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海外での評価はかなり高い。 | |||||||||||||||||||||||
あの頃のこと―Every day as a child 歩いても歩いても 花よりもなほ |
2023 | 怪物 監督・製作 | |||||||
2022 | ||||||||
2021 | ||||||||
2020 | ||||||||
2019 | 真実 監督・脚本・編集 | |||||||
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2018 | 万引き家族 監督・脚本・編集 | |||||||
十年 Ten Years Japan 監修 | ||||||||
2017 | 三度目の殺人 監督・脚本・編集 | |||||||
SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬 出演 | ||||||||
2016 | いしぶみ | |||||||
海よりもまだ深く 監督・脚本・編集 | ||||||||
2015 | 海街diary 監督・脚本 | |||||||
2014 | 家路 企画協力 | |||||||
2013 | そして父になる 監督・脚本・編集 | |||||||
2012 | 夢売るふたり 企画協力 | |||||||
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2011 | 奇跡 監督・脚本・編集 | |||||||
エンディングノート 製作 | ||||||||
2010 | 妖しき文豪怪談/後の日 監督 | |||||||
2009 | Beautiful Islands ビューティフル アイランズ 製作総指揮 | |||||||
空気人形 監督・製作・脚本 | ||||||||
2008 | 大丈夫であるように ─Cocco 終らない旅─ 監督・製作・編集 | |||||||
2007 | 歩いても 歩いても 監督・原案・脚本・編集▲ | |||||||
2006 | 花よりもなほ 監督・原案・脚本・編集 | |||||||
ゆれる 企画 | ||||||||
2004 | 誰も知らない 監督・製作・脚本・編集 | |||||||
2003 | 帰ってきた!刑事(デカ)まつり 監督 | |||||||
蛇イチゴ 製作 | ||||||||
2002 | カクト 製作 | |||||||
2001 | DISTANCE/ディスタンス 監督・脚本・編集 | |||||||
1999 | ワンダフルライフ 監督・脚本・編集 | |||||||
1995 | 幻の光 監督 | |||||||
1962 | 東京で誕生 |
怪物 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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諏訪湖畔にある静かな町で、息子の湊(黒川想矢)と二人暮らしをしているシングルマザーの麦野早織(安藤サクラ)は、ある日怪我をして帰った湊がその理由を言おうとしないこと不信の念を抱く。これまでぴったり一緒だった息子が日に日に離れていくことに恐怖感を覚えた早織は、小学校で何かが起きたと推測し、担任教師の保利(永山瑛太)に疑念を抱くようになる。ツイに我慢が出来なくなり、小学校に事情を聞きに行くことにするが… 是枝監督の最新作の予告は挑戦的なものだった。画面の切り取りだけで、台詞もあまりない。ただ坂本龍一の音楽だけが印象的な、内容がほとんど分からないものだった。それでもその予告で辛うじて分かるのは、家族の物語で、イジメや学校の隠蔽体質について描くものと予告で推測された。 事前情報は遮断してなかったので、これが複数の目で同じ事件を観ることと、LGBT問題を扱っていることくらいは分かっていたが、歳食ってから精神的にきつい作品を劇場で観る気になれなくなっているが、なんせ是枝監督の作品。ひょっとしたら2023年でのベスト作品になる可能性もあると、自分を励ますようにして映画館まで出向いた。 結局それでどうかと言うと、身構えて行った割に、少々肩透かしを食った気分ではある。 チャレンジ精神は認めるものの、全般的な出来がちょっといい加減というか、説得力が低いといった感触。 本作の最大特徴は同じ事件を複数の眼で見る手法で、これは黒澤明の『羅生門』(1950)タイプで、これまでもいくつもの作品が作られているが、このタイプで重要なのは同じ事件を追うため、矛盾を避けねばならないということである。一つ目のストーリーで違和感を感じるならば、二本目以降にその違和感を払拭させる必要があるが、その際、一本目と整合性を取らねばならない。