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ガメラ監督日記 _(書籍) |
2018 | ||||||||||
2017 | ||||||||||
2016 | ||||||||||
2015 | ||||||||||
2014 | ||||||||||
少女は異世界で戦った 監督 | ||||||||||
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2013 | 危険なカンケイ 監督 | |||||||||
ジェリー・フィッシュ 監督 | ||||||||||
生贄のジレンマ 監督 | ||||||||||
2012 | 百年の時計 監督 | |||||||||
2011 | 青いソラ白い雲 監督・脚本 | |||||||||
メサイア 監督 | ||||||||||
ポールダンシングボーイ☆ず 監督 | ||||||||||
2010 | ばかもの 監督 | |||||||||
2009 | ||||||||||
2008 | プライド 監督 | |||||||||
ヒットメイカー 阿久悠物語 監督・脚本 | ||||||||||
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2007 | 結婚詐欺師 監督 | |||||||||
2006 | DEATH NOTE デスノート the Last name 監督 | |||||||||
神の左手 悪魔の右手 監督 | ||||||||||
DEATH NOTE デスノート 前編 監督 | ||||||||||
2005 | ホーリーランド<TV> 総監督 | |||||||||
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2004 | あずみ2 Death or Love 監督 | |||||||||
ウルトラQ 〜dark fantasy〜<TV> 監督 | ||||||||||
スカイハイ2<TV> 監督 | ||||||||||
2003 | ||||||||||
2002 | 恋に唄えば♪ 監督 | |||||||||
2001 | ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃 監督・脚本 | |||||||||
2000 | クロスファイア 監督・脚本 | |||||||||
1999 | ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 監督・脚本 | |||||||||
1998 | F [エフ] 監督・脚色 | |||||||||
1997 | 学校の怪談3 監督・脚本 | |||||||||
1996 | ガメラ2 レギオン襲来 監督 | |||||||||
1995 | ガメラ 大怪獣空中決戦 監督 | |||||||||
1994 | 毎日が夏休み 監督 | |||||||||
1993 | 卒業旅行 ニホンから来ました 監督 | |||||||||
ネクロノミカン 監督 | ||||||||||
1992 | ||||||||||
1991 | 就職戦線異状なし 監督・脚本 | |||||||||
咬みつきたい 監督・脚本 | ||||||||||
1990 | 香港パラダイス 監督・脚本 | |||||||||
1989 | どっちにするの。 監督・脚本 | |||||||||
1988 | ラスト・キャバレー 監督 | |||||||||
山田村ワルツ 監督 | ||||||||||
1999年の夏休み 監督 | ||||||||||
1987 | 恐怖のヤッちゃん 監督 | |||||||||
1986 | いたずらロリータ 後からバージン 監督 | |||||||||
ザ・サムライ<TV> 監督 | ||||||||||
1985 | みんなあげちゃう 監督 | |||||||||
1984 | OL百合族19歳 監督 | |||||||||
宇能鴻一郎の濡れて打つ 監督 | ||||||||||
