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2022 | ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー | |
2019 | ようこそ映画音響の世界へ 出演 | |
2018 | ブラックパンサー 監督・脚本 | |
2017 | ||
2016 | ||
2015 | クリード チャンプを継ぐ男 監督・原案・脚本 | |
2014 | ||
2013 | フルートベール駅で 監督・脚本 | |
2012 | ||
2011 | ||
2010 | ||
2009 | ||
2008 | ||
2007 | ||
2006 | ||
2005 | ||
2004 | ||
2003 | ||
2002 | ||
2001 | ||
2000 | ||
1999 | ||
1998 | ||
1997 | ||
1996 | ||
1995 | ||
1994 | ||
1993 | ||
1992 | ||
1991 | ||
1990 | ||
1989 | ||
1988 | ||
1987 | ||
1986 | 3'23 カリフォルニア州オークランドで誕生 |
ブラックパンサー ワカンダ・フォーエバー | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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数ヶ月前。ワカンダ王国の若き王ティ・チャラ(ボーズマン)が病によって崩御した。妹で科学者のシュリ(ライト)は兄の病気を治すために奮闘したが、それも虚しく兄を死なせてしまい、以降無気力に陥ってしまった。ワカンダは母である女王ラモンダ(バセット)によって治められることとなったが、ワカンダにしかないヴィヴラニウムを巡り、世界各国が圧力をかけてきていた。そんな中、ある国が特殊なヴィヴラニウム探知機を用いて、海底にヴィヴラニウムの鉱脈がある事を発見する。しかしその直後、その船は何者かに襲われて沈められてしまう。そのニュースはワカンダにももたらされ、ワカンダ以外にヴィヴラニウムがあるという事実。そしてヴィヴラニウムの探知機があるということが大きな問題となった。ラモンダ女王は、探知機を作った人物を探すようシュリと護衛のナキア(ニョンゴ)に命じるが、シュリが探し当てたその人物は、まだ幼さの残る大学生の女性リリ(ソーン)だった。 『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』で鮮烈なデビューを果たし、『ブラックパンサー』でシリーズ最高興収をたたき出したチャドイック・ボーズマン。彼を主役にした二作目が待たれていた矢先、突然の訃報が駆け巡った。次世代スターとして期待度が高い俳優だっただけに本当に残念な話だった。 それで待たれていた続編だったが、ボーズマン抜きにどう作るかが注目された。 一番可能性が高いのは、代役を立ててそのままブラックパンサーを続ける事だろう。実際、MCUでも『インクレディブル・ハルク』(2008)のエドワード・ノートンが降板してマーク・ラファロになったという経緯もあるので、それを踏襲しても良かった。 しかし実際に出来たのは違っていた。ボーズマンの死を受け、そのまま劇中でもティ・チャラが死んだことにしてしまった。現実世界が作品にまで影響を及ぼすとは驚きだ。 しかしこの場合、大きな問題が生じる。他でもない前作『ブラックパンサー』で、王位継承に必要なハーブは全滅しているのだ。ハーブによって祖先達と逢わなければ王位を継承できないという設定がここで枷となる。 しかしそれを逆に用いたのが面白い。 『ブラックパンサー』時点で王位継承が可能な人物がたった一人存在した。他でもないティ・チャラの妹シュリである。天才科学者である彼女の力を持っても合成できなかったハーブを合成させることを目的の柱の一つに据えた。 そして海からやってくる強大な敵を設定し、彼らとの戦いと、その果てにあるものを描く。この海の民は実はワカンダの民と接点があり、どちらもヴィヴラニウムの力によって、通常の人間の社会よりも科学進歩(あるいは肉体的な変化)が早かったという設定となり、ヴィヴラニウムという非常に重要なアイテムをもう一つの柱に据えることが出来た。 