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2015 | ||
2014 | ||
2013 | ||
2012 | ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日 監督・製作 | |
2009 | ウッドストックがやってくる! 監督・製作 | |
2008 | ||
2007 | ラスト、コーション 監督・製作 | |
2006 | ||
2005 | ブロークバック・マウンテン 監督 | |
2004 | ||
2003 | ハルク 監督 | |
ワン・ラスト・ライド 製作総指揮 | ||
2002 | アート・オブ・アクション マーシャル・アーツ・フィルムの変還 出演 | |
2001 | 恋のトルティーヤ・スープ 脚本 | |
2000 | グリーン・デスティニー 監督・製作 | |
1999 | 楽園をください 監督 | |
1998 | ||
1997 | アイス・ストーム 監督・製作 | |
1996 | ||
1995 | いつか晴れた日に 監督 | |
1994 | 恋人たちの食卓 監督・脚本 | |
1993 | ウェディング・バンケット 監督・製作・脚本 | |
1992 | ||
1991 | 推手 監督・製作・脚本 | |
1990 | ||
1989 | ||
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1955 | ||
1954 | 10'23 台湾で誕生 |
ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日 2012 | ||||||||||||||||||||||||||||||
2012米アカデミー監督賞、撮影賞、作曲賞、視覚効果賞、作品賞、脚色賞、歌曲賞、美術賞、音響賞、編集賞 2012英アカデミー撮影賞、特殊視覚効果賞、作品賞、監督賞、脚色賞、作曲賞、プロダクションデザイン賞、編集賞、音響賞 2012ゴールデン・グローブ音楽賞、作品賞、監督賞 2012シカゴ映画批評家協会撮影賞 2012放送映画批評家協会撮影賞、視覚効果賞、作品賞、若手俳優賞(シャルマ)、監督賞、脚色賞、編集賞、美術賞、音楽賞 2012サテライト脚色賞、作品賞 2012タイムベスト第3位 2012AFIベスト 2012ロジャー・エバートベスト2位 2013MTVムービー・アワード恐怖演技賞(シャルマ)、ブレイクスルー演技賞(シャルマ) |
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パイ・パテル(カーン)というインド人男性が語る自分の身に起こった不思議な物語。インドからカナダに移住することになったパテル一家だが、途中で船は嵐に遭遇して沈没しまった。運良く救命ボートに乗り移ることができたパイだったが、そのボートには動物園でリチャード・パーカーと名付けられたベンガルトラがいた… これまでのリー監督の作品を観てきて、実に私好みの作品を作る人であるとは思っている。監督作品は画面の美しさで目を惹くものだが、実際には見た目が全てではなく、その奥にきちんとしたメッセージ性を持ち、奥深さを感じさせてくれる作品ばかりだ。 そんなリー監督の最新作は、とても美しい作品だという。この監督の場合、美しいのは当然。問題はその奥行きだ。ちょっとワクワク感を感じつつ劇場に足を運んだ。 確かに画面は美しい。しかし映画の始まりから中盤までは、正直、本当に美しい“だけ”の作品のようにしか見えてなかった。いくつか引っかかりはあったものの、「なんだ。本当に見た目だけかよ」と思いこんでしまった。海版の「ロビンソン・クルーソー」か『キャスト・アウェイ』(2000)だな。 それでも3Dで綺麗な映画観られたので、それでいいか?なんて感じていたのだが、前半で少し感じていた違和感が後半になっていくに連れ、だんだん拡大していく。具体的には、私が「次にこう来るだろう」と思っていた物語から徐々に離れていった。 