スケバン株式会社 やっちゃえ!お嬢さん 脚本・助監督 | ||||||||||
メイン・テーマ 助監督 | ||||||||||
1983 | ファイナル・スキャンダル 奥様はお固いのがお好き 脚本・助監督 | |||||||||
宇能鴻一郎の濡れて学ぶ 脚本・助監督 | ||||||||||
家族ゲーム 助監督 | ||||||||||
ピンクカット 太く愛して深く愛して 助監督 | ||||||||||
1982 | OH!タカラヅカ 助監督 | |||||||||
絶頂姉妹 堕ちる 助監督 | ||||||||||
実録色事師 ザ・ジゴロ 助監督 | ||||||||||
女教師狩り 助監督 | ||||||||||
聖子の太股 ザ・チアガール 脚本 | ||||||||||
ズーム・アップ 聖子の太股 脚本 | ||||||||||
1955 | 6'8 東京で誕生 |
少女は異世界で戦った 2014 | |||||||||||||||||||||||||||
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DEATH NOTE デスノート the Last name 2006 | |||||||||||||||||||||||
2006ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(松山ケンイチ) 2006アジア映画脚本賞 |
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神の左手 悪魔の右手 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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DEATH NOTE デスノート 前編 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006日本アカデミー助演男優賞(松山ケンイチ) 2006毎日映画コンクールTSUTAYA賞 2006報知映画新人賞(松山ケンイチ) 2006ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(松山ケンイチ) |
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あずみ2 Death or Love 2004 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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恋に唄えば♪ 2002 | |||||||||||||||||||||||
2002日本アカデミー新人俳優賞(優香) | |||||||||||||||||||||||
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大好きな恋人サトル(玉山鉄二)との楽しいデートのはずが、突然一方的にフラれてしまったユミ(優香)。一気に不幸のどん底に突き落とされ、すっかり元気をなくしてしまったユミは、勤め先のデパートの催事コーナーで不思議な壺を目にする。ユミが、見るからに怪しげなその壺に触れた瞬間、中からもっと怪しげな自称、魔法使いの中年男(竹中直人)が現われた。壺男は、ユミの願いを1つだけ叶えてくれるという。ユミは迷った末に“別れた彼を取り戻したい”と願う。が、当のサトルはオーストラリアに旅立った後。サトルを追いかけるユミと壺男の珍道中が始まった。 “ミュージカル”という触れ込みだったが、実際にはミュージカル・ナンバーは少なく、むしろ異様なロード・ムービーという感じ。どうせ竹中直人がどれ程弾けているかを観に行ったのだから、それは良し。 これがスクリーン・デビューという優香は素人臭いし、歌も自然っぽいからミュージカル向きのキャラクターじゃないけど、映画には上手くとけ込んでいたんじゃないかな。むしろあんなに無理なく役にとけ込んでいることを評価すべきかも。一方の竹中直人は、もう彼の魅力全開と言った感じで画面狭しと暴れ回っていた。