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高倉健の背中 監督・降旗康男に遺した男の立ち姿大下英治 |
2019 | 5'20 死去 | ||||||||
2018 | |||||||||
2017 | |||||||||
2016 | |||||||||
2015 | |||||||||
2014 | |||||||||
2013 | |||||||||
2012 | 少年H 監督 | ||||||||
あなたへ 監督 | |||||||||
2011 | |||||||||
2010 | |||||||||
2009 | |||||||||
2008 | |||||||||
2007 | 憑神 監督・脚本 | ||||||||
2005 | 単騎、千里を走る。 共同監督 | ||||||||
2003 | 赤い月 監督・脚本 | ||||||||
2001 | ホタル 監督・脚本 | ||||||||
1999 | 鉄道員(ぽっぽや) 監督・脚本 | ||||||||
1997 | 現代仁侠伝 監督 | ||||||||
1995 | 藏 監督 | ||||||||
1994 | 新・極道の妻たち 惚れたら地獄 監督 | ||||||||
1992 | 寒椿 監督 | ||||||||
1991 | 首領になった男 監督 | ||||||||
1990 | 遺産相続 監督 | ||||||||
タスマニア物語 監督 | |||||||||
1989 | あ・うん 監督 | ||||||||
極道の妻(おんな)たち 三代目姐 監督 | |||||||||
将軍家光の乱心 激突 監督 | |||||||||
1988 | 徳川家康 監督 | ||||||||
1987 | 別れぬ理由 監督 | ||||||||
1985 | 夜叉 監督 | ||||||||
魔の刻 監督 | |||||||||
1983 | 居酒屋兆治 監督 | ||||||||
1981 | 駅 STATION 監督 | ||||||||
仕掛人梅安 監督 | |||||||||
1979 | 日本の黒幕 監督 | ||||||||
わが青春のイレブン 監督 | |||||||||
本日ただいま誕生 監督 | |||||||||
1978 | 冬の華 監督 | ||||||||
1977 |
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1976 |
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1975 |
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1974 | 夜の演歌 しのび恋 監督 | ||||||||
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1973 | 色魔狼 監督 | ||||||||
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1972 | 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義 監督 | ||||||||
日本暴力団 殺しの盃 監督 | |||||||||
1971 | 新網走番外地 吹雪の大脱走 監督・脚本 | ||||||||
新網走番外地 嵐呼ぶ知床岬 監督 | |||||||||
ごろつき無宿 監督 | |||||||||
1970 | 新網走番外地 吹雪のはぐれ狼 監督 | ||||||||
新網走番外地 大森林の決斗 監督 | |||||||||
捨て身のならず者 監督 | |||||||||
任侠興亡史 組長と代貸 監督 | |||||||||
日本女侠伝 真赤な度胸花 監督 | |||||||||
1969 | 新網走番外地 流人岬の血斗 監督 | ||||||||
現代やくざ 与太者仁義 監督 | |||||||||
現代やくざ 与太者の掟 監督 | |||||||||
1968 | 裏切りの暗黒街 監督 | ||||||||
獄中の顔役 監督 | |||||||||
1967 | 懲役十八年 仮出獄 監督・脚本 | ||||||||
1966 | 地獄の掟に明日はない 監督 | ||||||||
非行少女ヨーコ 監督 | |||||||||
1965 | 昭和残侠伝 助監督 | ||||||||
1963 | 陸軍残虐物語 助監督 | ||||||||
1934 | 8'19 長野県で誕生 |
少年H 2012 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013日本アカデミー新人俳優賞(吉岡竜輝)、作品賞、美術賞 2013日本映画批評家協会助演女優賞(伊藤蘭) 2013報知映画新人賞(吉岡竜輝) |
