|
|
||||||||||||||||||||||
|
2018 | ||
2017 | ||
2016 | ||
2015 | ||
2014 | ルパン三世 監督 | |
2013 | ||
2012 | NO ONE LIVES ノー・ワン・リヴズ 監督 | |
ストレンジャーズ 6<TV> クリエイティブアドバイザー | ||
2011 | ||
2010 | ||
2009 | BATON バトン 監督 | |
2008 | ザ・ミッドナイト・ミート・トレイン 監督 | |
鎧 サムライゾンビ 製作・原案・脚本 | ||
2007 | ||
2006 | LOVEDEATH─ラブデス─ 監督・製作・脚本 | |
恋愛小説 監督 | ||
2005 | 山手線デス・ゲーム 後編 監修 | |
山手線デス・ゲーム 前編 監修 | ||
2004 | ゴジラ FINAL WARS 監督 | |
Jam Films S 監修 | ||
2003 | スカイハイ [劇場版] 監督 | |
あずみ 監督 | ||
スカイハイ<TV> 監督 | ||
2002 | 荒神 監督・脚本 | |
Jam Films 「the messenger -弔いは夜の果てで-」監督 | ||
ALIVE アライヴ 監督・脚本 | ||
地獄甲子園 製作・脚本協力 | ||
2001 | ||
2000 | VERSUS ヴァーサス 監督・脚本 | |
1999 | heat after dark ヒート・アフター・ダーク 監督・脚本 | |
1998 | ||
1997 | DOWN TO HELL ダウン・トゥ・ヘル 監督・脚本・撮影・出演 | |
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | 5'30 大阪で誕生 |
ルパン三世 2004 | |||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||
ゴジラ FINAL WARS 2004 | |||||||||||||||||||||||
2004文春きいちご賞第6位 | |||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
近未来。人類最大の敵ゴジラを南極の氷の中に封じ込めることに成功した人類だったが、度重なる戦争と核実験は数多くの怪獣を目覚めさせてしまっていた。それに対抗すべく人類は地球防衛軍を設立。その中核にはミュータントによる特殊部隊が存在していた。通称M部隊の隊員尾崎真一(松岡昌宏)は若き生物学者音無美雪(菊川怜)の護衛で北海道で発掘された謎のサイボーグ怪獣の調査に向かうが、それと時を合わせるかのように世界各地に多くの怪獣が出現する。更にそれらの怪獣を全て回収したX星人も地上に降りてくる。友好関係を築きたいと申し出るX星人の申し出に喜ぶ人類だったが…。 “とりあえず”のゴジラの最終話として作られた作品で、東宝はかなりの賭に出た事が分かる作品。なんせ総製作費20億はこれまでのシリーズにはない破格の製作費だったし、バトル映画(アクション映画にあらず)では定評のある北村龍平を監督に抜擢。更に水野久美、宝田明、佐原健二と言った、往年のゴジラ映画には馴染みの深い役者を多量投入。 覚悟の程は分かるものの、正直、これほど不安だった作品はない。北村龍平というと、スピード感重視の迫力あるバトルシーンを作ってくれるけど、その分ストーリーに関してはもはや言うべき事もないボロボロの作品を作ってしまうから。こいつに最後のゴジラを託すのかよ。 これは私だけじゃなく、恐らく往年のゴジラファン全員がそう思っていたのではないかと思う。北村龍平に作らせたら、当然ゴジラの重量感は無くなるだろうし、わちゃくちゃにバトルの連続になるだろう。怪獣も数が出てくるけど、数が数だけに見せ場は作れないだろう。しかもミュータント部隊などと言う、怪獣に対抗できる人間が出てくる… こんなので終わるのかよ! …とだけ言わせてくれなければそれで良し。正直な話、かなり悲壮な気持ちで劇場へ… それで、である。 は?なにこれ? 面白いじゃないか。 正直、これだけ悲壮な気持ちで観に行って、笑わせられるとは思ってもみなかった。 確かに私が観たかったゴジラの姿も、“こうあるべきだ”としてきた怪獣ものの正しいあり方もそこにはまるで存在しなかった。ここには「ゴジラ」という素材を使って強引に自分の映画を作ってしまった北村龍平という人物しか見えない。 燃えるシチュエーションだけを置いてストーリーなどどこ吹く風のストーリー展開。重量感があるのだか無いのだか分からないゴジラを始めとする怪獣群のアクロバティックな動き、ミュータント部隊同士による意味がないけど激しすぎるバトル。