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2019 | 2'9 死去 | ||||||||
2018 | |||||||||
2017 | |||||||||
2016 | |||||||||
2015 | |||||||||
2014 | |||||||||
2013 | |||||||||
2012 | |||||||||
2011 | |||||||||
2010 | 桜田門外ノ変 監督・脚本 | ||||||||
2009 | |||||||||
2008 | |||||||||
2007 | イヴの贈り物 監督 | ||||||||
2006 | |||||||||
2005 | 男たちの大和 YAMATO 監督・脚本 | ||||||||
2004 | |||||||||
2003 | |||||||||
2002 | 金融腐蝕列島 〔再生〕 監督・脚本 | ||||||||
2001 | Gメン75スペシャル2 東京-北海道トリック殺人事件 監督・脚本 | ||||||||
2000 | |||||||||
1999 | |||||||||
1998 | |||||||||
1997 | 北京原人 Who are you? 監督 | ||||||||
1996 | |||||||||
1995 |
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1994 | 超能力者 未知への旅人 監督 | ||||||||
1993 | Gメン'93春 第一級殺人の女 監督 | ||||||||
1992 | 私を抱いてそしてキスして 監督 | ||||||||
おろしや国酔夢譚 監督・脚本 | |||||||||
1991 | リトル・シンドバッド 小さな冒険者たち 監修 | ||||||||
1990 | ダブルパニック90 ロス警察大捜査線 脚本 | ||||||||
1989 | |||||||||
1988 | 敦煌 監督・脚本 | ||||||||
1987 | |||||||||
1986 | 植村直己物語 監督・脚本 | ||||||||
1985 | |||||||||
1984 | 空海 監督 | ||||||||
1983 | 人生劇場 監督・脚本 | ||||||||
1982 | 未完の対局 監督 | ||||||||
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1981 | |||||||||
1980 | 遙かなる走路 監督 | ||||||||
甦れ魔女 監督 | |||||||||
1979 | |||||||||
1978 | 野性の証明 監督 | ||||||||
1977 | 人間の証明 監督 | ||||||||
1976 | 君よ憤怒の河を渉れ 監督・脚本 | ||||||||
1975 | 新幹線大爆破 監督・脚本 | ||||||||
1974 | ルバング島の奇跡 陸軍中野学校 監督 | ||||||||
1973 | ゴルゴ13 監督 | ||||||||
実録安藤組 襲撃篇 監督 | |||||||||
実録 私設銀座警察 監督 | |||||||||
やくざと抗争 実録安藤組 監督 | |||||||||
1972 | やくざと抗争 監督・脚本 | ||||||||
ギャング対ギャング 赤と黒のブルース 監督・脚本 | |||||||||
1971 | 博徒斬り込み隊 監督・脚本 | ||||||||
暴力団再武装 監督 | |||||||||
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1970 | 最後の特攻隊 監督 | ||||||||
日本ダービー 勝負 監督・脚本 | |||||||||
1969 | 日本暴力団 組長と刺客 監督・脚本 | ||||||||
組織暴力 兄弟盃 監督 | |||||||||
旅に出た極道 監督 | |||||||||
1968 | 荒野の渡世人 監督 | ||||||||
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1967 | 続組織暴力 監督 | ||||||||
組織暴力 監督 | |||||||||
1966 | 愛欲 監督 | ||||||||
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1965 | |||||||||
1964 | 廓育ち 監督 | ||||||||
狼と豚と人間 脚本 | |||||||||
1963 | 続・王将 監督 | ||||||||
陸軍残虐物語 監督 | |||||||||
1962 | 王将 助監督 | ||||||||
1961 | 宇宙快速船 助監督 | ||||||||
1960 | |||||||||
1959 | |||||||||
1958 | |||||||||
1957 | |||||||||
1956 | |||||||||
1955 | |||||||||
1954 | |||||||||
