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スパイク・ジョーンズ
Spike Jonze

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鑑賞本数 合計点 平均点
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書籍
_(書籍)
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2009 かいじゅうたちのいるところ 監督・脚本
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002 アダプテーション
2001
2000
ジャッカス(1st~3rd)
<A> <楽> 製作総指揮
1999 マルコヴィッチの穴 監督
スリー・キングス 出演
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
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1978
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1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969 10'22 メリーランド州ロックヴィルで誕生

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タイトル
<A> <楽>
  
物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

かいじゅうたちのいるところ 2009
2009放送映画批評家協会若手俳優賞(レコーズ)、衣装デザイン賞、歌曲賞、音楽賞
2009
ナショナル・ボード・レビュートップ10
2009
ピーター・トラバースベスト第6位

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スパイク・ジョーンズ
デイヴ・エッガース(脚)
マックス・レコーズ
キャサリン・キーナー
マーク・ラファロ
ローレン・アンブローズ
クリス・クーパー
ジェームズ・ガンドルフィーニ
キャサリン・オハラ
フォレスト・ウィッテカー
ポール・ダノ
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
かいじゅうたちのいるところ(書籍)モーリス・センダック
特撮事典
 マックス(レコーズ)はシングルマザーの母と姉との3人暮らしだったが、最近、姉も母もかまってくれなくなってしまっていた。振り向いてもらおうと度々イタズラを繰り返すのだが、ついに母を激怒させてしまう。自分の気持ちを分かってくれない悔しさから、マックスはそのまま家を飛び出してしまう。無我夢中のままボートに乗り込み、大海原へとこぎ出していくのだが、やがてどこかの島へとたどり着く。なんとそこには、大きな体をした不思議なかいじゅうたちがいっぱいいた。そして、ひょんな成り行きから王様として迎えられたマックスだったが…
 モーリス・センダック原作絵本の映画化。元の絵本は世界各国に訳されたロングランのベストセラーの一冊。かく言う私も子供の頃に一冊持っていた
(母が買ってきたのだと思うのだが、なぜかそれは英語版だった)。しかし、童話と違い、これは内容的には非常に短い。これをそのまま映画にするのは難しいんじゃなかろうか?しかも監督が、訳の分からないものを作るスパイク・ジョーンズ(褒め言葉です。一応)。なんか不安要素いっぱいの作品だった(ジョーンズを指名したのは著者のセンダック本人だとか)
 一見して、
あの原作をこうまとめたか!と、素直に感心はした。原作でやったのは、かいじゅう島に行って、かいじゅうたちの王様になり、一緒に遊んだ。と言うことしか描かれていない。遊びの種類はたくさん描かれていたものの、それ以外がほとんど描かれておらず、その“原作に描かれなかった”部分を描くことに映画は特化されている。
 では、原作に描かれず、映画で描かれた部分とは何か。
 原作のプロットは、いたずら好きの主人公マックスが母によって部屋に閉じこめられたところ、部屋の中が突然森になり、そして往復2年の旅とかいじゅうたちとの遊びを経て家に帰ってきたら、それはほんの数分の間の出来事だった、と言うなんか
荘子の「胡蝶の夢」みたいな話だったのだが、これをジョーンズ監督は、かいじゅうの描き方を工夫して一種のメタフィクションとして仕上げてみせた。
 原作も映画版も「これはマックスの夢」という可能性を持ってきているが、絵本版にプラスして映画の方は、かいじゅうたちをマックスの心の葛藤の姿として描いて見せたのだ。

 改めて考えてみよう。かいじゅう島に住む住民たちはそれぞれ個性的だが、いくつか共通する部分がある。例えば、
それぞれが全く違う姿をしている性別ははっきりしているのに性的描写が一切ないそれぞれの性格が極端にはっきりしている度々「食べる」ことに言及しているくせに、一切ものを食べている描写がない。などなど。
 特に性格描写については見事に全員際だっているのが分かる。一人一人挙げると、キャロルはいつも誰かに愛されることを求めていながら、それを与えられないと暴力衝動に突き動かされる。サイの顔をしたジュディスはとても意地悪で、自分よりも弱い存在に対しては容赦なく精神的に追いつめる。そのパートナーであるアイラは気が弱く、いつも流されているがとにかく仲間に対しては優しい。山羊の顔をするアレクサンダーは臆病でいつも隠れようとする。鳥の顔をしたダグラスは理性的。牡牛の顔をしたブルは頑固。雪男(?)のようなKWは優しいが理知的。

 かいじゅうたち一体一体はまるで異なっている。ただし、それらは実は全部一人の人間の中にある感情そのもの。彼らの性格の違いは、実はマックスの心の中にある葛藤そのものだとも言える。
 母親と姉の愛が欲しいマックスは、二人にプレゼントを贈ったり、一緒にいることで自分を見てもらおうと一生懸命だが、心が繊細なので、ちょっと無視されたり、自分以外の人に心が向くと、途端に暴れはじめてしまう。かいじゅう島のキャロルが暴れているのは、まさにマックスの心の中が荒れているから。ひたすら暴れ、それで自分がよけいに傷つくことになる。そんなキャロルを見守り、時にいたわり、時に離れるKWもやはりマックスの中にある理性的な感情だし、他のそれぞれのかいじゅうも、やはりマックスの中にある感情を担当していると考えられよう。
 そう考えると、ブルの立ち位置は結構おもしろい。彼はゴーイングマイウェイの性格で、他のかいじゅう達と行動が一致していても、それは単に他のかいじゅうに合わせてやっているだけ。劇中全くマックスに話しかけることがなかったが、最後のマックスの船出の時だけ一言声をかけている。彼の担当するのは「落ち着き」で、母に対する怒りがようやく収まった時、彼が感情の中で支配的になってきたことを表しているのだろう。
 そして心が落ち着いたところで、マックスは家に帰り、母に見つめられながら食事をいただく。
 ラストはやや中途半端な印象も受けるが、かいじゅう達はやっぱりマックスの中に住んでいる。だけど、少しずつかいじゅう達も折り合いがついていく。という解釈で良いのだろう。

