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アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
Alejandro Gonzalez Inarritu

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鑑賞本数 合計点 平均点
allcinema Walker ぴあ IMDb CinemaScape
wiki キネ旬 eiga.com wiki(E) みんシネ
書籍
2015 レヴェナント:蘇えりし者 監督・製作・脚本
2014 バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 監督・製作・脚本
2013
2012
2011
2010 BIUTIFUL ビューティフル 監督・製作・脚本
2009
2008 ルドandクルシ 製作
2007 それぞれのシネマ 〜カンヌ国際映画祭60回記念製作映画〜 監督
2006 バベル 監督・製作
2005 美しい人 製作総指揮
2004
2003 21グラム 監督・製作
2002 11'09''01/セプテンバー11 監督・脚本
2001
2000
1999 アモーレス・ペロス 監督・製作
1998
1997
1996
1995
1994
1993
1992
1991
1990
1989
1988
1987
1986
1985
1984
1983
1982
1981
1980
1979
1978
1977
1976
1975
1974
1973
1972
1971
1970
1969
1968
1967
1966
1965
1964
1963 8'15 メキシコシティで誕生

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タイトル

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レヴェナント:蘇えりし者 2015
2015米アカデミー主演男優賞(ディカプリオ)、監督賞、撮影賞、作品賞、助演男優賞(ハーディ)、美術賞、衣装デザイン賞、メイクアップ&ヘアスタイリング賞、視覚効果賞、音響賞、編集賞
2015英アカデミー作品賞、主演男優賞(ディカプリオ)、監督賞、撮影賞、音響賞、
作曲賞、メイクアップ&ヘアー賞、編集賞
2015ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ディカプリオ)、監督賞、
音楽賞
2015放送映画批評家協会主演男優賞(ディカプリオ)、撮影賞、
作品賞、助演男優賞(ハーディ)、監督賞、編集賞、ヘア&メイクアップ賞、視覚効果賞、音楽賞
2016MTVムービー・アワード男優賞(ディカプリオ)、
実話作品賞、格闘シーン賞、悪役賞(ハーディ)

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アーノン・ミルチャン
スティーヴ・ゴリン
アレハンドロ・G・イニャリトゥ
メアリー・ペアレント
ジェームズ・W・スコッチドープル
キース・レドモン
ブレット・ラトナー
ジェームズ・パッカー
ジェニファー・デイヴィソン
デヴィッド・カンター
ポール・グリーン
マーカス・バーメットラー
フィリップ・リー(製)
マーク・L・スミス
アレハンドロ・G・イニャリトゥ(脚)
レオナルド・ディカプリオ
トム・ハーディ
ドーナル・グリーソン
ウィル・ポールター
フォレスト・グッドラッグ
ドウェイン・ハワード
アーサー・レッドクラウド
グレイス・ドーヴ
ポール・アンダーソン
ルーカス・ハース
ブレンダン・フレッチャー
クリストッフェル・ヨーネル
ジョシュア・バーグ
ロバート・モロニー
★★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
レヴェナント 蘇えりし者(書籍)マイケル・パンク
 1823年。移民によるハンターチームが毛皮を求め、アメリカ中西部を旅して回っていた。ネイティブによる襲撃をかわしつつ、拠点であるサウスダコタ州カイオワ基地まで旅を急いでいたのだが、との旅の途中熊の襲撃に遭い、ガイドのヒュー・グラス(ディカプリオ)は重傷を負ってしまう。その面倒を看るために残ったジョン・フィッツジェラルド(ハーディ)は、ヒューを見限り、そのまま埋葬してしまい、同じく残ったヒューの息子ホークを殺害してしまう。だがヒューは生き残っており、復讐のための旅を始める。
 アメリカで実際に起こったという、ほとんど死にかけていた人間が320キロもの移動をして生還したという話を題材にした物語。当時の本国アメリカでは当時大変な評判であったらしく、複数の伝記小説が描かれているが、その中で1971年にマイケル・パンクによって描かれた「Man in the Wilderness」をベースにして映画化(実は
『荒野に生きる』という題でリチャード・C・サラフィアン監督により過去に一度映画化されている)。
 昨年見事に『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』でオスカーを得たイニャリトゥ監督が映画化。作品賞こそ逃したものの、二年連続で監督賞でオスカーを得るという快挙を成し遂げた。
 『バードマン』は完全に映画マニアのこじらせ作品だと認識しているのだが、今度は極限のサバイバルと自然を描く作品とされ、全く毛色の違う作品になるんだろうと、少なくとも本作を観る前まではそう思っていた。

