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ピーターとボビーの兄弟。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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2021 | ||
2020 | ||
2019 | ||
2018 | グリーンブック 監督・製作 | |
2017 | ||
2016 | ||
2015 | ||
2014 | ||
2013 | ||
2012 | ||
2011 | ||
2010 | ||
2009 | ||
2008 | ライラにお手あげ 監督・脚本 | |
2007 | ||
2006 | ||
2005 | 2番目のキス 監督 | |
リンガー! 替え玉★選手権 製作 | ||
2004 | ||
2003 | ふたりにクギづけ 監督・製作・原案・脚本 | |
新 Mr.ダマー ハリーとロイド、コンビ結成! キャラクター創造 | ||
2002 | ||
2001 | バクテリア・ウォーズ 監督・製作 | |
愛しのローズマリー 監督・製作・脚本 | ||
ギリーは首ったけ 製作 | ||
2000 | ふたりの男とひとりの女 監督・製作・脚本 | |
1999 | ||
1998 | メリーに首ったけ 監督・製作総指揮・脚本 | |
1997 | ||
1996 | キングピン/ストライクへの道 監督 | |
1995 | ||
1994 | ジム・キャリーはMr.ダマー 監督・脚本 | |
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | ||
1985 | ||
1984 | ||
1983 | ||
1982 | ||
1981 | ||
1980 | ||
1979 | ||
1978 | ||
1977 | ||
1976 | ||
1975 | ||
1974 | ||
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | 6'17 ボビー誕生 | |
1957 | ||
1956 | 12'17 ピーター誕生 |
グリーンブック 2018 | |||||||||||||||||||||||||||
2018米アカデミー作品賞、助演男優賞(アリ)、脚本賞、主演男優賞(モーテンセン)、編集賞 2018英アカデミー助演男優賞(アリ)、作品賞、主演男優賞(モーテンセン)、脚本賞 2018ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(アリ)、脚本賞、男優賞(モーテンセン)、監督賞 2018ゴールデン・ラズベリーラジー・リディーマー賞 2018放送映画批評家協会助演男優賞(アリ)、作品賞、主演男優賞(モーテンセン)、監督賞、脚本賞、音楽賞、コメディ映画男優賞 |
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1962年。ニューヨークのナイトクラブ“コパカバーナ”で用心棒をしているトニー・ヴァレロンガ(モーテンセン)は店の改装でしばらく無職状態になってしまった。クリスマスの準備資金も無く、家族のために仕事を探す内、ドクター・シャーリー(アリ)と呼ばれる人物の運転手の仕事を紹介された。面接に出かけたトニーは、依頼主がアフリカ系ピアニストであることと、未だアフリカ系の差別が激しい南部への8週間もの演奏旅行であることを知らされる。物怖じしないトニーの言動がドクターに気に入られ、旅行に同行することになるのだが… 実在のピアニストであるドナルド・シャーリーのアメリカ南部の演奏旅行について描く作品で、そこで運転手兼用心棒となった人物トニー・ヴァレロンガを主人公にしたロードムービー。製作者にはトニーの息子ニック・ヴァレロンガの名前もある。見事2018年のアカデミー賞で作品賞を射止めた堂々たるオスカー作品である。 『ジム・キャリーはMr.ダマー』と『メリーに首ったけ』の二作で1990年代から2000年代にかけてのコメディの第一人者とされたファレリー兄弟。監督の作品は他のコメディ作品とは大きく異なる特徴がある。 それは、マイノリティを笑うという点である。 このように言ってしまうと、差別主義者のように思われてしまうが、全く逆。 監督はマイノリティを嘲笑するようなことはしない。