1953 | |||||||||
1952 | |||||||||
1951 | |||||||||
1950 | |||||||||
1949 | |||||||||
1948 | |||||||||
1947 | |||||||||
1946 | |||||||||
1945 | |||||||||
1944 | |||||||||
1943 | |||||||||
1942 | |||||||||
1941 | |||||||||
1940 | |||||||||
1939 | |||||||||
1938 | |||||||||
1937 | |||||||||
1936 | |||||||||
1935 | |||||||||
1934 | |||||||||
1933 | |||||||||
1932 | 11'6 東京で誕生 |
桜田門外ノ変 2010 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010日本アカデミー美術賞 2010日本映画批評家大賞映画技術特別功労賞 2010キネマ旬報助演男優賞(柄本明) |
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男たちの大和 YAMATO 2005 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005ブルーリボン監督賞 2005キネマ旬報日本映画第8位 2006日本アカデミー美術賞、録音賞、作品賞、助演女優賞(蒼井優)、監督賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、編集賞 2006報知映画新人賞(松山ケンイチ) 2006ヨコハマ映画祭最優秀新人賞(松山ケンイチ) |
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2005年4月。枕崎漁港で働く老漁師神尾克己(仲代達矢)のもとに一人の女性内田真貴子(鈴木京香)が訪ねてくる。彼女は60年前に沈んだ戦艦大和が眠る場所まで船を出してほしいと言うのだが、実は神尾自身その大和に乗っており、真貴子の父内田守とは浅からぬ縁を持っていたのだった。自分の中の昭和を終わらせるため、神尾は彼女の申し出を受けて船を出す。かつての自分自身を思い出しつつ… 戦後60年という事で終戦の話がTVを中心に良く作られていたが、これが2005年最後の大作となった。 ちなみに監督の佐藤純彌はあの『北京原人 Who are you?』を作った人で、実はつい先日ビデオでこれを観てしまったため、本作の出来はかなり疑問。一体これどうなるんだろう?と言う思いを持って劇場に足を運ぶ。 観ている間、色々考えさせられた。観てる間圧倒されっぱなしで、観終わってから色々考えるのこそが良作という持論を持っているので、実はこれはあんまり良くないのだが、その間考えていたのは、佐藤純彌監督の使い方と言うことだった。 はっきり言って佐藤監督は人間の描き方が下手だ。特に叙情的なものとエロは相性が悪く、これらが入ると途端に変な作品になってしまう。つまり人間中心に、しかも優しい人間を描こうとさせてはいけない。ということ。『北京原人 Who are you?』が失敗したのは、要するに一番下手な作品をこの監督にやらせたことが敗因だったと言うことがよく分かった(こんなもん作らせたお陰で8年も干されてしまった訳だし)。 しかし逆にメカニカルなものと、中心を人間以外のものに持って行くなら、非常に優れたものを作ることが出来る。だからこそ『新幹線大爆破』という傑作をものにすることが出来た。 で、今回は監督の使い方は上手くはまった。何せ本作の中心は人間ではなく大和なのだ。勿論それを動かすのは人間なのだが、その人間描写を叙情的なものにすることなく描けるのはこの設定あってのこと。人間の生活臭をあくまで人生の一部として、淡々と描いていたお陰で中心点がずれることなく、大和という場所に収斂していってくれている。そう。佐藤監督の実力とは、ここにこそあったのだ。 ほぼ満員の映画館でほとんど鼻をすする音が聞こえなかった時点でこの映画は正解だったと思えた。 戦争が悲惨なのは当然だけど、それを叙情的に描くと説教臭くなって、面白味が無くなるけど、こういう風に淡々と描いてくれるとかえって見栄えがするというものだ(これがこれまでの邦画の悪さだったし)。 それと評価したいのは、巨大な船を動かすために重要な場所とはどこか。と言うことを曲がりなりにもしっかり描かれていたこと。水烹室を中心の一つにしてくれたのはこれまでにない描写だった。お陰で食事シーンが多く、こう言う所に偏愛の度合いが高い私としては、それだけで結構嬉しかったりする。強いて言えば機関室の描写が足りなかったのはちょっと残念。ここが一番物語として映える所なんだから(「宇宙戦艦ヤマト」で一番好きなのは徳川さんの機関室描写だったし)…ま、ここは金かかりすぎる割に見栄えがしないから仕方ないのかな。 海軍唱歌の「月月火水木金金」の一部が聴けたのもちょっと嬉しかったかも(笑) ただ強いて言えば、時代考証及び人間描写があまりにも現代っぽいし、大和もどこを見ても汚れが全くないとか、問題はいくつもあるけど、CGに頼らずあくまでローテク特撮っぽく作られてるだけでも充分って感じ。だって東映特撮界では有名な人がスタッフロールで続々観られただけでも…(結局それかい)。 |