アラビア風の衣装を付けた姿はどう見ても危ないオジサンだが、その役をとても楽しく演じているのが印象的。 監督の金子修介はかなり好きな監督の一人。質の良い怪獣映画を作ってくれるのでその手の映画が好きな人にはよく知られる(ついでに言うと押井守監督の大学の後輩であり、何かとつながりがあるので、その意味で知っている人も結構いる。『うる星やつら』の脚本も書いてる)が、こう言う明るいノリの作品もよく監督している。質は兎も角、観ていて楽しいのが一番。この映画でも竹中直人の奇行や、何故か途中でゴジラもどきが登場したりして、結構笑わせてもらった。 かつてテレビで一人芝居をしていた竹中直人が好きになった私としては、何度も言うが、彼が弾けてくれればそれで充分。細かいところには目を瞑ろう。 |
ゴジラ×モスラ×キングギドラ 大怪獣総攻撃 2001 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2002日本のヒット作第3位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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グアム島沖で米国の原子力潜水艦が消息を絶った。そして、その探索に向かった防衛軍の作業艇は海底で巨大な背びれをもつ生物を発見する。それを知った防衛軍准将・立花(宇崎竜堂)はゴジラの襲来を警戒よう軍にうながす。時を同じくして日本各地では次々と奇妙な現象が起こっていた。そんな中、超常現象をあつかうTV番組「デジタルQ」のスタッフである立花の娘・由里(新山千春)はあることを発見する。
それは、超常現象が発生した新潟県妙高山、鹿児島県池田湖、富士樹海と民間伝説「護国聖獣伝記」に出てくる「護国聖獣」が眠るとされている場所との奇妙な一致である。伝説の謎を調べているうちに、由里は謎の老人・伊佐山(天本英世)と出会う。そして、彼はおもむろに警鐘を鳴らした。「ゴジラは太平洋戦争で命を散らした、数知れぬ人間たちの魂が宿った強烈な残留思念の集合体だ。ゴジラは武器では殺せん。“ヤマトの守護神”たちを覚醒させるのだ!」
と。そして ついに破壊神ゴジラが日本へ上陸する。果たして、“ヤマトの守護神”ギドラ・モスラ・バラゴンそして人類はゴジラを撃退できるのか? まず、これは間違いなく現時点で作られた最高のゴジラ映画だ!さすが金子修介。まさに痒いところに手が届く配慮で、こうして欲しい。と思っていたことをちゃーんとやってくれている。『ガメラ 大怪獣空中決戦』の時もそうだが、バランスが取れた怪獣マニアが作った作品と言う感じに仕上がっている。素晴らしい出来である。 キャスティングだが、久々に「生ける特撮」天本英世が登場しているのが嬉しいし、佐野史郎の存在も良い。宇崎竜堂も朴訥とした軍人の役を上手く演じている。高島ファミリーが出ていないのだけが心残りなくらいか(笑) ストーリーにゴジラに対応して3体の聖獣が出ると言うので、どういう風になるのかと思ったら、これも上手く仕上がっている(なんでも金子監督は『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964)の大ファンで、それに合わせて四体の怪獣を出したのだとか)。冒頭の説明のシーンで笑える人間はゴジラ好き。結局1954年版『ゴジラ』(1954)とアメリカで作られた『GODZILLA ゴジラ』(1998)だけを残し、他の映画は全て切ってしまっているが、それは英断だろう。 最初にゴジラの登場シーンは清水市と言う地方に上陸させたことで、ゴジラの巨大さがよく表されていた。こんな迫力あるゴジラ見たのも久々だ(しかもマニアックな市街地の作り!)。容赦なく人を踏みつぶし、のし歩く姿。今までここまで一般人とゴジラとの対比を描けたのは一作目を除けば今回がまさしく初めて。とにかくゴジラの圧倒的迫力に押される。 その後、箱根で最初の聖獣であるバラゴンとの戦いになるが、今まで誰も行ったことがない試みがなされている。ゴジラとバラゴンの二体、体格がまるで違うのだ(バラゴンがゴジラの2/3くらい。これは『フランケンシュタイン対地底怪獣』(1965)の縮尺に合わせていると思われる)。