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星よりひそかに―映画監督大森一樹の作った本(書籍) _(書籍) |
2010 | ||
2009 | ||
2008 | The ショートフィルムズ/みんな、はじめはコドモだった 監督 | |
空へ ―救いの翼 RESCUE WINGS― 脚本 | ||
2007 | 黒い春 脚本 | |
2006 | 悲しき天使 監督・脚本 | |
2005 | 超星艦隊セイザーX 戦え! 星の戦士たち 監督 | |
2004 | THE SUPER DRY FILMS 監督 | |
イヴォルバー -EVOLVER- アドバイザー | ||
2003 | ||
2002 | T.R.Y. トライ 監督 | |
2001 | 最悪 監督 | |
走れ!イチロー 監督 | ||
2000 | ナトゥ 踊る!ニンジャ伝説 監督・脚本 | |
博多ムービー ちんちろまい 監督・脚本 | ||
風を見た少年 総監督 | ||
1999 | 明るくなるまでこの恋を 監督・企画・脚本 | |
1998 | ジューンブライド 6月19日の花嫁 監督・脚色 | |
1997 | ドリームスタジアム Dream Stadium 監督 | |
1996 | わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語 監督 | |
1995 | 緊急呼出し エマージェンシー・コール 監督・脚色 | |
大失恋。 監督・脚色 | ||
ゴジラVSデストロイア 脚本 | ||
1994 | シュート! 監督 | |
病院なんか怖くない。 ボクが病気になった理由2 企画 | ||
1993 | ||
1992 | 継承盃 監督 | |
ゴジラVSモスラ 脚本 | ||
1991 | 満月 MR.MOONLIGHT 監督・脚本 | |
ゴジラVSキングギドラ 監督・脚本 | ||
1990 | ボクが病気になった理由 「ランゲルハンス・コネクション」監督・企画・脚本 | |
1989 | 花の降る午後 監督・脚本 | |
ゴジラVSビオランテ 監督・脚本 | ||
1988 | 妖女の時代 脚本 | |
1987 | トットチャンネル 監督・脚本 | |
「さよなら」の女たち 監督・脚本 | ||
1986 | 恋する女たち 監督・脚本 | |
テイク・イット・イージー 監督 | ||
1985 | 法医学教室の午後 演出・脚本 | |
ユー★ガッタ★チャンス 監督 | ||
1984 | すかんぴんウォーク 監督 | |
1983 | ||
1982 | ||
1981 | 風の歌を聴け 監督・脚本 | |
前立線の病気と予防 監督・脚本 | ||
1980 | ヒポクラテスたち 監督・脚本 | |
1979 | ||
1978 | ロンググッドバイ 夏子と、長いお別れ 監督 | |
オレンジロード急行 監督・企画・脚本 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | 暗くなるまで待てない! 監督・脚本・編集・出演 | |
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | 3'3 大阪で誕生 |
超星艦隊セイザーX 戦え!星の戦士たち 2005 | |||||||||||||||||||||||||||
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T.R.Y. トライ 2002 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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走れ!イチロー 2001 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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オリックスから大リーグへの華麗な転身を見せたスーパースター、イチロー。そんな彼の姿に憧れ、そのプレーに勇気づけられた人々の人生模様。 まあ、何というか単なるオムニバスのホーム・ドラマ。ほとんどテレビドラマと変わりがない。確かに原作の「走れ!タカハシ」の高橋慶彦選手よりはイチローの方がメジャーなのは確かだけど、結局イチロー選手の登場シーンはどこからか引っ張ってきた映像だけってのは寂しい。ほんの一瞬で良いからそれぞれのキャラと接触を持つ事が出来たら(別段会話をする必要はない。後ろ姿とか、不意に振り向くとか、そう言う演出でも構わない)、随分変わったんだろうけど。 暖かいホーム・ドラマだから、ほっとしたい時なんかには良いかも知れないけどね。 |
