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キング・オブ・デストロイヤー コナン・ザ・グレートPART2 1984 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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アシャンティ 1978 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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マジェスティック 1974 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ソイレント・グリーン 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1974アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ロビンソン遺作 |
センチュリアン 1972 | |||||||||||||||||||||||||||
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トラ・トラ・トラ! 1970 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1970米アカデミー特殊視覚効果賞、撮影賞、美術監督・装置賞、音響賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1941年。日本とアメリカの折衝は続いていた。互いの利益を確保しつつ、うまい講話に持っていこうと、日米首脳は頭を悩ましている。だが、ハワイに連合艦隊が集結しているとの報を受けた日本軍部はついにハワイ真珠湾攻撃を決意する。日本軍の攻撃はないと鷹揚に構えるアメリカ軍部と、決死の奇襲作戦を建てる日本海軍。そして、日米戦争の火ぶたが切り落とされた。 『ドリトル先生不思議な旅』(1967)、『スター!』(1968)と、次々と大作の失敗により、崖っぷちに立った20世紀FOXがかつての『史上最大の作戦』(1962)の奇跡よ、もう一度!とばかりに社運を賭けて作った作品。ハリウッドからフライシャー、日本から深作欣二と舛田利雄が参加し、日米の総力を結集して、本当に素晴らしい作品に仕上がっている。 とりあえず一通り観て分かったのは、あの『パール・ハーバー』(2001)を観る前と観た後では評価ががらりと変わってくるだろう。ということ。 日米合作と言うこともあって、どちらの視点からも太平洋戦争を見ている。それだけに本作を通して主役と呼べる人間はいないし、日米どちらの方にも重点が置かれているので、どっちつかずな内容にもなっていたのは事実。 しかしそれがこの作品のリアリティにもなっている。必死で開戦を避けようとする日本側の軍人達、戦争とはなんであるのかを熟知しつつ、血気にはやる若者達を見送る海軍司令。日本の参戦はないものと鷹揚に構えるアメリカ軍部と、複合的な連絡の遅れにより、真珠湾蹂躙を許してしまうアメリカ側。これらが絡み合い、高揚心と虚しさというものを両方擽る。ようやくこの時代になってアメリカも日本軍を、モンスターのように描かなくなったという意味合いでも貴重な作品。 特撮だが、CGを使わないと言うことはどういう事なのか。どれ程リアリティが増すのか、と、改めて感心する。発進直後に爆発したした戦闘機のプロペラがあらぬ所に飛んでいく様や(付近の人が逃げていくシーンがあるけど、あれは間違いなく本気で逃げてたな)、飛ぶ前の飛行機の鈍重さなど、やはり、実際にリアリティがある。 終わり方も、作戦では勝ったが、戦争では負けた。と言う山本五十六の言葉に含みがあり、清々しい気持ちを与えてくれる。 日米から一流の監督を配して作られた日米合作映画の草分けとなるのだが、実は日本のパートを監督するのは最初は黒澤明監督の予定だった。だが、1968年に開始された撮影直後、僅か3週間で降板となる。この理由は完璧主義の黒澤監督にプロデューサーがついていけないと感じたとか、精神的に危なかったとか、最終編集権が監督に与えられていないためにごねたとか、憶測は数多く言われているが、後になって黒澤の自殺未遂事件もあったりして事件そのものはうやむやになってしまい今に至るも謎。黒澤映画ファンとしては、本当に惜しいと思う。ちなみに脚本も黒澤が中心になっていたはずなのだが、クレジットからは外されている。 尚、タイトルの「トラ・トラ・トラ」とは、真珠湾奇襲に成功した旨を無線で知らせる暗号。「トラ・トラ・トラ。ワレ奇襲ニ成功セリ」とは色々なところで聞くことが出来る。 社運を賭けた20世紀FOXだったが、実は本作も期待ほどの収益を得ることが出来なかったそうだが、アメリカ本国以外では結構受けは良かったというのが世相を反映しているようで。 |
絞殺魔 1968 | |||||||||||||||||||||||||||