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神戸で洋服の仕立屋を営むクリスチャンの父盛夫(水谷豊)と敏子(伊藤蘭)の間の子で“H”というあだ名を持つ妹尾肇(吉岡竜輝)は、悪ガキの悪友と共に楽しく毎日を送っていた。外国人と交流の深い父盛夫により、何事も自分の目で見て考えることの大切さを教わっていく。そんな中、時代は戦争に向かって急速に時代は変化していく。 妹尾河童によるベストセラーの映画化作。水谷豊と伊藤蘭というリアル夫婦共演ということでも話題になった。 記憶だと、小説の方が売れたのは20年ほども前。私自身もその時に読んでいる。ただ、最初この作品は著者の子どもの頃をリアルに描いたというのが売りだったが、多分その売り方のせいだろうか、その当時から時代考証がおかしいとか、家庭を美化しすぎだとか、色々批判は食っていたものだ。折からネトウヨと呼ばれる人が出てきた事もあり、あの当時のネットでは相当に叩かれた記憶がある。 ただ、これはあくまで小説なのだから、それで良いんじゃないの?というのが私のスタンス。この作品で読みたいのはリアルさじゃない。これは物語としても良い感じ。悲惨さの中での人間性ってものを読ませてくれたのだから。だいたい藤子不二雄Aの「少年時代」だって創作で、色々誤解もあるのに誰もそれにツッコミ入れてない。これで良いと思う。 それでこの作品、あの当時に作ってれば良かったのに、なんで今頃になって?という疑問はあるものの、質にこだわった降旗監督のその作り方は良く、普遍的な良作として考えて良かろう。 ところで戦争を描く作品にはいくつかのパターンがある。戦争を直接描くのが一番メジャーだろうが、それだけではない。 多用されるのが銃後の一般人の生活を描くこと。実際の戦いを描く事なくその悲惨さを描く事が出来るので、特に反戦映画では良く用いられるし、それにアクションシーンがないために自然と市民の生活を細かく描写することが出来るので、ドラマ性を深める事が出来る。 そしてこの場合、銃後を守るものとして、母を描くか、子供を描くかに分かれるだろう。母を描くならより悲惨さを強調出来るし、子を描くなら素直な心で戦争そのものに対する疑問を描くことが出来る。 こうしてパターン化していくと、本作の位置付けは明らかであり、そしてまさしくその通り物語は進んでいく。 主人公Hは、貧乏ではあってもモダンな両親に育てられた子で、他の子とは違って“みんながしてるから”という価値観では動かない。それが「一言多い」と言われたりする。 いわばHは視聴者の代表たる現代人であり、今の目から見ておかしくなってる時代を未来から見ている立場にある。 これは反戦作品を作る上で最もオーソドックスな作り方になる。小説が出た当時に反発を食ったのもまさにその点だっただろう。あたかも「俺だけは時代に流されずに生きてきたんだぞ」と自慢してるように見えてしまうから。その部分が確かに気持ち悪い。小説のこの点が気持ち悪がられてたのかな?とか改めて思ったりもする。 でも同時に、このことを創作を通して伝え続けることも又必要なことなのだろう。 その辺はさすがヴェテラン古旗監督。その辺もちゃんと踏まえた上で、“今自分が作らねばならないもの”としてこの作品を位置づけているようでもある。 |
あなたへ 2012 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012日本アカデミー助演男優賞(大滝秀治)、助演女優賞(余貴美子)、作品賞、助演男優賞(佐藤浩市)、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 2012キネマ旬報新人男優賞(三浦貴大) |
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一年前、妻の洋子(田中裕子)を失った富山の刑務所で指導技官を務める倉島英二(高倉健)は、妻の遺言によって、妻の故郷長崎に散骨するために手製のキャンピングカーで旅立つ。妻がなぜこのような遺言を残したのか、その真意を知るために… 日本ではもう数少なくなった、古い意味での名優高倉健が実に6年ぶりに主演を演じた作品で、これ又名コンビの古旛康男とのタッグ作。 今し方“名優”と書いたが、果たして“名優”とはどんな人を言うのだろう?と考えてみた。 海外はともかく、少なくとも日本においては、名優と呼ばれる人は、“それぞれの個性を存分に出している人”と言えそうな気がする。 役者の個性。これはヴェテランになればなるほどその傾向は強くなる。昔の日本映画では、それを引き出すのが監督の技量でもあった。 いわゆるスターと呼ばれる役者も、最初からその個性を出せる人は多くない。むしろ色々な役を演じているうちに、その人に合った役の傾向がでてくるものだ。そしてその傾向に沿った役を演じていくうちにはまり役が出てきて、やがてそのタイプの役はこの人に演じさせたい。となっていく。そして最終的には映画そのものが役者の方にあわせて役作りをしていくようになる。 たぶんここまで来たら“あがり”というか、ここまで到達した時に、日本では“名優”と呼ばれるようになっていくのだろう。 日本ではこれまでにも三船敏郎や勝新太郎、丹波哲郎などがそのタイプと言えよう。若い頃は色々な役をやっていったが、キャリアが長くなるに連れ、だんだんと演じ方が狭くなり、やがてはその人のために映画が作られるようになっていった。 高倉健も又その領域に達した人でもある。前に演じた『鉄道員』であれ『ホタル』であれ本作であれ、この人にしか演じられない役を、役の方が合わせられるようにして作られていった。 そして彼の演じる役割も決まっている。