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2021 | |||||||||
2020 | 魔女がいっぱい 監督・製作・脚本 | ||||||||
2019 |
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2018 | マーウェン 監督・製作・脚本 | ||||||||
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2017 | |||||||||
2016 | マリアンヌ 監督・製作 | ||||||||
2015 | ザ・ウォーク 監督・製作・脚本 | ||||||||
バック・イン・タイム 出演 | |||||||||
2014 | |||||||||
2013 | |||||||||
2012 | フライト 監督・製作 | ||||||||
2011 | 少年マイロの火星冒険記 製作 | ||||||||
リアル・スティール 製作総指揮 | |||||||||
2010 | |||||||||
2009 | Disney'sクリスマス・キャロル 監督・製作・脚本 | ||||||||
2008 | |||||||||
2007 | ベオウルフ 呪われし勇者 監督・製作 | ||||||||
リーピング 製作 | |||||||||
2006 | ラスト・ホリデイ 製作総指揮 | ||||||||
モンスターハウス 製作総指揮 | |||||||||
2005 | 蝋人形の館 製作総指揮 | ||||||||
2004 | ポーラー・エクスプレス 監督・製作・脚本 | ||||||||
2003 | ゴシカ 製作 | ||||||||
マッチスティック・メン 製作総指揮 | |||||||||
2002 | ゴーストシップ 製作 | ||||||||
2001 | デス・ヴィレッジ 製作 | ||||||||
13ゴースト 製作 | |||||||||
2000 | キャスト・アウェイ 監督・製作 | ||||||||
ホワット・ライズ・ビニース 監督・製作 | |||||||||
1999 | TATARI タタリ 製作 | ||||||||
1998 | |||||||||
1997 | コンタクト 監督・製作 | ||||||||
1996 | さまよう魂たち 製作総指揮 | ||||||||
1995 | デーモン・ナイト 製作総指揮 | ||||||||
ボーデロ・オブ・ブラッド/血まみれの売春宿 製作総指揮・原案 | |||||||||
W.E.I.R.D. WORLD ウィアード・ワールド 製作総指揮 | |||||||||
1994 | フォレスト・ガンプ 一期一会 監督 | ||||||||
ヴァンゲリア 監督 | |||||||||
1993 | ゴブリン 製作総指揮 | ||||||||
ダーク・プロフェシー 製作総指揮 | |||||||||
ルシファー 製作総指揮 | |||||||||
1992 | 永遠に美しく… 監督・製作 | ||||||||
パブリック・アイ 製作総指揮 | |||||||||
トレスパス 製作総指揮・脚本 | |||||||||
1991 | ハリウッド・アドベンチャー 監督・製作総指揮 | ||||||||
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1990 | バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3 監督・原案 | ||||||||
フィアー・ナイト 製作総指揮 | |||||||||
1989 | スクリーム 監督・製作総指揮 | ||||||||
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 監督 | |||||||||
ミステリーズ・パーティ 製作総指揮 | |||||||||
1988 | ロジャー・ラビット 監督 | ||||||||
1987 | |||||||||
1986 | 世にも不思議なアメージング・ストーリー 共同監督 | ||||||||
1985 | バック・トゥ・ザ・フューチャー 監督・脚本 | ||||||||
1984 | ロマンシング・ストーン 秘宝の谷 監督・脚本 | ||||||||
1983 | |||||||||
1982 | |||||||||
1981 | |||||||||
1980 | ユーズド・カー 監督・脚本 | ||||||||
1979 | 1941 原案・脚本 | ||||||||
1978 | 抱きしめたい 監督・脚本 | ||||||||
1977 | |||||||||
1976 | |||||||||
1975 | |||||||||
1974 |
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1973 | |||||||||
1972 | |||||||||
1971 | |||||||||
1970 | |||||||||
1969 | |||||||||
1968 | |||||||||
1967 | |||||||||
1966 | |||||||||
1965 | |||||||||
1964 | |||||||||
1963 | |||||||||
1962 | |||||||||
1961 | |||||||||
1960 | |||||||||
1959 | |||||||||
1958 | |||||||||
1957 | |||||||||
1956 | |||||||||
1955 | |||||||||
1954 | |||||||||
