| アルカトラズからの脱出 |
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リチャード・タッグル(脚)
クリント・イーストウッド
パトリック・マクグーハン
ロバーツ・ブロッサム
ジャック・チボー
フレッド・ウォード
ポール・ベンジャミン
ラリー・ハンキン
ブルース・M・フィッシャー
フランク・ロンジオ
ダニー・グローヴァー |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
5 |
4 |
3 |
4 |
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脱走の常習犯フランク・モーリス(イーストウッド)は、ついに脱出不可能と名高いアルカトラズ島刑務所へと入れられることとなった。冷酷な所長ウォーデン(マクグーハン)の下で厳重な警備体制がとられるこの刑務所は、これまで一度たりとも脱走囚を出さない事で知られていたが、フランクは決して諦めずに脱走の機会を窺う。3人の仲間を得たフランクは、様々な妨害に遭いながらも着々と計画を進めていく…
1934年から始まり、1963年まで続いたアルカトラズ刑務所から唯一脱走したという3人の囚人の実話をベースにシーゲル監督がベスト・パートナーであるイーストウッドを主演として作り上げた脱走ものの傑作。
物語そのものは定番の脱走ものを継承しているものの、1970年代のハリウッドの中にあって演出力では定評のあるシーゲル監督の事。困難な条件という意味で設定が突出したアルカトラズ刑務所を舞台に一筋縄にはいかない演出力を用いている。
脱走ものというのは主人公が悪に設定されるため、いかにそれを感じさせないかと言う点が重要になる。自然看守や所長の嫌味さや冷酷さがクローズアップされるし、本作でも存分にその手法は用いられているが、ここではむしろ主人公の魅力の方にウェイトが行っている。
実際ここでのイーストウッドはベスト・パフォーマンスと言える演技を見せているが、実はイーストウッドはあくまで自分の演技を崩してはいないというのが特徴。『荒野の用心棒』(1964)以降、彼の持ち味となった無口で何を考えているのか掴みにくいキャラを今回も押し通している。無口なキャラだから愛嬌を振りまくこともなければ、受けが良くもないが、強い意志を持ち、それに惹かれる者と反発する者が出てくると言った感じ。本作では特徴的な人物を多数配することによって、逆にイーストウッドの無口さを映えさせることに成功した上手い例だともいえるだろう。
極力音を廃した演出も、緊張感が上手く出ていて大変面白い出来になっていた。イーストウッドの無口さを上手く演出出来ていたんじゃないかな?
ところで、オチなのだが、実は海で溺れたって可能性も結構高い。改めてその観点から考えてみると、面白い。そう言えばイーストウッド演じるモーリスは脱走の常習犯だったそうだが、ここでは脱走後のことは一切語っていない。あるいは彼は脱走する。というその高揚感に取り憑かれてしまった男だったのかも知れない。そうするとこの脱走も、生きるために行ったのではなく、本当の意味で純粋な意味での“挑戦”だったのかもしれない…だとしても、これはこれで男の生き様だろう。
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テレフォン
Telefon |
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ピーター・ハイアムズ
スターリング・シリファント(脚)
チャールズ・ブロンソン
リー・レミック
タイン・デイリー
パトリック・マギー
シェリー・ノース
ジョン・ミッチャム
ドナルド・プレザンス
アラン・バデル |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
4 |
3 |
3 |
3 |
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ラスト・シューティスト
The Shootist |
1976米アカデミー美術監督・装置賞
1976英アカデミー主演女優賞(バコール) |
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マイルズ・フッド・スワザウト
スコット・D・ヘイル(脚) |
| ジョン・ウェイン |
| ジェームズ・スチュワート |
| ローレン・バコール |
| ロン・ハワード |
| シェリー・ノース |
| ジョン・キャラダイン |
| ヒュー・オブライエン |
| ビル・マッキーニー |
| リチャード・ブーン |
| スキャットマン・クローザース |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 2 |
4 |
4 |
3 |
3 |
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1901年ネヴァダ州カースン・シティに、老境の名ガンマン、ブックス(ウェイン)が現れた。友人医師ホステトラー(ステュアート)の診断によって末期ガンに犯されていることを知ったブックスは、ロジャース夫人(バコール)の下宿屋で最期の時を迎えようとする。だが、かつて西部に名をとどろかせたブックスを、周囲の人間は放っておかなかった…
実質的に本作が遺作となったジョン=ウェインが、まるで時分自身の死を予見するような、そして古き良き西部劇の終焉を示したかのような内容に仕上げられていた(ウェインがガンで亡くなったのは1979年)。