北京原人 Who are you? 1997 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1997日本アカデミー特殊映像技術賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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第二次世界大戦時に紛失したと思われていた北京原人の頭蓋骨の化石が、2001年になって東シナ海の海底で発見された。その化石を秘密裏に持ち帰った日本の生命科学研究所は、そのDNAから北京原人そのものを甦らせようという実験に着手するのだった。佐倉竜彦(緒方直人)と竹井桃子(片岡礼子)の二人の科学者によってついに実験は成功する。三人の親子として蘇った北京原人をそれぞれフジタカシ、ヤマモトハナコ、ケンジと名付け、生態研究が始まった。しかしこの実験に対し、本来の所有者である中国政府と生命工学の先陣であるアメリカが動き出していた。そして中国側のスパイ美々(ジョイ・ウォン)によって三人は連れ去られてしまう。同じ頃中国では北京原人が発掘された同じ場所から発見されたマンモスの復元が成功しようとしていた… 日本の誇る1990年代最も凄まじい作品!こう言って多分ある意味では間違いではない。これが全国公開されたと言うだけで奇跡に近い。 かくいう私は劇場公開の際には観に行くことがなかったのだが、色々と本作の噂は聞いていたので、トンデモ映画が割と好きな私としては、本作を観る時を大変楽しみにしていたものだ。それでたまたま近くのレンタルビデオ屋が潰れることになって一本250円という安価で売られていたのを手に入れ、早速拝見。 … うむ。確かにこれは凄いわ。これを真面目に観ることは私にはほぼ不可能な所行。デビルマン(2004)を先に観てなかったらビデオでも耐えるのは困難だっただろう。この時ばかりはデビルマンに感謝した。あれを観て以降、変な映画を目の当たりにした際は、なるだけ笑って変な所を楽しめるようになってくれたお陰で無事早送りもすることなく全部観ることができた。が、約2時間の時間を凍り付いたように笑みの形を作っていなければ耐えきれなかった。 内容がどうこうではない。これを全部観た!と言うだけで充分褒められてしかりだ。ここまで想像を絶する作品が出来たと言うことに日本の映画の力強さというものを感じられる。秒単位でツッこめるのだが、ツッこむこと自体がナンセンスという恐るべき作品に仕上がってしまった。 ストーリー、人物描写、設定、無駄なCG合成、そして感動させようとする姿勢。全てが見事なほどに空回り…いや、これこそが目的だったとすれば、素晴らしすぎる。少なくともこれは狙って出来ることではない。 これがあの新幹線大爆破という傑作を作った佐藤純彌監督と同じとは到底思えない。いや、少なくともこの二作を監督したと言う事実だけで佐藤監督は日本における大いなる足跡を残したと言えよう(事実佐藤監督、この作品作ったことで相当干されたようで、次の作品作るまでに8年の時間が必要だった)。 この作品は映画好き用の試金石として位置づけるのが一番正しいのではないだろうか?この時間を耐え、そしてこれを貴重な体験といえるならば、それは相当な映画好きといえよう。もし映画の話をしている時、唐突に「うぱー」と言ってみよう。それで反応できるなら、それは相当な通だ(笑) 少なくとも一つ、「ウパー」という叫び声を一度は使いたくなるのが本作の最大の利点だろう。うぱー。 |
おろしや国酔夢譚 1992 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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敦煌 1988 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1988日本アカデミー作品賞、主演男優賞(西田敏行)、監督賞(佐藤純彌)、撮影賞、照明賞、美術賞、録音賞、編集賞、新人俳優賞(中川安奈)、特別賞 1988ブルーリボン作品賞 |
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1988年邦画興行成績1位。徳間康快大映社長はこの作品を製作することが長年の夢だったという。企画段階では小林正樹が監督する予定だったが、その後深作欣二に変更され、最終的には佐藤監督に落ち着く。日本映画過去最高の45億円が使用され、10万人のエキストラ、4万頭の馬が動員される 徳間の総力を結集して製作に当たり、東宝での公開が決まったが、当時東映に断られた『となりのトトロ』と『火垂るの墓』を公開させないと引き揚げると脅しをかけたという逸話が残っている…結果として本作はさほど成功と言えなかった代わり、アニメが大ヒットしてしまった。 角川商法を真似、前売り券を多量に配布したものの(100万枚とも言われる)、客足がまるで伸びず。 |