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ドリトル先生 不思議な旅 1967 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1967米アカデミー歌曲賞、特殊視覚効果賞、作品賞、撮影賞、作曲賞、音楽賞、美術監督・装置賞、音響賞、編集賞 1967ゴールデン・グローブ助演男優賞(アッテンボロー) |
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ドリトル先生 不思議な旅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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イギリスの港町パドルビーに住む医者ドリトル(ハリソン)は動物の言葉が理解出来たため、動物たちが群れなして彼の元へとやってきていた。ある時将軍の馬を治療したドリトルに将軍の娘エンマ(エッガー)が惚れ込んでしまう。そしてドリトル先生による冒険の旅が、始まる。 1967年というのは、特にハリウッド映画界においては、特異な年に当たる。世界的な歴史においてはヴェトナム戦争が泥沼の様相を呈してきたが、この年に『俺たちに明日はない』(1967)が投入され、アメリカン・ニューシネマが興ってきたが、同時に時ならぬミュージカルブームも始まった。これが見事な真っ二つに分かれた方向性を示したわけだ。ニューシネマは不安な社会問題を直視し、一方のミュージカルは社会から目をそらすために…前者はある意味、時代が作った作品であるのに対し、後者は明らかに時代を逆行させようと言う映画会社の策略によるものだった。 結果、売るべくして作られたミュージカルの大半は製作費すら回収できず、低予算で作られたニューシネマの方はどんどん売れていく… つまり、1967年〜68年には興行的に失敗したミュージカル作品が山ほど出てくることになるのだが、その中でも代表作と言えば…やっぱり本作?かな? ところで「ドリトル先生」と言えば、私にはかなり思い入れがある。小学生の時、読書感想文を書いて町の金賞をもらったことがあったりするが…この作品は全冊繰り返し繰り返し読んでいた。 それだけにこの作品がどれだけ中途半端に出来ているのかがよく分かってしまう。何せ13冊の内、半分以上の作品からちょっとずつちょっとずつ細切れにして出してくるので、話があっち行ったりこっち行ったり…原作ファンは観てはいけない作品に仕上がってしまった。 もしこれが舞台劇のミュージカルとして考えるなら、それなりの作品なんだが、映画としての完成度は極めて低いと言うしかない。正直観ていて悲しくなる作品だった。 …でも、なんでこんなにアカデミーにノミネートされてるんだ?と思ったら、これも20世紀フォックスによる大々的なキャンペーンのお陰だったのだとか… |
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ミクロの決死圏 Fantastic Voyage |
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1966米アカデミー美術監督・装置賞、特殊視覚効果賞、音響効果賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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物体縮小装置の鍵を握る科学者が亡命中に事故に遭遇、その際脳出血を起こして外部手術は不可能と診断される。彼を救うには物体縮小装置を利用し、博士の内部に医者を送り込み血瘤を除去するしかないが、現段階では縮小可能時間は1時間だけだった。秘密諜報員グラント(ボイド)を始めとする医学チーム5名は、特殊潜航艇プロテウスに乗り込み前代未聞の手術を行うべく体内に送り込まれた。果たして手術は成功するのか? 美しい潜水艇のデザイン、体内描写の素晴らしさ。この時代に作られた作品にしては最高水準だろう。テクニカラーののっぺりした感じはあるけど、カラーでこそこれは映える。ストーリーも突飛ながらきちんとツボを抑えた作りになっているために好感が持てる。更に人体内部の描写はダリがデザインしたと言うだけあって、極彩色でおどろおどろしさをよく表現できていた。これでオスカーを取った美術のデイル・ヘネシーの努力のたまものだ。 ここで結構笑えたのが白血球との対決シーンだが、演じるのはさぞかし大変だっただろう。あんな不定型なぶよぶよしたした中で演技しなければならないわけだから。 この作品を観るとどうしても往年のアニメを思い出してしまうのは世代的に致し方ないか。「念力〜ぃ」(笑) ところで、この作品、一つだけどうしても納得行かないシーンがある。 最後に科学者達は白血球に食われてしまったプロテウス号を放棄するわけだが、科学者達が巨大化した時、体内に廃棄したプロテウス号はどうなったんだろう?どう考えても白血球が金属を消化出来るはずないし、あのミッションは失敗としか思えないんだけどなあ。 |
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バラバ Barabbas |