のっけから主演映画の名場面。若き日のウェインの華々しさを見せた後、老境に至った彼を見せたのは演出上の妙で、シーゲルの真骨頂とも言えるだろう。古き良き西部時代も終わろうとしている事が擦り込まれてしまう。更に彼がやってきた町はもう自動車も走り始めており、町には電灯まで点り始めている。そんな中に昔ならではの西部劇スタイルでウェインがやってくる。と言うところで、時代の変遷を見せている演出も心憎い所。この描写は西部劇自体がもう時代遅れになってしまったことを告げているかのようだった。
ウェインは当時実際に病に冒されていたそうで、アクションは控えめで、しかも本当に苦しそうに演技している。それが痛々しいながら、悲壮な決意が見えて、彼がこの作品に自分の全てを賭けている事が見て取れる。脇を固める配役も豪華スター達であり、まるでウェインの最期を看取るために集結したかのようだ様相を見せてくれる。クール・ビューティと呼ばれたバコールが母性愛に満ちた女性を演じているのも珍しくて印象深い。
西部劇もこの時代には既に過去になっており、これから作られる西部劇は新しい切り口が求められるようになった。過去と決別するためにも、そしてジョン=ウェインの最後の輝きをフィルムに焼き付けるため、この時代に作られる必要のあった作品なのだろう。
本作の監督は『ダーティハリー』(1971)で一世を風靡したシーゲル監督だったが、実はウェインがハリー役にオファーされていた。それを後悔していたと言うので、ウェインが最後の映画を彼に託した気持ちは分かる(ただ、あくまでウェインは自分らしさを失わないようにシーゲルにも厳命。まるでイーストウッドのように敵を後ろから撃つことは絶対に拒否したのだそうだ。それはそれでやはりウェインらしさだろう)。
尚、本作で少年役を演じているのは後に監督として名を馳せるロン=ハワードその人である。
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| 製作年 |
1976 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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| キーワード |
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突破口!
Charley Varrick |
| 1973英アカデミー主演男優賞(マッソー) |
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ハワード・ロッドマン
ディーン・リーズナー(脚)
ウォルター・マッソー
ジョン・ヴァーノン
アンディ・ロビンソン
シェリー・ノース
フェリシア・ファー
ジョー・ドン・ベイカー
ノーマン・フェル
ベンソン・フォン
ウッドロウ・パーフレイ
ウィリアム・シャラート
ジャクリーン・スコット
マージョリー・ベネット |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
3 |
4 |
4 |
4 |
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ニューメキシコの小さな村で農薬散布の仕事をしているチャーリー(マッソー)は妻のネイディーンと二人の仲間と共に銀行強盗を敢行する。ネイディーンと仲間の一人は銃撃戦の末、死亡するが、チャーリーは首尾良く金をせしめることが出来たが、それは彼が思っていたより遙かに高額だった。実はその金はマフィアの隠し金だったのだ…警察とマフィアの殺し屋モリー(ベイカー)の両方から追われる身分となったチャーリーが取った起死回生の方法とは…
まさしくこれはアイデアの勝利。マッソー演じるチャーリーはマフィアや警察の怖さを熟知していながら行動には明らかに隙が多く、最後の最後まで彼の意図がどこにあるかと、ドキドキしながら観ていた。あからさますぎる伏線や、キャラクター描写とかには難がないでもないが、それをしっかり超えるだけの描写がなされているのには感心。
当時、いわゆるアメリカン・ニュー・シネマの最盛期と言うこともあってチープな描写がなされているが、それもこの作品の味だろう。とにかく金が遣えないので、役者の個性で話を引っ張り、最後の見どころに持っていく。このやり方は単なるB級映画の作り方だし、まさしくそのもののストーリーなのに、たたみかける演出でそんなことを感じさせず、とにかく最後まで飽きさせない。そして溜めた分、ラストの飛行機対車のカー・チェイスは見応え充分だし、意外性のあるオチには喝采を叫びたくなる。
とぼけた風味ながら、飄々と悪人を演じられるマッソーははまり役だったが、マフィアの殺し屋を演じたドン・ベイカーもなかなか味があった。
ピカレスク・ムービーとしては間違いなく一級品だ。
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| 製作年 |
1973 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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| キーワード |
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| ダーティハリー |
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ハリー・ジュリアン・フィンク
R・M・フィンク
ディーン・リーズナー
ジョン・ミリアス(脚) |
| クリント・イーストウッド |
| ハリー・ガーディノ |
| アンディ・ロビンソン |
| ジョン・ヴァーノン |
| レニ・サントーニ |
| ジョン・ラーチ |
| ジョン・ミッチャム |
| アルバート・ポップウェル |
| ジョセフ・ソマー |
| メエ・マーサー |
| リン・エジングトン |
