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2008 | 5'26 死去 | |||||||||
2007 | ||||||||||
2006 | ||||||||||
2005 | ||||||||||
2004 | ||||||||||
2003 | ||||||||||
2002 | ||||||||||
2001 | ||||||||||
2000 | ||||||||||
1999 | ランダム・ハーツ 監督・製作・出演 | |||||||||
マーロウ 最後の依頼 製作総指揮 | ||||||||||
アイズ ワイド シャット 出演 | ||||||||||
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1998 | ||||||||||
1997 | スライディング・ドア 製作 | |||||||||
1996 | ||||||||||
1995 | サブリナ 監督・製作 | |||||||||
完全犯罪 製作総指揮 | ||||||||||
犯罪指令 製作総指揮 | ||||||||||
殺意の罠 製作総指揮 | ||||||||||
いつか晴れた日に 製作総指揮 | ||||||||||
1994 | ||||||||||
1993 | ザ・ファーム 法律事務所 監督・製作 | |||||||||
堕ちた天使たち 製作総指揮 | ||||||||||
フレッシュ・アンド・ボーン/渇いた愛のゆくえ 製作総指揮 | ||||||||||
ボビー・フィッシャーを探して 製作総指揮 | ||||||||||
1992 | フォーエバー・ロード 製作総指揮 | |||||||||
プライベート・マター/幸せの行方 製作総指揮 | ||||||||||
夫たち、妻たち 出演 | ||||||||||
ザ・プレイヤー 出演 | ||||||||||
永遠に美しく… 出演 | ||||||||||
1991 | 愛と死の間で 製作総指揮 | |||||||||
ラルフ一世はアメリカン 製作総指揮 | ||||||||||
1990 | ハバナ 監督・製作 | |||||||||
ぼくの美しい人だから 製作総指揮 | ||||||||||
推定無罪 製作 | ||||||||||
1989 | 恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ 製作総指揮 | |||||||||
1988 | 3人のゴースト 製作総指揮 | |||||||||
再会の街/ブライトライツ・ビッグシティ 製作 | ||||||||||
1987 | ||||||||||
1986 | ||||||||||
1985 | 愛と哀しみの果て 監督・製作 | |||||||||
1984 | ソングライター 製作 | |||||||||
1983 | ||||||||||
1982 | トッツィー 監督・製作・出演 | |||||||||
1981 | スクープ・悪意の不在 監督 | |||||||||
1980 | 忍冬(すいかずら)の花のように 製作総指揮 | |||||||||
1979 | 出逢い 監督 | |||||||||
1978 | ||||||||||
1977 | ボビー・デアフィールド 監督・製作 | |||||||||
1976 | ||||||||||
1975 | コンドル 監督 | |||||||||
1974 | ザ・ヤクザ 監督・製作 | |||||||||
1973 | 追憶 監督 | |||||||||
1972 | 大いなる勇者 監督 | |||||||||
1971 | ||||||||||
1970 | ||||||||||
1969 | ひとりぼっちの青春 監督 | |||||||||
大反撃 監督 | ||||||||||
1968 | 泳ぐひと 共同監督 | |||||||||
1967 | インディアン狩り 監督 | |||||||||
1966 | ||||||||||
1965 | いのちの紐 監督 | |||||||||
雨のニューオリンズ 監督 | ||||||||||
1964 | ||||||||||
1963 | ||||||||||
1962 | 戦場の追跡 出演 | |||||||||
1961 | ||||||||||
1960 | ||||||||||
1959 | ||||||||||
1958 | ||||||||||
1957 | ||||||||||
1956 | ||||||||||
1955 | ||||||||||
1954 | ||||||||||
1953 | ||||||||||
1952 | ||||||||||
1951 | ||||||||||
1950 | ||||||||||
1949 | ||||||||||
1948 | ||||||||||
1947 | ||||||||||
1946 | ||||||||||
1945 | ||||||||||
1944 | ||||||||||
1943 | ||||||||||
1942 | ||||||||||
1941 | ||||||||||
1940 | ||||||||||
1939 | ||||||||||
1938 | ||||||||||