本作の場合、それがちょっといい加減ではなかっただろうか? 描写で一番の問題が教諭の保利についてだった。一本目の早織視点では保利は精神的なバランスを欠き、自分でも何をやってるのか分からないくらいに動揺していたが、その保利中心のストーリーでは、彼はちゃんと考えて行動しているので、その姿が最初の姿と重ならない。答え合わせのはずなのに逆に疑問を持たせてどうする? 他にも校長の立ち位置がどのストーリーを見ても違和感だらけなのだが、彼女がこのような精神状態になった理由が確定していないし、どこまで正気でどこまでおかしくなっているのかの境目が曖昧なため、真実が分からない。 あと、突然途中から湊の友だちの星川くんというクラスメイトが出てきて、彼がなんか黒幕っぽいことが分かるものの、どこまで事件に関与してるのかも分からない。一見いじめられっ子で、クラスの空気を読んだ湊は表面的には星川を虐めているものの、実際は親友同士というか親友以上の関係になりたがっているようで、その湊の思いを知って利用してるような部分もあるのだが、星川がどれだけ自覚的で周囲を操っているのか、その辺がはっきりしていないのがモヤモヤする。彼の存在はバヨナ監督の『怪物はささやく』(2016)のコナー少年や是枝監督の出世作である『誰も知らない』の明を彷彿とさせるのだが、本作に関しては本当に彼が何を考えてるのか分からない。 言ってしまえば、完全に理性的な人物が誰もいないために、観てるこちらが落ち着かないままずっと話が展開していく。 複数の目で見ると言うことで、それぞれのキャラの偏見で物事を見ているということにしてるのかもしれない。しかしやはりこう言う作品だからこそ、映画のオチをつける真実が必要だ。 私の読解力不足で分かってないだけなのかも知れないのだが、もうちょっとすっきりした物語に出来なかったもんだろうか?ちと分かりにくすぎる。 挑戦は認めるが、どうしても点数は高くならない。 |
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真実 La vérité |
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フランス映画界の大スター、ファビエンヌ(ドヌーヴ)が自伝を出版することとなり、そのお祝いのためにアメリカで映画の脚本を書いている娘のリュミール(ビノシュ)が夫でアメリカ人俳優のハンク(ホーク)と娘シャルロット(グルニエ)を連れてお祝いに来た。だがその実リュミールは折り合いの悪い母が自伝で嘘を書いてないかどうかを確かめに来たのだった。そして実際、自殺した姉についての記述に大きな嘘が書かれていたことを指摘するのだが、ファビエンヌ自身は撮影が忙しいと言い放ち、会話をしようともしなかった。 前作万引き家族で見事カンヌ国際映画祭パルム・ドールを獲って名実ともに世界のトップ監督となった是枝監督。フランス映画界はそれを放っておかず、最新作はフランスで、しかも複数のスターを招いての作品となった。 これだけの実力派俳優を集めての作品は近年では珍しくて、実に見応えがあった。 ただ、実力派俳優が多数出ると言うことは、それぞれの役者の持つ癖が強いと言うことでもあり、それをどのようにコントロールするかが問われることになる。 本作ではそのコントロールがあまり効いておらず。やや役者に振り回されてしまったか?といった感じ。 役者の個性の強さをどうコントロールするかは監督も充分に分かっていて考えたのだろう。だからこそ、ドヌーヴを目立たせるために、敢えてベルイマン監督の手法を投入したし、その手法を用いて歩いても 歩いてもに似た設定で自分のフィールドに寄せて作ろうとしたのだろう。 ただ、そこで問題となるのがドヌーヴという強烈な個性という壁だった。 個性と言うだけで言うならドヌーヴは見事に演じて見せた。一見単なるわがままキャラに見えるが、役者としての誇りと孤高さ、孤独さと人恋しさなど、いろんなユニークさを併せ持った複雑なキャラを演じてくれた。 実にのびのび演技していたが、言い換えればそれはほぼ本人そのままに見えてしまうということ。ヴェテランに対して敬意を表したのかもしれないけど、驚きがない。これでは是枝監督作品というよりドヌーヴのプライベート作品としか言えないし、本当の魅力を引き出したようにも見えない。 更に娘役のジュリエット・ビノシュ、その夫役のイーサン・ホークはそれぞれ主役級のキャラなのに、全部ドヌーヴに食われたし、二人共演の力量も出せないままといった感じだった。 是枝監督は日本の気心知れた役者はちゃんと演技指導できるけど、この作品ではそれが無理だったのかな? 悪い訳じゃないんだけど、もう少し配役を考えてほしかったな。豪華な俳優陣の割にアンサンブルのパワーが出せてない。 あともう一つ言わせてもらうと、物語があるべきところにすっぽり収まりすぎ。決着の付かないモヤモヤした葛藤を描いてるくせに、なんとなく落ち着いてしまって新鮮な驚きを得ることができなかった。是枝作品の味って、流れるような中に、驚きを得られることなんだが、それが全く感じられない。 良い作品なんだけど、あと一歩の物足りなさを感じてしまう。 |