ところで、最初に感じた違和感とは、冒頭シーンでパイの名前の由来で随分長い時間を用いていること、パイがこれだけ信仰深いのに、既存の宗教に囚われているわけではないということ、なんでこんなものがさも重要なように描かれていくのか。そして転覆した船で、ボートに乗ったのがパイ以外動物だけだとか…小骨が喉に引っかかるような描写が引っかかりとなっていた。 そして違和感が最高潮に達したのが、後半の無人島のシークェンス。これは物語上ほとんど不必要と言っても良い部分で、あってもなくても良いところ。そしてラストの虎のリチャード・パーカーとの別れも全く劇的なものにはなっていない。 この辺になっていくと、画面の美しさなんてどうでもいい。なんでこんな無駄なことやってるんだろう?という疑問だらけが出てくる。 それでその理由が明らかにされたのは、パイがもう一つの物語を語った時。ひょっとしたらこちらが正しいというものだったのかもしれない物語。それはあまりにも精神的に辛く、だからこそ精神的な待避として動物たちの物語を作り出してしまったのかもしれない。しかし、それ又単純な解釈。 ではここで描きたかったのはなんだろう?と考えたとき、これが普遍的な少年の成長の話として捉えることが出来るのではないか?と考えたときにストンと納得がいった。 以降は勝手な私の解釈。間違っているのを承知で妄想レビューさせてもらおう。 パイにとって虎とは自分自身を示すもので(これは劇中でも語られているが)、これは思春期の少年が持っている欲望を示すものと考えても良い。自分の中で日々育っていく欲望との戦いが思春期の子どもの特長で、特に虎は肉に対するものとなる。これは特に性的なものを示すが、他者を傷つけようとする暴力的な欲求も含まれる。実際虎はパイ以外の全てを食らい尽くしてしまってる。特定の宗教を持たないにせよ、信仰心に篤いパイにとって欲望は憎むべきだ敵となる。最初は戦いそのものを放棄し、それを見ないようにしていくが、やがてそれは不可能と悟り、自らも暴力的に自らの内の暴力と向き合う。自ら苦行を選ぶようなものだろう。それでやっと押さえつけることに成功した時がパイの本当の旅のはじまりとなる。他の動物たちは、パイの“もう一つの物語”においては知り合い達だが、心理学的には、これも又パイの心の一部とも考えられるだろう。例えばシマウマが傷つき怯懦な自分、狡猾なハイエナ、優しさがチンパンジーとか。 ただし、安定したその旅は長く続く訳ではない。あくまでそれは暴力的な欲望を抑えたに過ぎないのだから。だからここで無人島のシークェンスが重要になってくる。 ここまでは海の上でパイとリチャード・パーカーだけの物語で話は展開していたが、ここに第三者というか、社会が絡んだ所とも言える。人は一人で成長する訳ではない。社会との接触を持ち、そこで時に挫折したり、あるいは変節したりする。皆同じ所を向き、食べられる時にさえ全く抵抗しないプレーリードッグの群れは付和雷同の心なのかも知れないし、夜になると動物を殺すあの無人島自身が、移り変わる人の心を示しているとも考えられるだろう(あれがパイ自身の心ならば、最後に人間の歯を見つけるというのは、パイ自身が「人を食ってしまった」という心の現れとも観られる)。 そして最後、人間のいる土地に戻ってきたところでリチャード・パーカーは何も告げずにパイの前から姿を消す。己の持つ獣性を手なずけるのではなく、自然と抜けていく事によって、パイは精神的に完全に成長した。以降、パイは心の平安と優しい心を持つに至る。 それでパイの名前も意味を持つことになる。πとは割り切ることが出来ない記号であり、それこそが人間であると言う事を示そうとしたのだとも思える。 …という妄想を膨らませてくれた。これだけ色々考えさせてくれただけでも本作はとても楽しい。勿論最高点を差し上げたい。 |
