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恐怖の詩学 ジョン・カーペンター―人間は悪魔にも聖人にもなるんだ 著作 ジョン・カーペンター 恐怖の裏側 _(書籍) |
2018 | ハロウィン 製作総指揮・音楽 | |
2013 | ||
2012 | ||
2011 | ||
2010 | ||
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ||
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ゴースト・オブ・マーズ | |
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | エスケープ・フロムLA 監督・脚本・音楽 | |
1995 | 光る眼 監督・音楽 | |
ハロウィン6/最後の戦い キャラクター創造・音楽 | ||
1994 | マウス・オブ・マッドネス 監督・音楽 | |
1993 | ボディ・バッグス 監督・製作総指揮・音楽・出演 | |
1992 | 透明人間 監督 | |
1991 | ||
1990 | レッド・テキサス 製作・脚本 | |
1989 | ||
1988 | ゼイリブ 監督・脚本・音楽 | |
1987 | パラダイム 監督・脚本・音楽 | |
1986 | ゴースト・ハンターズ 監督・音楽 | |
ブラックライダー 原案・脚本 | ||
1985 | ||
1984 | スターマン 愛・宇宙はるかに 監督 | |
フィラデルフィア・エクスペリメント 製作総指揮 | ||
1983 | クリスティーン 監督・音楽 | |
1982 | 遊星からの物体X 監督 | |
ハロウィン III 製作・音楽 | ||
1981 | ニューヨーク1997 監督・脚本・音楽 | |
ブギーマン 製作・脚本・音楽 | ||
1980 | ザ・フォッグ 監督・脚本・音楽 | |
1979 | ||
1978 | ハロウィン 監督・脚本・音楽 | |
姿なき脅迫 監督・脚本 | ||
ザ・シンガー 監督 | ||
アイズ 原案・脚本 | ||
1977 | ||
1976 | ジョン・カーペンターの 要塞警察 監督・脚本・編集・音楽 | |
1975 | ||
1974 | ダーク・スター 監督・製作・脚本・音楽 | |
1973 | ||
1972 | ||
1971 | ||
1970 | ||
1969 | ||
1968 | ||
1967 | ||
1966 | ||
1965 | ||
1964 | ||
1963 | ||
1962 | ||
1961 | ||
1960 | ||
1959 | ||
1958 | ||
1957 | ||
1956 | ||
1955 | ||
1954 | ||
1953 | ||
1952 | ||
1951 | ||
1950 | ||
1949 | ||
1948 | 1'16 ニューヨーク州カーセージで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||
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ゴースト・オブ・マーズ 2001 | |||||||||||||||||||||||
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西暦2176年。人類は火星に植民地を築き、天然資源の採掘を行っていた。火星警察のメラニー=バラード警部補(ヘンストリッジ)は、辺境の刑務所に入っている火星一の犯罪者と名高いジェームズ“デゾレーション”ウイリアムズ(キューブ)を都市に護送するためシャイニング渓谷に向かっていた。しかし、到着してみるとそこは無惨な死体が転がるゴーストタウンと化しており、生き残っていたのは牢獄にいるウイリアムズを含む数人の犯罪者達ばかり… B級の雄カーペンターがSFに帰ってきた!しかもホラー風味満点の、監督のファンにとってはたまらない設定で、しかもやってることがカーペンター節の音楽に乗せて支離滅裂のお馬鹿炸裂!普通だったらケチョンケチョンにけなすべきところが、この監督に関してだけは、それを狙ってやってるのが分かるので、逆に賞賛したくなる。だってこの馬鹿さ加減こそがカーペンター作品の醍醐味なんだから。 なんせこの設定が無茶苦茶。火星で西部劇でリビングデッドでロックンロール。これだけでこの作品の説明が済んでしまう。脈絡も人間ドラマも希薄で、ただ主人公達は目の前にある現実を受け止めて対処するだけ。