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アラン・レネ
Alain Resnais

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鑑賞本数 合計点 平均点
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評論
アラン・レネの世界
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1973 薔薇のスタビスキー 監督
1972 西暦01年 監督
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1968
1967 ベトナムから遠く離れて 監督
1966
1965 戦争は終った 監督
1964
1963 ミュリエル 監督
1962
1961
1960 去年マリエンバートで 監督
1959 二十四時間の情事 監督
1958 スチレンの唄 監督
1957
1956 世界の全ての記憶 監督
1955 夜と霧 監督
1954
1953
1952
1951
1950 ゴーギャン 監督
ゲルニカ 監督
1949
1948 ヴァン・ゴッホ 監督
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1924
1923
1922 6'3 ブルターニュで誕生

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タイトル
<A> <楽>
  
物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

ミュリエル 1963
<A> <楽>
デルフィーヌ・セイリグ
ジャン=バティスト・チェーレ
ジャン=ピエール・ケリアン
ニタ・クライン
クロード・サンヴァル
ローラン・バディ
ジャン・シャンピオン
ジャン・ダステ
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
去年マリエンバートで 1960
1961ヴェネツィア国際映画祭サン・マルコ金獅子賞
1962米アカデミー脚本賞
1962英アカデミー作品賞
1964キネマ旬報外国映画第3位

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アラン・ロブ=グリエ(脚)
デルフィーヌ・セイリグ
ジョルジョ・アルベルタッツィ
サッシャ・ピトエフ
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 それまでの“正しい”映画作りの全ての要素に疑問を投げかけ、破壊した作品で、ヌーヴェル・ヴァーグの傑作
 真実と嘘の境界が曖昧で、見ている人間に不安を突きつける
 この作品のベースになっているのが羅生門(1950)である。
二十四時間の情事 1959
1959カンヌ国際映画祭国際映画批評家連盟賞(レネ)、映画テレビ作家協会賞(レネ)
1960米アカデミー脚本賞ネート
1960
英アカデミー国連賞、作品賞、女優賞(リヴァ)
1960NY批評家協会外国映画賞