植村直己物語 1986 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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冒険家植村直己(西田敏行)がグリーンランドで犬橇単独行から帰国し、東京に帰ると、駅の階段で偶然出逢った女性野崎公子(倍賞千恵子)と馴染みの店で再会した。公子に一目惚れした植村は彼の自伝を彼女に贈り、プロポーズをする。自伝から植村の冒険心と、一般社会でなかなか生きられない彼の事を承知で公子はプロポーズを受け、結婚する。だが結婚後も植村の冒険心は収まることなく、次々に新しい挑戦をしていく… 1984年にマッキンリー登山中行方不明となった冒険者植村直己の半生を描いた作品で1986年邦画興行成績3位。 植村直己は私自身に知己はないものの、何故か私の友人には山屋が多く、その中で年配の方がよく知っていると言うことで、その話を伺ったことがあった。なんでも常に黙っていて、二人きりで酒を飲んでると、こちらがいたたまれない気持ちにさせられると言っていたが、一旦冒険の話を始めると、喋り続けるような人だったとか。言うなればオタクそのものの人物だったようだ。多かれ少なかれ山に取り憑かれた人間というのはそう言うものっぽいが、彼の情熱は本当に自分の体を痛めつけるかのような冒険に全て傾けられていたのだろう。私自身かつてそう言う人間に憧れていたけど、いつの間にか世事に巻き込まれてしまったなあ。 植村直己の自伝を読んだりすると、度々「公ちゃん」と言う名前が出てきて、本当に愛しているのが分かるのだが、それを超えた所に男のロマンがある。 ただ、そう言う人間は本人はとにかく、周りの人間にとかく迷惑をかけるもの。碌々仕事も出来ず、自分を放っておいて世界中を飛び回るような人間の奥さんはとても大変だっただろう。それで本作はむしろ彼を支える奥さんの方に焦点が当てられているのが特徴。それがはまった。この二人の関係がとても良く、駄目人間を支える奥さんの暖かい雰囲気が良く出ている。 それでほとんど登場人物二人だけの物語になっているが、この二人が顔を合わせているシーンが少なく、ほぼ物語は二分化。お互いに孤独な状態での物語が展開する。そして離れれば離れているほどお互いを想い、そして一緒にいるとお互いに傷つけ合ってしまう。こんな二人を西田敏行、倍賞千恵子共に上手く演じきってる。その中にある生活感の描写がなんかとても心地良い。暗い部屋の中での貧しい食事シーンなんかが上手くはまってた。 本作は世界中で撮影が行われたそうだが、本作及び『敦煌』(1988)のお陰ですっかり西田敏行は「局地役者」などと言われるようになったとか。 |
空海 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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甦れ魔女 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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野性の証明 1978 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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タイトル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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元自衛隊レンジャーで今は長井頼子(薬師丸ひろ子)という養女と羽代市で保険外交員として働く味沢岳史(高倉健)。ひっそりと暮らす味沢だったが、この羽代市にまつわる汚職事件を取材中の越智朋子(中野良子)と知り合うのだが、それは彼と頼子の忌まわしい過去の扉を開くきっかけに…汚職にまみれた地方自治体の構造を併せて描く。 1980年代邦画は低迷期にあったが、その中で一社だけ映画興行そのものが赤字だろうが何だろうか構うものか!と息巻いて多額の資金を投入して映画を作り続けた会社があった。他でもなく角川書店のことである。ここは母体が書店という異色の映画製作会社だが、母体が違うだけに、たとえ映画で損失が出ても、その関連商品で補填できればいい。仮にそれさえも無理であったとしても、新人女優を徹底して目立たせることによって、将来に渡って儲けが出ればいい。という割り切った考え方があったためだが、この商法が花開いたのが新世紀になってから。メディアミックスの先駆けとなっていく事になる。それにこのお陰をもって、細々とではあるが、1980年代を通して日本の大作映画の火は消えること無く続いていくことが出来た。角川が、いや角川春樹が日本映画に与えた影響は決して小さくなかった。事実、薬師丸ひろ子は現在の邦画を支えるヴェテランの一人に成長してる(一般公募で、なんと2224名の中から選ばれたという)。 角川は1976年に『犬神家の一族』を投入して時ならぬ推理小説ブームを招来させることに成功したが、今度はそれをヒューマンドラマの方に持って行こうとしたのだが、同時に新しい試みとして前述したメディアミックスの試験をここで行ったように思える。