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| ★★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
5 |
5 |
5 |
5 |
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サンフランシスコに起こった連続女性殺人事件。“サソリ座の男”と名乗る犯人は大胆不敵にもサンフランシスコ警察に脅迫状を送りつける。これ以上の殺人を止めさせたいならば、10万ドルを出せ。と言うものだった。警察上層部ではしばらく様子を眺める事に決まりかけたのだが、そのことを聞かされた殺人課のハリー・キャラハン(イーストウッド)は、上司のブレスラー(ガーディノ)の意向を無視して、犯人追跡に向かうのだった。悪に対するハリーの怒りは時として法を逸脱してしまい、逃亡する犯人(ロビンソン)の怒りを煽りたててしまうことに…。
1968年に起こったいわゆるゾディアック事件に題材を取ったフィクション作品で、1972年全米興行成績第5位。
この年、これまでの刑事もの作品を覆す作品が二つ登場した。一つは『フレンチ・コネクション』(1971)であり、そしてもう一つが本作である。今なお作られ続けている刑事もの作品はおしなべてこの二作の影響を受けてないものはないと言われるほどの作品である(尤も、そのルーツを探ると両作品とも『ブリット』(1968)の影響が強いと思われるが)。どちらの作品も警察組織の中では浮いた存在である、正義を体現したヒーローを主人公としているのが特徴で、一般の社会生活が出来そうにないような熱いキャラクタが特徴。折りしもニュー・シネマの時代。決して優等生ではない、体制に対する反発者の姿は時代そのものが求めていたと言っても過言ではなかろう。
ただし、この二作はかなり共通性があるものの、1971年のアカデミー賞では明暗を分けた。『フレンチ・コネクション』は作品賞、主演男優賞を含め5つのオスカーを得たのに対し、本作は全くノミネートさえされなかった。ただしそれを当時のアカデミー会員の不明と見る気はない。当時のアカデミー好みという点ではこの二作に大きな隔たりがあったから。
『フレンチ・コネクション』は確執や横やりなどの妨害がありつつも、警察組織という中にあって奮闘するハックマンの好演があってこそだった。ハックマン演じるポパイは確かにどこかエキセントリックな部分がある正義の味方ではあったが、基本的に自らは法の執行者であるとして警察組織そのものを逸脱はしてなかった。それがリアリティと映ったのだろう。
対して本作の主人公イーストウッド演じる主人公ハリーは、そう言う意味では完全に組織を逸脱している。オープニングのシーンでホットドッグもぐもぐやりながら町中でマグナムぶっ放すシーンだけで彼の逸脱ぶりがよく分かろうというもの。ここには法を守るべき刑事が社会的な意味では逸脱しているという人物像を描くと共に、リアリティを考えてませんよ。というメッセージも込められていたのかもしれない。捜査に関しても平気で犯人に銃をぶっ放すのみならず、拷問にかけることも厭うていない。それに結局の話、確かに目新しさを感じさせてくれるものの、ハリーは現代に蘇った西部劇のヒーローそのものであり、その本質を見ている人には、これは決して新しい物語ではないことがよく分かったはず…確かにこれではアカデミーの覚えは悪かっただろう。題に『ダーティ』と付けたのも、当時としては「所詮はB級作品」と思われる要因となったかもしれない。
技術性や芸術性と目新しさが巧く組み合わさった『フレンチ・コネクション』に対し、本作は目新しさしか無かったと言うのが弱みだったかもしれない。しかし、娯楽性という意味においては、本作の方がやはり上を言っていたのは事実。仮にもっと前の時代であれば、ポパイよりもハリーの方が共感を持って迎えられただろうが、その時代ではこの暴力描写は出来なかっただろう。確かに賞には縁が無かったとしても、このダーティぶりが後の刑事物に与えた影響は計り知れない。
それに事実として、日本でのテレビ放映では、『フレンチ・コネクション』よりも遙かに本作の方が多いはずだ。それはやはりイーストウッドの格好良さというものを全面に押し出した結果であろう。ハリーの仕草はつい真似したくなるほどに格好良いのだ。私が本作を観たのはテレビでだったが、山田康雄の声で「泣けるぜ」というのは実際に結構真似した(笑)。
本作はまさにイーストウッドのはまり役で、私の世代だと、“イーストウッドと言えばハリー”と言った感じなのだが、そもそもはハリー役はフランク=シナトラが演じるはずだったらしい(シーゲル監督本人はジョン=ウェインにやらせたがっていたらしいが)。ただシナトラは丁度手術後でアクションは無理と言うことがわかり、今度はニューマンに話が行ったが、だらしない刑事役と聞いたニューマンにも断られてしまった。それでイーストウッドに回ってきた。イーストウッドは特に敬愛するシーゲル監督作品とあって本作にかけた情熱は半端でなく(二回も断られた役を敢えて受けたのは監督がシーゲルだからとインタビューで本人も言っていた)、キャラハンの性格を徹底的に書き換えさせてこのようなキャラクタを作り上げた。それまでの自分自身を投影したかのようなハリーの描写は素晴らしいの一言。更にスタントマンを立てず全てのアクションを自ら行ってもいる。
もう一つ、本作のカメラ・ワークの面白さもある。本作は高低を利用した演出がとても多い。OPのビルの屋上のプールから、更にそれ以上に高いビルからそれを見ているシーンや、イーストウッド自身がビルから降りていくシーンなど、縦のカメラ・ワークが非常に多いのだ。それがスリリングさを増している。
更に本作ではいくつかのパートではシーゲル監督はイーストウッドに好きに演じさせたという。それでイーストウッドはのびのびと演技をし、アドリブが巧くはまっている。そしてこれを通してイーストウッドは自らも監督業へと乗り出していくことになる(実際に本作にも部分的にイーストウッドが監督した場所がある)。