1953 | |||||||||
1952 | 5'14 イリノイ州シカゴで誕生 |
魔女がいっぱい The Witches |
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両親を事故で亡くし、おばあちゃんに引き取られた“ぼく”(ジャジール・ブルーノ)。おばあちゃんは魔女に詳しく、少年に魔女の恐ろしさや人間になりすました魔女の見分け方などいろいろなことを教えてくれた。そんなある日、おばあちゃんと一緒に豪華なホテルに泊まった“ぼく”はそこで魔女たちの集会を目撃してしまう。大魔女グランド・ウィッチに見つかってしまった“僕”は、ホテルで知り合った少年と一緒にネズミの姿に変えられてしまう。大急ぎでおばあちゃんの元に行き、対策を立てる“ぼく”達。しかしグランド・ウィッチはあまりに巨大な悪の魔女だった。 時折ゼメキス監督が映画に選ぶジャンルに童話が時折入ってくる。童話と言ってもいろいろだが、監督が作って面白いのは、どこかに毒があるものとなる。意外に童話でも残酷なものがあるので、それを乾いたタッチで描くと結構様になるのだ。 その意味では本作は最も監督向きの童話だったと思うし、期待通りのものが出来た感じ。 本作は単純な善悪では語れないし、オチもハッピーエンドでは終わらない。 確かに途中までは普通の勧善懲悪の童話のように思えるし、それに準じた物語展開のように思える。ストーリーフローとしてはネズミにされてしまった主人公が仲間達の協力を得て魔女に対して復讐を果たし、見事魔女を撃破するというもの。話自体はとてもストレート。 それは良いのだが、主人公がやってることは、魔女は全員悪であり、例外なく倒さねばならない存在としている。魔女にも色々いるだろうが、その辺の忖度はない。魔女という肩書きがあればそれは悪なのである。これが最後まで徹底しているので、逆に主人公がやってることがとんでもないものになってしまった。自分が受けた屈辱を倍にして返すが、返す対象は無差別とは、今の時代ではとても考えつかない。 そしてオチの部分だが、普通の脚本だったら、主人公が人間に戻れてめでたしめでたしになるはずが、主人公がネズミとして生きることを選択してしまってるし、寿命が短いことも含めて余生を力一杯生きる事をオチで選んでいる。その余生を全て魔女を懲らしめるために使うというのだから堂が入ってる。 未読ながら、これは原作に忠実なのだろうか?だとしてもこの容赦なさは、この時代に映画にしてしまって良いんだろうかと疑問さえ思う。 |
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フライト 2012 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012米アカデミー主演男優賞(ワシントン)、脚本賞 2012シカゴ映画批評家協会主演男優賞(ワシントン) 2012ゴールデン・グローブ男優賞(ワシントン) 2012放送映画批評家協会主演男優賞(ワシントン)、脚本賞 2012サテライト主演男優賞(ワシントン)、助演男優賞(グッドマン) 2012オーウェン・グレーバーマンベスト9位 2012ロジャー・エバートベスト6位 2013MTVムービー・アワードトンデモ・シーン賞 |
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Disney'sクリスマス・キャロル 2009 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2009キッズ・チョイス・アワード声優賞(キャリー) 2009イギリスの年間興収第13位 2009allcinema興行収入第20位 |
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ロンドンに今年もクリスマスがやってきた。そんな中、ケチな商人で、町中の嫌われ者スクルージは、一人寂しく夜を過ごしていたが、そんな彼の前に現れたのがかつての商売の相棒マーレイの幽霊が現れる。彼は生前の自分の行いを反省していると言い、今晩中に三人の精霊が現れることを告げるのだった。 ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」をディズニー(ピクサーではない)が満を持して投入した3Dアニメ映画作。 これはクリスマスの定番で、映画や舞台、はたまたテレビなどでこれまで数多く舞台化されてきた(アメリカでは毎年新しい作品がテレビ放映されるほど)。 それで定番中の定番作品だけに、物語については言うべき部分はない。せいぜい「定番の良い話」というところだろう。 そうなると、本作を語るには、演出と人物に特化させた方がよかろう。少なくとも、その部分に本当に力を入れてるのも確かだし。 まずは演出部分だが、さすが3D!と言った演出がふんだんに使われ、見所は大変多い。ただ、その見所の最大の部分は、“顔力”と呼べばいいだろうか。全然のっぺりした所のない、むしろぶっちゃけ言えば、登場人物の概ねの顔は小汚く、圧迫感を覚えるようなのばかり。そんなのが3Dで迫ってくるのだから、ちょっと怖い。何か睨めっこしてる気分にさせられる。この作品ではキャリーが複数のキャラを演じ分けているが、そのどれも本人の顔をかなりデフォルメしたものばかりで、その中で格好良いのが全然無いのがキャリーの立ち位置がよく分かるような… 話は概ねそつなくまとまっているが、ややホラー性が強いのもちょっと疑問点。特に未来の精霊のシークェンスはかなり怖い。サービス精神過剰というか、やり過ぎというか。 あるいはこう言ったちょっとしたマイナス点がゼメキス監督のこだわりだったのかもしれない。定番をありきたりなものにせず、自分の味が出るように仕上げようとした努力の結果なのか? しかし、思えば、キャリーこそがかつてこう言った“顔力”役者だったんだよな。徐々に普通の演技者となっていった、それは演技が上手くなったと言う事でもあるのだが、妙に寂しいキモさせられていた。CGとは言え、久々にキャリーの“顔力”ってもんを観た気がするな。 |
