ボディ・スナッチャー 恐怖の街
Invasion of the Body Snatchers |
1994アメリカ国立登録簿新規登録 |
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ウォルター・ウェンジャー(製)
ダニエル・メインウェアリング
サム・ペキンパー(脚) |
ケヴィン・マッカーシー |
ダナ・ウィンター |
キャロリン・ジョーンズ |
ラリー・ゲイツ |
キング・ドノヴァン |
ジーン・ウィルス |
サム・ペキンパー |
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★★★★ |
物語 |
人物 |
演出 |
設定 |
思い入れ |
3 |
3 |
4 |
5 |
4 |
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カリフォルニア州にある小さな町での開業医マイルズ(マッカーシー)は、学会があってしばらく町を離れていたのだが、数週間ぶりに町に帰ってきたところ、何か違和感を感じる。一見いつもと変わらないし、受け答えも普通なのだが、どこかよそよそしい印象があり、何者かに見張られているようでもあった。そしてマイルズは、それまで見たことのなかった妙なトラックが何台も町に来ている事に気づく。たまたまそのトラックの中を見る機会があったが、その中にあったのは、巨大な莢のような植物だった。
ジャック・フィニイ原作のSF小説「盗まれた街」の最初の映画化作品でSF映画の教科書的作品。50年代SF映画は他の映画の添え物として作られたものが大半で、ほとんどが「知る人ぞ知る」という作品ばかりだが、その中でも頭角を現した作品と言うのが何作か存在し、その筆頭で語られるのが本作だろう。
私はこれまでに同一原作の作品を数作観ている。具体的には『SF/ボディ・スナッチャー』(1978)、『ボディ・スナッチャーズ』(1993)、『インベージョン:』(2007)で、それ以外にも原作のパロディである『インベージョン・アース』(1987)も。多分これでほぼ全部だろう。概ね物語は同じで、宇宙からの侵略となるが、その侵略の方法が作品毎に設定が大分異なり、静かに人間を侵食しようとしたり、逆に人間同士を争わせようとしたりと莢から出てきたコピー体の性格は作品によって異なるが、これらはその当時の世相を反映していて、今やられて一番嫌なことをしているので、作品の年代毎に、この当時の背景を推測できたりも出来る。
その意味で本作の意味合いを考えると、コピーされた人間は無気力になり、誰かの命令に従うようになるという特性がある。これで明らかなのは、洗脳された人間のテンプレート的な行動となっている。そしてこの作品が作られた1956年という年と合わせて考えれば、これがソ連からの脅威を描いたものと考えるのは容易である(実際本作でシーゲルは共産主義者ではないと太鼓判を押されたらしい)。『影なき狙撃者』(1962)より先行すること6年も前にこれが作られたと言う事実が凄い。ただ、今になって俯瞰して考えるならば、洗脳はソ連の専売特許ではない。まさに赤狩りが進行中のアメリカでも同様に起こっていることも併せて考える必要があるだろう。奥に更に奥がある構造は見事なアイディアと言えよう。
SF映画の醍醐味の一つは、政権批判の暗喩を読み解くことである。その意味で本作は存分にその楽しさを味合わせてくれる。
本作のもう一つの特徴として、特撮を全く使ってないという点も挙げられるだろう。SF的なアイテムとして必要なのは大きな莢だけで、しかもそれは手で持ち運ぶだけでギミックは使ってない。これだけでちゃんとSFとして成立するのは監督の力量を示す良い例だろう。
短い作品ながら、ストーリーもテンポ良く進むのも良い感じ。偶然の出来事が多すぎて都合良すぎるところもあるものの、この時間に収めるにはこれくらいが良い。
尚、これから名コンビとなっていくイーストウッドはこの作品を観てシーゲルに注目したとのこと。その意味でも本作は映画史の中でも重要な位置づけにある。 |
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