ミュータント部隊と怪獣とのガチンコ対決。ほとんど意味のないお色気シーン、玄太哲章の声で語るドン・フライとキレすぎの北村一輝。何の衒いもなく他の映画からのパクリを堂々とやってのける。もはやこれは怪獣映画じゃなく北村映画としか言いようがない。凄まじい出来に仕上げてくれたもんだ。 怒るより呆れた…けど、その呆れを通り越えて楽しめた。 50年の歴史を持つゴジラに対し、真っ向から「俺が食ってやる」という姿勢で臨んだ北村監督の狙いは間違ってない。いや、それどころか、妥協のない「オレオレ」映画だからこそ、中途半端に終わることなく北村映画として充分鑑賞に足るものだった。 しかし、この作品で透けて見えたのは、実は別の事だった。 何事にも原理主義を主張する人間というのはいるものだが、多分に私自身それに陥っていたと言う事実がそれ。 私はゴジラとはこうあらねばならない。と言う枠に押し込め、その範囲内でだけ楽しもうとしていたのではないか?事実、ゴジラ作品の中に一種の“粋”の世界をそこに見ようとしていたのは事実で、そこから離れてしまうのは、後ろめたいというか、それを楽しんではならないと言う思いに陥っていたのではないか?そう言う思いにさせられた。 しかし、そのような粋を感じるのは実はほんの一部の人間だけであり、それを認める人間というのは数が少ない。事実、マニアの中では傑作と言われる前作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003)の興行成績はボロボロだった。 しかし、考えてみると私が初めて観たゴジラはゴジラ好きの人間には殆ど評価されていない『ゴジラ対メカゴジラ』(1974)であったわけだし、それを凄く楽しんだのは事実。後になってオリジナル版の『ゴジラ』(1954)で衝撃を受けてから、多分そこでどこか思考停止に陥っていた部分があったのではないか?そのように思えるのだ。 ゴジラとは、一作目の意義を失った時点で、どれだけ遊んでも構わない訳なんだよな。むしろそうやって試行錯誤して新しいタイプを作り出すべきだったんだ。格好良いだけのゴジラがあって良いじゃないか。昭和シリーズを見ろ。そんな作品ばかりじゃないか。逆に平成シリーズのボロボロさ加減とは、私のように“ゴジラとはこうあらねばならない”という視野狭窄に陥って作られてしまったからではなかったか? 一作目の再来は『ゴジラ』ではありえない。その前提に立っているつもりで、やっぱりそちらに引きずられすぎていた自分がいたわけだ。むしろこれは面白かったと言うより、自分自身を振り返らせてくれた。 後もう一つ評価できることは、人間と怪獣をシンクロさせる方法。今まで色々な方法が試されてきた事なのだが(細かくは『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967)のコメント参照)、ここではそれに真正面から取り組んでいた。先ず冒頭で轟天号に乗ってゴジラと戦うシーン。これは最も単純なパターン。しかしその後、実際にミュータント部隊が本当にエビラと戦ってしまい、しかも殆ど勝ちかけたと言うシーン。これは確かに初めてのこと。怪獣に対抗できる人間がいるとする、実に単純な論理でそれを描いていたこと。それとラストのミニラの存在も大きい。『ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』(1969)で使われていたパターンであるが、最初ミニラを小さい姿で出しておいて、人間と一緒にいさせ、最後に巨大化させてゴジラと意志疎通をさせるシーンもあった。そしてもう一つ新しいシーンがあった。のが松岡演じる尾崎が北村演じるX星人役に馬乗りになってボコるシーンで、モニターで全く同じ事をゴジラがモンスターXにしてる…あ、なるほど。これは確かにゴジラと人間の縮尺の差を超えて、シンクロさせられる方法だ。半分笑い、半分感心した。こう見ると、人間と怪獣の二面性のドラマをどうやって結び合わせるのか、よく考えていたんだな。 ただ、どうしても駄目だと思ったのがいくつか。 設定に関してやると、それこそ論文が書けそうになるのでやめるが(笑)、最大の問題点は、北村監督、怪獣映画全般は好きだけど、ゴジラ映画に限っては、思い入れがちょっと足りないのが分かってしまった所。サービス満点でありながら、肝心の部分で「違うんだよ!」と言いたくなる。 その中で大きなものは、怪獣の立場に関してなのだが、先ずキングシーサーは沖縄の守り神なんだから、沖縄を破壊してはいけなかった。あれをやるんだったら、ただ一つ台詞を変えるだけで済んだんだ。「沖縄から上陸したキングシーサーが鹿児島で暴れてます」。