ベオウルフ 呪われた勇者 2007 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2007放送映画批評家協会長編アニメ賞 2007ゴールデン・トマト・アウォーズSF/ファンタジー第4位 2008MTVムービー・アワード悪役賞(ジョリー) 2008サターン脚本賞、アニメーション賞 |
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古代デンマークは勇者王フロースガール(ホプキンス)によって治められていたが、呪われし巨人グレンデルが現れ、人々を恐怖に陥れる。その噂を聞いてスウェーデンからやってきた勇者ベオウルフ(ウィンストン)。彼は手勢のみで呪われた館に陣取り、グレンデルを迎え撃つのだった。だがグレンデルを倒しただえでは平和は訪れない。ベオウルフはその怪物の巣へと単身乗り込んでいく… 北欧神話の中でも最古のものと言われる「ベオウルフ」(ベーオウルフとも)の神話をベースにゼメキス監督が豪華キャストで描き出す英雄譚。 『300 <スリーハンドレッド>』(2007)と『ロード・オブ・ザ・リング』(2001)の融合!とかいう煽り文句に釣られた訳でもないが(こういう他の映画を引き合いに出す作品にろくなものが無いのも事実だし)、とりあえずどんなものが出来るか?という思いで拝見。 …なんとも微妙な作品だな。北欧の寒さと生身を誇示して剥き身(下品?)で戦う物語なのに、寒さも肉体性も感じさせないというのは作り自体に問題があるんじゃないのか?大体戦いのシーンなんてCG丸わかりの上に動きがカクカクしていて、全然リアリティもない。既にハリウッド作品ではクリアしたはずの描写がなんで?あるいはクレイアニメーション世代のゼメキス監督の狙いだったのかも知れないのだけど、少なくとも上手くは機能してない。これだったら最近のゲームの方が動きがリアルなくらい。これ観てたら、一時期「映画のようなゲーム」という言葉がもてはやされていたけど、今やゲームの方が上を行ってるんじゃないか?と思えてきてしまった。動きはどれほどぎこちなくとも、生の迫力で見せて欲しかったものだ。はっきり言って演出はさほどとは思えず。はっきり言ってどうしようもなく悪い。 一方、キャラに関しては文句付けられず。主人公のウィンストンなんてこれまで全く意識した事はなかったのだが、これだけワイルドさ溢れるキャラがまだいたんだ。と思えて嬉しいし、それ以上に脇を固めるヴェテラン勢が良い演技を見せてくれてる。特にホプキンスはこんな下品なキャラまでもしっかりと演じられる。この人歳食ってからますます芸幅広がったね。嫌味なキャラとしてのマルコヴィッチもはまり役。この人こういった役上手いんだけど、こんな脇役に登場なんてとても豪華だ。個人的なファンのグリーソンも良い役やってる。この人が格好良いと、なんか嬉しい。ジョリーは言うまでもないか。ひょっとして一番体当たりの演技していたのはこの人だったかも知れないしね。 あと、実は結構評価出来るのは、これも引き合いに出して悪いのだが、少なくとも私には『300 』のようにアメリカナイズされた物語には思えなかった点。ベオウルフもフロースガールも強さも弱さも全部さらけ出し、果断な性格とウジウジした性格を共存させていて、決して見た目通りのヒーローや悪役にはならなかった。「正義のために戦う」なんてひと言も言わず、ただ自分の欲望に忠実なだけ。変な建前が無いので、むしろそれがとても好感持てる。物語が退屈という評も見かけるけど、決してそんな事は無いと思う。主人公達が次に何やるのかが分からないというのは結構好きだぞ。 少なくともこんな物語を今のハリウッドで作れる監督はそうはおらんだろう。そこがゼメキスらしくないような、逆にゼメキスだから出来るような。 本作は演出で観るのではなく、北欧神話っぽさをしっかり受け継いだ作品として観るべき作品だろう。 ところで、ちょっと悔しかった点。実は原作となった物語は20年ほど前に読んでいたのだが、全然覚えてなかったというところ。映画と本の記憶力は人並みにあると思ってたのに、そうでもなかったのか?と思うとちょっと悔しい。 |
ポーラー・エクスプレス 2004 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2004米アカデミー歌曲賞、音響効果賞、音響賞 2004ゴールデン・グローブ歌曲賞 2004放送映画批評家協会歌曲賞、長編アニメ賞 2004全米BOXOffice第12位 |
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毎年サンタがやって来ることを心待ちにしていた少年。だが今年は様子が異なっていた。サンタは本当はいないのではないか?と彼は思い始めていたのだ。そしてクリスマスイブの夜、11時55分を指した時、地響きをあげて少年の家の前に大きな機関車が停車する。そこから現れた車掌は少年に「君のチケットがあるから乗りなさい」と声をかけるのだった。行き先はなんと北極。少年以外にも何人かの子供達を乗せた機関車“ポーラー・エクスプレス”は一路北極に向けて出発進行するのだった。 クリス=ヴァン=オールズバーグの名作絵本「急行「北極号」」を映画化したファンタジー・アニメ(原作絵本は広く世界中で読まれており、日本では村上春樹が訳を付けている)。 出来として、絵本らしい教育的なお話に仕上がっているが、主人公が本当に等身大の子供だという所が本作の最も特徴的な部分だろう。