その笑いというのは、世間とマイノリティの間にあるちょっとしたすれ違いを笑いに変えることで、非常に敬意を持って暖かい笑いに仕上げているのだ。 このバランスはとても難しい。下手に作ればいろんなところから非難を受けるし、笑い一つをとっても差別主義者のレッテルを貼られかねない。だから基本的にどの監督も制作には慎重になるし、ましてや製作陣はなかなかOKを出さない。作れる事自体が珍しいのだ。更にバランスとれた笑いに出来る映画監督はこの兄弟しかいない。 そんな監督が今回着手したのは人種差別ネタに関して。 これは今の時代に作るには非常に難しいテーマである。これまで監督が作ってきたネタと較べれば多少一般受けしやすいネタではあるものの、これを笑うのは危険すぎる。 事実、同じテーマを扱う場合、真っ正面から描く社会派映画になってしまうことがほとんどで、笑いにするのは難しいテーマでもある。これまでのオスカー作品も人種ネタは結構多くて、近年でも『それでも夜は明ける』(2013)や『ムーンライト』(2016)が人種差別を描いているが、どちらもとても真面目で、だいたい観ていて息が詰まるような作りになってた。 これをコメディで描くと言うのは相当な度胸がないと挑めない。 そして本気でそれに挑み、嫌みなく見事にコメディに仕上げてくれた。 正直、設定だけで充分本作の凄さが分かる。 そしてその設定の良さに下支えされた上で、ストーリーとキャラクター描写がしっかりなされ、作品そのものの良さになってる。 本作の構成はロードムービーと同じ。 ロードムービーは立派な映画のジャンルだが、単に旅をすることを描写するのがロードムービーではない。旅を始める際、いくつかの問題を抱えた主人公が旅の間にいくつものトラブルを経験しながら人間的に成長し、旅の終わりに一皮むけた存在になるというものが基本構造となる。 本作でもトニーは冒頭で民族差別者として登場する。それで自覚している部分と無自覚の部分がある訳だが、自覚してる方は簡単で、アフリカ系は汚らわしい存在として考えていることと、学がないためにインテリに対して憎悪を持っているという点。一方無自覚な方は自分の持つイタリアンな考え方を変えられないという点だった。ギャングの多いイタリア系に対する民族差別もある中、差別を行う側と受ける側のどちらも持っているのがトニーという存在。こういう人物が行き着く先は決まっていて、「家族を絶対的なものとして大切にする」というものになる。彼にとっては自分の周りのイタリア系の人たちだけが最上位であり、他はどうでも良いという考え方になっていく。 人種差別に関しては、これが仕事であると割り切ることでドクターを受け入れることは出来た。差別意識も金と仕事上の義務感によって簡単に克服出来た。 だが無自覚な変化を恐れる心に関してはなかなか厄介。旅の間、ドクターに対しては度々「挑戦しろ」と言いながら、自分自身の価値観は変えられずにいる。 そんなトニーが旅を通してドクターの本心を知っていき、その危機を助けている内に、自分もまた変わっていったことに気づかされていく。言っていることややっていることはほとんど変わりないのに、その言動がとてもマイルドになっていくのだ。 家族(ファミリー)に対してのみ持っていた愛情がより広い範囲にわたっていくようになっていく。ラストシーンの食事シーンはまさに自覚的無自覚的に変化を受け入れた心を表したことになる。 一方のドクターもまた旅を通して変わっていく。 旅を始める前のドクターはアイデンティティの在処に惑う存在だった。傑出した芸術家として認められた自分自身は、世界で唯一の尊敬されるべきアフリカ系だったが、彼は孤高だった。この世で唯一高見にいる自分は他のアフリカ系の人々とは違う存在としか思ってない。それでもこの南部の旅を始めたのは、今の自分に出来る事を挑戦したいという思いからだろうが、トニーとは違って「変わりたい」という思いがあったからかもしれない。それだけアイデンティティの欠如に悩んでいた。 自分の認識を変えるために旅に出て、その通り認識は変わった。それは自分自身がどれだけ頑張っても南部の認識は変えられなかったという現実を突きつけられたことだが、同時に孤高の存在でなくても構わないのではないかという、自分自身の乗り越えである。それが出来た時に、人として一歩成長出来た。 その意味でまさにロードムービーそのものだろう。 それを支えるキャラも実に良い。 これまで痩せ形で無口なキャラばかり演じていたモーテンセンがここでは小太りで口先の上手さで世渡りするという全く逆のキャラを演じているのだが、これが意外にも上手くはまっていて、見事な演技を見せてる。とにかく食ってる演技が見ていてすかっとする。 もう一人の主人公アリも繊細なピアニスト役がぴったり。まさか直前に観た『アリータ:バトル・エンジェル』のベクターとは思いもしなかった。 設定、物語、人物全てが高水準にまとまった見事な作品だ。 |