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栄光のジャングル The Big Gamble |
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強迫 ロープ殺人事件 Compulsion |
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1959カンヌ国際映画祭男優集団演技賞 1959英アカデミー作品賞(総合) |
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バイキング The Vikings |
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バイキングが北欧を席巻していた9世紀。奴隷の子として育てられたエリック(カーティス)は、バイキング王ラグナー(ボーグナイン)の元で鷹匠となっていた。ある日王の息子アイナー(ダグラス)に怪我させてしまうのだが、そこで死刑直前に自らがイングランド王家に連なる者であることが発覚し、バイキングから逃げ出す。イングランドに戻ったエリックはラグナーの傀儡王となったエイラ王(スリング)と争うことに… かつて北欧を席巻し、ヨーロッパの歴史に一時代を築いたヴァイキングの物語を映画化。1958年全米興行成績6位(主演のダグラスは自ら銀行と掛け合って製作費を調達する。これは公開後僅か三日で返してしまった)。 邦題は『ヴァイキング』と『バイキング』どちらの表記もあるっぽいが、ここでは『バイキング』とさせていただく。 本作は中世の歴史の中でも資料が多くなく、結構マイナーな部分にスポットを当てたのは、なかなか勇気のいることだったかと思われる。 ただ、それを可能にする下地はあった。この当時のハリウッド俳優には、とにかく顔の濃い俳優が多かったということ…それだけって言えばそれだけだが。 副主人公となるダグラスであれ、ヴァイキング王であるボーグナインであれ、顔力が凄まじく、特に怒りの表情は鬼の如き迫力。ヴァイキング役で登場する無名の俳優も何より全員濃い。主人公役のカーティスだけが(比較的)薄味なのが、逆に印象に残るくらい。 基本物語はフライシャー監督らしいサービス満点の作品で、スペクタクルあり、ド派手な海戦シーンや立ち回り、恋物語、自らの出自を知って悩むハムレット的演出、王族としての責任感と重責にまで言及した、なんでもかんでも詰め込んでみました的な演出に溢れている。忘れてはいけない、あの有名な野蛮さ極まりない食事シーンも記憶に残る。 こんなエンターテインメント作ではあるが、意外に史実の推測にも優れた部分もある。 以下、ちょっとした雑談を踏まえて。 ヨーロッパの歴史において、ヴァイキングは7世紀に起こったタタール人に続く、異教徒による大規模侵攻の歴史となる。 タタール人によって蹂躙されて疲弊したヨーロッパだったが、優れた統治者が何人も現れることによって国土は持ち直し始めていた。 そして8世紀に入り、突如としてスカンジナビア半島に住むゲルマン系民族のノルマン人(デーン人)がヨーロッパに対して大規模な攻勢をかけた。その理由は明らかではないのだが、一説によれば、フランク王カール大帝が異教徒撲滅のために行った大侵攻に対する反発ではなかったと言われている。 操船技術に長けたノルマン人は海賊行為を繰り返し、またたく間にヨーロッパ各国の商業をズタズタにしてしまう。勿論ヨーロッパ各王朝も海軍力を増強してそれに当たろうとするのだが、これまでの大陸内の争いで疲弊していた各国の海軍力は貧弱で、ヴァイキングの攻撃には無力。やりたい放題やられてしまうことになる。北海のみならず、地中海にまで手を伸ばしたヴァイキングによって、海路を完全に塞がれたヨーロッパは再び疲弊の極みに達することになる。 タタール人とヴァイキングの大きな違いは、奪うだけ奪って、勝手に住み着いたという感じのタタール人とは異なり、ヴァイキングは征服した国の王族と積極的に交わることによって、その子孫を支配者階級にその血を残したという点にある。特に南イタリアとフランスには、同じくノルマン朝と呼ばれる王朝が構築され、船から降りた彼らの子孫は着実にヨーロッパ中にその血を残すことになった。 本作の舞台となるイングランドは島国故、特にヴァイキング侵攻が著しい地域だった。ヴァイキングを基にする小さな王朝が出来ては消えるという短命な小国が次々に現れることになるのだが、映画の舞台は、まさしくその時代で、イングランドの正統的王朝と言っても、元を正すと必ずノルマン人の血が入っているくらいに征服されている(この舞台から約3世紀後、フランスのノルマン王朝によって支配されるというのも、ヴァイキングの侵攻は後々まで続いていたとも言える)。 だから本作は、史実的には征服された側から見たヴァイキングの姿が描かれることになる。 ヴァイキングによって傀儡政権を建てさせられた王は、卑屈に彼らの言いなりになりつつ、国民に対してはいけ高々に振るまい、その政治を正そうと立ち上がる主人公がヴァイキングの血を受け継いでいるという皮肉。ある意味では自虐とも取れるこの設定をちゃんとエンターテインメント化できたことが本作の最大の強味だといえよう。 なお、もうすっかり有名な話になってしまったが、帝国ホテルで、取り放題の料理を採用する際、スモーガスボードという名前を呼びにくいという理由で、たまたま上映中だったこの映画の食事シーンを観て、「バイキング」と名付けたのだとか。 撮影はジャック・カーディフ。 |