 だが、結果として、やっぱりこれ、
映画マニアがこじらせた作品そのまんま。映画マニアのイニャリトゥ監督のカラーがこれでもか!と出ており、ある種完全に作風は固まってる感じを受ける。
 箱庭のような世界での作品を得意とする監督が大自然の作品を作った時にどうなるのか。それは、どんなに広大な作品を作ったとしても、
やっぱり箱庭になるということである。
 いや、スケール感はあるし、大自然の厳しさってのも凄いレベルで感じる事は出来るのだ。ただ、出来たものを観ると、“主人公が移動した320キロの長さに及ぶ箱庭”感が半端ない。
 大自然を映しているのだし、事実目の前にあるのは大自然であるのに、この作り物じみた感覚は一体何か?と考えるに、それはこの作品が壮大な映像的技術によって作られているからであろう。
 ここで出ている大自然は、どことなくリアリティがない。それは見ている側の人の目が、「これはどこかで見たような?」という思いをさせられるからだろう。
 それは例えば、タルコフスキーであったり、ベルイマンであったり、はたまた黒澤明だったりする。かつて映画の中で観た大自然の描写を監督は再現して見せようとしたのだろう( 私の場合、この作品を観ている内にシュトロハイム監督の『グリード』(1924)を何故か思い出した。)。だからこそ、目の前にあるのは大自然なのに、それが作られたものに見えてくる。物語の端々に現れてくる心情風景も又、その作り物っぽさを強調している。
 そんな作り物っぽさの強調こそが監督の狙いかと思うし、だからこそ本作はとても特徴づけられた作品になっている。

 更に、本作はサバイバルっぽさがないのも不思議な特徴になっていると思われる。普通この手の作品は、大自然に挑む人間の努力や、乗り越えていく力を描くものだ。勿論本作でもその描写は多々あるのだが、むしろ本作で描かれるのは、
どんなに努力していても死ぬ時は死ぬという達観に彩られてる感じがする。人がどれだけ努力していても自然は人間には微笑んでくれないし、どんなに生きる意志があっても人はあっけなく死ぬ。大自然に挑んで人が生き残るのは、ほんとうに偶然にしか過ぎないということを淡々と描いているかのようだ。そんな虚しさのようなものが根底にあるからこそ、本作はどこか全てを突き放した達観を見せる事になる。本作がベルイマンの作品を思わせるのはそこにあるのだし、監督自身も、そこを目指したのではないだろうか。

 その結果として、本作は掛け値無しに映画マニアが作りたいように作った作品にしか見えないものになってしまった。そしてそれはそれで、とても心地良い。実にこれは正しい、イニャリトゥ監督の映画なのだから。
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡) 2014
2014米アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞、撮影賞、主演男優賞(キートン)、助演男優賞(ノートン)、助演女優賞(ストーン)、音響賞
2014英アカデミー撮影賞、
作品賞、主演男優賞(キートン)、助演男優賞(ノートン)、助演女優賞(ストーン)、監督賞、オリジナル脚本賞、作曲賞、編集賞、音響賞
2014LA画批評家協会撮影賞
2014ゴールデン・グローブ男優賞(キートン)、脚本賞、
作品賞、助演男優賞(ノートン)、助演女優賞(ストーン)、監督賞、音楽賞
2014インディペンデント・スピリット作品賞、主演男優賞(キートン)、撮影賞、
監督賞、助演男優賞(ノートン)、助演女優賞(ストーン)
2014放送映画批評家協会主演男優賞(キートン)、アンサンブル演技賞、脚本賞、撮影賞、編集賞、音楽賞、コメディ映画男優賞(キートン)、
作品賞、助演男優賞(ノートン)、助演女優賞(ストーン)、監督賞、美術賞、コメディ映画賞
2015MTVムービー・アワード女優賞(ストーン)