中に人間が入る都合上、基本的に怪獣は同体型という不文律をあっさりと破ってくれた。しかもバラゴン側からのあおりでその大きさの対比を特徴づけているアングル付けは秀逸。スタッフロールで知ったが、あれは女性が入っているそうな。なるほど。考えつかなかった。 そして横浜でのモスラおよびギドラとの戦いとなるが、ギドラの3段階変形は狙い通り格好良かった。ただのギドラがモスラの力を受け、2段階目の変形。これで金色に輝き、閉じていた翼が開いて空中を浮遊する様(この時、ギドラがキング・ギドラと呼ばれる)。そして神像のかけらが戻って3段階目の変形(違いは雷撃を光線として吐けるかどうか)。これがなかなか劇的で、ぐっとくる。なるほど、ラドンではなくキング・ギドラにした理由はここにあるのね(^^;。それにギドラがちゃんととっくみあいもしてるのも特徴か。これまでキングギドラは3本首という特殊な形状故にピアノ線での吊りがメインとなってしまい、どうしても格闘は難しかったから(その分首が太くなったのはちょい残念ではあるが)。 そして人間側の物語が地に足が着いた雰囲気なので(そのまんま『ガメラ』だけど)、それも良かった。何せ今回は逃げまどうだけでなく、しっかり殺される描写まで出てくるし、ちゃんと抵抗もしている。 さて、褒めてばかりも何なので(?)、少し難点も言っておくことにしよう。 先ず、ゴジラの造形だが、非常に重厚に出来ていて、目も怖いにも関わらず(本作は愛称として「金子ゴジラ」と呼ばれることがあるが、もう一つ「白目ゴジラ」とも言われる。これは敢えてゴジラから愛嬌を取っ払い、悪役に仕立てるために行ったとのこと)、歩く姿はまんま人間。モスラは全然動かない。ぬいぐるみ中心よりCG多用すべきだった。バラゴンは顔が鬼からシーサーに変わった。魅せ方が上手いだけに、アップになった時にそれらのアラが気になってしまう。 防衛軍は怪獣同士の戦いにおいて、その足下で活動している。何に命を懸けているのか分からぬが、あれじゃ犬死にだ。 それから設定のアラを言わせてもらうと、ゴジラの吹く火炎は放射能を帯びているようで、チェレンコフ光を帯びているが、被爆については殆ど言及されておらず、破壊した跡も焦げていない。水中で怪獣が格闘しているというのに、その直下で潜水艇が動けるわけがない。空気と違い、水は波動の伝わり方が極端に早いため、水にあんな衝撃を与えたら潜水艇の中は生物が住める環境ではなくなっているはず(人間の形を留めずペースト状になるんじゃないかな?)。更にキング・ギドラが水上や水中で電撃を吐いているのに、電導体であるはずの水(しかも塩水)を泳いでいる人間が無傷。こんなところかな? 最初にこの映画は、最高のゴジラ映画と私は言ったが、これは褒め言であると同時に、「ゴジラ」と言う素材の持つ限界性をも感じてしまった。この作品は良くできた作品だが、最高の怪獣映画にはなり得ない。ゴジラの亜流というのはそこまでしか作れないのかもしれない。金子修介監督は実に巧みに映画作りをしているが、「これをやって欲しかった」と言う作りだと、満足は行くが、衝撃は与えられない。『ガメラ 大怪獣空中決戦』の時も持った感想なのだが、非常に優等生的な出来映えではあるが、それを超えることが出来てない。 金子監督は上手いだけに、それだけで終わって欲しくはない。ファンの希望通りではなく、裏切るような作品作りをして欲しい、と言うのは贅沢な訴えか? |
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ゴジラ映画音楽ヒストリア──1954 ― 2016(書籍) |
ガメラ3 邪神<イリス>覚醒 1999 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1999年。かつて日本を蹂躙したギャオスが世界各地で出現し、人類を襲撃し始めた。ガメラとギャオスとの果てしない戦いが繰り広げられていくのだが、その中で各地は激しい戦禍を受けることになる。ガメラとギャオスの戦いで渋谷が崩壊し、日本政府はついにガメラもギャオス同様危険分子であると見なし始める。かつてガメラとギャオスの戦いで良心を失った少女綾奈(前田愛)は田舎の祠の奥でギャオスの卵を発見する。ガメラに対する復讐の念で孵化した生物を「イリス」と名付け育て始める綾奈。