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ならず者部隊 Between Heaven and Hell |
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1956米アカデミー劇・喜劇映画音楽賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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海底二万哩 20,000 Leagues Under the Sea |
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1954米アカデミー美術監督・装置賞、特殊効果賞、編集賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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19世紀中葉。世界各地の海で次々に軍艦が沈没するという奇怪な事件が起こっていた。生存者は一様に怪物によって沈められたと語っており、列強各国による調査が進められていた。そんな中、米国政府は調査艦の派遣を決定し、そこに海洋学者アロナクス教授(ルーカス)と助手コンセイユ(ローレ)、そして銛打ちの名手ネッド(ダグラス)も、怪物を仕止めんと乗艦していた。3ヶ月にわたる調査では何も見つからず、一同が帰国を決意した夜に、艦は怪物の体当りで沈没した。博士、コンセイユ、ネッドの3人は漂流の末、巨大な潜水艦に助けられる。実はノーチラス号というこの潜水艦こそが怪物の正体であり、その艦長であるネモ船長(メイソン)は三人を捕虜とする。アロナクス教授をよく知るネモと教授は徐々にうち解けていくが、一人ネッドは、なんとしてでもこの艦を脱出してやろうと孤軍奮闘を続けていく… ジュール・ヴェルヌによる傑作海洋科学小説をディズニーが映画化。そしてディズニーにとってはシネマスコープ劇映画の第1作作品。 この小説は私にとっては大変思い入れのある作品で、子供の頃に買ってもらった大きな児童書を繰り返し繰り返し読んで、細部に至るまで頭の中で構築されていたものだ。 その後、だいぶ経ってから本作を拝見したが、意外なストーリー展開に驚かされた。私の記憶ではもっとネモとアロナクスの交流がちゃんとあって、その二人の関係が主軸となっていたと思ったのだが、ここではむしろネモ艦長はほぼ悪役。むしろ物語の中心は銛打ちのネッドの方で、終始一貫ノーチラス号から逃げようとしたネッドの方が正しいように描かれていた。 それが悪い訳じゃない。むしろこういう描き方も出来るんだな。と感心したくらい。確かにネモを中心にヒーロー性を強調するだけでなく、彼の地上に対する怨みを主軸にして、冥い怒りを描くことも映画では可能なのだ。だからかえってここに出てきたネモ艦長はますます格好良く見える。情け容赦なく列強の軍艦を撃破した時の果断さと良い、そこに溢れんばかりの意志の力と、ねじ曲がった性格描写が観られる。『白鯨』(1956)のエイハブ船長のようでもあるが、より強い力を持った男の凄まじいまでのパワーを感じさせてくれた。ジェームズ=メイソン一世一代の名演だった。ヒーロー然としてないネモってのも魅力があるものだ。ディズニーが作ったというにしては、随分暗い内容に仕上がってた。だからこそ、ネモと逆のベクトル、つまり“生きる”事を肯定するネッドを主人公格に格上げする必要があった訳だな。TVアニメの『ふしぎの海のナディア』に登場するネモ船長は原作よりはこちらの方がベースとなっている気がする。 一方、視点がそう言う形で取られている分、ネモの優しさや、艦内の人間の描写などがオミットされてしまったのはちょっと残念。それに原作では主人公のはずのアロナクスが今ひとつ個性が見られないのも勿体ない所。 特撮に関しては、惚れ惚れする出来だ。特に大イカとノーチラス号の戦いは単に機械対生物にとどまらず、海水に溺れそうになりながら、人間が銛とか斧とかで触手と戦っていくのもアナログ特撮の最高峰!と言った感じ。特にイカの造形と動きは、特撮ファンには感涙もの。このイカは油圧や空気圧などで動く重さ2トン、触覚が15メートルあるもので、操作には28人も要する大掛かりなもので、ここでのイカとノーチラスの戦いの撮影は難航するものの、素晴らしい出来で、スピルバーグ監督は『ジョーズ』(1975)を撮影する際、「名前は知らないけど海底二万哩」のイカを手がけた人物を雇ってくれ」と言ったとか。 単なる特撮というのではなく、カリスマ性を持ったネモという人物を見るためにも。絶対お薦めできる作品。 |
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その女を殺せ The Narrow Margin |
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