目の前にあるものが全てで、それを四苦八苦しながら何とか乗り越えたら、又危機が…うわあ。30年前となんも変わってねえじゃん(昔から変わったと言えば一つだけ。前作である『ヴァンパイア 最期の聖戦』(1998)から、これまでは無かった西部劇風味を加えるようになったことくらいか?)。 この手の作品は作り尽くされてきた感があって、大抵そのラストは大爆発か、あるいは敵だけに効く殺人ウィルスの存在で一発逆転があるもんだが、それさえない。とにかく撃って殴って轢いて目の前の化け物を一体一体延々倒していくだけ。これは一種のアクションものの原点なのかもしれない。 あらゆる罵詈雑言も全て受け止め何の衒いもなくB級を作り続けてくれるカーペンター監督には正直に頭が下がる。 ただちょっと冷静に引いて見ると、やっぱり昔と較べると演出にキレが無くなってしまったかな?「おわっ」と思わせるシーンもなかったし。監督にはまだまだどんどん行って欲しい。もっと馬鹿をやって欲しいと思ってしまうのは、やはりファンとしての思い。 |
ヴァンパイア 最期の聖戦 1998 | |||||||||||||||||||||||
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バチカンの密命を受けて吸血鬼を倒すヴァンパイア・スレイヤーのジャック(ウッズ)はニューメキシコでの働きで空き家に救う吸血鬼を倒すのだが、その中に吸血鬼どもを作った魔鬼はいなかった。その夜、祝杯を挙げる彼らの前に魔鬼ヴァレックが現れ、リーダーのクロウ(ウッズ)とモントーヤ(ボールドウィン)、そしてヴァレックに噛まれた娼婦カトリーナ(リー)だけを残し、全滅してしまう。あまりにも強力なヴァレックに対し、勝ち目の薄い戦いを始めるクロウ達だったが… 原題「John Carpenter's Vampires」で分かるとおり、既に名前だけでヒット作を作れるようになった監督ジョン=カーペンター。しかし、内容はやっぱりB級作品に仕上がるところはいかにもカーペンターらしい。 本作は意外に内容豊富で群がる吸血鬼をバシバシ倒していく前半から、中盤のオカルティックな雰囲気、それに吸血鬼となってしまった女性と人間との悲恋、絶望的な戦い、となかなか見応えある内容に仕上がっている。相変わらずカーペンター自ら監修した音楽のベンベン節(?)も冴え渡っている。 尤も、吸血鬼の描写に関しては少々難があり、殆どリビング・デッドと変わりがないと言う致命的な問題があったり、家からヴァンパイアを引っ張り出す際、家具とかの問題とか全く考えられてないとか、7人の魔鬼勢揃いで横一列に歩く姿はまるで『ワイルドバンチ』(1969)か「Gメン'75」(古いか)で、格好良いけど笑わせてくれる。 ジェイムズ=ウッズは無骨な男の役を淡々とこなして良し。久々のシェリル=リーは、当たり前だけど結構大人になっていた。 |
エスケープ・フロムLA 1996 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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あの破壊的ラストシーンを描きたいがために本作を作ったのではないかとも言われる。 このラストシーンは、深読みするなら、人間が未来に見いだしているものは何か?と言う問いかけとも見られる。 |
光る眼 1995 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
1995ゴールデン・ラズベリー最低リメイク・続編賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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カリフォルニア州の小さな町ミドウィッチのバザーが開かれた日。10時になった時突然人々は意識を失って倒れ、6時間のあいだ眠り続けた。後日、町の受胎可能な女性全員が妊娠していた事が発覚する。政府はこの異常事態に対し、生まれた子供を保護する代わり、多額の補助金を提示して、半ば強引に人々の同意をとりつける。やがて町の女性たちは一斉に出産を迎える。医師のアラン=チェフィー(リーヴ)の妻ジルは女の子を産み、その子をマーラと名付ける。他の子達と共にすくすく育ったマーラだったが、ある日異変が起きた。彼女の目が突然光り出し、ジルを超能力で襲ったのだ。危険を悟ったアランはこども達に向かっていくことになるが… ジョン・ウィンダムの小説「呪われた村」の映画化(と言っても、この小説はSF映画になりやすいらしく、このテイストを使った作品はやたら出てるんだけど)。