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マルグリット・デュラス(脚)
エマニュエル・リヴァ
岡田英次
ベルナール・フレッソン
アナトール・ドーマン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 広島で偶然であったフランス人映画女優(リヴァ)と技師(岡田英次)の二人。僅かな間を惜しみ、体を重ねる二人。薄闇。男女が抱きあう。そして女は男と夜の広島を歩きながら、戦争の時代に経験したみずからの悲恋の記憶を物語りはじめる…
 大映との合作による日本を舞台とした作品で、1945年の原爆投下のドキュメンタリー映像を、復興した広島の広島の映像と一緒に使っている。当初は原爆に関するドキュメンタリー映画だったのだが、レネ監督の指示でドラマ仕立てにまとめ上げた。脚本はこのためにマルグリット=デュラスの書き下ろし。ちなみに原題は
『Hiroshima, Mon Amour』で、今はむしろ『ヒロシマ・モン・アモール』と言われることが多い(実情に即してるとは言え、確かに邦題は良くない)
 広島の町を舞台にした男と女の、文字通り二十四時間の交流を描いた作品。かつて原爆によって破壊された町の、慰霊の騒々しさと虚しさを同時に描いた作品。
 本作ではかつて第二次世界大戦によって敗戦を経験した日本とフランス
(フランスは最初はドイツに、次は連合国に敗北してる)の男女を描いているが、これは観たまんまではないのだろう。女性の側からすればかなり複雑である。フランスは最終的には連合国であり、日本に対する勝利者でもあり、更に彼女はかつてドイツ人の愛人を持っていたと言う。彼女の側からした戦争とはあまりにも複雑すぎる。その上で考えるのは、彼らのそれまでの半生とは、かつて蹂躙された国そのものを指しているのではなかろうか。すれば、この二人の情事とは、かつての記憶を掘り起こしつつ、お互いを慰め合ってると見ることが出来る。
 しかし、同じ敗戦にまみえた両者であったとしても、本当にお互いを理解することは出来ない。何故なら、自分自身の記憶が強すぎて、目に見える光景も全て自分の記憶に置き換えてしまってるから。特に彼女の方は、その場所に身を置きながら、そこに見ているのは、かつて戦争中に愛しあったドイツ兵の事であり、そこから自分が受けた苦しみのみ。彼女に関してはあくまで外から観ているだけでしかないのだ。一方それを
「体験してないから分からない」となじる男も又、心は別なところにあるように見える。同じものを見て、共感もし、体も重ねる。だが、肝心な部分で二人は全く違うものを見ているのだ。
 元々レネ監督は本作をドキュメンタリーとして撮るつもりだったらしいから、広島の景色を“観る”だけで、“分かる”とは思わずに撮影したのでは無かろうかと思う。だから、映像もかなり突き放したようなものになっているのかも知れない。
 ただ、そのドキュメンタリーがストーリー仕立てになった過程を考えるに、最初はレネ監督は憐憫の想いを持ち、破壊し尽くされた寒村を撮影しようと考えていたのかも知れない。その幻想が、見事に復興した広島の町を見た事で崩れ去ってしまったがためにストーリー仕立てにしたんじゃなかろうか?とも思えてしまう。ヴェンダース監督の『東京画』(1985)の時にも感じた居心地の悪さと同じものを感じてしまう。
夜と霧
Nuit et brouillard
<A> <楽>
アナトール・ドーマン(製)
ジャン・ケイヨール(脚)
★★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
原作:ジャン・ケイヨール
 第二次戦争終了後から、今に至るまでのアウシュヴィッツ強制収容所を描いた記録映画。廃墟となった現在をカラーで、往時を再現するモノクロで描く。
 ホロコーストに正面から取り組んだ世界初の作品で、ただ克明な記録作品となっているのだが、これほど乾ききった、恐ろしい作品は希有だろう。少なくとも私にとって本作は私自身の心に大きな傷痕を残した。
“衝撃”こそが私自身の映画を観るモチベーションだとするなら、本作は確かにそのモチベーションを徹底して満足させてくれる作品だった…後味は凄まじく悪いが
 本作の構成で面白いのは、現在のアウシュビッツの光景と記録フィルムの光景を交互に映し出すことによって、ここで行われていたことは時間的に現在と連続なのだ。と言うことを主張したという点にある。これまでのドキュメンタリー作品とはかなり質が異なり、レネ監督の作家性をしっかり出しているのが大きな特徴である。
 本作を観たのは、東京在住時の名画座で。その時は分からなかったが、これは完全版だったらしい
(ブルドーザーで死体を集めるシーンもちゃんと動いていた)
 私たちが暮らしている現代の生活というのは、歴史の積み重ねの上に成り立っている。その中には楽しいものばかりではない…と言うよりは、むしろ目を背けたいものの方が多い。それを記録する事は可能であっても、その克明な現実を観たがらないのが普通だろう。
 この作品のように、「人が見たくない現実」を見せつけるというのも、やはり映画としてはありなんだろう。ここで描かれていたのは、“物体化した人間”の姿であり、そして人間を単なる物体にしてしまったのは、やはり人間であるという単純な事実。感情を持たぬカメラは、ただそれを記録し、その記録が私たちに迫ってくる。そこにある物体は、本来人間として生き、肉体的にも精神的にも、後の世に某かを残すべき存在だったはずなのだが…
 本作に登場するのは基本的には物語ではない。ここに映されていたのは、当時の“普通の”光景だったのかもしれない。実際、これを目撃して(あるいは体験した)人だって実際にはいる(勿論ドキュメンタリーというのは、監督(あるいは脚本)の意図的な方向性というものを持つし、本作だってそれは充分あったはずだが)。
 それをどう受け取るかは観ているこちら側の問題だ。
 これを“当時の普通の光景”として受け取るか、それとも、自分自身の問題として受け取るか。記録とは、そういうものだ。
 尚、本作はドキュメンタリーそのものの作り方を変えたと言われている。単に記録を取るだけでなく、構成によって作家性をも伝えることが出来るものとなった。
製作年 1955
製作会社 アルゴス・フィルム
ジャンル ドキュメンタリー(戦争)
売り上げ $
原作
歴史地域 オシフィエンチム(ポーランド)
関連
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