主人公には名前が無く、誰にでもこれは起こる事。という観点で作られている。 夢見がちな子供もいつかは大人になっていく。その過程で切り捨てるべきものを切り捨て、自分の生きるべき道を見つけていくことになる。然るに、その中で切り捨てるべきものとは一体何であるのか。それを突きつけられる事になる。サンタというのはその典型的例だろうが、本作ではその子供の夢を肯定しつつ、大人になる。という過程を描いた作品だと言えるだろう。こういう大人になり方が一番良いと思うし。 そして本作の面白さは子ども達の冒険だけじゃなく、ポーラー・エクスプレスの車掌の魅力があるかと思える。本作はファンタジーでありながら子供にかなり厳しさを求める。ついついこの手の作品だと優しい大人を求めるものだが、車掌にはそれがないため、一見ちょっと怖そうに思えてしまう。彼の行いでは、子供の都合で列車は運行を止めたりしないし、失ったものを取り戻すためには対価を支払わねばならない。車掌はその意味で大人そのものと言うよりは、“現実”の擬人化であるとも思われる。現実は確かに厳しい。しかし、だからといって意地悪ではない。融通は利かないが、正しい努力に対してはきちんと応えてくれるし、褒めるべき所があったらきちんと褒めている。 そのリアリティの中で、仲間と共に友情を深めてみたり、冒険をしてみたり。時にそこから一歩出なければ、友達を救えない所に追い込まれてみたり…まあ実に設定は上手くできた作品じゃないだろうか。 ここに出てくる少年達は何かしら現実で傷を持ち、そこから大人になろうとしている子たち。大人になるためには克服すべき課題を持った子供達とも言える。現実に押しつぶされそうになった時、信じる心を持つ。何かを犠牲にしても、それを突破しようとする心を持つ。それが成長であると描かれているのだろう。 その辺のメッセージ性は実は絵本そのものよりもかなり薄れてしまっているのがちょっと残念な所かな? ただ、その分映像の迫力は並じゃないけどね。3Dアニメはキャラクタの質感が軽くなってしまうのがネックなのだが、本作では非常に“重さ”を感じる。その重さが疾走するからこその迫力だろう。ポーラー・エクスプレスの動きは一見の価値あり。重さを表現するためか、人間の表情が今ひとつ硬いのがちょっと気になってしまうけど。 |
キャスト・アウェイ 2000 | |||||||||||||||||||||||||||
2000米アカデミー主演男優賞(ハンクス)、音響賞 2000英アカデミー主演男優賞(ハンクス) 2000NY批評家協会賞男優賞(ハンクス) 2000ゴールデン・グローブ男優賞(ハンクス) 2000放送映画批評家協会作品賞 2001MTVムービー・アワード男優賞(ハンクス)、アクション・シーン賞(飛行機墜落シーン)、キス・シーン賞(ハンクス&ハント)、チーム賞(ハンクス&“ウィルソン”) |
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フェデックスに勤めるシステム・エンジニアのチャック(ハンクス)。極めて優秀なビジネスマンである彼は毎日毎日秒刻みの生活を送っていたのだが、ある日、彼の乗った飛行機が太平洋上で墜落。奇跡的に一命は取り留めたものの、彼が流れ着いた先は無人島だった。ここで生きるための、そしてここから脱出するための孤独な戦いが始まる。残してきた恋人のために、そして彼女と再び会うために。 主演で製作者でもあるハンクスが昔から暖めていた企画をゼメキス監督とのコンビで作り上げた無人島物語。 これは無人島物語だろうと思っていた。子供の頃から「ロビンソン・クルーソー」や「十五少年漂流記」そして長じてからは「蝿の王」を耽読した私だけに、無人島作品は実は大好き(話は全く違うが、S・キングの作品で「生き残る奴」と言う短編があるが、これこそ本当の無人島物語)。こういう物語は特に心にはまるらしく、結構楽しみにしていた。 初見での感想は、「こんなもんか?」だった。無人島での生活があまりに簡単すぎたのがその理由。苦労して苦労して生活を整えていく過程が面白いんだけどな。 つまり、私はこう考えていたわけだ。 主人公は普通の生活は極めて少なくして、無人島での生活を主にしてほしい。そして主人公は生きること、快適に暮らすことに貪欲で、無人島での生活が充実したものになる。 そういう見方をしていたのだから、この映画の主題を見誤った。 この映画の題名を見てみよう『cast away』。「見捨てる」と言う意味。これは単純に無人島物語だから文明から見捨てられた、と言うだけではない。主人公チャックは最初の生活で時間に追われる生活を送っていた。それが無人島に行くことによって時間から見捨てられる。無人島から脱出するとき、ウィルソンから見捨てられる(見捨てる?)、そして再び文明世界に戻ったとき、恋人から捨てられていたことを知る。 位相から位相へ。立場が変わるときには何かにより見捨て(られ)ていくものだ。 ただ、それを決して悲惨に描いてはいない。文明世界から無人島へ渡ったときは時間に見捨てられ、無制限に用いることが出来る時間を手に入れた。擬人化されたボールのウィルソンに見捨てられたとき、本当の人間を得る(ウィルソンの存在はゼメキス監督の提案だったとか)。それで最後に恋人を失った時、何を得たのか。それは明確には描かれていないが、ラストシーンに登場する荷物には(オープニングにも出ていたけど)、「翼」が描かれている。彼はひょっとして、象徴的に自由な翼を手に入れた。と言うことなのかも知れない。運命の変遷を経て、彼は何に捨てられ、何を得たのか?そう考えるとこの作品、えらいメッセージ性を感じる。 この撮影のためにハンクスは何と25sに及ぶ減量を行ったのだが、そのために撮影で丸々一年を空白期間に当てている。本当に痩せさせと言う役者魂には感心するが、ハリウッド大作というのはそれだけ金と時間をかける事が出来るというのが羨ましい所(日本でこれ作ったら1週間くらい監禁して体重落とさせたかも知れないな)。更に面白いことだが、ここでのリアルな効果音(無人島の波の音とか筏のぎしぎし言う音)は全てデジタルで作り上げたものだとか。アカデミー音響賞ノミネートな訳だ。 |