ウッドストックがやってくる! | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ブロークバック・マウンテン 2005 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2005米アカデミー監督賞(リー)、脚色賞、作曲賞、作品賞、主演男優賞(レジャー)、助演男優賞(ギレンホール)、助演女優賞(ウィリアムズ)、撮影賞 2005英アカデミー作品賞、助演男優賞(ギレンホール)、監督賞(リー)、脚色賞、主演男優賞(レジャー)、助演女優賞(ウィリアムズ)、作曲賞、撮影賞、編集賞 2005ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞(リー) 2005NY批評家協会作品賞、男優賞(レジャー)、監督賞(リー) 2005LA批評家協会作品賞、監督賞(リー) 2005シカゴ映画批評家協会撮影賞、音楽賞 2005ラスヴェガス映画批評家協会作品賞、監督賞、主演男優賞(レジャー) 2005フロリダ映画批評家協会作品賞、監督賞、撮影賞、脚本賞 2005ゴールデン・グローブ作品賞、監督賞(リー)、脚本賞、歌曲賞、男優賞(レジャー)、助演女優賞(ウィリアムズ)音楽賞 2005ヨーロッパ映画インターナショナル作品賞 2005ロンドン映画批評家作品賞、監督賞、男優賞(レジャー) 2005インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞(リー)、主演男優賞(レジャー)、助演女優賞(ウィリアムズ) 2005放送映画批評家協会作品賞、助演女優賞(ウィリアムズ)、監督賞(リー)、主演男優賞(レジャー)、助演男優賞(ギレンホール)、脚本賞、歌曲賞、音楽賞 2005日本映画批評家大賞国際活動賞(カナダ・アルバータ州) 2005ナショナル・ボード・オブ・レビュー助演男優賞(ギレンホール)、作品賞 2005ピーター・トラヴァースベスト第2位 2005ゴールデン・トマト・アウォーズロマンス 2005全米オンライン映画批評家協会脚色賞、音楽賞 2005ロジャー・エバートベスト第5位 2005アメリカ製作者組合実写部門賞 2005全米監督組合長編映画部門 2005映画俳優組合主演男優賞(レジャー)、助演男優賞(ギレンホール)、助演女優賞(ウィリアムズ)、アンサンブル演技賞 2005脚本家協会脚色賞 2005AFIベスト 2006セザール外国映画賞 2006MTVムービー・アワード演技賞(ギレンホール)、キス・シーン賞(レジャー&ギレンホール) 2006キネマ旬報外国映画4位 |
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1963年。ワイオミングにあるブロークバック・マウンテンの農牧場にイニス(レジャー)とジャック(ギレンホール)という二人の若者が季節労働者として雇われた。二人きりで隔離された山の中で生活していく内、彼らの感情は友情を超えたものへと変わっていく。その後、山を下りた二人はそれぞれの生活に入っていく。イニスは婚約者のアルマ(ウィリアムズ)と結婚し、二人の娘をもうけたが、家族のために必死に働きつつ牧童生活を夢見続ける。一方ジャックはテキサスに渡り、そこで大地主で農機具の最王手の娘キャシーと出会い、結婚していく。そして四年後、ジャックの手紙を受け取るイニス… 色々な意味で画期的、かつ挑戦的な作品。アジア系監督作品がアカデミー作品賞ノミネートは初めてのことで、更に同性愛をテーマに扱ったものがここまで有名になったのも初めてのこと。 作品賞候補の全てが社会派作品と言うこともあり、何かと物議を醸した2005年のアカデミー賞。その最有力候補と言われながら、『クラッシュ』(2005)に取られてしまったと噂される、ある意味不遇な作品。 確かにこれは素晴らしい作品とは思う。それは事実だ。だけど、アカデミーのお堅い大多数の審査員がこれを諸手挙げて賛成するとは思えない作品だ(事実、意外意外と言われてるけど、より作品賞を得る可能性が強かったのは確かに『クラッシュ』の方だと思う)。 大分ゆるんできたとはいえ、ゲイの恋愛を前面に出すのは今でもかなり難しい問題があり。ゲイの恋愛を使った名作もいくつかあることはあるけど(例えば『噂の二人』(1961)とか『ジュリア』(1977)、あるいは『熱いトタン屋根の猫』(1958)も広義に捉えればゲイの問題を前面に出していた)、ここまで恋愛部分を前面に押し出した作品でここまで有名になったのは初めてだろう。 