そして成長したイリスは彼女を取り込み、その意志を受けてガメラと対峙する。 金子監督と樋口真嗣特技監督によって作られた平成ガメラ3部作の完結編。前2作の成功により、コンスタントに金が取れる作品だったのに、きちんと3作目で終わらせた潔さは買う。ただ、前2作と較べ、パワーバランスを変なところに持っていってしまったため、良い部分と悪い部分が際だってしまった作品になってしまった。 『ガメラ2 レギオン襲来』は“怪獣を倒すための人間側の努力”の部分にスポットを当てていたのに対し、今度は全く逆のベクトル。つまり、“怪獣を作るための人間の努力”にターゲットが絞られている。ウルトラマンシリーズにはそう言う話は豊富にあるし、ゴジラにおいても『メカゴジラの逆襲』(1975)や『ゴジラVSビオランテ』(1989)はそれに近い形式を取っていた感じ。ただ、『メカゴジラの逆襲』と大きく違っていたのは、ゴジラを倒そうとする人間がガキだったこと。これが問題。彼女はゴジラを憎んでいる割に具体的にどうすればゴジラを倒せるかというヴィジョンはなく、状況に流されるまま、偶然ほこらの中に入り、偶然卵を見つけ、それを孵化させたところ、偶然それが最強の対ガメラ怪獣だった。伝奇的な脚色はふんだんになされているものの(金子監督、随分好きだよね)、結局彼女がガメラに対抗するだけの力を手に入れたのは、本当に偶然に偶然が重なっただけで、何の努力さえしてない。結局前田愛を出したいためだけに作ったとしか思えないのは何とも。 このご都合主義的な設定を脇に置くとしても、ストーリーはほぼあってなきがごとし。これまたえらく単純にしてしまったものだ。決して薄っぺらいとは言わないまでも、何となく、既に描かれてしまったことをなぞっているだけの作品という印象を受けるのだが… だが、だからといってこの作品がくだらないと言うつもりも、やはりない。凄く良いところが、魅力がこの作品にはある。 この作品ほど、怪獣を美しく撮った作品は、それまで無かったと思う。女性的なフォルムを持ったイリスが流れるように空中へ飛び立つシーン、触手をまるで羽根のように見せつつ、夜の空に浮かぶ、そして高速移動するイリスの姿は、幻想的でさえあった。そこに無骨なイメージのガメラ、流線型の自衛隊機が絡むことによって、戦いはいやが上にも派手に、そして格好良く映る。徹底して夜の戦いにこだわったのも良い。イリス自身が光り輝く存在だし、人工の光の照り返しを下から受け、すっくと立ち上がるガメラの勇姿。月や雲を背景として暗い空中で戦いを繰り広げるガメラとイリス。どれも実に映えていた。 そして迎えるクライマックス。京都駅をそこに選んだのは凄い選択だった。何せガメラもイリスもすっぽりと駅構内に入るので、その中で怪獣同士の対決に絡めて人間ドラマを映し出すことが出来たのだ。怪獣と人間はスケール比の違いで、一緒に撮るにはどうしても断絶を感じる。それを防ぐため、イリスの中に少女を入れ、京都駅の中で戦わせたのだろう。人間と怪獣が同時にドラマを繰り広げる事を、こんなに自然な形で作り出したことは怪獣映画史においても特筆ものの部類に入るんじゃないかな? ラストの戦いのガメラの潔さ。手がイリスによって浸食されると迷いもなく火球で手を焼き落とし、その手にイリス自身のパワーを溜めてイリスに突き刺す。少女を助け、イリスを倒すために払った犠牲は決して安くなかった。しかも、世界を覆うギャオスの群れは減ってないのだ。ガメラにとっては、これは絶望的な状況と言って良い。それでも尚、ガメラは決してあきらめていなかった。あのラストの空を睨み付けるガメラの目に、私は本気で鳥肌が立った。格好良すぎるぞ、こいつ。 上記のように、この作品、非常に出来にばらつきが多いため、どうしても評するのに難しい。実際この作品については、ストーリー重視派だったら「最低作品」になってしまうし、格好良い怪獣をみたいという人間だったら多分「最高作品」になってしまうだろう。どっちの言い分も分かるし、私としてはそのどっちでもあるわけで…難しいなあ。 ところで本作は特技監督樋口真嗣ならではの面白いエピソードがあることを知った。 これまで長くミニチュアで火のついたガラ(語源は“がらくた”らしい)を落とす時、アメ火薬という、粘着性の液体火薬を石膏に塗って使用していたのだが、樋口はこれが落ちた時に跳ね返らず、床に張り付いて燃えるのが嫌だ。と言い出した(大仰に言えば特撮50年の歴史の否定である)。それで試行錯誤(と言っても僅かに半日程度)の結果、なんと煎餅にガソリンを染みこませるという技法を開発した。これにより、燃えるガラの落下シーンはこれまでにない迫力が出せた。とのこと。又、本作の冒頭部分渋谷を火の海に陥れるガメラとギャオスの戦いでは日本で初めて爆発シーンにミニチュアのみの撮影を敢行。カメラアングルや設置にはえらく苦労したそうだが、お陰で迫力のある画を作ることが出来た。 |