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万引き家族 2018 | |||||||||||||||||||||||||||
2018米アカデミー外国語映画賞 2018英アカデミー外国語映画賞 2018日本アカデミー作品賞、主演女優賞(安藤サクラ)、助演女優賞(樹木希林、松岡茉優)、監督賞、脚本賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、主演男優賞(リリー・フランキー)、美術賞、録音賞、編集賞 2018カンヌ映画祭パルム・ドール 2018LA批評家協会外国映画賞 2018ゴールデン・グローブ外国語映画賞 2018インディペンデント・スピリット外国映画賞 2018放送映画批評家協会外国映画賞 2018ブルーリボン助演女優賞(松岡茉優) 2018セザール外国映画賞 |
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東京の下町に住む柴田治(リリー・フランキー)を家長とする五人家族。それぞれ仕事をして家計を支えていたが、実は全員他人の集まりだった。生活が苦しくなると万引きをして生活必需品を揃えていたが、そんなある日、真冬の中アパートのベランダに佇んでいる女の子がいる事に気づいた治は、その子を家に連れ帰り、新しい家族として面倒を看ると宣言する。 様々な角度から、一貫して家族を描き続けている是枝監督。今度は、監督の出世作である『誰も知らない』に近い、日本の中で可視化されにくい貧困家庭をテーマに取った。 ただ、この作品の場合、『誰も知らない』から10年以上も経過した事もあり、同じやるせない貧困家庭を描きつつも、微妙にテーマを変えている。 『誰も知らない』の場合、救われることのない閉塞感の中、あえぐだけの子ども達を描くことで、家族のあり方を問いかけた。 主人公の明は、ただ血がつながっている長男と言うだけで、自分の責任を果たそうとする。そこには「家族は家長が面倒を看なければならない」という義務感だけしか存在せず、愛情もほぼ感じさせられない。そのために極めてドライな描写が特徴だった。 対して本作の場合、アプローチが全く異なる。ここに登場する家族は全員血のつながりを持たない。ただ治の愛情によってのみつながれる疑似家族である。その分良くも悪くも大変ウェットな話になった。 家長の治はこの疑似家族を家族として存在させる方法についてはっきり自覚している。 家長として自分がやらねばならないことは、家族みんなを愛することだけ。それが唯一家族をつなぎ止める方法と信じて疑わないからである。息子の祥太に万引きの方法を教えたのも、祥太を儲けの道具にしようとしてではなく、自分が教えることが出来るのはそれしかなかったからに他ならない。ゆりをさらったのも、愛情を受けずに放置されている子を見ていられなかったから、この子に愛をあげたかったという理由からで、これは純粋な善意のみによる行いである。 それだけ治は家族を愛している。彼にとって万引きとか、金儲けなどは意識することではなかったし、働く事自体も嫌いでもないので、怪我をするまではちゃんと働いていたし、家族が食べるための総菜などはちゃんと金を出して買ってる。 治がしたかったことは、家族を作りたい。家族に愛を与えたいというそれだけの思いだった。 しかし、その愛のあり方は血のつながった家族を単位とする社会の構図にははまれない。 治の思いはともかくとして、他の家族は治の思いに引っ張られてはいるものの、割と冷静に見ている。おばあちゃんの初枝は家族には黙ってお金を貯め込んでるし、高校生である事を隠して風俗で働く亜樹は、本物の家族に対する当てつけでこの家族ごっこに参加してる。そして祥太はこの不自然な関係をどこかで断ち切らねばならないと思い続けている。 特に祥太の思いはこの物語のもう一つのテーマでもあろう。どれほど愛情によって家族が作られようとも、社会に認められない家族は、いつか必ず崩壊することを自覚している。 治の妻信代もどちらかというと祥太と同じ立ち位置にいるが、それ以上に治の愛を信じているために積極的にはそれを口に出していない。 実際、危ういバランスの上に立っていたこの家族は、初枝の死によってあっという間に瓦解してしまう。祥太が敢えて万引きで捕まってみせたのは、この疑似家族はもう終わるのだという宣言に他ならないだろう。 