一見して分かるが、確かに陰口をたたかれてはいるものの、実際の出来は綺麗にまとまった恋愛物語と言った感じ。描き方によっては、行為を描写しなくても問題ないくらいの高い完成度を持つ作品に仕上げられていた。実際、直接的な行為を暗喩で済ませてしまえばオスカーだって充分取れたと思う(それが挑戦だったんだろうけどね)。 これを友情物語、あるいは友情を超えた物語として観るのならば、この完成度は無茶苦茶高い。その意味で考えさせていただこう。 人は誰しも心の中に、“還るべき場所”というものを持っているものだと思っている。現実に辛いことが起こっても、にっちもさっちもいかない状態が続いていたとしても、心の中にその空間があるのならば、そこに思いを馳せることによって、そして再びその場所に行くことを夢見ることで現実に耐える力を得ていくことが出来るものだ。ここでのヒース=レジャー演じるイニスにもそう言う場所があった。彼は牧童としてしか自分が生きられないものだと思っていた。だからどんな現実も、やがて自分は牧童へと戻ろう。と言う思いを持ち続けて耐えていくことが出来た存在だった。ブロークバック・マウンテンでの羊を雄牛毎は季節労働とはいうものの、実はイニスにとってはこちらの方が本業だったはずだ。ただ、それだけだったら彼の一生はある意味単純で、そして面白みのないところで終わってしまったかもしれない。勝手な予想だが、その場合の彼の一生とは、離婚はもっと早かっただろうし、町と山の両方に交互に住み、そのどちらも合わずにふらふらするだけで終わってしまっていたかもしれない。 だが、ブロークバック・マウンテンでの出来事は、それ以上のものをもたらすこととなる。彼はジャックと年に何回か会うと言う新しい思いを持つに到ったのだ。これによって彼にとって新しい“還るべき場所”が心の中に出来た。だからこそ、閉塞感しか与えられない現実を耐えて生きていけるようになったのだと思われる。 これを観ていて、イニスの気持ちに大変同感できた部分がそこだった…変な意味じゃなくてさ。 私自身、時間そのものはそこそこ自由に使えるながら、ストレスのたまる仕事をしているし、それでストレスのたまった顔を人に見せるわけにはいかないというのが一番きつい。そんな私にとっては、映画を観ている時間というのは、一種の“自分に還る場所”であるし、それをどうやって書こうか?と仕事中にも考えている(!)のは、ある意味現実そのものと戦っていくモチベーションとなっている(と言うか、そう言うマインド・コントロールを自ら施している)。お陰で現実から瞬時にして自分の中の世界に入っていけるようになり、これは私の特技だが、普通これは単に“ぼけっとしてる”と言われがち… それと、これって私が年に二度ほど行っているオフ会の感覚にも似ている。少なくとも私にとってのオフ会とは日常の延長ではなく、今の生活と隔絶しているからこそ貴重なものなのだし、そこで普段とは違った自分を演じていられるのも心地良いのだ。そこでは日常とは全く違い、自分の趣味の世界での会話が出来、更に普段では決して人に明かすことが出来ないマニアっぷりを吐き出すことが出来る(決してオフ会で見せる顔が全て本音というわけではない。単に趣味が全開になってる状態と言うだけだ)。 ここでのイニスを見ていると、そんなことを感じてしまう。 そう言う時間であれ、場所であれ持っていることが私たちには大切なのかもしれない。自分自身にとって“還るべき場所”とはどこなのか。戦うべき現実を離れ、自分の心の中にある大切な場所に思いを馳せ、時にその場所で遊ぶ。本作品は、そう言う意味では現実の物語と言うよりは、心象風景のように思える。繰り返し流されるテーマ曲も実に良い。しみじみさせてくれるよ。 もちろんそれに応え、ヒース=レジャー、ジェイク=ギレンホール共に名演ぶりを見せる。特にギレンホールのOPシーンからのからみつくような目つきは、今までのキャリアである『遠い空の向こうに』(1999)や『ドニー・ダーコ』(2001)のような青年っぷりとは全く異なる、名優としての脱皮を感じさせてくれた。終始彼の影響が強かった。生きていようと死んでいようと、人に強い影響を与えていく個性を持った人間というものは確かにいるものだ(ただ、年齢を加えていくほどニコラス=ケイジっぽく見えてしまうのはちょっといただけないけど)。 |