学校の怪談3 1997 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ガメラ2 レギオン襲来 1996 | |||||||||||||||||||||||
1996ヨコハマ映画祭第9位 | |||||||||||||||||||||||
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突如地球に降り注ぐ流星雨。北海道に落下した隕石の正体は二種類の生物だった。“レギオン”と命名された生物と、“草体”と呼称された個体は、やがて札幌に根を張った。互いに共生し会うこの2つの生物の存在は、間違い無く地球生物の脅威ともいえた。そこへ、かつてギャオスを殲滅した怪獣ガメラが出現、“草体”は倒されるがレギオンによってガメラは傷つく。だが、この生物達の侵略はそれでは終わらなかった。今度は“草体”が仙台に出現したのである。数々の状況を分析し、必死のレギオン対策を図る自衛隊だったが、レギオン同士が合体。巨大怪獣へと変化していくのだった。そこに現れたガメラとレギオンの決死の戦いが始まる。 『ガメラ 大怪獣空中決戦』の好評を受けて登場したシリーズ第2弾。特技監督はもちろん樋口真嗣。リアリティは1作目以上で、SF的な細かい設定に裏打ちされた、共生生物のレギオンと草体の関係や、リアルな攻防戦、そして1作目を凌ぐマニアックなカメラ・アングル、ガメラの必殺技の存在などに目が行く。ただ、ここで本当に重要なのは、自衛隊の存在だろう。 怪獣映画に出てくる人間側の兵器もそれなりに変遷している。ゴジラシリーズだと、初代ゴジラは別物として、以降のシリーズだと人間側は通常兵器をベースとしたものを用いていた。ただ、その存在は怪獣の強さを印象づけるための単なるやられ役、若しくはゴジラ登場までの場つなぎに過ぎない。これが平成ゴジラになると、人間側も超兵器を繰り出すようになるが、基本的に正面対正面の戦いとなる。これが全く面白くなかったのは周知の通り。これは要するに怪獣対怪獣に焦点を当てすぎ、人間の兵器は絶対に怪獣に敵わないと言うのがゴジラシリーズでは不文律となっていたから。だから、人間側がどんな超兵器を投入しようと、「どうせやられる」と思ってしか観ることが出来ないし、作る側もその辺割り切っていたようだ。 これがガメラシリーズになるとやや様相が変化する。昭和ガメラの時であっても、ガメラ自身、人間によるZ計画で宇宙の彼方に飛ばされたのだし、以降の『ガメラ対バルゴン』(1966)、『ガメラ対ギャオス』と、確かに人間側の兵器は最終的には通用しなかったとは言え、丁寧に人間と怪獣の攻防が描かれていたのが特徴的だった。しかも基本的には現用兵器、若しくは別目的のために作られたものを兵器に転用し、リアリティを増していた。そこには紛れもなく、人間側による工夫の跡が見られた。 それで平成になって復活したガメラは、そう言う点においてもやはり『ガメラ』だった。1作目はどうも目立たなかった人間側の努力が、2作目の本作ではむしろガメラ自身よりも前面に出るほどに強調されている。 登場するのが自衛隊というのは、現代の日本の状況を考えれば当たり前と言えば当たり前であるが、これは本当に重要なこと。日本で怪獣対策本部と言うものが作られなかったとするなら、当然登場するのは自衛隊を於いて他はない。しかもこういう場合において、自衛隊がなすべき役割は何よりも人的被害の軽減に他ならない。“人的被害”の中には当然自衛隊員も含まれるため、特攻をかけたりするのは許されない。ましてや他人の生命を脅かす重火器の仕様は極力避けられる。…こう書くとあんまり派手なドラマにならないように思えるが、それが違う。