ライラにお手あげ 2008 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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2番目のキス Fever Pitch |
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ふたりにクギづけ 2003 | |||||||||||||||||||||||||||
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バクテリア・ウォーズ 2001 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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愛しのローズマリー 2001 | |||||||||||||||||||||||||||
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ふたりの男とひとりの女 2000 | |||||||||||||||||||||||||||
2001MTVコメディ演技賞 | |||||||||||||||||||||||||||
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ロードアイランドに暮らすチャーリー(キャリー)はまじめで善良な警察官で3人の良き父親。だが、彼は最愛の妻が自分の元を去っていった過去を悔やむ心。全てを憎む心が存在していた。そしてある日、過度のストレスをかけられた彼はもう一つの人格ハンクに変化してしまう。自分の欲求に素直で、暴力的と言う全く違った男の出現に彼の周りは混乱する。医者に二重人格と判断されたチャーリーは薬で症状を抑えていたのだが、この二つの人格がアイリーン(ゼルウィガー)と言う一人の女性を好きになってしまい… ファレリー兄弟による下品ギャグ満載のコメディ。 作品そのものはいつもの兄弟作品で、下ネタ満載の下品ギャグと、動物虐待、差別発言…映倫にかなり抵触する作り。まあ、彼らに“品の良い”ギャグを求める人間はいないだろうけど。アクション部分がかなり控えめに作られているため、役者の演技にかなりの負担を強いるのも、いつもの事。 色々言われているようだが、ファレリー兄弟で私が一番評価したいのはキャラクター選定が絶妙と言う点。見事に脚本にはまった主人公を選び出している。逆に言えばこの監督の元で主人公を張るのは、役者にとって凄く大変そう。特に過度の表情変化を強いる演技は、演技力に相当の幅がないと演じきることも出来ないはずだ。 だからこそ、それに対応出来るだけの役者を必要とするのだが、まさにジム=キャリーはそれに打ってつけ。特殊撮影無しにあれだけ見事に表情が変えられ、しかも芸達者…まさにこのコンビ(トリオか?)は運命だったんじゃないか?とさえ思えた。 なんと言っても絶品なのがチャーリーからハンクに変化するときの顔の変化。まるで顔がゴムで出来てるんじゃないか?と思えるほどだった。目とか口がまるで生きもののように動いている。同じ体を使ってのチャーリーとハンクの喧嘩も巧すぎ(『ナッティ・プロフェッサー クランプ教授の場合』(1996)でエディ=マーフィーが同じ事を演ってたけど、本作の方が遙かに見処多し…強いて言えば『キャプテン・スーパーマーケット』(1993)のブルース=キャンベルの馬鹿馬鹿しさには負ける(?)けど)。 最近のジム=キャリーの作品は微妙な表情を必要とする、“泣ける”作品が多くなっているけど、やっぱり『マスク』(1994)で彼に注目した私としては、こっちの方がむしろ本領発揮してるって気分。 |
メリーに首ったけ 1998 | |||||||||||||||||||||||||||
1998NY批評家協会女優賞(ディアス) 1998ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(ディアス) 1999MTVムービー・アワード作品賞(ディアス)、女優賞、格闘シーン賞(スティラーと子犬のパフィ)、悪役賞(ディロン)、コンビ賞(ディアス&スティラー)、コメディ演技賞(ディアス&スティラー) |