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アレハンドロ・G・イニャリトゥ
ジョン・レッシャー
アーノン・ミルチャン
ジェームズ・W・スコッチドープル
クリストファー・ウッドロウ
モリー・コナーズ
サラ・E・ジョンソン(製)
アレハンドロ・G・イニャリトゥ
ニコラス・ヒアコボーネ
アレクサンダー・ディネラリス・Jr
アルマンド・ボー(脚)
マイケル・キートン
ザック・ガリフィナーキス
エドワード・ノートン
アンドレア・ライズブロー
エイミー・ライアン
エマ・ストーン
ナオミ・ワッツ
リンゼイ・ダンカン
メリット・ウェヴァー
ビル・キャンプ
クラーク・ミドルトン
★★★★☆
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 かつてヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡したハリウッド俳優リーガン・トムソン(キートン)は、それ以来約20年間ヒット作に恵まれずに腐りきっていた。そんなリーガンが再起を賭け、レイモンド・カーヴァーの短編小説「愛について語るときに我々の語ること」を舞台向けに脚色し、自ら演出と主演を務めブロードウェイに進出しようとする。失敗確実と言われたこの舞台に、プレッシャーを抱えたまま挑むリーガンの耳に、封印したはずのバードマンの声が聞こえてくる…
 2014年の並み居る作品群を押しのけ、見事オスカーをもぎ取った作品。過去イニャリトゥ監督作品は『バベル』でノミネートされ、あの時こそ取っていて然りだったが、一敗地に塗れ、8年後についに栄冠をもぎ取ることとなった。
 で、出来はどうかと言われると、結構複雑な感じがある。おそらくアカデミー好みなのは『バベル』の方だろう。正直『インファナル・アフェア』(2002)の劣化作としか思えなかった『ディパーテッド』(2006)よりもこっちの方に取らせるべきだった
(出来が良いとは言いがたく、あくまで多分アカデミー後のみだろうってことだが)。本作はインディペンデント性が高すぎて、アカデミーには嫌われるんじゃ無いか?と言う感じ。観ていてなんだが、正直これをオスカー作品にさせたくないという気にもさせられる。
 ただし、私個人で言うならば、こっちの方が好み…というか、
実はこの手の作品が無茶苦茶に好きだから始末に負えない。本当に好みの作品だからこそ、メジャーになって欲しくないという複雑な思いにさせられる。

 何というか、この作品、
「こじらせきった映画小僧のために作られた作品」と言うのが一番しっくりくる。
 映画ファンというのは何通りもあるけれど、自称「ファン」で陥りやすいのが、映画の技法最上主義になってしまうこと。とにかく変わった手法やカメラワーク、編集こそが映画の醍醐味と思い込み、そういう映画を一番だと思い込むこと。物語に至っては、わかりにくいほど良く、そこにメタフィクションやらフラッシュバックやらをふんだんに取り入れたものを好むようになってしまう。
 確かにこれは一つの映画の楽しみ方ではある。でもいくつもの楽しみ方の一つとして考えるべきもので、そればかりを追い求めると、小難しい理屈ばかりをくどくど述べるばかりの嫌われ者批評家になってしまう。
 これは高じた映画ファンなら誰でも通る道だし、そのような過程を通って、映画を見る目は養われていくものだ。