風を見た少年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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新黄金龍帝国の独裁者ブラニックは大陸全土を制圧しようとしていた。物理学者のフリッツ博士はそのために働かされており、空中戦艦を造り出したが、帝国から逃げ出そうとした結果、殺されてしまった。その息子アモンは何とか逃げ出したものの、彼自身は未知の光エネルギーを操り、空を飛ぶことが出来た。大陸の様々な場所で出会いを繰り返しつつ、自分自身を見つけていく。だがそんな能力を軍事利用しようと帝国の魔の手がアモンに迫っていた… C=W=ニコルが初めて全文日本語で書いたという童話の映画化。 オリジナルの小説は童話という体裁を取っていたものの、内容は著者の思想を受け、かなりハードなもので、かなり読み応えはあった。ただ、設定面が今ひとついい加減な部分があったという印象があり。日本で書かれたものではあっても、これがイギリス人の感性かな?と思っていたもの。 それを映画化した本作は、その弱い設定部分がかなりしっかりとしており、内容的にも地に足が着いたものに仕上げられていてなかなか好感を持てる。 ただ、オリジナル同様、対象年齢が分かりづらいのがちょっと問題かな?どことなく『天空の城ラピュタ』(1986)のコピーのように見えなくもないし。それがおそらく知名度の低さなんだろう。 |
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シュート! 1994 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ゴジラVSキングギドラ 1991 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1991日本アカデミー特殊映像技術賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東京上空に突如出現したUFOは23世紀の未来人のものであった。彼等はゴジラによって壊滅した未来の日本を救うべく、ゴジラを歴史から抹消する計画を立てていた。水爆実験によってゴジラが誕生したそれ以前にタイムワープし、ゴジラの元となった新種の恐竜を辺地へと転送させる。これによってゴジラは消滅したが、それと同時に巨大怪獣キングギドラが突如として出現し日本を蹂躙し始める。未来人の本当の目的に人類が気付き始めた矢先、辺地に飛ばされたはずの恐竜がゴジラとなって出現する。 平成ゴジラシリーズは本作品を以て怪獣プロレスになった。それが分かっていながらも、それでもゴジラ好きな私は酷評をものともせずに劇場に行き、げんなりした。 丁度当時は『ターミネーター』(1984)流行りで不死身のロボットをアニメとかではよく登場させていたが、ここでもチャック=ウィルソンがロボット役で登場する。それにしても、あの描写はもの凄い。全然ロボットっぽくないし、特にあの街を疾走するシーンは最早呆れを通り越し、笑いも出なかった。 ストーリーに関しては「平成ゴジラシリーズもの」だけで分かってしまうほどの酷さ。タイムパラドクスものは整合性が無茶苦茶難しいが、ストーリー性を重視し、それを敢えて無視した作りにはそれなりの敬意を払おう(細かく描写すると、それだけで話が終わってしまうし、本作はこども向きだ)。ゴジラザウルスを廃棄するのに何でよりによってベーリング海なのか?ソ連近くの水域を選んだこと自体でゴジラ復活は分かりそうなもんだろうに。いや、それ以前にキングギドラの登場はあまりにもご都合主義っぽくはないか?いや、意外性はあるか? 一応この作品で誉めるべき所はある。ギドラが格好良い。元々三本首で吊り操作が必要なのだが、それが結構バラバラに動いていて、リアリティはなくとも良く動くもんだ。と感心は出来る。 後、復活ゴジラを巨大化させたのは、製作上のやむを得ない変更点だろう。今までのサイズだと、街に較べて小さすぎるし。 