人間を人間たらしめている大きな要因、つまり人間には考える力が備わっている。 そう。レギオンと草体が現れたとき、その正体を探るべく、必死になって調査する姿、レギオンの弱点を探し出そうと努力する姿、それらは確かに派手ではないかも知れないが、この点に焦点が当てられると、充分に息詰まる展開が得られる。それで現用兵器を用いて、効果的に敵にダメージを与えると言う展開に持っていける。正面から堂々と戦うより、むしろそう言う側面から、どう勝つかの研究がなされて然りなんだ。人間側の主人公達が上手くその辺をフォローしてくれていたので、自衛隊の存在感が強調され、怪獣映画における“弱いはずの自衛隊”を上手く用いる事ができていた。 他にも、人間の視点から見た戦車の雄志と言うのもあるだろう。怪獣の目から見た、見下げる形の戦車ではなく、人間の目で横向きに見ているからこそ、戦車に重量感が与えられ、そしてレギオンとガメラの巨大さが強調される。その辺の撮り方が実に上手い。個体としてのレギオンを小さくしたのも上手かった(『ゴジラVSデストロイア』(1995)では、その部分をとてつもなく下手に撮ってしまっていたのが良い反面教師になってたんじゃないかな?)。 ストーリー展開で言えば、特に後半はややアニメっぽくなってしまったのが残念とは言え(一応最後まで出し渋った必殺技の理由は『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』で明らかにされるけど)、その分、ツボを抑えた演出がなされ、丁寧に作られているので、好感が持てる。 一作目を劇場で見逃し、残念な思いをしていただけに、これを大画面で観ることが出来たのは嬉しかった。 とにかく自衛隊の撮り方が上手いのがこの映画の特徴とも言える。金子修介監督がその点にこだわった事を示すのに、面白いエピソードがある。日本の映画監督で戦車の格好良い撮り方を追求する監督として押井守の名前が挙げられるが(この人の戦車好きは筋金入り)、金子監督は実は押井監督と大学が同じで、同じ映像研究部に入っていた。それで本作を撮る際、押井守に自衛隊パートの特技監督を打診したそうだ。丁度押井監督は『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』(1995)の撮影に入っていたので、一蹴されたそうだが、これが実現していたら、面白かっただろうな。 本作で技量を発揮したのはなんと言っても特技監督の樋口真嗣。この人は根っからの特撮畑の人ではなく、アニメの監督とかもちょくちょくやっていたが、逆にその発想が大変上手く機能する。特にレギオンが戦車隊を吹っ飛ばすシーンなんかは『風の谷のナウシカ』(1984)で巨神兵が王蟲を吹き飛ばすシーンの再現なのだとか)。 |
ガメラ 大怪獣空中決戦 1995 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1995日本アカデミー賞特別賞(樋口真嗣)、助演女優賞(中山忍) 1995ブルーリボン監督賞(金子修介)、助演女優賞(中山忍) 1995キネマ旬報第6位 1995ヨコハマ映画祭監督賞、助演女優賞(中山忍)、脚本賞、技術賞、第2位 |
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突如太平洋に出現した動く環礁。それと時を合わせ、九州の孤島では謎の怪鳥が人々を襲うという事件が発生する。「ギャオス」と命名されたその生物は政府決定で捕獲されることになのだが、その時動く岩礁からガメラが姿を現す。福岡ドームを利用した3匹のギャオスの大捕獲作戦が行われようとしたその時、まるでそれを妨害するかのようにガメラが福岡に上陸するのだった。そして始まるガメラ対ギャオスの空中決戦。 大映が往年のガメラシリーズを復活させる!。そのニュースを聞いたとき、悪いが全然期待してなかった。既に復活して大分経つ平成ゴジラシリーズがあまりにも駄作揃いだったため、正直特撮に飽きが来ていたのだ。特撮は古い作品に限る。そんな風にも思っていた。確かに金子修介と言う監督には興味があったものの、劇場に足を運ぶまでもない。そう思っていた。 しかし、そう考えるのは、あまりに早計だった。