ハルク 2003 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
2004サターンSF作品賞、主演女優賞(コネリー) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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遺伝子学者ブルース・バナー(バナ)は、実験中の事故で致死量のガンマ線を全身に浴びてしまう。奇跡的に命は助かったが、身体に変調を覚えるようになる。それと前後し、死んだと思われた彼の父デヴィッド(ノルティ)が彼の前に姿を現わし、何かと彼にちょっかいを出してくる。実はデヴィッドは自らの体で遺伝子実験を行なったため、生まれた子であるブルースにも特殊遺伝子が遺伝していたのだった。怒りが頂点に達すると、緑色の巨人ハルクに変身してしまうブルース。彼の恋人の女性科学者ベティー(コネリー)だけは彼を信じるが、ハルクを軍事的に利用しようとする彼女の父ロス将軍(エリオット)は、ブルースを監禁し、ハルクへの変貌を促す… アメコミの有名な主人公の一人、 …断念して良かった気がする。 正直、ここまで見事に好みから外れた作品だとは思わなんだ。 ストーリーに関しては言うに及ばず、設定も無理の連続。CGで演出されるハルクの姿はあまりに軽すぎ。 先ずストーリーに関して言うならば、ハルクになる課程はともかく、父ちゃんが現れた辺りから変になってくる。私は分からないけど、父と子の葛藤ってのがアメコミの方でもあったのか?それが見事に活かされてない。ダース・ベイダーよろしく突然現れてブルースにつっかかるエキセントリックな父ちゃんの演技が周囲から浮きまくってて、感情移入できないし、ブルースを捕らえて遺伝子実験しようとする軍の行動も馬鹿。なんでわざわざハルクに変身させて遺伝子採取しなきゃならん?ブルース状態でも同じ遺伝子持ってるじゃないか。そんで変身したハルクにばかすか攻撃かけてるんだけど、怒りが静まればブルースに戻るのは分かってるでしょ?何で一番危険な状況で危険な真似をするか?お陰で死者がどんどん出てるだろ。更に特殊能力を持つ可能性のある父ちゃんとブルースをあんな危険な状況で二人っきりにするか? 設定に関しても、まだ変身してないはずのブルースの変容を“突然”軍と父ちゃんが察知する理由が分からない。偶然彼女が軍の将軍の娘ってのも出来過ぎ(これをブルースの成長をずーっと軍が見守ってたってのなら分かるけど、その描写もなかったしなあ)。『北斗の拳』よろしくパンツだけ破けないのは伝統か? 演出はコミック風の割り込み画像は面白かったけど、それくらいかな?評価できるのはキャラクタだけか。昔の可憐なだけの美女から、演技の幅と重みが出てきたコネリーはなかなかよろしい。ただ、30を前に父親との確執をずーっと引きずってる不良娘の役はちょっと可哀想じゃなかった? でも、この作品で一番悪かったのは、時間が長すぎたこと。1時間ほど減らしてくれればまだ「馬鹿な作品」として楽しめたかも知れないけど、二時間を超える時間をこれ観てると疲れるどころか、沸々と怒りが湧いてくるぞ。ほんと、これ劇場で観なくて良かったよ。 |
グリーン・デスティニー 2000 | |||||||||||||||||||||||||||||
2000米アカデミー外国語映画賞、撮影賞、作曲賞、美術賞、作品賞、監督賞(リー)、脚色賞、歌曲賞、衣装デザイン賞、編集賞 2000英アカデミー監督賞、作品賞、主演女優賞(ヨー)、助演女優賞(ツィイー)、脚色賞 2000NY批評家協会撮影賞 2000LA批評家協会作品賞、撮影賞、音楽賞、美術賞 2000ゴールデン・グローブ外国映画賞、監督賞(リー) 2000ヨーロッパ映画インターナショナル賞 2000インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、助演女優賞(ツィイー) 2000放送映画批評家協会外国語作品賞、作品賞 2000ナショナル・ボード・オブ・レビュー最優秀外国語映画賞 2001MTVムービー・アワード格闘シーン賞(ツィイー)、作品賞、ブレイクスルー演技賞(ツィイー) |