1937 | ||||||||||
1936 | ||||||||||
1935 | ||||||||||
1934 | 7'1 インディアナ州ラファイアエットで誕生 |
タイトル | |||||||||||||||||||||||||||
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ランダム・ハーツ 1999 | |||||||||||||||||||||||||||
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サブリナ 1995 | |||||||||||||||||||||||
1995米アカデミー歌曲賞、音楽賞 1995ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(フォード)、歌曲賞 |
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ザ・ファーム 法律事務所 1993 | |||||||||||||||||||||||
1993米アカデミー助演女優賞(ハンター)、作曲賞 1993英アカデミー助演女優賞(ハンター) 1994MTVムービー・アワード男優賞(クルーズ)、魅惑的な男優賞(クルーズ) |
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愛と哀しみの果て 1985 | |||||||||||||||||||||||
1985米アカデミー作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、作曲賞、美術監督・装置賞、音響賞、主演女優賞(ストリープ)、助演男優賞(ブランダウアー)、衣装デザイン賞、編集賞 1985NY批評家協会助演男優賞(ブランダウアー)、撮影賞 1985LA批評家協会女優賞(ストリープ)、撮影賞 1985ゴールデン・グローブ作品賞、助演男優賞(ブランダウアー)、音楽賞、女優賞(ストリープ)、監督賞、脚本賞 1986英アカデミー脚色賞、撮影賞、音響賞、主演女優賞(ストリープ)、助演男優賞(ブランダウアー)、作曲賞 |
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デンマークの豊かな家庭に生まれたカレン(ストリープ)は没落貴族の出で働き口を探していたブロア(ブランダウワー)と便宜上の結婚式を挙げ、共にアフリカにある農園にやってきた。お互い自由にいようという取り決めはあったものの、家業に興味を示さず、更に数多くの女性と浮き名を流すブロアに疲れ果ててしまう。そんなカレンが気をおけずに話すことが出来るハンターのデニス・フィッチ・ハットン(レッドフォード)は何かと彼女の相談に乗っていたが、やがて夫よりもデニスの方に惹かれている自分に気づくようになるのだが… 戯曲家・小説家であるアイザック・ディーネセン(『バベットの晩餐会』(1987)原作者)最大のベストセラーである自伝「アフリカの日々」映画化。長尺であるが、興行的にも成功を収める。映画の7割をケニアでロケーションしており、ランガタに当時のナイロビ市内を再現したという力が入った作品でもある。1986年全米興行成績10位。 アイザック・ディーネセンは私の母がファンで、シリーズ全巻実家に置いてあったのでたまたま私も一通り読んでいた。流石ドラマ作家で、自伝と言ってもなかなかドラマチックな作風で面白い本だった。 それで本作は何の気無しに衛星放送で放送した奴を録画していて、それで観始めた途端、あの本の映画化だと分かって驚いた記憶がある。記憶を辿りつつ、「あれ?ここは違うかな?」とか「こう言う表現するか」とか、この映画観てても、自分の記憶の所在を眺めているようでとても楽しい。 本作の最大の特徴は、かなりウーマン・リブの流れを汲んでいると言う事になるだろうか。女性が自由に生きると言う事、恋愛観、そして男女の区別無しに、お互いを一個の人間として見ると言う事。その辺の基本主張が映画の根底に流れている。それがちょっとだけ鼻につく気もするんだけど、それが物語上必要な男女関係のドロドロした部分をさらりと描いていので、その部分がとても観やすい。考えてみると、本作が書かれたのは第二次大戦前で、まだリブ運動なんて無かった時代なので、随分と先行した物語だったんだと、映画を観てその事に気づかされた。 どんな役もこなすストリープがこんな女性もしっかり演じられたのも良かったし(尚、この年ストリープは『プレンティ』でも高い評価を受けているが、彼女としてはこの役に賭けており、101日の撮影期間中、99日は現場に出たという)、相方であるレッドフォードの繊細なワイルドさが光る。まさにこの人、こう言う役が一番合うんだよな。 そんな意味で、作品そのものもかなりの高水準にまとまったものと言えるが、そのそつの無ささのために映画自体の印象がやや薄くなってる気もする。 |
トッツィー 1982 | |||||||||||||||||||||||