かつてCMで高倉健自身が「不器用ですから」とぼそっとしゃべってたのがあったが、それはそのまま彼の演じる役柄そのものになっている。この場合の不器用さというのは、木訥とも言えるし、一つの仕事をただ黙々とし続けるしか能がない人とも言える“不器用なまでの真面目さ”と言うべきかもしれない。 この作品でも、それは全くそのままで、これまで刑務所の、しかも工作班の監視だけをずっと続けていただけの男を演じている。仕事一筋で、それ以外のことは老いて結ばれた妻のことしかない。そんな彼の生き甲斐だった妻が亡くなったことで、その遺言に従うことで新しい世界に飛び込んでいく、やっぱり不器用な男を演じて見せた。 「やっぱりこういう役だな」。それはある意味安心感とも言えるわけだ。この作品を観に来る人の大半は、映画を観に来るのではなく、高倉健という人物を観に来るのだろうから。 物語は滔々と流れるロードムービーに、それぞれ名のある役者たちが入れ代わり立ち替わり登場して、それぞれの絡みで物語が構成されている。高倉健と仲がいい、あるいは一緒に映画に出たいという人はいくらでもいるだろうから、本人が移動しつつ一見さんと関わっていくという構成は正しいのだろう。一応最後にどんでん返しのような展開も待っているものの、あくまで物語は滔々と流れていくばかり。まあこれはこれでいいんだろう。少なくともこれ以上を求めてこの作品を劇場まで観にいく人はいないだろうし。 ところで本作を観ていて結構違和感を感じる部分がいくつか見受けられた。その一番がカメラワークだろう。 最近の邦画は基本的に画面は平板なものが多い。もちろんカメラを振ったりズームを使ったりもするが、人間同士の対峙の場面では基本的に固定フレームを使うことが多いし、それに慣れてしまった気がするが、本作はとにかくクレーン撮影によって画面が縦横に動くことが多い。元々動きの少ない作品なので、これによってメリハリをつけようとしたのかもしれないが、ちょっとそれがうざったく感じてしまった。 昔は当たり前だったこういう撮影が嫌味に感じてしまうのは、単に監督の演出が古いのか、あるいは自分自身が平板な画面作りに馴れすぎているのか。ちょっと考えさせられるところでもある。 |
憑神 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007日本アカデミー撮影賞、照明賞、録音賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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赤い月 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004日本アカデミー主演女優賞(常盤貴子)、助演男優賞(香川照之)、撮影賞、照明賞、美術賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ホタル 2001 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2001日本アカデミー作品賞、主演男優賞(高倉健)、主演女優賞(田中裕子)、助演男優賞(小林稔侍)、助演女優賞(奈良岡朋子)、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞 2001ブルーリボン助演女優賞(奈良岡朋子) 2001毎日映画コンクール日本映画優秀賞 |
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1989年。鹿児島で漁師をしている元特攻隊員の山岡秀治(高倉健)。妻の知子(田中裕子)は腎臓を患い、透析に通う日々を送っている。そんな妻を暖かく包みながら過去と現在に思いを馳せる日々を送っていた。そんな時に旧友で元特攻隊員の仲間藤枝洋二の自殺を聞く。二人は金山という特攻に散った上官と共に戦争末期を過ごしていたのだった。金山は本名キム・ソンジェと言い、日本のためではなく、朝鮮のために特攻に行くと告げて二人、そして婚約者の前からいなくなった。 山岡はその金山の婚約者であった知子を妻として現在を生きていたのだった。藤枝の死と前後して金山の遺品を韓国まで届けに言って欲しいと言う願いをされた山岡は… …と言う内容。聞くだけで重い作品だという事が分かるだろう。 映画館に入ろうとして驚いた。次々と通行人が映画館に入っていく! 今まで鹿児島に住んでいて、試写会以外でこんな人が入ったなんて初めてじゃないか?しかも平日の昼間から。 ただ、見ていると、年輩の方が多い。と言うより、おじいちゃんおばあちゃんばっかり! テレビで年輩層を映画に呼び戻すことに成功した。とは言っていたけど、これほどとは。券買うのも行列で、しかも一様に割り引きカード(62歳以上はこれを提示すると2/3位の値段になる)を出して入っていた。それですっかり映画館は一杯になっていた。 でも、やっぱり鹿児島は特別だろう。何せ言葉の多くはかごんま弁(一般向けには「鹿児島弁」と言われるが、ここではこういう)そのまんまだし、普段見ている光景が次々出てくるわけだから。しかも画面の多くに噴煙を吹いた桜島の雄志が。県民なら見るべき作品だろう。 出来をと言えば、とにかく内容が重い。