 ただ、中にはそれをこじらせてしまう人というのもいて、批評家としてはかなり厄介な人間が現れてしまうことにもなる…誰とは言わんけど。

 本作は、そういったこじらせきった技法をもの凄くたっぷり味わえる作品である。その技能について、いくつか項目を分けて考えてみよう。

 1.本作は徹底した長回し映画である。
 映画の技法とは基本的にはカット割りである。このことは、映画の黎明期からのセオリーで、いくつもの角度や時間から撮影されたショットを一連の流れに乗せることによって、映画の画面内にいくつもの効果を作り出す事が出来る。だから映画は常に編集というものを重要視してきた(小津安二郎の映画はその典型だ)。
 だが、その流れとは別に、一本のフィルムを丸々使い切って、切れ目なしの演技を見せるという技法もまた存在する。それが長回しといわれるものである。前述したカット割りとは対極にあるが、いかにカメラを移動させ、どんな角度から誰を写すか。どうカメラを振って画面に収めるか、等々これまた芸術的センスが問われるために、割と好まれる手法でもある。
 そして本作は、この矛盾した二つの技法を一緒にやろうとした作品と言える。
 普通の撮影ではこの二つは絶対に一緒にはできない。だが映画撮影技術の向上は、それを可能にした。
 本作は一見全く切れ目が無い長回しのみで作られているように見える。それだけでも希有な作品で、これまでそれをやったのはヒッチコックの『ロープ』(1948)くらい。当時はフィルムの長さが決まっていたので、フィルム切れのところで暗闇か光を写し、そこでフィルムの交換をするという作りをしていた。つまり、フィルム一巻使い切るまでは長回し撮影をしなければならなかった。それに対し、撮影がデジタルになったことと、ブルーバックの撮影が出来ることで、この作品は非常に細かくカット割りを行えるようになった。部屋を移動する度に実は撮影を停止させることが出来るので、それが長回しをしながらカット割りをするという芸当が出来てしまった。これまでにもいくつかの作品でそれは使われている方法だが、一本丸々長回しと思わせてそれをやってしまった最初の例となる。
 本作がオスカーを取れた理由の第一の理由はここにある。この作品を観た映画人の多くは「この手があったか!」と思っただろうから。

 2.本作は超能力を演出の一つに使っている。
 オープニングシーンでいきなりリーガンが空中浮遊しているシーンがあるが、それが実に自然なので、観てる側としては最初にぎょっとしながら観始め、その後リーガンが怒りを発する度にその能力を発揮するシーンを見せられることになる。
 この部分なのだが、敢えてこれをCGとかに頼らず、手動の特撮でやったというところが、
「分かってらっしゃる!」と思わせてくれる。
 映画ファンの矛盾ではあるが、CGとかで最先端の映像美を観たいという思いと共に、あくまで汗を流して手作りで作ってくれる特撮にどうしようも無く惹かれていく。そもそも「よりリアルに。本物と間違えさせよう」ということから始まった特撮が、今やいかにも特撮を使ってます。という手作り感覚の方に惹かれてしまうのは大いなる矛盾。しかしその矛盾を敢えて見せられると、やっぱり優しい気持ちにさせられてしまう。

 3.本作はメタフィクションである。
 正確に言えば、これはメタフィクションでは無く、揶揄に近いのだが、本作の主人公がマイケル・キートンであるというそれだけでニヤついてしまうのを止める事が出来ない。なんせ
『マイ・ウェイ』というヒット作もあったとは言え、キートンの最大のヒットは『バットマン』(1989)のバットマン役なのだから。それを敢えて『バードマン』という過去の映画の栄光にすがるキャラにさせてしまうなど、観てる側からすれば自然と頬がほころぶ。特に後半、ストレスのあまりに実体まで現れてしまったバードマンが耳元で囁いてるとか自虐描写があまりに深く、それだけに観てる側からすれば、にやつかざるを得ないだろう。