更にもう一つ。これによって次世代のMCUヒーローがそろそろ出そろうことになった。『アベンジャーズ エンドゲーム』(2019)で一度完結したMCUだが、そこで活躍したヒーローを刷新することが現在行われている。これまでに『ブラック・ウィドウ』(2020)で二代目ブラック・ウィドウ、、『シャン・チー テン・リングスの伝説』(2021)でシャン・チー、『エターナルズ』(2021)でエターナルズの何人かの生き残り、、『ドクター・ストレンジ マルチバース・オブ・マッドネス』(2022)でアメリカ、『ソー:ラブ&サンダー』(2022)で二代目(三代目?)ソーのラブが登場している。そして本作で二代目のブラックパンサーと、リリが登場した。このリリという女の子は結構重要なキャラで、実は原作では二代目のアイアンマンである。あとはテレビシリーズのヒーローも合わせると、前フェーズを越える数のヒーローが揃ってくれた。そのお目見えという意味もある。 更に、前作『ブラックパンサー』のヒットは、往年のブラックスプロイテーションを彷彿とさせたが、それはこの世界の中ではリベラリズムがちゃんと育っていることの証拠でもある。本作でシュリが主人公となったことで、女性主人公が普通にヒーロー作品に入り込むことになった。黒人女性が主人公ヒーローとして戦うというのはとても画期的な出来事ともなる。 そう言う意味で、本作は非常に多くの意味合いを持ったもので、作品単体としても、MCUの一本としても重要な位置づけにある作品と言える。 そうなると肝心なストーリーと敵についてなのだが、これについてはちょっと今ひとつ。敵の強さや科学力、異質さ等は丁度良い具合だが、ストーリーが些か単純すぎたところが気に掛かる。MCUの次のフェイズを目した作品だけに、敵があまりに他のヴィランと関係なさ過ぎるのも、後に続けにくい。海からではなく宇宙からだったらかなり次の期待感が高まっていたのだが、敢えて海にこだわる理由はなんだろう?お陰で空中戦がとても見劣りするものになってしまった。演出面は良いところも多いのだが、もう少し見せ場に気を遣って欲しかったかな? ラストシーンは賛否両論あるだろうが、私はあれで良かったと思う。これでシュリは子どもを作るという義務から離れるので、もっと思い切ったことが出来るはず。少なくとももう一作はシュリ主人公のブラックパンサーが観たい。 |
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ブラックパンサー | |||||||||||||||||||||||||||
2018米アカデミー作曲賞、美術賞、衣装デザイン賞、作品賞、歌曲賞、音響賞 2018英アカデミー特殊視覚効果賞 2018ゴールデン・グローブ作品賞、音楽賞、歌曲賞 2018LA批評家協会美術賞 |
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アフリカの秘境にある小国ワカンダ。実はここは強大なエネルギーを秘めた特殊金属ヴィヴラニウムの産地だった。その秘密を守るため、決して表舞台には出なかったが、国際会議に出席中の国王ティ・チャカが暗殺されたことによって、息子のティ・チャラ(ボーズマン)の即位式が行われようとしていた。古代から伝わる儀式に則り、守護獣黒豹の精神を宿したティ・チャラは、新たなブラックパンサーとなった。そんな中、世界ではヴィヴラニウムの秘密を知る武器商人クロウ(サーキス)は、ワカンダの混乱に乗じてヴィヴラニウム強奪計画を練っていた。そしてそのクロウの配下には、ワカンダの王族で、かつてティ・チャカに殺害された父の復讐を心に秘めるエリック(ジョーダン)がいた… マーベル作品はMCU(Marvel Cinematic Universe)としてクロスオーバーが進み、様々な作品が互いを補完し合うという面白い作用を果たしている。本作の主人公キャラのティ・チャラ=ブラックパンサーもデビューは『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』(2016)だった(本作登場のヴィラン、ユリシーズは『アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)、ラストシーンで登場するウィンターソルジャーは『キャプテン・アメリカ ウィンター・ソルジャー』(2014)が初出)。