唯一それでも本作を評するべきは、ちょうどバブル時期にある日本は、過去の戦争を経て今の日本がある。と言うことを伝えようとしたということだろうか?戦争を経てのし上がり、遂には東京の街を睥睨する立場になった社長新藤が、真正面からゴジラと顔を合わせるシーンがある。この部分に、思いがこめられてる気はする。そして未来人に、日本のバブル景気はますます進み、世界中の嫌われ者になっている。と言うところに、この時代をちくっと刺す皮肉も込められてはいる。 この作品はある意味平成ゴジラシリーズにとって最も大きい影響を与えた一本と言うことになるだろう。ゴジラザウルスがたった一匹しかいなかったと言うことから、旧作ゴジラシリーズとの完全に決別を意味するし、更にキングギドラのオーバーテクノロジーは現代人に様々なロボットを作らせる要因となる(それにしては後の作品で設定上のアラが出まくるけど)。 |
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ゴジラ映画音楽ヒストリア──1954 ― 2016(書籍) |
ゴジラ映画音楽ヒストリア──1954 ― 2016(書籍) |
ゴジラVSビオランテ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ゴジラが三原山に没してから5年後、復活の兆しと思える現象が続いた。時を同じくして、核を無力化する「抗核バクテリア」の開発を勧める日本政府は、秘密裏に採取したゴジラ細胞を遺伝子工学の権威・白神(高橋幸治)に託す。一度は断る彼だったが愛娘・英理加(沢口靖子)の遺伝子が入ったバラを、細胞の生命力を利用して再生させようとこれを受諾した。まもなくゴジラが復活するが、芦ノ湖には巨大植物怪獣ビオランテが誕生していた! 平成ゴジラシリーズの2作目。これまでゴジラシリーズは自社で養成した監督のみで撮らせていた東宝が、初めて松竹出身の大森一樹に監督を任せた作品。以降平成シリーズは大森監督が続いて撮影することになる。 見事なほど最低作品目白押しの平成ゴジラにおいて、比較的まともな作品はこれだけだろう。本作は怪獣プロレスよりはむしろ人間ドラマの方に主体が置かれたので、あまりゴジラが目立たず、それがまともになった理由なのかも知れない。 勿論平成シリーズではどの作品にも共通する設定上のアラは本作品にも健在。「抗核バクテリア」なる細菌の存在は凄い。これこそ究極の平和用兵器が出来るではないか!ただ、放射能物質を食うだけであれば、バクテリアの体内に放射性物質が移動するだけなので、放射線の量は全く変わらないと言う事実はどうなるのか…。それとも放射能の半減期を促進できるような生物なのか?そのような生物がこの地上にいたら、放射能年代特定は全く無意味になるなあ。 この作品の売りだが、ここにはビオランテなる怪獣が登場する。これは薔薇×ゴジラ×沢口靖子の合成怪獣だが、沢口靖子もまさかこんな変身を遂げることになろうとは思っても見なかったことだろう。あの怪獣の中でもし人間の意識が最も強かったら、可哀想すぎる。 一応この作品ではビオランテが善玉の役割を果たしているが、あんなぶっさいくな怪獣を一見してヒーローと見破れる奴はいないだろう。特に第2形態になってからは終始ゴジラを圧倒していたから(無数の触手で相手を串刺しにするなんて、普通悪役のやることだ)、あの戦いだけを見るなら、どう考えてもゴジラの方がヒーローにみえてしまう。そんなビオランテを応援している人たちの姿がたまらなく哀れ。 尚、公開ぎりぎりまでビオランテのデザインは公表されず、報道管制とまで揶揄されたが、事実は本当にぎりぎりになるまでデザインが決まらなかったからだとか。なんと撮影が始まってようやく決まったとのこと。 尚、本作の原案は公募された中から採用されたのだが、その原案を作ったのが小林晋一郎氏。かつて高校生の時分に「帰ってきたウルトラマン」で植物と動物の合成怪獣レオゴンの登場する34話「許されざる命」のシナリオを書いた人物である…同じネタかよ!又、ビオランテのデザインをしたのは西川伸司。現在は漫画家だが、当時は素人。素人つながりの映画だった訳だ。それを断行するんだから、東宝と大森監督はかなり冒険したもんだ。 |
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トットチャンネル 1987 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1987日本アカデミー新人俳優賞(高嶋政宏) 1987毎日映画コンクールスポニチ新人賞(高嶋政宏) 1987報知映画新人賞(高嶋政宏) 1987ヨコハマ映画祭第3位 |