 4.本作は映画と舞台劇の演出を意図的に使っている。
 本作の設定はかつての映画スターがブロードウェイでの再起を賭けるというものだが、映画の都ハリウッドと舞台の本場ブロードウェイにはいくつもの協力関係と同時に、大きな温度差がある。それは西海岸にあるハリウッドと東海岸にあるブロードウェイの違いではあるが、一本一本が生で演技者の技量を求めるブロードウェイ視聴者は、リテイクを前提とする映画に対する見解が異なると言う事。それが端的に表されるのが劇中ブロードウェイの批評家が主人公を徹底的にけなすシーンとなってる。なんでブロードウェイ批評家は映画人を目の敵にするのか、それが分かってるとやっぱりにやつける。
 ただ、それだけでない。本作が敢えて長回しを使っているのは一発撮り(と思わせる手法)で、より演出を舞台劇に近づけるために意図的に行っていること。これはつまり舞台劇のバックステージものの舞台劇を演劇的な演出で映画として撮影するという、実にややこしいことをやっていることとなる。

 …と言う事で、そのどれを見ても、本っ当にこじらせた映画作りをしてるとしか思えない。正直、イニャリトゥ監督、自分自身に酔ってるとしか思えないようなこじらせ過多なんだが、それでちゃんと映画になってるところが小憎らしい。
 それは良く言えば、70年代のゴダールやトリフォー的な映画作り。あるいは押井守と言う映像作家がアニメという媒体を使ってやろうとしたことに極めて近い。
 そして困ったことに、そんな演出が大好きだって人間がここには存在している。ナンダヨコノダイコウブツハ…
 何というか、まさにこの私のために作ってくれたかのような、まるでおもちゃ箱のような作品であった。私にはこの作品をけなすことはできん。けなす資格が無い。

 

バベル 2006
2006米アカデミー作曲賞、作品賞、助演女優賞(菊池凛子、バラーザ)、監督賞(イニャリトゥ)、脚本賞、編集賞
2006
英アカデミー作曲賞、作品賞、監督賞(イニャリトゥ)、オリジナル脚本賞、撮影賞、編集賞、音響賞
2006カンヌ国際映画祭監督賞(イニャリトゥ)、パルム・ドール(イニャリトゥ)
2006サンディエゴ映画批評家協会Best Score、Best Ensemble

2006ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(ピット)、助演女優賞(バラーザ、菊池凛子)、監督賞(イニャリトゥ)、脚本賞、音楽賞
2006放送映画批評家協会作品賞、助演女優賞(バラーザ、菊池凛子)、アンサンブル演技賞、脚本賞、サウンドトラック賞、音楽賞
2006セザール外国映画賞
2006ナショナル・ボード・オブ・レビューブレイクスルー女優賞(菊地凛子)、トップ10
2006ナショナル・ボード・オブ・レビュートップ10
2006NYオンライン映画批評家協会
トップテン
2006アメリカ製作者組合実写部門
2007日本アカデミー外国作品賞
2007キネマ旬報外国映画第5位
2007allcinemaONLINEユーザー投票第19位