ホワット・ライズ・ビニーズ 2000 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大学で遺伝学を教えるノーマン=スペンサー博士(フォード)とその妻クレア(ファイファー)は、愛娘を大学の寮に送りだし、自分たちはノーマンが遺産相続したヴァーモントの美しい湖の家に移り住む。ところがこの家に越してからと言うもの、クレアは不思議な体験を立て続けに経験する。風もないのに開くドア、突然動き始めるコンピューター。囁くような声が聞こえ、水には見知らぬ女性の顔が浮かんで見える…一体どうしてしまったのか、この家には一体何があるのか。クレアの心配はますます大きくなっていくのだが… 監督にロバート=ゼメキス、主演にハリソン=フォード、ミシェル=ファイファーという強力トリオで、非常に期待は高かったのだが、公開当時の映画評はことごとく不評。結局劇場では観る気を失い、テレビ放映となってようやく観た作品。 確かにいくつかの点では問題があったのも確かだが、言われるほど酷い出来ではないと思う。むしろ後半部分はテレビ画面をひたすら凝視していたし。 多分この作品が評価されない部分は以下の理由によるもののようだ(当時観ようか観まいか結構迷ったからネットで検索をかけて調べたもので)。 1.役者の無駄遣い。 2.ホラーだかサスペンスだか分からない作り。 3.ヒッチコックの匂いがしすぎてパクリものに見える。 実際観てみると、確かに全部当たっている。役者に関しては、フォードであれ、ファイファーであれ、嫌いではない。と言う程度でさほど思い入れがない分、素直に観られた。まあ、強いて言えば、フォードは地味目な役割を淡々とこなしていたが、彼である必要性がほとんど感じられなかったくらいか。ファイファーは上手いと思うが、最初の内に幽霊の存在を徹底して否定してくれれば物語としては完成度は高まったかな?(前半部で誰かの悪戯と思わせ、それを裏付ける証拠を突きつけたら視聴者の意識を混乱させれたはず) “恐怖”の演出については、ちょっと中途半端な印象を与える。これはオチがホラー調だったのに、基本的にサスペンス調で物語が経過するから。と言う事だろう。サスペンスとして観ていたら、後半からホラーっぽい作りになってしまったため、何となく落ち着かない気分にさせる。しかし、実際に“恐怖”の演出と言う目で見れば充分にその役割を果たしたんじゃないかな?ホラーとサスペンスの恐怖の演出の違いは襲い来る対象が理性を持っているか、持っていないかと言う点が大きいと思うが、主人公クレアにとって、その対象が夫であるノーマンと幽霊の双方向から来るものだから、それが落ち着かなくさせてしまったのかも知れない。 そしてサスペンスの巨匠ヒッチコック的演出。これは確かにその通り。ゼメキス監督はそのタイミングや方法など、技術的な意味だったら本当に良く勉強していることが分かる。ただ、あくまでそれは技術に過ぎず、本来ゼメキス監督が持っている自分らしさの演出が今ひとつしっくり来なかった印象はある。 ヒッチコック作品におけるサスペンス仕立てと言うのは、徐々に真相が明らかになり、どんどんおかしな部分が剥ぎ取られていくのが大きな特徴なのだが、この作品は全く逆に真相が明らかになるほどにおかしな部分が増えていき、最終的に幽霊の仕業に全部押しつけてしまったわけだから、そこら辺がちょっと合わない人は合わないだろうと思う。 でもこの手の作品の場合、理屈はどうあれ、“怖かったかどうか”と言う点が何より大切であり、そしてその肝心な怖さの演出は見事だったのだから、充分面白い作品として挙げて良いんじゃないかと思う。 |
コンタクト 1997 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1997米アカデミー音響賞 1997ゴールデン・グローブ女優賞(フォスター) |
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クリントン大統領の演説のアーカイブ映像が用いられている。実際は火星からの隕石について語っていた部分。 |
フォレスト・ガンプ 一期一会 1994 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1994米アカデミー作品賞、主演男優賞(ハンクス)、監督賞(ゼメキス)、脚色賞(エリック=ロス)、特殊視覚効果賞、編集賞、助演男優賞(シニーズ)、撮影賞、作曲賞、美術監督賞、美術装置賞、メイクアップ賞、音響効果編集賞、録音賞 1994英アカデミー特殊視覚効果賞、作品賞、主演男優賞(ハンクス)、助演女優賞(フィールド)、監督賞、脚色賞、撮影賞 1994ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ハンクス)、監督賞(ゼメキス) 1994シカゴ映画批評家協会主演男優賞(ハンクス)、作品賞 1995日本アカデミー外国作品賞 1995MTVムービー・アワード作品賞、男優賞(ハンクス)、ブレイクスルー演技賞(ウィリアムソン) 1995キネマ旬報外国映画第4位 |