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1953年に本格放送が始まった最初のテレビ女優としてブラウン管に登場した黒柳徹子(斉藤由貴)の、笑いあり、涙ありのテレビ物語を描く作品。 黒柳徹子の原作を、大森一樹監督で料理した作品。 メディア世界は日進月歩で、次々に技術が導入されて新しい映像表現が登場していく。その過程の話だが(『雨に唄えば』(1952)もその苦労話だ)、今まで映画とラジオしかなかったメディアがテレビとなる過程は、結構大変だったんだろうな。映画では使えないような女優を“売り”として使おうとするのは正しいことだろう。 移行期の資料としても結構有用。最初の頃、いかに映画界からテレビが下に見られていたのかがよく分かった…今や邦画はテレビの影響を受けすぎてるようにしか見えないけど、これが良いことなのか悪いことなのか… 今でこそ大女優(?)というか、テレビではすっかりお馴染みとなった黒柳徹子だけど、やっぱり色々と苦労があったんだろうな。それにしても斉藤由貴のドジっぷりは、本当に天然じゃないの?と思わせるほど。見事なはまり役だったと思う。だけど、斉藤由貴はやっぱり斉藤由貴にしか見えないんだよな。どう見ても黒柳徹子じゃない。 ただ、後で原作を読んだら、あの原作の割には今ひとつだったような。 |
すかんぴんウォーク 1984 | |||||||||||||||||||||||||||
1984日本アカデミー新人俳優賞(吉川晃司) 1984毎日映画コンクールスポニチ新人賞(吉川晃司) 1984ヨコハマ映画祭第10位 |
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一旗揚げようと東京にやってきた民川裕司(吉川晃司)は、喫茶店で働きつつ同じ店で働く吉夫(山田辰夫)のアパートに転がり込んで自分の可能性を見つけようとしていた。喫茶店を首になった二人は、たまたまとあるバンドのメンバーの代わりにステージに立つ。 80年代のアイドル映画の一本で、本作が吉川晃司の出世作となった。吉川本人が歌う主題歌「モニカ」もヒットと、吉川自身にとっても重要なフィルモグラフィとなった作品となる。ただ、そこそこのヒットをした割りにはソフト化に恵まれないのが難点だが。 ちなみにこの手のアイドル映画を劇場で観ることはほとんど無いのだが、この作品だけは劇場で観た。理由は簡単で、本作があの『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984)の併映だったから。あの時、私の住む地方ではもう一本『超人ロック』とも併映で、3本立てだった。で、目的は『BD』一本だった私は一本観たらすぐ帰るつもりでいたのだけど、そのあまりの面白さに、もう一回観たくなり、結果として間に挟まるように2本の映画を観ることになった。 当然のごとく、『BD』ほどの衝撃を受けることなく終わった訳だが。 本作の物語を俯瞰してみるに、色々泥臭い演出もあるんだけど、物語は結局「俺ってやっぱり格好良いだろ!」という吉川晃司のオレサマ映画としてまとめられている。下積み時代の情けないシーンにしても「情けないオレ格好良い」と全身で主張してるかのよう。 それが目的と言えば目的なのだが、よくこんな無茶な要求を大森監督は受けきったところは見事と言えよう。青春映画の第一人者として選ばれた監督としては、本作作るのは相当ストレス高かったんじゃないかな?監督のフィルモグラフィの一本としてはそれなりに重要な位置にあるんだが。 |
風の歌を聴け 1981 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヒポクラテスたち 1980 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1980キネマ旬報日本映画第3位 1980報知映画主演男優賞(古尾谷雅人) 1980ヨコハマ映画祭主演男優賞(古尾谷雅人)、助演女優賞(伊東蘭)、第6位 |
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医師役として手塚治虫が出演している。 元医大生だった監督が自らの経験を踏まえて作り上げる 監督の実質デビュー作 |