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ギジェルモ・アリアガ(脚)
ブラッド・ピット
ケイト・ブランシェット
ガエル・ガルシア・ベルナル
役所広司
菊地凛子
二階堂智
アドリアナ・バラーザ
エル・ファニング
ネイサン・ギャンブル
ブブケ・アイト・エル・カイド
サイード・タルカーニ
ムスタファ・ラシディ
アブデルカデール・バラ
小木茂光
マイケル・ペーニャ
クリフトン・コリンズ・Jr
村田裕子
末松暢茂
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 モロッコの砂漠に住む二人の少年がコヨーテ撃ちのために父親から銃を手渡された。羊を追う間、お互いの腕を競っている内に、弟の放った銃弾が観光バスに命中してしまう。一発の銃弾が招いた人間模様をモロッコ、アメリカ、メキシコ、日本で描く。
 メキシコ出身の世界的監督に成長したイニャリトゥ監督最新作。アカデミーでは助演女優賞に菊地凛子がノミネートされるなど、日本での話題も事欠かなかった(劇中フラッシュシーンで気持ち悪くなったと言う人が続発し、そう言う意味でも話題になった)。
 それで本作だが、設定は面白いし、役者の上手さも演出も非常に冴え渡った作品であることは認める。2時間半の長丁場をダレ場無しで見せきる技術もたいしたもの。質そのものはかなり高い。
 ただ、私にとってはどうにも何かしっくり来ない作品だった。イニャリトゥ監督の前作『21グラム』のレビューで
「確かに好みのはずなんだが、なんだか入り込めない」と書いたが、本作も全く同じ。良い作品だし、好みの素材を使っているのだが、やっぱり入り込めないまま。『21グラム』をそのままワールドワイドにしただけと言う感じか?あの作品を楽しめる人には本作は楽しめるのだろうけど、はまれなかった私には全然駄目。それでも本作は飽きなかっただけ良かったのかな?『バベル』という表題も活かされなかった。これも『21グラム』と同じ。
 何より世界を舞台にしているのに、その関わりがあまりにも希薄な上に、顔を合わすシーンが全然無いため、たんなるオムニバス映画にしか見えない。モロッコとメキシコはそれでも多少は関わりがあるんだが、日本編はもうちょっと関わり持たせて欲しかったよ。あの話の中では完全に浮いてる。
 ちょっとした話題になっている劇中のフラッシュシーンだが、確かにアレはきつい。光りの明暗のみならず、音が突然とぎれたり大音響になったりして、かなり脳にダメージを与えそう。途中から目が痛くなったので、あのシーンは途中から目をつぶった。大体
あんなシーンを長時間流す意味も私には分からない

 ところで本作観ているといくつもの疑問がわき起こる。
 冒頭。初めて銃を持たされた少年がいとも簡単に銃を扱えるのは才能としても、
普通車を撃とうとするか?全くもの分かりがないのでなく、すぐさまやばいことに気付くくらいだから、責任能力はあるはずだろ?
 メキシコ編で国境でパトカーをまいたはずなのに、
子供達を砂漠に放り出してわざわざ戻っていく意味は?
 モロッコ編。狙撃され生死の境をさまよっていたブランシェット。劇中「壊死」という言葉が何度も出てくるけど、後で日本で映ったテレビでは普通に歩いてた。
そんな短期間に治るものなのか?
 日本編。「ここってオマワリ回ってくる?」と言いつつクスリを服用する高校生(?)達。クスリ以前に真っ昼間からウイスキーこれ見よがえしに呷っておいて、そりゃないもんだ。大体
サイレン鳴ってるのに頓着しないのは、何のための用心?。それと最後に役所広司が「何か問題でも?」って、大問題だよ。銃を人にやっておいて、その発言はあまりにも無責任すぎ。いや、それ以前にこういう場合の銃ってちゃんと登録しているんだから、人にあげた時点で責任取らされるものじゃないの?
 細かい気もするけど、その辺が全部見事なほどに気になるってことは、それだけ
私が画面に集中できなかったって事
 それと最も残念なのが日本の描かれ方。日本を良く描けと言うつもりは全くないけど、一番外国に紹介されたくない部分を全面に出された感じ。少なくとも、私は
ここに描かれる日本という国を見て「住みたい」とは思わないな。
21グラム 2003
2003米アカデミー主演女優賞(ワッツ)、助演男優賞(デル・トロ)
2003英アカデミー主演男優賞(デル・トロ、ペン)、主演女優賞(ワッツ)、オリジナル脚本賞、編集賞
2003ヴェネツィア国際映画祭男優賞(ペン)
2003LA批評家協会女優賞(ワッツ)
2003シカゴ映画批評家協会脚本賞
2003ヨーロッパ映画インターナショナル賞(イニャリトゥ)
2003放送映画批評家協会主演女優賞(ワッツ)、助演男優賞(デル・トロ)
2003
ナショナル・ボード・オブ・レビュー主演男優賞(ペン)、ベスト10
2003NY映画批評家オンライントップ第4位
2003サンディエゴ映画批評家協会主演女優賞(ワッツ)
2003サウスイースタン映画批評家協会主演女優賞(ワッツ)
2003オンライン映画批評家協会主演女優賞(ワッツ)
2003
アメリカ映画俳優組合主演女優賞(ワッツ)、助演男優賞(デル・トロ)
2003ゴールデン・サテライト主演男優賞(ペン)
2004セザール外国映画賞(イニャリトゥ)