ラストシーンの警察バッジを投げ捨てるシーンは『真昼の決闘』(1952)にインスパイアされたものらしいが、まさかこれが続編を作ることになるとは思ってなかったのでは無かろうか?
尚、ここでのスコーピオンはいわゆるゾディアック事件をベースとしており、手紙などはまさにその通りだが、キャラとしての描写そのものは多分にマンソン・ファミリーを意識したのではないかと言われてもいる(ちなみにスコーピオンという名称はゾディアック事件に先んじてコミック「ディック・トレーシー」で登場した犯人で、ゾディアックとの類似性が言われていた)。
本作は何故かタカ派の政治家に好まれるという一面もある。正義を行うためには法を越えても犯罪者を撲滅しなければならないという意識であろう。しかし、実際にハリーがやってることは全くの逆だと言う事にも注目すべき。彼が犯罪を憎むのは、社会のためではなく、自分のためだ。「社会正義」を旗印とすれば、どれだけハリーが胡散臭くなるのか、その辺も汲み取って欲しいものだ。
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| 製作年 |
1971 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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| キーワード |
Go ahead, make my day |
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白い肌の異常な夜
The Beguiled |
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ジョン・B・シェリー
グライムス・グライス(脚)
クリント・イーストウッド
エリザベス・ハートマン
ジョー・アン・ハリス
ダーリーン・カー
ジェラルディン・ペイジ
メエ・マーサー
パメリン・ファーディン
メロディ・トーマス・スコット
ペギー・ドライヤー
パッティ・マティック
チャーリー・ブリッグス
ジョージ・ダン
チャールズ・マーティン
マット・クラーク
パトリック・カリントン
バディ・ヴァン・ホーン |
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| ★★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
4 |
5 |
4 |
4 |
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イーストウッドの両足が女性によって切断されるという内容が大きな話題となる。
イーストウッドが監督に指名したのはシーゲル。シーゲルにとっては初めてのアクションから離れた作品。イーストウッドはこの撮影風景を撮影し、短編映画に仕上げている。アメリカではあまり受けなかったが、フランスではヒットした。 |
| 製作年 |
1971 |
| 製作会社 |
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| ジャンル |
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| 売り上げ |
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| 原作 |
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| 歴史地域 |
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| 関連 |
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| キーワード |
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真昼の死闘
Two Mules for Sister Sara |
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マーティン・ラッキン
キャロル・ケイス(製)
アルバート・マルツ(脚)
クリント・イーストウッド
シャーリー・マクレーン
マノロ・ファブレガス
アルベルト・モリン
アルマンド・シルヴェストレ
ジョン・ケリー
デヴィッド・エスチュアルド |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
3 |
3 |
3 |
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| マンハッタン無宿 |
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ハーマン・ミラー
ディーン・リーズナー
ハワード・ロッドマン(脚) |
| クリント・イーストウッド |
| リー・J・コッブ |
| スーザン・クラーク |
| ドン・ストラウド |
| ベティ・フィールド |
| ティシャ・スターリング |
| トム・テューリー |
| メロディ・ジョンソン |
| ジェームズ・エドワーズ |
| シーモア・カッセル |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
4 |
3 |
3 |
3 |
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当初監督はマーク・ライデルになるはずだったが、製作が押してしまい、撮影期間はひと月となり、それでできる監督はシーゲルしかいないと紹介される。