これだけで良かった(笑)。 個人的にはヘドラが殆ど出なかったのも寂しいが、ああ言った軟体動物こそがゴジラを一番苦しめられるはずなんだが…(これは個人的な趣味) それと、ゴジラ最強の敵と言えば、当然“あれ”しかないのだが、何故出さないんだろう?と公開前には思っていた。それでモンスターXが“あれ”に変わる瞬間はカタルシスを覚えたもんだが(瞬間的にマジ涙が出そうになったぞ)、なんでオリジナルと同じにしない?しかも格闘をさせるために吊りで動かしていなかったたため、全然強そうでない。そもそもあの体型で格闘させようとすること自体が変じゃないか?大きく空に舞い上がって、優位な位置で徹底的にいたぶらなきゃ。ほんと、手の届かないサービスだよな。 惜しむらくは、これは「最後のゴジラ」じゃなくて、「ゴジラにはこんな面も出せるんですよ」という意味で、もうちょっと早く出してくれていれば… 今回私自身の反省も踏まえ、少々評価は甘くさせていただく。 |
|||||||||||||||||||||||
ゴジラ映画音楽ヒストリア──1954 ― 2016(書籍) |
スカイハイ [劇場版] 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||
あずみ 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2003日本アカデミー新人俳優賞(オダギリジョー、上戸彩)、主演女優賞(上戸彩) 2003日本映画批評家大賞新人俳優賞(上戸彩) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
関ヶ原の合戦後、天下の覇権となった徳川家だったが、時代は反乱分子が次々と起こる戦国時代の様相を呈してきた。家康の側近である南光坊天海(佐藤慶)は、爺=小幡月斎(小栗旬)に暗殺者集団育成を密かに命じた。爺は、戦乱で孤児となった幼子を集め、過酷な修行を課して最強の戦士へと鍛え上げていった。その中での最強の暗殺者となったあずみ(上戸彩)は、自分の行っていることが太平の世を作ることだと信じ、暗殺を繰り返していく… 出来がどうだこうだと言われ、なんか劇場で観る気力を無くし(それに監督が北村龍平だってのもちょっと…)、テレビで拝見することになった。 実はこれでちょっと北村龍平という監督を見直したりして(笑) 実際、この監督B級的アクションはとても小気味良い。スピード感に溢れてるし、物理的にも殺陣の定式にも則らずに無茶苦茶やってくれる。本作はその微妙な点がかなり上手く出せたんじゃないかと思う。金を充分すぎるほどに遣ったB級作品と割り切って観るなら、これほど楽しめる作品もなかろうと思われる。 本作は完全にキャラクターと殺陣だけに特化しているのが特徴で、細やかな感情の機微や、設定の重要さなどは完全に二の次。少なくとも、その辺の細かいつっこみを全部粉砕してしまうだけのパワーは確かにあった。 演出に特化しているだけのことはあり、キャラクターのぶっ飛び方は尋常でなく、自分の手に穴が開いたのをへらへら笑って見てる奴とか、ドアップがやたら多い竹中直人や伊武雅刀とか…中でも凄まじいのがオダギリジョー。こいつが出ると、他のキャラクターがみんな霞んで見えるくらいの存在感で、しゃべり方と言い、ケレン味だらけの立ち居振る舞いと言い、なんかキャラクターがこれで固定しないかと考えてしまうくらい(勿論その後の作品でちゃんとそれだけでないことを示してくれたが)。主人公のあずみ役上戸彩は寡黙な戦士として考えるなら、『修羅雪姫』(2001)の釈由美子よりもキャラはきちんと立っていた…太股モロ見せで、ストイックさで色気を演出したのは、完全に狙ったとは言え、見事な演出。よ〜くキャラクターの馬鹿馬鹿しさ加減を理解してるって事だな。 殺陣に関しては、多分監督、各キャラに「素のままやれ」と指示を出したんだろうな。斬れるわけがない、単に右から左に剣振り回すだけで、死々累々。馬鹿らしいほどに単純な演技を演出で魅せた。やっぱりこの実力はただもんじゃない。 そりゃ設定的に言ったら、アラしかない作品なんだが、これをいっそファンタジーであると断定してしまうなら、かなり面白い作品に仕上がってる。これは現代的センスで造り上げたチャンバラであり、それで構わない作品なのだから。ストーリーなど細かいことに過ぎず、要はキャラクターが立っていて、アクションに見栄えがすればいい。その辺の開き直りがはっきり感じられる。この監督だからこそ、こんな荒唐無稽なアクション作品が出来上がったと考えることが出来るんだったら、絶対楽しめる。 点数がこの程度で終わってるのは、「考えるな」と言いつつ考えてしまう私の性格の故。 ところでオダギリジョーは『仮面ライダークウガ』でメジャーになった割りには「特撮嫌い」をこの辺りから公言し始めた。寂しいもんだ…まあ、この演技観てる分には、充分特撮キャラ出来そうなんだが…悪役として。 |