 そう見ると、本作は、子供の心象風景を物語仕立てにして描いた新しい切り口の物語として観ることができる。子供が本作を観た場合と、大人が観た場合とでは印象が全く変わるだろう。

 心理描写にこだわるジョーンズ監督ならではで、絵本そのものではない、完全なジョーンズ監督作品として本作は観た方が楽しめる。ただ、これもジョーンズ監督らしく、
物語展開のつなぎが悪く、退屈さを覚えるのも難点なのだが

 

アダプテーション 2002
2002米アカデミー助演男優賞(クーパー)、主演男優賞(ケイジ)、助演女優賞(ストリープ)、脚色賞
2002NY批評家協会脚本賞
2002LA批評家協会助演男優賞(クーパー)
2002ゴールデン・グローブ助演男優賞(クーパー)、助演女優賞(ストリープ)、作品賞、男優賞(ケイジ)、監督賞(ジョーンズ)、脚本賞
2002英アカデミー脚色賞、主演男優賞(ケイジ)、助演男優賞(クーパー)、助演女優賞(ストリープ)
2003ベルリン国際映画祭審査員特別賞・銀熊賞(ジョーンズ)
<A> <楽>
  
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ

 

マルコヴィッチの穴 1999
1999米アカデミー助演女優賞(キーナー)、監督賞(ジョーンズ)、脚本賞(チャーリー=カウフマン)
1999英アカデミーオリジナル脚本賞、助演女優賞(ディアス)、編集賞
1999全米批評家協会作品賞、脚本賞
1999NY批評家協会初監督作品賞(ジョーンズ)、助演男優賞(マルコヴィッチ)、助演女優賞(キーナー)
1999LA批評家協会脚本賞(カウフマン)
1999ゴールデン・グローブ作品賞、助演女優賞(ディアス、キーナー)、脚本賞
1999インディペンデント・スピリット新人作品賞、新人脚本賞、主演男優賞(キューザック)
1999放送映画批評家協会ブレイクスルー賞(ジョーンズ)、作品賞
2000MTVムービー・アワード新人監督賞(ジョーンズ)
2000
キネマ旬報外国映画第7位
<A> <楽>
マイケル・スタイプ
サンディ・スターン
スティーヴ・ゴリン
ヴィンセント・ランディ
チャーリー・カウフマン
マイケル・クーン(製)
チャーリー・カウフマン(脚)
ジョン・キューザック
キャメロン・ディアス
キャサリン・キーナー
オーソン・ビーン
メアリー・ケイ・プレイス
W・アール・ブラウン
チャーリー・シーン
ジョン・マルコヴィッチ
ネッド・ベラミー
ブラッド・ピット
ウィノナ・ライダー
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 売れないマリオネット使いのシュワルツ(キューザック)は、ペットショップで働く妻ロッテ(ディアス)に頼りっぱなしの生活が心苦しく、ついに定職に就こうと思い立つ。あるビルの不思議な階にある奇妙な職場でサラリーマンとして働くことになるが、ひょんな事から、この職場の資料室で彼は映画俳優のジョン=マルコヴィッチ(マルコヴィッチ)の頭の中につながる穴を見つけるのだった。そこに入ると誰でも15分間マルコヴィッチになることができることを利用して商売を始めたところ、その"マルコヴィッチの穴"は大繁盛、連日行列が続くのだが…
 何というか、非常に不思議な雰囲気に溢れた作品。こう言うの
とても好き。奇抜な設定や、深いように思えるストーリーも良いが、何より、主役をジョン=マルコヴィッチにしたと言う点が楽しい(少なくとも、映画界にあってかなり微妙な立ち位置にあるこの人を主人公にしたことが本作の最大の成功であろう)。お陰でとにかく不思議な体験をさせてもらえた。
 それまでもいくつかの映画で彼のことは知っていたし、彼が性格俳優と言われているのも知っていた。だけど、この作品によって、私の中では彼の注目度は一気に跳ね上がってしまった。今や大好きな俳優の一人だ。
 個人の内面の世界を描こうという試みは映画においてはこれまでも何度も行われてきた。特にダリはそう言う傾向をはっきりと打ち出して映画を撮っていたし、日本においては荒唐無稽をもって是とするアニメーションがその役割を担ってきた。広義に取るなら、『ミクロの決死圏』(1966)
『インナースペース』(1987)だって「人の内面」に入るわけだから、結構たくさんの作品が作られてきたんじゃないかな?
 ただ、それをストレートでなく斜に構えて撮ったところにこの作品の特徴がある。
ビルの中にある変な職場とか、芸術的なマリオネットの使い手であるが、コンプレックスの固まりである主人公役のキューザック、男も女もOKで、素直に自分の欲望に従う悪女役のキーナー。彼女に出会うことで自分が本当は同性愛者であることを自覚する主人公の妻ロッテ役のディアス。そして本人役で登場するチャーリー=シーンとか。そう言う小技が小気味よく決まっていて、映画を観ている間中不思議な感覚をずっと覚え続けていた。良いねえ。確かにこれは私の持論「快楽装置としての映画」そのものじゃないか。充分すぎるほど“映画”を堪能できた。

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