そこから単独で主人公となったと言う事で大出世。 それでも予告編を観る限り、あまりに真っ当すぎるヒーローものっぽかったので、劇場で観る必要は無いかと思っていたのだが、アメリカ本国での興行成績は爆発的で、とんでもなく評価が高いということを知り、だったら、ということで劇場で拝見となった。 で、出来としては、思った通りとてもストレートなヒーローものである。 アフリカが舞台と言う事から、現代風よりももっと野性的な雰囲気は持っているが、強大な力を持ったヒーローがライバルとの戦いを通して、王として本当に大切なものとは何かを学んでいく。成長型のヒーローとして本当に真っ当な作品だった。 ヒーローものの演出として特出すべきものも数点ある。 本作ならではの部分としては、登場人物の大部分がアフリカ系の役者で占められていることから、生身の肉体を使ったアクションシーンに力が入っていることがある。CGを多用した超絶アクションよりも、生身の人間として真っ正面からの一騎打ちが多いので、昔からのハリウッド作品を観てる感じがして、落ち着いて観られたのは良かった。 個人的に言わせてもらうと、前半のクライマックスであるカジノでの立ち回りはとても嬉しかった。狭い店の中で、そこら辺にあるものを武器にしつつ、立体的に戦う演出って、1990年代のブロスナン時代の007でよく使われていた手法。懐かしいというか、それを分かって取り入れている監督のケレン味がたまらん。 ただ、本作がこれだけ評価されるのは、物語や演出ではない。圧倒的な設定の良さによる。 言うまでも無いが、アフリカ系の監督と、主人公で作られたスーパーヒーロー作品は初めてである。圧倒的に白人優位で作られる映画の中にあって、これは画期的なことだった。2017年には女性監督と女性主人公の組み合わせで作られた『ワンダーウーマン』(2017)という傑作があり、それと合わせて考えると本作はとても面白いものとなるだろう。 そして監督は敢えて作っているのだろうが、本作は往年のブラックスプロイテーションを上手く継承しているということが一番だった。 ブラックスプロイテーション映画については既に『黒いジャガー』(1971)で書いたので、ここでは述べないが、その嚆矢となった作品が日本語から逆に訳すると「ブラックジャガー」で、本作が「ブラックパンサー」というのが良い対比になってる。 監督・主演そしてほとんどの登場人物がアフリカ系で占められ、下手なルサンチマンなしに彼らの中だけできっちり作品を作る姿勢は実に素晴らしい。 |
クリード チャンプを継ぐ男 | ||||||||||||||||||||||||||||||
2015米アカデミー助演男優賞(スタローン) 2015ゴールデン・グローブ助演男優賞(スタローン) |
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かつて世界最強のヘビー級チャンピオンと呼ばれ、ロッキー・バルボアのライバルとなったアポロ・クリードという男がいた。その息子アドニス(ジョーダン)は、アポロの命を奪ったボクシングを憎む母の元で育てられ、証券会社で順調に出世を重ねていた。だが抑えきれないボクシング熱により、ついに会社を辞めて家を出、かつて父のライバルだったフィラデルフィアに住むロッキー(スタローン)の門を叩く。ボクシングを教えて欲しいと言うかつてのライバルの息子の出現に戸惑うロッキーを尻目に、押しかけ弟子のようになっていくアドニス。 70年代に彗星の如く現れ、たった一作で大スターとなり、今に至るもハリウッドのスターであり続けるシルヴェスター・スタローン。その出世作にして、最高作と言われる『ロッキー』(1976)はシリーズ化され、ファンの目を楽しませ続けてきた。年齢的な意味でロッキーがボクサーを引退しても、ボクシングに関わり続ける作品として作られてきたわけだが、そのシリーズに更にもう一つの足跡が残されることとなった。 このシリーズを振り返ってみると、『ロッキー』、『ロッキー2』(1979)、『ロッキー3』(1982)が一区切りの物語として、『ロッキー4 炎の友情』(1985)は純粋なエンターテインメント作として、『ロッキー5 最後のドラマ』(1990)は、“その後”のロッキーを描く作品として作られてきた。