一度1960年に『未知空間の恐怖 光る眼』(1960)として映画化されているのだが、そのテイストを残しつつ、B級映画の雄、カーペンター監督が料理した作品。 カーペンター作品にしては珍しく、豪華なキャストと(何せスーパーマンのリーヴ、ルーク=スカイウォーカーのハミル、そしてやはりB級アクションで有名なパレ)潤沢な制作費を用いて作り上げた作品。 カーペンター好きな私にとっては結構面白い作品だと思う。それに現時点ではリーヴの映画主演最終作でもあるし(この映画完成直後に落馬事故で首を折ってしまう)。 しかし、どんなに金遣ってもやっぱりB級映画になってしまうのがカーペンターのカーペンターたる所以で、そう言う意味では楽しめるが、逆に金遣ってる分、変な気負いがあるのか、弾けきれなかったのがちょっと心残り。カーペンター好きな人間限定なら充分楽しめると思う。この時代のSF映画の大半は現実的な冷戦構造を皮肉ったものが多いが、カーペンター監督はそれを否定。あくまで男は脇役に徹し、女性と子どもを中心に持ってきているのも面白い。 ラストが監督らしいケレン味で締められてるのも良し…しかし、このオチは前に『ゴースト・ハンターズ』で使ったのと全く同じじゃ?(笑) |
マウス・オブ・マッドネス 1994 | |||||||||||||||||||||||
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失踪したホラー小説のベストセラー作家ケーン(プロホノフ)を捜しだし、彼の新作原稿「マウス・オブ・マッドネス」を手に入れるように依頼された保険調査員(ニール)。幾多の障害を経て、彼は地図にも載っていないホブという街にたどり着く。何とここはケーンが造り出した小説の舞台の町だった。この不思議な符号にいぶかる彼が見たものは… ジョン=カーペンターという人物はどんなに予算をもらっても、あるいはどれ程少ない予算でもあくまでB級にこだわり、きっちり彼しか作ることが出来ない作品を作り上げるから好きだ。特に本作は彼のファンなら手を叩いて喜ぶ出来になっている。特にあの安っぽい造形とか、合成が見事にはまってないとか(笑) 現実と本の世界が段々と入り交じり、主人公自身も狂気へと誘われていく過程も良いし、ラストの救いようのない現状で、涙を流しながら手を叩いて映画を観ているシーンはいっそ爽快感さえ覚えてしまう。 本作の主人公サム=ニールは『オーメン 最後の闘争』(1981)では悪魔役だったのに、ここでは悪魔に脅える役となっている。その辺も皮肉が効いてて良し。ニールは『ジュラシック・パーク』(1993)でも主人公役を張ってるけど、本作の方がキャラとしては良い使い方だと思う。 |
ゼイリブ 1987 | |||||||||||||||||||||||
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日雇い労働であちこちを彷徨っては仕事を探しているネイダ(パイパー)がある日見つけたサングラス。そのサングラスをかけると、今まで見えなかったものが見えるようになる。あらゆる本には「従え」と書いてあり、社会の上層にある人間はことごとく人外の容貌をしている。既に人類はエイリアンによって支配されていたのだ。ネイダは友人のフランク(デビッド)と共に、人類に警鐘を与えるべく立ち上がる。 これはもう、カーペンターらしさ大爆発。と言うか、この人だから、作れた作品だと思う。なんの脈絡もなくサングラスをかけると見えるエイリアンと言う設定も笑えるし、いきなり公共精神に目覚め、戦いを始めてしまう主人公。それに嫌々つきあわされ、結局死んでしまう友人とか。女性の裏切りというのも、この監督は好きらしい。音楽もらしすぎて… 劇中延々と二人の乱闘シーン(決して格好良くない。むしろ泥臭い戦い。下手なプロレス見てる感じ)があるが、何でもこれは予算の都合とか。実は、このシーンが一番印象に残るという、困った映画でもある。 ちなみにこの作品、大分前に、やはりカーペンター大好き漫画家あさりよしとおの「宇宙家族カールビンソン」でそのまんまの作品が描かれている。あれも楽しかった記憶がある。 |
パラダイム 1987 | |||||||||||||||||||||||
1988アボリアッツ・ファンタスティック映画祭批評家賞 | |||||||||||||||||||||||