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気の弱いテッド(ステイラー)は高校時代に同級生の美人メリー(ディアス)に何故か気に入られるが、初デートで大失敗をやらかしてしまう。それから13年。メリーを忘れられないテッドは友人の紹介である保険調査員(ディロン)にメリーの行方を捜してもらう。ところが彼自身がメリーに恋してしまい… いわゆるラブ・コメディだが、下品なギャグ満載で、なかなか楽しい作品に仕上がっている。物語の芯は割と王道なのだが、とにかくそこで用いられるコメディ部分が下品すぎ。それをギリギリで笑いにしていくのは、ファレリー兄弟作品の最大特徴だろう。監督の名前を一躍有名にしたのが本作だが、そのバランス感覚は「見事」の一言。 キャメロン=ディアスにとっても出世作になったが、これだけの表現を難なくこなせる女優は滅多にいないだろう。とても貴重な女優であることを認識。ベン=スティラーも情けない役が実に巧く出来てる。 私はラブコメは私が最も苦手とするジャンルで見ているだけで背中が痒くなってしまう。特に不器用な男が美人に言い寄ると言うのは、もう駄目。逃げ出したくなるのだが、そこはお下品なギャグで何とかクリアーしている。結構きわどい表現まであり、それが楽しい。したり顔で解説してる人間が、実は登場人物だっていうラストも結構笑えた。 あまりの下品さにげんなりするかも知れないけど、それを押して観ていると、その内にほろりとする。ファレリー兄弟作品の最大特徴がよく出た作品だろう。 |
ジム・キャリーはMr.ダマー 1994 | |||||||||||||||||||||||||||
1994ゴールデン・ラズベリー ワースト新人賞(キャリー) 1995MTVムービー・アワード キス・シーン賞(ホリー&キャリー)、コメディ演技賞(キャリー)、コンビ賞(キャリー&ダニエルズ) |
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何をしても上手くいかないロイド(キャリー)と友人のハリー(ダニエルズ)。二人は見事に同じ日に失業してしまった。だが、ロイドはその日、自分のタクシーに乗せて一目惚れした女性メアリー(ホリー)が空港で忘れたスーツケースを届けるため、3000マイル離れたアスペンに向かうことになる。だが、実はそのスーツケースの中には身代金としての大金が入っていたのだ。 本質的に笑いとは皮肉が入っていなければおかしい。そしてそれはあくまで下の者には優しく、上の者には痛烈なものとなるべき…という論評をどこかで読んだ。 前者に関しては同意するが、後者は変だと思う。 ギャグとは全てを笑い者にするからこそ、ギャグとなり得る。上の者をこき下ろし、下の者にはシニカルに、両者ともツボを突いてこその笑いだ。そしてその笑いには自分自身も含まれねばならない。身を捨てる故にこそ、皆が笑える…ただし、その代わりとして笑われる方は、消耗していくことになる。強い者を馬鹿にすることで自分が正義の代表のように振る舞う役者や演出家は大嫌いだ。役者は評論家になってはいかん。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。この言葉は笑いの世界にこそあって欲しい。 それで何が言いたいか? つまり、ファレリー兄弟作品には、それがうまいこと含まれてると言うこと。全てを笑い者にするからこそ、彼らの作る世界は楽しい。 “ハンディキャップのある人は笑ってはいけない”、“動物を虐待するのは悪いことだ”、“排泄物を用いたギャグは下品”。そんなことは言われるまでもなく分かっている。そしてそれをすることによって、自分自身が馬鹿に思われることも。彼らはそれを知った上でこそ、人を笑わせようと言う姿勢が見られるように思える(買いかぶりすぎ?)。 まあ、確かにやり過ぎの部分があることは認めるし、それに関してちょっと合わないな。と思えるところもある。でも、ある意味それがスパイスとなってるのは確かなんじゃないかな? それで多彩な表情を持つジム=キャリーと演技派のジェフ=ダニエルズを主役に持ってきたのは正解じゃないか?この二人の掛け合いはほとんどガキそのままだけど、そんなことをやらせたら二人とも上手い。原題『Dumb & Dumber』というのは複数の意味を持つが、「寡黙と、沈黙」と訳することが出来るんだが…確信犯だな。 |