正直私としてはロッキーとして観られたのは3作目までで、4作目5作目はあんまり評価出来ないというのが本音ではある。ただ、これらのシリーズを通して、脚本も務めるスタローンは、ひたむきに「アメリカ人であること」と言うことを真っ直ぐに見ていたことが感じられる。 そして15年後にまさかの続編として、『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)が作られた時は、どんな年齢になっても夢は追える。アメリカン・ドリームが詰まった作品として喝采を叫んだものだ。 それから更に10年が経過し、本作が登場した。 そして本作は、非常に優れた作品だった。 本作の良さということを考えると二つの観方が出来るだろう。 一つには、新しい若者が、この時代においてもやはりアメリカン・ドリームはあるのだ!という、原点である『ロッキー』に戻った作品として。 本作はかなり一作目のものに近い。少なくとも現チャンピオンの指名によってほぼ無名のボクサーがいきなり世界戦を戦う事になるというストーリーフローは同じだし、その結果も同じ。夢を持つ者にチャンスは訪れるという基本設定を変えずに作っている。作りそのものはまるで70年代に戻ったんじゃないか?と言うくらいに古いし、設定もありきたり。だけど、それで心が熱くなる。今となっては最早陳腐と思われているアメリカン・ドリームなるものが今もまだこんなに面白いのだ。映画はやはり魔法であり、その魔法を使える作品はまだまだ作れるってことをしっかり伝えてくれている。まさに本作には、エンターテインメントの原点である。 そして二つ目。本作が、ちゃんと『ロッキー・ザ・ファイナル』の続編となっていると言う事。 本作の主人公はロッキーではなくアドニスであり、当然画面に出ている割合も圧倒的にアドニスの方が多い。実際新しい視聴者層にとっては、それで充分だろう。一方古いロッキーファンにとっては、老いて尚これだけの存在感を持つロッキーの格好良さに惚れ惚れするのだ。 『ロッキー・ザ・ファイナル』でイタリアン・レストランのオーナーとなったロッキーは今も店を続けており、習慣も続いている。ただ自分でボクシングをしようという気は起きないし、ボクシングの世界からも身を引いているが、そんなロッキーがアドニスの情熱に押され、再び心に熱を灯していく。この世に執着を取り戻していく。ロッキーを主人公として観ても、きちんと本作は続編として観られるのだ。かつて取りのように軽やかに駆け上がったフィラデルフィア博物館の階段を、今度はアドニスに手を取られてよたよたと歩いて登るロッキーの姿が、やけに格好良く見える。 この二つの物語が、きちんとバランス取れているというのが本作の一番素晴らしいところ。どっちか一方に偏ってしまうと、バランスが取れなくなってしまうし、それこそ悪い意味で『ロッキー5 最後のドラマ』の再現となりかねない。正直、それを一番危惧していたのだが、思いもかけずこんなにバランスのいい物語を観ることが出来てとても嬉しい思いにさせられるのだ。 何より、『ロッキー・ザ・ファイナル』のラストシーン。エキシビションマッチでの試合を終え、花道を戻るロッキーの手が伸ばされ、誰とも知れない若い手が伸び、グローブにタッチするというそのシーンが、ちゃんとロッキーの後継者が現れたという証拠として現れているところが感動的だ。10年のタイムラグが一気に無くなり、「ああ、これこそ本当にロッキーの続編なんだ。と思わせてくれる。 と言うことで、古い映画ファンの私から観ても本作はとても面白かったし、ちゃんと新しいファン層も獲得できたのではないかと思う。過去のファンを納得させ、しかもちゃんと面白く仕上げるという難事業をしっかり作ってくれた監督の力量だろう。 それでも敢えて問題点を挙げるならば、出来れば本作は前後編で観てみたかったということ。この物語を2時間で収めるには、あまりに短すぎた。もっと試合も観てみたかったし、ロッキーとアドニスの精神的なすれ違いとか和解とか、盛り上げる要素はいくらでも作れるんだから、倍くらい時間使ってほしかった。無理矢理この時間に収めるものだから、世界チャンピオンが箱庭の世界の中で決まってしまったような気にさせられてしまうのもマイナス要素。 でも、そんなことも些細なことだろう。幅広い人達に観て欲しい作品が登場したことを素直に喜びたい。 |