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2014 | 猿の惑星:新世紀 監督 | ||||||||
2013 | |||||||||
2012 | |||||||||
2011 | |||||||||
2010 | モールス 監督・脚本 | ||||||||
2009 | |||||||||
2008 | クローバーフィールド HAKAISHA 監督 | ||||||||
2007 | |||||||||
2006 | |||||||||
2005 | |||||||||
2004 | |||||||||
2003 | |||||||||
2002 | |||||||||
2001 | |||||||||
2000 | 裏切り者 製作・脚本 | ||||||||
1999 | |||||||||
1998 |
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1997 | |||||||||
1996 | ハッピィブルー 監督・脚本 | ||||||||
1995 | 暴走特急 脚本 | ||||||||
1994 | |||||||||
1993 | フューチャー・ショック 監督・脚本 | ||||||||
1992 | |||||||||
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1990 | |||||||||
1989 | |||||||||
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1966 | 4'27 ニューヨーク州ロックヴィル・センターで誕生 |
猿の惑星:新世紀 Dawn of the Planet of the Apes |
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モールス 2010 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2010放送映画批評家協会若手俳優賞(モレッツ、スミット=マクフィー) 2010サターンホラー/サスペンス作品賞、若手俳優賞(モレッツ)(スミット=マクフィー)、監督賞、脚本賞、音楽賞、メイクアップ賞、 2010キングベスト第1位 2010ナショナル・ボード・オブ・レビューインディ映画 |
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母親と二人暮らしの孤独な少年オーウェン(スミット=マクフィー)は、学校では友達がおらずいじめに遭って、それを母親にも話すことが出来ず、孤独に過ごしていた。そんなある夜、隣に越してきた父子家庭のアビー(モレッツ)という少女と出会う。やがてすっかり仲良くなった二人は壁を通じてモールス通信で心を通わせるようになっていくが… スウェーデンの小説原作で、先に『ぼくのエリ 200歳の少女』(2008)として公開された作品のハリウッド・リメイク。 物語そのものはオリジナル版とほとんど変わりが無く、吸血鬼少女と普通の男の子の恋愛話となる。構成そのものはアメリカで大ヒットした『トワイライト〜初恋〜』(2008)と似ておいるので、それ故にリメイクが決まったのだろうと思われる。 『ぼくのエリ 200歳の少女』の方は劇場まで観に行ったのだが、なんだか釈然としない思いにさせられてしまったので、本作は劇場は無視してテレビ放映時に拝見。 一見して、オリジナルよりも良い部分と悪い部分があるのが見て取れる。 まず良い部分としては、演出がこなれていると言う点が挙げられるだろう。緩急取り入れて、見せるべき所を見せ、ホラー的な演出もきっちり見せている上に、物語の静けさも加味して作風にあった演出方法がなされている。オリジナル版では切り捨てていたモールス信号もちゃんとラストに活かされる伏線になってたし。オリジナルの耽美系描写がどうにも落ち着かなかった分、はっきりとホラー系に描写が移ったため、とても観やすくなった。 一方、悪い部分とは、残念ながらこれはクロエにあった。これはオリジナル版のリーナ・レアンデションの良さが頭にあったために、どうしても記憶がそっちに引きずられ、「こう言う演技じゃないだろ」と思ってしまったためだろう。リーナの良いところは、結構大柄で中性的な、少女でありながら年経た落ち着きと諦観を持った、まさに長年生き続けてきたヴァンパイア役にぴったりな立ち居振る舞いが出来ていた。その演技こそがオリジナル版の最大の売りだったわけだ。対してクロエは女優としては一級品だが、まだこのような役は合わない。実年齢はともかく少女然とした振る舞いがどうにも合ってないように思えてしまう。 オリジナル版同様、ラストはハッピーエンドっぽくなっているけど、ハッピーエンディングを強調しすぎてる感じで、本来の不安定な終わり方ともちょっと違うし。色々と不満が残るものになってしまった。 そもそも元の作品が合わなかったので、リメイクされて合うはずはないんだけど。 |
クローバーフィールド HAKAISHA 2008 | |||||||||||||||||||||||||||
2008サターン作品賞、助演女優賞(キャプラン) | |||||||||||||||||||||||||||