まさかここまで質の高い作品を投入してくれるとは。正直、ビデオでこれを観て、劇場に行かなかった自分の不明を悔やんだものだ。 特撮好きな人が、長年暖めてきた企画を可能な限り忠実に映像化した作品。これが正直な感想。往年の昭和ゴジラシリーズやガメラシリーズを観ていた人なら、「私だったら、ここはこうする」とか、「こうすればもっと面白くなるのに」と言う思いを鑑賞の度に思っただろうが、まさしく、それがしっかりと映像化されているのだ。これには驚かされた。正直、私が思っていた「ここはこうして欲しい」と言う所を、実にツボを抑えて製作してくれた。それだけで充分。昭和の怨念がここでやっと晴らされた。と言う感じ。これは金子監督のみならず、樋口真嗣という、完全なオタクを特技監督に迎えたことが大きい。 予算の関係で、少々安っぽくなったことと、売りのためどうしても使わねばならなかった藤谷文子の(スティーヴン・セガールの娘だったりする)の素人臭い演技お陰で大分興が薄れた部分もあるが、いかに怪獣を格好良く撮るか、そして従来の着ぐるみだけでなく、SFXをいかに映えるように使うか。そしてどういう風にストーリーを持っていけば、怪獣が格好良くなるか。色々な点で実に顧慮されており、これが又、本当にツボにはまってる。 怪獣は哀しい存在であって欲しい。それが私なりのポリシーだったのだが、怪獣映画が派手になればなるほど、その要素がどんどん減っていった。特に平成シリーズになり、巨大さを失ったゴジラは単なる暴れん坊でしかなかったし、ゲスト怪獣は単なる人間の手先か、ゴジラを上回る極悪な存在か。それだけになってしまい(唯一『ゴジラVSビオランテ』(1989)のみ、その点を顧慮していたが)、正直これではどうしようもないと思っていた時期だけに、ガメラが人を助け、その人間に誤解を受けて攻撃される姿を見せつけられて、思った。そう。まさにこれこそが私の見たかった怪獣の姿じゃないか。そして地上で肉弾戦を行い、空を飛んで必殺の火の玉を吐くあの雄志。それをきちっと撮り切ったカメラ・ワークと脚本。背筋がゾクゾクするほどだった。 ところで、先に「予算の関係」と書いたが、大映としてもこれがこんなにヒットするとは思ってなかったらしく、大映が提示した予算は驚くほど少なかったらしい。結局屋内施設がレンタルの関係で使えず、外にセットを組んで、自然光の元、カメラを回したのが意外な効果を見せ、実にリアルに仕上がったのが面白い。これは特技監督の樋口真嗣に負うところが大きい(ちなみに『エヴァンゲリオン』の主人公は彼の名前を取ったもの。現に彼はこの撮影中にも『エヴァンゲリオン』の脚本及び撮影に携わっている)。彼は元々素人で特撮映画を作っていたこともあり、その辺のノウハウはしっかりしていたし、その後アニメ界に入ってからは構図の勉強をしっかりしたらしく、見事なまでに「格好良さ」の演出を打ち出していた。実際本作こそが、特撮マン樋口真嗣の誕生であり、これまで冬の時代と言われていた特撮界に一石を投じるきっかけとなったのだ。そして伊藤和典の脚本。彼が押井守と組まずにこれだけ見事な脚本を書けるとは、正直思ってもみなかった。これで彼のことを、大分見直す事となった。 これが怪獣映画としては一つの完成型と思ってしまう程だったのだが、私はまだ甘かった。まさかこの続編が…→『ガメラ2 レギオン襲来』へ。 |
毎日が夏休み 1994 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1994日本アカデミー新人俳優賞(佐伯日菜子) 1994 |
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卒業旅行 ニホンから来ました 1993 | ||||||||||||||||||||||||||||
1993日本アカデミー脚本賞 1993日本映画プロフェッショナル大賞第6位 |
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就職戦線異状なし 1991 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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