イーストウッドは一度も現場を離れずシーゲルのやり方を学んだ
シーゲル&イーストウッドの初コンビ作。大都会の西部劇と称される |
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刑事マディガン
Madigan |
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フランク・P・ローゼンバーグ(製)
ヘンリー・シムーン
エイブラハム・ポロンスキー(脚)
リチャード・ウィドマーク
ヘンリー・フォンダ
インガー・スティーヴンス
ハリー・ガーディノ
ジェームズ・ホイットモア
スーザン・クラーク
マイケル・ダン
シェリー・ノース
ドン・ストラウド
スティーヴ・イーナット
アル・ルーバン |
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| ★★★☆ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
4 |
4 |
3 |
3 |
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殺人者たち
The Killers |
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ドン・シーゲル(製)
ジーン・L・クーン(脚)
リー・マーヴィン
ロナルド・レーガン
アンジー・ディキンソン
ジョン・カサヴェテス
クルー・ギャラガー
クロード・エイキンス
シーモア・カッセル
ノーマン・フェル |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
4 |
4 |
4 |
4 |
|
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突撃隊
Hell Is for Heroes |
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ロバート・ピロッシュ
リチャード・カー(脚) |
| スティーヴ・マックィーン |
| ボビー・ダーリン |
| フェス・パーカー |
| ジェームズ・コバーン |
| ハリー・ガーディノ |
| ニック・アダムス |
|
|
| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
5 |
4 |
3 |
4 |
|
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グランド・キャニオンの対決
Edge of Eternity |
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ケンドリック・スウィート(製)
リチャード・コリンズ
カート・スウェンソン(脚) |
| コーネル・ワイルド |
| ヴィクトリア・ショウ |
| ミッキー・ショーネシー |
| エドガー・ブキャナン |
| ライアン・ガーリック |
| ジャック・イーラム |
| アレクサンダー・ロックウッド |
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|
| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
4 |
2 |
3 |
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殺人捜査線
The Lineup |
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ハイメ・デル・ヴァル(製)
スターリング・シリファント(脚)
イーライ・ウォラック
ロバート・キース
リチャード・ジャッケル
メアリー・ラロシュ
ウィリアム・レスリー
エミール・メイヤー
マーシャル・リード
レイモンド・ベイリー
ヴォーン・テイラー
ワーナー・アンダーソン |
|
| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
4 |
4 |
3 |
|
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ボディ・スナッチャー 恐怖の街
Invasion of the Body Snatchers |
| 1994アメリカ国立登録簿新規登録 |
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ウォルター・ウェンジャー(製)
ダニエル・メインウェアリング
サム・ペキンパー(脚) |
| ケヴィン・マッカーシー |
| ダナ・ウィンター |
| キャロリン・ジョーンズ |
| ラリー・ゲイツ |
| キング・ドノヴァン |
| ジーン・ウィルス |
| サム・ペキンパー |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
4 |
5 |
4 |
|
カリフォルニア州にある小さな町での開業医マイルズ(マッカーシー)は、学会があってしばらく町を離れていたのだが、数週間ぶりに町に帰ってきたところ、何か違和感を感じる。一見いつもと変わらないし、受け答えも普通なのだが、どこかよそよそしい印象があり、何者かに見張られているようでもあった。そしてマイルズは、それまで見たことのなかった妙なトラックが何台も町に来ている事に気づく。たまたまそのトラックの中を見る機会があったが、その中にあったのは、巨大な莢のような植物だった。