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剣の名手リー・ムーバイ(チョウ・ユンファ)しか操れないという伝説の“グリーン・デスティニー”碧銘剣。引退を決意したリーは女弟子のユー・シューリン(ミシェル・ヨー)に頼み、碧銘剣を北京のティエ氏に届けさせるのだが、そこでユーは隣に住む貴族の娘イェン(チャン・ツィイー)と出会う。イェンは剣士になるのが夢だったが、家の都合で嫁ぐことが決まっているという。二人は打ち解け合うのだが、その夜碧銘剣が何者かに盗まれてしまった… 香港発の作品で、むしろアメリカの方で大ヒットを記録した作品(アメリカで興収1億ドルを稼いだ唯一のアジア映画)で、この年のアメリカの映画賞の外国語部門を軒並み受賞したという、画期的な作品。事実本作で初めて香港のワイヤーアクションがハリウッドでも通用することが証明され、以降ハリウッド製アクション映画にはワイヤーアクションの演出が欠かせないようになっていく。そう言う意味では映画史に残る名作の一本と言えよう。 特に既に世界的に有名になっているリー監督の手による、充分に金を遣って作られた画面作りは、本当に綺麗で、日本人のわたしの目から見ても、東洋的なエキゾチックさを満載しているし、アクションに至っては、時には静かに、時には激しく。不思議な感触で観ることが出来た。特に無音のまま戦いが展開するというのは、それまでの香港映画でも、勿論ハリウッドでも全くやったことがない試みであり、その特異性は今観ても尚新鮮そのもの。実際画面に関して言うなら、これだけこなれたものが当時作れたのは、世界広しといえどもリー監督しかいなかっただろう。初めてこれを観た瞬間は、画面に吸い込まれそうになったほどだった。物理法則を完全に無視したアクションも、これならOK。 ただ、致命的に本作は脚本が…これだけはとても残念というか、もうちょっと画面に釣り合った物語を作ってくれていれば文句は全く無かったし、多分評価も跳ね上がったんだが。 これは脚本については香港の人間に任せたのがまずかったんじゃないか?香港映画を悪く言うつもりは全く無いのだが、あそこは伝統的に脚本がこなれてないから…香港は映画に関して盗作は罪にならないので、なまじ脚本を字で書くとあっという間に盗作されてしまうため、脚本は全て脚本家の頭の中で、更に即興を大切にするお国柄だけに、物語を簡単に破綻させてしまう傾向があるから。だったらだったでもっと単純にすればいいのに、敢えて複雑にして見せたのが問題。 本作の脚本はかなり複雑。物語の本筋は極めて単純なのに、登場キャラの人物像の掘り下げがくどく、一本道の本筋を阻害しまくってる。後半になると人物の入り乱れで何が何だか?状態。ラスト付近は物語を捨てて活劇を観るしか出来ない状況に追い込まれてしまう。はっきり言ってしまえば、物語はチャン・ツィイーが暴れるだけの話になってしまった。一応原作付きの作品のはずだが、どうやってこんなこんがらがった物語に出来たんだか?正直退屈さを覚えてしまう。 キャラに関しては申し分無し。特にオープニングショットのチョウ・ユンファの凛々しさと、本作でブレイクしたチャン・ツィイーの可憐さには痺れる。この二人が戦ってるシーンだけでこの映画は充分保つ。ところで、中盤えらく迫力があり、しかも凄い体術をもったおばちゃんが出てきて、しかもそこだけ他の役全部食ってしまうので、えらく華があるおばちゃんだ。と思ってたら、この人『大酔侠』(1966)のチェン・ペイペイだったの?後で知って驚いたよ。 |
楽園をください 1999 | |||||||||||||||||||||||