結果として、愛情によってのみつなぎ止められる疑似家族というのは、これだけもろいものだという事を示すことになるのだが、一方では、愛さえあればこんな家族も作れるんだというメッセージ性もそこにはあるだろう。 『誰も知らない』と本作の対比によって見られるのは、社会的に認められた家族という単位で愛情が根底にあるならば、それは最高であると言う実に単純な事実なのだから。 ところで本作はカンヌで21年ぶりの日本映画のパルム・ドールを得たが、それから大バッシングが始まった。なんでも万引きを肯定的に捉えた映画は恥だとか言ってるようだが、この作品をちゃんと観れば、万引きは犯罪であり、やってはいけないとはっきり言ってるのは分かるだろうに。なんでそれが分からない? …タイトルが悪いんだろうな。批判する人は映画自体を見ないだろうし。でもそのためにヒットしたのだから善し悪しか。 |
三度目の殺人 2017 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2017日本アカデミー作品賞、助演男優賞(役所広司)、助演女優賞(広瀬すず)、監督賞、脚本賞、編集賞、音楽賞、撮影賞、照明賞、録音賞 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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前科のある三隅(役所広司)が、解雇された工場の社長を殺した容疑で逮捕起訴されていた。既に過去殺人を犯していた三隅は死刑は確実とされていたが、言っている事に一貫性が無く、彼が一体何を求めているのか分からなかった。三隅の弁護人摂津(吉田鋼太郎)は匙を投げてしまい、同僚の重盛(福山雅治)に下駄を預ける。真実は誰もわからないのだから、メリットのある結果を出す」というモットーを持つ重盛は、まず三隅が何を求めているのかを調査する事から始めるのだが… ここのところ毎年連続して映画を作っている是枝監督の最新作。正直前作『海よりもまだ深く』は準備不足のためか、さほど興味が引かれるものにはならず。こんなのを繰り返してたら、どんどん質が悪くなる一方だと思っていた。しかも本作は監督初のサスペンス作品。色々不安ばかりが先行していた。 ところが蓋を開けてみたら、これがなんとかなりの良作。サスペンスとは言っても監督のテーマである家族の問題へとちゃんと落とし込んでいるし、崩壊する家族と再生する家族が複雑に絡み合う構造は、これまでの作風の延長でありながら、しっかり進歩している。一体監督はどこまでこのテーマを自在に扱ってくれるのかと感心する一方で、ますますこれからの期待が高まる作品でもあった。 本作の良さというのを改めて考えてみたい。 まず三隅の言動が一致しないということ。あまりに真剣に語るため、これが本当か?と思われたら、その後あっけなく前言を否定したりして弁護士を煙に巻く。死刑になるか否か、自分の命がかかっているのに敢えて死刑になろうとしてるかのような心証を悪くするような真似をするのか? 弁護士の重盛はそれを掘り下げていく事になり、観てる側はその過程を楽しむ作品となる。これはかつて『砂の器』(1974)や『人間の証明』(1977)など松本清張や森村誠一らが得意とした実直に証言を重ねる事で真実に近づこうという推理小説の定式に則っている。 実直さだけが取り柄というこの作風は現在では廃れたけど、逆に今の時代にこれをやるのは新鮮でもある。 更に映画的要素の面白さとして、捜査を進めるに当たり、捜査をしている本人の過去が描かれていくというのも良し。先に挙げた2本も又、そう言う捜査するキャラの魅力を掘り下げたことで映画史に残る作品に仕上げられてもいるので、ちゃんとその辺踏襲してることが分かる。 だからその古さが一つの魅力となっているのは確かである。 だが、それだけではまだ本作の魅力は借り物でしかない。 もう一つの面白さは黒澤明の『羅生門』(1950)同様、真実は藪の中というのもあるだろう。色々暗喩は示されるし、観ている側には「これが真相かな?」と思わせるように作っているのだが、あくまで真実は語られない。唯一全てを知る三隅は何も喋らないまま死刑にされる。 そのもどかしさが面白さに転換してる。 かつて『羅生門』のレビューで私は「生の実感」と言う事を書いたが、本作も重盛が三隅の行動を探る事で、謎の奥へ奥へとは言っていく内に生の実感とはなにか?という領域に踏み込む事になる。それが身に迫るから面白さがある。 最終的には真実なんてどうでも良くなる。観てる人一人一人が真実と思ってるなら、それで良いじゃないか。なんて風にさえ思えてくるし、それがちゃんと作風になってる。 真実は分からなくてもいい。それでも作品はちゃんと出来る。それを示しただけでも充分。 そして本作にはもう一つの魅力がある。 三隅の言動を負った重盛は、そこで三隅の家族を知る。殺人犯の三隅は家族の一生をめちゃくちゃにしたのは事実で、だからこそ全員三隅を恨んでいる。