ジャック・フィニイ原作のSF小説「盗まれた街」の最初の映画化作品でSF映画の教科書的作品。50年代SF映画は他の映画の添え物として作られたものが大半で、ほとんどが「知る人ぞ知る」という作品ばかりだが、その中でも頭角を現した作品と言うのが何作か存在し、その筆頭で語られるのが本作だろう。2014年にガーディアン紙から「宿命論の傑作」「SFジャンルの試金石」と評されている。
私はこれまでに同一原作の作品を数作観ている。具体的には『SF/ボディ・スナッチャー』(1978)、『ボディ・スナッチャーズ』(1993)、『インベージョン:』(2007)で、それ以外にも原作のパロディである『インベージョン・アース』(1987)も。多分これでほぼ全部だろう。概ね物語は同じで、宇宙からの侵略となるが、その侵略の方法が作品毎に設定が大分異なり、静かに人間を侵食しようとしたり、逆に人間同士を争わせようとしたりと莢から出てきたコピー体の性格は作品によって異なるが、これらはその当時の世相を反映していて、今やられて一番嫌なことをしているので、作品の年代毎に、この当時の背景を推測できたりも出来る。
その意味で本作の意味合いを考えると、コピーされた人間は無気力になり、誰かの命令に従うようになるという特性がある。これで明らかなのは、洗脳された人間のテンプレート的な行動となっている。そしてこの作品が作られた1956年という年と合わせて考えれば、これがソ連からの脅威を描いたものと考えるのは容易である(実際本作でシーゲルは共産主義者ではないと太鼓判を押されたらしい)。『影なき狙撃者』(1962)より先行すること6年も前にこれが作られたと言う事実が凄い。ただ、今になって俯瞰して考えるならば、洗脳はソ連の専売特許ではない。まさに赤狩りが進行中のアメリカでも同様に起こっていることも併せて考える必要があるだろう。奥に更に奥がある構造は見事なアイディアと言えよう。
SF映画の醍醐味の一つは、政権批判の暗喩を読み解くことである。その意味で本作は存分にその楽しさを味合わせてくれる。
本作のもう一つの特徴として、特撮を全く使ってないという点も挙げられるだろう。SF的なアイテムとして必要なのは大きな莢だけで、しかもそれは手で持ち運ぶだけでギミックは使ってない。これだけでちゃんとSFとして成立するのは監督の力量を示す良い例だろう。
短い作品ながら、ストーリーもテンポ良く進むのも良い感じ。偶然の出来事が多すぎて都合良すぎるところもあるものの、この時間に収めるにはこれくらいが良い。
尚、これから名コンビとなっていくイーストウッドはこの作品を観てシーゲルに注目したとのこと。その意味でも本作は映画史の中でも重要な位置づけにある。 |
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第十一号監房の暴動
Riot in Cell Block 11 |
| 1954英アカデミー総合作品賞、国外男優賞(ブランド) |
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リチャード・コリンズ(脚)
ネヴィル・ブランド
エミール・メイヤー
フランク・フェイレン
レオ・ゴードン
ロバート・オステル
ポール・フリース
ドン・キーファー
アルヴィ・ムーア
ダブス・グリア
ウィット・ビセル
ハロルド・J・ケネディ
ウィリアム・シャラート |
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| ★★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 4 |
3 |
3 |
4 |
4 |
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中国決死行
China Venture |
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アンソン・ボンド(製)
ジョージ・ワーシング・イエーツ
リチャード・コリンズ(脚) |
| エドモンド・オブライエン |
| バリー・サリヴァン |
| ジョスリン・ブランド |
| レオ・ゴードン |
| リー・ストラスバーグ |
| リチャード・ルー |
| デイトン・ルーミス |
| レオン・アスキン |
| ダブス・グリア |
| アルヴィ・ムーア |
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| ★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 2 |
3 |
3 |
1 |
2 |
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抜き射ち二挺拳銃
The Duel at Silver Creek |
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レナード・ゴールドスタイン(製)
ジョセフ・ホフマン
ジェラルド・ドレイソン・アダムズ(脚)
オーディ・マーフィ
スティーヴン・マクナリー
フェイス・ドマーグ
スーザン・キャボット
ジェラルド・モーア
ユージン・イグレシアス
カイル・ジェームズ
ウォルター・サンド
リー・マーヴィン
ジョージ・エルドリッジ |
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| ★★★ |
| 物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
| 3 |
3 |
3 |
2 |
3 |
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