1982米アカデミー助演女優賞(ラング)、作品賞、主演男優賞(ホフマン)、監督賞(ポラック)、脚本賞、撮影賞、歌曲賞、音響賞、編集賞 1982全米批評家協会作品賞、主演男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ラング)、脚本賞 1982NY批評家協会助演女優賞(ラング)、監督賞(ポラック)、脚本賞 1982LA批評家協会脚本賞 1982ゴールデン・グローブ作品賞、男優賞(ホフマン)、助演女優賞(ラング) 1983英アカデミー主演男優賞(ホフマン)、作品賞、主演女優賞(ラング)、助演女優賞(ガー)、監督賞(ポラック)、脚色賞、主題歌賞、メイクアップ賞 1983キネマ旬報外国映画第8位 1988アメリカ国立フィルム登録簿新規登録 |
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実力はあるが、トラブルメーカーで演劇会からは干されているマイケル・ドーシー(ホフマン)はある日自分が演技指導している生徒サンディ(ガー)がTVのソープドラマオーディションでけんもほろろに断られるシーンを目撃する。その光景に腹を立てたマイケルは、何と翌日女装してドロシー・マイケルズと名乗って同じオーディションを受けて受かってしまった。しかもいざTV番組が放映されると、ドロシーの男勝りの演技が大受けしてしまい、ディレクターからは“トッツィー(可愛い子ちゃん)”と言う愛称までもらってしまう始末。成り行きで自分が男であると言い出せなくなってしまったマイケルだったが、共演者のジュリー(ラング)に徐々に惹かれていく。彼女にも言えない苦悩を抱え、多くのファンを獲得しつつ番組は続いていくが… テレビ登場時からアメリカのお茶の間を賑わしてきたテレビドラマの世界を題材に取ったコメディ。 1982年はハリウッドには面白い年で、この年の作品には妙にジェンダーフリーをテーマにした作品が多い。本作はその筆頭だが、他にも『ビクター/ビクトリア』、『ガープの世界』など、かなり評価された作品の中にジェンダーフリー映画がいくつもあった。その中でも最も評価されているのが本作で、1983年全米興行成績2位。更に数々の賞にもノミネートしている。勿論それぞれ脚本はしっかりしているし、テーマも違っているので一概に括ることは出来ないが、その中でノーマルな男性の女装という本作は面白い位置づけにあるとは言えよう。 それも全てホフマンという俳優を主人公に選んだことが最大の成功点だとは言えるだろう(実は本作の企画立案はホフマン自身で、自らを揶揄したような作品を作り、女性役をやってみたいと持ち込んだことから始まったそうだが)。 確かコメディは初挑戦だったはずだが、割と小柄な体格と、どうやっても女性には見せられないような風貌を女性にしてしまったと言うのが、妙なギャップとなって、絶妙なはまり具合を見せていた。最初の内痛々しく見えているのが、徐々に本当に女性に見えてくるところもホフマンの芸達者ぶりと言うべきだろう。本来痛々しさを笑うはずの作品が、徐々にさりげなくだが男とは?女とは?と言う感じに変わってくる構成も良い。これを突き詰めていくとコメディの枠を飛び越えてしまうので、その辺のほどほどさがコメディのスパイスとして上手く機能していた感じだ。 ラストで自分が男であることを明かすシーンは『お熱いのがお好き』っぽくもあり。狙ったのかな?(ちなみにこの劇中劇の名前は『病院物語』だが、これは1963年に始まり、未だに続いているというソープ・オペラ『General Hospital』をもじったものらしい。また、生出演のソープ・オペラの場合、このように途中から登場した人物が人気を博し、あっという間にレギュラーになってしまうことも数多く行われてる) それと、やはりメイクの素晴らしさ。ほとんど特撮メイク並で、一見ホフマンの女装姿は全く男には見えない(ホフマンは実際にニューヨークを歩いたが、誰にも気づかれなかったとか)。 本作はかなりの数のアカデミー賞にノミネートされていたが、実際に受賞したのは助演女優賞のジェシカ=ラングのみ(やっぱりキワもの、しかもコメディというのがネックになったか?)。だが、そのラングはスピーチで「主演女優ダスティン=ホフマンのお陰です」と語り、オスカー名言の一つとして残っている。 ただし、ホフマンはかなり髭の伸びが早い上、メイクにかなりの時間がかかったため、ドロシーの出演シーンは徹底的な早撮りで撮られたが、何せそれがメインの話。撮影そのものもかなりの短期間で終わってしまったとか。尚、ポラック監督自身がドロシーのエージェントとして登場しており、マイケルを“トッツィー”と命名してる役を演じている。 |
スクープ・悪意の不在 1981 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
1981米アカデミー主演男優賞(ニューマン)、助演女優賞(ディロン)、脚本賞 1982ベルリン国際映画祭特別表彰 |