家族は当然崩壊状態である。 ところが何故か三隅はとても真摯な言動で家族について語る。死を前にしていながら、しかも家族からあれだけ恨まれるような事をしているのに、家族に対してあんなに優しいのか。 それは結局三隅が家族を作ろうとしていたということが重要になるのだ。彼が殺した山中の娘で広瀬すず演じる山中咲江は彼にとって新しい家族であり、彼女を守るためにはどんなことでもしようとしていたということが分かってくる。 自らの身をなげうってでも彼女をかばおうとする理由は、劇中いくつもの暗喩が示されているが、それについて一切語ろうとせず、全て自分が背負い込む事で、自分の責任として死のうとしてる。 そこで本作は実はこれまでの是枝監督作品と同様、やはり家族を描こうとしていた作品であったと言う事が分かるのだ。 是枝監督は全くぶれない。それを実感できたことが本作の一番の面白さだったかも。 |
海よりもまだ深く 2016 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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15年前に文学賞を受賞して以来鳴かず飛ばずのまま年を重ね、今は小説の題材作りと自らを慰めつつ探偵会社でこすい稼ぎを重ねる篠田良多(阿部寛)。分かれた妻響子(真木よう子)と息子の太陽(白石真悟)に未練を残しつつ、何も書けないまま日々過ごしていた。そんなある日、月一回の太陽との面会日に、太陽を実家に連れて行くのだが、そこには母篠田淑子(樹木希林)だけでなく姉の中島千奈津(小林聡美)夫婦もいた… 昨年『海街diary』で見事日本アカデミー作品賞受賞という栄誉を受けた是枝監督。確かにこの作品は私にとっても2015年最高の作品だったと思ってもいる。 そして大概この手の力入れた作品を作った後はしばらく充電期間を置くことが多い是枝監督にしては珍しく、僅か一年後に本作が公開。割と早いスパンで本作が出来上がっている。 ただ、そのスピードのせいなのだろうか?確かに面白い作品とは思えるけど、監督らしさというのがちょっと感じられないような気にさせられた。 正確に言うと、本作は実に監督らしい作品でもある。これまで監督がテーマとしてきた家族関係に真っ正面から取り組んでいるし、一度崩壊してしまった家族関係を改めて問い直すというこのパターンは私自身にとってもツボにはまる作品である。 ただ、観ている間、何かが足りないような気がずっとしていた。 それが何か、改めて考えてみると、それは多分“チャレンジ精神”だったんじゃないか? 監督が一本の作品を作った後、それなりに充電期間を置くのは、表面に見えるものだけでなく、その於くに掘り下げるべきもの、画面を通して、見たまんまではない何かが提供されることだった気がする。それを演出するために、かなり時間をかけていたのではないだろうか。その期間が少なかったと言う事は、新しい“何か”を入れることが出来ず、ありもので作ってしまったという印象を受けてしまう。 夢を目指していながら、生活に追われるいい加減男を主人公にするのは、確かに監督にとっては初めてかも知れないけど、前に『奇跡』で、そのような父親に振り回される家族を描いていることから、既に目新しさはないし、勝手し放題で亡くなった父親を再評価するという部分は前作『海街diary』でやってる。そしてそれに代わる新しい価値観が、少なくとも私には見えてこなかった。 作品としての質は高いし、ちゃんと微笑ましい笑いも取り入れてる演出も良い。何より役者がみんなちゃんとはまってる。全てにおいて質は高いが、もう一歩、「おっと」と感じさせてくれる何かを入れてもらいたかったところだ。 その「もう一歩」なんて面倒なことを考えなければ充分楽しめる面白い作品なので、それは私の求めすぎって事なのかも知れないな。 |
海街diary 2015 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2015日本アカデミー作品賞、監督賞、撮影賞、照明賞、主演女優賞(綾瀬はるか)、助演女優賞(夏帆、長澤まさみ)、脚本賞、音楽賞、美術賞、録音賞、編集賞新人俳優賞(広瀬すず) 2015カンヌ国際映画祭パルム・ドール |