本当に久々に重厚な邦画を観た。と言う実感がある。ほんと、好きな人にはたまらない作品だと思う。 ちなみに私はこういう映画が大好きだ。特に最近の邦画はわざわざ軽め軽めに作ろうという風潮があるようで(これも決して嫌いではないが)、これだけ重い奴を今作る人がいるっていうのは、本当に嬉しいものである。 ちなみにこの映画、成人した小林綾子が登場する。田中裕子も出るってことは、「おしん」の子役と成人役の競演である。ただ、時は流れた。それぞれが世代の変わった役をやっている。 「おしん」は私が中学生だった頃の話だった。そうか、時は過ぎてるんだな。 しみじみと時の流れを感じた一瞬(笑) 特攻前夜にアリランを歌ったのは光山博命(本名卓庚鉉)の実話を元としているが、この人は当時の軍によって朝鮮人特攻兵のモデルとされてもてはやされたという経緯もある。今その歌を聴くと寂しいばかりだが。 |
鉄道員(ぽっぽや) 1999 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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鉄道員(ぽっぽや) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1999日本アカデミー作品賞、主演男優賞(高倉健)、主演女優賞(大竹しのぶ)、助演男優賞(小林念侍)、監督賞、脚本賞、撮影賞、照明賞、録音賞、助演女優賞(広末涼子)、美術賞、編集賞 1999ブルーリボン主演男優賞(高倉健) 1999キネマ旬報第4位 1999毎日映画コンクール日本映画大賞、主演女優賞(大竹しのぶ)、日本映画ファン賞、最優秀宣伝賞 1999ヨコハマ映画祭主演男優賞(高倉健) |
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北海道の最ローカル線である幌舞線の終着駅・幌舞。駅長・佐藤乙松(高倉健)は筋金入りの鉄道員<ぽっぽや>だった。不器用で職務に忠実な彼は、この駅で起こる全てを見ていた。ただ、そのために生後2ヵ月で死んでいった娘や思いがけない病で死んだ妻を見取ることさえできなかった…そして幌舞線の廃線が決まり、自らの定年も近づいた時に、かつてのことを思い出しつつ時を送る。 浅田次郎の直木賞受賞作の映画化。高倉健が古巣の東映に19年ぶりに戻ったことでも話題となる。高倉健は同じく降旗監督と組んで20年前に『駅 STATION』を作っているが、どっしりした貫禄はますます増し、演出も素晴らしい。 1999年。この年を境に邦画は少しずつ様変わりしていったような気がする。バブル崩壊は既に大分前となり、映画の作り方もこれまでにもかなりの変化があったが、この年になってそれがようやく新しく変わったと思う。新たなる千年期を前にした気構えがあったのか、それともたまたま邦画そのものの革変期にあったのか、その辺はよく分からないが、古めかしい作りの作品であるにも関わらず、確かにそれまでにはない“新しさ”を感じさせてくれた。極端な意味で言えば、本作こそが新しい邦画の典型作品と言えよう。 かつて北野武作品を観る度に思っていた微かな違和感。何か得体の知れない不思議な間と構図。それにいつの間にか吸い寄せられていた。それが邦画全体を覆おうとしていた時代だったのか? ちなみに幌舞というのは架空の駅で、実際の撮影は根室本線幾寅駅が使われている。 |
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寒椿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1992日本アカデミー主演男優賞(西田敏行)、主演女優賞(南野陽子)、助演女優賞(かたせ梨乃)、撮影賞、照明賞、美術賞 1992毎日映画コンクール美術賞 1992ヨコハマ映画祭主演女優賞(南野陽子) |
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タスマニア物語 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1990日本アカデミー話題賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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父と母が離婚し、その一年後に母を失った小学六年生の石沢正一(多賀基史)は、小学校最後の春休みを利用して父の住むオーストラリアに向かった。だが、シドニーに着いて分かったのは、一流商社に勤めているはずの父栄二は、今では会社を辞めて南の島タスマニアに住んでいるということだった。たまたまシドニーで知り合った同年配の少年実と、父の元に案内すると言う観光業者の平島直子とともに正一はタスマニアに向かうことに。うまく父と再開できたものの、栄二はタスマニアの自然保護運動に参加しており、そこで幻の動物タスマニアタイガーを追っていた… 1980年代とは日本はまさにバブル時代。それと時を同じくして邦画は不振に陥っていった。この時代に売れた映画というのは、アイドル映画か、強力なメディアミックスで展開した娯楽大作、そしてアニメーションか動物ものくらい。