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ロサンゼルスにある廃墟と化した教会の地下室で不気味な緑の液体が増殖しているのが見つかった。それを発見した神父は超常現象の研究を進める教授と研究員を呼び寄せ、調査を開始する。だがすんでの所で封印は失敗し、とうとう悪魔の力の一部が教会に出現した。街は静まり返り何かを受信した浮浪者達が教会を封鎖する。教会に閉じこめられ、悪魔との戦いを余儀なくされた者達を描くパニック・ホラー作品。 SFホラーはジャンルとしてはマイナーながら、数多く後のメジャー監督を生み出してきた。だが、このジャンルにおいて、この人の右に出る者はいない。と断言できるのはこの監督をおいて他になかろう。ジョン=カーペンター。彼は他の監督達が有名になり、一般向けの作品に取りかかるのを後目に、予算があろうが無かろうが好きな作品だけを撮り続けるという希有な監督だ。又、予算不足…と言うか、これも単に好きなんだろうが、大半の自分の作品の音楽まで作っているのでも有名。更に本作においてはマーティン=クォータマス名義で脚本まで書いているという凝りようである。ここまでくると、本当に立派だと賞賛したくなる。しかも出来上がったものが、やっぱりこれまでの(そして以降の)カーペンター作品と変わっていないと言うのも実にポイントが高い。 SFホラーというのはおおむねにおいて決まり事がある。どれほど壮大な敵が出てきても、ほんの一部の空間で終わらせること。どれ程大がかりの設定であっても、それを救うのは個人であること。更に細かい特撮は真剣に撮るが、大がかりな映像技術は用いないこと…古くは『光る眼』、『ボディ・スナッチャー』から『ターミネーター』(1984)に至るまで、概ねこれは守られてきた(近年これも崩れてきたけど、予算を使ったり、話を壮大にしたからと言って決して面白いのが多いわけでもない)。この手のジャンルはあまり予算を使えないので、こうならざるをえないと言う話もあるが、それでも良い作品はかなり沢山あるぞ。本作もその一つだ。 変な呪文や鏡、ゲル状の緑色の液体。そんなものを組み合わせ、監督のベンベン節(と、私は呼んでいる)がその怖さを上手く演出している。特に鏡が吸い付いてくるシーンは怖いながら、とても綺麗。最後のケレン味も良し。 ストーリー的にはチープで、もう少し怖さの演出も出来そうなものだが、カーペンターだとやっぱ甘くなるな。私は。 |
ゴーストハンターズ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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サンフランシスコのトラック運転手ジャック(ラッセル)は、おかしな縁で中国人ワン(ダン)と行動を共にすることになり、彼の婚約者を迎えに空港に行くことになる。だが彼らの眼前に突如謎の集団が現れ、ワンの婚約者をさらってしまった!意味も分からず奴らを追い、チャイナ・タウンに向かう二人は、何故か妖魔皇帝ロー・パンに戦いを挑むことになってしまう。 ジョン=カーペンター監督は大好きな監督だ。一時期はホラーばかり撮っていてジャンル監督と見られていたが、今では結構しっとりした作品も作ったり、派手なサスペンス作品を撮ったりもする。だけど、それら全てに共通するのは、全部が全部B級テイストに溢れていると言うこと。予算が碌々無く、明らかに安っぽい造形を使ったとしても、予算をふんだんに使ってSFXを多量に用いたとしても、やはりB級になってしまう。常に安っぽい人間ドラマと変な生物が混在する世界を創り出し、そしてとにかくその中で馬鹿をする。この徹底さ、潔さがとにかく楽しい。彼を“一流”の監督と認めるにはやぶさかではないが、同時に彼ほどB級監督の名にはまる人物もいない。 そしてそのカーペンター監督と異様に相性が良いのがカート=ラッセルで、見事に監督の創り出す世界にはまりこみ、そして見事な個性を出している(彼は俳優としても一流で、他に多くの作品にも出ているのだが、これ程はまる監督は他にいない)。その代表はなんと言っても“スネーク”プリスケン役だが、他にも『遊星からの物体X』のマクレディも、このジャック役も実にはまってる。 それで本作は、原題が『Big Trouble in Little China』(チャイナタウンの大事件)と言う実にストレートな題。そのストレートさがそのまんまストーリーに反映している。 魔界の主が現れ、チャンバラとカンフーで戦う。良いねえ。この単純な物語。見せ場も多いし、造形も安っぽくて(笑)。特に魔界の主と呼ばれるロー・パンの姿はまさに中華趣味丸出しで、とても強いように見えないのも面白い。それでそんなこと全く気にもしてない作品を作り上げた監督と、そして主演のラッセルに、やはり最大の拍手を送りたい。 ケレン味溢れるラストも監督特有か。カーペンター好きだったら拍手できる。そして単純で派手な映画が観たい、と言う人には絶対的な自信を持ってお薦めできる作品。 |
スターマン 愛・宇宙はるかに 1984 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