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いつか晴れた日に 1995 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1995米アカデミー脚色賞、作品賞、主演女優賞(トンプソン)、助演女優賞(ウィンスレット)、撮影賞、音楽賞、衣装デザイン賞 1995英アカデミー作品賞、主演女優賞(トンプソン)、助演女優賞(ウィンスレット)、助演男優賞(リックマン)、監督賞(リー)、脚色賞、作曲賞、撮影賞 1995NY批評家協会監督賞(リー)、脚本賞 1995LA批評家協会脚本賞 1995ゴールデン・グローブ作品賞、脚本賞、女優賞(トンプソン)、助演女優賞(ウィンスレット)、監督賞(リー)、音楽賞 1995放送映画批評家協会作品賞、脚本賞 1996ベルリン国際映画祭金熊賞(リー) 1996キネマ旬報外国映画10位 |
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19世紀初頭のイギリスサセックス州。農園主である父を喪ったダッシュウッド家の妻と3人の娘。農園は先妻の息子の手に渡り、四人は家から追い出されてしまうこととなった。長女エリノア(トンプソン)、次女マリアンヌ(ウィンスレット)の二人は性格がまるで違い、お互い距離を置いていたが、この事態に協力することとなるが… ジェーン・オースティンの小説「分別と多感」をもとに主演女優のトンプソンが脚色(この年のアカデミー脚色賞を得ている)。自ら長女を演じた作品。オースティンの小説に共通するテーマ、恋愛と家族のあり方を同時並行して描いた作品。 まさに本作はイギリス上流階級の作品!と言った風情があるのだが、何故かこれを監督したのは台湾出身のリー監督。後になってそれを知って驚かされたが、考えてみるとリー監督は世界的メジャー作品となった『推手』以来、外国の風景を本当に美しく撮ることに長けていて、世界的な意味でこの時点で既に大監督の風情を持っている。本作も美しいイギリスの田園風景とそこにいる人達の当時の風俗というか、格好が見事にはまっていた。オースティン原作作品の場合、これをクリアしてることが最低条件だが、想像以上のはまり具合を見せている。というか、ここまで表現されてしまっては、イギリス人監督の立つ瀬が無くなってしまうのでは?むしろ遠くから観ていたからこそ、ここまでのものができたのかもしれない。実際荘園風景をここまで見事な演出で出来るのはリー監督ならではで、イギリスに対する憧れみたいなものさえ感じる事が出来る。 キャラもうまくはまってる。脚本も書いたと言うだけあって、トンプソンが割と汚れ役も買って出ているのだが、ラストに至るまでやや頑なさが激しすぎ、観ようによってはエキセントリックにも見えるのだが、ラストにいたって従順になっていく過程がなるほど巧い。収めるべき所にきちっと収めてくれていた。 物語は一方調子で単純ながら、雰囲気とキャラ描写できっちり見せてくれるのはリー監督の手腕だろう。 |
恋人たちの食卓 1994 | |||||||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー外国語映画賞 1994英アカデミー外国語映画賞 1994ゴールデン・グローブ外国語映画賞 1994インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、主演男優賞(ロン・ション)、主演女優賞(ン・シンリン)、脚本賞、撮影賞 |
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ウェディング・バンケット 1993 | |||||||||||||||||||||||||||
1993米アカデミー外国語映画賞 1993ベルリン国際映画祭金熊賞 1993ゴールデン・グローブ外国語映画賞 1993インディペンデント・スピリット作品賞、監督賞、主演男優賞(リヒテンシュタイン)、助演女優賞(アーレイ)、脚本賞 |
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推手 1991 | |||||||||||||||||||||||||||
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