映画自体もバブル的な捉えられ方がされて、ナンセンスとノリと可愛らしさだけでで突っ走る作品が量産された(そう言うものを求めたこちら側観客の責任もあるが)。その中でも低予算で真面目なものももちろん作り続けられたが、なんせこの世の春を謳歌する時代にあってのこと。真面目に作った作品は「暗い」と言われて切られてしまう。観客はより派手さを求めハリウッド大作に向かう一方。この時代は“巨匠”と呼ばれる監督たちさえも精気に欠け、本当に語るべき邦画が少ない…この当時にデビューした監督たちは本当に苦労しただろうと思う。 そんなバブル時代は1990年には終わっていたが、円高の影響もあって、メディアの方は1992年頃まで浮かれ続けていた。そんな時代に作られたのが本作。フジテレビが総力を挙げて作られた本作は、決してバブルに浮かれているだけではない。という意地を見せるようにエコロジーと親子の絆を主軸に話が展開。骨太物語と、タスマニアと言う楽園的南の国を舞台にして雄大な自然も見せようと言う、バランスの取れた作品を目指した作品だった… …の、だろうと勝手に考えている。少なくともその組み合わせだと確かに魅力はある。 そう言う作品を作ろうと言う姿勢はうなずけるのだが、出来た作品はとにかくものすごくちぐはぐなものに仕上がってしまった。 バブルが抜けてない浮かれ騒ぎ。決してうまいとは言いがたい話題だけの役者陣。金かけてる割にチープな舞台描写。『北の国から』からそのまんま持ってきたような設定。行き当たりばったりな物語展開…しなければならない連絡を見事に全部怠り、そのためだけに危機に陥る面々とか、無理矢理ねじ込んだ小さな恋物語など、見事なほどに物語と合わないものばかり。軽薄な内容にそぐわない久石譲の重厚な音楽。そしてあれだけ引っ張っておいてに感動的なはずのタスマニアタイガーとの出会いが、いかにも間に合わせで爆笑シーンにしかならない。など、あらゆる意味ではずしまくり、金だけかかったしょぼい話に仕上がってしまった。タスマニアのオールロケだって、撮影よりも旅行の方がメインだったんじゃないの?と思いたくなるほどのやっつけ仕事に見える。金をふんだんに遣って浮かれた姿で押し付けられる自然保護の話になんの魅力があろう? 降旗監督にとっても本作は汚点だろう。 まあ強いて本作の魅力を語るなら、「これがバブル時代だ」という教材に使えること位か?その当時を知っている人だったら、笑い話として観ることも出来るだろうし、こんな狂乱な金遣いを自戒も出来るかも。 |
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あ・うん | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1989日本アカデミー助演男優賞(阪東英二)、新人俳優賞(真木蔵人) 1989ブルーリボン助演男優賞(阪東英二) 1989毎日映画コンクール日本映画ファン賞 1989キネマ旬報日本映画10位 |
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1937年春。東京の山の手に住む中小企業の社長・門倉修造(板東英二)の近くに、地方転勤から帰ってきた知人水田仙吉(高倉健)が戻ってきた。昔同様家族ぐるみのつきあいが始まるのだが、門倉の家庭も、子供たちが長じるに従い、様々な問題が起こっていった… 向田邦子の小説の映像化。原作自体がテレビを前提に作られていたようで、読んでいるだけで情景が思い浮かぶようだった。しみじみとこの原作者はテレビの脚本を書く。と言う点において紛れもなく天才だと思った。本来これからと言う時に亡くなってしまうとは、テレビ界にとっては大変惜しいことだ。本作もテレビ向きだと思っていたのだが、降旗監督は見事にこれを劇場用として観るに足る、良き作品に仕上げてくれた。 経緯は覚えてないのだが、何故か本作は劇場で観た。大学に入ったばかりだった時で、多量に映画を観始めた時期だったから、何となくたまには邦画も観ておこうと思って観たんじゃなかったか? でも楽しめた。邦画も良いもんだ。と言う認識を与えてくれた作品となった。 ここに出てくる門倉という家庭は決して特別なものではなく、どこにでもありそうな、そしてどこにでもあるからこそ、小さな問題をいくつも抱えた家庭である。この小さな空間の中で起こるドラマを、水田という外来の存在を配することによって、一種不思議なバランスを醸しているのが特徴。 どの家庭にあっても、子供は親には言いたくない事の一つや二つ、必ず持つものだけど、それを相談できる大人がいるっていいもんだな。 昔の日本的な感覚って、そう言う近所づきあいや人間関係で成り立っていたはずなんだよな。鬱陶しいところもある反面、日本を語る上でとても大切な部分だったのかもしれない。 |