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鎌倉在住の三姉妹。長女の香田幸(綾瀬はるか)はお母さん役で地元の病院勤務の看護師。次女の佳乃(長澤まさみ)は信用金庫で働くどうも男運が良くない。三女の千佳(夏帆)はスポーツ用品店に勤めている。そんな三姉妹の元に、かつて愛人を作って15年も音沙汰のない父の訃報が届く。その葬儀の際、三人の腹違いの妹に当たる浅野すず(広瀬すず)と出会い、天涯孤独となったすずに鎌倉に来るよう誘い、そして四人の生活が始まる。それは日常的で、仲間に囲まれた暖かい時間なのだが… 吉田秋生による同名原作漫画の映画化作。吉田秋生と言えば、かつて最も少年漫画に近い少女漫画家と言われ、わたし自身も「BANANAFISH」や「吉祥天女」は購入して持っていた。本作の原作は未読ながら、是枝監督が作ると言うので、これは観ずにはおられんと言う事で拝見してきた。 一見して分かるのは、本作はとても雰囲気が良いと言うこと。 何か大きな事件が起こるという訳では無いが、日常生活の中にあるちょっと棘のようなものを上手く捉え、それらを家族が包み込んでいくという部分をとにかく力を入れているので、それがとても心地良い。 特に本作は食事シーンが良い。全編を通して食事のシーンは多いのだが、それらは全て複数の人物でとっている。それは家族であったり、仲間内であったりするのだが、食べている間はみんなが優しく、お互いを支え合って生きていることが分かってくる。 家族を作るということと、みんなで食事をする。この二点は私にとっての見事なツボであり、それがあると言うだけで本作は私にとって、とても気持ちの良い作品である。 さて、それで本作の是枝監督のフィルモグラフィにおける意味合いというものを考えてみたい。これまでの是枝作品は基本的に家族をテーマにしてきた。その根本的にあったのは、家族の崩壊を越えて新しい家族を作ると言う点にある。 一度壊れてしまった家族が再び元に戻る、もしくは新しい家族を作ると言うのは困難を極めるが、その困難を丁寧に描くことは、立派な一ジャンルでもあるが、それを自らのフィルモグラフィ全てで作ると言う姿勢には頭が下がるし、だからこそこの監督には強烈に惹かれるのだろう(とは言え、全部の作品を観たわけではないので、こう言いきってしまうのは危険だが)。 そして本作で最も評価したい部分だが、この作品、これまでの監督の作品から更に一歩進めた。 それはこれまで家族として捉えるのは、生きている人に限っていたのだが(当然だが)、それを死者にまで範囲を広げたと言う点である。 本作には物語の多くのパートに“死”を思わせるセンテンスが挿入されている。それは冒頭の葬儀のシーンから始まり、近所で親しくしていた人の葬儀、何回忌だか分からぬが祖父の回向など、明かなシーンのみならず、軽いシークェンスとして仏壇に手を合わせるシーンがあったり、いなくなってしまった人を懐かしんで会話するシーンがあったり、何より鎌倉の古い家屋の中に、自分の知らぬ昔の人のぬくもりを見いだすシーンなど。 死者はいなくなったにあらず。家族がその心に覚えている限り、そこに生き続ける。そんないなくなった人を含めて、家族というのが作られていく。監督はその一歩に踏み出したのだ。だから本作の登場人物とは、目に見えるだけではなく、目に見えないところにしっかり登場人物がいるのだ。それが人間の生活というもの。その意味で古都であり、自然と人間が作り出した人工物が折り重なるようになっている鎌倉という場所を舞台にしたのは大正解だろう。 結果として、観ている間、不思議な空間の中に心地良く浸れることが出来る。そこを何より評価したい。 そして当然ながら、それを支えるキャストの力量が素晴らしい。死者を含めた空間を埋めるヴェテラン勢の巧さは勿論、命の躍動感に溢れる広瀬すずの存在感は見事である。彼女はこの落ち着いた空間には異物に近いのだが、その生命感が物語を引っ張っていっている。そのバランスが絶妙だった。 何が起こるという物語ではないのだが、この空間に浸っているだけでなんか落ち着くというこの作品は、とても心地良い。 |
そして父になる 2013 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2013日本アカデミー助演女優賞(リリー・フランキー)、助演女優賞(真木よう子)、作品賞、主演男優賞(福山雅治)、主演女優賞(尾野真千子)、監督賞、脚本賞、照明賞、録音賞 2013カンヌ国際映画祭審査員賞(是枝裕和)、パルム・ドール 2013日本映画批評家協会助演男優賞(リリー・フランキー) 2013ヨコハマ映画祭脚本賞、主演男優賞(福山雅治)、助演男優賞(リリー・フランキー)、第4位 |