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知能指数は人より劣るが、足の早さとその誠実さは天下一品のフォレスト・ガンプ(ハンクス)。彼はアメリカの歴史の中であくまで誠実に、そして何故かその中心に生き続けている。「人生とはチョコレートの箱に似ている」という母親の言いつけを胸に、アメリカ史を歩くその半生を描く。 原作を先に読み、その後映画の方を観たわけだが、これは断言できる。確実に原作を超えた映画だ。 この映画の上手いところは、これを「映像」としたこと。映画だから当たり前。とは言わないで欲しい。アメリカという国が味わった様々な事件。つまりフォレスト・ガンプが生きた時代はまさしくテレビ世代に他ならない。人はヴェトナム戦争、それに反発して起こったヒッピー時代、ニクソン・ショックなどを、全てテレビ(映像)を通して観てきた。アメリカ人にとってこれらは雰囲気こそ自分達で味わったとは言っても、実際の事件は全てブラウン管の中に封じ込めて、テレビという素材を通して観てきたわけだ(「見た」ではない。「観た」のだ)。 そう言う意味でフォレスト・ガンプの行動を、全てテレビを通して観ていると言う感覚は、その時代を知っている人間にとってはまさしくリアルタイムの疑似体験が得られる訳である。それを時代時代のヒットナンバーで綴る。アメリカ人にとってこれほどノスタルジーに浸れるものも無かろう。 見事にテレビと言う素材を用いて映画を作り上げたゼメキス監督の巧さに驚かされる。 それだけの映像を可能とするSFXの使い方も上手い。SFXというと、それまでは映像そのものをこれでもか!と言う具合に見せつけるものだったのだが、この作品を境として、むしろいかにして自然の風景にSFXをとけ込ませるか、と言う風に変わってきたように思える。オープニング及びエンディングで現れる羽毛を見ていただけで驚かされたものだ。今ではコマーシャルなどですっかり当たり前となっているが、かつてのTV映像にキャラクターを刷り込ませる技法もここで完成された風。 トム・ハンクスの演技は前年の『フィラデルフィア』(1993)で折り紙付きとは言え、それでもこれはまさにはまり役。本当にフォレスト・ガンプになりきっているかのようにさえ見える。ハンクスと組むと輝きを増すゲイリー・シニーズも良いし、フォレストJrを演じるのが後に『シックス・センス』(1999)、『A.I』.(2001) で大ブレイクするハーレイ・ジョエル・オスメントであることもチェックされたし。 全く新しい監督の狙い、SFXの完成度、キャラクターの素晴らしさ。これだけ揃っていればアカデミー総ナメも当然のように思えてしまう。それに何より、アカデミー賞とは、アメリカ映画のためにあるのだから。ちなみに、本作は『ゴッドファーザー』(1972)以来20年ぶりの興業収益トップと作品賞オスカーの両冠を得た作品となる。それと、2年連続主演賞オスカーを得た(スペンサー・トレイシー以来)ハンクスの演技もたいしたもの。 尚、本作は公開時から60年代を恣意的にねじ曲げて描いたとされ、歴史の歪曲問題にも晒されることになる。具体的にはこの作品には公民権運動が一切出てこない。 |
永遠に美しく… 1992 | |||||||||||||||||||||||||||
1992米アカデミー特殊視覚効果賞 1992英アカデミー特殊視覚効果賞 1992ゴールデン・グローブ女優賞(ストリープ) |
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人気女優マデリーン(ストリープ)はライヴァルのヘレン(ホーン)から彼女の婚約者であるアーネスト(ウィリス)を奪って結婚してしまう。それから時が経ち、夫婦仲が冷め切ったマデリーンとアーネストだが、彼らの前にヘレンが現れる。昔と全く変わってないヘレンに驚きを隠せない二人だったが… ハリウッドを代表する二大女優に、当時旬のウィリスを絡めて作り上げたブラック・コメディ(それとなく脇も凄いキャスト陣だ)。いつまでも若々しくありたいというのは女性の心理だと思うけど、ここまで来るともはや醜悪を通り越してホラーになってるってところが味噌だろう(この辺は『未来世紀ブラジル』(1985)でも似たような部分があったな)。 本作は映画にCGを取り込む過渡期にあたる(今だって過渡期といえなくもないが)作品で、首が180度回転したり、土手っ腹に散弾で大穴が開くとか話題やインパクトには事欠かなかったけど、でも、そんな事より、ストリープ&ホーンの純粋な演技による女の戦いの方がもっと見応えがあった。目を剥いて歯をむき出しにして威嚇するオスカー女優…映画においてこれほど怖い描写があるだろうか?さすがにこの二人に対しては『ダイ・ハード』(1988)のマクレーン刑事も対抗できなかったか。男の強さなんて、迫力ある女性の前には何ほどの意味もない事をよく表していた(笑)…それはともかく、ウィリスにとってもこれは新境地で、この情けない役が巧い具合にはまっていた。 ゼメキス監督、よくこんな作品を作った…って言うか、よくこんな役付けを納得させられたな(笑)。オスカー女優にここまでやらせられると言うだけで、偉大な監督と認めてしまえるが、それよりストリープ&ホーンがこんなのによく出ようと思った。 しかし、改めて考えてみると、ハリウッドで長続きする俳優というのは、多くがコメディを間に挟む場合があることがある。これは役付けをする上でひょっとしてとても重要なことなのかも知れない。 物語は行くところまで行け!と言う爽快さがあるのでコメディ作品としては充分な出来で、冒頭からラストシーンまで楽しめた。グロさやホラー的な要素も嫌味にならない程度だし、深読みすればかなり深い哲学的考察まで出てくるので、特に女性にお勧めしたい作品。 |
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3 1990 | |||||||||||||||||||||||||||