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極道の妻(おんな)たち 三代目姐 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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将軍家光の乱心 激突 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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夜叉 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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居酒屋兆治 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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駅 STATION | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1981日本アカデミー作品賞、主演男優賞(高倉健)、脚本賞 1981キネマ旬報日本映画第4位 1981毎日映画コンクール日本映画優秀賞、脚本賞、女優助演賞(倍賞千恵子)、撮影賞、音楽賞、日本映画ファン賞 1981ヨコハマ映画祭第8位 |
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オリンピック射撃選手でもある警察官三上英次(高倉健)。上司である相馬を殺した連続射殺犯を追うが、彼自身と妻の直子(いしだあゆみ)の離婚を初めとする家庭内のごたごたや妹の冬子(古手川祐子)が殺人事件に関わってしまったこと、オリンピック出場。その後のコーチ就任と解任などの事件が相次ぎ、ついに疲れ果てた英次は辞職し、故郷の雄冬へと帰ることにした。故郷近くの増毛で居酒屋を切り盛りしている桐子(倍賞千恵子)と出会う… 一人の警察官の、10年に及ぶ生活を描いた作品で、高倉健を中心としたベテラン俳優陣の熱演もあり、静かなヒット(1981年邦画興行成績7位)。日本アカデミー賞も得た。 まずは軽佻浮薄を価値観とする1980年代に、こんなしっとりした、それぞれの演技を最大限引き出す作品が作られた快挙を称え、決して軽さに流れようとしない姿勢には敬意を表しよう。実際台詞は極限まで抑えられ、仕草とカメラアングルだけで饒舌に語らせると言う、日本映画の良い部分を見事に作り上げている。 物語も、話の展開そのものは淡々としているものの、いくつもの時事ネタを盛り込みつつ、その社会情勢でどんなことが起こっていたのかを丁寧に描いているのが好印象。更にその時代時代に違う女性との交流を通じ、男の寂しさや辛さと言ったものを演出してくれる。触れれば触れるほど寂しくなっていく。そんな大人のつきあい方がここにはあった。私が好きなのはラストエピソードの倍賞千恵子との物語だけど、いしだあゆみ、烏丸せつこ、古手川祐子と言った女性達の、それぞれ違った女っぽさ(あるいは演歌っぽさと言うべきなのかな?)があり。なんと言っても高倉健が、この人しかできない演技を見事にこなしてる。 本作を観た当時、それは単なる映画的な重厚さであると思っていたけど、今思い出してみると、こういう悲哀を衒うことなく描いてみせてくれていたんだな。特に何故か主人公の英次と関わる女性はみんな何らかの不幸を負っているし、見方にもよるけど彼と交流することで、余計不幸になってしまう。それを30分単位くらいで少しずつ作っているので、オムニバス映画としての側面もあるのだが、一つ一つのみにエピソードがいくつかの伏線で結ばれているので、それを知るのも楽しい。一エピソードの尺が短いのでベタベタした物語にならないのも良い。 それと、駅を舞台にしたのも効果的。駅は人が到着する場所であり、旅立つ場所でもある。しかし、そこは住むところではない。人の行き来と、そこでの出会いや別れの感情が入り交じる場所であり、永続的ではない一瞬一瞬のドラマがそこにはある。そんな場所を舞台にしているからこそ、ミニエピソードが映えるのだ。 元々が本作は脚本の倉本聰が高倉健を想定して作ったそうなので、そのはまり具合は見事だ。 観終えて、しみじみ寂しさを噛みしめるには良い作品。そう言う気分の時ってあるよね? 映画は人生を観るもの。楽しさだけじゃない。寂しさや辛さをも観るものでもある。もう少し歳食ったら又観てみたい作品である。 |
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本日ただいま誕生 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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冬の華 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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捨て身のならず者 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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現代やくざ 与太者の掟 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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