1984米アカデミー主演男優賞(ブリッジス) 1984ゴールデン・グローブ男優賞(ブリッジス)、音楽賞 |
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夫を失い、失意の底にあったジェニー=ヘイドン(アレン)の元に、彼女の夫そっくりな人物(ブリッジス)が現れた。実は彼は宇宙人《スターマン》であり、地球との友好のために訪れた彼は、彼女のメッセージに応えて姿を現したと言う。地球のことを良く知らない彼の奇矯な行動に翻弄されるジェニーだが、やがて二人の間には愛が芽生えていく。だが、彼の来訪をエイリアンによる地球侵略と受け止めたアメリカ政府は彼を捕らえるよう軍隊を差し向けようとする… 友好な宇宙人と地球人の交流、それを追う政府。と言う構図はSF小説ではよくあるパターン。映画にも『E.T.』(1982)という秀作があるが、あれがこどもの友情に話を持って行ったのに対し、こちらはもっとストレートに愛情へとストーリーを持って行ったロード・ムービー。ストーリー的には『E.T.』ほど奇を衒ったわけではないし、やや地味な立場に置かれている(それでも結構人気あったようで、後にTVシリーズ化されたようだが)。 ジェフ=ブリッジスは巧く、無垢なスターマンの役を見事に演じていたし、なし崩しに同行することになったマーク(マーティン・スミス)のおろおろぶり、彼を追うフォックス(ジャッケル)の執拗さなど、かなり丁寧に作られた作品だと言えよう。個人的にはラストのブリッジスのキス・シーンはベスト・ショットと思ってる。 でも本作の一番の売りはそんなところではなかった。 だって、これ作ったのはあのカーペンター監督だよ。確かにSF作品ではあるけど、こんなリリカルな作品をあの「ミスター・B級」が作るなんておおよそ不釣り合い。製作者マイケル=ダグラスが名指しでカーペンターに撮らせたのことだが、よくこんな人選をしたものだ。それだけでダグラスは凄い人だと思う。 しかも一番凄いのは、この作品がまともだって点だろうな。異色作揃いの監督にとって、一番一般的にまともな本作こそ、本当の異色作だろう。 ところで本作は特撮はILMが担当し、特殊効果にディック=スミス、スタン=ウィンストン、リック=ベイカーと言う(知る人ぞ知る)蒼々たるメンバーが揃ってるのだが、こんなやつらを集めるほどに凄い特撮シーンがあったかな? 映画終了後、TVシリーズも作り、こちらでもヒットを得た。 |
クリスティーン 1983 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1984アボリアッツ・ファンタスティック映画祭参加作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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遊星からの物体X | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1982ゴールデン・ラズベリー最低音楽賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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冬で閉じこめられかけているアメリカ南極観測隊第4基地に1匹の犬が逃げこんできた。そして何故かその犬を執拗に追いかけるノルウェイ軍用ヘリの姿が。その射手は殺されてしまうのだが、何故この犬がそこまでして追われねばならなかったのか、調査を開始する。ヘリ・パイロットのマクレディ(ラッセル)は医師のコッパー(ダイサート)を乗せて、ノルウェイ基地へ向かうのだが、そこは既に廃墟と化していた。尋常ではない隊員の死体の数々。そして地下にあった、何かを取り出したかのような長方形の氷の魂りが発見される。その頃、アメリカ基地では生き延びた犬が変貌を起こしつつあった… ジョン・W・キャンベルJr原作「影が行く」の『遊星よりの物体X』(1951)に続く2度目の映画化。元々寄生生物を描いたSF小説だったのだが、『遊星よりの物体X』では、単なるモンスター映画になってしまったため、原作に忠実な映画化を考えていた製作者のスチュアート=ゴードンが、この映画のだ大ファンだったというカーペンター監督と出会うことで企画が始まった作品という。既に『ジョン・カーペンターの 要塞警察』、『ハロウィン』、『ニューヨーク1997』と立て続けにヒット作を作り出し、B級映画監督としては一級品と言われるジョン=カーペンター監督だが、本作はあくまで原作に忠実に、しかし自分らしさを失わずに作り上げることが出来た、上手く噛み合った作品でもあり、おそらくカーペンター監督作品の中では最も有名な作品だろう(ちなみに脚本にバート=ランカスターの息子ビル=ランカスターが参加している)。 