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ギジェルモ・アリアガ(脚)
ショーン・ペン
ナオミ・ワッツ
ベニチオ・デル・トロ
シャルロット・ゲンズブール
メリッサ・レオ
クレア・デュヴァル
ダニー・ヒューストン
ポール・カルデロン
デニス・オヘア
エディ・マーサン
アニー・コーレイ
トム・アーウィン
キャサリン・デント
ケヴィン・H・チャップマン
★★★
物語 人物 演出 設定 思い入れ
 夫と2人の幼い娘と幸せな生活を送っているクリスティーナ(ワッツ)。子供の頃からすさんだ生活を繰り返し、2年前に刑務所から帰ってきた後は信仰に生きがいを見つけ、妻と二人の子供との生活を送るジャック(デル・トロ)。心臓移植手術を受けないと1カ月の命という大学教授のボール(ペン)。出会うはずのない彼らが、ある交通事故をきっかけに結び付く。彼らを待つ運命は…
 これが私にとってはイニャリトゥ監督の最初の作品となるが、傑作と評判高い
『アモーレス・ペレス』の監督だし、オスカー男優二人の共演、それに数々の映画賞に輝いていると言うことで、未知数ながら期待して観に行く。
 確かに、時間軸をずらしたり、三つの物語が交錯して一つの物語に収斂していく構成や、光度を抑え、アングルに凝った画面など、演出部分に関しては極めて好みの作品だった。
 …確かに好みのはずなんだが、
なんだか入り込めない。ベル・トロ、ペン、ワッツそれぞれの主人公は立っているし、確かに演技については言うまでもない。巧すぎるほど。しかし、印象に残ったのは、実はそれしかなかった。確かに見応えはある。だが、物語そのものが最初から最後まで不完全燃焼で、退屈なまま時間が過ぎる。
 三つの物語を、しかも時間軸をずらせると言うのは面白い試みだったと思うのだが、ただでさえ最初の内、三つの物語を理解するのに苦労するのだから、時間軸をずらすことで、最初は本当に訳分からない。
大切な掴みの部分で観客を突き放してしまっていた。しかも悪い意味で画面に入り込めなかったため、冷静に観てしまったため、半分を過ぎない内に大部分の物語が分かってしまった。後半一時間はほぼキャラクターを見るだけに終始し、既に分かってしまった物語をただ追っていっただけ。前半で入り込めないような物語を作ってしまったことは大きな問題だと思う。
 それともう一つ。この作品には決定的に欠けていた部分があった。
 人は死んだ時に、魂の重さの分の21グラムだけ体重が軽くなるという。それをタイトルに据えていたので、私の期待としては、神秘的な部分が強調されるのかと思っていた。最初のジャックやボールの生活を見ていると、それを期待させてくれるのだが、実際はどうだか。人間の思いというものを大切にしすぎたため、その部分が殆ど皆無。「21グラム」というのも、最後のモノローグで語られるだけ。
 私の言う神秘的部分というのは何も難しいことはない。
ちょっと信じられないような偶然が起こってみたり、たった一つでも奇跡的な事が起こるだけで充分だった。ストーリーが途中で全部分かってしまった以上、それは絶対来るはずだ思っていた身としては、残念に過ぎた。
 その結果、人間だけしか見る事の出来ない作品となってしまい、それ以外に語れなくなってしまった。それが残念。

 蛇足ながら、映画を評価する際の、私のツボというのは、恐らく“家族を作る”方向性にあるのだと思うのだが、本作のベクトルは全く逆だったのも、入り込めなかった一つの理由なんだろう。子供の扱われ方も何か嫌だったし。
 悪い作品とは思えないし、評価すべき所も多い。単純に私には合わなかっただけだ。

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