荒神 2002 | |||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
Jam Films 2002 | |||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
Versus ヴァーサス 2000 | |||||||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||||||
囚人番号KSC2-303らは刑務所を脱出。かねてから待ち合わせていた森の奥へと実を潜ませる。だが彼を迎えに来たはずの組織レザボアの構成員と銃撃戦を繰り広げ、彼らを全滅させてしまう。生き残ったKSC2-303はレザボアに囚われていた記憶のない謎の女を連れて、再び森の中に逃げ込む。ところが、それこそが実は彼を誘い込む罠であり、森の中では死んだ人間が次々と甦っていた。倒しても倒しても彼を狙う敵の群れの中、彼は何を見るのか… 様々な話題に上る北村龍平の名前を国内外に轟かせた作品で、少なくとも本作の投入により“只者ではない監督”というイメージ作りは成功した。 で、本作はひと言で言えば「馬鹿な作品」なのだが、その「馬鹿」もここまで突き抜けてくれるとほとんど爽快感に変わってしまう。 思えば、子供の頃にロボットアニメや特撮に燃えた人間であれば、ある程度の年齢になると自分で某かの物語を作りたくなるもの。で、頭の中で空想する物語と言えば、やっぱり決闘シーンありの、銃火器の壮絶な打ち合いシーンあり。更にホラーまで加えれば、ぐちゃぐちゃドロドロシーンありのシーンばかりが思い浮かぶもの。物語なんて二の次。むしろ見せ場シーンばかりを考えてしまう。 …勿論当たり前の話だが、普通そう言うものは想像の中に止まってしまう。自分でそう言うのを作ってみようと文で書いたり、絵で描いたりすることはあっても、限界があるし、大体は途中で飽きてしまう。それが普通の人間ってものだと思うのだが、世の中には時折そう言う常識を粉砕し、本当に、ただ自分の作りたいものを作ってしまおうというモチベーションを保ち続ける人間というのが存在する。そう言う人間こそが映画監督となり得るのだが、更にその中でも、数少ないが、人からどんなにそっぽ向かれようとも妥協無く自分の好きな“だけ”の作品を作ってしまえる人間がいる。海外では『死霊のはらわた』(1983)作ったサム・ライミや『サンゲリア』(1979)作ったルチオ・フルチとかがそう言う人間の代表だろう。で、明らかにこの二人の監督の影響をモロ受けしながら、独自の映像表現を突き詰めたのが北村龍平という監督。本当にただ作りたかったのを作ってみました。って感じの作品に仕上げてくれた。元ネタを考えても、明らかに先に挙げた2作のみならず、『ハイランダー 悪魔の戦士』(1986)やら「ブレインデッド』(1992)やら『男たちの挽歌』(1986)やらのオマージュが感じられ、1980年代のテイストに溢れている。 冒頭からほとんど伏線も意味もなく繰り広げられる銃撃戦。理屈も何もなくワイヤーアクションで殺し合いを始める男達。意味不明に甦り、人間よりも元気な死体。人体のパーツを使って平然と行われるギャグ…設定だけ見たら「どんな素人作品だ!」と思われるものを、少なくとも本当に映画としてまとめてしまったという、それだけでも充分評価されるに足りるだろう。 実際、確かにテイストは1980年代かもしれないけど、流石この年代だけあって、CGやワイヤーアクションの多用。徹底的に凝りまくったアングル、たたみ込むような戦いの演出など、「どうやったら格好良くできるか」を徹底して考え抜いて作られているのが特徴で、「どうだ。これは格好良いだろう」と言わんばかりの作品に仕上がってしまった。 映画界においてこういう馬鹿は貴重。だってこういう馬鹿になりたい自分の代わりになってくれた人がいるってだけでなんか励まされる気分になる。はっきり言えば羨ましい。 …とは言え、流石にストーリー自体を放棄してしまったため、映画自体の完成度はどう見ても低く、これが受け入れられるのはかなり限られた人たちだけだろう。日本の生んだカルト映画として受け止めるのが正しいか。 尚、本作は共同脚本として山口雄大がクレジットされているが、実はこの二人は第1回インディーズムービーフェスティバルでのライバルでもあった(この時は北村監督がグランプリを得た)。の撮った自主製作ギャグ映画『手鼻三吉と2志郎が往く』を観た北村監督が是非と言うことで指名したのだとか。 |