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大手建設会社のエリート社員野々宮良多(福山雅治)は妻みどり(尾野真千子)と6歳になる息子慶多(二宮慶多)との3人で何不自由ない生活を送っていた。だがある時、慶太を取り上げた病院からの連絡で、斎木雄大(リリー・フランキー)という群馬の電気屋の息子琉晴との取り違えが起こっていたと知らされる。両夫婦は戸惑いつつも話し合いの場を設けるが… 取り違いをテーマに、親子の絆のあり方を描いた作品。是枝監督はこれまでのフィルモグラフィ見ても、明らかに家族というものをテーマとして描いているが、その中でもとても質が高い作品となった。 個人的に言わしてもらえれば、家族を作ること、家族を再生させることをテーマにした映画はモロにツボであり、まさにこれは観なければならない作品と思ってたが、まさしくこれが観たかった!というもので設定としては大満足。 ところで家族の再生を扱った場合、二つの方向性がある。一つは、一度壊れてしまって、修復不能に見えた家族を、努力によって修復していくというもの。『普通の人々』(1980)、『海辺の家』(2001)などがそうだろう。もう一つは、突然家族にされてしまって、戸惑いながら受け止めていくもの。『アバウト・ア・ボーイ』(2002)などがある。又、『クレイマー、クレイマー』(1979)のようにそれを複合的に捉えた作品もある。それらにも様々な切り口があり、立派なジャンルであろう。 その意味において本作を考えると、本作もまた複合的なものとして捉えることができるだろう。 取り違いによって、これまでの家族であったものが一度崩れ去り、本来の家族に戻る。この際新しい家族として一から出直しとなるため、前述した二つの方向性のどちらにも関わってくる。こんなアプローチの仕方があるのか。と、感心できる構成であり、物語にもそれが過不足なく関わっている。最初の設定の良さを十二分に生かした物語となっている。 物語のフローを見てみると、最初、それなりに上手くいっていた家族の様子が、取り違えの事実が明らかになることで、一度家族関係が壊れてしまう。ここでこのまま息子を息子として育てるか、それとも本当の息子を取るか、二つの選択肢が主人公良多に突きつけられる事になる。この時点で良多が考えていることは、かなり単純。間違ったことを正すのか、さもなくば間違ったままで、これまでの家族関係を続けるのか。この二つの選択のみとなる。子供の幸せについても考えはしてるが、それは、社会的な成功者である自分の方に残るのが子供にとっても幸せに違いないと考えているから。金のことばかりを言う相手側の家族のあり方に嫌悪感のこもった目で見ているし、友人から「二人とも引き取ったら?」との言葉に心が揺れるのも、当然自分の方に来ることが正しいからという価値観での発言になっている。 ここでは、自分は間違ってないのだから、自分は正しいという思い上がりの心が見え隠れしているようだ。間違ってないことと正しいことは別物なのだが、そこを履き違えている。 ここまでは彼にとって事態は単純なものだった。「俺は正しい。何故なら俺は間違ってないから」だったのだから。しかしもう一つの家族のあり方を見るにつけ、少しずつその考えが変わっていくことになる。彼から見れば貧しく、向上心もなさそうなその家庭の子どもたちはみんな楽しそうなのだ。その子どもたちに混ざることで、自分の息子まで(今まで見せたことのないような笑顔で)楽しそうにしてる。この辺りから確信は揺らいでくる。更に自分のエリート指向を決定付けた実父の様子を見て、家族とは一体何だろう?と考えるようになっていく。 ここからが本作の本領発揮となる。 実は本作、それに対して明確な答えを用意しておらず、敢えて結論をぼかすことによって余韻を残す構造としている。ここが面白い。構造的には結論を出すのは簡単なのだが、それを避けたことで本作はぐっと面白くなった。最後に良多が慶多に対し、自分自身を「出来損ないだったかも知れないけど、お父さんだったんだ」という台詞。短い台詞かも知れないが、これはこれまで彼が生きてきたことの総括であり、新生の宣言となっていく。これからどうなっていくのかはまだ分からないが、それは観ている側に投げかけられた問いと捉えることも出来る。 果たして子どもにとっての幸せって何だろう?あるいは自分自身が子どもに対して望むものが大きすぎるタイプなのかも?一緒に観た嫁さんからもチクチクと痛い指摘を受けたりもした。最後に慶多に向かって、「(自分が)完全じゃなかった」と語ることで、これまでの自分の人生を総括し、新しく生き直す決断をしてる姿が余韻たっぷりで実に良し。 家族を持つ人であれば、色々と思い当たることがあるだろうし、自分自身の家族に対する視線についても考えさせる。 この作品の最大の面白さはそこにある。主人公の悩みを現実の自分自身の悩みに直結させ、自分自身を振り返させる。エンターテイメントとしての映画の重要な役割の一つで、そこに到達できる作品は極めて少ない。その境地にまで達した作品とも言える。 こんな中途半端な物語がカンヌで絶賛され、更に速攻でスピルバーグがリメイク権買ったというのは、そんな微妙な感情の領域に達しているからに他ならない。 |