この作品で鮮烈なデビューを飾った薬師丸ひろ子は、そのまま角川の看板スターへと成長していくことになるから。そしてその試みは見事に成功。低迷した邦画勢の中、1978年邦画興行成績を見事1位に持っていった。 原作小説は森村誠一の人気小説だったが、これを映画化する際、アクション作品に定評のある佐藤純彌監督を起用した。これは原作の一つの町を舞台とした、社会派作品を、エンターテインメントにまで押し上げるためだったと思われる。事実、本作の見所は、小説版のラストシーン以降にこそあったのだから(事実小説は結構地味だったし)。 この作品を派手に見せようとしたのは、角川が大々的なキャンペーンを張っていたことからもよく分かる。当時テレビのCMでは「ネバーギバッ」が連呼され、薬師丸ひろ子の声で「お父さん、何か来るよ。みんなでお父さんを殺しに来るよ」と言うキャッチコピーが踊り、てっきりSF映画か?と思わせたほどだったし、勿論テーマソングは町中に溢れ、本屋には垂れ幕と共に「森村誠一フェアー」の文字が躍る…今でこそ当たり前の光景にせよ、当時はこれだけでも充分衝撃的だったんだよ。 しかし出来としては小説版で描かれていた日本の裏社会の巨悪の弾劾は無く、朋子の努力も物語の半分程度で終わらせてしまった。それで最後は親子二人の戦いながらの逃避行をひたすらに描いていく。お陰で本来の悲劇のヒロインであったはずの中野良子演じる朋子の存在感は希薄に、その代わり、原作からいくら離れていても薬師丸ひろ子の存在を大きく。となってしまい、原作の余韻など全くないのだが、これをオリジナルストーリーと言い切ってしまえば、そこそこ楽しめる。社会の悪をえぐろうとした原作を換骨奪胎した結果、自衛隊の無能ぶりを強調したのだから、別の意味で原作の意味合いを継承したとも。 はっきり言って、映画を観た後で小説を読んだら、逆に「何これ?」になってしまうのだが、果たしてこれで小説は売れたんだろうか? それで物語自体は「ふん」で終わらせられてしまうような陳腐さではあるのだが、それでもこれまでの邦画には決してみられなかった演出部分の努力は認めたい。実際の戦車を映画に出すなんて、これまではやろうと思っても出来なかったし、ましてやその戦車を炎上させるなど、アニメ以外では出来なかったことをやってしまったと言う快挙を称えたい。実際、動く戦車を壊すなんて真似は、これまでのどんな大作映画でも出来なかったことなんだから。この戦車が壊れるシーンだけで充分。それ以上を求めては酷というものだ。 それに、なんだかんだ言っても薬師丸ひろ子は可憐だったし、当時はかなり気に入った作品だったのは事実だし(この辺で歯切れが悪くなるのは、子供心に感動してしまったという過去があるから)。 ちなみに配給先を持たない角川は本作の配給先を東映に決めたものの、空きの劇場が無かったため、東宝の直営館で公開となったという。当時の映画会社の対立を考えると、極めて異例のことだった。 |
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人間の証明 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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東京ロイヤル・ホテルで女流デザイナー八杉恭子のファッション・ショーが始まったとき、同じホテルのエレベーターの中で一人の男が胸にナイフを突き刺され、西条八十詩集を抱いて死んだ。ジョニー=ヘイワードというその男の身辺調査に当たる警視庁の那須班の刑事たちは、エレベーター・ガールがジョニーから聞いたと言う「ストウハ」というダイイング・メッセージを調査し始める。一方、都内の別の場所で起こったホステスの失踪事件。何の関わりもないはずのこの二つの事件だったが、そのどちらにも八杉恭子という名前が関わっていた。そしてこの事件の捜査に人一倍熱心にかかわっていた警視庁の若き刑事棟居は、捜査を進めるにつれ、この事件が実は自分自身と浅からぬ縁を持っていると言う事実を知っていく… 『犬神家の一族』(1976)で日本のメディア・ミックス路線を切り開いた角川が次に選んだ素材はなんと森村誠一による推理小説だった。森村誠一と言えば、当時最も映像化されやすい作家としても有名で、特にテレビドラマであればそれこそ映像化されないものの方が少ないくらい。それをわざわざ映画でやるという。しかも角川は話題づくりのために脚本の一般公募をまで行った。テレビドラマであれば人気のある素材でも、映画になったらどうなるか全く未知数なので、ここではかなりの冒険に出たことを思わされる。ただ、第1弾の『犬神家の一族』で培ったメディアミックスの手法があり、かなり自信のある賭けだったようにも思える。事実、1977年邦画興行成績2位で、歴代の興行収益も22億5000万円をたたき出して2位(当時)という華々しい成績を残すことができたし、すでに手垢がついた感のあった推理小説がまだまだ魅力的に映画として作り上げることができると言うことをも証明して見せた(公開前に関連業者に多量の前売り券を販売した初めての例だったことも幸いした…この方法もしばらくの間、衰退していく邦画を助ける一助でもあったわけだが)。