリエとレネ自身が映画について矛盾した説明をしているように見えるインタビューによって、どのように理解すべきかについて多くの異なる解釈を引き起こした。しかし、この映画が映画における物語構築の伝統的な概念に対する重大な挑戦を表したことは疑いようがなかった。
製作年 1960
製作会社 コキノール
テラ・フィルム
コルモラン・フィルム
ジャンル シュール
売り上げ $220,009
原作
歴史地域
関連
二十四時間の情事
Hiroshima mon amour
1959カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞(レネ)、映画テレビ作家協会賞(レネ)
1959キネマ旬報外国映画第7位
1960米アカデミー脚本賞ネート
1960
英アカデミー国連賞、作品賞、女優賞(リヴァ)
1960NY批評家協会外国映画賞
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サミー・アルフォン
永田雅一(製)
マルグリット・デュラス(脚)
エマニュエル・リヴァ
岡田英次
ベルナール・フレッソン
アナトール・ドーマン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 大映との合作による日本を舞台とした作品で、1945年の原爆投下のドキュメンタリー映像を、復興した広島の広島の映像と一緒に使っている。当初は原爆に関するドキュメンタリー映画だったのだが、レネ監督の指示でドラマ仕立てにまとめ上げた。脚本はこのためにマルグリット=デュラスの書き下ろし。ちなみに原題は『Hiroshima, Mon Amour』で、今はむしろ『ヒロシマ・モン・アモール』と言われることが多い(実情に即してるとは言え、確かに邦題は良くない)。

 広島の町を舞台にした男と女の、文字通り二十四時間の交流を描いた作品。かつて原爆によって破壊された町の、慰霊の騒々しさと虚しさを同時に描いた作品。

 本作ではかつて第二次世界大戦によって敗戦を経験した日本とフランス(フランスは最初はドイツに、次は連合国に敗北してる)の男女を描いているが、これは観たまんまではないのだろう。事実女はかつてドイツ人の愛人を持っていたと言うことから、彼らのそれまでの半生とは、かつて蹂躙された国そのものを指しているのではなかろうか。すれば、この二人の情事とは、かつての記憶を掘り起こしつつ、お互いを慰め合ってると見ることが出来る。

 しかし、同じ敗戦にまみえた両者であったとしても、本当にお互いを理解することは出来ない。何故なら、自分自身の記憶が強すぎて、目に見える光景も全て自分の記憶に置き換えてしまってるから。特に彼女の方は、その場所に身を置きながら、あくまで外から観ているだけでしかないのだ。

 元々レネ監督は本作をドキュメンタリーとして撮るつもりだったらしいから、広島の景色を“観る”だけで、“分かる”とは思わずに撮影したのでは無かろうかと思う。だから、映像もかなり突き放したようなものになっているのかも知れない。

 ただ、そのドキュメンタリーがストーリー仕立てになった過程を考えるに、最初はレネ監督は憐憫の想いを持ち、破壊し尽くされた寒村を撮影しようと考えていたのかも知れない。その幻想が、見事に復興した広島の町を見た事で崩れ去ってしまったがためにストーリー仕立てにしたんじゃなかろうか?とも思えてしまう。ヴェンダース監督の『東京画』(1985)の時にも感じた居心地の悪さと同じものを感じてしまう。
製作年 1959
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原作
マルグリット・デュラス (検索) <A> <楽>
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夜と霧
Nuit et brouillard
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アナトール・ドーマン(製)
ジャン・ケイヨール(脚)
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 ホロコーストに正面から取り組んだ世界初の作品で、ただ克明な記録作品となっているのだが、これほど乾ききった、恐ろしい作品は希有だろう。少なくとも私にとって本作は私自身の心に大きな傷痕を残した。“衝撃”こそが私自身の映画を観るモチベーションだとするなら、本作は確かにそのモチベーションを徹底して満足させてくれる作品だった…後味は凄まじく悪いが。
 本作を観たのは、東京在住時の名画座で。その時は分からなかったが、これは完全版だったらしい(ブルドーザーで死体を集めるシーンもちゃんと動いていた)。
 私たちが暮らしている現代の生活というのは、歴史の積み重ねの上に成り立っている。その中には楽しいものばかりではない…と言うよりは、むしろ目を背けたいものの方が多い。それを記録する事は可能であっても、その克明な現実を観たがらないのが普通だろう。
 この作品のように、「人が見たくない現実」を見せつけるというのも、やはり映画としてはありなんだろう。ここで描かれていたのは、“物体化した人間”の姿であり、そして人間を単なる物体にしてしまったのは、やはり人間であるという単純な事実。感情を持たぬカメラは、ただそれを記録し、その記録が私たちに迫ってくる。そこにある物体は、本来人間として生き、肉体的にも精神的にも、後の世に某かを残すべき存在だったはずなのだが…
 本作に登場するのは基本的には物語ではない。ここに映されていたのは、当時の“普通の”光景だったのかもしれない。実際、これを目撃して(あるいは体験した)人だって実際にはいる(勿論ドキュメンタリーというのは、監督(あるいは脚本)の意図的な方向性というものを持つし、本作だってそれは充分あったはずだが)。
 それをどう受け取るかは観ているこちら側の問題だ。

 ナチス強制収容所を扱った最初のドキュメンタリーの一つだが、実際の過去の存在よりも収容所の記憶を扱っている。標準的なドキュメンタリー技法ではその恐怖の凄惨さに向き合うことはできない(それどころか人間味を帯びてしまう危険性すらある)と悟ったレネ監督は、収容所の歴史的な白黒画像と当時のカラー映像を長いトラッキングショットで交互に映し出す距離感を演出する技法を選んだ。付随するナレーション(自身も収容所の生存者であるジャン・カイロルが書いた)は意図的に控えめにされ、距離感を演出する効果を高めている。この映画はフランス政府による検閲問題に遭遇したが、その影響は大きく、監督の最も賞賛される作品の一つであり続けている。
製作年 1955
製作会社 アルゴス・フィルム
ジャンル 戦争(ドキュメンタリー)
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原作
ジャン・ケイヨール (検索) <A> <楽>
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