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1955年に取り残されたマーティ(フォックス)は早速ドク(ロイド)を探し1885年のドクからの手紙を渡す。その手紙の通りにデロリアンの隠し場所に向かった2人だが、そこには何故かドクの墓場が。なんとドクは1885年にタイムスリップし、しかもそこで死んでしまったというのだ。マーティは1985年には戻る方法を探すため、そしてドクを救うため1885年に向かう。 3作の中で最大駄作の呼び声も高い本作だが、決して真の駄作とは言えないと思う。少なくとも2の駄作ぶりに較べると、新しい展開を作っている分、こちらの方がまだ救いがあるし、絶望的な展開をギリギリでハッピー・エンドにした部分や、ラストシーンも結構嫌いではない。特に1作目の唯一の心残りだったマーティが「チキン」と言われると我を忘れる部分がちゃんと解決してあっただけ、それだけでも観た甲斐があるというもの。 そりゃ、写真のトリックは1の焼き直しとか、無理にジューヌ=ヴェルヌの名前を出してるとか色々と言いたいことはたくさんあるけど、まあ、良しとしよう。 「俺の名前はイーストウッドだ」「なんだ。弱そうな名前だな」。これで笑えた人間は少ないかな?映画館で大笑いしてしまったけど。 |
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バック・トゥ・ザ・フューチャー完全大図鑑(書籍) 僕たちの好きなバック・トゥ・ザ・フューチャー 映画『バック・イン・タイム』DVD付き |
バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2 Back to the Future: Part II |
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1989米アカデミー視覚効果賞 1989英アカデミー特殊視覚効果賞 |
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30年後の未来から帰ってきたドク(ロイド)。マーティー(フォックス)の家族の危機を回避させようと恋人のジェニファー(シュー)を伴い、飛行可能となったタイムマシンのデロリアンで2015年に旅立つ。未来を修復したかに見え現代に帰還するが、2015年でデロリアンを見ていたビフが悪巧みを企んでいた。 大ヒット作『バック・トゥ・ザ・フューチャー』続編。 鳴り物入りで、徹底的に時間をかけて作られた本作だが、出来としてはかなりきつい。まさか最初からこの案があったと言うなら、本気で怒るぞ。前作の余韻を全てぶちこわしにして、更に「続く」にしてしまうと言う凶悪な映画の作りっぷりで、映画館を後にしながら、本気になって怒っていた。 相変わらず設定のアラは健在で、しかもそれがますます拡大している。大体、ビフがどうやって同じ時代に帰ることが出来たんだか。その辺の設定さえも曖昧。更に前作のクライマックスシーンを脇に乱闘してるなんて、今までの自分の作品を否定しようとしているのか?ロバート=ゼメキスは。 |
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ロジャー・ラビット | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1988アカデミー特殊視覚効果賞、音響効果編集賞、編集賞、撮影賞、美術監督賞、美術装置賞、録音賞 1988英アカデミー視覚効果賞、脚色賞、撮影賞 1988ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ホスキンス) 1988LA批評家協会特別賞 1988シカゴ映画批評家協会監督賞 |
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アニメーションのキャラクターが現実世界の人間と共に生活を送る、'47年のハリウッドを舞台に、彼らの住む漫画の町“トゥーン・タウン”の利権をめぐり、殺人事件が起こる。自らの生命が狙われていることを察したトゥーンであるロジャー・ラビットは私立探偵エディ・バリアント(ホスキンス)に身辺警護を依頼する。だが、彼はかつてトゥーン絡みの事件で親族を失い、それ以来トゥーンに対して恨みを持ち続けていたのだった。ロジャー・ラビットを胡散臭い思いで眺めつつ、それでもコンビで難事件に挑むのだが… ゲーリー・K・ウルフの「ロジャー・ラビットを消したのは誰?」の映画化作。1988年全米興行成績1位。 これはアニメと実写の融合と言う珍しい作品。日本でも手塚治虫が「バンパイヤ」で挑んだことがあり、技術的には可能なのだが、違和感なしに融合させるのは至難の業である。なにせ俳優は見えていない相手に対して演技しなければならないので、その調整が非常に大変(怪獣とかが相手だと人間と相手の対比がまるで違うため、逆にやりやすいのだが、等身大が相手、しかも肉体的な接触があったりすると、調整が無茶苦茶大変だ)。しかもこの映画でのロジャー・ラビットの動きは本当に激しい。わざわざこんなものを作ろうと思った監督には頭が下がる。 物語自体は割合シンプルな構造ではあるが、構造的にはかなり面白い。 まず主人公のホスキンス演じる探偵だが、その佇まいから行動様式まで『三つ数えろ』(1946)のボギーのような、いかにもハード・ボイルドでござい。と言った感じの雰囲気を纏わせているのだが、それが何の因果か、最もお子様向きのトゥーンと行動を共にしなければならないことになる。これは言ってしまえば、ハリウッドにおけるフィルム・ノワールを完全にパロディ化していると言う事であり、そのギャップが笑いを誘う。 随所にギャグがちりばめられているので飽きることはない。懐かしいアメリカン・アニメが好きな人だったら一見の価値はあるだろう。そこそこしか知らない私でも結構楽しめた。ベティ・ブーブは妙に色っぽく作られてたような… 『キャスパー』(1995)みたいなものも作られているのだから、今ならもっと低予算で続編作ることも可能だろう…『クール・ワールド』(1992)がそれに当たるのか? |