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マンハッタンの下町の住民ロブ(スタール・デヴィッド)は副社長として日本への栄転が決まり、弟のジェイソン(ヴォーゲル)の企画でサプライズパーティが開かれた。ハッド(ミラー)はその様子をハンディカメラで映していたのだが、その時突然爆音が響き渡った。そして外に出た彼らの前には突然千切られた自由の女神の頭部が落下。更に破壊音を圧倒する何者かの叫び声が聞こえてくる… 日本を敬愛し、よく日本のホビーショップに出現すると公言するリーヴス監督による新感覚の怪獣映画。この作品はそもそも題名のない予告編が凄く受けたが、この仕掛け人は製作に当たったJ・J・エイブラムズで、リーヴス監督よりもこちらの方が有名になった。 少なくとも、監督の日本好きは嘘ではないことは本作を観れば明らか。見事に日本が生み出した『ゴジラ』を始めとする怪獣映画を研究していることが分かるし、怪獣の描写については「こうして欲しい」と思っていたことを見事に再現。正直金子修介がリメイクした『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)の時に感じた衝撃が再び来た感じを受けた。 かつてエメリッヒ監督により、ハリウッドでリメイクされた『GODZILLA ゴジラ』(1998)。だがこの作品は(私も含めて)悪評紛々。ゴジラに“God”の文字を付けたくせに弱い。ゴジラの重量が足りない。走ってはいけない。人間の通常兵器が通じるような相手ではない。“子ジラ”など、それこそ文句を言うならいくらでも出てきてしまうのだが、この作品の失敗も本作が作られたモチベーションになったと考えるなら、ようやく果たされたと感じられる。『GODZILLA』での不満は見事に本作で解消されている。おそらくこれはリーヴス監督自身が最も手本にした作品が『GODZILLA』だったに他ならないから。本作は数々のパートで『GODZILLA』を思わせる設定や演出を多用しつつ、しかも「そうはならないよ」と小憎らしく失敗部分を回避しつつ物語を展開させている(端的なのは怪物が人間を食ってることだろう。怪獣と呼ばれる存在がマグロ食ってちゃいかんのよ)。それが分かるからこそ、ニヤニヤしながら観ることが出来た。しかも決してエメリッヒを馬鹿にしているのではなく、エメリッヒの良い部分はしっかり受け継いでるし、エメリッヒの得意としているディザスター作品にはかなり多大なオマージュを献げているようにも見受けられる。 そう。本作は怪獣映画の体を取っているが、本質的にはディザスター(災害)映画なのだ。大自然の驚異は、たかが人間などあっという間に吹き飛ばしてしまう。しかし生き残った人間は、生き延びるために大自然に立ち向かわねばならない。理不尽な暴力に抗い続け、生き続けることこそが物語の目的となる。本作で登場する怪物には名前が無いが、名前がないからこそ、本物の自然災害となんら変わることのない圧倒的な力を持って、情け容赦なく人間を襲う事が許される。そう。まさにオリジナルのゴジラのように。 そもそも『ゴジラ』とは前年の1953年に行われた水爆実験を、人間の作り出した災害と考え、その水爆そのもののメタファーとして登場した。ゴジラとは本質的に災害そのものなのだ。それこそオリジナルのゴジラこそが「人間の生み出してしまった“God”」と考えられている。その部分を本当によく分かってくれている。それだけでも本気で惚れ込みそうだ。上からの視点を一切排し、怪獣の足下で逃げるしかない人間をひたすらに作るとは、本当によく分かってらっしゃる。 だが、特撮ファンの業が深いとも思えるのは、その「分かっていらっしゃる」と思えるところが最大のネックでもあるということ。つまり、怪獣ファンが「こうあって欲しい」という思いはよく再現されているのだが、明らかにこれは「元ネタあり」を前面に掲げていることであり、それが透けてしまっている以上、オリジナルを越える評価をすることは出来ない。本作の場合新解釈と言えるところがほとんど無く(小さな怪獣の分身も含め)、実は特撮ファンにとっては新味はまるでなかったりする。つまり、本作は本当の良作ではあるが、それ以上にはなれないことを宿命づけられてしまっているのだ。だからこそ「良い作品」と言うのは吝かではないが、それ以上の評価を与えられないのが怪獣ファンの宿命とも言える。 本作はだからむしろ怪獣ファン以外の人に観てもらいたい。そしてこれに感心することで、どっぷりと怪獣映画の奥深さに足を踏み入れてくれることを望む。 それで本作の魅力の大部分を演出したと言えるのが、あたかもハンディカメラで映したとおぼしき映像が展開していく点。これは臨場感を与えるために多大な貢献をしており、あたかも自分の本当の目を通して怪獣を観ているような思いにさせられる。この手法は低予算作品で時折使われる方法で、臨場感を演出する手軽な方法。今までも『食人族』(1981)を始めとして『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』、近年にも『セプテンバー・テープ』(2004)なる、同じ手法を使った作品が登場してる。しかしこの手法を怪獣映画で使う試みは初めてであり(あ、一部ではあったが『DOOM』があったか)、CG丸出しの仮想生物を、あたかも本当に存在するかのように見せるという離れ業を一見成功させていた…ただ、この点については功績を認めると共に、苦言もあり。実はちょっと離れて観ると、ハンディカメラと、本物のカメラをちゃんと使って撮っている部分が丸わかりになってしまうのだ。わざと後の処理でハンディカメラっぽく荒らしてはあっても、CGが出てきてしまうと、どう見てもハンディカメラの映像ではなくなってしまう。実際に揺れているシーンとわざと揺らすように演出している部分のつなぎがあんまりにも下手だ(画面にのめり込んでしまえば全く気にならないのだろうが、私の場合は劇場で観た時ものの10分くらいで酔いそうになってしまい、以降は画面全体を見るように意識を持って行ってしまったため、その辺のアラまでついでに見えてしまった)。 ついでにもう一つ本作の魅力。本作には数多くの映画のオマージュおよびパロディが入っている。それこそエメリッヒ版『GODZILLA』から取ったとおぼしきシーンは数多いが、他にもオリジナルの『ゴジラ』、金子版『ガメラ2』、『ガメラ3』、『食人族』、『水爆と深海の怪物』、『原始怪獣現る』、『キングコング』等々。一見でこれだけ分かるくらいだから、細かく検証したら凄く楽しそうではある。ラストの字幕の音楽を聴いただけでも熱くなること請け合える(モロ伊福部マーチだし)。 一方それに関連することだが、本作の字幕は戸田女史。この人、本当に映画について思い入れってものが無いんだろうなあ。と思われたのが、怪物が現れた瞬間「It's Alive!」(言うまでもないが元ネタは『フランケンシュタイン』でAFIの台詞ベストにも入ってる)と叫んだ時の字幕が「あれは生物だ」という、無味乾燥な台詞にされてしまったこと。もうちょっと先達の映画に敬意持って欲しいもんだ。 |