西条八十の「帽子」という詩「お母さん、あの帽子どうしたでしょうね?」のキャッチコピーもヒットした。 この作品は脚本を一般公募したことでも知られるが、これはあくまで話題づくりでしかなく、結果としてベテランの松山善三となった。でもプロが作ったからこそこの水準を保てたわけだから、これはこれで正しい方法だったのだろう。 原作はたまたま父の書斎の蔵書の中にあり(当時の父は社会派推理小説が好き)、それでずいぶん前に読んだが、長いばかりで今一つ面白いとは思えず、更に偶然の要素と不自然な人間関係に辟易し、どうも著者とは合わないとばかり思っていたお陰で、なかなか鑑賞の機会はなかったのだが、ようやく先日になって拝見することが出来た。 原作通り複雑な人間関係と偶然の要素が強すぎて、推理ものとしては水準に達してないし(原作でのキー・アイテムであるぬいぐるみが時計になってるし)、社会派ドラマとしてもちょっと中途半端な感じはするが、本作にはそれ以上の魅力が確かにある。 この作品、キャラクタ描写に関しては追従を許さない凄さを見せているのだ。特に、本来刑事の一人にすぎないはずの松田優作の存在感は特筆もの。 彼の演じる棟居というキャラは、本来的にはあくまで刑事として、“傍観者”として役付けられているはずだが、彼は自分自身が幼少時に受けた傷を否が応にも突き付けられていく。そしていつしか自分自身が“当事者”として関わっていくことにされてしまうのだ。初登場時には単なる熱血刑事にしか見えなかった彼が、やがて苦悩の表情も新たに事件にのめりこんでいく。その姿は、泥臭く野暮ったいものであったとしても、野生味溢れるものであり、松田優作と言う俳優の魅力を余すことなく映し出している。 映画としての出来はともかく、『最も危険な遊戯』(1978)と並び、松田優作と言う人物を観るためには重要な作品だろう。 |
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君よ憤怒の河を渉れ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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代議士の不審死事件を調査していた東京地検刑事部検事の杜丘冬人(高倉健)は、突然強盗傷害容疑で逮捕されてしまう。身に覚えのないことだが、証拠が完璧に揃っていた。これは自分をはめる罠だと悟った杜丘は、家宅捜査の隙を見て逃げ出し、自分を訴えた水沢恵子という女性を捜すのだが… 新生大映の第一回作で、旧大映社長の永田雅一がプロデューサーとして参加している。豪華な俳優陣を用いているし、ロケにもとても力が入っている。 非常に豪華な作品なのだが、出来上がったものを見ると、「無駄遣い」としか思えないのが何とも。これが前年に『新幹線大爆破』を作った同じ佐藤監督の作品とは。 ただ、それはそれで本作は色々印象深いところが多い。まずは物語冒頭から終わりに至るまで流れ続ける「ダヤラ〜ダラヤ〜」という音楽が耳に残るってところだろう。物語の細かいところはともかく、これだけ印象に残る音楽を作れただけでもある種ちゃんと意味があったかと思う。 あと、何といっても北海道に渡ってからの展開。あまりに予想の斜め上をいく物語展開に、開いた口がふさがらないっていうか、最早ここまで見事に外してくれるといっそ清々しい。 トピックとしては、熊の造形もあるな。あの姿を観るためだけに本作を観る価値はあるってもんだ。「ウルトラマンA」40話に出てきたパンダを観た時に似た衝撃を与えてくれる。 …あれ?実は結構この作品、見所あるんじゃないか。凡百のスマートな作品とは異なる、ゴツゴツした魅力がある気がしてきた。流石後に『北京原人 Who are you?』を作るだけのことはある。ネタのために観ておくべき邦画作品の一本ではあろう。 |
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新幹線大爆破 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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『タワーリング・インフェルノ』の成功にあやかる形で製作される。公開時はさほどヒットしなかったが、玄人受けする内容で、海外での評価は高い。国鉄から社会不安を招くとして上映中止を求められたが、東映は強行して公開する。 重層化したサスペンス描写が特徴 |
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実録 私設銀座警察 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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最後の特攻隊 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
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