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マイアミの港湾労働組合のリーダーが失踪した。事件性を推測したFBIが乗り出すが、半年が経過しても捜査は何の進展も無かった。そこでマフィアとのつながりがある酒場の主人マイケル・ギャラガー(ニューマン)を犯人にでっち上げようと画策。マイアミ・スタンダード紙の女性記者ミーガン・カーター(フィールド)は、自分の記事が実はFBIによって作られた偽物であることを知らずに、マイケルを糾弾する記事を新聞に載せてしまい… ハリウッド映画には不思議な風潮があり、FBIとかCIAを悪者に仕立て上げるパターンが多い。映画人はリベラルを旨とし、権力を信用してないことの現れだろう。 そしてこの話はFBIがどのように無関係の人間を犯人に仕立てるかを細かく描いたものとなっている。要するにマスコミを上手く利用し、情報操作によって大衆に犯人を信じさせるという方法。 マスコミの力がどれだけ強いかを示すと共に、一度大衆によって真実とされてしまったことを覆すことがいかに難しいかを示している。 その設定は結構面白いのだが、これが妙に薄味になってしまったのは、「何を今更」というところだろう。この作品が出来る前であっても実はこのパターンは低予算アクションでは当たり前に作られており、それをわざわざ大作として作る必要性があまり感じられない。いや、少なくともその程度で落とし込むこともあり得たのだ。 でも低予算作品とは違い、その辺を丁寧に描いているので、追いつめられていく過程がリアルで良かったか。それに永遠の不良青年ポール・ニューマンが相変わらずの不良ぶりを見せているのも良し。この人はこういう役を演じないといかんよ。 しかしこの邦題はちょっとおかしいよな。全般的に悪意だらけなのに。 |
出逢い 1979 | |||||||||||||||||||||||
1979米アカデミー音響賞 | |||||||||||||||||||||||
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コンドル 1975 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1975米アカデミー編集賞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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70年代になって流行った謀略スリラーの傑作。1975年全米興行成績7位 ポラック監督の政治ドラマ初挑戦 |
ザ・ヤクザ 1974 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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追憶 1973 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1973米アカデミー作曲賞、歌曲賞、衣装デザイン賞、主演女優賞(ストライサンド)、撮影賞、美術監督・装置賞 1973ゴールデン・グローブ歌曲賞 1974英アカデミー主演女優賞(ストライサンド) |
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大学で共に机を並べて学んでいたケイティー(ストライサンド)とハベル(レッドフォード)。二人は仲が良かったが、政治活動に熱中するケイティーとそれに興味を示さないハベルの進路はまるで違ったものとなった。大学を卒業してロビー活動を熱心に行うケイティ、そして海軍に入り順調に出世を重ねるハベル。そんな二人が10年後に再会。結婚までするが、いくら愛しあっていても、二人の目指す進路はまるで違っていたのだ… 第二次世界大戦から赤狩りに至る時代を背景に、十数年に渡る男と女を描いた作品。一応形式としてはロマンスものになるのだろうけど、決してベタベタしたものにはせず、むしろ70年代のウーマン・リブを追い風に、女性の自立を描こうとした企画に見える。実際自立した女性を描くのだったら、ストライサンドかジェーン=フォンダを出すのが常套だが、ここでのストライサンドは気負いがありすぎたか、ちょっと強烈になり過ぎ。はっきり言って濃すぎてかなりげんなりしてしまう。一方、レッドフォードは『明日に向かって撃て!』(1969)や同年の『スティング』の野性味溢れた姿とは全く異なり、非常に洗練された物腰が際だってる。多分本作はストライサンドを目立たせるつもりで、レッドフォードをおとなしめにしたんだろうけど、それが全く逆にレッドフォードの方を目立たせてしまったのは皮肉と言うべきか。 強い女性というのはどんな時代にもいたのだろうが、それがちゃんと出せるようになってきた時代が来たのだろう。これまでの映画はあくまで主導は男の方で、女性はそれに振り回されている作品ばかりだったが、この時代辺りから、今度は逆に女性が主導で男の方が振り回される作品も数多く作られるようになってきた。その意味では本作は近代ラブロマンスの嚆矢であり、画期的な作品であった訳だ。 …しかし、改めて考えると、やっぱりストライサンド、強烈すぎるよ。改めてこの映画の事を考えると、音楽とストライサンドの濃さばかり思い出してしまう。 |
大いなる勇者 1972 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
1972カンヌ国際映画祭パルム・ドール(ポラック) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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大反撃 Castle Keep |
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雨のニューオリンズ This Property Is Condemned |
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