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バック・トゥ・ザ・フューチャー Back to the Future |
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1985米アカデミー音響効果編集賞、脚本賞、歌曲賞、音響賞 1985英アカデミー作品賞、脚本賞 1985ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(フォックス)、脚本賞、歌曲賞 1986日本アカデミー外国映画賞 |
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1985年のヒル・バレー。高校生・マーティー(フォックス)の近所の珍発明家ドク(ロイド)がタイムマシンを発明した。しかし、非合法に入手した燃料のためトラブルに巻き込まれ、ドクは殺され、マーティーは1人で1955年の世界にタイムトラベルしてしまうハメに。しかも帰りの燃料がない! 若かりし頃のドクと出会い、助けを求めるが、当時の技術ではタイムトラベルに必要なエネルギーを得ることができないという……。その上、父と母が出会うきっかけの邪魔をしてしまった! 事態をなんとか収めないと自分の存在が消滅してしまう。 スピルバーグが主宰するアンブリン・エンターテインマント作品(この年は『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』(1985)も手がけている)。1985年全米興行成績1位。奇抜なストーリーの持って行き方が上手く、更に絶妙な伏線の張り方を見せてくれ、ビデオリリースも記録的な大ヒットとなった。 なんと言ってもこれは良質。設定的にはかなり難があるながら、とびっきりのアイディアで、上手く作ってくれている。 冒頭でドクがあっけなく死んでしまい、あれよあれよと言う間にストーリーは展開していく。高校生役のフォックスは、まさにはまり役だった。ロバート=ゼメキスの名を一気にメジャーに押し上げた功績も大きい(主役は元々はエリック=ストルツだったが、ゼメキスの狙った大衆受けする明るいニュアンスが乏しかったため、フォックスに主役交代となる)。 当時の正月映画はかなり映画に散財し、『コクーン』(1985)、『グーニーズ』(1985)そして本作と観たんだった(当時、頭文字を取ってBCGなどと言っていた)。懐かしい思いでとなっている。ちなみに本作以外は話題だけで内容は殆ど駄目だったけど(笑) |
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バック・トゥ・ザ・フューチャー完全大図鑑(書籍) 僕たちの好きなバック・トゥ・ザ・フューチャー 映画『バック・イン・タイム』DVD付き ビニメイツ バック・トゥ・ザ・フューチャー マーティ・マクフライ |
ロマンシング・ストーン 秘宝の谷 Romancing the Stone |
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1984米アカデミー編集賞 1984LA批評家協会女優賞(ターナー) 1984ゴールデン・グローブ作品賞、女優賞(ターナー) |
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売れっ子ロマンス小説家のジョーン・ワイルダー(ターナー)はコロンビアでトラブルに巻き込まれた姉を助けるため、一人コロンビアへ向かう。そこで自分の小説の主人公のような野性味溢れるジャック(ダグラス)と出会うのだが、小説と現実とは違い、事々反発する二人だったが、巨大エメラルドを巡る争いに巻き込まれてしまう… 陽性な作品を作らせたら第一人者のゼメキス監督らしい作品。大人版『レイダース 失われた聖櫃』(1981)と言う感じで、非常に良くツボを抑えた演出がなされている。冒険ものには必要なスリルとサスペンス、そして笑いがほどよく配置されて出来としては手堅くまとめられている。1984年全米興行成績も9位と健闘。 ただ、手堅い作りというのは諸刃の剣で、本作は結局『レイダース』の二匹目のドジョウだろう。と言う目で見られてしまうし、事実その程度の出来であるのも事実(尤も作りは『ロマンシング・アドベンチャー キング・ソロモンの秘宝』(1985)の方に近い…ってあれ?本作の方が先なのか(笑))。 ただ、本作にはちゃんと売りがある。『レイダース』が大人も子供も楽しめる内容であったが、こっちは大人にしか分からない笑いがふんだんに用いられていることと、インディ=ジョーンズ一人が目立つ『レイダース』とは異なり、主人公をヒロインの方に持ってきたため、キャラの立ち具合がほどよくバランス取れてること。夢見る王女様って感じのキャスリーン=ターナー演じるジョーンが現実と向き合い、そして結局荒唐無稽な夢の世界を実現してしまう過程がなかなか楽しい。それにヒーローのジャック役のダグラスは本作では結構格好良かった(他の作品では見事なくらいに情けない役ばっかりやるからなあ)。ラストシーンで再びジョーンと出会ったときのジャックの立ち姿の演出はとてもシャレてたよ。笑い役担当とも言えるデヴィートも嫌味のない演技で好感度を上げた。 本作は地上波テレビで観たのだが、作品本体よりも解説してくれた故淀川長治の解説がとても良かった記憶がある。 |
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ユーズド・カー Used Cars |
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