奇跡 2011 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2011日本映画プロフェッショナル大賞ベスト第6位 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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空気人形 2009 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009日本アカデミー主演女優賞(ペ・ドゥナ) 2009日本映画プロフェッショナル大賞主演女優賞(ペ・ドゥナ)、第3位 2009キネマ旬報日本映画第6位 2009ヨコハマ映画祭第5位 2009映画芸術ワースト第1位 |
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歩いても 歩いても | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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花よりもなほ 2006 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006アジア映画女優賞(宮沢りえ) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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誰も知らない 2004 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004日本アカデミー助演女優賞(YOU) 2004カンヌ国際映画祭男優賞(柳楽優弥)、パルム・ドール 2004ブルーリボン作品賞、監督賞 2004日本映画プロフェッショナル大賞ベスト6 2004キネマ旬報邦画1位 2004毎日映画コンクール日本映画優秀賞、録音賞、スポニチグランプリ新人賞 2004報知映画作品賞 2004ヨコハマ映画祭主演男優賞(柳楽優弥)、第3位 |
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地方にあるアパートに福島けい子(YOU)とその子明(柳楽優弥)。けい子は大家に二人暮らしと請け合ったが、実はこどもは四人おり、全員父親が違っており、誰も学校に行っていなかった。何にも家事をしようとしないけい子に代わり、明が家族の面倒を看ていたが、それなりに幸せな生活が始まる。そんなある日、新しい男ができたけい子は、わずかな現金を残して突然家を出ていってしまうのだった。残された明たち四人兄弟は残された僅かばかりの金で暮らし始めるのだが… 現在色々と問題になっている家庭内暴力の問題。一昔前は家庭内暴力と言えばもっぱら子供が親に対するものばかりが喧伝されていたが、実際はもっと根が深い。子供から親に対するものよりももっと深刻なのが親から子供に対する暴力。昔から行われてもいるのだが、経済強者である親が隠せば表面に出難いと言う側面がある。ただそれも近年になってからやっと法的なメスが入れられるようになり、その実態が明らかになった。特に近年は親が親として機能できないというか、親としての役割を簡単に放棄してしまう人がいる。現在大きな問題になっているのがこれ。現在ネグレクトと呼ばれるものである。遺棄、衣食住や清潔さについての健康状態を損なう放置(栄養不良、極端な不潔、怠慢ないし拒否による病気の発生、学校へ行かせない、など)のこと。ネグレクトされた子供は成長過程に大きな阻害を受けてしまうとも言われるが、それをまっ正面からとらえたのが本作である。 ここでの子供たちは親(ここでは片親の母)に愛されていないわけではない。それなりに気もつけられてもいるが、それよりも親の側が自分の方を優先してしまったため、結果的に放っておかれてしまった。ここで母親のしたことは虐待ではない。だが、彼女は完全に子供達を無視した。これほどの虐待はない。結果として子供達は人間としてではなく、動物として生きることとなった。 これは大変な問題でありながら微妙さも併せ持つ。80年代はこう言う場合、子供を施設に入れにくかったのだ。ネグレクトしていても完全に親権を放棄したのではないし、必要な金を送っていると言う事実もある。更に住んでいるのが孤立したアパートで、子供たちは他に頼れる人を持たない。気づかれ難さも手伝って、彼らは子供だけで生きてきてしまった。 この映画は事実を元にした創作の話で、内容は人間ドラマが主軸ではあるが、私は社会問題の方で観てしまった。正直そのキツさにめげてしまって適切なコメントを入れることが出来ず。 |
ワンダフルライフ 1999 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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