さて、そしてこの作品だが、これは面白い観方をした作品である。 テレビで予告番組が流れた途端、当時中学生の私はぶるってしまい、絶対に観るものか!と心に決めた。そこで流される映像はおどろおどろしく、驚かせてやる!的な要素に溢れ、怖いのが嫌いだった私には刺激が強すぎた(たまたまその頃テレビで『エイリアン』(1979)の誕生シーンを観てしまい、食欲と睡眠欲が一気に減退した事もあって、SFホラーはこりごりだった)。 しかし、長じてくると様々な刺激物も平気になってきた。何よりマンガで様々なパロディが使われているのを観るにつけ、これは絶対に観なければ!と心に決める。 で、全くの初見で新品のLDを購入して観たという、唯一無二の作品となった(学生時代だったから金無い状態だった)。 正直な話。これほど「買って良かった!」と思えた作品は珍しい。私のかつてのLDコレクションの中では最大に鑑賞した作品の一本でもある。 それでも最初は結構びくびくしながら(でもディテールに凝ってわざわざ夜中を選んで部屋を真っ暗にして観たんだが)観始めたところ、途中で何故か爆笑。怖い作品だと思って観て、ここまで笑えたというのは、おそらく本作が唯一だし、おそらくもう出てくることもあるまい。ほんと、最高の作品だった。 で、本作はコメディ・ホラーなのか?と言われるとさにあらず。本当に怖いのである。 ただ、その怖さというのは、モンスターではない。むしろ緊張した人間関係の方が遙かに怖い。誰に寄生しているのかが分からず、お互いに疑心暗鬼になって疑いの目で見つめる。しかも恐ろしいことに、寄生された本人でさえ最後まで自分がそうなのか分からないようにも思える。自分自身がひょっとして?と言う疑問が実は最後まで残るのである。事実主人公であるはずのマクレディでさえ、最後の最後、自分が何者であるのか、最後に生き残ったチャイルズに言おうとはしない(実際は偶然らしいが、ラストシーンでラッセルの吐く息が白くなってないというのも象徴的)。 思えば、この作りは『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』(1968)にも通じるものがあり、本当に怖いのは“理性的”とされている人間の方である。という事実を端的に示している。他の生き物は目的が明確なので、対処しやすいのだが、対して人間は嘘を言って、とんでもない殺戮を行うこともあるのだから。だからこそ本作は人間の怖さというものを示す面白い作りになっている。これは80年代という時代そのものを示しているとも言えよう。 人間関係が緊張に満ちあふれているからこそ、むしろ観てる側は逆にモンスターが出てきた方がまだマシだ。という心理状況に置かれてしまう。そして期待を裏切らず、コミカルな登場の仕方でモンスターが出てくるので、それがどんな血しぶきを上げるような描写であったとしても、むしろほっとしてしまい、笑ってしまう。この逆転の発想は他の凡百のホラー作品とは明らかに一線を画するもので、だからこそどれほど時間が経過しても本作はホラーの名作として燦然と輝き続けるのだ。 しかもカーペンター作品に特有のラストのケレン味は本作が一番映えているのも特徴。最後に基地を破壊し、モンスター毎葬ったところで物語は終わるが、残された二人はそこで死んでいく以外道が残されておらず、しかも仮にどちらかが寄生されていて、もし誰かに遺体が回収されたら…最後の最後まで怖い話なのだ。 ところでここで書きながら一つの疑問が生じた。果たしてカーペンター監督、こんな事まで考えて本作を作っていただろうか?たまたまこういう作品が出来て、たまたま深く考えすぎる私がこんなこと考えてるだけなのかも知れないな。 |
ニューヨーク1997 1981 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1988年。犯罪率の上昇に手を焼いたアメリカ政府は、マンハッタン島を監獄として封鎖することを決定。凶悪犯罪者を片端からマンハッタンに閉じこめ、周囲を壁と高圧電流で外部との行き来を禁止した。それから10年の時が経った1997年。大統領専用機がテロリストによりハイジャックされて無法者が蔓延るマンハッタンに不時着し、大統領は囚人達の手に落ちてしまう。対策に窮した政府は、元特殊部隊出身で終身刑のアウトローとして名高いスネイク・プリスケン(カート・ラッセル)に毒を盛り、解毒剤と身柄の釈放と引き換えに、大統領の24時間以内の救出を命じるのだった。 私がジョン・カーペンター大好きなのは、まさにこういう作品を作ってくれる点にこそある。B級素材をB級映画にして、誰に憚ることなくそれを作り続けてくれる監督。しかも主演のカート・ラッセルと組んだ時、その魅力は最大限にまで高まる。ここまで馬鹿に徹した作品は逆に貴重。 大体設定からしてぶっ飛んでるけど、そこで起こる妙にかわいげのある凶悪犯罪者達の行動が良い。要するにあの舞台は「監獄」ではなく、「追放地」だった訳だ。それに真面目につきあうスネークの涙ぐましい努力も良い。ラストも人を食ってて良かったし。 「スネイクって呼びな」と言ってふてぶてしく笑うラッセルは魅力たっぷり。ラストで「プリスケンって呼びな」って言う辺り、妙に笑えるんだよな。監督自ら監修した音楽も、妙にはまってる。特にラストの曲は必聴。 ちなみに当のラッセル自身スネイク役が気に入ったらしく、1996年に続編『エスケープ・フロム・L.A.』(1996)がラッセルのたっての希望で作られている。 |
ハロウィン 1978 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1979アボリアッツ・ファンタスティック映画祭批評家賞 2006アメリカ国立フィルム登録簿登録 |
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15年前に少年マイケルが実の姉を惨殺したと言うハロウィンの日にに起こった凄惨な事件を記憶する村。そしてハロウィンの日、精神病院から脱走したマイケルが帰ってきた。ブギーマンのマスクをかぶり、村の人間を次々と惨殺していく… 僅かに30万ドルの予算で、しかも1月に満たない撮影期間で作られたB級作品なのだが、1850万ドルの収益をあげ、後の映画界に多大の影響を及ぼすこととなった。B級映画の雄としてのカーペンターの名を一気に高め(音楽も含め)、後に演技派女優として大成するカーティスのデビュー作。そして本作自身もいくつもの続編を作ると言う有名シリーズとなった。なにより『13日の金曜日』(1980)のジェイソン、『エルム街の悪夢』(1984)のフレディに並ぶブギーマン=マイケルというホラー映画のキャラクターを作り上げた(一応本作が一番最初だから、むしろそちらの方が並んだというべきなんだろうけど)。 本作の面白さはやっぱりブギーマンというキャラクターが立っていたこと。ブギーマンはあくまで静かに、日常の風景にとけ込むように、微かに違和感を感じさせる描写で佇むだけで、犠牲者に迫るときも決して目立った動きを見せずに、さりげない描写で。更に、色々その正体が憶測され、仮に「マイケル」とされているが、最後まで実は全く正体が明かされない。しかも最後に「あれはブギーマンだった」と言う台詞で締められることで、あれは人間ではなく、悪霊だったのか?と言う余韻も残す。 このキャラクタ性のお陰で、不気味さにおいては演出過剰の他の作品と較べて本当に見事だ。 キャラクタは大部分が下手くそだけど、やっぱりヴェテランのプレザンスと、本作で一挙に知名度が上がったカーティスの演技は抜きんでていた。カーティスいてこそ本作は映えたんだな。 カーペンター監督はラストにケレン味を残すのが巧い監督だけど、本作は群を抜いてる。ラスト、あれだけの銃弾を受けたにも関わらず、動き回って忽然と姿を消してしまい、ラストに残るのはカーティスの悲鳴のみ。あのブギーマンは本当にマイケルだったのか?いや、それどころか人間だったのだろうか?と言う後味を残して。いやあ、巧い巧い…しかしそれで『ブギーマン』(1981)作ったお陰で余韻は台無しになったけど。 ところで本作はホラーではあっても大変に多くの遊び心に溢れている。本作に登場する名前の何人かはヒッチコック作品から取られており(サム・ルミースとかトム・ドイルは『サイコ』(1960)と『裏窓』(1954)の登場人物)、ヒロインのカーティス自身が『サイコ』のジャネット・リーの娘という理由でキャスティングされたという。ヒッチコックに対する愛情(?)溢れた作品に仕上がってる。それにハロウィンの特集でだろうけど、劇中で放映されてるテレビのホラー映画がなかなか凝ってる。『遊星よりの物体X』(1951)と『バンパイアの惑星』(1965)だと思うんだけど、違ってる?選択がマニアックだ(『遊星よりの物体X』は後でカーペンター監督により『遊星からの物体X』(1982)としてリメイクもされてるしね…って、監督の趣味かい!)。 |
ジョン・カーペンターの 要塞警察 1976 | |||||||||||||||||||||||||||
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カーペンターが初めての制作・監督・脚本・音楽を担当する 若者達に包囲された警察署は『リオ・ブラボー』を彷彿させる。 出てくるギャング集団が何も喋らないため、ほとんどホラー。 |